「し」から始まる四字熟語
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思案投首(しあんなげくび)
よい案が浮かばずに悩み、首を傾けている様子。 「思案」はいろいろと考えること。 「投首」は首を傾げている様子。
詩歌管弦(しいかかんげん)
漢詩や和歌を吟じたり、音楽をかなでたりすること。 または、文学や音楽のこと。 「詩歌」は漢詩と和歌などの韻文のこと。 「管弦」は管楽器、弦楽器のことで音楽のこと。
時移俗易(じいぞくえき)
時代の移り変わりに応じて、風俗や習慣も変わること。 「時(とき)移(うつ)り俗(ぞく)易(か)わる」とも読む。
尸位素餐(しいそさん)
高い地位をもっているだけの無駄飯食い。 または、職務を果たしていないのに無駄に高い給料を得ていることのたとえ。 「尸位」は才能も人徳もないのに高い地位についていること。 「素餐」は何もせずに食べるばかりであること。
侈衣美食(しいびしょく)
贅沢な生活のたとえ。 「侈」はぜいたくという意味で、「侈衣」はぜいたくな衣服のこと。 高価で華やかな衣服においしい食事ということから。
子為父隠(しいふいん)
悪事や過ちは、父は子のために、子は父のために互いに隠してかばいあうことが人の道であるということ。
時雨之化(じうのか)
適度な雨は草木の育成をよくすることから、君主の善政や聖人の教化が、人々を感化すること。 「時雨」は適切な時に適度に降る雨のこと。
慈烏反哺(じうはんぽ)
育ててくれた親に恩返しすること。 「慈烏」はカラスの別名、「反哺」は口移しで餌を与えること。 成長したカラスは、口移しで老いた親に餌を与えて幼時の恩を返すといわれていることから。
四宇和平(しうわへい)
世界が平和で穏やかなこと。 「宇」は屋根のこと。 「四宇」は屋根のように世の中を覆っている空という意味から、世界のたとえ。
持盈保泰(じえいほたい)
安らかで満ち足りた状態を維持し続けること。 または、慎重に行動して災いを招かないようにすること。 「持盈」は満ち足りた状態を維持すること。 「保泰」は安らかなことを維持すること。 「保泰持盈」ともいう。
四海兄弟(しかいきょうだい)
人と接するときにまごころと礼儀を持てば、人は兄弟のように親しくなれること。または、親しくするべきだということ。 「四海」は四つの方向の海のことから全世界という意味。
四海兄弟(しかいけいてい)
人と接するときにまごころと礼儀を持てば、人は兄弟のように親しくなれること。または、親しくするべきだということ。 「四海」は四つの方向の海のことから全世界という意味。
四海困窮(しかいこんきゅう)
世の中の人々が貧乏で生活に困ること。 「四海」は四方の海の内側という意味から、世の中や国内、世界のたとえ。
四海天下(しかいてんか)
世界。世の中。 「四海」は四方の海の内側という意味から、世の中や国内、世界のたとえ。 「天下」は天の下にある空間ということから、世の中や国内、世界のたとえ。
四海同胞(しかいどうほう)
人と接するときにまごころと礼儀を持てば、人は兄弟のように親しくなれること。または、親しくするべきだということ。 「四海」は四つの方向の海のことから全世界という意味。
四海波静(しかいはせい)
世の中が平和であることのたとえ。 四方の海が穏やかな状態にあるということから。 「四海(しかい)波(なみ)静(しず)か」とも読む。
止戈為武(しかいぶ)
武は戦をやめるためのものであるというたとえ。 「戈」は武器のことで、戦のたとえ。 「止」と「戈」の二つの漢字を合わせると「武」の文字になることから。 「戈(か)を止(とど)むるを武(ぶ)と為(な)す」とも読む。 「武」の漢字の成り立ちとしては否定されている解釈。
死灰復然(しかいふくねん)
火が消えて冷たくなった灰が再び燃え上がるという意味から、衰えたものが勢いを取り戻すこと。 また、解決したことが再発すること。
駟介旁旁(しかいほうほう)
武装した四頭立ての馬が引く戦車が戦場を駆け巡ること。 「駟」は四頭立ての馬のこと。 「介」は鎧のこと。 「旁旁」は駆け巡る様子。
駟介旁旁(しかいぼうぼう)
武装した四頭立ての馬が引く戦車が戦場を駆け巡ること。 「駟」は四頭立ての馬のこと。 「介」は鎧のこと。 「旁旁」は駆け巡る様子。
爾雅温文(じがおんぶん)
心がおだやかで、態度や言動が礼儀にかなっていること。 「温文」は温和で礼儀にかなっていること。 「爾雅」は言葉や文章などが美しいこと。 「爾雅温文」ともいう。
事過境遷(じかきょうせん)
物事の状況や事態が変化すると、心の状態も変化するということ。 または、一つのことが終われば、環境や身辺の諸事情が変化するということ。 「境」は心の状態や、人の境遇のこと。 「遷」は変化すること。 「事(こと)過ぎ境(きょう)遷(うつ)る」とも読む。
四角四面(しかくしめん)
真四角のこと。 または、物事を几帳面に考える真面目な人や、真面目すぎて融通が利かず面白みがない人のこと。 四つの角と面がはっきりとしていることから。
自画自賛(じがじさん)
「賛」は絵画に添える詩文のこと。 一般的には他人に書いてもらうもので、自分の絵画に自分で賛を書くことから、自分で自分をほめるという意味。
止渇飲鴆(しかついんちん)
後のことは何も考えずに目先の利益を得ること。 または、一時逃れをして、後から大きな災いに遭うこと。 「鴆」は羽に猛毒をもつ鳥の名前で、その鳥の羽が入っている酒を喉の渇きを癒すために飲むことから。 「止渇飲鴆」ともいう。
歯豁頭童(しかつとうどう)
老人のこと。または、年老いていくこと。 「頭童」は子どもの坊主頭のこと。転じて頭髪が薄くなった頭のたとえ。 「歯豁」は歯が抜けて隙間が多くなること。 「歯豁頭童」ともいう。
自家撞着(じかどうじゃく)
同じ人の行動や言動が前後で辻褄が合わないこと。 「自家」は自分自身のこと、「撞着」は辻褄があわないこと、矛盾していること。
自家撞着(じかどうちゃく)
同じ人の行動や言動が前後で辻褄が合わないこと。 「自家」は自分自身のこと、「撞着」は辻褄があわないこと、矛盾していること。
歯牙余論(しがのよろん)
少しの言葉や何気ない褒め言葉のこと。 「歯牙」は歯と牙のことから口の端という意味。 「余論」は余った言論のことからちょっとした言葉という意味。
徙家忘妻(しかぼうさい)
物忘れが酷いこと。 「徙家」は家を移すという意味。 引越しの時に妻を忘れて置いてきてしまうということから。
自家撲滅(じかぼくめつ)
同じ人の言動や文章が、前と後で食い違っていること。 「自家」は自分自身のこと。 自分自身を滅ぼすということから。
自家薬籠(じかやくろう)
自分の使いたい時に自由に使える物や技術、または人のこと。 「薬籠」は薬箱のことで、自分の家にある薬箱の中の薬はどれも役に立つものであり、必要なときに好きなように使えることから。
紫幹翠葉(しかんすいよう)
山の木々がみずみずしく青々としていて美しい様子。 「紫幹」は暗褐色の幹、「翠葉」は緑色の木の葉のこと。 「紫翠」と略すこともある。
只管打坐(しかんたざ)
雑念を捨ててわきめもふらず座禅を組むこと。 「只管」はひたすら、一心に。 「打坐」は座禅をすること。
士気高揚(しきこうよう)
集団のやる気や熱意、意気込みが高くなること。または高くすること。 「士気」は戦いに臨む兵士のやる気のこと。 「高揚」は気分が高まる、または、高めること。
直指人心(じきしにんしん)
人の心を直に指差すこと。 禅宗の言葉で、人の心と仏は同じものであり、そのことを言葉や文字でなく、直接的に導くことをいう。
時期尚早(じきしょうそう)
事を実行するのは、まだ時期が早すぎるという意味。 「尚早」はまだ時期ではないという意味。
色相世界(しきそうせかい)
実際に目で見ることができる世界、この世のこと。 「色相」は実際に目で見ることができる姿や形、物事の様子。
色即是空(しきそくぜくう)
「色」すなわち「この世の全ての事象や物体」で変化しないものはなく、全てのものの実体は「空」であるということ。 「色」はこの世に存在する全ての物質的な物や、人が認識できる全ての事象。 「空」は物質的には存在しているが実体ではないという意味。
士気阻喪(しきそそう)
集団のやる気や熱意、意気込みがくじけて低くなり勢いがなくなること。 「士気」は戦いに臨む兵士のやる気のこと。 「阻喪」は気分が殺がれること。
時機到来(じきとうらい)
よい機会がやってくるという意味。 「時機」はよい機会のことで、時機が到来するということから。
事急計生(じきゅうけいせい)
差し迫った状況になり、追い詰められるとかえってよい計略や策略を思いつくということ。 中国の後梁の初代皇帝の朱全忠の妾の子である朱友珪は、朱全忠に左遷されそうになり悲嘆していると、側近から追い詰められるとよい計略が浮かぶものだと励まされ、朱全忠を殺して帝位を奪ったという故事から。 「事(こと)急(きゅう)なれば計(けい)生ず」とも読む。
自給自足(じきゅうじそく)
自分に必要なものを自分でまかない、十分に足りるようにすること。
至恭至順(しきょうしじゅん)
人の言動に物凄く素直に従うこと。 「至」は”いたって”や”このうえなく”などの強調語。
自彊不息(じきょうふそく)
休むことなく、自ら努力を続けること。 「彊」は心を緩めず励んで行うこと。 「自彊(じきょう)息(や)まず」とも読む。 「自彊」は「自強」とも書く。
自強不息(じきょうふそく)
休むことなく、自ら努力を続けること。 「彊」は心を緩めず励んで行うこと。 「自彊(じきょう)息(や)まず」とも読む。 「自彊」は「自強」とも書く。
子虚烏有(しきょうゆう)
何も無いこと。 または、でたらめで嘘の話。 「子虚」は事実とは異なること、嘘。 「烏有」はいずくんぞあらんやとも読み、何も存在しないという意味。 中国の漢の司馬相如は、「子虚」と「烏有」という架空の人物を出して、天子に倹約の大切さを説いたという故事から。
史魚屍諫(しぎょしかん)
史魚が自らの死体を使い主君をいさめたという中国の故事。 「史魚」は人物の名前。 「屍諫」は死体を使いいさめるという意味。 人事に関して、主君をいさめたが聞き入れられなかったのを悔いて、子に自らが死んだら死体を窓の下に放り出しておけと命じた。 死後、主君が死体の理由を聞き、聞き入れなかったのは過ちだったと認め、生前の史魚の進言にそった人事を行った故事から。
至緊至要(しきんしよう)
急いで対処しなければいけない大事なこと。 「至緊」は急を要すること。 「至要」は大切なこと。
詩吟朗詠(しぎんろうえい)
漢詩や和歌などに節をつけて大きな声で歌うこと。
四弘誓願(しぐぜいがん)
仏になろうとする修行者や菩薩が願いかなえると誓う四つのこと。 あらゆる生き物の苦しみを無くす誓願、衆生無辺誓願度。 尽きない煩悩を全て断つ誓願、煩悩無尽誓願断。 全ての法門を学び尽くす誓願、法門無量誓願学。 仏道の最高の悟りを得て成仏する誓願、仏道無上誓願成。
四衢八街(しくはちがい)
大通りがあらゆる方面に通じた大きな街のこと。 またはそのような大きな街のたとえとして用いられる。 「衢」と「街」はどちらも四方に通じる道のこと。
四苦八苦(しくはっく)
とても苦労すること。苦しむこと。 仏教語であらゆる苦しみという意味。 四苦は生、老、病、死のこと。 八苦は四苦に愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦の四つを加えたもの。 愛する人との別れの苦しみ、愛別離苦。 恨みや憎しみをもった人と会う苦しみ、怨憎会苦。 欲しいものを得ることができない苦しみ、求不得苦。 心身の活動だけで湧き上がる苦しみ、五陰盛苦。
舳艫千里(じくろせんり)
船の船尾に次の船の船首がくっつくような間隔で、どこまでも連なっていること。 または、そのように船団が進む様子。 「舳」は船首、「艫」は船尾、「千里」は距離が非常に長いこと。
使穴可入(しけつかにゅう)
恥ずかしくて我慢できないこと。 穴があったら入りたいということから。 「穴(あな)を使(し)て入(い)る可(べ)からしむ」とも読む。
四絃一撥(しげんいっぱつ)
楽器の琵琶の四つの弦が同時に鳴らされること。 または、それが悲しそうな音をたてること。 「四絃」は四本の弦ということから、弦が四本ある楽器の琵琶のこと。 「一撥」は一回音を鳴らすこと。または、そのための道具のこと。 「四弦一撥」とも書く。
四弦一撥(しげんいっぱつ)
楽器の琵琶の四つの弦が同時に鳴らされること。 または、それが悲しそうな音をたてること。 「四絃」は四本の弦ということから、弦が四本ある楽器の琵琶のこと。 「一撥」は一回音を鳴らすこと。または、そのための道具のこと。 「四弦一撥」とも書く。
子見南子(しけんなんし)
礼の道を守るために、周りに惑わされず自分の考えを信じること。 「南子」は、衛の国王霊公の夫人。 孔子は、衛の国王霊公に招かれた際、夫人の南子に謁見することが礼の道と考えたが、弟子の子路は南子の素行の悪さから謁見を嫌がり不快に思った。 しかし孔子は「私にやましいところがあれば天が私を見捨てるだろう」と誓いを立て、考えを変えなかったという故事から。
子建八斗(しけんはっと)
優れた才能を激賞した言葉。 「子建」は魏の曹植という人物の字(あざな)。 「八斗」は量の単位のことで、十斗で一石。 宗の謝霊運が「天下が一石の才とするならば曹植の詩の才は八斗を得る」と激賞した故事から。
自己暗示(じこあんじ)
自分で自分に特定の意識や理念を抱くように繰り返すことで暗示をかけること。
舐糠及米(しこうきゅうまい)
少しのことから被害が増えていくこと。 虫が米の外側の糠を舐めると、次は中の米を食べるということから。 前漢、景帝の代に諸侯の勢力を削る目的で、諸侯の領地を少しずつ削ぐ政策を行った。 領地を削がれた呉王は領地がなくなってしまうことを危惧し、呉楚七国の乱を起こしたという故事から。 「糠を舐(ねぶ)りて米に及ぶ」とも読む。
試行錯誤(しこうさくご)
試みと失敗を何度も繰り返して、問題の解決に近づけていくこと。
自高自大(じこうじだい)
大きな態度をとって他人を見下すこと。 「自高」と「自大」はどちらも自分で自分を大きいものだと思うこと。
自業自得(じごうじとく)
自分が行ったことが自分に返ってくること。 悪い意味で使われることが多い。 自分の行動の善悪の業によって、苦楽の業を受けるという意味の仏教の因果の法則を表す言葉。
至公至平(しこうしへい)
極めて公平であること。 「至」は「いたって」や「この上なく」という意味。 「公平」という言葉に「至」をつけて強調した語。
豕交獣畜(しこうじゅうちく)
獣のように人を扱うこと。 「豕交」は豚と接するように交際すること。 「獣畜」は獣のように扱い養うこと。 人を人として見ずに、獣と同じように扱うことをいう言葉。
師曠之聡(しこうのそう)
非常に鋭く敏い耳のたとえ。 「師曠」は中国の晋の盲目の楽師で政治顧問をしていた人の名前。 師曠は音を聞き分けて吉凶を知ることが出来たという故事から。
四荒八極(しこうはっきょく)
世界中のあらゆる場所、地域のこと。 世界の隅々までという意味。 「四荒」は北方の觚竹、南方の北戸、西方の西王母、東方の日下の四つのことで、この四方の果てにあるえびすの国のこと。 えびすは異民族の別称。 「八極」は八方の地の果てという意味。
至高無上(しこうむじょう)
限りないほど素晴らしいこと。 「至高」は最高、「無上」は”この上なく”または”限りない”という意味。
自己犠牲(じこぎせい)
他人に尽くすために、自分の利益や欲望、命などを捨てること。 「犠牲」は目的を果たすために、大事なものを捧げること。
自己欺瞞(じこぎまん)
自分の本心、良心を裏切り、心を偽ること。 「欺」と「瞞」はどちらも偽るという意味。
自己嫌厭(じこけんえん)
自分で自分のことを嫌うこと。 「嫌厭」は嫌って憎むこと。
自己嫌悪(じこけんお)
自分で自分のことを嫌うこと。 「嫌悪」は嫌って憎むこと。
自己顕示(じこけんじ)
自らの存在に注目させようとすること。 または、自らの功績や成功を自慢すること。 「顕示」は明確に示すこと。
刺股懸頭(しこけんとう)
苦労しながらも勉学に励むこと。 「懸頭」は縄を首にかけること。 「刺股」は穴をあけるための錐(きり)でふとももを刺すこと。 中国の漢の時代の楚の孫敬は、勉強をしているときに眠らないように、天井から下げた縄を首にかけて眠るとしまるようにして勉強を続けたという故事と、中国の戦国時代の蘇秦が眠くなるとふとももを錐で刺して、眠気を覚ましながら勉強したという二つの故事から。 「頭(こうべ)を懸(か)け股(もも)を刺す」とも読む。 「刺股懸頭」ともいう。
市虎三伝(しこさんでん)
真実ではないことでも、多くの人が言えばいつの間にか真実として広まるということのたとえ。 「街に虎が出たと言ったら信じるか」と尋ねると「信じない」と答えた。 「それならばもう一人別の人物が同じこと言ったら信じるか」と尋ねると「わからない」と答え、「三人ならどうか」と聞くと「信じるようになるだろう」と答えたという故事から。
事後承諾(じごしょうだく)
事が終わった後で許可を得ること、または与えること。
自己中心(じこちゅうしん)
自分のことしか考えずに行動すること。
自己韜晦(じことうかい)
自身の才能や地位、本心などを隠して表に出さないこと。 「韜晦」は才能や学識などを隠すという意味。
自己陶酔(じことうすい)
自分自身の言葉や考えなどを素晴らしいものとして、自分自身に酔いしれること。 「陶酔」はうっとりと心地よい気分に浸ること。
自己撞着(じこどうちゃく)
同じ人の行動や言動が前後で食い違っていること。 「撞着」は辻褄が合わないこと、矛盾していること。
自己弁護(じこべんご)
自分の保身のために、都合のいい言い訳をすること。 「弁護」はその人の利益になることを主張して、その人を守りかばうこと。
自己満足(じこまんぞく)
自身の言動に対して、自身で不満なく満たされた気持ちになること。 「満足」は望んだとおりに事が進んで、満たされた気持ちになること。 否定的な意味で使われることが多い言葉で、他人から見れば満足する水準に届いていなくても、自身が満足することをいう。
自己矛盾(じこむじゅん)
同じ人の考えや行動が前後で食い違い、つじつまが合わなくなること。
四顧寥廓(しこりょうかく)
周りに何もなく、寂しく広がっている様子。 「四顧」は周りを見回すこと。 「寥廓」は寂しく広がっている様子。
自今以後(じこんいご)
現在から先。今から後。 「自今」は「而今」「爾今」、「以後」は「已後」とも書く。
而今而後(じこんじご)
今より後やこれから、今後という意味。
士魂商才(しこんしょうさい)
実業家や商人の理想や心構えのことで、武士の魂と商売の才能のどちらも持つこと。 「士魂」は武士の魂。 「商才」は商売の才能。
志在千里(しざいせんり)
目標が非常に大きいこと。 千里先を目指すことから。 「志(こころざし)千里(せんり)に在(あ)り」とも読む。
指差喚呼(しさかんこ)
安全のために指で指し示して、大きな声を出して周囲の状況を確認すること。 「指差」は指で指し示すこと。 「喚呼」は言葉を実際に口から出すこと。 鉄道の運行や危険のある作業現場で、安全のために周囲の状況を確認するための行動をいう。
自作自演(じさくじえん)
自分で筋書きを作り、自分で演じること。 または、自分で歌を作り自分で歌うこと。 被害者と加害者が同一人物の狂言誘拐や狂言強盗、インターネット上での成りすまし行為など。
自作自受(じさくじじゅ)
自身の働いた悪事の結果、悪い報いを受けること。 「自作」は自身が行うということ。 自身の行動の結果を自信が受けるという意味から。
思索生知(しさくしょうち)
道筋を立ててじっくりと追いながら考えると、よい知恵が生まれるということ。 「思索」は道筋をたてて追いながら考えること。 「生知」は知恵が生まれること。
思索生知(しさくせいち)
道筋を立ててじっくりと追いながら考えると、よい知恵が生まれるということ。 「思索」は道筋をたてて追いながら考えること。 「生知」は知恵が生まれること。
自殺行為(じさつこうい)
行動の結果、自分の身を滅ぼすとわかっていながらも、あえて行う愚かな行動のこと。 「自殺」は自身の意思で自身の命を絶つこと。
屍山血河(しざんけっか)
この上なく激しい戦闘のこと。 または、その惨状のこと。 「屍山」は死体の山、「血河」は血の河のことで、激しい惨状の様子。
屍山血河(しざんけつが)
この上なく激しい戦闘のこと。 または、その惨状のこと。 「屍山」は死体の山、「血河」は血の河のことで、激しい惨状の様子。
四散五裂(しさんごれつ)
散り散りになること。ばらばらに分裂すること。
時時刻刻(じじこくこく)
時を追って次々と何かが起こる様子。 「その時その時」や「一刻一刻」など。 「時刻」は時間の流れの決まった一瞬のことで、それを重ねて、一瞬一瞬が連続して経過していく様子という意味。
時々刻々(じじこくこく)
時を追って次々と何かが起こる様子。 「その時その時」や「一刻一刻」など。 「時刻」は時間の流れの決まった一瞬のことで、それを重ねて、一瞬一瞬が連続して経過していく様子という意味。
四肢五体(ししごたい)
体全体のこと。 「四肢」は両手と両足ということから、全身のたとえ。 「五体」は全身のことで、体の筋、脈、肉、骨、毛皮の五つの部分をいう。一説には、頭、頸、胸、手、足の五つや、頭と両手両足の五つとする場合もある。
時々刻々(じじこっこく)
時を追って次々と何かが起こる様子。 「その時その時」や「一刻一刻」など。 「時刻」は時間の流れの決まった一瞬のことで、それを重ねて、一瞬一瞬が連続して経過していく様子という意味。
時時刻刻(じじこっこく)
時を追って次々と何かが起こる様子。 「その時その時」や「一刻一刻」など。 「時刻」は時間の流れの決まった一瞬のことで、それを重ねて、一瞬一瞬が連続して経過していく様子という意味。
孜孜忽忽(ししこつこつ)
他のことを考えず、目的を果たすためだけに注力すること。 「孜孜」は熱心に努力すること。 「忽忽」は他を顧みないこと。
孜々忽々(ししこつこつ)
他のことを考えず、目的を果たすためだけに注力すること。 「孜孜」は熱心に努力すること。 「忽忽」は他を顧みないこと。
事死如生(じしじょしょう)
亡くなった人に対して、生きている時と同じように丁寧に仕えること。 最上の孝行の様子をいう。 「死に事(つかう)ること生(い)けるが如し」とも読む。
自私自利(じしじり)
周りに配慮せず、自分の事しか考えていない行動や態度のこと。
志士仁人(ししじんじん)
学徳をそなえた立派な人のこと。 「志士」は道や学問に高潔な志を持つ人のこと。 「仁人」は徳のある人のこと。
獅子身中(しししんちゅう)
獅子の体内に寄生する虫が獅子を死なせることから、組織や集団の内部から災いをもたらすこと。
師資相承(ししそうしょう)
武芸や学問などの教えを師から弟子へと受け継ぐこと。 または、受け継いでいくこと。 「師資」は師匠(先生)と弟子のこと。
師資相承(ししそうじょう)
武芸や学問などの教えを師から弟子へと受け継ぐこと。 または、受け継いでいくこと。 「師資」は師匠(先生)と弟子のこと。
子子孫孫(ししそんそん)
「子孫」を重ねて強調した語で、子孫が続く限り、末代までという意味。
子々孫々(ししそんそん)
「子孫」を重ねて強調した語で、子孫が続く限り、末代までという意味。
事実無根(じじつむこん)
事実に基づいていない上に、根拠もないこと。
舐痔得車(しじとくしゃ)
自分を卑しめることまでして大きな利益を手に入れること。 「舐痔」は痔を舐めること。 「得車」は車を得ること。 中国宋の曹商は使者として秦に行き、大きな車を与えられて帰国した。 これに対して荘子は「痔を患っている秦王の患部を舐めてその車をもらったのだろう」と揶揄したという故事から。
死児之齢(しじのよわい)
どうにもならないことを今さら悔やむこと。 「死児の齢を数う」の略で、亡くなった子が今生きていれば何歳だと数えて悲しむという意味。
獅子搏兎(ししはくと)
簡単なことでも全力で取り組むこと。 「獅子」はライオン、「搏兎」は兎を捕まえることで、ライオンは兎のような弱い動物を捕まえる時も、全力で捕まえるということから。
孜孜不倦(ししふけん)
途中でやめることなく、ずっと努力し続けること。 「孜孜」は熱心に努力すること。 「倦」は何度も続いて嫌な気分になること。 「孜孜(しし)として倦(う)まず」とも読む。
孜々不倦(ししふけん)
途中でやめることなく、ずっと努力し続けること。 「孜孜」は熱心に努力すること。 「倦」は何度も続いて嫌な気分になること。 「孜孜(しし)として倦(う)まず」とも読む。
事事物物(じじぶつぶつ)
一つ一つのあらゆる物事のこと。 「事物」を重ねて強調した言葉。
事々物々(じじぶつぶつ)
一つ一つのあらゆる物事のこと。 「事物」を重ねて強調した言葉。
獅子奮迅(ししふんじん)
ライオンが奮い立つように激しい勢いで活動することやその様子のこと。 「獅子」はライオンのこと。 「奮迅」は激しく奮い立つ様子。
刺字漫滅(しじまんめつ)
「刺字」は名刺の文字のことで、それがすれて読めなくなるという意味から、長い間、人を訪問していないこと。
耳視目食(じしもくしょく)
衣食の本質を忘れて、見た目の贅沢さだけを求めること。 「目食」は味を気にせずに見た目が豪華なものを食べること。 「耳視」は評判を気にして、たとえ似合わなくても高価な衣服を選ぶこと。 「耳視目食」ともいう。
四十不惑(しじゅうふわく)
孔子が生涯を述懐して語った言葉で、四十歳のときに自分の学問に自信をもって、向かう方向が妥当だと確信して迷わなくなったということから、四十歳で迷わなくなること。
耳熟能詳(じじゅくのうしょう)
何度も聞いて聞きなれていることは、詳しく説明できるという意味。 または、物事をよく知っているという意味。 「耳熟」は耳が聞きなれている、「能詳」は詳しく説明することが出来るということ。
耳竪垂肩(じじゅすいけん)
耳たぶが長く、肩まで垂れていること。 「耳竪」は耳たぶのこと。 裕福で長生きな人の容姿をいう言葉。 「耳竪(じじゅ)肩(かた)に垂(た)る」「耳竪(じじゅ)肩(かた)に垂(なんなん)とす」とも読む。
自主独立(じしゅどくりつ)
他の人を頼らず、自分の意思で責任を持って物事を行うこと。
自受法楽(じじゅほうらく)
「法楽」は仏教で仏を信じて楽しんで善行積むことで、悟りの境地を自分自身で楽しむこと。
自浄意志(じじょういし)
清らかな心を保つように努力すること。 仏教の言葉で、仏道を究めるには悪行を働いてはならず、善行を積まなければならないという教えのこと。 「自ら意志を浄(きよ)む」とも読む。
史上空前(しじょうくうぜん)
過去に一度もないほどに珍しいこと。 「史上」は歴史として記録されている範囲内ということ。 「空前」は今までに一度もないということ。
自浄作用(じじょうさよう)
川や海、大気などが流れている間に、自然と綺麗になる作用のこと。 または、組織など内にある悪い部分を、自らの力で改善すること。
師勝資強(ししょうしきょう)
師も弟子もどちらも優れていること。 「資」は弟子のこと。 「勝」と「強」はどちらもすぐれていて立派という意味。
自縄自縛(じじょうじばく)
自身の縄で自身を縛るという意味から、自らの言動や心がけで身動きが出来なくなり苦しむこと。
紙上談兵(しじょうだんぺい)
「談兵」は戦術を議論することで、紙の上で戦術の議論をするという意味から、理屈だけの論議では実際に役に立つことはないという意味。
辞譲之心(じじょうのこころ)
自分の立場や境遇から退いて、それを他者に譲ろうとする心。 儒教の「礼」の糸口とされる言葉。
事上磨錬(じじょうまれん)
実際に行動や実践を通じて、知識や精神を磨き修養すること。 「事上」は行動や業務をしながらという意味で、「磨錬」は磨きをかけること。 日常の業務をしっかりとこなして、それを通じて修養することが真の学問だとする陽明学の基本的な考え方。
至上命令(しじょうめいれい)
絶対に従わなければならない命令のこと。 「至上」はもっとも上、最高という意味。
梓匠輪輿(ししょうりんよ)
「梓」は家具職人、「匠」は大工、「輪」は車輪を作る職人、「輿」は車台を作る職人のことで、これらの総称。
耳食之談(じしょくのだん)
耳で聞いただけで食べ物の味を判断するという意味から、耳で聞いただけの話を確認もせずに信じてしまうこと。
四書五経(ししょごきょう)
代表的な儒教の経典のこと。 「四書」は「大学」、「中庸」、「論語」、「孟子」のこと。 「五経」は時代によって異説あるが漢以降は、「易経」、「詩経」、「書経」、「礼記」、「春秋」のこと。
歯如瓠犀(しじょこさい)
歯が白色で綺麗にそろっていて美しいこと。 「瓠犀」はひさご(ヒョウタン・ユウガオ・トウガンなどの総称)の種のこと。白く美しく並んだ美人の歯のたとえ。 「歯(は)は瓠犀(こさい)の如(ごと)し」とも読む。
爾汝之交(じじょのこう)
すごく親しい間柄のこと。 「爾」と「汝」は親しみを込めて相手を呼ぶ言葉。 「お前」や「貴様」のようにお互いを呼び合えるような仲のこと。
爾汝之交(じじょのまじわり)
すごく親しい間柄のこと。 「爾」と「汝」は親しみを込めて相手を呼ぶ言葉。 「お前」や「貴様」のようにお互いを呼び合えるような仲のこと。
事序繽紛(じじょひんぷん)
物事の順序がめちゃくちゃになること。 「事序」は物事の順序や秩序のこと。 「繽紛」はたくさんのものが交じり合い、よくわからなくなること。
死屍累累(ししるいるい)
死体が当たり一面に積み重なり、むごたらしい様子。 「死屍」は死体、亡骸。 「累累」はあたり一面に積み重なっている様子。
死屍累々(ししるいるい)
死体が当たり一面に積み重なり、むごたらしい様子。 「死屍」は死体、亡骸。 「累累」はあたり一面に積み重なっている様子。
徙薪曲突(ししんきょくとつ)
未然に災難を防ぐこと。 「突」は煙突のこと。 「徙」は移すこと。場所を変えること。 かまどの煙突の近くに薪(まき)を積んでいては火事になるので、煙突を安全な方向に曲げ、薪をかまどから離れた場所に移動して火事を防ぐことから。 「徙薪曲突」ともいう。
詩人蛻骨(しじんぜいこつ)
上質な茶をたたえる言葉。 「蛻」は抜きかえる、または、ぬけがらという意味。 素晴らしいお茶は詩人の感性さえも素晴らしいものにかえるということから。
四神相応(しじんそうおう)
四神に応じていてこの上なくよいとされる地相のこと。 「四神」は四方向を司る神で、東の青竜は流水、西の白虎は大道、南の朱雀は窪地、北の玄武には丘陵があるのが地相がよいとされていてる。 官位、福禄、無病、長寿をあわせ持った地相とされ、平安京はそれにあった土地とされている。
自信満満(じしんまんまん)
信が溢れている状態で、揺るぎない確信を持ち、不安の影が見えない様子。
死生契闊(しせいけっかつ)
生死を共にすることを約束して、共に苦労しながらも努力すること。 「契闊」は長い間会わないことや、苦労し努力すること。
時世時節(じせいじせつ)
その時その時の巡りあわせ。時代ごとの世の中の様子。 「時世」は時代や時代の流れ。 「時節」は時期や世の中の現在の様子。
視生如死(しせいじょし)
生も死も同じように受け止め、全く変わることのない態度をとること。 生と死に対する執着がなく、そのどちらにも囚われない心の状態をいう。 「生(せい)を視(み)ること死(し)の如(ごと)し」とも読む。
至誠如神(しせいじょしん)
真心を尽くす人には、様々な事柄に配慮し、あらゆることを見抜く洞察力が備わるということ。 この上ない誠実さは、万物に通じる神のようであるということから。 「至誠(しせい)は神(かみ)の如(ごと)し」とも読む。
至聖先師(しせいせんし)
「孔子」を言い表す尊称。 中国の前漢の時代から始まり、歴代王朝が封号を与えたもので、中国の明の時代に与えた封号。
市井之徒(しせいのと)
普通の人。 または、素行の悪いならず者のこと。 「市井」は町にある共用の井戸のことで、昔の中国では井戸の周りに町を作っていたということから、人家が集中している場所をいう。 「徒」は多くの人々のこと。
市井無頼(しせいぶらい)
街の中で生活している無法者。 「市井」は多くの人が住んでいる所。町。 「無頼」は無法者。ならず者。
死生有命(しせいゆうめい)
人の生死は天命で決まっていて、人の力ではどうすることも出来ないという意味。
咫尺天涯(しせきてんがい)
ものすごい近い場所にいても、遠くにいるかのようになかなか会えないこと。 「咫」と「尺」はどちらも距離の単位で、短い距離のたとえ。 「天涯」は天の果てということから、非常に遠い距離のたとえ。 近いところにいても、天の果てにいるように感じるという意味から。
咫尺之書(しせきのしょ)
短い手紙の文章や書状のこと。 「咫尺」は周代の長さの単位で、咫は八寸、尺は十寸という意味から、短い距離や長さのこと。
咫尺之地(しせきのち)
非常に狭い土地のこと。 「咫」と「尺」はどちらも距離の単位で、短い距離のたとえ。
咫尺万里(しせきばんり)
詩や絵画などの小さなものの中に、壮大な世界がこめられているということのたとえ。 「咫」と「尺」はどちらも距離の単位で、短い距離のたとえ。 「万里」は非常に距離があることのたとえ。 咫尺ほどの小さなものに、万里ほどの大きな世界を描くという意味から。
志節堅固(しせつけんご)
自分の理念や信念・流儀などを堅く守り、決して変えないこと。
時節到来(じせつとうらい)
「時節」はよい機会のことで、時節が到来するということから、よい機会がやってくるという意味。
自然天然(しぜんてんねん)
人の手が加わっていない、あるがままの状態のこと。 人の手が加わっていないという意味の「天然」と「自然」を重ねて強調した言葉。 「自然天然」ともいう。
自然淘汰(しぜんとうた)
環境に適したものが生き残り、適していないものが滅びること。自然選択。 ダーウィンが進化論で用いた言葉。 「淘汰」は劣っているものを選び、取り除くこと。
紫髯緑眼(しぜんりょくがん)
西洋人のこと。または、その顔の形容。 中国で西方の異民族の容貌を言い表す言葉で、赤茶色のほおひげと青い目という意味から。
志操堅固(しそうけんご)
自分の理念や信念、流儀などを堅く守っていて決して変えることがないこと。
刺草之臣(しそうのしん)
普通の人々のこと。 「刺草」は草を刈り取ること。 普通の人が、君主に自身のことを謙っていう言葉。 草を刈り取るだけの卑しい者という意味から。
耳聡目明(じそうもくめい)
目と耳の感覚のどちらもすぐれていること。 「耳聡」は聴覚がすぐれていること。
四塞之国(しそくのくに)
攻めにくく守りやすい四方を山や川に囲まれた地勢の国のこと。
咨咀逡巡(しそしゅんじゅん)
いろいろと悩んで、物事を決められないこと。 「咨咀」はいろいろと思い悩むこと。 「逡巡」は思い切りがつかずに迷うこと。
自麤入細(じそにゅうさい)
大雑把な部分から始めていき、細かい部分へと進んでいくこと。 文章を作るときの作り方をいう言葉。 「麤」は細かい部分にこだわらない様子。大まか。 「麤(そ)より細(さい)に入(い)る」とも読む。
自存独立(じそんどくりつ)
何ものにも縛られることもなく、誰からの助けを受けることもなく、自分一人の力だけで存在していること。 「独立」は他からの助けを受けたり支配されたりしないこと。 「自存」は自分一人の力だけで生きていくこと。 「自存独立」ともいう。
志大才疎(しだいさいそ)
大きな目標を掲げているが、それに見合う才能や能力がないこと。
時代錯誤(じだいさくご)
時代の流れとは合わない古臭い考えのこと。 「錯誤」は間違ったことを正しいと思い込むこと。
至大至剛(しだいしごう)
とても大きくて、とても強いこと。 どんなものよりも大きく、どんな力にも屈したりすることのない強さのこと。 「至」はこの上なくという意味で、「至大」はこの上なく大きい、「至剛」はこの上なく強いという意味。
至大至重(しだいしちょう)
非常に大きく大切で重要なこと。 「至」は最もよい、この上ないという意味。 「大」は大切で重要なこと。
事大主義(じだいしゅぎ)
自分の考えを持たず、自分の保身のために強いものを迎合する考えや態度のこと。
次第不同(しだいふどう)
決まった順序通りになっていないこと。
徙宅忘妻(したくぼうさい)
物忘れが酷いこと。 「徙宅」は家を移すことから引越しのこと。 引越しの時に妻を忘れて置いてきてしまうことから。
舌先三寸(したさきさんずん)
口先だけで誠実さがなく、巧みな弁舌のこと。 口だけで相手をうまくあしらったり、丸め込んだりすること。
自他不二(じたふに)
絶対的な平等のこと。 仏教の考え方から見ると自身と他人には区別などなく、自身を救うことと他人を救うことは同じことであるという仏教の言葉。
七行倶下(しちぎょうくか)
読書をする速度が非常に早いこと。 中国の南北時代、宋の孝武帝は、一度に七行の文章を読んだという話から。 「七行(しちぎょう)倶(とも)に下る」とも読む。
七擒七縦(しちきんしちしょう)
敵を捕らえたり逃がしたりを繰り返して、力を見せ付けて屈服させて味方にすること。 「縦」は放つこと。 「擒」は捕まえること。 蜀の諸葛亮が、南蛮王孟獲を七回捕らえては逃がすを繰り返しつつ南部を平定して行き、孟獲も最後には二度と反乱を起こさないと誓ったという故事から。 「七擒七縦」ともいう。
七嘴八舌(しちしはちぜつ)
七つの嘴(くちばし)と八つの舌という意味で、たくさんの意見が色々なところから出ること。 または、多くの人々が喋っている様子。
七十古稀(しちじゅうこき)
昔から七十歳まで生きることが出来る人は稀だということ。 杜甫の詩の「人生七十古来稀なり」という一節に由来して、七十歳を「古稀」と呼ぶようになった。
七縦八横(しちじゅうはちおう)
ひどく混乱して、四方八方に散らばること。軍隊が敗走することのたとえ。
七種菜羹(しちしゅのさいこう)
七種の野菜の汁物。または、七草粥のこと。 「菜羹」は野菜の汁物。 一年の健康を願い、陰暦一月七日に食べる。
七手八脚(しちしゅはっきゃく)
多くの人たちが、それぞれに忙しく動き回っている様子。
七縦七擒(しちしょうしちきん)
敵を捕らえたり逃がしたりを繰り返して、力を見せ付けて屈服させて味方にすること。 「縦」は放つこと。 「擒」は捕まえること。 蜀の諸葛亮が、南蛮王孟獲を七回捕らえては逃がすを繰り返しつつ南部を平定して行き、孟獲も最後には二度と反乱を起こさないと誓ったという故事から。 「七擒七縦」ともいう。
七生報国(しちしょうほうこく)
何度生まれ変わっても、国のために尽力すること。 「七」は数が多いことのたとえ。 「七生」は仏教の言葉で、何度も生まれ変わるということ。 「報国」は国から受けた恩に報いるために尽くすということ。
七転八起(しちてんはっき)
七回転んでも八回起き上がるという意味から、何度失敗してもくじけずに奮闘すること。 「七転び八起き(ななころびやおき)」とも読む。
七顛八倒(しちてんはっとう)
激しい苦痛に苦しみもだえること。 「七」や「八」は程度が甚だしいことのたとえで、何度も転がって何度も倒れるという意味から。 「七転八倒」とも書く。
七転八倒(しちてんはっとう)
激しい苦痛に苦しみもだえること。 「七」や「八」は程度が甚だしいことのたとえで、何度も転がって何度も倒れるという意味から。 「七転八倒」とも書く。
七顛八倒(しちてんばっとう)
激しい苦痛に苦しみもだえること。 「七」や「八」は程度が甚だしいことのたとえで、何度も転がって何度も倒れるという意味から。 「七転八倒」とも書く。
七転八倒(しちてんばっとう)
激しい苦痛に苦しみもだえること。 「七」や「八」は程度が甚だしいことのたとえで、何度も転がって何度も倒れるという意味から。 「七転八倒」とも書く。
七堂伽藍(しちどうがらん)
寺の主な七つの堂の総称。または、七つの堂の揃っている寺のこと。 「七堂」は、時代や宗派により異なるが、金堂、塔、講堂、鐘楼、経蔵、僧房、食堂のこと。 「伽藍」は寺の建物のこと。
七難九厄(しちなんくやく)
男女とも七と九のつく年齢のときには災厄に遭いやすいという俗信のこと。
七難八苦(しちなんはっく)
様々な苦難や災難のこと。または、災難や苦難にあうこと。 元は仏教語で経典によってことなるが、『観音経』で「七難」は、火難、水難、羅刹難、王難、鬼難、枷鎖難、怨賊難の七つのこと。 「八苦」は、生、老、病、死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦の八つのこと。
七歩之才(しちほのさい)
「七歩」は七歩歩くという意味で、七歩歩く間にすぐれた詩を素早く作る詩の才能のこと。 三国時代、曹植の詩才に嫉妬した曹丕は七歩歩く間に詩を作ることが出来なければ処刑すると命じたところ、即座にすぐれた詩を作ったという故事から。
七歩八叉(しちほはっさ)
詩文の才能にめぐまれていること。 魏の曹植は七歩歩く間に詩を作り、唐の温庭インは八回腕を組む間に八韻の賦を作った故事から。 「叉」は腕を組むこと。
死中求活(しちゅうきゅうかつ)
死ぬ覚悟を持って、困難に立ち向かうこと。 または、絶体絶命の窮地の中で生き延びるための活路を求めること。 「死中」は死を待つしかない状況、「求活」は生き残るための方法を求めること。
尸虫出戸(しちゅうしゅっこ)
死体が埋葬されず、そのままになっている様子。または、葬儀をしっかりと行わないこと。 「尸」は死体のこと。 中国の春秋時代、斉の桓公が死んだ時に葬儀を行うことなく跡目争いが起こり、死体から湧いた虫が戸外へと出てきたという故事から。 「尸虫(しちゅう)戸(と)より出(い)ず」とも読む。
史籀大篆(しちゅうだいてん)
史籀が今までの書体を改変して作った大篆という名前の新しい書体のこと。 「史籀」は中国の周の宣王のときの歴史を記録して、歴史書を編修する史官のこと。 「大篆」は書体の名前。
砥柱中流(しちゅうちゅうりゅう)
苦しく辛い状況でも動じずに節操を守る人のたとえ。 「中流」は川の流れの激しい場所。 「砥柱」は中国の黄河の中にそびえ立つ滑らかな岩の名前。 砥柱は激しい流れの川の中でも堂々と立っていることから。 「砥柱中流」ともいう。
詩中有画(しちゅうゆうが)
詩の中にすぐれた言葉で景色が表現され、読んだ人がその景色にいるかのように感じられること。 中国の北宋の時代、蘇軾が唐の王維の詩を評価して言った言葉から。 「詩中(しちゅう)に画あり」とも読む。
視聴言動(しちょうげんどう)
見る、聞く、言う、行動するの四つのことで、この四つの礼儀にかなうよう慎むこと。 顔淵が孔子に仁について尋ねると、「礼に基づかないものは見ても聞いても言っても行動してもいけない」と答えた故事から。
耳聴心受(じちょうしんじゅ)
心に深く刻みつけること。 耳で聞き、心で受け止めることから。
詩腸鼓吹(しちょうのこすい)
詩を作る情をかきたてられること。 または、情をかきたてられる鶯(うぐいす)の鳴き声のこと。 「詩腸」は詩を作る情、「鼓吹」は太鼓や笛を鳴らすという意味から勢いづけるや鼓舞するという意味。 六朝時代、宗の戴ギョウが行き先を聞かれ、「鶯の声を聞き世俗に染まった耳を清めて、詩情をかきたてようとしている」と答えた故事から。
四鳥之別(しちょうのわかれ)
親子の悲しい別れのこと。 「四鳥」は四羽の雛鳥のこと。 雛鳥が巣立つときに親鳥が悲しい声で鳴く様子から。 孔子が早朝に悲鳴のような泣き声を聞き、これはなんだろうと弟子の顔回に尋ねると、垣山にいる四羽の雛鳥が巣立とうとしていたときの悲しげな母鳥の声に似ていると答えた。 調べてみると、父親が亡くなり、貧しくて子を売ることになった母親の泣き声だったという故事から。
四鳥別離(しちょうべつり)
雛(ひな)鳥が巣立つときに親鳥が悲しい声で鳴く様子から、親子の悲しい別れのこと。 「四鳥」は四羽の雛鳥のこと。 孔子が早朝に悲鳴のような泣き声を聞き、これはなんだろうと弟子の顔回に尋ねると、垣山にいる四羽の雛鳥が巣立とうとしていたときの悲しげな母鳥の声に似ていると答えた。 調べてみると、父親が亡くなり、貧しくて子を売ることになった母親の泣き声だったという故事から。
七里結界(しちりけっかい)
人や物事を嫌って近づけない、寄せつけないこと。 または、密教で魔障をいれないようにするために七里四方に結界を設けること。
七里結界(しちりけっぱい)
人や物事を嫌って近づけない、寄せつけないこと。 または、密教で魔障をいれないようにするために七里四方に結界を設けること。
疾悪若讐(しつあくじゃくしゅう)
正義感がこの上なく強いこと。 仇であるかのように悪を憎むことから。 「悪(あく)を疾(にく)むこと讐(しゅう)の若(ごと)し」とも読む。
四通八達(しつうはったつ)
四方八方に道路が広がっている様子。 または、交通網が発達していて、交通や往来が盛んでにぎやかな場所のこと。
悉有仏性(しつうぶっしょう)
すべての人は仏になる素質を持っているということ。 または、この世に存在するすべてのものは、仏そのものであるということ。 「悉有」はすべての人が持っているということ。または、この世に存在するものすべてということ。 「悉(ことごと)く仏性(ぶっしょう)有り」とも、「悉有(しつう)は仏性(ぶっしょう)なり」とも読む。
十誡五倫(じっかいごりん)
キリスト教の十の戒律と、儒教の人として守るべき五つの道。 「十誡」はキリスト教でモーセが神から与えられた戒律のこと。 「五倫」は孟子によって提唱された五つの道徳法則のこと。 「十戒五倫」とも書く。
十戒五倫(じっかいごりん)
キリスト教の十の戒律と、儒教の人として守るべき五つの道。 「十誡」はキリスト教でモーセが神から与えられた戒律のこと。 「五倫」は孟子によって提唱された五つの道徳法則のこと。 「十戒五倫」とも書く。
悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)
「悉皆」は一つ残らず、全てのものという意味で、仏教語でこの世の生きている全てのものが成仏すること。
十寒一暴(じっかんいちばく)
努力というものは、続けられずに怠ってしまいがちであるということ。また、短期間努力してもその後に長期間怠れば努力が無駄になってしまうということ。 「暴」は日にさらすこと。 「寒」は冷やすこと。 日にさらして暖めようとして、一日は暖めたがその後の十日間は日陰においたままにして冷やしてしまうという意味。 「十寒一暴」ともいう。
質疑応答(しつぎおうとう)
疑問点を質問して、それに応じて答えること。 「質疑」は疑問点を質問して問いただすこと、「応答」は問いに答えること。
失敬千万(しっけいせんばん)
ひどく礼儀を欠いた言動や態度をとること。 「失敬」は礼儀を欠いているということ。 「千万」は程度がこの上ないということ。
日月其除(じつげつきじょ)
月日は常に流れ続け、人を待つことはないということ。 「除」は時間が経過すること。 「月日(じつげつ)其(そ)れ除(さ)らん」とも読む。
日月星辰(じつげつせいしん)
空のこと。または、太陽、月、星などの天体のこと。 「星辰」は星座。星の総称。
日月之食(じつげつのしょく)
君子の犯した過ちのこと。 君子はたとえ過ちを犯したとしてもすぐ改めるため、日食や月食のように陰りはすぐに消え去り、再び光を取り戻すということから。
日月逾邁(じつげつゆまい)
月日が過ぎていくこと。または、驚くほどはやく老いていくこと。 「日月」は時、時間のこと。 「逾邁」は経過するや、過ぎていくという意味。
疾言遽色(しつげんきょしょく)
早口で喋ったり、慌てている顔色をしたりして落ち着きがないこと。 「疾言」は早口で喋ること。 「遽色]は慌てふためいた顔色をしていること。
執行猶予(しっこうゆうよ)
有罪判決による刑罰を与える前に猶予期間を設け、その期間に何も問題を起こさなかった時には刑罰を執り行わないようにする制度のこと。
失魂落魄(しっこんらくはく)
とても驚き、慌てている様子。または、精神が不安定な状態になっていて奇怪な行動をすること。 天から受けた精神を司るたましいの「魂」と、地から受けた肉体を司るたましい「魄」が無くなるという意味。
十死一生(じっしいっしょう)
ほとんど助かる見込みがない状況でかろうじて助かること。
実事求是(じつじきゅうぜ)
「実事」は本当のことや事実、「求是」は真実を求めるということから、 事実の実証に基づいて物事の真理を追求すること。
十室九空(じっしつきゅうくう)
災害や戦乱、暴政などで住民がいなくなり、十軒に九軒が空き家になって村が閑散としている様子。
質実剛健(しつじつごうけん)
真面目で飾り気がなく、心身ともに強くてたくましい様子。 「質実」は誠実で飾り気がないこと。 「剛健」は健康で強くたくましいこと。 「剛健質実」ともいう。
十室而九(じっしつじきゅう)
災害や戦争、悪政などが原因となって国が荒れていること。 十軒のうち九軒が不満を持っていることから。 「十室(じっしつ)にして九(きゅう)」とも読む。
質実朴素(しつじつぼくそ)
飾り気がなく真面目で、ありのままな様子。 「質実」は飾り気がなく誠実なこと。 「朴素」は飾り気がなくありのままであること。
嫉視反目(しっしはんもく)
相手を妬んで対立してにらみ合うこと。 「嫉視」は相手のことを気に入らず、憎らしいと思いながら相手を見ること。 「反目」は互いに向かい合って、にらみ合うこと。 「反目嫉視」ともいう。
日就月将(じつしゅうげつしょう)
少しずつ良い方へと変わっていくこと。 「就」は成就すること。 「将」は前に進むこと。 「日(ひ)に就(な)り月(つき)に将(すす)む」とも読む。
十手所指(じっしゅしょし)
多数の人の意見や評価が一致することのたとえ。 十人が同じところを指さすことから。 「十手(じっしゅ)の指(ゆびさ)す所(ところ)」とも読む。
蟋蟀居壁(しっしゅつきょへき)
旧暦の六月、現在の八月頃をいう言葉。 「蟋蟀」は昆虫のコオロギのこと。 コオロギの羽が生え始め、建物の壁に張り付いて鳴くことから。 「蟋蟀(しっしゅつ)壁(かべ)に居(お)る」とも読む。
失笑噴飯(しっしょうふんぱん)
食べている飯を噴き出してしまうほど、おかしくて笑ってしまうこと。 「噴飯」は食べている飯を噴き出すこと。
蝨処褌中(しつしょこんちゅう)
狭い見識の中で満足すること。または、そのように暮らすこと。 「蝨」は昆虫のシラミ。 「褌」は下着のこと。 下着の中に住みついたシラミのことから。 「蝨(しらみ)褌中(こんちゅう)に処(お)る」とも読む。
十進九退(じっしんくたい)
十人に九人は諦めるほどに、仏教の修行は厳しく困難なこと。 または、悟りを得るためには十の努力をして九は無駄になるために、多くの時間が必要なこと。
漆身呑炭(しっしんどんたん)
仇討ちや復讐をするために、非常に苦労すること。 「漆身」は漆を身体に塗る、「呑炭」は炭を呑むこと。 春秋時代、晋の予穣は主君の仇討ちをするために、漆を身体に塗って皮膚病の別人を装い、炭を呑(の)んで声が出ないようにして機会をうかがったという故事から。 「呑炭漆身」ともいう。
実践躬行(じっせんきゅうこう)
理論などを自らの力で実際に実行してみること。 「実践」は実際にやってみること。 「躬行」は自分の力で行うこと。 口だけではなく実際にやってみることの大切さをいう言葉。 「躬行実践」ともいう。
実相観入(じっそうかんにゅう)
対象に自己を投入して、自己と対象が一つになることで、対象のもっている世界を具象的に写すという理論。 斉藤茂吉が唱えた短歌の写生理論のことで、正岡子規の写生論を発展させたもの。
疾足先得(しっそくせんとく)
すぐれた能力を持っている人が、劣った人よりも先に獲物を手に入れるということ。 「疾足」は他の人よりも速く走ることのできる人ということから、すぐれた能力を持つ人のたとえ。 「疾足(しっそく)すれば先得(せんとく)す」とも読む。
質素倹約(しっそけんやく)
節約しながらつつましく生活すること。 「質素」は贅沢ではないという意味。
叱咤激励(しったげきれい)
大声で励まして元気付け、奮い立たせること。 「叱咤」は大声で叱る、または励ますこと。 「激励」は激しく励まし元気付けること。
失地回復(しっちかいふく)
奪われた地位や権力、領地などを取り戻すことのたとえ。 「失地」は奪われた土地。 戦争などで奪われた土地を取り戻すという意味から。
日中則昃(じつちゅうそくしょく)
勢いが盛んになった後は必ず衰退するということ。 「昃」は日が傾くこと。 日が昇った後は、必ず沈むことから。 「日(ひ)中(ちゅう)すれば則(すなわ)ち昃(かた)むく」とも読む。
十中八九(じっちゅうはっく)
十あるうちの八か九ということから「ほとんど」「おおかた」「ほぼ確実」という意味。
七珍万宝(しっちんまんぼう)
多種多様の宝物のこと。 経典により多少違いはあるが、仏教語で「七珍」は、金、銀、瑠璃、シャコ、瑪瑙、玻璃、珊瑚の七種のこと。 「万宝」は多くの種類の宝物という意味。
七珍万宝(しっちんまんぽう)
多種多様の宝物のこと。 経典により多少違いはあるが、仏教語で「七珍」は、金、銀、瑠璃、シャコ、瑪瑙、玻璃、珊瑚の七種のこと。 「万宝」は多くの種類の宝物という意味。
疾痛惨憺(しっつうさんたん)
ひどく悩み、心配すること。 「疾痛」と「惨憺」はどちらも心を痛めるという意味。 「疾痛惨澹」とも書く。
疾痛惨澹(しっつうさんたん)
ひどく悩み、心配すること。 「疾痛」と「惨憺」はどちらも心を痛めるという意味。 「疾痛惨澹」とも書く。
七顛八倒(しってんばっとう)
激しい苦痛に苦しみもだえること。 「七」や「八」は程度が甚だしいことのたとえで、何度も転がって何度も倒れるという意味から。 「七転八倒」とも書く。
七転八倒(しってんばっとう)
激しい苦痛に苦しみもだえること。 「七」や「八」は程度が甚だしいことのたとえで、何度も転がって何度も倒れるという意味から。 「七転八倒」とも書く。
失道寡助(しつどうかじょ)
道理にかなった正しい行いをしなければ、誰からの助けも受けることはないということ。 「道」は仁と義の道のこと。 「道を失えば助け寡(すく)なし」とも読む。
十発十中(じっぱつじっちゅう)
確実に。絶対に。必ず。 十発射撃すると十発当たることから。
疾風勁草(しっぷうけいそう)
その人の真価は苦境に立って初めてわかることのたとえ。 「疾風」は激しく勢いの強い風、「勁草」は強い草のことで、激しい風が吹くことで、初めて強い草がどれかわかることから。
十風五雨(じっぷうごう)
十日ごとに風が吹き、五日ごとに雨が降る、農耕に適した天候のこと。 または、世の中が平和で穏やかな状態であることのたとえ。
疾風迅雷(しっぷうじんらい)
非常に速い風と激しい雷という意味から、動きや変化が非常に速い様子。
疾風怒濤(しっぷうどとう)
強い風が吹き付け、波が逆巻いて荒れ狂うこと。または、時代や社会の状況が激しく変化する様子のたとえ。 「疾風」は強く速い風。 「怒濤」はうねり逆巻く大波。 十八世紀のゲーテやシラーを中心とした文学革新運動の訳語。
櫛風沐雨(しっぷうもくう)
さまざまな苦労をすることのたとえ。 「櫛風」は風が髪をくしけずること。 「沐雨」は雨が体を洗うこと。 雨や風にさらされながら苦労して働くという意味から。 「風(かぜ)に櫛(くしけず)り雨に沐(もく)す」とも読む。 「沐雨櫛風」ともいう。
櫛風浴雨(しっぷうよくう)
様々な苦労をすることのたとえ。 「櫛風」は髪を風でとかす、「浴雨」は雨で体を洗うという意味で、雨や風にもめげずに苦労しながら働くということから。
失望落胆(しつぼうらくたん)
夢や希望が無くなって落ち込むこと。 「失望」は夢や希望を失うこと。 「落胆」は期待通りにならずにがっかりすること。 「落胆失望」ともいう。
質朴剛健(しつぼくごうけん)
飾り気がなく素直で、心も体も力強く頼もしいこと。 「剛健」は心と体のどちらも力強く頼もしいこと。 「質朴」は飾り気がなく素直なこと。 「質朴剛健」ともいう。
日暮途遠(じつぼとえん)
対処のしようがない状態。万策尽きた状態。または、年老いていて目的を果たせないこと。 日が暮れても、まだ目的地まで遠いという意味から。 「日(ひ)暮(く)れて途(みち)遠し」とも読む。
膝癢掻背(しつようそうはい)
要点から外れた行いのたとえ。 膝が痒くなって背中を掻くという意味から。 議論などで要点から外れているときに使う言葉。 「膝(ひざ)癢(かゆ)くして背を掻(か)く」とも読む。
日陵月替(じつりょうげったい)
月日が経つにつれて少しずつ衰えていくこと。 「陵」と「替」はどちらも衰えるという意味。 「日(ひ)に陵(りょう)し月(つき)に替(たい)す」とも読む。
実力伯仲(じつりょくはくちゅう)
優劣をつけることができないほどに実力の差がないこと。 「伯仲」は長男と次男のこと。 兄弟の中でも長男と次男は歳が近いことが多く、実力も同じくらいであるということから、どちらもすぐれていて優劣をつけるのが難しいことをいう。
失礼千万(しつれいせんばん)
ひどく礼儀を欠いた言動や態度をとること。 「失礼」は礼儀を欠いているということ。 「千万」は程度がこの上ないということ。
耳提面命(じていめんめい)
細かいところまで行き届いた丁寧な説明をして、理解できるように説き聞かせること。 「耳提」は耳を引いて寄せること。 「面命」は向かい合って説き聞かせること。
紫電一閃(しでんいっせん)
刀剣を振り下ろす瞬間に稲妻のようにきらめく様子。転じて、事態が切迫していること。極めて短い時間で急激に変化すること。 「紫電」は刀の振りによって生じる瞬間的な光、「一閃」は一瞬のひらめき。
指天画地(してんかくち)
思ったことをそのまま言ったり、議論したりすることのたとえ。 または、身振り手振りで激しく話しをする様子。 「指天」は天を指差すこと。 「画地」は地に描くこと。 「天(てん)を指し地に画(かく)す」とも読む。
紫電清霜(しでんせいそう)
容姿がすぐれていて意志が固い人のたとえ。 「紫電」は紫色の光やいなずまなどの美しい光のたとえ。 「清霜」は清く引き締まったもののたとえ。
市道之交(しどうのまじわり)
利益によってつながっている付き合い。仕事や商売上の関わり。 「市道」は市場へと続いている道のこと。
至道無難(しどうぶなん)
好き嫌いや損得など選り好みする気持ちさえなければ、禅で悟りを開くことは難しいことではないということ。 「至道」は悟りや真理に達する道のこと。
舐犢之愛(しとくのあい)
親が自身の子を溺愛すること。 「舐」は舐める、「犢」は牛の子のことで、牛が子牛を舐める様子にたとえた言葉。
至徳不孤(しとくふこ)
徳さえあれば人から嫌われることもなく、周りに同じような人たちが集まるため、孤独になることはないということ。 「至」は至って。きわめて。この上なく。 「徳」はよい人格。 「至徳(しとく)は孤(こ)ならず」とも読む。
自然法爾(じねんほうに)
浄土真宗で如来の絶対的な他力に身を任せること。 「自然」は外部からの影響ではなく、自ずからそうであること。 「法爾」は法則のままやあるがままということ。 全てのものは、自ずから如来の知恵のあらわれであり、真理にかなっているということ。 「法爾自然」ともいう。
士農工商(しのうこうしょう)
日本の江戸時代にあった四つの身分階級のことで、武士、農民、工人、商人のこと。
紙背之意(しはいのい)
言葉の裏に隠された深意のこと。 「紙背」は言葉や文章などが書かれた紙の裏のこと。
事半功倍(じはんこうばい)
少しの努力で大きなよい結果を出すこと。 他の人の半分の量の努力で、他の人の倍以上の成果を上げるという意味から。 「事(こと)半(なか)ばにして功(こう)倍(ばい)す」とも読む。
地盤沈下(じばんちんか)
地面が沈んで、地面の高さが低くなる現象のこと。 または、それまでの激しい勢いが弱くなることのたとえ。 「沈下」は沈んで下がること。
至微至妙(しびしみょう)
はっきりとわからないほどに細かく、非常に巧みな様子。 または、極めて微妙な様子。 「至」はこの上ないという意味。 「微妙」という言葉を強調した言葉。 「妙」は深い趣があること。
慈悲心鳥(じひしんちょう)
カッコウ目カッコウ属の鳥、十一(じゅういち)の別称。 「ジヒシン」と鳴いているように聞こえることから。
慈眉善目(じびぜんもく)
「慈眉」は慈愛に満ちた眉、「善目」は正直でまじめそうな目のことから、やさしくて善良そうな顔つきのこと。
慈悲忍辱(じひにんにく)
情け深くどんな苦難も耐えてしのぶこと。 または、僧が守るべき道のこと。 仏教語で、「慈悲」は慈しみ深い心、「忍辱」は苦難を耐えてしのぶこと。
紫緋紋綾(しひもんりょう)
高い地位や役職を持っている人が着る、美しい文様の織りなしたきらびやかな着物。 「紫緋」は紫色と緋色の着物のことで、高い位の人が着る着物のこと。 「紋綾」は模様のこと。
四百四病(しひゃくしびょう)
人のかかる様々な病気のこと。 仏教で人の体を構成する四大元素、地、水、火、風の不調が原因で発生し、それぞれに百一の病があるとされていて、あわせると四百四の病があるということから。
時不可失(じふかしつ)
良い機会は逃さないようにするべきということ。 「時(とき)は失(うしな)う可(べ)からず」とも読む。
志不可満(しふかまん)
願望は完全に満たすのではなく、常に何か未達成の状態に留めておく方が望ましいということ。 「志(こころざし)満(み)たす可(べ)からず」とも読む。
時不久留(じふきゅうりゅう)
時間は素早く過ぎていくものであるということ。 「時(とき)久(ひさ)しくは留(とど)まらず」とも読む。
雌伏雄飛(しふくゆうひ)
活躍する機会を待ちながら人に付き従い、機会が到来すると大いに活躍すること。 「雌伏」は雄鳥に雌鳥が従うという意味から、将来の活躍を待ちながら人に従うということ。 「雄飛」は雄鳥が高く羽ばたくように、雄雄しく飛び立つこと。
時不再来(じふさいらい)
良い機会は二度と訪れないこともあるので、時機を逃すことなく行動すべきであるということ。 「時(とき)再(ふたた)び来(きた)らず」とも読む。
自負自賛(じふじさん)
自分の行為をすぐれていると思い込み、自分の行為を褒めること。 「自負」は自分の才能をすぐれていると思い込むこと。 「自賛」は自分の行いを自分で褒めること。 「自負自讃」とも書く。
自負自讃(じふじさん)
自分の行為をすぐれていると思い込み、自分の行為を褒めること。 「自負」は自分の才能をすぐれていると思い込むこと。 「自賛」は自分の行いを自分で褒めること。 「自負自讃」とも書く。
自分勝手(じぶんかって)
自分の都合だけを考えて、他の人の迷惑などを考えずに行動すること。 「勝手」は自分の都合だけで行動すること。
自分勝手(じぶんがって)
自分の都合だけを考えて、他の人の迷惑などを考えずに行動すること。 「勝手」は自分の都合だけで行動すること。
四分五散(しぶんごさん)
国や秩序などが乱れてまとまりがなくなり、ばらばらに分裂すること。
四分五裂(しぶんごれつ)
国や秩序などが乱れてまとまりがなくなり、ばらばらに分裂すること。
使蚊負山(しぶんふさん)
与えられた任務をこなせないことのたとえ。 虫の蚊に、大きな山を背負わせるということから。 「蚊(ぶん)を使(し)て山を負(お)わしむ」とも読む。
耳聞目見(じぶんもくけん)
自身の耳や目で、実際に聞いたり見たりすること。 「耳もて聞き、目もて見る」とも読む。
資弁捷疾(しべんしょうしつ)
「資弁」は生まれつき弁舌が達者、「捷疾」は速いや素早いことから、生まれつき弁舌が達者で、行動が素早いこと。 中国古代の殷の紂王を評した故事が由来。
自暴自棄(じぼうじき)
やけになって、もうどうなってもいいと将来の希望を捨てたり、投げやりな行動をすること。 「自暴」はやけくそで自分を損なうこと。 「自棄」は自分を見捨てること。
歯亡舌存(しぼうぜっそん)
柔らかくしなやかなものは、強く硬いものよりも長く存続するということ。 歯が抜けてなくなることはあっても、舌は残り続けるという意味から。 「歯(は)亡(ほろ)びて舌(した)存(そん)す」とも読む。
四方八方(しほうはっぽう)
ありとあらゆる方向のこと。 「四方」は東、西、南、北の四方向。 「八方」は四方に、北東、北西、南東、南西を加えた八方向。
子墨客卿(しぼくかくけい)
文人。詩文を作る人のこと。 「子墨」は墨を擬人化した表現、「客卿」は他国から来ている客分待遇の高官のこと。
子墨兎毫(しぼくとごう)
文人。詩文を作る人のこと。 「子墨」は墨を擬人化した表現。 「兎毫」は兎の毛で作った筆。
徙木之信(しぼくのしん)
約束を必ず実行することのたとえ。 為政者は人民に法の権威や信用を示すべきという戒めのこと。 戦国時代、秦の商鞅が国民からの信用を得るために、南門の大木を北門に移した者に十金を与えると布告したが、皆疑い誰も移さなかった。 五十金に増額すると移す者が現れたので、五十金を渡して約束を本当に守ると示した故事から。
慈母敗子(じぼはいし)
教育には優しさだけではなく、時には厳しさが必要なこと。 「慈母」は愛情が深い母親、「敗子」は道楽息子のこと。 甘やかしすぎるとわがままで親不孝な道楽息子になるという意味。
揣摩臆測(しまおくそく)
根拠もなしに、あれこれといい加減な推測をすること。 「揣摩」はおしはかること。 「臆測」は自分の考えで勝手に推測のこと。 推測するという意味をもつ「揣摩」と「憶測」を重ねて強調した言葉。 「臆測」は「憶測」とも書く。 「臆測揣摩(憶測揣摩)」ともいう。
揣摩憶測(しまおくそく)
根拠もなしに、あれこれといい加減な推測をすること。 「揣摩」はおしはかること。 「臆測」は自分の考えで勝手に推測のこと。 推測するという意味をもつ「揣摩」と「憶測」を重ねて強調した言葉。 「臆測」は「憶測」とも書く。 「臆測揣摩(憶測揣摩)」ともいう。
揣摩迎合(しまげいごう)
相手が思っていることを推測して、調子を合わせること。 「揣摩」は推測する。 「迎合」は相手に合わせて、さからわないようにすること。
四曼不離(しまんふり)
真言密教の四種類の曼荼羅は、お互いに深く関わりあっていて分けることはできないという教義のこと。 「四曼」は四種曼荼羅を略した仏教の言葉で、梵字や立像、仏具などで悟りの境地や世界観など表現したもののこと。 「不離」は密接に結びついていて、分けることができないということ。
使民以時(しみんいじ)
民に労役を強いる場合は、農作業が暇な時期にするなどの配慮をすべきであるということ。 政治を執り行う人がするべき配慮を説いた言葉。 「民(たみ)を使(つか)う時(とき)を以(もっ)てす」とも読む。
視民如子(しみんじょし)
君主が民を慈愛すること。 まるで自分の子どもを見るかのように、民を見るということから。 「民(たみ)を視(み)る子(こ)の如(ごと)し」とも読む。
視民如傷(しみんじょしょう)
君主が人々を慈愛すること。 まるで怪我をしている人を見るかのように、民を見るということから。 「民を視(み)ること傷(きずつ)くが如(ごと)し」とも読む。
事無二成(じむにせい)
二つの物事を同時に行っても、両方とも成功させることはできないということ。 「事(こと)に二成(にせい)無(な)し」とも読む。
四無量心(しむりょうしん)
他人のために尽くそうという、推し量ることのできない四つの心のこと。 または、仏道を志す人が持つべき心構えのこと。 仏教の言葉で、世の人々に起こす四つの無量心をいう。
自明之理(じめいのり)
説明する必要もないほど当たり前の論理や道理のこと。 「自明」はそれ自身で証明の必要がなく明らかなこと。
七五三縄(しめなわ)
鳥居や神棚などに飾ったり、神域を区別するために用いたりする縄のこと。 縄の網目に七、五、三筋のわらをはさんで垂らすことに由来する当て字。 「注連縄」「〆縄」「標縄」などとも。
四面楚歌(しめんそか)
周りを敵や反対者に囲まれており、味方がいなくて孤立している状態のこと。 楚の項羽は漢の劉邦に追い詰められたときに、夜になって漢の軍の中から聞こえてきた楚の国の歌をきいて、漢に降った楚の人が多いことを嘆き、敗北を悟った故事から。
鴟目虎吻(しもくこふん)
欲深く凶悪で残忍な人相のたとえ。 「鴟目」はふくろうのような目つき。 「虎吻」は虎のような口。 どちらも凶悪で残忍な人相のたとえ。
耳目之欲(じもくのよく)
実際に聞いたり見たりすることで生まれる欲望のこと。 または、聞いたり見たりしたいと思う欲望のこと。
自問自答(じもんじとう)
自分自身に質問をしかけて、自分自身でその質問に答えること。
四門出遊(しもんしゅつゆう)
釈迦が太子の時に、四つの門から外に出て老人、病人、死人、修行者を見つけて、出家を決意した伝説のこと。 釈迦がまだシッダルータ太子と呼ばれ、不自由のない生活をしていたときに、城外で遊ぼうとして別々の日に別々の門の外に老人、病人、死人を見かけた。そして、人間の無常を感じ、最後に修行者に出会い出家する決意をしたといわれている。
四門遊観(しもんゆうかん)
釈迦が太子の時に、四つの門から外に出て老人、病人、死人、修行者を見つけて、出家を決意した伝説のこと。 釈迦がまだシッダルータ太子と呼ばれ、不自由のない生活をしていたときに、城外で遊ぼうとして別々の日に別々の門の外に老人、病人、死人を見かけた。 そして、人間の無常を感じ、最後に修行者に出会い出家する決意をしたといわれる。
車胤聚蛍(しゃいんしゅうけい)
苦学することのたとえ。 「車胤」は人の名前、「聚」は集める、「蛍」は虫のほたるのこと。 車胤は若いころ貧乏で、夏には蛍を集め、その光で読書したという故事から。
社燕秋鴻(しゃえんしゅうこう)
出合って間もない間に分かれること。 「社燕」は春の社日にきて、秋の社日に去る燕、「秋鴻」は秋にきて春に去る白鳥のことで、燕と白鳥がすれ違う短い出会いという意味から。
釈迦八相(しゃかはっそう)
仏教の言葉で、釈迦の一生を表す八つの段階や局面のこと。 「八相」は降兜率、托胎、出胎、出家、降魔、成道、転法輪、入滅の八つの段階や局面をいう言葉。
舎己従人(しゃきじゅうじん)
自分の考えを捨てて、多くの人たちと同じ意見に従うこと。 「己(おのれ)を舎(す)てて人(ひと)に従(したが)う」とも読む。
視野狭窄(しやきょうさく)
知識や考え方がだんだんと狭くなっている様子。 周りから次第に視野が狭くなっていく目の症状のことから。
車魚之嘆(しゃぎょのたん)
「車」は外出するときに乗り物が用意される待遇、「魚」は食事に魚がつく待遇のことで、それらが無くて待遇の悪さを嘆くこと。
車魚之嘆(しゃぎょのなげき)
「車」は外出するときに乗り物が用意される待遇、「魚」は食事に魚がつく待遇のことで、それらが無くて待遇の悪さを嘆くこと。
舎近求遠(しゃきんきゅうえん)
近くに良いものがあることに気がつくことがなく捨ててしまい、遠くまで捜し求めること。 「舎近」は近くにあるものを捨てること。 「求遠」は遠くにあるものを求めること。
舎近謀遠(しゃきんぼうえん)
近くに良いものがあることに気が付かずに捨ててしまい、遠くまで捜し求めること。 「舎近」は近くにあるものを捨てること。 「謀遠」は遠くにあるものを求めること。
釈眼儒心(しゃくがんじゅしん)
仏教の慈悲と儒教の仁愛の両方の心を持つこと。 「釈眼」は釈迦の目。 「儒心」は孔子の心。 仏教の慈悲深い目で見て、儒教の仁愛のある心で接することから。
釈根灌枝(しゃくこんかんし)
「釈根」は根を捨てる、「灌枝」は枝に水を注ぎかけるという意味から、他の事に気をとられて物事の本質を忘れること。 または、問題の本質を調べることをせずに結果だけを問題にすること。
杓子果報(しゃくしかほう)
「杓子」は菜や汁を盛る道具、「果報」は幸せのことで、杓子に食べ物が山盛りに配られるという意味から、運に恵まれること。
杓子定規(しゃくしじょうぎ)
杓子の柄を無理やり定規のかわりにするということから、一つの基準で全てを決めようとして応用や融通がきかなくなるという意味。
灼然炳乎(しゃくぜんへいこ)
非常にはっきりとしている様子。 「灼然」と「炳乎」はどちらも明らかな様子をいう言葉で、似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。
鵲巣鳩居(じゃくそうきゅうきょ)
他人の地位や成功を横取りすること。 または、嫁いできた女性が夫の家をわが家とすることのたとえ。 巣作りが得意な鵲(かささぎ)の巣に鳩(はと)が住み着くことから。 「鵲巣鳩居」ともいう。
鵲巣鳩占(じゃくそうきゅうせん)
他人の地位や成功を横取りすること。または、嫁いできた女性が夫の家をわが家とすることのたとえ。 巣作りが得意な鵲の巣に鳩が住み着くという意味から。
尺短寸長(しゃくたんすんちょう)
どんな人にも長所と短所は必ずあるということ。 「尺」と「寸」はどちらも長さを表す単位。 場合によっては一尺でも短いと感じることもあり、一寸でも長いと思うことがあるという意味から。 「尺も短き所有り、寸も長き所有り」を略した言葉。
弱肉強食(じゃくにくきょうしょく)
弱者の犠牲があって、その上にいる強者が繁栄すること。 「強食弱肉」ともいう。
尺布斗粟(しゃくふとぞく)
兄弟の仲が悪いこと。 「斗粟」の「斗」は容量の単位。 一斗の粟のことから、少しの食べ物のたとえ。 「尺布」の「尺」は長さの単位。 一尺の布のことから、少しの衣服のたとえ。 中国の漢の淮南王と文帝は腹違いの兄弟だったが、文帝はおごり昂って法に背く行いを多くしたために、淮南王に王位を奪われ流罪にされた。 その道中で文帝は悶え苦しみ、食を断って死んだ。 人々はそのことについて「一尺の布でも一斗の粟でも、分け合えば互いの寒さと飢えをしのげるのに、何故仲良くできなかったのか」と歌ったという故事から。 「尺布斗粟」ともいう。
寂滅為楽(じゃくめついらく)
仏教語で煩悩を滅した悟りの境地に、真の安楽があるということ。 「寂滅」は「涅槃(ねはん)」と同じ意味で、煩悩を滅した悟りの境地、「為楽」は楽しみをなすという意味。
車蛍孫雪(しゃけいそんせつ)
苦学のたとえ。 「車」「孫」はどちらも苦学していた人物の名前。 「車」は車胤のことで、夜に蛍の光で読書をしていた。 「孫」は孫康のことで、夜に雪に反射した月明かりで読書をしていた。
社交辞令(しゃこうじれい)
社交場などでの儀礼的な応対のことで、相手を喜ばせるためのお世辞の言葉のこと。 「辞令」は応答の言葉という意味。
捨根注枝(しゃこんちゅうし)
他の事に気をとられて物事の本質を忘れること。 または、問題の本質を調べることをせずに結果だけを問題にすること。 「捨根」は根を捨てること。 「注枝」は枝に水を注ぎかけること。
車載斗量(しゃさいとりょう)
量や数が多すぎて全てを量ることができないこと。 車に載せて、ますで量るほど多いという意味から。
奢侈淫佚(しゃしいんいつ)
ぜいたくな生活をして、みだらな楽しみにふけること。 「奢侈」は度を超したぜいたくのこと。 「淫佚」はみだらでだらしない様子のこと。
奢侈文弱(しゃしぶんじゃく)
度を超したぜいたくな生活をして、文学にふけっているだけで、おとなしく弱弱しいこと。 「奢侈」は度を超したぜいたく、「文弱」は文学にばかりふけっていて弱弱しいこと。
洒洒落落(しゃしゃらくらく)
性格や言動が淡白であっさりとしていて、物事にこだわらないこと。 「洒落」はさっぱりとしていて、こだわらないという意味で、重ねて強調した言葉。
洒々落々(しゃしゃらくらく)
性格や言動が淡白であっさりとしていて、物事にこだわらないこと。 「洒落」はさっぱりとしていて、こだわらないという意味で、重ねて強調した言葉。
邪宗異端(じゃしゅういたん)
少数派に信じられている正統ではなく、人の心を惑わす宗教のこと。 「邪宗」は道理に外れた、人を惑わす有害な宗教のこと。 「異端」はその時代の多くの人に認められず、少数の人によって信じられている主張や学説、宗教などのこと。
射将先馬(しゃしょうせんば)
馬に乗っている武将を射止めるためには馬を射ることが先決であるという意味から、目的を果たすためにはその周囲やよりどころにしているものを先に攻めるとよいということ。
社稷為墟(しゃしょくいきょ)
国が滅亡すること。 「社稷」は土地の神と五穀の神ということから、国家の守り神のこと。 国の守り神をまつる祭場が廃墟になることから。 「社稷(しゃしょく)墟(きょ)と為(な)る」とも読む。
社稷之主(しゃしょくのしゅ)
古代中国において、社稷の祭りを永続させる役割を果たす人のこと。 「社稷」は土地の神と五穀の神のこと。
社稷之臣(しゃしょくのしん)
国家の重要な職についている臣下のこと。 「社」は土地の神、「稷」は五穀の神のことで、どちらも国家にとって重要な守り神ということから、「社稷」は国家や朝廷という意味。
社稷之守(しゃしょくのまもり)
国家の守りとなる臣下のこと。 「社」は土地の神、「稷」は五穀の神のことで、どちらも国家にとって重要な守り神ということから、「社稷」は国家や朝廷という意味。
車如流水(しゃじょりゅうすい)
交通量が多いことのたとえ。 川を流れる水のように、車が絶え間なく行き交うことから。 「車(くるま)、流水(りゅうすい)の如(ごと)し」とも読む。
車水馬竜(しゃすいばりゅう)
車や馬などの乗り物の往来がとてもにぎやかな様子。 車は流れる水のように、馬は竜のように連なっているという意味。
車水馬竜(しゃすいばりょう)
車や馬などの乗り物の往来がとてもにぎやかな様子。 車は流れる水のように、馬は竜のように連なっているという意味。
舎生取義(しゃせいしゅぎ)
命は惜しいがそれよりももっと義を渇望するという孟子の言葉から、命を犠牲にしても正義を守ること。
射石飲羽(しゃせきいんう)
集中して必死の思いで事にあたれば、どんな困難なことでも成し遂げることができるということ。 楚の熊渠子が暗闇の中でうずくまる虎を狙い、集中して力いっぱい矢を射て確認してみると、虎ではなく大きな石に矢の羽までも深く突き刺さっていたという故事から。 「射石」は弓で石を射ること。 「飲羽」は矢の羽までも深く突き刺さるという意味。
邪説異端(じゃせついたん)
少数派に信じられている正統ではない主張・学説・信仰などのこと。 「異端」は多くの人には認められず、少数の人によって信じられている主張や学説、宗教などのこと。 「邪説」は道理に外れた主張や学説のこと。 「邪説異端」ともいう。
社鼠城狐(しゃそじょうこ)
君主や権力者の威光を笠にきて悪事を働く者のたとえ。 「城狐」は城に住んでいるきつね。 「社鼠」は神社などの社に住んでいるねずみ。 そのような動物を駆除するためには、その場所を壊さないといけないので、悪いことをしても駆除することが難しいことから。 「社鼠城狐」ともいう。
舎短取長(しゃたんしゅちょう)
短所や欠点を補わずにすてて、長所だけを伸ばすこと。または、取るに足らないものをすてて、よいものだけに着目すること。 「短」は短所、「長」は長所のこと。 「短(たん)を舎(す)て長(ちょう)を取る」とも読む。
邪智奸佞(じゃちかんねい)
性格がひねくれていて、悪知恵がはたらくこと。 「奸佞」は心がひねくれていて悪賢く、人にこびへつらうこと。 「邪智」は悪いことにだけよく働く知恵。 「奸佞」は「姦佞」とも、「邪智」は「邪知」とも書く。 「邪智奸佞」ともいう。
邪智姦佞(じゃちかんねい)
性格がひねくれていて、悪知恵がはたらくこと。 「奸佞」は心がひねくれていて悪賢く、人にこびへつらうこと。 「邪智」は悪いことにだけよく働く知恵。 「奸佞」は「姦佞」とも、「邪智」は「邪知」とも書く。 「邪智奸佞」ともいう。
邪知奸佞(じゃちかんねい)
性格がひねくれていて、悪知恵がはたらくこと。 「奸佞」は心がひねくれていて悪賢く、人にこびへつらうこと。 「邪智」は悪いことにだけよく働く知恵。 「奸佞」は「姦佞」とも、「邪智」は「邪知」とも書く。 「邪智奸佞」ともいう。
邪知姦佞(じゃちかんねい)
性格がひねくれていて、悪知恵がはたらくこと。 「奸佞」は心がひねくれていて悪賢く、人にこびへつらうこと。 「邪智」は悪いことにだけよく働く知恵。 「奸佞」は「姦佞」とも、「邪智」は「邪知」とも書く。 「邪智奸佞」ともいう。
邪知暴虐(じゃちぼうぎゃく)
悪いことに知識がよく働き、乱暴な行動で人々を苦しめること。 「邪知」は悪知恵。 「暴虐」は乱暴で残酷なこと。 「邪智暴虐」とも書く。
邪智暴虐(じゃちぼうぎゃく)
悪いことに知識がよく働き、乱暴な行動で人々を苦しめること。 「邪知」は悪知恵。 「暴虐」は乱暴で残酷なこと。 「邪智暴虐」とも書く。
雀角鼠牙(じゃっかくそが)
訴訟のこと。 「鼠牙」は鼠(ねずみ)の牙。 「雀角」は雀(すずめ)のくちばし。 鼠や雀が壁や塀に穴を空けて家を壊すように、訴訟は家庭を壊すという意味から。 「雀角鼠牙」ともいう。
借花献仏(しゃっかけんぶつ)
自分のやらなければいけないことを人に頼って行うこと。 仏に花を供えるために、人に花を借りるという意味から。 「花を借りて仏に献(けん)ず」とも読む。
寂光浄土(じゃっこうじょうど)
仏の住んでいるとされる静かで汚れのない世界のこと。または、仏道の悟りの境地のこと。 「寂光」は真理の静寂と真智の光。 「浄土」は汚れがなく清らかな国。
車轍馬跡(しゃてつばせき)
政治を行う人が全国の隅から隅まで巡り歩くこと。 「車轍」は通った跡に残る車輪の跡。 「馬跡」は馬が通った跡に残る蹄の跡。 昔の政治家は、監督のために馬車で全国を巡り歩いたために、通った後に車輪や蹄の跡が残されたということから。
煮豆燃萁(しゃとうねんき)
兄弟の関係が不仲であることのたとえ。 「煮豆」は豆を煮ること。 「萁」は豆殻のこと。 中国の三国時代の曹操の子である曹丕は、弟である曹植の詩才を妬んで冷遇した。 曹丕は七歩歩く内に詩を作らなければ殺すと言い、曹植は「同じ根から生まれた豆殻は燃えて火となり、豆はその火で煮て苦しめ続けられる。兄弟なのに何故苦しめるのか」と答え、それを聞いた曹丕は恥じたという故事から。 「豆を煮るに萁(まめがら)を焼く」とも読む。 「燃萁」は「然萁」とも書く。
煮豆然萁(しゃとうねんき)
兄弟の関係が不仲であることのたとえ。 「煮豆」は豆を煮ること。 「萁」は豆殻のこと。 中国の三国時代の曹操の子である曹丕は、弟である曹植の詩才を妬んで冷遇した。 曹丕は七歩歩く内に詩を作らなければ殺すと言い、曹植は「同じ根から生まれた豆殻は燃えて火となり、豆はその火で煮て苦しめ続けられる。兄弟なのに何故苦しめるのか」と答え、それを聞いた曹丕は恥じたという故事から。 「豆を煮るに萁(まめがら)を焼く」とも読む。 「燃萁」は「然萁」とも書く。
遮二無二(しゃにむに)
一つのことに全力を注ぐこと。 「遮二」は二を断ち切るという意味。 「無二」は二は無いという意味。 「しゃりむり」の当て字という説もある。
捨閉閣抛(しゃへいかくほう)
自力での仏教修行を廃棄して、念仏だけをひたすら行うこと。 「捨」、「閉」、「閣」、「抛」はそれぞれ捨て去るという意味。 浄土宗の法然が著した「選択本願念仏集」から、日蓮宗の日蓮が四文字を抜き出して並べた言葉で、浄土宗を批判するための標語とされた。
射法八節(しゃほうはっせつ)
弓道での弓を射る時の八つの基本動作のこと。 一つの動作を竹の節にたとえ、動作の一つ一つはしっかりと区分されているが、動作の全ては竹のように繋がっているということ。
舎本逐末(しゃほんちくまつ)
物事の根幹となる大事なことをいいかげんにして、必要のないことに関心を持つこと。 「舎本」は根本を捨てること。 「逐末」は末節を追うこと。 「本(もと)を舎(す)てて末(すえ)を逐(お)う」とも読む。
沙羅双樹(しゃらそうじゅ)
八十歳で入滅した釈迦の寝床にあった沙羅の木のこと。 「沙羅」は植物の名前。 釈迦が入滅したときに、釈迦の寝床の四方に二本ずつあった常緑樹である沙羅の木が、釈迦の入滅を悲しんで、一本ずつ枯れたとも、全ての木が白くなって枯れたとも言われている伝説のこと。 日本では『平家物語』の冒頭の句として有名。 「砂羅双樹」とも書く。
砂羅双樹(しゃらそうじゅ)
八十歳で入滅した釈迦の寝床にあった沙羅の木のこと。 「沙羅」は植物の名前。 釈迦が入滅したときに、釈迦の寝床の四方に二本ずつあった常緑樹である沙羅の木が、釈迦の入滅を悲しんで、一本ずつ枯れたとも、全ての木が白くなって枯れたとも言われている伝説のこと。 日本では『平家物語』の冒頭の句として有名。 「砂羅双樹」とも書く。
殊域同嗜(しゅいきどうし)
別の国の人と自分の趣味や嗜好が同じなこと。 「殊域」は外国のこと。 「同嗜」は同じ趣味を持っていること。
酒飲微醺(しゅいんびくん)
何事もほどほどにしておくことが好ましいということ。 ほろ酔い程度に酒を飲むことから。 「微醺」は少し酒に酔うこと。または、少し酒の香りがすること。 「酒(さけ)は微醺(びくん)に飲む」とも読む。
醜悪奸邪(しゅうあくかんじゃ)
容姿が醜くて、心に悪意が満ちていること。または、そのような人のこと。 「醜悪」は容姿が醜いことや見苦しいこと。 「奸邪」はよこしまなこと。
十悪五逆(じゅうあくごぎゃく)
十の悪い行いと、五つの憎むべき罪。 「十悪」は殺し、盗み、不純な異性関係、嘘、戯れ言、乱暴な言葉、陰口、貪欲、怒りや憎しみ、誤った見解のこと。 「五逆」は五逆罪の略で、母親殺し、父親殺し、聖人殺し、仏を傷つけて出血させる、教団を破壊するという地獄に落とされる五つの重罪のこと。
拾遺補闕(しゅういほけつ)
見落としている過失や、誤りを見つけて正し補うこと。 「拾遺」は過失を見つけて補うこと。 「補闕」は足りないものを見つけて補うこと。 元は君主が見落とした過失や、誤りを正して、臣下が補佐をすること。
集腋成裘(しゅうえきせいきゅう)
たくさんの人々を使って、大きな目標を達成することのたとえ。 「集腋」は狐の腋の下にある、高級な白い毛を集めること。 「成裘」は皮衣を作ること。 「腋(えき)を集めて裘(きゅう)を成す」とも読む。
縦横自在(じゅうおうじざい)
自分の思ったことを邪魔されることなく、思ったように出来ること。 または、思い切りやりたいことをすること。 「縦横」と「自在」はどちらも何者からも邪魔されることなく、思うとおりに出来ること。
縦横無礙(じゅうおうむげ)
思ったまま好きなように物事を行う様子。 または、満足するまで自由に行動すること。 「縦横」は縦と横のことから自分の思うよう好きに振舞うこと。 「無礙」は何者にも縛られないこと。
縦横無尽(じゅうおうむじん)
思うまま好きなように物事を行う様子。 または、満足するまで自由に行動すること。 「縦横」は縦と横のことから、自分の思いのままに振る舞うこと。 「無尽」は尽きることが無いという意味。
秀外恵中(しゅうがいけいちゅう)
主に女性についていう語で、容姿が美しく優しい心を持っていること。または、容姿が美しく賢いこと。 「秀外」は外見が秀でている。 「恵中」は心が優しいや、聡いという意味。
自由闊達(じゆうかったつ)
のびのびとした広い心で小事にこだわらないこと。 「自由」は縛られることなく、のびのびしていること。 「闊達」は広くおおらかな心で小事にこだわらないこと。 「闊達自由」ともいう。
十駕之術(じゅうがのじゅつ)
たとえ才能がなくても、努力を続けることで成功できるということ。 足の遅い馬でも、十日走れば駿馬に追いつけることから。
衆寡不敵(しゅうかふてき)
少数は多数には勝てないこと。 「衆」は数が多い、「寡」は数が少ない、「不敵」は敵対できないという意味で、戦争や勝負では、人数が多いほうが有利だということから。
羞花閉月(しゅうかへいげつ)
容姿が極めて美しいこと。 「羞」は恥らうこと。 美しさに花も恥じらい、月も恥ずかしがって雲に隠れてしまうほどの美女という意味から。 「閉月羞花」「羞月閉花」ともいう。
衆議一決(しゅうぎいっけつ)
多くの人々が考えや意見を出し合って論じた結果、一つの結論が出ること。 「衆議」は多くの人々で行う議論や相談のこと。 「一決」は議論などの結論が一つにまとまること。
衆議成林(しゅうぎせいりん)
間違っていることでも、数多くの人々が正しいと言えば、正しいことになってしまうということ。 「衆議」はたくさんの人が議論をすること。 たくさんの人が話し合って、林があるという結論を出せば、何もない平地に林が生まれるということから。 「衆議林(はやし)を成す」とも、「衆(しゅう)議(ぎ)すれば林(はやし)をも成す」とも読む。
僦櫃質銭(しゅうきちせん)
質屋が取る利息のこと。 「僦櫃」は債務の担保として利息を取ること。
十逆五悪(じゅうぎゃくごあく)
十の悪い行いと、五つの憎むべき罪。 「十逆」は殺し、盗み、不純な異性関係、嘘、戯れ言、乱暴な言葉、陰口、貪欲、怒りや憎しみ、誤った見解のこと。 「五悪」は母親殺し、父親殺し、聖人殺し、仏を傷つけて出血させる、教団を破壊するという地獄に落とされる五つの重罪のこと。
獣窮則齧(じゅうきゅうそくげつ)
追い詰められた獣が必死に噛み付くように、人も行き詰まってしまうと嘘をつくということ。 「獣(じゅう)窮(きゅう)すれば則(すなわ)ち齧(か)む」とも読む。
十行倶下(じゅうぎょうくか)
読書の速度がとても速いこと。 中国の南北朝時代、北斉の孝瑜は、十行の文章を一度に読み進めたという故事から。 「十行(じゅうぎょう)倶(とも)に下る」とも読む。
愁苦辛勤(しゅうくしんきん)
思い悩んで嘆き、悲しみ苦しむこと。 「愁苦」は嘆き悲しむこと。 「辛勤」は苦労しながら勤めること。
衆愚政治(しゅうぐせいじ)
自覚のない愚かな人々が行う政治。 元は古代ギリシアのアテネにおいて、失敗した民主政治を揶揄していった言葉。
羞月閉花(しゅうげつへいか)
容姿が極めて美しいこと。 「羞」は恥らうこと。 美しさに花も恥じらい、月も恥ずかしがって雲に隠れてしまうほどの美女という意味から。 「閉月羞花」「羞月閉花」ともいう。
衆賢茅茹(しゅうけんぼうじょ)
知識と徳の高い賢人たちが互いに力を合わせること。 「衆賢」はたくさんの賢人。 「茅茹」は植物の茅の根が連なり絡まりあっていること。 自身だけが重用されればよいとは考えず、仲間と共にすればよい結果が得られるということ。
衆口一致(しゅうこういっち)
多くの人たちの意見が一致すること。 「衆口」はたくさんの人の言葉や考え。 「一致」は完全にぴったりと合うこと。
秋高気爽(しゅうこうきそう)
秋の空が高く、すっきりと晴れ渡っていて、空気がさっぱりとしていること。 「秋高」は秋の空が晴れ渡っていて高いこと。 「気爽」はさっぱりとしていて心地よい空気のこと。
繍口錦心(しゅうこうきんしん)
詩や文章のすぐれた才能があること。 「錦心」はあや織物のように美しい心のこと。 「繍口」は刺繍のように美しい言葉のこと。 「繍口錦心」ともいう。
衆口熏天(しゅうこうくんてん)
たくさんの人たちの意見には、ものすごい力があるということのたとえ。 「衆口」はたくさんの人たちの意見。 「熏天」は天を動かすほどに感動させるということ。 たくさんの人たちの意見は、天を動かすほどに感動させるほどの力があるということから。 「衆口(しゅうこう)天(てん)を熏(くん)ず」とも読む。
衆口鑠金(しゅうこうしゃくきん)
大勢の人たちによる言葉の力は恐ろしいということ。 特に、根拠のない、でたらめな中傷についていう言葉。 「衆口」は多くの人たちのいう言葉。 「鑠金」は金属を溶かすということ。 大勢の人たちの言葉は金属すら溶かしてしまうほど強力という意味から。 「衆口(しゅうこう)金(きん)を鑠(と)かす」とも読む。
重厚長大(じゅうこうちょうだい)
大きくて重量感のある様子。 重く、厚く、長く、大きいという意味から。 人の性格や建物、または、重化学工業などのことをいう。
秋毫之末(しゅうごうのすえ)
非常に小さく細かいもの。 または、わずかなもののこと。 「秋毫」は秋に動物の夏毛が抜け、変わって生えてくる細い冬毛のことで、非常に小さく細かいことや、わずかなもののたとえ。 「末」は一番端の部分のこと。 細い冬毛の先という意味から。
秋高馬肥(しゅうこうばひ)
爽やかで心地よい秋を言い表す言葉。 空が高く、すっきりと晴れ渡る気持ちのよい秋の季節になると、馬も餌をよく食べてたくましく肥えるということから。 元は秋の収穫の後で、中国の北部から騎馬民族が攻め込んでくる季節のことをいう言葉。 「秋高く馬肥ゆ」とも読み、現在では、「天高く馬肥ゆる秋」と用いることが多い言葉。
十五志学(じゅうごしがく)
十五歳で学問をすることを心に決めること。 「十五」は十五歳のこと。 「志学」は学問をすることを心に決めること。 孔子が生涯を振り返って言った言葉から。 「志学」という言葉が十五歳のことをいうのは、この言葉が語源。
修己治人(しゅうこちじん)
自身の知識を高めて、精神を磨き、徳を積んでから世の中を正しく治めること。 自身の修養に励み、高く積んだ徳で人々を感化して、世の中を平和に正しく治めることをいう。 儒教の根本思想。 「己を修めて人を治む」とも読む。
襲故弥新(しゅうこびしん)
古い表現を使いならがも、目新しさを出すこと。 「襲」は、受け継ぐ。 「弥」は、より一層。ますます。 「故(もと)を襲(おそ)いて弥(いよいよ)新(あたら)し」とも読む。
終歳馳駆(しゅうさいちく)
極めて忙しく、一年中走り回ること。 「終歳」は一年中、いつもという意味。 「馳駆」は走り回る、尽力すること。
聚散十春(しゅうさんじっしゅん)
仲間と別れたあとに、あっという間に長い年月が過ぎ去ったということ。 「聚散」は人が集まったあとに離れること。 「十春」は春が十回来るという意味から、十年という意味。
史有三長(しゆうさんちょう)
歴史を記述するためには、文才、学問、見識の三つが必要とされるということ。 中国の唐の時代の歴史家である劉知幾が主張したもの。 「史(し)に三長(さんちょう)あり」とも読む。
集散離合(しゅうさんりごう)
離れては集まり、集まっては離れたりすること。 または、協力したり対立したりすること。 「離合」と「集散」はどちらも離れたり集まったりすることで、同じ意味の語を重ねて強調した語。 「集散離合」ともいう。
終始一貫(しゅうしいっかん)
初めから終わりまで言動や態度を貫き通すこと。
自由自在(じゆうじざい)
思ったことが思った通りに出来ること。 または、思う存分やりたいことをやること。 「自由」と「自在」はどちらも、邪魔されることなく思い通りに出来るという意味。
終始如一(しゅうしじょいつ)
最初から最後まで一貫していること。 「終始(しゅうし)、一(いつ)の如(ごと)し」とも読む。
十日一水(じゅうじついっすい)
細かい部分にも注意を払って作品を完成させること。 または、その作品のこと。 一つの川の絵を描くために十日間かけて、一つの石の絵を書くのに五日かけるという意味から。 精魂を込めて、注意深く作られた芸術作品を仕上げることをいう。
秋日荒涼(しゅうじつこうりょう)
秋の寂しい風景を言い表す言葉。 「荒涼」は荒れ果てた様子。
十日之菊(じゅうじつのきく)
必要な時に遅れたために、役に立たなくなったもののこと。 「十日」は九月十日のこと。 九月九日の菊の節句から一日遅れた菊という意味から。
螽斯之化(しゅうしのか)
子宝に恵まれ、子孫が栄えること。 「螽斯」は虫のいなごのことで、一度の産卵でたくさんの卵を産むとされていることから、子孫が栄えることの象徴とされている。
衆矢之的(しゅうしのまと)
たくさんの人から集中的に攻撃や非難をされる人のこと。 「衆」は数が多いこと。 たくさんの矢に射られる的という意味から。
秀而不実(しゅうじふじつ)
才能があっても功績や評価などを残せないことのたとえ。 穂が出ているのに実ができないことから。 「秀(ひい)でて実(みの)らず」とも読む。
充耳不聞(じゅうじふぶん)
耳を塞いで話しを聞こうとしないこと。 話を聞く気が全くないことをいう。 「充」は塞ぐという意味。 「耳を充(ふさ)いで聞かず」とも読む。
十字砲火(じゅうじほうか)
二箇所以上で連射が可能な火気を使い、射線が交差するように互いに支援し合う戦法。主に防御のときに効果を発揮する。第一次世界大戦で登場した戦法の一つ。 「十字」は漢字の十の文字の形。 「砲火」は大砲などの火器を撃ったときに出る火のこと。または、その弾丸のこと。 「十字火」ともいう。
羞渋疑阻(しゅうじゅうぎそ)
恥ずかしがり、決めかねて躊躇うこと。 「羞渋」は恥ずかしがって落ち着かないこと。 「疑阻」は疑い、気後れして躊躇うこと。 「羞渋疑沮」とも書く。
羞渋疑沮(しゅうじゅうぎそ)
恥ずかしがり、決めかねて躊躇うこと。 「羞渋」は恥ずかしがって落ち着かないこと。 「疑阻」は疑い、気後れして躊躇うこと。 「羞渋疑沮」とも書く。
獣聚鳥散(じゅうしゅうちょうさん)
規律や統率が全くないものの集まり。 「聚」は集まるという意味。 獣のように集まって、鳥のように散るという意味で、獣や鳥が秩序なく集まったり散ったりする様子から。
重重無尽(じゅうじゅうむじん)
全てのものが、互いに数え切れないほどの関係を持っていて、反映し、一体化しあっているということ。 「重重」は何重にも重なり合っていること。 「無尽」は尽きないこと。 華厳宗の世界観を示す言葉で、十枚の鏡を張り巡らせた中央に一本の蝋燭を立てると、炎が鏡に移り、それがさらに別の鏡に映っていき、限りなく重なり合うように、世界は成り立っているとされている。 「十十無尽」とも書く。
十十無尽(じゅうじゅうむじん)
全てのものが、互いに数え切れないほどの関係を持っていて、反映し、一体化しあっているということ。 「重重」は何重にも重なり合っていること。 「無尽」は尽きないこと。 華厳宗の世界観を示す言葉で、十枚の鏡を張り巡らせた中央に一本の蝋燭を立てると、炎が鏡に移り、それがさらに別の鏡に映っていき、限りなく重なり合うように、世界は成り立っているとされている。 「十十無尽」とも書く。
重々無尽(じゅうじゅうむじん)
全てのものが、互いに数え切れないほどの関係を持っていて、反映し、一体化しあっているということ。 「重重」は何重にも重なり合っていること。 「無尽」は尽きないこと。 華厳宗の世界観を示す言葉で、十枚の鏡を張り巡らせた中央に一本の蝋燭を立てると、炎が鏡に移り、それがさらに別の鏡に映っていき、限りなく重なり合うように、世界は成り立っているとされている。 「十十無尽」とも書く。
十々無尽(じゅうじゅうむじん)
全てのものが、互いに数え切れないほどの関係を持っていて、反映し、一体化しあっているということ。 「重重」は何重にも重なり合っていること。 「無尽」は尽きないこと。 華厳宗の世界観を示す言葉で、十枚の鏡を張り巡らせた中央に一本の蝋燭を立てると、炎が鏡に移り、それがさらに別の鏡に映っていき、限りなく重なり合うように、世界は成り立っているとされている。 「十十無尽」とも書く。
囚首喪面(しゅうしゅそうめん)
顔や髪を整えないこと。 「囚」は囚人、「首」は頭という意味から、髪のこと。 「喪」は喪中の人。 髪を梳かさない囚人のように乱れた髪と、顔を洗わない喪中の人のように汚れた顔という意味から。
袖手旁観(しゅうしゅぼうかん)
隣で何も出来ずに、ただ見ていること。 「袖手」は袖の中から手を出さないということから、何もしないこと。 大きな出来事が起きて、やらなければならないことがあるのに、何もせずにただ見ているだけでいることを非難する目的で用いることが多い言葉。 「袖手傍観」とも書く。
袖手傍観(しゅうしゅぼうかん)
隣で何も出来ずに、ただ見ていること。 「袖手」は袖の中から手を出さないということから、何もしないこと。 大きな出来事が起きて、やらなければならないことがあるのに、何もせずにただ見ているだけでいることを非難する目的で用いることが多い言葉。 「袖手傍観」とも書く。
衆少成多(しゅうしょうせいた)
取るに足らないものでも、集めると大きなものになるということ。 「衆少」は少量のものを集めること。 「少を衆(あつ)めて多を成す」とも読む。
周章狼狽(しゅうしょうろうばい)
予想していなかったことが起きて、ひどく慌てること。 「周章」と「狼狽」はどちらもひどく慌てるという意味。 「狼」と「狽」はどちらも想像上の動物のことで、「狼」は後足が極端に短く、「狽」は前足が極端に短いため、離れるとうまく歩けずに倒れてしまうことから、「狼狽」でうまくいかずに慌てふためくという意味になった。
秀色可餐(しゅうしょくかさん)
女性の容姿が美しいことのたとえ。 「秀色」は女性の美しい容姿。 「可餐」は味わう価値があるということ。 「秀色(しゅうしょく)餐(さん)す可(べ)し」とも読む。
秀色神采(しゅうしょくしんさい)
すぐれた風景や様子のこと。 「秀色」は美しい様子や姿のこと。 「神采」はすぐれた外見。または、品格が高い様子。 「秀色神彩」とも書く。
秀色神彩(しゅうしょくしんさい)
すぐれた風景や様子のこと。 「秀色」は美しい様子や姿のこと。 「神采」はすぐれた外見。または、品格が高い様子。 「秀色神彩」とも書く。
修飾辺幅(しゅうしょくへんぷく)
外見や世間体をよく見えるように飾って見栄を張ること。 「辺幅」は布の縁のこと。転じて外見のこと。 「修飾」は飾り立てること。 布の縁を縫って、ほころびを取り繕うことから。 「辺幅(へんぷく)を修飾す」とも読む。 「修飾辺幅」ともいう。
柔茹剛吐(じゅうじょごうと)
弱者を見下して、強者に謙るという、世の常を言う言葉。 「柔茹」は柔らかい食べ物を食べること。 「剛吐」は固い食べ物を吐き出すこと。 「柔(じゅう)なるは茹(くら)い剛(ごう)なるは吐(は)く」とも読む。
衆人環視(しゅうじんかんし)
たくさんの人たちが周りを取り巻いて見ていること。 「衆人」はたくさんの人たちのこと。 「環視」は周りを取り巻いて見ること。
獣尽狗亨(じゅうじんくほう)
目的を果たすまで重用されていた人が、その後冷遇されることのたとえ。 「狗」は猟犬のこと。 「亨」は煮ること。 獣を取り尽くした後、猟犬は不要となるため、煮て食べられるという意味から。 「獣(けもの)尽きて狗(いぬ)亨(に)らる」とも読む。
修身斉家(しゅうしんせいか)
自身の心がけや普段の行いを正し、円満な家庭を築くこと。 「修身」は自身の心と行動を正すこと。 「斉家」は不満のないように家庭を整えて治めること。 儒教の経書の大学にある儒者の基本を説く八条目の二つ。 「身を修め家を斉(ととの)う」とも読む。
衆心成城(しゅうしんせいじょう)
多くの人々が心を一つにすれば、城を築くほどの強大な力になるということ。 「衆心(しゅうしん)城(しろ)を成(な)す」とも読む。
終身之計(しゅうしんのけい)
生涯にわたって行う計画。
衆酔独醒(しゅうすいどくせい)
周囲の全ての人が道徳を失っているが、自分だけは正しく生きているということ。 周りにいる全ての人は酒に酔っているが、自分だけは酔わずに醒めているという意味から。 古代中国の春秋時代の楚の詩人、屈原が讒言によって追放されたときに、漁師になぜさまよっているかと聞かれて返した言葉で、「衆人皆酔えるに、我独り醒めたり」を略した言葉。
縦説横説(じゅうせつおうせつ)
思いのままに解説すること。 または、思いのままに議論をすること。 「縦…横…」は自由にという意味。
鞦韆院落(しゅうせんいんらく)
ぶらんこが設置されている中庭のこと。 「鞦韆」はぶらんこ。 「院落」は中庭。 貴族の大きな屋敷の中庭の景色をいう言葉で、昼間のにぎやかな景色とは違う、春の夜の静かで引きこまれる景色をいう。
十全健康(じゅうぜんけんこう)
病気の部分がなく、完全に健康なこと。 「十全」は完全なこと。 「健康」は体や心に悪いところがないこと。
十全十美(じゅうぜんじゅうび)
不十分な部分がなく、完全であること。 「十全」と「十美」はどちらも全てのものに欠点などなく、完璧であるということ。
秋霜三尺(しゅうそうさんじゃく)
曇りが少しもないように研がれた刀剣。 「秋霜」は秋に降る霜は厳しく冷たく光るということから、切れ味のよい刀剣のこと。 「尺」は長さを表す単位で、「三尺」は刀剣の長さのこと。
秋霜烈日(しゅうそうれつじつ)
刑罰、権威、意志、規律などが厳しく、不正や怠慢などを決して許さないことのたとえ。 「秋霜」は秋に降る霜のこと。 「烈日」は夏の日差しのこと。 どちらも厳しさのたとえ。
愁訴嘆願(しゅうそたんがん)
事情を説明して、情に訴えて頼みを聞いてもらおうとすること。または、その様子。 「愁訴」は嘆き訴えること。
周知徹底(しゅうちてってい)
全ての人にしっかりと知れ渡らせること。
集中豪雨(しゅうちゅうごうう)
限られた一定の範囲において、比較的短い時間のあいだに激しく降る雨。
舟中敵国(しゅうちゅうてきこく)
味方が敵になることもあることのたとえ。 行き先が同じ舟に乗っている人は利害が同じだが、状況によっては敵になるという意味から。 為政者への戒めの言葉で、周囲の敵国ばかり気にかけて、内政を怠れば、国内から反逆者が現れて滅ぼされるということ。
十中八九(じゅうちゅうはっく)
十あるうちの八か九ということから「ほとんど」「おおかた」「ほぼ確実」という意味。
集中砲火(しゅうちゅうほうか)
特定の人や場所に、同時に非難や批判を浴びせることのたとえ。 「集中」は一つの場所に集めること。 「砲火」は大砲などの火器を撃ったときに出る火のこと。または、その弾丸のこと。 一つの場所に一斉に砲火を浴びせるという意味から。
獣蹄鳥跡(じゅうていちょうせき)
世の中が酷く乱れていること。 「獣蹄」は獣の足跡。 獣や鳥の足跡が町中に溢れるという意味から。
秋天一碧(しゅうてんいっぺき)
雲一つない、すっきりと晴れた秋空の様子。 「秋天」は晴れた秋空。 「一碧」は空や水面が青い色一色なこと。
充棟汗牛(じゅうとうかんぎゅう)
所有している書物が非常に多いことのたとえ。 車に載せれば車を引く牛が汗をかくほど重く、家の中で積み上げれば天井の棟木に届くほど書物が多いという意味から。 「牛(うし)に汗(あせ)し棟(むなぎ)に充(み)つ」とも読む。 「充棟汗牛」ともいう。
縦塗横抹(じゅうとおうまつ)
思うままに書きなぐること。 「抹」は塗り消すこと。 縦に書いて横に消すという意味から。
衆怒難犯(しゅうどなんはん)
大勢の人たちを怒らせると、その怒りにあらがうのは難しいため、怒らせないようにすべきであるということ。 中国の春秋時代の鄭の子孔は、自分に従わないものを処刑しようとしたが、子産という人物から「大勢の人の怒りには抵抗できず、自分一人の欲望を満たすのは難しい」と諫められて取りやめたという故事から。
終南捷径(しゅうなんしょうけい)
正規の試験などをすることなく官職につくこと。または、終南山には仕官への近道があるということ。 「終南」は長安の南にある山の終南山のこと。 「捷径」は近道、最短距離の道のこと。 終南山で隠居していた盧蔵用が、則天武后に召されて官職を得た故事から、終南山で隠者のふりをすることで名声が上がって仕官への近道になるという意味。
臭肉来蠅(しゅうにくらいよう)
良心に恥じることがあると、悪者に利用されるということのたとえ。 生臭い肉に蠅が群がるという意味から。
十人十色(じゅうにんといろ)
性格、好み、考え方などは人それぞれ違うということ。 「十人」は十人の人のこと。 「十色」は十の種類があるということ。 人の性質は人それぞれ違うため、十人いれば十の種類に分かれるという意味から。
十年一日(じゅうねんいちじつ)
十年という長い期間が経過しても全く変わっていないこと。 または、長い期間が経過しても進歩や成長をしていないこと。 「十年」は年数の十年のこと。 「一日」は日数の一日のこと。 十年という長い期間、同じ一日を繰り返すという意味から。 また、十年間同じことを繰り返すということから、辛抱強く努力し続けることや変化しないように守り続けることをいう場合もある。
十年一剣(じゅうねんいっけん)
武術の修練を長い間積み続けること。 または、修練を積み続けた武術を発揮する機会を待つこと。 一振りの刀を十年磨き続けるという意味から。 「十年、一剣を磨く」を略した言葉。
十年一昔(じゅうねんひとむかし)
世の中の変化が非常に激しいことのたとえ。 十年の年月を一区切りとして、十年という期間が過ぎれば、身の回りも変化して、もう昔のことのように感じるという意味から。
十年磨剣(じゅうねんまけん)
長い期間武術の修行をすること。 または、武術の修行をして、活躍する機会を待つこと。 十年の期間、一振りの剣を磨き続けるという意味から。 「十年、一剣を磨く」を略した言葉。
柔能制剛(じゅうのうせいごう)
能力の弱い者が能力の強い者に勝つこと。 柔らかい物が固い者に勝つという意味から。 主に「柔能く剛を制す」の形で用いることが多い言葉。
戎馬倥偬(じゅうばこうそう)
戦場で慌しく走り回り、忙しく軍務を行うこと。 「戎馬」は戦争で使うための武器と馬。 「倥偬」は非常に忙しいこと。
愁眉不展(しゅうびふてん)
悩みや心配事が解決せず、心配し続けている様子。 「愁眉」は悩みなどが原因となって眉をひそめている様子。 「愁眉(しゅうび)展(ひら)かず」とも読む。
十風五雨(じゅうふうごう)
十日ごとに風が吹き、五日ごとに雨が降る、農耕に適した天候のこと。 または、世の中が平和で穏やかな状態であることのたとえ。
秋風索莫(しゅうふうさくばく)
勢いが弱くなって、物寂しい様子のこと。 夏が過ぎて、秋の物寂しい風が吹くという意味から。 「索莫」は物寂しい様子。 「索莫」は「索漠」、「索寞」とも書く。
秋風索漠(しゅうふうさくばく)
勢いが弱くなって、物寂しい様子のこと。 夏が過ぎて、秋の物寂しい風が吹くという意味から。 「索莫」は物寂しい様子。 「索莫」は「索漠」、「索寞」とも書く。
秋風索寞(しゅうふうさくばく)
勢いが弱くなって、物寂しい様子のこと。 夏が過ぎて、秋の物寂しい風が吹くという意味から。 「索莫」は物寂しい様子。 「索莫」は「索漠」、「索寞」とも書く。
秋風蕭条(しゅうふうしょうじょう)
物寂しい様子。 「蕭条」は植物が枯れるということから、物寂しい様子のたとえ。 没落して物寂しい様子を夏が過ぎた後に吹く、寂しげな秋風の様子にたとえたもの。
秋風落莫(しゅうふうらくばく)
勢いが弱くなって、物寂しい様子のこと。 夏が過ぎて、秋の物寂しい風が吹くという意味から。 「落莫」は物寂しい様子。
秋風冽冽(しゅうふうれつれつ)
秋の風の厳しく冷たい様子。 「冽冽」は厳しい寒さのこと。 「秋風洌洌」とも書く。
秋風洌洌(しゅうふうれつれつ)
秋の風の厳しく冷たい様子。 「冽冽」は厳しい寒さのこと。 「秋風洌洌」とも書く。
秋風冽々(しゅうふうれつれつ)
秋の風の厳しく冷たい様子。 「冽冽」は厳しい寒さのこと。 「秋風洌洌」とも書く。
秋風洌々(しゅうふうれつれつ)
秋の風の厳しく冷たい様子。 「冽冽」は厳しい寒さのこと。 「秋風洌洌」とも書く。
醜婦之仇(しゅうふのあだ)
邪な心を持っている臣下は、賢者や忠臣を憎く思うということ。 または、容姿の醜い女性は、美しい女性のことを憎く思うということ。 「美女は醜婦の仇なり」を略した言葉。
聚蚊成雷(しゅうぶんせいらい)
小さなものでも、数が多くなれば大きな力になるということ。 または、多くの人が同じ悪口を言うと害悪が発生するということのたとえ。 小さな虫の蚊でも、数多く集まれば羽音が雷のようになるという意味から。 「聚蚊(しゅうぶん)雷(らい)を成す」とも読む。
自由貿易(じゆうぼうえき)
国家による制約や保護を受けることなく、当人同士だけで行う輸出入。
自由放任(じゆうほうにん)
口を出したり、考えを押し付けたりせずに、それぞれに思うままにやらせること。 「放任」は物事の状況や人の行動などに一切手を出さずに、成り行きに任せること。 経済に関しては、企業や個人に対して、政府が統制や規制などの干渉をしないことをいう。
自由奔放(じゆうほんぽう)
周りのことを気にすることなく、自分が思ったことそのままに行動する様子。または、規範や世間の常識にとらわれることなく、思いのままに物事を行うこと。 「自由」は他を気にすることなく、思ったことをそのまま行うこと。 「奔放」は常識などに縛られることなく、思うままに行動すること。 「奔放自由」ともいう。
十万億土(じゅうまんおくど)
極楽浄土のこと。 「万」と「億」は非常に大きな単位のことで、「十万億」は距離が非常に離れていることのたとえ。 「土」は仏の土地という意味の仏土のこと。 極楽浄土は、この世から十万億の非常に遠い場所にある仏土のさらに先にあるということから。
雌雄未決(しゆうみけつ)
状況が落ち着いていないこと。 「雌雄」は、勝敗や優劣のこと。 勝敗や優劣が決まらないことから。 「雌雄(しゆう)未(いま)だ決(けっ)せず」とも読む。
周密精到(しゅうみつせいとう)
隅々まで行き届いていること。 「周密」と「精到」は、どちらも細かい場所まで注意が行き届いていることで、似た意味の言葉を重ねて強調したもの。
衆妙之門(しゅうみょうのもん)
全てのものが生まれ出るとされる門のこと。 「衆」は数が多いこと。 「妙」は様々な不思議な現象のこと。全てのもののことをいう。
自由民権(じゆうみんけん)
人は自由であり、平等に政治へ参加する権利を持っているという考え。 「民権」は普通の人々が政治に参加することのできる権利。 日本では、これを実現するために、明治時代の初期に政治運動が起こった。
襲名披露(しゅうめいひろう)
先代などの名前や、家名を受け継いだことを多くの人に知らせること。 「襲名」は名前や家名を受け継ぐこと。 「披露」は公に発表すること。
衆目環視(しゅうもくかんし)
たくさんの人たちが周りを取り巻いて見ていること。 「衆目」はたくさんの人たち。 「環視」は周りを取り巻いて見ること。
十目所視(じゅうもくしょし)
多数の人の意見や評価が一致することのたとえ。 十人が同じところをみることから。 「十目(じゅうもく)の視(み)る所(ところ)」とも読む。
終夜如歳(しゅうやじょさい)
秋の夜の時間は一年が経過したかのように長く感じられるということ。 「終夜(しゅうや)歳(とし)の如(ごと)し」とも読む。
十羊九牧(じゅうようきゅうぼく)
人口の割りに役人が多すぎることのたとえ。 十頭の羊に九人の羊飼いという意味から。
充閭之慶(じゅうりょのけい)
子どもが将来出世して、村の門が来客で満たされることを願う言葉。 「閭」は村の出入り口に設置されている門。 「慶」は喜び。 男子の誕生を祝う言葉として用いられる。
戢鱗潜翼(しゅうりんせんよく)
志を持ち続け、機会が来ることをひたすら待つことのたとえ。 「戢」はおさめることで、「戢鱗」は竜が鱗をおさめて動かないこと。 「潜翼」は羽を縮めて動かないこと。 「鱗(りん)を戢(おさ)め翼(よく)を潜(ひそ)む」とも読む。
秀麗皎潔(しゅうれいきょうけつ)
少しの汚れもなく、気品があって美しい様子。 「秀麗」はすぐれていて美しいこと。 「皎潔」は汚れが無く、清らかなこと。
秀麗皎潔(しゅうれいこうけつ)
少しの汚れもなく、気品があって美しい様子。 「秀麗」はすぐれていて美しいこと。 「皎潔」は汚れが無く、清らかなこと。
聚斂之臣(しゅうれんのしん)
重い税金を厳しく徴収して、人々を苦しめる役人のこと。 「聚斂」は重い税金を課して、厳しく徴収すること。
酒甕飯嚢(しゅおうはんのう)
能力も知識もない人のこと。 「甕」は物をいれる容器のかめ、「嚢」は袋。 酒を入れる甕(かめ)と飯を入れる袋のことから、酒を飲んで飯を食うだけの何の役にも立たない人のこと。 「飯嚢酒甕」ともいう。
取快一時(しゅかいいちじ)
その瞬間の快楽を優先し、一時的な満足を求める態度のこと。 「快(かい)を一時(いちじ)に取(と)る」とも読む。
酒家妓楼(しゅかぎろう)
居酒屋と遊郭のこと。 「酒家」は居酒屋。酒場。 「妓楼」は遊郭。色町。
主客転倒(しゅかくてんとう)
物事の優先順位、重要性の大小、立場などが逆転すること。 「主客」は主人と客のことから、主な物事とそれに関係する物事のたとえ。 「転倒」は逆さにすること。 主人と客の立場が逆転するという意味から。
儒家者流(じゅかしゃりゅう)
孔子の学問を受け継ぐ学問の流派。
樹下石上(じゅかせきじょう)
出家して行脚している人の境遇のたとえ。 行脚している僧は木の下や石の上を宿にして生活するという意味の仏教の言葉。 「石上樹下」ともいう。
裋褐不完(じゅかつふかん)
貧しくて粗雑な衣服を身に着けていること。 衣服が破れたままで整っていないことから。 「裋褐(じゅかつ)完(まった)からず」とも読む。
主義主張(しゅぎしゅちょう)
その組織や人が持ち続けている、意見や考えのこと。 「主義」は常に持ち続けている行動の指針。 「主張」は常に持ち続けている意見や考え。
主客転倒(しゅきゃくてんとう)
物事の優先順位、重要性の大小、立場などが逆転すること。 「主客」は主人と客のことから、主な物事とそれに関係する物事のたとえ。 「転倒」は逆さにすること。 主人と客の立場が逆転するという意味から。
縮衣節食(しゅくいせっしょく)
無駄遣いをしないようにすること。 衣服と食事を節約するという意味から。 「衣(ころも)を縮め食(しょく)を節す」とも読む。
夙興夜寝(しゅくこうやしん)
朝から夜遅くまでずっと仕事に精を出すこと。 「夙興」は朝早く起床すること。 「夜寝」は夜遅い時間に寝ること。 「夙(つと)に興(お)き夜(よわ)に寝(い)ぬ」とも読む。
熟思黙想(じゅくしもくそう)
心を落ち着かせて、しっかりと物事を考えること。 「熟思」はしっかりと考えること。 「黙想」は喋らずによく考えること。
宿執開発(しゅくしゅうかいほつ)
前世で積んだ善い行いの結果が、現世に現れること。 「宿執」は前世からの心の善悪の性質。 「開発」は実際に存在したり、発生したりすること。
縮手縮脚(しゅくしゅしゅくきゃく)
極めて寒く、手足が縮こまっていて伸びない様子。 または、周りを気にし過ぎて、物事を敢行できないこと。 手足が縮こまるという意味から。
淑女紳士(しゅくじょしんし)
高い教養と品格を持つ、礼儀正しい立派な男性と女性。 「淑女紳士」ともいう。
菽水之歓(しゅくすいのかん)
貧しい生活をしていても、両親へ孝行して喜ばせること。 「菽水」は質素な食事のたとえで、「菽」は豆のことをいい、豆の粥と水という意味から。 「歓」は喜ばせること。 孔子が弟子である子路に孝行を説いた故事から。
縮地補天(しゅくちほてん)
政治の構造を大きく変えること。 「地」は実際行われる政治。 「天」は政治の理念。 天子の政治改革をいう言葉で、現実にある様々な問題を引き締めて、政治理念との不足を補うという意味。 「地を縮め天を補う」とも読む。
熟読玩味(じゅくどくがんみ)
文章をしっかりと読んで、その意味を落ち着いてゆっくりと考えて味わうこと。 「熟読」は文章を繰り返し読んで、意味を十分に考えること。 「玩味」は食べ物の味をしっかりと感じながら食べるという意味で、文章の深い意味を読み取って味わうこと。 「熟読含味」とも書く。
熟読含味(じゅくどくがんみ)
文章をしっかりと読んで、その意味を落ち着いてゆっくりと考えて味わうこと。 「熟読」は文章を繰り返し読んで、意味を十分に考えること。 「玩味」は食べ物の味をしっかりと感じながら食べるという意味で、文章の深い意味を読み取って味わうこと。 「熟読含味」とも書く。
熟読三思(じゅくどくさんし)
しっかりと考えながら読んで、その内容を繰り返し考えること。 「熟読」は文章をしっかりと考えながら読むこと。 「三思」は何度も考えること。
夙夜夢寐(しゅくやむび)
一日中いつも思うこと。 朝早くから夜寝て夢の中でも思うという意味から。 「夢寐」は夢の見ている間のこと。
熟慮断行(じゅくりょだんこう)
不足がないようにしっかりと考え抜いた上で、固い決意を持って行動すること。 「熟慮」は不足がないようにしっかりと考えること。 「断行」は固い決意を持って行動すること。
主権在民(しゅけんざいみん)
国家を統治するための、最も大きな権力は国民が持っているという考え。 「主権」は国家の最も大きい権力。 「在民」は国民が持っているということ。
輸攻墨守(しゅこうぼくしゅ)
攻める方も守る方も知略を尽くして戦うこと。 「輸」は公輸盤、「墨」は墨子のことで、どちらも人の名前。 公輸盤が攻めて、墨子が守るという意味から。 宋を攻めようとしていた楚の公輸盤を墨子が机上の仮説で守り抜き、それを見て感嘆した楚王は、宋を攻めないことを誓ったという故事から。
酒食徴逐(しゅしちょうちく)
互いに招いたり招かれたりして、食事をしたりする仲のよい関係。 「徴逐」は友人が互いに招待し合うこと。
輸写心腹(しゅしゃしんぷく)
思ったことを全てそのまま打ち明けること。 「輸写」は心の中の全てを打ち明けること。 「心腹」は自分の心の最も深いところを明かすということ。 「心腹(しんぷく)を輸写(ゆしゃ)す」とも読む。
取捨選択(しゅしゃせんたく)
必要なものだけを取って、不必要なものを捨てること。 または、よいものだけを取って、悪いものを捨てること。 「取捨」の「取」は取ること、「捨」は捨てること。 「選択」は複数のものの中から、悪いものを避けてよいものを決めること。 取るものと捨てるものを選ぶという意味の言葉。
趣舎万殊(しゅしゃばんしゅ)
人によって行動が違うということ。 「趣舎」は進むことと退くこと。または、取ることと捨てること。 「万殊」はおのおのによって違うということ。 生き方には人それぞれに違いがあるということ。
珠襦玉匣(しゅじゅぎょっこう)
美しいもののたとえ。 「珠襦」は宝石を縫い合わせた裾の短い美しい服。 「玉匣」は宝石で飾りつけた美しい箱。 どちらも地位の高い人の死を送るために使ったとされている。
種種雑多(しゅじゅざった)
様々なものが数多く混ざり合っていること。 「種種」と「雑多」はいろいろなものがたくさんあるということで、似ている意味の言葉を重ねて強調したもの。
種種様様(しゅじゅさまざま)
いろいろな種類のものが入り交っている状態。また、その様子。
守株待兎(しゅしゅたいと)
古いしきたりを守ることにしばられて、融通がきかないこと。 または、思いがけない幸運が起こることを頼りにする愚かさのこと。 「守株」は切り株を見つめること。 「待兎」は兎を待つこと。 中国の春秋時代の宋の国で、偶然に木の切り株にぶつかって死んだ兎を手に入れた農夫は、それからずっと切り株を見つめて過ごし、畑が荒れ果てたという故事から。 「株(かぶ)を守りて兎(うさぎ)を待つ」とも読む。
種蕉学書(しゅしょうがくしょ)
学問に励むこと。 「種」は植物の種や苗を植えること。 「蕉」は植物の芭蕉(ばしょう)。 芭蕉を育て、その大きな葉に文字を書いて勉強することから。 中国の唐の時代の懐素(かいそ)は、紙を買うことができないほど貧しかったために、芭蕉を育てて紙の代わりにしたという故事から。 「蕉(しょう)を種(う)えて書(しょ)を学(まな)ぶ」とも読む。
衆生済度(しゅじょうさいど)
この世に生きている全てのものを迷いから救って、悟りを得させること。 仏教語。 「衆生」は生きている全てのもの。 「済度」は迷いから救い出し、悟りの境地へと導くこと。
酒色財気(しゅしょくざいき)
人が注意を払うべき四つのもの。 酒、好色、物欲、短気の四つをいう。
首施両端(しゅしりょうたん)
二つの中でどちらかに決めることができず、選べない曖昧な態度のたとえ。 または、情勢をみて、どうするか決めること。 ねずみが穴から顔を出して、きょろきょろと様子をうかがうという意味から。
朱脣皓歯(しゅしんこうし)
美人を言い表す言葉。 「朱脣」は赤い唇、「皓歯」は白い歯。 「朱唇皓歯」とも書く。
朱唇皓歯(しゅしんこうし)
美人を言い表す言葉。 「朱脣」は赤い唇、「皓歯」は白い歯。 「朱唇皓歯」とも書く。
酒酔酒解(しゅすいしゅかい)
二日酔いの気持ち悪さをごまかすために、酒を飲むこと。 酒の酔いを酒の酔いで解くという意味から。
守成尚文(しゅせいしょうぶん)
物事を受け継いでいくためには、武力よりも規則や教化によって治めるべきであるということ。 「守成」は物事を受け継いで守ること。 「尚」は尊ぶこと。 二代目の君主についていう言葉。 「守成(しゅせい)するに文(ぶん)を尚(たっと)ぶ」とも読む。
守節死義(しゅせつしぎ)
節操を頑なに守り、道義のために命を捨てること。 「義(ぎ)を守(まも)りて節(せつ)に死(し)す」とも読む。
殊俗帰風(しゅぞくきふう)
習慣や風習が違う国に移住して、その国の習慣や風習に従って染まること。 「殊俗」は習慣や風習が異なる国や土地、民族のこと。 「帰」は付き従うという意味。 「殊俗(しゅぞく)風(ふう)に帰す」とも読む。
寿則多辱(じゅそくたじょく)
長く生きることは、それだけ恥を晒すことが多くなるということ。 「寿(いのちなが)ければ則(すなわ)ち辱(はじ)多し」とも読む。
手足重繭(しゅそくちょうけん)
ひどく苦労すること。 「重繭」は手足にたこやまめが何度もできること。 たこやまめが何度もできるほど苦労するということから。
手足之愛(しゅそくのあい)
兄弟への愛情を表す言葉。 兄弟を自分の手足と同じくらい大切な存在としてたとえたもの。
手足無措(しゅそくむそ)
不安に駆られて慌てている様子。 「措」は落ち着くこと。 「手足(てあし)措(お)くところ無(な)し」とも読む。
首鼠両端(しゅそりょうたん)
二つの中でどちらかに決めることができず、選べない曖昧な態度のたとえ。 または、情勢をみて、どうするか決めること。 ねずみが穴から顔を出して、きょろきょろと様子をうかがうという意味から。
受胎告知(じゅたいこくち)
妊娠したことを知らせること。 キリスト教で天使ガブリエルが、聖母マリアの元へキリストを妊娠したことを告げた出来事から。
酒池肉林(しゅちにくりん)
極めて贅沢で豪勢な宴会のこと。 または、性的に乱れている宴会のこと。 「酒池」は酒で満たした池のこと。 「肉林」は林の木々に肉を吊るしたもの。 殷の暴君紂王が、酒池と肉林を用意してその中を裸にした男女に追いかけ回らせるという宴会を、昼も夜もなく何日にもわたって開いたという故事から。 「肉林」の”肉”という字には文字通り”肉”の意味しかなく、原文では酒池肉林の後に「男女を裸にして追いかけ回らせる」という意味の文があるため、酒池肉林という言葉自体には「性的に乱れている宴会」という意味は含まれておらず、そのような意味での用い方は本来は誤用である。
出于人表(しゅつうじんぴょう)
他の人よりも一際すぐれていること。 「人表(じんぴょう)に出(い)ず」とも読む。
述懐奉公(しゅっかいぼうこう)
不満などの愚痴をこぼしながら、主人や君主に仕えること。 「述懐」は愚痴を言うこと。 「奉公」は身をささげて仕えること。
述懐奉公(じゅっかいぼうこう)
不満などの愚痴をこぼしながら、主人や君主に仕えること。 「述懐」は愚痴を言うこと。 「奉公」は身をささげて仕えること。
出奇制勝(しゅっきせいしょう)
相手が思いつかないような策略を使って勝つこと。 「奇」は相手が思いつかないような策略、奇策。 「奇を出(い)だして勝ちを制す」とも読む。
出家遁世(しゅっけとんせい)
家族などとの縁を切り、世間から離れて、僧になること。 「出家」と「遁世」はどちらも家族などとの縁を切って、世間から離れて、僧になること。
出言不遜(しゅつげんふそん)
言葉遣いや話し方が偉そうで、他人を敬わない、無礼な人のこと。 「出言」は言葉を出すこと。または、言葉そのもののこと。 「不遜」は無礼なこと。
朮羹艾酒(じゅっこうがいしゅ)
もち粟が入っている吸い物とよもぎの入っている酒のこと。 「朮」は粟の一種類のもち粟のこと。 「羹」は肉や野菜の入っている吸い物。 「艾」はよもぎのこと。 古代中国の洛陽で、五月の節句を祝うものとされていた。
出口成章(しゅっこうせいしょう)
話し方が優れていることのたとえ。 口から発する言葉が整った文章になっていることから。 「口(くち)を出(い)ずれば章(しょう)を成す」とも読む。
出谷遷喬(しゅっこくせんきょう)
出世すること。 「遷喬」は高い木に移ること。 鳥が谷から出てきて高い木に移るということから、高い地位を手に入れることのたとえ。
十死一生(じゅっしいっしょう)
ほとんど助かる見込みがない状況でかろうじて助かること。
述而不作(じゅつじふさく)
昔の人の説を伝えるだけで、むやみに自身の考えを作らないこと。 『論語』「述而篇」の冒頭の言葉で、孔子が自身の学問への態度について述べたもの。 「述べて作らず」ともいう。
出将入相(しゅっしょうにゅうしょう)
学問と武術の両方の才能があること。 朝廷から外に出ると将軍として力を発揮して、朝廷の中に入れば宰相として力を発揮するということから。 「出(い)でては将(しょう)、入(い)りては相(しょう)」とも読む。
出処進退(しゅっしょしんたい)
現在の職に留まるか、辞めるかという身の振り方のこと。 または、役人として国に仕えることと、役人を辞めて民間人になること。 「出」は世に出て仕えること。 「処」は公の仕事を辞めて家にいること。 「進退」は職を続けることと辞めること。身の振り方。
出人意表(しゅつじんいひょう)
他人が予想出来ないことをすること。意表を突くこと。 「意表」は思いもよらないこと。意外。 「人(ひと)の意表(いひょう)に出(い)ず」とも読む。
出世本懐(しゅっせのほんがい)
釈迦がこの世界に現れた本当の目的。 「出世」は釈迦がこの世界に現れること。 「本懐」はもともとの望み。 全ての人々を救って成仏させようという意志や、浄土へ導こうとする意志のこと。
出頭露面(しゅっとうろめん)
多くの人たちの前に姿を見せること。または、名前が広く知られること。
出納之吝(しゅつのうしりん)
いずれ与えなければいけないのに、出し惜しみをして渋ること。 孔子が言った四つの暴政の中の一つ。 「出納(すいとう)の吝(やぶさ)かなる」とも読む。
出没自在(しゅつぼつじざい)
自由に現れたり隠れたりすること。 または、何の兆しもなく、突然現れたり隠れたりすること。 または、自在に出没するために、所在がわからないこと。 「出没」は現れたり、消えたりすること。 「自在」は思った通りにできること。
出藍之誉(しゅつらんのほまれ)
弟子が師匠を超えること。 または、学問をすることで人は良い方向に向上するということ。 青い染料は藍の葉から作るが、布を染めることで藍よりも青くなるということから。 「青は之を藍より取りて藍よりも青し」から出来た言葉。
出離生死(しゅつりしょうじ)
生と死の苦しみから離れて、悟りの境地を得ること。 仏教の言葉で、生と死の迷いの世界から離れるということから。
出類抜萃(しゅつるいばっすい)
同じ仲間の中のすぐれたものの中でも、さらに一際すぐれていること。 「出類」は同じ種類の中で、すぐれている人を選ぶこと。 「抜萃」はすぐれたものの中から、一際すぐれているものを選ぶということ。 「類より出(い)でて萃(すい)に抜く」とも読む。
殊塗同帰(しゅとどうき)
手段や方法など道筋は違っていても、結果や結論は同じところにたどり着くこと。 「殊塗」は異なる道筋のこと。 「同帰」は同じところに状態や結果が落ち着くこと。 「同帰殊塗」ともいう。
酒入舌出(しゅにゅうぜっしゅつ)
酒に酔いすぎると口数が多くなって、失言する恐れがあるということを戒めた言葉。 中国の春秋時代の斉の桓公は、大臣たちに酒を振る舞った時に、宰相の管仲は半分ほど飲んで捨てたのを見て、それを咎めると、「酒に深く酔うと失言する恐れがあり、失言して身を捨てるよりは酒を捨てるほうがよい」と答えたという故事から。 「酒(さけ)入(い)れば舌(した)出(い)ず」とも読む。
酒嚢飯袋(しゅのうはんたい)
能力も知識もない人のこと。 「嚢」は袋のこと。 酒を入れる袋と飯をいれる袋という意味から。 飯を食い、酒を飲むだけの何の役にも立たない人のことをいう。
首尾一貫(しゅびいっかん)
最初から最後まで、態度や方針を変えずに貫き通すこと。 「首」は頭という意味。 「首尾」は頭から尾までのこと。転じて、始めから終わりまでという意味。 「一貫」は貫き通すこと。
首尾皆救(しゅびかいきゅう)
攻撃を受けた時に、互いに連絡をとって助け合うこと。 「首尾(しゅび)皆(とも)に救う」とも読む。
首尾貫徹(しゅびかんてつ)
初めから終わりまで態度や方針を変えないこと。 「首尾」は頭から尾までのこと。転じて、始めから終わりまでという意味。 「貫徹」は貫き通すこと。
首尾倶至(しゅびくし)
敵の攻撃に対して前後の部隊が素早く対処すること。 軍隊の動かし方が優れている様子。または、詩文の前後が呼応していることのたとえ。 「首尾(しゅび)倶(とも)に至(いた)る」とも読む。
寿比南山(じゅひなんざん)
長生きを祝うこと。 「寿(じゅ)は南山(なんざん)に比(ひ)す」とも読む。
寿福無疆(じゅふくむきょう)
長寿と幸福がいつまでも続くことを願う言葉。 「無疆」はいつまでも続くこと。
手不釈巻(しゅふしゃくかん)
勉学に励むこと。 手から書物を離すことなく、読み続けることから。 中国の後漢の時代の光武帝は、戦場でも書物を手放さなかったという故事から。 「手(て)、巻(かん)を釈(す)てず」とも読む。
手舞足踏(しゅぶそくとう)
うれしくて小躍りして喜ぶこと。 「手舞」は手を動かして踊ること。 「足踏」は地面を踏んで音を出すこと。 どちらも踊りを言い表す言葉。 「手の舞い足の踏むを知らず」を略した言葉。
手忙脚乱(しゅぼうきゃくらん)
忙しくて慌てふためいている様子。
授方任能(じゅほうにんのう)
仕事の方法や規範などを教え、有能な人材に官職を与えること。 君主がやるべきことをいう。 「方(ほう)を授(さず)け能(のう)に任(にん)ず」とも読む。
入木三分(じゅぼくさんぶ)
筆勢が非常に強いこと。 または、物事を深くまで的確に追究すること。 「入木」は木に染み込むこと。 「三分」は長さのことで約七ミリのこと。 書家の王羲之は筆勢が強いことで知られていて、文字を記した木を削ってみると、三分の深さまで墨が染み込んでいたという故事から。 書道の別称「入木道(じゅぼくどう)」の語源。
朱墨爛然(しゅぼくらんぜん)
学問や読書に精を出すこと。 「朱墨」は朱色の墨。 「爛然」は鮮やかで美しいこと。 朱色の墨で書物に様々なことを書き込んでいて、鮮やかで美しいという意味から。
孺慕之思(じゅぼのおもい)
幼い子供が親を慕うこと。 または、他人にそのような感情を抱くこと。 「孺」は幼い子供のこと。 幼い子供が親を慕って泣き叫ぶのを見た、孔子の弟子である有子と子游が言ったという故事から。
朱門之家(しゅもんのいえ)
身分が高く裕福な人が暮らす家。 中国の唐の時代には、高貴で金持ちな人の家の門は赤色に塗られていたことから。
修羅苦羅(しゅらくら)
怒りや嫉妬で心が激しく揺れ動く様子。 または、激しくいらだつこと。 「修羅」は好戦的な神の阿修羅の略称。 「苦羅」は意味を強調するための言葉。 怒り狂う阿修羅のように心が揺れ動くという意味から。
修羅妄執(しゅらのもうじゅう)
阿修羅のように高慢で執着心が強く、教化を全く受け入れないこと。 仏教の言葉。
儒林棟梁(じゅりんのとうりょう)
儒学者の世界で上にたって、重い責任を担っている人。 「儒林」は儒学を学んだり、研究している仲間のこと。 「棟梁」は人をまとめて率いる人、統率者のこと。
珠聯璧合(しゅれんへきごう)
才能のある多くの人材が一つのところに集まること。 または、結婚を祝う言葉。 たくさんの宝石が連なりあうという意味から。 「珠連璧合」とも書く。
珠連璧合(しゅれんへきごう)
才能のある多くの人材が一つのところに集まること。 または、結婚を祝う言葉。 たくさんの宝石が連なりあうという意味から。 「珠連璧合」とも書く。
株連蔓引(しゅれんまんいん)
全ての関係した者を罰すること。 「株連」は植物の根のひとつのまとまりのこと。 「蔓引」は蔓を引いて抜くこと。 植物の蔓を引いて、根のまとまりを一気に引き抜くという意味から。
春蛙秋蝉(しゅんあしゅうぜん)
何の実質的な内容もなく、ただ騒々しいだけの言論のたとえ。 春の蛙(かえる)や秋の蝉(せみ)のように、うるさく鳴き続けるだけで何の役にも立たないとの意から。
純一無雑(じゅんいつぶざつ)
他の物がまったく混ざってない様子。 または、邪心や偽りなどが一切無く純粋なこと。 「純一」や「無雑」はどちらも他のものが全く混ざっておらず純粋であるという意味で、同じ意味の語を重ねて強調した言葉。 「純一(じゅんいつ)にして雑(まじ)ること無し」とも読む。
純一無雑(じゅんいつむざつ)
他の物がまったく混ざってない様子。 または、邪心や偽りなどが一切無く純粋なこと。 「純一」や「無雑」はどちらも他のものが全く混ざっておらず純粋であるという意味で、同じ意味の語を重ねて強調した言葉。 「純一(じゅんいつ)にして雑(まじ)ること無し」とも読む。
春蚓秋蛇(しゅんいんしゅうだ)
下手な文字のこと。 「蚓」はみみずのこと。 春のみみずや秋の蛇がうねって動いた後のような文字ということから。
春花秋月(しゅんかしゅうげつ)
自然の美しさのたとえ。 「春花」は春に咲く花。 「秋月」は秋の夜空の月。 春の花、秋の月が見られる季節はきわめて美しいとされる。
春華秋実(しゅんかしゅうじつ)
人の外見の美しさと内面の優れた性質のたとえ。 春に咲く美しい花が人の外見の美しさを、秋に実る豊かな実が内面の優れた性質を表した言葉。
春夏秋冬(しゅんかしゅうとう)
春、夏、秋、冬の四つの季節、四季。 または、一年中という意味。
春寒料峭(しゅんかんりょうしょう)
春になって暖かくなった後に寒さが戻ってきて、春の風が冷たく感じること。 「春寒」は春になって、一度暖かくなった後に戻ってきた寒さのこと。 「料峭」は肌寒いこと。
循規蹈矩(じゅんきとうく)
規則を守り続けて行動すること。 「循」は従って行うこと。 「規」は円を描くときに使うコンパスのこと。 「蹈」は守ることを守りながら行動すること。 「矩」は四角形を描く時に使う曲尺。 変化や変革を嫌う人のたとえとしても使われる。 「規(き)に循(したが)い矩(のり)を蹈(ふ)む」とも読む。
順逆一視(じゅんぎゃくいっし)
人生の本質を見通し、幸不幸に振り回されないこと。 「順逆」は幸せと不幸せ。 「一視」は同じものとして見ること。 人生の幸せと不幸せを同じものとして見て、感情をこえた境地に立つこと。
純潔清浄(じゅんけつしょうじょう)
汚れが全くない、真っ白な心のこと。 「純潔」は清らかなこと。 「清浄」は穢れが全く無いこと。 似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。
純潔無垢(じゅんけつむく)
汚れが全くない、真っ白な心のこと。 「純潔」は清らかなこと。 「無垢」は穢れが全く無いこと。 似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。
蓴羹鱸膾(じゅんこうろかい)
故郷のことを懐かしいと思う気持ちのこと。 または、故郷の懐かしい味のこと。 「蓴羹」はじゅんさいの吸い物。 「鱸膾」は魚のすずきのなます。 中国の晋の張翰は、故郷の食事であるじゅんさいの吸い物と、すずきのなますが恋しくなり、官職を辞めて洛陽から帰郷したという故事から。
徇国死義(じゅんこくしぎ)
国の危難に迫られても、筋を曲げることなく死を選ぶこと。 「国(くに)に徇(したが)いて義(ぎ)に死す」とも読む。
舜日尭年(しゅんじつぎょうねん)
世の中が平和で穏やかなこと。 「尭」と「舜」はどちらも古代中国の伝説の聖天子のこと。 尭帝と舜帝が世の中を治めていた平和な年月のことから。 「舜日尭年」ともいう。
春日遅遅(しゅんじつちち)
春の日が心地よく、のんびりとしている様子。 または、春の日が長く、日が暮れるまでの時間が長いこと。 「春日」は春の太陽。 「遅遅」は時間がのんびりと過ぎていくこと。
春日遅々(しゅんじつちち)
春の日が心地よく、のんびりとしている様子。 または、春の日が長く、日が暮れるまでの時間が長いこと。 「春日」は春の太陽。 「遅遅」は時間がのんびりと過ぎていくこと。
徇私舞弊(じゅんしぶへい)
不正なことをして、法律などを捻じ曲げることで、それを正しいことにすること。 「徇私」は自身の利益だけを追い求めること。 「舞弊」は法律や規則を、自分の都合がよいように歪めること。 主に、官吏が個人の利益のために不正を行い、法や規制をまげて罪にならないようにすることをいう。
春愁秋思(しゅんしゅうしゅうし)
春の日に感じる憂鬱と、秋に感じる寂しさのこと。 心地よい気候のときに急に気が塞いだり、寂しくなったりすることをいう。
春秋筆法(しゅんじゅうのひっぽう)
簡潔な言葉や、文字の中に批評などの深い意味を隠す表現方法のこと。 または、平等で厳しい批評の態度のこと。 間接的な表現を使って真意を説くことをいう。 「春秋」は書物の名前で、中国の魯の国の歴史書を孔子が編集したとされる。 『春秋』の中には、簡潔な文章の中に、孔子の歴史批判が込められているということから。
春樹暮雲(しゅんじゅぼうん)
遠く離れた地にいる友人を思う切実な心をいう言葉。 中国の唐の時代の詩人の杜甫が、友人の李白を思って作った詩から。
春宵一刻(しゅんしょういっこく)
春の夜は何よりも風情があり、春の夜のひとときには非常に大きな価値があるということ。 「春宵」は春の夜。 「一刻」はすこしの時間のこと。 「春宵一刻値千金」を略した言葉。
純情可憐(じゅんじょうかれん)
邪念や私欲などがなく清らかで、素直で愛らしいこと。 「純情」は心が清らかで素直なこと。 「可憐」はいじらしく愛らしいこと。 主に少女に対して使う言葉。
純真可憐(じゅんしんかれん)
邪念や私欲などがなく清らかで、素直で愛らしいこと。 「純真」は心が清らかで素直なこと。 「可憐」はいじらしく愛らしいこと。 主に少女に対して使う言葉。
純真無垢(じゅんしんむく)
邪念や私欲などのない清らかな心を持っていること。 または、自然のままで飾り気のない様子のこと。 「純真」と「無垢」はどちらも清らかで汚れのないという意味。 同じ意味の言葉を重ねて強調した言葉。 主に子供のことをいう言葉。
順水推舟(じゅんすいすいしゅう)
情勢に合わせてやり方などを変え、うまく物事を成し遂げることのたとえ。 川の流れに逆らわずに舟を進めることから。 「水(みず)に順(したが)いて舟(ふね)を推(お)す」とも読む。
純精無雑(じゅんせいむざつ)
わずかな汚れもなく、混じり気のない様子。 「純精」と「無雑」はどちらも純粋という意味で、似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。
駿足長阪(しゅんそくちょうはん)
すぐれた能力を持っている人が、自分の才能を試すために、難しいことに挑んでみたいと思うこと。 「駿足」は速く走ることができる馬。 「長阪」は長い距離のある坂道。 速く走ることができる馬は、長く険しい坂道を駆けてみたいと思うという意味から。 「駿足長阪を思う」を略した言葉。 「駿足長坂」とも書く。
駿足長坂(しゅんそくちょうはん)
すぐれた能力を持っている人が、自分の才能を試すために、難しいことに挑んでみたいと思うこと。 「駿足」は速く走ることができる馬。 「長阪」は長い距離のある坂道。 速く走ることができる馬は、長く険しい坂道を駆けてみたいと思うという意味から。 「駿足長阪を思う」を略した言葉。 「駿足長坂」とも書く。
瞬息万変(しゅんそくばんぺん)
極めて変化に富んでいて、速いこと。 「瞬息」はほんの少しの時間。 「万変」は多様に変化すること。 一度瞬きをして、一度呼吸をする時間で様々な変化をするという意味から。
春朝秋覲(しゅんちょうしゅうきん)
主君に対する礼をいう言葉。 「朝」は春に主君へ参内して謁見すること。 「覲」は秋に主君へ領地で収穫した作物などを献上すること。
峻抜雄健(しゅんばつゆうけん)
一際力強い様子。 「峻抜」は高く険しい山が一際高く立っているように、高くぬきんでていること。 「雄健」は力強く、勢いがある様子。
春風夏雨(しゅんぷうかう)
人々に対して、その時その時に応じた恵みを与えること。 春の風は温かさを与え、夏の雨は涼しさを与えるということから。
春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)
特に目立ったこともなく、平和で穏やかな様子。 または、穏やかでのんびりとした性格や態度のこと。 「春風」は春の穏やかな風。 「駘蕩」はのんびりと落ち着いている様子。
春風得意(しゅんぷうとくい)
仕事や出世にこれといった問題がなく順調なこと。 「得意」は願いどおりに物事が運ぶこと。 望みが叶うことを春の風の心地よさにたとえた言葉。 中国の唐の時代、孟郊が科挙に合格した喜びを表現した詩の一説から。
醇風美俗(じゅんぷうびぞく)
他人への思いやりのある、美しく望ましい風俗や習慣。 「醇風」は人への思いやりのある習慣。 「美俗」は美しい習慣。 「淳風美俗」とも書く。
淳風美俗(じゅんぷうびぞく)
他人への思いやりのある、美しく望ましい風俗や習慣。 「醇風」は人への思いやりのある習慣。 「美俗」は美しい習慣。 「淳風美俗」とも書く。
春風風人(しゅんぷうふうじん)
その時々に応じた恵みを大衆に与えること。 春に風を吹かせて温かくすることから。 「春風(しゅんぷう)、人(ひと)を風(ふう)する」とも読む。
順風満帆(じゅんぷうまんぱん)
特に問題が起きることなく、思い通りに物事が進んでいくこと。 「順風」は追い風。 「満帆」は船の帆をいっぱいに張ること。 船の帆が追い風を受けていっぱいに張り、順調に進んでいくという意味から。
春蕪秋野(しゅんぶしゅうや)
春の雑草と秋の野原のこと。 「春蕪」は春の雑草のこと。または、香草のこと。 現実離れした風流な文人の境地をいう。
循名責実(じゅんめいせきじつ)
名前と実質が伴っているか調べ考えること。 「責実」は実績を求めること。 行動や口実が職分に合っているかをしっかりと調べて考えることをいう。 「名(な)に循(したが)い実(じつ)を責(せ)む」とも読む。
春蘭秋菊(しゅんらんしゅうぎく)
二つのものが同じくらい美しく、優劣をつけられないこと。 春の蘭と秋の菊のことで、どちらも美しいということから。 二人の女性の美しさを言い表すときに使うことが多い言葉。
春露秋霜(しゅんろしゅうそう)
春の露と秋の霜のこと。 春の露は恩恵、秋の霜は威厳のたとえ。
春和景明(しゅんわけいめい)
春の日の天候が穏やかで、日の光が明るいこと。 「春和」は春になって穏やかになった気候。 「景明」は日光が明るい様子。 「春(はる)和(やわら)ぎ景(けい)明らか」とも読む。
諸悪莫作(しょあくまくさ)
悪事を働くことを戒める言葉。 「莫」は否定を意味する言葉。 「七仏通戒偈」の冒頭の一句。 様々な悪事を悪い行いをしない、してはならないということ。
如暗得灯(じょあんとくとう)
迷いのある人間が仏道に入門すること。 真っ暗な場所で先を照らす明かりを得ることから。 仏教の言葉。 「暗(あん)に灯(とう)を得(う)る如(ごと)し」とも読む。
叙位叙勲(じょいじょくん)
位階を授与したり、勲等を与えて勲章を授与したりすること。 「叙」は授けるという意味。
上医医国(じょういいこく)
すぐれた医者は、人の病気を治すだけではなく、国の乱れを正すものだということ。 「上医」はすぐれた技術をもつ名医という意味から、才能のある政治家のたとえ。 「上医(じょうい)は国を医(い)す」とも読む言葉で、すぐれた政治家の心得をいう。
上意下達(じょういかたつ)
上の者の意志や命令などを、下の者にしっかりと伝えること。 「上意」は君主の命令という意味から、上の者の意志や命令のこと。 「下達」は下の者に伝えること。
宵衣旰食(しょういかんしょく)
夜が明ける前から衣服を身に着けて夜遅くに夕食を取ることから、為政者が早朝から夜遅くまで懸命に政治に取り組むこと。 「宵」は夜が明ける前。 「旰」は日が暮れる頃。または、深夜。 「旰食宵衣」ともいう。
情意投合(じょういとうごう)
お互いの意志や気持ちが通じること。 「情意」は気持ちや意志のこと。 「投合」はぴったりと一つに合うこと。
冗員淘汰(じょういんとうた)
必要のない人員を減らして整えること。 「冗員」は不必要な人員のこと。 「淘汰」は必要なものと、必要のないものを選んで必要のないものを捨てること。
渉于春氷(しょううしゅんぴょう)
危険だとわかっていながらそれを行うこと。 春になって溶け始めた川の氷の上を歩くことから。 「春氷(しゅんぴょう)を渉(わた)る」とも読む。
上雨旁風(じょううぼうふう)
ひどく荒れた状態で、傷み切った家。 上からは雨が入ってきて、横からは風が入ってくることから。 「旁」は横という意味。
晶瑩玲瓏(しょうえいれいろう)
透き通っていて、宝石のように美しいこと。 「晶瑩」は透き通っている様子。 「玲瓏」は宝石のように美しく輝く様子。
上援下推(じょうえんかすい)
上の人から目をかけられ、下のものから推薦されること。 「援」は引き上げるという意味。 「推」は推す、推薦するという意味。
硝煙弾雨(しょうえんだんう)
この上なく激しい戦闘の様子。 「硝煙」は火薬の煙。 「弾雨」は弾丸が雨のように降り注ぐこと。
彰往察来(しょうおうさつらい)
昔の出来事を明らかにして、これから先のことを予測すること。 「彰」は明らかにするという意味。 「察」は様々な事情を考えること。 「往(おう)を彰(あきら)かにして来(らい)を察す」とも読む。
上下一心(しょうかいっしん)
地位や身分にこだわらず、目的を果たすために団結すること。 全ての人が団結して取り組めば、どんな困難も乗り越えることができるという教え。 「上下(しょうか)心(こころ)を一(いつ)にす」とも読む。
将蝦釣鼈(しょうかちょうべつ)
少しの費用や労力で大きな利益を得ること。 海老を餌にしてすっぽんを釣ることから。 「将」は使うこと。 「蝦」は海老。 「鼈」はカメ目スッポン属の動物。 「蝦(えび)を将(もっ)て鼈(べつ)を釣る」とも読む。
上下天光(しょうかてんこう)
空も水面も光り輝いていること。 「上下」は空と水面のこと。 「天光」は空全体に広がる日の光のことで、ここでは、水面に反射した日の光のこともいう。
城下之盟(じょうかのちかい)
敵に敗北して結ばされる、最も屈辱的な講和条約のこと。 または、敵の城下に攻め込んで、講和条約を結ぶこと。 「城」は町を守るための城壁のこと。 「盟」は講和条約のこと。
城下之盟(じょうかのめい)
敵に敗北して結ばされる、最も屈辱的な講和条約のこと。 または、敵の城下に攻め込んで、講和条約を結ぶこと。 「城」は町を守るための城壁のこと。 「盟」は講和条約のこと。
消化不良(しょうかふりょう)
胃や腸の働きが鈍くなり、食物の消化がうまくいかないこと。 または、知識や技術をうまく使いこなせないことのたとえ。 「消化」は食べ物を吸収しやすいように、胃や腸で分解すること。 「不良」は状態が悪いこと。
小家碧玉(しょうかへきぎょく)
貧しい家庭で生まれ育った、美しい容姿の女性のたとえ。 または、貧しい家庭にある宝物のこと。 「小家」は貧しく卑しい家という意味で、自身の家を謙遜していう言葉。 「碧玉」は青い色の宝石。または、中国の東晋の汝南王の愛人の名前。
承顔順旨(しょうがんじゅんし)
相手の顔色を窺って媚びへつらうこと。 「承顔」は相手の顔色を窺って、それに従うこと。 「順旨」は相手の気持ちや考えに従うこと。 「顔(かお)を承(う)け旨(し)に順(したが)う」とも読む。 「承顔順指」とも書く。
承顔順指(しょうがんじゅんし)
相手の顔色を窺って媚びへつらうこと。 「承顔」は相手の顔色を窺って、それに従うこと。 「順旨」は相手の気持ちや考えに従うこと。 「顔(かお)を承(う)け旨(し)に順(したが)う」とも読む。 「承顔順指」とも書く。
傷弓之鳥(しょうきゅうのとり)
失敗や災難を経験して、必要以上に怖がって慎重になっている人のたとえ。 「傷弓」は矢で射られて怪我をすること。 矢で射られて怪我をしたことがある鳥という意味から。 中国の更羸が魏王の前で矢を射ることなく、弦の音だけで雁を落とした。 それに驚いた魏王に更羸は、あの雁は一度矢で射られて怪我をしたことがあり、弓の音に怯えた雁は、高く飛ぼうとして古傷が痛んで落ちたと言ったという故事から。
状況証拠(じょうきょうしょうこ)
その物事の背景や関係などから推定することによって、間接的に根拠となるもの。
松喬之寿(しょうきょうのじゅ)
老いることなく、いつまでも生きること。 長寿や長命のたとえ。 「松喬」は人の名前で、中国の伝説の仙人の赤松子と王子喬の二人のこと。
消極主義(しょうきょくしゅぎ)
物事に積極的に取り組もうとせず、進んで行動はしない方針。
章句小儒(しょうくしょうじゅ)
経典の一つの語句や、一つの文字の解釈にばかりこだわって、経典に書かれている一番大切なことを理解しない人のこと。 主に愚かな儒学者に対していう言葉。 「小儒」はくだらない儒学者ということ。
上求菩提(じょうぐぼだい)
菩薩がさらに高みを望んで、完全な悟りの境地を求めること。 仏教の言葉で、仏教の修行者の菩薩が、自身が仏になるために、煩悩を捨て去った悟りの境地である菩提を求めるという意味から。
上下一心(じょうげいっしん)
地位や身分にこだわらず、目的を果たすために団結すること。 全ての人が団結して取り組めば、どんな困難も乗り越えることができるという教え。 「上下(しょうか)心(こころ)を一(いつ)にす」とも読む。
笙磬同音(しょうけいどうおん)
人々が心を合わせて協調し、仲良くする様子のたとえ。 「笙」と「磬」はそれぞれ古代中国の管楽器と打楽器。 「同音」はこれらの楽器が協調して美しい音を作り出すこと。 「笙磬(しょうけい)音(いん)を同じくす」とも読む。
小隙沈舟(しょうげきちんしゅう)
些細なことでも軽く見ないで、慎重に取り組むべきであるという戒めの言葉。 「小隙」は少しの隙間。 「沈舟」は舟が沈没すること。 少しの隙間でも、その部分から水が入って舟が沈没してしまうので、少しの隙間にも気をつけるべきであるということから。 「小隙(しょうげき)舟を沈む」とも読む。
浄潔快豁(じょうけつかいかつ)
不満や不平などが全く無く、さっぱりとしている様子。 「浄潔」は清らかで潔いこと。 「快豁」はさっぱりとしていて、大らかなこと。
章決句断(しょうけつくだん)
文章を章と句に分け、それぞれの内容を一つ一つ明確に決めること。
上下天光(じょうげてんこう)
空も水面も光り輝いていること。 「上下」は空と水面のこと。 「天光」は空全体に広がる日の光のことで、ここでは、水面に反射した日の光のこともいう。
銷遣之具(しょうけんのぐ)
憂さを晴らす方法。 「銷遣」は憂さ晴らしをすること。 「消遣之具」とも書く。
消遣之具(しょうけんのぐ)
憂さを晴らす方法。 「銷遣」は憂さ晴らしをすること。 「消遣之具」とも書く。
条件反射(じょうけんはんしゃ)
一定の刺激を与えると、決まって引き起こされる、後から身についた決まった体の反応のこと。 「反射」は意識せずに引き起こされる体の反応のこと。 ソビエト連邦の生理学者のイワン・パブロフによって発見された。
証拠隠滅(しょうこいんめつ)
真実を証明できるものを隠したり、消したりすること。 「隠滅」は目に付かないようにしたり、消したりすること。 主に裁判のときに不利になるようなものを失くすことをいう。
上行下効(じょうこうかこう)
上の立場の人が行動すると、下の立場の人はそれを見て学ぶということ。 「効」は教わることや、真似をすること。 「上(かみ)行えば下(しも)効(なら)う」とも読む。
焦熬投石(しょうごうとうせき)
ひどく壊れやすいことのたとえ。 「焦熬」は焦がして煎ること。または、焦がしたもの。 「投石」は石に投げてぶつけること。 焦がしたものは壊れやすく、石に投げつけるとすぐに壊れるという意味から。 「焦熬(しょうごう)もて石(いし)に投ず」とも読む。
照顧脚下(しょうこきゃっか)
他人の批判をする前に、自分の過去の言動を見つめ直してよく考えるべきであるという自己反省の教え。 または、身近なことこそ気をつけるべきという戒め。 もとは禅宗の言葉。 「脚下」は足もとのこと。 「照顧」は反省することや、しっかりと見ること。 「照顧脚下」ともいう。
小国寡民(しょうこくかみん)
国の領土が狭く、人口が少ないこと。 「寡」は少ないという意味。 国家の理想像として老子が唱えた言葉。
尚古思想(しょうこしそう)
古代の文化や制度に深い敬意を抱き、現代においても模範として取り入れようとする思想。
城狐社鼠(じょうこしゃそ)
君主や権力者の威光を笠にきて悪事を働く者のたとえ。 「城狐」は城に住んでいるきつね。 「社鼠」は神社などの社に住んでいるねずみ。 そのような動物を駆除するためには、その場所を壊さないといけないので、悪いことをしても駆除することが難しいことから。 「社鼠城狐」ともいう。
尚古趣味(しょうこしゅみ)
現代にはない良さを昔に感じ、当時のものを好むこと。
常在戦場(じょうざいせんじょう)
物事に取り組むときの心得。 戦場にいる感覚で、いつも気を引き締めて行うべきであると説いた言葉。 「常に戦場に在(あ)り」とも読む。
将錯就錯(しょうさくしゅうさく)
間違いに間違いを重ねること。 または、仏教の言葉では、間違っていることを間違っていると認識することをいう。 仏教の言葉で、「将」は「…をもって」という意味。 「錯」は間違いのこと。 「錯(しゃく)を将(もっ)て錯(しゃく)に就く」とも読む。
勝残去殺(しょうざんきょさつ)
残酷な人を感化し、悪行を犯さないように改善することで、死刑の必要性をなくすこと。 「残(ざん)に勝ち殺(さつ)を去(さ)る」とも読む。
商山四皓(しょうざんしこう)
乱世を避けて、商山に隠遁した四人の老人のこと。 「商山」は中国にある山の名前。 「四皓」はあごひげと眉が白い四人の老人のこと。 中国の秦の時代、東園公、夏黄公、ロク里先生、綺里李の四人が乱世を避けて商山に隠遁したという故事から。 「商山四皓図」とも言われ、水墨画の画題としてよく使われる。
商山四皓(しょうざんのしこう)
乱世を避けて、商山に隠遁した四人の老人のこと。 「商山」は中国にある山の名前。 「四皓」はあごひげと眉が白い四人の老人のこと。 中国の秦の時代、東園公、夏黄公、ロク里先生、綺里李の四人が乱世を避けて商山に隠遁したという故事から。 「商山四皓図」とも言われ、水墨画の画題としてよく使われる。
常山蛇勢(じょうざんのだせい)
隙が無いことのたとえ。 または、文章の初めから終わりまで一貫していることのたとえ。 「常山」は中国の河北省にある山のこと。 兵法で、前後の陣や、左右の陣が互いに呼応して戦う隙のない戦法のこと。 常山に住んでいるとされる両頭の蛇は、頭を攻撃すれば尾で反撃して、尾を攻撃すれば頭で反撃して、体を攻撃すれば頭と尾で反撃するので隙が無いということから。
正直一遍(しょうじきいっぺん)
正直な性格であるものの、それ以外に特に取り柄がないこと。
生死事大(しょうじじだい)
生か死かは最も大切な問題だが、今生きていることが最も大切であるということ。 禅宗の言葉で、生と死を繰り返して悟りを得ることは大切だが、悟りを得るのは、今生きている間しかないので、今を生きることが最も大切であるということ。
冗詞贅句(じょうしぜいく)
詩や文章の中にある必要のない語句。
笑止千万(しょうしせんばん)
この上なくくだらないこと。 または、ひどく気の毒なこと。 「笑止」はくだらないこと。または、気の毒なこと。 「千万」は程度がこの上なく高いこと。
生死不定(しょうじふじょう)
人の一生は儚いということ。 仏教の言葉で、人はいつ生まれて、いつ死ぬかは決まってないのでわからないという意味から。
生死無常(しょうじむじょう)
人の一生が儚いことのたとえ。 「無常」は仏教の言葉で、世の中が変化しやすいということ。
生死妄念(しょうじもうねん)
いつまでも心の迷いから抜け出すことができないこと。 「生死」は生まれ変わり続けることで、迷いの世界で生まれて死ぬことを繰り返すということをいい、永遠に迷い続けるということ。 「妄念」は煩悩から引き起こされる邪な思いや、誤った考えのこと。
正笏一揖(しょうしゃくいちゆう)
重々しく礼儀正しい振る舞いをして、相手に敬意を示すこと。 「正笏」は束帯を身に付けた時に右手に持つ笏を正しく持つ振る舞いのこと。または、そこから礼儀正しいことのたとえ。 「一揖」は軽くお辞儀をすること。
将錯就錯(しょうしゃくしゅうしゃく)
間違いに間違いを重ねること。 または、仏教の言葉では、間違っていることを間違っていると認識することをいう。 仏教の言葉で、「将」は「…をもって」という意味。 「錯」は間違いのこと。 「錯(しゃく)を将(もっ)て錯(しゃく)に就く」とも読む。
銷鑠縮栗(しょうしゃくしゅくりつ)
意気がなくなり、恐れて小さくなること。 「銷鑠」は金属が溶けるという意味から、意気がなくなるということのたとえ。 「縮栗」は体をすくめて小さくなって恐れること。 「消鑠縮栗」とも書く。
消鑠縮栗(しょうしゃくしゅくりつ)
意気がなくなり、恐れて小さくなること。 「銷鑠」は金属が溶けるという意味から、意気がなくなるということのたとえ。 「縮栗」は体をすくめて小さくなって恐れること。 「消鑠縮栗」とも書く。
将錯就錯(しょうしゃくしゅしゃく)
間違いに間違いを重ねること。 または、仏教の言葉では、間違っていることを間違っていると認識することをいう。 仏教の言葉で、「将」は「…をもって」という意味。 「錯」は間違いのこと。 「錯(しゃく)を将(もっ)て錯(しゃく)に就く」とも読む。
将錯就錯(しょうしゃくじゅしゃく)
間違いに間違いを重ねること。 または、仏教の言葉では、間違っていることを間違っていると認識することをいう。 仏教の言葉で、「将」は「…をもって」という意味。 「錯」は間違いのこと。 「錯(しゃく)を将(もっ)て錯(しゃく)に就く」とも読む。
盛者必衰(じょうしゃひっすい)
栄えているものは、いつか必ず衰えて滅びるということ。 元は仏教語で、世の中が無常なことをいう言葉。 『平家物語』の冒頭の句として有名。
生者必滅(しょうじゃひつめつ)
生きている人はいつか必ず死ぬということ。 仏教の言葉で、人の一生が儚いということをいう。 会者定離と対にして使われることが多い言葉。
常住坐臥(じょうじゅうざが)
ふだん、いつも。 「常住」はいつもという意味。 「坐臥」は座ることと寝ること。 座っているときも寝ているときもという意味から。 「行住坐臥」の「行住」と、「常住」が混同されてできた言葉。 「常住座臥」とも書く。
常住座臥(じょうじゅうざが)
ふだん、いつも。 「常住」はいつもという意味。 「坐臥」は座ることと寝ること。 座っているときも寝ているときもという意味から。 「行住坐臥」の「行住」と、「常住」が混同されてできた言葉。 「常住座臥」とも書く。
趙州洗鉢(じょうしゅうせんぱつ)
仏道の修行で大切なことは、普段の生活のように無駄なことをせずに、日々の勤めを励むべきであるということ。 「趙州」は人の名前で、中国の高僧。 趙州は粥を食べたら鉢を洗うように、鐘が鳴れば仏法を説くために堂へ行くように、いつも行うことをしっかりと行って余計な考えを差し込まないことが大切であると説いた。
常住不断(じょうじゅうふだん)
途切れることなくずっと続いていること。 「常住」と「不断」はずっと続いているという意味。 「常住」は仏教の言葉で、過去から現在、未来にわたって変わることなく続いていること。
常住不滅(じょうじゅうふめつ)
いつまでも変わらずに滅びないこと。 「常住」は生まれたり死んだりすることなく、いつまでもあり続けること。
漿酒霍肉(しょうしゅかくにく)
この上なく贅沢なこと。 「漿」は一度沸騰させて冷ました水。または、酢のこんず。 「霍」は貧しい人が食べる豆の葉のこと。 酒を水のように扱い、肉を豆の葉のように扱うという意味から。 「酒(さけ)を漿(しょう)とし肉を霍(かく)とす」とも読む。
常住不断(じょうじゅふだん)
途切れることなくずっと続いていること。 「常住」と「不断」はずっと続いているという意味。 「常住」は仏教の言葉で、過去から現在、未来にわたって変わることなく続いていること。
畳牀架屋(じょうしょうかおく)
無駄なことや意味のないことを繰り返し行うこと。 または、人の真似ばかりで、新しい趣がないこと。 「牀」は床のこと。 「架」は屋根のこと。 床の上にまた床を張って、屋根の上にさらに屋根を作るという意味から。 「牀(しょう)を畳(かさ)ね屋を架(か)す」とも読む。
上昇気流(じょうしょうきりゅう)
上に昇っていく大気の流れのこと。 または、物事が特に問題なく、調子よく進むこと。 「上昇」は上にのぼること。 「気流」は大気の流れ。
清浄潔白(しょうじょうけっぱく)
行動や心が清らかで、うしろめたいことがないこと。 「清浄」は汚れがなく、清らかなこと。 「潔白」は清らかで後ろめたいことがないこと。
牀上施牀(しょうじょうししょう)
無駄なことや意味のないことを繰り返し行うこと。 または、人の真似ばかりで、新しい趣がないこと。 「牀」は床のこと。 床の上にまた床を張るという意味から。 「牀上(しょうじょう)に牀(しょう)を施す」とも読む。
清浄寂滅(しょうじょうじゃくめつ)
道家と仏家の教え。 「清浄」は清浄無為という道家の老子の教え。 「寂滅」は寂滅為楽という仏家の教え。
情状酌量(じょうじょうしゃくりょう)
裁判で、被告人が罪を犯した事情や理由などを考慮して、刑罰を軽くすること。 「情状」は境遇や年齢などの様々な事情や理由などのこと。 「酌量」は諸事情をくみ取り、同情して軽減すること。
生生世世(しょうじょうせせ)
いつまでも。永遠に。 仏教の言葉で、生と死を繰り返して数多くを世を経験するという意味から。
生々世々(しょうじょうせせ)
いつまでも。永遠に。 仏教の言葉で、生と死を繰り返して数多くを世を経験するという意味から。
生生世世(しょうじょうせぜ)
いつまでも。永遠に。 仏教の言葉で、生と死を繰り返して数多くを世を経験するという意味から。
生々世々(しょうじょうせぜ)
いつまでも。永遠に。 仏教の言葉で、生と死を繰り返して数多くを世を経験するという意味から。
将相之具(しょうしょうのぐ)
将軍や宰相になることができるほどのすぐれた才能。 「将」は将軍。 「相」は宰相。
霄壌之差(しょうじょうのさ)
比べられないほどに大きな差があること。月とすっぽん。 「霄」は空のこと。 「壌」は地面のこと。 天と地ほどの差があるということから。
掌上明珠(しょうじょうのめいしゅ)
非常に大切にされている人や物のたとえ。 「掌上」は手のひらの上。 「明珠」は美しい宝石。 手のひらの上にのせた、美しい宝石のように可愛がるという意味から。 特に両親に可愛がられる子どものことをいう言葉。
瀟湘八景(しょうしょうはっけい)
中国の湖南省にある美しい景色の八つの場所。 「瀟湘」は中国の湖南省にある、瀟水と湘江という川が合流する場所。 昔から画題として知られている。
蕭条無人(しょうじょうむにん)
人が一人もいなくて寂しいこと。 「蕭条」は静かで寂しい様子。 「蕭条(しょうじょう)として人無し」とも読む。
生生流転(しょうじょうるてん)
世の中の全ての物は、次々と生まれては時間の経過とともにいつまでも変化し続けていくという意味。 「生生」は次から次へと生まれていくこと。 「流転」は時間とともに常に変化し続けること。
生々流転(しょうじょうるてん)
世の中の全ての物は、次々と生まれては時間の経過とともにいつまでも変化し続けていくという意味。 「生生」は次から次へと生まれていくこと。 「流転」は時間とともに常に変化し続けること。
相如四壁(しょうじょしへき)
貧しいことのたとえ。 「相如」は人の名前。 中国の司馬相如は、若い頃貧しい生活をしていて、部屋の中には家具等が何もなく、四方は壁だけしかなかったという故事から。
情緒纏綿(じょうしょてんめん)
感情が深く、いつまでも心から離れないこと。 「情緒」は感情や気分。 「纏綿」はまとわりつくという意味。
情恕理遣(じょうじょりけん)
人への態度が大らかで穏やかなこと。 「恕」は許すこと。 「遣」は逃がすこと。 他人が過ちを犯しても、思いやりや道理と見比べて、大らかな態度で許すという意味から。 中国の晋の衛カイが感情を表に出さないことについていった言葉。 「情もて恕(ゆる)し理(り)もて遣(や)る」とも読む。
生死流転(しょうじるてん)
生まれては死に、死んでは生まれを何度も繰り返すこと。 仏教の言葉で、悟りを得る事ができない人は、六道という六つの世界を巡り続けるということから。
小人閑居(しょうじんかんきょ)
つまらない人は、暇になるとよくないことをするものであるということ。 「小人」は度量の狭い人、小人物。 「閑居」はやることがなくて暇なこと。 「小人閑居して不善を為す」を略した言葉。 「小人間居」とも書く。
小人間居(しょうじんかんきょ)
つまらない人は、暇になるとよくないことをするものであるということ。 「小人」は度量の狭い人、小人物。 「閑居」はやることがなくて暇なこと。 「小人閑居して不善を為す」を略した言葉。 「小人間居」とも書く。
焦唇乾舌(しょうしんかんぜつ)
ひどく悩んで苦労すること。 または、激しい言い争いをすることのたとえ。 唇が焦げて舌が乾くほどに悩み苦しむという意味から。 「唇を焦がし舌を乾かす」とも読む。 「焦脣乾舌」とも書く。
焦脣乾舌(しょうしんかんぜつ)
ひどく悩んで苦労すること。 または、激しい言い争いをすることのたとえ。 唇が焦げて舌が乾くほどに悩み苦しむという意味から。 「唇を焦がし舌を乾かす」とも読む。 「焦脣乾舌」とも書く。
小心謹慎(しょうしんきんしん)
言葉や行動が落ち着いていて、控えめなこと。 「小心」は注意深く、隅々まで気が利くこと。 「謹慎」は間違いのないように、行動を控えること。
焦心苦慮(しょうしんくりょ)
色々なことを心配して、考え苦しむこと。 「焦心」は悩み苦しむこと。 「苦慮」は色々なことを心配して悩むこと。
精進潔斎(しょうじんけっさい)
肉類を食べず、酒を飲まずに心と体を清めること。 「精進」は肉類や酒を飲まずに、心と体を清めて修行すること。 「潔斎」は不浄なものを避けて、心と体を清らかな状態に保つこと。
正真正銘(しょうしんしょうめい)
本物であること。嘘や偽りがまったくないこと。 「正真」は本物であること。 「正銘」は本物であること。起源や経歴に間違いがないこと。 似ている意味の言葉を重ねて強調した言葉。
正真正銘(しょうじんしょうめい)
本物であること。嘘や偽りがまったくないこと。 「正真」は本物であること。 「正銘」は本物であること。起源や経歴に間違いがないこと。 似ている意味の言葉を重ねて強調した言葉。
小人之勇(しょうじんのゆう)
一時の感情に任せた、軽率な勇気のこと。 「小人」は度量の狭い人、小人物。
精進勇猛(しょうじんゆうもう)
精力的に物事に取り組むこと。 困難を克服し、一心に仏道修行をすること。 「勇猛」は勇ましく猛々しいさま。 「精進」は精神を打ち込んで励むこと。 「精進勇猛」ともいう。
小心翼翼(しょうしんよくよく)
小心者でいつもびくびくしている様子。 「小心」は慎み深いこと。または、気が小さいこと。 「翼翼」は親鳥が雛を翼で覆って注意深くかばうという意味から、遠慮がちで控えめなこと。 元は慎み深く礼儀正しい様子のことで、周の文王をほめる言葉。 「翼翼小心」ともいう。
小心翼々(しょうしんよくよく)
小心者でいつもびくびくしている様子。 「小心」は慎み深いこと。または、気が小さいこと。 「翼翼」は親鳥が雛を翼で覆って注意深くかばうという意味から、遠慮がちで控えめなこと。 元は慎み深く礼儀正しい様子のことで、周の文王をほめる言葉。 「翼翼小心」ともいう。
剰水残山(じょうすいざんざん)
戦争によって荒れ果てた山や川の様子。 または、山水画を描く技法のこと。 山や川の全体を描かずに、一部分を描いて雄大な自然を表現する技法をいう。 「残」と「剰」はどちらも「残っている」という意味。 「剰水残山」ともいう。
小水之魚(しょうすいのうお)
水の少ない、小さな水溜りの中にいる魚のこと。 いつ死んでもおかしくない危険な状況をいう。 いつ干上がって水がなくなるかわからないということから。 「小水」は少量の水のこと。
少数精鋭(しょうすうせいえい)
非常にすぐれた能力ある少人数の兵士や軍隊のこと。 または、そのような能力のある人のこと。 「少数」は数が少ないこと。 「精鋭」は気力やすぐれた能力がある人材のこと。
匠石運斤(しょうせきうんきん)
非常にすぐれた技術があり、精密なことのたとえ。 「匠石」は石という名前の大工の名人のこと。 「運斤」は斧をうまく使うこと。 中国の春秋時代、大工の名人の石は、他人の鼻の頭に薄く塗った白い土を、斧を思い切り振り回して傷つけずに削り落としたという故事から。 「匠石(しょうせき)斤(おの)を運(めぐ)らす」とも読む。
支葉碩茂(しようせきも)
本家と分家、一族の全てが繁栄すること。 「支葉」は枝と葉のことで、本家と分家のたとえ。 「碩茂」は大きく繁栄すること。 「枝葉碩茂」とも書く。
枝葉碩茂(しようせきも)
本家と分家、一族の全てが繁栄すること。 「支葉」は枝と葉のことで、本家と分家のたとえ。 「碩茂」は大きく繁栄すること。 「枝葉碩茂」とも書く。
縦説横説(しょうせつおうせつ)
思いのままに解説すること。 または、思いのままに議論をすること。 「縦…横…」は自由にという意味。
饒舌多弁(じょうぜつたべん)
口数が非常に多いこと。 「饒舌」と「多弁」はどちらもよく喋るという意味で、似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。
承前啓後(しょうぜんけいご)
昔からのものを受け継いで、未来を切り開くこと。 学問や事業などのことをいう。 文化や文明を受け継いでいくことの大切さをいう言葉で、中国で昔から重要視されてきた考え方。 「前を承け後を啓(ひら)く」とも読む。
少壮幾時(しょうそういくときぞ)
人の若い時期は短く、あっという間に老いてしまうということ。
少壮気鋭(しょうそうきえい)
若くて、気力に満ち溢れていること。 または、そのような人。 「少壮」は二十から三十代の元気な年頃。 「気鋭」は鋭い意気込みがあること。 将来が期待されている若者をいう言葉。
消息盈虚(しょうそくえいきょ)
時代が変化していくこと。 「消息」は消えたり生まれたりすること。または、繁栄したり衰退したりすること。 「盈虚」は満ちたり欠けたりすること。または、繁栄したり衰退したりすること。
躡足附耳(じょうそくふじ)
注意するときに、その人を傷つけないように、周りの人に気づかれないような配慮をすることが大切であるということ。 「躡足」は足を踏むこと。 「附耳」は耳に口をつけて密かに言うこと。 「足を躡(ふ)み耳に附(つ)く」とも読む。
冗談半分(じょうだんはんぶん)
真面目な話と冗談が混ざっている状態、または、言いにくいことを軽く冗談のように表現すること。
掌中之珠(しょうちゅうのたま)
自分の中で一番大切なもののこと。 または、自分の妻と子どものこと。 手のひらの中にある宝石という意味から。
小懲大誡(しょうちょうたいかい)
軽い刑罰を与えることによって、二度としないように恐れさせて警告すること。 「小懲」は小さな罰を与えて恐れさせること。 「大誡」は強く警告すること。 人徳のない人は、自分の利益にならない仁はしないので、軽い刑罰で脅して、罪を犯さないようにすることが、そのような人には幸福であるということから。 「小(すこ)しく懲(こ)らして大いに戒(いまし)む」とも読む。
情緒纏綿(じょうちょてんめん)
感情が深く、いつまでも心から離れないこと。 「情緒」は感情や気分。 「纏綿」はまとわりつくという意味。
祥月命日(しょうつきめいにち)
仏教の言葉で、一周忌を向かえた後の、故人が死んだ月日と同じ月日のこと。 「祥月」は故人の一周忌を向かえた後の、その人が亡くなった月日と同じ月日のこと。 「命日」は故人が亡くなった日と同じ日のこと。
傷天害理(しょうてんがいり)
自然に定まっている、天の道徳に背くこと。 「傷」と「害」はどちらも壊すということ。 「理」は道理のこと。 「天を傷つけ理を害す」とも読む。
常套手段(じょうとうしゅだん)
いつも決まって使われる手段や方法のこと。 または、誰もが知っているような手段や方法のこと。 「常套」は古臭くて誰でも知っているようなこと。
升堂入室(しょうどうにゅうしつ)
学問や技術の水準が高くなっていくことのたとえ。 「堂」は建物の表座敷のことで、学問や技術が一定の水準に達していることのたとえ。 「室」は建物の奥の部屋のことで、表座敷の更に奥にあるということから学問や技術を極めることのたとえ。 「堂に升(のぼ)り室(しつ)に入(い)る」とも読む。 「入室升堂」ともいう。
焦頭爛額(しょうとうらんがく)
大切なことを忘れて、必要の無いことを重要視すること。 または、何かをするときに非常に苦労すること。 「爛額」は額が爛(ただ)れること。 「焦頭」は頭を焦がすこと。 火事のときに消火や救助をしてくれた人には感謝して、防火方法を教えてくれた人には感謝せず、加えて防火もしていなかったという故事から。 「焦頭爛額」ともいう。
焦熱地獄(しょうねつじごく)
この世で悪いことをした死者が、猛火の責め苦を受ける地獄。 または、そのような責め苦を受けること。 仏教の言葉で、八大地獄のうちの一つ。
少年易老(しょうねんいろう)
若いころから無駄な時間を過ごすことなく、学問に励み続けなければならないということ。 年月はすぐに過ぎていって、若い人もすぐに老いるが、学問は簡単には完成しないことから。 「少年(しょうねん)老(お)い易(やす)く学(がく)成(な)り難(がた)し、一寸の光陰(こういん)軽(かろ)んず可(べ)からず」を略した言葉。
商売繁盛(しょうばいはんじょう)
商いがうまくいって利益が出て、賑わい栄えること。 「繁盛」は賑わい、栄えること。 「商売繁昌」とも書く。
商売繁昌(しょうばいはんじょう)
商いがうまくいって利益が出て、賑わい栄えること。 「繁盛」は賑わい、栄えること。 「商売繁昌」とも書く。
松柏之質(しょうはくのしつ)
体が丈夫なことのたとえ。 または、意志や信念が固いことのたとえ。 「松柏」は植物の松と柏のことで、どちらも常緑樹で一年中緑の葉をつけるということから、体力や意志が強いことのたとえ。 「松栢之質」とも書く。
松栢之質(しょうはくのしつ)
体が丈夫なことのたとえ。 または、意志や信念が固いことのたとえ。 「松柏」は植物の松と柏のことで、どちらも常緑樹で一年中緑の葉をつけるということから、体力や意志が強いことのたとえ。 「松栢之質」とも書く。
松柏之寿(しょうはくのじゅ)
長く生きること。 または、長生きを祝う言葉。 「松柏」は常緑樹の松とこのてがしわのことで、どちらも寿命が長い植物ということから、長寿の象徴。
松柏之操(しょうはくのみさお)
逆境で苦しい状況でも、信念や志を貫くことのたとえ。 松や柏などの常緑樹は寒い季節でも緑の葉をつけていることから。
賞罰之柄(しょうばつのへい)
ほめることと罰を与えることができる権力のこと。 「柄」は権力のこと。
譲畔而耕(じょうはんじこう)
民が欲を持たず、平和に暮らしている様子。 農民が田畑の境界となる畔(あぜ)を自分のものと主張することなく、譲り合って作物を育てることから。 中国の西周の時代、文王が平和に世を治め、民がそのように暮らしていたとされる。 「畔(あぜ)を譲(ゆず)りて耕(たがや)す」とも読む。
衝繁疲難(しょうはんひなん)
状況に応じた適切な対処をし、すぐれた政治を行うこと。 「衝」は交通の要所となる地域。 「繁」は行政や司法がうまく機能していない地域。 「疲」は生産量が少ない地域。 「難」は治めることが難しい地域。 中国の秦の時代、地域を「衝」「繁」「疲」「難」の四つに分類して適した役人を配置することで、効率的に統治していたことから。
笑比河清(しょうひかせい)
厳しい性格で、笑顔を見せることがほとんどないこと。 「河清」は黄河の水が澄き透ること。 今までに澄き通ったことのない黄河の水が透き通るくらいに、笑顔を見せることがないという意味から。 中国の北宋の時代の裁判官の包拯がほとんど笑うことがなかったことを、人々にたとえられたという故事から。 「笑いを河清(かせい)に比(ひ)す」とも読む。
攘臂疾言(じょうひしつげん)
とても誇らしそうな様子。 「攘臂」は袖を捲り上げること。 「疾言」は早口で喋ること。
焦眉之急(しょうびのきゅう)
危険が間近に迫ってきていることのたとえ。 「焦眉」は眉が焦げるほどに火が近づくということ。 「焼眉之急」とも書く。
焼眉之急(しょうびのきゅう)
危険が間近に迫ってきていることのたとえ。 「焦眉」は眉が焦げるほどに火が近づくということ。 「焼眉之急」とも書く。
常備不懈(じょうびふかい)
普段の生活の中でも、何かあった時のための準備を怠らないこと。 「不懈」は怠らない、油断しないということ。 「常に備えて懈(おこた)らず」とも読む。
照猫画虎(しょうびょうがこ)
本質を理解せずに、見た目を真似すること。 虎の絵を描くために、見た目が似ている猫を手本にするという意味から。 「猫に照らして虎を画(えが)く」とも読む。
松風水月(しょうふうすいげつ)
清らかな人格のたとえ。 松を渡る風のようにさわやかで、水面に映る月のように澄み切っているということから。 清らかで高潔な人格を言い表す言葉。
蕉風俳諧(しょうふうはいかい)
日本の江戸時代の俳人の松尾芭蕉と、その一門によって確立された俳諧のこと。 さび、しおり、細み、軽みなどを主体として、落ち着いた雰囲気と奥深い趣を尊ぶ句風を特徴としている。 「正風俳諧」とも書く。
正風俳諧(しょうふうはいかい)
日本の江戸時代の俳人の松尾芭蕉と、その一門によって確立された俳諧のこと。 さび、しおり、細み、軽みなどを主体として、落ち着いた雰囲気と奥深い趣を尊ぶ句風を特徴としている。 「正風俳諧」とも書く。
傷風敗俗(しょうふうはいぞく)
道徳を乱して、社会に害を与えること。 「傷風」と「敗俗」はどちらもよい風俗に害を与えるということ。 「風(ふう)を傷(そこな)い俗(ぞく)を敗(やぶ)る」 「風(ふう)を傷(やぶ)り俗(ぞく)を敗(やぶ)る」とも読む。
乗風破浪(じょうふうはろう)
危険や困難を恐れることなく進む様子。 風に乗った帆船が波の上部を打ち破りながら進むことから。 「風(かぜ)に乗り波(なみ)を破る」とも読む。
嘯風弄月(しょうふうろうげつ)
自然の景色を愛でて、風流を好んで楽しむこと。 「嘯風」は風に合わせて歌を歌うこと。 「弄月」は月を見て褒め称えること。 「風に嘯(うそぶ)き月を弄(もてあそ)ぶ」とも読む。
乗桴浮海(じょうふふかい)
世の中を嘆いて逃げ出すこと。 「乗桴」はいかだを操縦すること。 「浮海」は船などで陸から離れて海へ出ること。 世の中が乱れているときには逃げるということで、いかだに乗って海へ逃げるという意味から。 「桴(いかだ)に乗りて海に浮かぶ」とも読む。
昭穆倫序(しょうぼくりんじょ)
祖先の霊を祭っている建物の宗廟の序列には、一定の決まりがあるということ。 「昭」は太祖を中央にして、左側に二世、四世、六世を祭ること。 「穆」は太祖を中央にして、右側に三世、五世、七世を祭ること。 「倫序」は順序のこと。
章甫薦履(しょうほせんり)
上下や善悪などの秩序が逆転していること。 頭にのせるための冠が靴の下に敷かれることから。 「章甫」は中国の殷の時代、または、宋の時代の冠のこと。
枝葉末節(しようまっせつ)
あまり重要ではない些細なこと。 または、本質から外れたどうでもよいこと。 「枝葉」は木の枝と葉、「末節」は木の端にある節のこと。 どちらも木の幹と比べると重要ではないことから、些細なことのたとえ。
称名念仏(しょうみょうねんぶつ)
仏の名前を口に出して唱え、教えをひたすらに念じること。 特に浄土宗や浄土真宗では「南無阿弥陀仏」と口に出して唱えること。 「唱名念仏」とも書く。
唱名念仏(しょうみょうねんぶつ)
仏の名前を口に出して唱え、教えをひたすらに念じること。 特に浄土宗や浄土真宗では「南無阿弥陀仏」と口に出して唱えること。 「唱名念仏」とも書く。
常命六十(じょうみょうろくじゅう)
人の命はおおよそ六十歳くらいであるということ。 「常命」は平均の寿命。
上命下達(じょうめいかたつ)
立場が上の者の意志や命令、言葉などを立場が下の者にしっかりと伝えること。 「上命」は君主の命令という意味から上の者の意志や命令のこと。 「下達」は下の立場の者に知らせること。
鐘鳴鼎食(しょうめいていしょく)
財産も地位もある人の贅沢な生活のこと。 「鐘鳴」は鐘を鳴らして食事の時間を知らせること。 「鼎食」は祭器としても使われる、三本足の器の鼎に料理を盛って、たくさんの鼎を並べて食事すること。
生滅遷流(しょうめつせんる)
この世で生きている全てのものが、生き死にを常に繰り返しているということ。 「生滅」は生まれることと死ぬこと。 「遷流」は常に移り変わり、停滞することがないこと。
生滅滅已(しょうめつめつい)
仏教の言葉で、生と死を超越して、煩悩が無くなった安らぎの境地である涅槃に入ること。 「生滅」は生まれることと死ぬこと。 「滅已」はなくなるということ。
笑面夜叉(しょうめんやしゃ)
見た目は笑顔だが、心のそこで悪いことを考えていること。 「夜叉」は人に害を与える悪い鬼神のこと。
将門有将(しょうもんゆうしょう)
立派な家系の家からは、立派な人材が出るということ。 「将門」は将軍を代々輩出している家系のこと。 「有将」は将軍が現れること。 「将門(しょうもん)、将(しょう)有り」とも読む。
招揺過市(しょうようかし)
街中を目立つように歩き回ること。 「招揺」は特に目的も無く歩き回ること。または、偉ぶったり、目立つこと。 「過市」は人が多い市場を通り抜けること。 自分の財力などを自慢しながら、人のたくさんいる場所を歩き回ることをいう。 「招揺(しょうよう)して市(いち)を過(す)ぐ」とも読む。
逍遥自在(しょうようじざい)
世間から離れて、自由に楽しむこと。 「逍遥」は気分に任せて歩くということから、思うままに楽しむこと。 「自在」は何ものにも縛られないこと。
従容自若(しょうようじじゃく)
穏やかで落ち着いている様子。 「従容」はゆったりとしていて、落ち着いている様子。 「自若」は物事に動じない様子。 「縦容自若」とも書く。
縦容自若(しょうようじじゃく)
穏やかで落ち着いている様子。 「従容」はゆったりとしていて、落ち着いている様子。 「自若」は物事に動じない様子。 「縦容自若」とも書く。
逍遥自得(しょうようじとく)
思うままに暮らして満ち足りていること。 「逍遥」は好きなようにぶらぶらすることから、気ままな暮らしを送ること。
従容就義(しょうようしゅうぎ)
落ち着いた気持ちで、正義を貫くために恐れることなく命を投げ出すこと。 「従容」は気持ちが落ち着いていること。 「就義」は命を捨てても正義を貫くこと。 「従容(しょうよう)として義に就(つ)く」とも読む。 「縦容就義」とも書く。
縦容就義(しょうようしゅうぎ)
落ち着いた気持ちで、正義を貫くために恐れることなく命を投げ出すこと。 「従容」は気持ちが落ち着いていること。 「就義」は命を捨てても正義を貫くこと。 「従容(しょうよう)として義に就(つ)く」とも読む。 「縦容就義」とも書く。
従容中道(しょうようちゅうどう)
自然な振る舞いが、道理に合っていることのたとえ。 「従容」は余裕があり、落ち着いている様子。 「中道」は道に合致すること。 『中庸』では、意識せずに自然な振る舞いが、天の道理に合っていることこそ聖人の道であるとされている。 「従容(しょうよう)として道に中(あ)たる」とも読む。 「縦容中道」とも書く。
縦容中道(しょうようちゅうどう)
自然な振る舞いが、道理に合っていることのたとえ。 「従容」は余裕があり、落ち着いている様子。 「中道」は道に合致すること。 『中庸』では、意識せずに自然な振る舞いが、天の道理に合っていることこそ聖人の道であるとされている。 「従容(しょうよう)として道に中(あ)たる」とも読む。 「縦容中道」とも書く。
従容不迫(しょうようふはく)
のんびりと落ち着いている様子。 「従容」は気持ちが落ち着いていること。 「不迫」は何事にも動じないこと。 「従容(しょうよう)として迫らず」とも読む。
逍遥法外(しょうようほうがい)
法律を犯した人が、罰則を受けることなく、自由に生活していること。 「逍遥」は何ものにも縛られず、思ったままに歩きまわること。 法律の外側を自由に歩きまわるということから。 「法外(ほうがい)に逍遥(しょうよう)す」とも読む。
従容無為(しょうようむい)
心を悩まされることなく、心にゆとりがあり、何もかまえることがないこと。 「従容」はゆとりがあり、落ち着いている様子。 「無為」は行動しないこと。 ゆったりとして、何もかまえなくとも全てが自然に治まるという政治論をいう。 「縦容無為」とも書く。
縦容無為(しょうようむい)
心を悩まされることなく、心にゆとりがあり、何もかまえることがないこと。 「従容」はゆとりがあり、落ち着いている様子。 「無為」は行動しないこと。 ゆったりとして、何もかまえなくとも全てが自然に治まるという政治論をいう。 「縦容無為」とも書く。
少欲知足(しょうよくちそく)
すこしのもので満足すること。 「少欲」は持っていないものをたくさん求めないこと。 「知足」は足るを知るという意味で、持っているもので満足すること。 「欲少なくして足るを知る」とも読む。
乗輿車駕(じょうよしゃが)
天子が乗る車。 または、天子のこと。 「乗輿」と「車駕」はどちらも天子が外出するときに使う車のこと。
乗輿播越(じょうよはえつ)
天子が都を落ち延びて、遠くの他国を流浪すること。 「乗輿」は天子が乗る車のこと。 「播越」は居場所がなくなって、他国を流浪すること。
常楽我浄(じょうらくがじょう)
悟りの境地にある四つの徳のこと。 「常」は永遠であること。 「楽」は安楽であること。 「我」は他からの束縛を受けないこと。 「浄」は煩悩のない清らかな境地。
笑裏蔵刀(しょうりぞうとう)
見た目は優しそうに見えるが、内心はひどく陰険なこと。 「笑裏」は笑顔の内側のこと。 「蔵刀」は刀を隠して持っていること。 「笑裏(しょうり)に刀(とう)を蔵(ぞう)す」とも読む。
小利大損(しょうりだいそん)
少しの利益を得ようとして、大きな利益を逃すこと。 または、少しの利益を得ようとして、大損すること。
常鱗凡介(じょうりんぼんかい)
普通の人のたとえ。 「鱗」は魚の鱗のことから、魚のたとえ。 「介」は貝のこと。 普通の魚と平凡な貝類という意味から。
上漏下湿(じょうろうかしつ)
貧しい家、あばら家を言い表す言葉。 屋根からは雨が漏れてきて、床から湿気が上がってくるという意味から。 「上(かみ)は漏(も)れ下(しも)は湿(しめ)る」とも読む。
上漏下湿(じょうろうかしゅう)
貧しい家、あばら家を言い表す言葉。 屋根からは雨が漏れてきて、床から湿気が上がってくるという意味から。 「上(かみ)は漏(も)れ下(しも)は湿(しめ)る」とも読む。
生老病死(しょうろうびょうし)
人間が避けることが出来ない四つの苦悩のこと。 「生」は生まれること。 「老」は年老いること。 「病」は病気になること。 「死」は死ぬこと。 仏教の言葉で、四苦のことをいう。
蕉鹿之夢(しょうろくのゆめ)
成功や失敗は夢のように儚いということのたとえ。 または、あきらめがよいことのたとえ。 「蕉」は植物の芭蕉の葉のこと。 中国の春秋時代、鄭の国の人が鹿を仕留めて芭蕉の葉を被せて隠したが、隠した場所を忘れたために、鹿を仕留めたのは夢だったかもしれないと諦めたという故事から。
如影従形(じょえいじゅうけい)
非常に深い関わりがあること。 影の形はそのものの形に従うことから。 「影(かげ)の形(かたち)に従(したが)うが如(ごと)し」とも読む。
女謁横行(じょえつおうこう)
女官が君主に対して個人的な要望を日常的に行っている状態。 「女謁」は君主からの寵愛を利用して女性が頼みごとをすること。
書画骨董(しょがこっとう)
書と絵画と骨董品のこと。 「書画」は書道の作品と絵画。 「骨董」は古い美術品や、値打ちがある使い古された道具のこと。
如火如荼(じょかじょと)
軍隊の勢い、または情熱や意気込みが非常に盛んな様子のたとえ。 「荼」はイネ科のちがやの穂。白い色をしている。 燃え上がる火の赤さと、生い茂るちがやの白さを用いて、盛んな勢いを表した言葉。 「火(ひ)の如(ごと)し荼(と)の如(ごと)し」とも読む。
如蛾赴火(じょがふか)
自分から進んで危険を冒すこと。 蛾が明かりに引かれて火に飛び込むことから。 「蛾(が)の火(ひ)に赴(おもむ)くが如(ごと)し」とも読む。
如飢如渇(じょきじょかつ)
欲求がこの上なく強いこと。 空腹で喉が渇いているときに食べ物や飲み物を欲しがることから。 「飢(う)うるが如(ごと)し渇(かわ)くが如(ごと)し」とも読む。
除旧更新(じょきゅうこうしん)
以前からの制度や慣習のうち、時代や状況に合わなくなったものをよりよいものへと変えること。 古くなったものを新しいものへと変えることから。 「旧(ふる)きを除き新しきに更(か)う」とも読む。
杵臼之交(しょきゅうのこう)
身分をこだわらずに人付き合いをすること。 「杵臼」はきねとうすのこと。 中国の後漢の時代の公孫穆は、学費を稼ぐために呉祐の家で雇われて、きねとうすを使って米をついていた。 あるとき呉祐が公孫穆に話しかけてみると、高い学識があることに驚き、その後は主従を越えた付き合いを結んだという故事から。
杵臼之交(しょきゅうのまじわり)
身分をこだわらずに人付き合いをすること。 「杵臼」はきねとうすのこと。 中国の後漢の時代の公孫穆は、学費を稼ぐために呉祐の家で雇われて、きねとうすを使って米をついていた。 あるとき呉祐が公孫穆に話しかけてみると、高い学識があることに驚き、その後は主従を越えた付き合いを結んだという故事から。
諸行無常(しょぎょうむじょう)
世の中は常に変化しており、いつまでも変化しないものや永久に無くならないものはないということ。 人生、人の命の儚さをいう言葉。 「諸行」はこの世にある全てのもの、全ての現象のこと。 「無常」は変化しないものはないという意味。 「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静」という仏教の思想の特徴を表す三法印の一つ。 平家物語の冒頭として有名。
除去不祥(じょきょふしょう)
不運や不幸を避ける、またはそれらを取り除くこと。 邪気払い、また吉祥を願う言葉。
食牛之気(しょくぎゅうのき)
心構えがこの上なく大きいこと。 牛を丸呑みするほどに大きな心意気という意味から。
蜀犬吠日(しょくけんはいじつ)
見識の狭い人が理解もできないのに賢者の言行を非難すること。 または、見識の狭い人が理解できないことに対して、無駄な疑いを持って騒ぎ立てること。 中国の蜀は高い山に囲まれた地で、ほぼ毎日霧に覆われていて、たまに霧が晴れると犬が怪しんで太陽に向かって吠えたという故事から。 「蜀犬(しょっけん)日(ひ)に吠(ほ)ゆ」とも読む。
色若死灰(しょくじゃくしかい)
恐怖などによって、顔から血の気がなくなり青ざめていること。 「死灰」は完全に燃え尽きて白く冷たくなった灰。 「色(いろ)死灰(しかい)の如(ごと)し」とも読む。
食色性也(しょくしょくせいや)
食欲と性欲は、人が生まれつき持つ基本的な欲求であり、これを取り除くことはできないということ。 「食(しょく)と色(しょく)は性(せい)なり」とも読む。
色衰愛弛(しょくすいあいし)
美しさや魅力によって愛された人が、衰えてその美しさが失われた結果、愛情も失われること。 中国の春秋時代、衛の国の弥子瑕(びしか)は君主から寵愛を受け、何をしても褒められた。しかし、その寵愛が次第に薄れると、以前と同じ行動でも批判されるようになったという故事から。 「色(いろ)衰(おとろ)え愛(あい)弛(ゆる)む」とも読む。
食前方丈(しょくぜんほうじょう)
極めて贅沢で豪華な食事のこと。 「食前」は食事の時に座る席の前。 「方丈」は一丈四方。 自分の席の前の一丈四方に、ごちそうが一杯に並べられるという意味から。
織当訪婢(しょくとうほうひ)
物事はその分野の専門家に聞くべきであるということ。 「婢」は女性の召使いのことで、機織りに関することは女性の召使いに聞くべきとの意から。 「織(しょく)は当(まさ)に婢(ひ)に訪(と)うべし」とも読む。
食肉寝皮(しょくにくしんひ)
敵のことをひどく憎むこと。 禽獣などの肉を食べて、皮を剥いだ後にその上で寝るという意味で、それほどに憎らしいということから。 「肉を食らい皮に寝(い)ぬ」とも読む。
食肉之禄(しょくにくのろく)
肉を食べることができるほどの高い給料のこと。 昔の中国で、高い地位を持っている役人、特に朝廷の官吏のことをいう言葉。
食馬解囲(しょくばかいい)
恩を受けた人が、恩人の危機に助けに行くこと。 中国の秦の穆公は、逃げた愛馬を探していると、野人が馬を捕らえ食べようとしていたが、穆公は野人の気持ちを察して馬だけでなく酒も出してやった。 その後、穆公が戦争で危機に陥ると、駆けつけた野人のおかげで穆公は戦争に勝利したという故事から。 「馬を食らいて囲みを解く」とも読む。
嗇夫口弁(しょくふこうべん)
喋りは達者だが、身分の低い人のこと。 「嗇夫」は地位の低い役人のこと。 「利口」は喋りが上手い人。 中国の前漢の文帝が、上林苑の動物園に行ったときに、動物園の帳簿について尋ねても誰も答えることが出来なかったが、口のうまい下級の役人だけが答えることができた。 その喋りに感心した文帝は、口のうまい下級の役人を長官にしようとしたが、家臣に口がうまいだけの男を昇進させると天下の混乱に繋がると諫(いさ)められ、昇進を取りやめたという故事から。
食不重肉(しょくふじゅうにく)
一度の食事で複数の肉料理を食べないことから、質素な食生活の様子を表す言葉。 中国の春秋時代に斉の宰相であった晏嬰(あんえい)の生活様式に由来する。 「食(しょく)は肉(にく)を重(かさ)ねず」とも読む。
嗇夫利口(しょくふりこう)
喋りは達者だが、身分の低い人のこと。 「嗇夫」は地位の低い役人のこと。 「利口」は喋りが上手い人。 中国の前漢の文帝が、上林苑の動物園に行ったときに、動物園の帳簿について尋ねても誰も答えることが出来なかったが、口のうまい下級の役人だけが答えることができた。 その喋りに感心した文帝は、口のうまい下級の役人を長官にしようとしたが、家臣に口がうまいだけの男を昇進させると天下の混乱に繋がると諫(いさ)められ、昇進を取りやめたという故事から。
職務権限(しょくむけんげん)
その職が担当する仕事の範囲で行使できる権限。また、その権限が及ぶ範囲。
諸国漫遊(しょこくまんゆう)
様々な国を気が赴くままに旅すること。 「諸国」は様々な国。 「漫遊」は目的もなく旅をすること。
如坐針氈(じょざしんせん)
極度の不安や緊張から落ち着かない様子。 針が敷き詰められた敷物の上に座っているようであるとの意から。 「氈」は動物の毛を加工して作られた敷物。 「針氈(しんせん)に坐(ざ)するが如(ごと)し」とも読む。
如左右手(じょさゆうしゅ)
その人にとって頼りとなる存在。または、お互いに協力して助け合う様子。 「左右(さゆう)の手(て)の如(ごと)し」とも読む。
初志貫徹(しょしかんてつ)
最初に決めた志を最後まで貫き通すこと。 「初志」は初めに持った目標や考え。 「貫徹」は最後まで貫き通すこと。
如指諸掌(じょししょしょう)
極めて簡単で理解しやすいこと。 手のひらに乗せたものを指で示すほど容易との意から。 孔子が禘(てい)という祭りについて説明を求められた際、自分の手のひらを指しながら、禘について説明できる人なら天下についても簡単に説明できるだろう、と述べたという故事から。 「諸(これ)を掌(たなごころ)に指(さ)すが如(ごと)し」とも読む。
女子難養(じょしなんよう)
女性に対する扱いは難しいということ。 孔子が嘆いた言葉から。 「女子(じょし)は養(やしな)い難(がた)し」とも読む。
諸事万端(しょじばんたん)
様々な事柄全て。 「諸事」は様々な事柄。 「万端」はその事柄の全てという意味。
諸子百家(しょしひゃっか)
中国の春秋時代に活躍した、たくさんの学者や学派、書物などのこと。 「諸子」は孔子や孟子、老子、荘子などの学者のこと。 「百家」は儒家や道家、墨家、法家などの学派のこと。
茹柔吐剛(じょじゅうとごう)
弱い者を押さえつけるが、強いやつからは逃げること。 「吐剛」は固い食べ物を吐き出すこと。 「茹柔」は柔らかい食べ物を食べること。 固い食べ物は吐き出して、柔らかい食べ物だけを食べるという意味から。 「剛を吐(は)き柔を茹(く)らう」とも読む。 「茹柔吐剛」ともいう。
初秋涼夕(しょしゅうのりょうせき)
秋の初めの涼しい夜のこと。 「涼夕」は気温の涼しい夜。 月が美しく出ていて、さわやかな風が吹く秋の夜をいう言葉。
初秋涼夕(しょしゅうりょうせき)
秋の初めの涼しい夜のこと。 「涼夕」は気温の涼しい夜。 月が美しく出ていて、さわやかな風が吹く秋の夜をいう言葉。
如出一轍(じょしゅついってつ)
意見や行動が似ていること。 「轍」は車の車輪の跡。 同じ轍から出てきたようであるとの意から。 「一轍(いってつ)より出(いづ)るが如(ごと)し」とも読む。
綀裳竹笥(しょしょうちくし)
娘の嫁入りの準備をへりくだって言う言葉。 「綀裳」は目の粗い布の衣裳。 「竹笥」は竹で作られた衣装箱。 どちらも粗雑なものであることから、不十分な嫁入りの準備のたとえ。
処女脱兎(しょじょだっと)
兵法の一つで、始めのうちは大したことのないように見せて相手を油断させ、後にものすごい勢いを発揮することのたとえ。 「処女」は家にいる少女という意味から、未婚の少女のこと。 「脱兎」は逃げる兎。 おとなしい少女に見せかけて油断させ、その後に逃げる兎のような勢いで攻めるということから。 「始めは処女の如く後は脱兎の如し」を略した言葉。
処処方方(しょしょほうぼう)
あちらこちら。いたるところ。いろんな場所。
庶人食力(しょじんしょくりき)
官職についていない平民は、肉体労働で生計を立てるということ。 「庶人」は庶民、平民。 「庶人(しょじん)は力(ちから)に食(は)む」とも読む。
諸説紛紛(しょせつふんぷん)
色々な意見や、説が入り乱れていてまとまらないこと。 または、根拠のない説が入り乱れていて、正しいことがわからないこと。 「諸説紛々」とも書く。
諸説紛々(しょせつふんぷん)
色々な意見や、説が入り乱れていてまとまらないこと。 または、根拠のない説が入り乱れていて、正しいことがわからないこと。 「諸説紛々」とも書く。
事予則立(じよそくりつ)
何事も、行動を起こす前に十分な準備や計画をしておけば成功する可能性が高くなるということ。 「事(こと)予(あらかじ)めすれば則(すなわ)ち立(た)つ」とも読む。
女尊男卑(じょそんだんぴ)
男性よりも女性が尊いとする考え方のこと。 または、そのような社会的な慣習。 「女尊」は女性を敬い、高く扱うこと。 「男卑」は男性を軽んじて低く扱うこと。
助長抜苗(じょちょうばつびょう)
手助けをしようとした結果、かえって害を与えてしまうというたとえ。 古代中国で、農夫が苗を早く成長させようと引っ張ったところ、苗が抜けて枯れてしまったという故事から。 「長(ちょう)ずるを助けんとして苗(なえ)を抜く」とも読む。
助長補短(じょちょうほたん)
他者よりすぐれている部分を伸ばして、他者より劣っている部分を補うこと。 「助長」は成長の手助けをすること。 「長を助け短を補(おぎな)う」とも読む。
食客三千(しょっかくさんぜん)
たくさんの人を客分として扱い、自分の家来として抱えておくこと。 「食客」は客として家に住む人のこと。 高貴な人が才能のある人を客として養い、私的な家来とすることをいう。
蜀犬吠日(しょっけんはいじつ)
見識の狭い人が理解もできないのに賢者の言行を非難すること。 または、見識の狭い人が理解できないことに対して、無駄な疑いを持って騒ぎ立てること。 中国の蜀は高い山に囲まれた地で、ほぼ毎日霧に覆われていて、たまに霧が晴れると犬が怪しんで太陽に向かって吠えたという故事から。 「蜀犬(しょっけん)日(ひ)に吠(ほ)ゆ」とも読む。
職権濫用(しょっけんらんよう)
自分の職務上認められている権限を越えた行いをしたり、不正に使用したりすること。 「職権」は職務上認めらている権限のこと。 「濫用」は良し悪しを考えず無闇に使うこと。 「職権乱用」とも書く。
職権乱用(しょっけんらんよう)
自分の職務上認められている権限を越えた行いをしたり、不正に使用したりすること。 「職権」は職務上認めらている権限のこと。 「濫用」は良し悪しを考えず無闇に使うこと。 「職権乱用」とも書く。
初転法輪(しょてんぼうりん)
釈迦が悟りを開いた後、鹿野苑(ろくやおん)ではじめて行った説法のこと。 「転法輪」は仏が説法すること。仏の教えを説くこと。
書心画也(しょはしんがなり)
書かれた文字を見れば、その筆者の性格や心情を理解できるということ。 文字は書いた人の心を表す画(絵)であるとの意から。
除暴安良(じょぼうあんりょう)
悪や不正を排除し、社会を安定させて良い環境を作ること。 「暴(ぼう)を除(のぞ)き良(りょう)を安(やす)んず」とも読む。
諸法無我(しょほうむが)
仏教の根本的な三つの思想の一つで、この世に存在しているものの全ては、永遠不変の本質はもっていないということ。 「諸行無常」、「涅槃寂静」と合わせて三法印と呼ばれる。 「諸法」はこの世の全ての事象や現象のこと。 「無我」は不変の本質である「我」は存在しないということ。
如夢初醒(じょむしょせい)
以前の誤りや気力のない状態に気づき、改善や修正をしようとすること。 ようやく夢から覚めたという意味から、新たな自覚や理解に至ったことを表す言葉。 「夢(ゆめ)初(はじ)めて醒(さ)めるが如(ごと)し」とも読む。
黍離之歎(しょりのたん)
国が滅んだことへの嘆き。 「黍離」は『詩経』「王風」の詩篇の名称。 中国の東周の大夫が、西周の宮殿の跡地が荒地になっているのを見て嘆いて作った詩といわれている。 「黍離之嘆」とも書く。
黍離之嘆(しょりのたん)
国が滅んだことへの嘆き。 「黍離」は『詩経』「王風」の詩篇の名称。 中国の東周の大夫が、西周の宮殿の跡地が荒地になっているのを見て嘆いて作った詩といわれている。 「黍離之嘆」とも書く。
如狼如虎(じょろうじょこ)
勇気があって強い様子。 「狼(ろう)の如(ごと)く虎(とら)の如(ごと)く」とも読む。
白河夜船(しらかわよふね)
何も気がつかないほど、ぐっすり寝入っている様子のこと。 または、本当は知らないのに、知っているかのように振舞うこと。 「白河」は京都の地名。 京都に行ってきたと嘘をついた男が、「白河」はどうだったかと尋ねられたときに、男は白河を川の名前だと勘違いし「夜の船で、眠っている間に通り過ぎたからよくわからない」と答えたため、男の嘘がばれてしまったという故事から。 「白河」は「白川」、「夜船」は「夜舟」とも書く。
紫瀾洶湧(しらんきょうゆう)
海の波が生じる様子。 「紫瀾」は紫の色の波という意味から、海の波のこと。 「洶湧」は波が勢いよく生じてうねる様子。
紫瀾洶湧(しらんきょうよう)
海の波が生じる様子。 「紫瀾」は紫の色の波という意味から、海の波のこと。 「洶湧」は波が勢いよく生じてうねる様子。
芝蘭玉樹(しらんぎょくじゅ)
才能のあるすぐれた人材や子弟のこと。 または、一族や一門から人材を輩出すること。 「芝」は霊芝のこと。 「蘭」は藤袴のこと。 どちらも植物で香り高いということから、すぐれた才能を持つ人のたとえ。 「玉樹」は宝石のように美しい木のこと。
芝蘭結契(しらんけっけい)
良い影響を受ける賢者との交友。 「芝」は霊芝のこと。 「蘭」は藤袴のこと。 どちらも植物で香り高いということから、善人や賢者のたとえ。
芝蘭之化(しらんのか)
才能と知識があり、高い徳のある友人に影響を受けること。 または、よい友人から受ける影響のこと。 「芝」はめでたいことが起きる兆候とされる、霊芝のこと。 「蘭」は香りのよい香草の藤袴のこと。 どちらも高い徳があり、才知にすぐれた人のたとえ。 よい香りの中にいて、気付かないうちに性格や考え方が同じものになることをいう。
芝蘭之交(しらんのこう)
良い影響を受ける賢者との交友。 「芝」は霊芝のこと。 「蘭」は藤袴のこと。 どちらも植物で香り高いということから、善人や賢者のたとえ。
芝蘭之室(しらんのしつ)
善人のたとえ。 または、賢者に影響を受けることのたとえ。 「芝」は霊芝のこと。 「蘭」は藤袴のこと。 どちらも植物で香り高いということから、善人や賢者のたとえ。 「善人と居るは芝蘭の室に入るが如し」を略した言葉。
芝蘭之交(しらんのまじわり)
良い影響を受ける賢者との交友。 「芝」は霊芝のこと。 「蘭」は藤袴のこと。 どちらも植物で香り高いということから、善人や賢者のたとえ。
自力更生(じりきこうせい)
他人を頼りにせず、自身の力だけで生活を改めて正しく立ち直ること。 「更生」は悪い状況からよい状態に戻ること。 犯罪を犯した人や経営の傾いた企業などが、他の力を借りずに立ち直ることなどをいう。 「自力甦生」とも書く。
自力甦生(じりきこうせい)
他人を頼りにせず、自身の力だけで生活を改めて正しく立ち直ること。 「更生」は悪い状況からよい状態に戻ること。 犯罪を犯した人や経営の傾いた企業などが、他の力を借りずに立ち直ることなどをいう。 「自力甦生」とも書く。
私利私欲(しりしよく)
自分の利益と欲求のことだけを考えて行動すること。 「私利」は私的な利益を得ること。 「私欲」は私的な欲望を持つこと。 公共の利益よりも個人的な利益を優先する身勝手な態度のことをいう言葉 「私利私慾」とも書く。
私利私慾(しりしよく)
自分の利益と欲求のことだけを考えて行動すること。 「私利」は私的な利益を得ること。 「私欲」は私的な欲望を持つこと。 公共の利益よりも個人的な利益を優先する身勝手な態度のことをいう言葉 「私利私慾」とも書く。
自立自存(じりつじそん)
自分自身の力で生活や活動を維持する能力や態度のこと。 「自立」と「自存」はどちらも独立して自分の力で生きていく意味を持ち、似た意味の二つの語を重ねて強調した言葉。
而立之年(じりつのとし)
三十歳になって、自分の中の道徳観や学識が確立して、それが自信になって思想が固まること。 孔子が自身の生涯を振り返って言った言葉。 三十歳の異名の「而立」の語源。
至理名言(しりめいげん)
物事の筋道が理屈に適っているすぐれた言葉。 「至理」は正しい道理のこと。 「名言」は立派な言葉。
事理明白(じりめいはく)
物事の道理や筋道がはっきりとしていること。 「事理」は物事の道理や筋道。 「明白」ははっきりとしていてわかりやすいこと。
支離滅裂(しりめつれつ)
まとまりがなく、ばらばらであること。 「支離」と「滅裂」はどちらもばらばらになるという意味。 似た意味の言葉を重ねて強調したもの。
持粱歯肥(じりょうしひ)
ご馳走を食べること。 または、良い食事ができる身分になること。 「持粱」はご馳走が盛られている食器を手にもつこと。 「歯肥」は肥えた肉を噛むこと。 「梁(りょう)を持(じ)して肥(ひ)を歯(くら)う」とも読む。
思慮分別(しりょふんべつ)
注意深く考えて、物事を判断すること。 「思慮」は注意深く考えること。 「分別」は道理をわきまえた判断のこと。
自利利他(じりりた)
自分一人だけで利益を得るのではなく、他の人にも利益を与えること。 または、自身は修行して悟りを求め、他の人には仏法による救いを施すこと。 「自利」は自身の利益。 「利他」は他人の利益。
緇林杏壇(しりんきょうだん)
学問を教える場所、講堂のこと。 「緇林」は木々が生い茂っていて暗い林。 「杏壇」は杏の木の下にある小高い土の上の壇。 孔子は、木々の生い茂った薄暗い林で遊んで、杏の木の下の壇で休んだという故事から。
砥礪切磋(しれいせっさ)
学問や人格を高めるために努力すること。 「砥」と「礪」と「磋」は磨くという意味。 「切」は骨などを切って加工すること。
眥裂髪指(しれつはっし)
激怒する様子。 「眥裂」は眼を大きく見開くこと。 「髪指」は髪の毛が逆立つこと。
指鹿為馬(しろくいば)
間違っていたり、理屈に合わないと理解していても、無理に押し通すこと。 中国の秦の始皇帝の死後に、権力を得ようとした趙高は、二世皇帝に鹿を馬と言って献上した。 そのことに対して、何も言わなかった人や、それは馬だと言った人、鹿だと言った人がいたが、趙高は鹿と言った人は全て処罰したという故事から。 「鹿(しか)を指して馬(うま)と為(な)す」とも読む。
四六時中(しろくじちゅう)
一日中・いつも・終日という意味。 「四六時」は二十四時間。四掛ける六で二十四になることから。 「中」はその間ずっとという意味。 昔使われていた「二六時中」という言葉が変化したもの。
四六駢儷(しろくべんれい)
四字句と六字句の対句を用いる、古代中国の修辞的な文体のこと。 「駢」は馬を二頭並べて車につなぐという意味から、対句という意味。 「儷」は一対になって並ぶという意味。 中国の六朝時代から唐の時代にかけて盛んに使われ、中国の美文の基本となった文体。
臣一主二(しんいつしゅに)
誰に仕えるかは、個人の自由ということ。 元は臣下としての自分の体は一つしかないが、仕えることのできる主人はたくさんいるという意味の言葉。 仕えている君主が駄目なら、他にも君主はたくさんいるので、自由に見つけて仕えてもよいということをいう。
人為淘汰(じんいとうた)
数多くの中から、目的にあった性質を持った個体を選んで残していくこと。 家畜や植物などの品種改良の方法の一つ。 「人為」は自然のままではなく、人が手を加えること。 「淘汰」は悪いものを捨てて、良いものだけを残すこと。
神韻縹渺(しんいんひょうびょう)
芸術作品にある、表現できないほどのすぐれた趣のこと。 「神韻」は神業のようなすぐれた趣のこと。 「縹渺」はかすかではっきりとしない様子。 「縹渺」は「縹眇」とも、「縹緲」とも書く。
神韻縹眇(しんいんひょうびょう)
芸術作品にある、表現できないほどのすぐれた趣のこと。 「神韻」は神業のようなすぐれた趣のこと。 「縹渺」はかすかではっきりとしない様子。 「縹渺」は「縹眇」とも、「縹緲」とも書く。
神韻縹緲(しんいんひょうびょう)
芸術作品にある、表現できないほどのすぐれた趣のこと。 「神韻」は神業のようなすぐれた趣のこと。 「縹渺」はかすかではっきりとしない様子。 「縹渺」は「縹眇」とも、「縹緲」とも書く。
心悦誠服(しんえつせいふく)
相手の誠意から喜んで従うこと。 「心悦」は相手の行動や言葉に本心から喜ぶこと。 「誠服」は本心から尊敬して従うこと。
心猿意馬(しんえんいば)
煩悩や情欲などの欲望に、心を乱されて落ち着かないこと。 または、そのような欲望を抑えることができないことのたとえ。 「意馬」は馬が興奮して暴れまわるように、気持ちが落ち着かないこと。 「心猿」は激しく騒ぐ猿のように、気持ちが落ち着かないこと。 乱れて落ち着かない気持ちを、走り回る馬や騒ぎ立てる猿にたとえた仏教の言葉。 「心猿意馬」ともいう。
晨煙暮靄(しんえんぼあい)
朝に出る霧と夕方に出るもや。 「晨煙」は朝早くに出る霧。 「暮靄」は日暮れに出るもや。 霧やもやで霞んでいる日の出や夕暮れの風景をいう言葉。
塵外孤標(じんがいこひょう)
ずば抜けてすぐれていること。 「塵外」はこまごまとした世間のことを塵にたとえたもので、世間の外側にいるという意味。 「孤標」は人格などが他よりも一際すぐれていること。
人海戦術(じんかいせんじゅつ)
たくさんの人を使って、仕事や任務を成し遂げようとするやり方。 「人海」は人がたくさんいる様子を海にたとえた言葉。 元は人を多く集めて数の力を使い、敵軍を倒す戦略のことをいう。
心外千万(しんがいせんばん)
予想していなかった結果を非常に悔しく思うこと。 「心外」は思いもよらない結果を悔しく思うこと。 「千万」は程度がこの上ないこと。
神会黙契(しんかいもくけい)
言葉を使わずに、互いに意思が通じること。 「神会」は理解すること。 「黙契」は言葉で示さずに意思が伝わること。
尋花問柳(じんかもんりゅう)
花や柳を探しながら景色を楽しむことから、春の景色を楽しむこと。 または、花や柳を遊女や芸妓にたとえて、色町で遊ぶこと。 「柳を問い、花を尋ねる」とも読む。 「尋花問柳」ともいう。
心間手敏(しんかんしゅびん)
心と技術のどちらも習得していることのたとえ。 「心間」は心が落ち着いていること。 琴を演奏するときは、心は落ち着いているが、手は素早く思い通りに演奏できるということから。 「心(こころ)間(しず)かに手(て)敏(さと)し」とも読む。 「心閑手敏」とも書く。
心閑手敏(しんかんしゅびん)
心と技術のどちらも習得していることのたとえ。 「心間」は心が落ち着いていること。 琴を演奏するときは、心は落ち着いているが、手は素早く思い通りに演奏できるということから。 「心(こころ)間(しず)かに手(て)敏(さと)し」とも読む。 「心閑手敏」とも書く。
心願成就(しんがんじょうじゅ)
心の中で神仏に念じた願いが叶うこと。 「心願」は神仏に心から願うこと。 「成就」は願ったとおりに願いが叶うこと。
人間青山(じんかんせいざん)
世の中は広く、死に場所ならどこにでもあるので、目的を果たすために、故郷を捨ててでも大いに活躍するべきであるということ。 「人間」は世の中、世間。 「青山」は墓。死に場所。 世の中は広いので、死に場所くらいはどこにでもあるという意味から。 「人間至る処青山有り」を略した言葉。
心機一転(しんきいってん)
何かをきっかけに、気持ちがよい方向に切り替わること。 「心機」は心の動き、気持ち。 「一転」はがらりと変わること。ひっくり返ること。
心悸昂進(しんきこうしん)
心臓の鼓動が速く激しくなること。 「心悸」は心臓の鼓動が乱れる、動悸のこと。 「亢進」は高ぶること。 病気や精神的な興奮などで、心臓の鼓動が速く激しくなることをいう。 「心悸昂進」とも書く。
心悸亢進(しんきこうしん)
心臓の鼓動が速く激しくなること。 「心悸」は心臓の鼓動が乱れる、動悸のこと。 「亢進」は高ぶること。 病気や精神的な興奮などで、心臓の鼓動が速く激しくなることをいう。 「心悸昂進」とも書く。
新鬼故鬼(しんきこき)
最近死んだ人の霊魂と昔死んだ人の霊魂のこと。 「鬼」は霊魂のこと。
仁義多責(じんぎたせき)
仁愛と正義を備えている人は、果たすべき社会的責任が大きくなるということ。 「仁義(じんぎ)は責(せ)め多し」とも読む。
信疑忠謗(しんぎちゅうぼう)
誠実な言動や信念が疑われ、誹謗中傷される不幸な状況を指す言葉。 「信(しん)にして疑(うたが)われ忠(ちゅう)にして謗(そし)らる」とも読む。
神機妙算(しんきみょうさん)
非常にすぐれた策略のこと。 「神機」は神が考えたような素晴らしい策略。 「妙算」はすぐれた策略。
新旧交替(しんきゅうこうたい)
新しいものと古いものが入れ替わること。特に重要な地位や立場での人事や物事の変化を指す言葉。
心急如火(しんきゅうじょか)
極度に焦って落ち着かない心の状態を表す言葉。 火がついてしまった時のように焦ることから。 「心急(しんきゅう)火(ひ)の如(ごと)し」とも、「心(こころ)急(きゅう)なること火(ひ)の如(ごと)し」とも読む。
信及豚魚(しんきゅうとんぎょ)
多くの人から厚く信用されている状態のたとえ。 祭祀を行う人の誠意が供え物である豚や魚にまで及ぶ、という意味から来ている言葉。 「信(しん)豚魚(とんぎょ)に及ぶ」とも読む。
深居簡出(しんきょかんしゅつ)
奥の深いところで閉じこもり、出歩かないようにすること。 「深居」は奥の深い場所にいること。 「簡出」は機会を選んで出ること。または、稀に出ること。 高い身分の人が姿をくらます時に使われる言葉。
晨去暮来(しんきょぼらい)
朝早く家を出て、夕方になって帰ってくること。 「晨」は早朝。 野鳥が朝早くに餌を探しに出て、夕方には巣に帰ってくるということから。
人琴之嘆(じんきんのたん)
人が死んだことを激しく悲しむ様子。 「琴」は中国の弦楽器で、琴柱のない琴。 中国の晋の王徽之と王献之の兄弟は、どちらも琴の名人だったが、王献之が若くして亡くなり、王献之の琴を王徽之が弾いてもうまくいかず、琴を投げつけ、嘆き悲しんだという故事から。
真金不鍍(しんきんふと)
真の実力や才能があれば、わざわざ外見や表面を飾る必要はないということ。 金自体が高く評価される素材であるため、めっきで表面を飾る必要がないことから。 「鍍」はめっきのこと。 「真金(しんきん)は鍍(と)せず」とも読む。
辛苦艱難(しんくかんなん)
困難な状況に苦しみ悩むこと。 「艱」と「難」はどちらも苦しむことや悩むこと。 「辛苦」は苦しみ悩みのこと。 似た意味の言葉を重ねて強調したもの。 「辛苦艱難」ともいう。
辛苦辛労(しんくしんろう)
ひどく辛い苦労をすること。 「労苦」という言葉に、「辛」を加えて強調した言葉。 「辛労」は「心労」とも書く。 「辛苦辛労(辛苦心労)」ともいう。
辛苦心労(しんくしんろう)
ひどく辛い苦労をすること。 「労苦」という言葉に、「辛」を加えて強調した言葉。 「辛労」は「心労」とも書く。 「辛苦辛労(辛苦心労)」ともいう。
辛苦遭逢(しんくそうほう)
非常に辛く苦しい出来事にあうこと。 「辛苦」は辛く苦しい出来事。 「遭」と「逢」はどちらも遭遇するということ。
身軽言微(しんけいげんび)
地位が低いと発言も軽く扱われるということ。 「身軽」は身分が低いこと。 「言微」は言葉が軽く扱われること。 「身(み)軽くして言(げん)微(いや)し」とも読む。
神経衰弱(しんけいすいじゃく)
疲労によって神経が過敏になる精神の病気。 または、トランプ遊びの名称。
信外軽毛(しんげきょうもう)
心が安定せず乱れやすい凡夫のこと。 「信外」は仏教の言葉で、修行の初期段階である「十信」をまだ終えていない状態のこと。 「軽毛」は風にあおられて安定しない羽毛。
人傑地霊(じんけつちれい)
すぐれた土地から素晴らしい人材が世の中に出ること。 「地霊」はすぐれた土地。または、霊的な存在が宿る土地。 「人傑」は素晴らしい人材。 「人傑地霊」ともいう。
人権蹂躙(じんけんじゅうりん)
人が生まれながらに持っている権利を侵すこと。 または、憲法で保障されている、国民が人らしく生きるための権利を国家が侵すこと。 「人権」は人が生まれながらに持っている、人らしく生きるための権利。 「蹂躙」はふみにじること。侵害すること。
真剣勝負(しんけんしょうぶ)
全力の勝負。 元は武士が木刀や竹刀などではなく、真剣で戦うことをいう。
身言書判(しんげんしょはん)
人を登用するときに基準とするもののこと。 「身」は容姿。 「言」は言葉遣い。 「書」は筆跡。 「判」は文章。 中国の唐の官吏を登用するときの基準をいう。
心堅石穿(しんけんせきせん)
意志を貫き通せば、どんな困難なことも解決することができるということ。 「心堅」は意志が固いこと。 「穿」は穴を空けるや、貫き通すということ。 意志が固ければ、石に穴を開けることもできるという意味から。 傅先生は師から木ののみだけを渡されて、岩盤に穴を開ける修行を与えられたが、四十七年かけて穴を開けたという故事から。 「心(こころ)堅ければ石(いし)をも穿(うが)つ」とも読む。
信言不美(しんげんふび)
誠実な言葉は飾り気がなく、必ずしも美しくないということ。 「信言(しんげん)美(び)ならず」とも読む。 この後に、「美言(びげん)信(しん)ならず(飾り立てた言葉は信用できない)」と続く。
仁言利博(じんげんりはく)
徳の高い人物の言葉や行動は、多くの人々に利益があるということ。 「仁言」は徳のある人の言葉。 「利博」は利益が広い範囲に及ぶこと。 「仁言(じんげん)利博(ひろ)し」とも読む。
心慌意乱(しんこういらん)
ひどく慌てて、何がなんだかわからなくなること。 「心慌」は慌てること。 「意乱」は心が乱れて訳がわからなくなること。 「心(こころ)慌(あわ)ただしく意(い)乱(みだ)る」とも読む。
人口膾炙(じんこうかいしゃ)
多くの人たちの話題となり、人気を集めること。 「膾」は生肉を細かく刻んだ食べ物、「炙」は炙り肉のことで、どちらも多くの人がご馳走として好んで食べることから。 「人口(じんこう)に膾炙(かいしゃ)する」とも読む。 「膾炙人口」ともいう。
神工鬼斧(しんこうきふ)
人の技術で作られたとは思えない素晴らしい作品のこと。 神が細工を施したような、鬼神が斧をふるって作ったような作品という意味から。 神業や名人芸のことをいう。 「鬼斧神工」ともいう。
深溝高塁(しんこうこうるい)
守りの固い城塞のこと。 「溝」は敵の侵入を防ぐための堀。 「塁」は土石を重ねて作った砦。 深い堀と高い砦ということから。
心口如一(しんこうじょいつ)
内心と発言が同じであること。裏表のない様子。 心と口が一つであるという意味から。 「心口(しんこう)一(いつ)の如(ごと)し」とも読む。
心曠神怡(しんこうしんい)
心が大らかで、非常に楽しい気分になること。 「心曠」は心が広く、大らかなこと。 「神怡」は心が喜ぶこと。 岳陽楼の上階に登ると、心が広々として愉快な気持ちになり、栄誉も恥も忘れて酒杯をあげ、喜びで胸が一杯になったということから。 「心(こころ)曠(ひろ)く神(しん)怡(よろこ)ぶ」とも読む。
心広体胖(しんこうたいはん)
心が広く穏やかな人は、体も大きく落ち着いて見えるということ。 「心広」は心が大きく広いこと。 「体胖」は体が大きくのびのびとしていること。 「心(こころ)広ければ体(たい)胖(ゆた)かなり」とも読む。
人口稠密(じんこうちゅうみつ)
人や家が一箇所に集まっていること。 「稠密」は隙間がないほどに集まっていること。
人口稠密(じんこうちょうみつ)
人や家が一箇所に集まっていること。 「稠密」は隙間がないほどに集まっていること。
塵垢粃糠(じんこうひこう)
何の役にも立たないもののたとえ。 「塵」は小さなごみ、ちり。 「垢」は皮膚のよごれ、あか。 「粃」は殻ばかりで実っていない穀物、しいな。 「糠」は米の外皮の糠。
深根固柢(しんこんこてい)
基礎をよく固めて、不安定にならないようにすること。 「根」と「柢」はどちらも木の根のことで、物事の基礎のたとえ。 根を深く強固なものにするという意味から。 「根(ね)を深くして柢(てい)を固くす」とも読む。 「深根固蔕」とも書く。
深根固蔕(しんこんこてい)
基礎をよく固めて、不安定にならないようにすること。 「根」と「柢」はどちらも木の根のことで、物事の基礎のたとえ。 根を深く強固なものにするという意味から。 「根(ね)を深くして柢(てい)を固くす」とも読む。 「深根固蔕」とも書く。
尋言逐語(じんごんちくご)
仏教の言葉で、経典の文字や言葉の解釈だけを考え、本質を理解しようとしないこと。 「言(げん)を尋(たず)ね語を逐(お)う」とも読む。
神采英抜(しんさいえいばつ)
内面も容姿も他の人よりもすぐれていること。 「神采」は心と外見。 「英抜」は他よりもずば抜けてすぐれていること。 「神彩英抜」とも書く。
神彩英抜(しんさいえいばつ)
内面も容姿も他の人よりもすぐれていること。 「神采」は心と外見。 「英抜」は他よりもずば抜けてすぐれていること。 「神彩英抜」とも書く。
神算鬼謀(しんさんきぼう)
人が考えたとは思えないほどにすぐれた策略のこと。 「算」と「謀」はどちらも策略のこと。 神や鬼神が考えた策略という意味から。
深山窮谷(しんざんきゅうこく)
人が入ったことのないような、奥深い山と深い谷のこと。 「深山」は人里から離れた場所にある山。 「窮谷」は深い谷。
人山人海(じんざんじんかい)
非常に多くの人が集まっていることのたとえ。
深山幽谷(しんざんゆうこく)
人里から遠く離れ、誰も足を踏み入れたことがないような深く静かな自然の地のこと。 「深山」は人里から遠く離れた奥深い山のこと。 「幽谷」は山奥の静かな谷のこと。
塵思埃念(じんしあいねん)
一般的なくだらない考えや邪念のこと。 「塵思」と「埃念」はどちらもくだらない考えという意味で、似た意味の言葉を重ねて強調したもの。 塵や埃のように汚れた考えという意味から。
人事葛藤(じんじかっとう)
人間と人間の争い。 「人事」は人間にかかわりのある事柄。 「葛藤」は植物のかずらや藤がもつれて絡むという意味から、争いやごたごたのたとえ。
深識遠慮(しんしきえんりょ)
これから先の出来事までしっかりと考えること。 「深識」は判断力や理解力が深いこと。 「遠慮」はこれから先のことを深く考えること。
深識長慮(しんしきちょうりょ)
これから先の出来事までしっかりと考えること。 「深識」は判断力や理解力が深いこと。 「長慮」はこれから先のことを深く考えること。
紳士協定(しんしきょうてい)
お互いが守ると信頼し合って結ばれる、非公式の約束。 または、条約の一種で、形式で縛らない合意のこと。 「紳士」は礼儀正しく、上品で教養のある男性。 「協定」は話し合って決めること。
慎始敬終(しんしけいしゅう)
最初から最後まで、気をゆるめずに慎重に行うこと。 または、物事は最初と最後が大切であるということ。 「慎」と「敬」はどちらも細心の注意を払うこと。 「始めを慎み終わりを敬(つつ)しむ」とも読む。
人事考課(じんじこうか)
組織などで、所属している人の功績を評価して査定すること。 「考」は比較して調査すること。 「課」は功績を評価すること。
心事高尚(しんじこうしょう)
心の中で思う事の品性が高く、立派な様子。 「心事」は心の中で思うこと。 「高尚」は上品で立派なこと。
参差錯落(しんしさくらく)
様々な不揃いなものが入り混じっている様子。 「参差」は大きさや長さが揃っていない。 「錯落」は色々のものがごちゃごちゃと交ざっていること。
紳士淑女(しんししゅくじょ)
高い教養と品格を持つ、礼儀正しい立派な男性と女性。 「淑女紳士」ともいう。
人之常情(じんしじょうじょう)
人が普段から持っている感情や一般的な考え方。 「人(ひと)の常情(じょうじょう)」とも読む。
心耳心眼(しんじしんがん)
心を研ぎ澄まして、物事を深く理解したり判断したりすること。 心の耳と心の眼を使って洞察するとの意から。
脣歯相依(しんしそうい)
互いに頼り合い、支え合う深い関係にある状態。 「脣」は唇のこと。 密接に関わり合っている唇と歯のような関係との意から。 「脣歯(しんし)相(あい)依(よ)る」とも読む。 「脣」は「唇」とも書く。
唇歯相依(しんしそうい)
互いに頼り合い、支え合う深い関係にある状態。 「脣」は唇のこと。 密接に関わり合っている唇と歯のような関係との意から。 「脣歯(しんし)相(あい)依(よ)る」とも読む。 「脣」は「唇」とも書く。
真実一路(しんじついちろ)
真実だけを求めて生きること。 または、誠実に生きること。 「一路」はまっすぐやひたすらという意味。 山本有三の同名の小説によって広まったとされる言葉。
真実無妄(しんじつむぼう)
間違いや嘘ではない、本当のこと。 または、嘘や偽りのない様子。 「無妄」は騙したり、偽らないこと。
真実無妄(しんじつむもう)
間違いや嘘ではない、本当のこと。 または、嘘や偽りのない様子。 「無妄」は騙したり、偽らないこと。
人事天命(じんじてんめい)
人として出来る限りの努力をして、結果は運命に任せること。 「人事」は人間ができること。 「天命」は運命。 「人事を尽くして天命を待つ」を略した言葉。
唇歯之国(しんしのくに)
利益も損害も共にする近い関係の国同士のこと。 「唇歯」は唇と歯のことで、近い関係のたとえ。
人事不省(じんじふせい)
意識を失うこと。昏睡状態になること。 病気や怪我などで意識を失い、刺激に反応を示さないほどの酷い状態になることをいう。 「人事」は人としての感覚・意識。 「不省」は意識がはっきりとしないこと。
脣歯輔車(しんしほしゃ)
一つが駄目になるともう一つも駄目になるような、非常に深い関係のこと。 「輔車」は車の添え木と車の荷台。または、頬の骨と下顎の骨のこと。 「唇と歯」や「頬の骨と下顎の骨」のように、互いに助け合うことによって存続できるような関係をいう言葉。 中国の晋が虢(かく)の国を攻めるときに、虞(ぐ)の国は晋に通過する許可を出したが、虞の国と互いに助け合う関係にあった虢の国が滅びると、虞の国も滅びたという故事から。 「脣歯」は「唇歯」とも書く。 「輔車脣歯(輔車唇歯)」ともいう。
唇歯輔車(しんしほしゃ)
一つが駄目になるともう一つも駄目になるような、非常に深い関係のこと。 「輔車」は車の添え木と車の荷台。または、頬の骨と下顎の骨のこと。 「唇と歯」や「頬の骨と下顎の骨」のように、互いに助け合うことによって存続できるような関係をいう言葉。 中国の晋が虢(かく)の国を攻めるときに、虞(ぐ)の国は晋に通過する許可を出したが、虞の国と互いに助け合う関係にあった虢の国が滅びると、虞の国も滅びたという故事から。 「脣歯」は「唇歯」とも書く。 「輔車脣歯(輔車唇歯)」ともいう。
心若死灰(しんじゃくしかい)
さっぱりとしていて欲がない様子。または深い悲しみによって元気を失った状態。 心が燃え尽きて冷たくなった灰のようであるとの意から。 「心(こころ)死灰(しかい)の若(ごと)し」とも読む。
斟酌折衷(しんしゃくせっちゅう)
それぞれの事情や心情を汲み取って、その中間を取ること。 「斟酌」は事情や心情を汲み取ること。 「折衷」は複数の中間を選び取ること。 「斟酌折中」とも書く。
斟酌折中(しんしゃくせっちゅう)
それぞれの事情や心情を汲み取って、その中間を取ること。 「斟酌」は事情や心情を汲み取ること。 「折衷」は複数の中間を選び取ること。 「斟酌折中」とも書く。
仁者必勇(じんしゃひつゆう)
思いやりのある人には勇気も備わっているということ。 「仁(じん)ある者(もの)は必ず勇(ゆう)あり」とも読む。
仁者不憂(じんしゃふゆう)
仁徳が備わった人は、常に人としての正しい行いをするので、悩むことがないということ。 「仁者」は仁徳が備わっている人、仁徳者。 「不憂」は悩んだり、不安になったりしないこと。 「仁者(じんしゃ)は憂(うれ)えず」とも読む。
仁者無敵(じんしゃむてき)
人徳が備わった人には、敵になる人がいないということ。 「仁者」は仁徳が備わっている人、仁徳者。 仁徳者が君主になれば、全ての人民を平等に愛するので、敵になる人がいなくなるという意味から。 「仁者は敵無し」とも読む。
仁者楽山(じんしゃらくざん)
仁徳のある人は心に余裕があって落ち着いているので、似た様にずっしりと安定している山を好むということ。 「仁者(じんしゃ)は山を楽しむ」とも読む。
慎終如始(しんしゅうじょし)
物事を最後の段階になっても、初めの段階で持っていた慎重さを維持し、気を緩めないようにすること。 失敗を防ぐための重要な心構え。 「終(お)わりを慎(つつし)むこと始(はじ)めの如(ごと)し」とも読む。
慎終追遠(しんしゅうついえん)
父母の葬式と先祖の祭祀を、心を込めて行うこと。 「終」は父母の葬式。 「遠」は先祖を祀ること。 「終(お)わり慎(つつし)み遠(とお)きを追(お)う」とも読む。
進取果敢(しんしゅかかん)
自身の意思で積極的に取り組み、大きな決断力を持って、失敗を恐れずに取り組むこと。 「進取」は積極的に物事に取り組むこと。 「果敢」は恐れずに大胆に行うこと。
伸縮自在(しんしゅくじざい)
思うように伸ばしたり、縮めたりできること。 または、物事を思うとおりに操れること。 「伸縮」は伸ばしたり縮めたりすること。 「自在」は思うことが思うとおりになること。
人主逆鱗(じんしゅげきりん)
君主や支配者から怒りを買うことのたとえ。 「人主」は君主や支配者のこと。 「逆鱗」は竜の顎の下に逆さに生えているとされる一枚の鱗のことで、これに触ると竜は激怒して触った人を殺すという伝説から、上の立場の人からの激しい怒りを買うことのたとえ。 「人主もまた逆鱗有り」を略した言葉。
神出鬼没(しんしゅつきぼつ)
自由に現れたり隠れたりすること。 または、何の兆しもなく、突然現れたり隠れたりすること。 または、自在に出没するため、所在がわからないこと。 「神出」は神が現れること。 「鬼没」は鬼神が消えること。 自在に出没する様子を神や鬼神にたとえた言葉。
人主逆鱗(じんしゅのげきりん)
君主や支配者から怒りを買うことのたとえ。 「人主」は君主や支配者のこと。 「逆鱗」は竜の顎の下に逆さに生えているとされる一枚の鱗のことで、これに触ると竜は激怒して触った人を殺すという伝説から、上の立場の人からの激しい怒りを買うことのたとえ。 「人主もまた逆鱗有り」を略した言葉。
浸潤之譖(しんじゅんのそしり)
非難や中傷の言葉が、すこしずつ信じられていくこと。 「浸潤」は液体が染み込むという意味から、思想などが人々の間に染み込んで広がることのたとえ。
尋常一様(じんじょういちよう)
他と変わらず、普通な様子。 「尋常」は変わったことのない、普通なこと。 「一様」は行動や状態が他と同じこと。
深情厚誼(しんじょうこうぎ)
情愛の深くこもった付き合いのこと。 「深情」は相手を深く思う気持ちのこと。 「厚誼」は深い親しみの気持ち。 相手からの心遣いをいう言葉。
唇焦口燥(しんしょうこうそう)
大きな声で何度も叫ぶこと。 または、思いっきり叫んで疲れ弱った様子。 または、大きな声で激しい議論をする様子。 唇が焼け焦げて、口の中が乾燥するという意味から。 「唇(くちびる)焦(こ)げ、口燥(か)わく」とも読む。
真正真銘(しんしょうしんめい)
本物であること。嘘や偽りが少しも存在していないこと。 「真正」は本物であること、「真銘」は起源や経歴に間違いがないという意味から、本物であることのたとえで、似ている意味の言葉を重ねて強調した言葉。
尋章摘句(じんしょうてきく)
些細なことばかりこだわって、全体的なものの見方ができないこと。 「尋章」と「摘句」は文章の一節を考えること。 文章や詩の語句を解釈することにこだわって、書物全体の意味や趣旨を理解できないという意味から。 「章を尋(たず)ね句を摘(つ)む」とも読む。
参商之隔(しんしょうのへだて)
距離が非常に離れているために、会う機会がないこと。 または、夫婦や家族が別れたり、不仲になることのたとえ。 「参」はオリオン座の星、参星。 「商」はさそり座の星、商星。 東西に遠く離れた二つの星は、空に同時に現れることはないということから。 古代中国の高辛氏の二人の息子は仲が悪く、いつも争いをしていたために、互いに遠く離れた参星と商星をつかさどらせたという伝説から。
信賞必罰(しんしょうひつばつ)
賞と罰を正しく与えること。 立派な働きをしたものには必ずそれ相応の褒賞を与え、罪を犯したものには必ずそれ相応の罰を与えること。 「信賞」は必ず褒賞を与えること。 「必罰」は必ず罰を与えること。
心象風景(しんしょうふうけい)
心の中で思い浮かぶ風景のこと。 経験や感覚、感情などが元になって生み出される風景をいう。
針小棒大(しんしょうぼうだい)
たいしたことがない物事を、実際より大げさに言うこと。 針ほどの小さく些細なことを、棒ほどに大きく言うという意味から。
晨鐘暮鼓(しんしょうぼこ)
仏寺で、朝と夜に鐘と太鼓を打ち鳴らして時間を知らせること。 また、人の目を覚まさせるような戒めの言葉。 「晨鐘暮鼓」ともいう。
神色自若(しんしょくじじゃく)
何があっても慌てずに落ち着いていること。 「神色」は精神と顔色。 「自若」は心がいつもと同じこと。 何があっても普段と同じ対応をするという意味から。
心織筆耕(しんしょくひっこう)
文章を書くことで生計を立てること。 心で機を織って、筆で田畑を耕して暮らすという意味から。 中国の唐の詩人の王勃が人に頼まれて文章を作ると、お礼として車一杯に黄金をもらったということを、人々がからかったという故事から。
心如鉄石(しんじょてっせき)
人の忠誠心が非常に強いことのたとえ。 心が鉄や石のように堅く揺るがないとの意から。 「心(こころ)、鉄石(てっせき)の如(ごと)し」とも読む。
心如涌泉(しんじょようせん)
知略やアイデアが絶えず湧き出ることのたとえ。 心が水の湧き出る泉のように絶えず新しいものを生むとの意から。 「心(こころ)、涌泉(ようせん)の如(ごと)し」とも読む。
人死留名(じんしりゅうめい)
功績を上げて世に名前を残すこと。 「人を死して名を留(とど)む」とも読む。
身心一如(しんしんいちにょ)
肉体と精神は一つのものの両面であり、分けることはできないということ。 「一如」は一体であること。 「心身一如」とも書く。
心身一如(しんしんいちにょ)
肉体と精神は一つのものの両面であり、分けることはできないということ。 「一如」は一体であること。 「心身一如」とも書く。
身心一如(しんじんいちにょ)
肉体と精神は一つのものの両面であり、分けることはできないということ。 「一如」は一体であること。 「心身一如」とも書く。
心身一如(しんじんいちにょ)
肉体と精神は一つのものの両面であり、分けることはできないということ。 「一如」は一体であること。 「心身一如」とも書く。
人心一新(じんしんいっしん)
人々の心を新しくすること。 「人心」はたくさんの人々の心。 「一新」は古いものを無くして、新しいものにすること。
薪尽火滅(しんじんかめつ)
人が死ぬこと。 「薪尽」は薪が無くなること。 「火滅」は火が消えること。 元は仏教の言葉で、釈迦の入滅のことをいい、そこから人の死をいう。 「薪(たきぎ)尽きて火(ひ)滅ぶ」とも読む。
新進気鋭(しんしんきえい)
新たに現れた、鋭い意気込みがある将来有望な人のこと。 「新進」はその分野に新しく現れること。 「気鋭」は鋭く盛んな意気込みがあること。
人心洶洶(じんしんきょうきょう)
世の人たちの心が恐れおののいて動揺していること。 「洶洶」はびくびくしたり、動揺したりすること。
人心洶々(じんしんきょうきょう)
世の人たちの心が恐れおののいて動揺していること。 「洶洶」はびくびくしたり、動揺したりすること。
信心決定(しんじんけつじょう)
阿弥陀仏(あみだぶつ)の救済の本願を信じ、その信念が不動である状態を指す仏教用語。
人身攻撃(じんしんこうげき)
主張などに対して具体的な反論ではなく、その人個人の事情や行動を非難すること。 「人身」は個人の事情や行動のこと。 「攻撃」は激しく非難すること。
心神耗弱(しんしんこうじゃく)
精神が弱くなって、善悪の判断や行動を抑制する能力が弱くなること。 「心神」は心と精神。 「耗弱」はすり減って弱くなること。 医学や法律などで使われる用語で、心神喪失の手前の状態をいう。
人心収攬(じんしんしゅうらん)
たくさんの人たちの心をしっかりとらえてまとめること。 または、たくさんの人たちの信頼を得ること。 「収攬」はまとめて手でにぎること。
人心如面(じんしんじょめん)
人々の心は、顔のように個々に異なるということ。 心も容姿も人それぞれであり、一概に判断できないという意味から。 「人心(じんしん)は面(めん)の如(ごと)し」とも読む。
心神喪失(しんしんそうしつ)
精神的に弱って、行動の結果がどうなるかを考える能力がなくなること。 「心神」は心、精神。 「喪失」は失う、無くすこと。 法律用語。
真人大観(しんじんたいかん)
物事を深くきわめた人は広く全体を見ることができ、判断を間違えないということ。 「真人」は道理をわきまえていて、深く物事に通じている人のこと。 「大観」は物事全体を広く見ること。
身心脱落(しんじんだつらく)
体も心も全ての束縛から解き放たれること。 中国の宋の如浄禅師のもとで、道元が修行した際に得た実感を言い表した言葉。
人心向背(じんしんのこうはい)
人々の心がどちらに向かうかということ。 「人心」はたくさんの人たちの心。 「向背」は従うか背くかということ。 たくさんの人たちが同意するか、反対するかという意思やその傾向のことをいう。
人心沸騰(じんしんふっとう)
多くの人々の心が熱狂すること。 「人心」はたくさんの人たちの心。 「沸騰」は興奮状態になること。
薪水之労(しんすいのろう)
人に仕えて、怠けず懸命に働くこと。 または、炊事などの家事仕事。 「薪水」は薪を拾いに行って、水を汲みに行くこと。
進寸退尺(しんすんたいしゃく)
少し前に進み、進んだよりも多く退くこと。 または、利益よりも損害のほうが多いことのたとえ。 「寸」と「尺」は距離の単位で、一尺は十寸と同じ。 一寸の距離進んで、一尺の距離退くという意味から。
進寸退尺(しんすんたいせき)
少し前に進み、進んだよりも多く退くこと。 または、利益よりも損害のほうが多いことのたとえ。 「寸」と「尺」は距離の単位で、一尺は十寸と同じ。 一寸の距離進んで、一尺の距離退くという意味から。
人生羈旅(じんせいきりょ)
人の人生、一生。 「羈旅」は旅のこと。 人生、一生のことを旅にたとえた言葉。
人生行路(じんせいこうろ)
人の一生。 「行路」は道を行くということから、旅路のこと。 人の一生をどうなるか予測できない、長く困難な旅路にたとえた言葉。
人生在勤(じんせいざいきん)
生きていく上で、努力と勤勉が重要であるとの考え。 「人生(じんせい)は勤(つと)むるに在(あ)り」とも読む。
人生如夢(じんせいじょむ)
人の一生が儚いことのたとえ。 人の一生は夢のように消えてしまいやすいということから。 「人生(じんせい)夢の如(ごと)し」とも読む。
信誓旦旦(しんせいたんたん)
誠意を持って本心から誓うこと。 「旦旦」は明らかな様子。または、心がこもっている様子。 元は、男性が女性に結婚を申し込むときの気持ちを言い表す時に使われた言葉。
信誓旦々(しんせいたんたん)
誠意を持って本心から誓うこと。 「旦旦」は明らかな様子。または、心がこもっている様子。 元は、男性が女性に結婚を申し込むときの気持ちを言い表す時に使われた言葉。
人生朝露(じんせいちょうろ)
人の一生が儚いことのたとえ。 「朝露」は朝の早い時間におりた露のことで、昼には消えてしまうということから、儚いもののたとえ。 人の一生を消えやすい朝露にたとえた言葉。 「人生朝露の如し」を略した言葉。
人生哲学(じんせいてつがく)
人生とその意義、価値、目的などに関する哲学。
心正筆正(しんせいひつせい)
心が正しければ、その人の筆跡も整うということ。 中国の唐時代の書家、柳公権が穆宋皇帝に筆法を尋ねられたときに言ったとされる言葉。 「心(こころ)正(ただ)しければ筆(ふで)正(ただ)し」とも読む。
晨星落落(しんせいらくらく)
仲のよい友人が次第に少なくなっていくこと。または、歳をとるにつれて友人が死んでいなくなっていくこと。 「晨星」は明け方の空に残っている星。 「落落」は閑散としていてさびしい様子。 夜が明けるにつれて星が一つ一つと消えていく様子から。 「落落晨星」ともいう。
親戚知己(しんせきちき)
血縁関係にある親族と、親しい友人や知人を指す言葉。 「親戚」は血縁者のこと。 「知己」は友人や親しい知人のこと。
人跡未踏(じんせきみとう)
人がまだ足を踏み入れたことがないこと。 「人跡」は人が歩いた足跡のこと。 「未踏」は未だ誰一人として、足を踏み入れていないこと。
親善使節(しんぜんしせつ)
国家や地域間の友好的な関係を築く、または既存の友好関係を深化・増進するために派遣される人々や団体。
神仙思想(しんせんしそう)
古代中国の思想で、俗世を超越した不老不死の仙人になろうとする考えをいう。 「神仙」は不老不死で神通力を持っている仙人のこと。 道教では、仙人になることを教義の根幹としていた。
尽善尽美(じんぜんじんび)
完璧なこと。 善と美のどちらもきわめているということから。 「善を尽くし美を尽くす」とも読む。
真相究明(しんそうきゅうめい)
事件などの分かっていない事実を追い求め、明らかにすること。 「真相」は明らかになっていない事実。 「究明」は真理や真実を追い求めて、明らかにすること。
深造自得(しんぞうじとく)
自身の力だけで学問を奥深くまで習得していること。 「深造」は学問の奥深い境地に至ること。 「自得」は独力で道を習得すること。
深層心理(しんそうしんり)
普段生活しているときには意識されない、奥深いところに隠れている心理のこと。 「心理」は心の動きや状態のこと。 心理学者のフロイトやユングによる心理学の用語。
脣槍舌剣(しんそうぜつけん)
きつい言い方で相手を強く非難すること。 「脣」は唇のこと。 槍のような唇と剣のような舌との意から。 「脣」は「唇」とも書く。
唇槍舌剣(しんそうぜつけん)
きつい言い方で相手を強く非難すること。 「脣」は唇のこと。 槍のような唇と剣のような舌との意から。 「脣」は「唇」とも書く。
迅速果敢(じんそくかかん)
すぐに決断して、迷わずに行動すること。 「迅速」は非常に速いこと。 「果敢」は物事を思い切りよく決断すること。
迅速果断(じんそくかだん)
物事を思い切りよく速やかに決断し、行動すること。 「果断」は物事を思い切りよく決断すること。
進退維谷(しんたいいこく)
どうすることもできないこと。 進むことも退くこともできないということから。 「進退維(こ)れ谷(きわ)まる」とも読む。
進退去就(しんたいきょしゅう)
現在の職や地位に留まるか辞めるかなどの、身の振り方や対応方法のこと。 「進退」と「去就」はどちらも、留まることと辞めること。 似た意味の語を重ねた言葉。 「去就進退」ともいう。
身体髪膚(しんたいはっぷ)
人の体のあらゆる部分のこと。全身。 「髪膚」は髪の毛と皮膚のこと。 出典には「身体髪膚之を父母に受く」とあり、父母から受けた体は大切なものであるという意味の言葉。
身体髪膚(しんだいはっぷ)
人の体のあらゆる部分のこと。全身。 「髪膚」は髪の毛と皮膚のこと。 出典には「身体髪膚之を父母に受く」とあり、父母から受けた体は大切なものであるという意味の言葉。
進退両難(しんたいりょうなん)
どうすることもできないこと。 前に進むことも、後ろに下がることも難しいという意味から。 「進退両(ふた)つながら難(かた)し」とも読む。
人畜無害(じんちくむがい)
何ものにも害を与える可能性がないこと。 または、そのような人や物のこと。 「人畜」は人と家畜。 落ち着いた性格の人や、女性に対して危険性のない男性をいう言葉。
心地光明(しんちこうめい)
心が正しく、清く広いこと。 「心地」は心のこと。 「光明」は仏の心身から放たれる、明るく輝く光のこと。
身中之虫(しんちゅうのむし)
組織や集団の内部から災いをもたらすこと。 獅子の体内に寄生する虫が獅子を死なせることから。
人中之竜(じんちゅうのりゅう)
たくさんの人の中でも、飛びぬけてすぐれた才能のある人のこと。 「竜」はすぐれた才能を持っている人のたとえ。 中国の晋の時代の隠者の宋繊を称賛した言葉から。
尽忠報国(じんちゅうほうこく)
国に忠義を尽くして、国からの恩に報いること。 「尽忠」は誠意を込めて君主や国家に尽くすこと。 「報国」は国から受けた恩に報いること。 中国の南北朝時代の皇帝宣帝の死後、その遺言に背こうとした高官を顔之儀が諫(いさ)めたとされる言葉から。 「報国尽忠」ともいう。
陣中見舞(じんちゅうみまい)
頑張って仕事をしている人を訪ねて励ますこと。 または、そのときに渡す贈り物のこと。 「陣」は戦場の中の本部。 もとは、戦場で戦う兵士を訪ねて労うことをいう。
慎重居士(しんちょうこじ)
軽々しく行動せずに、注意深く慎重な人のこと。 「居士」は出家せずに、仏教の修行をする人をからかって呼ぶ名称。
新陳代謝(しんちんたいしゃ)
古いものが新しいものへと入れ替わること。 「新」は新しいもの。「陳」は古いもの。 「代謝」は入れ替わること。 本来は、生物が生きていくために必要なものを取り入れ、不必要なものを排出することをいう言葉であるが、会社や組織などの若返りのことを言う場合もある。
人定勝天(じんていしょうてん)
人間の意志や努力が強ければ、自然や運命さえも超越できるということ。 「人(ひと)定(さだ)まりて天(てん)に勝つ」とも読む。
身体髪膚(しんていはっぷ)
人の体のあらゆる部分のこと。全身。 「髪膚」は髪の毛と皮膚のこと。 出典には「身体髪膚之を父母に受く」とあり、父母から受けた体は大切なものであるという意味の言葉。
心定理得(しんていりとく)
行動や道理が正しいために、心が安定していて落ち着いている様子。 「人心定まりて事理得」を略した言葉。
震天動地(しんてんどうち)
大きな事件が起こることのたとえ。 または、勢いや音が極めて激しいことのたとえ。 「天(てん)を震(ふる)わし地を動かす」とも読む。
陣頭指揮(じんとうしき)
人の上に立つ人が、現場の一番前で指揮すること。 「陣頭」は戦闘部隊の一番前。または、第一線。
人道主義(じんどうしゅぎ)
人間愛に基づいて人間の尊厳と価値を重視し、全ての人々の幸福や利益を追求する思想や立場。
神荼鬱塁(しんとうつりつ)
門を守る神の名前。 「神荼」と「鬱塁」は門を守る神の兄弟の名前。 百鬼を支配して、従わないものを虎に食べさせたとされる門の守り神。 古代中国では二神(鬱塁と神荼)と虎の絵を門にはって魔よけにしていた。 「鬱塁神荼」ともいう。
心頭滅却(しんとうめっきゃく)
気を散らすような考えを消し去ること。 または、集中してことにあたれば、苦しさを感じないということ。 「心頭」は心の中。胸の内。 「滅却」は何も残らないように全て無くすこと。 「心頭を滅却すれば火もまた涼し」を略した言葉で、禅僧の快川が織田信長に寺を焼き討ちにされた際、燃え上がる山門でこの句を唱えたという故事から。
審念熟慮(しんねんじゅくりょ)
物事の本質を明らかにして、正しい筋道を得るために深く考えること。 「審念」は物事の本質を見極めるために深く考えること。 「熟慮」は深く考えること。
心煩意乱(しんはんいらん)
いらいらとして心が落ち着かないこと。 「心煩」は悩ますことが多く、苛立たしいこと。 「意乱」は心が落ち着かないこと。
塵飯塗羹(じんぱんとこう)
実際に何の役にも立たないもののこと。 「塵飯」は塵の飯。 「塗羹」は泥の吸い物。 こどもがままごと遊びで作った、見た目だけで食べられない食事ということから。
振臂一呼(しんぴいっこ)
自分自身を奮い立たせること。 「振臂」は腕を振ること。 「一呼」は声を出すこと。 腕を振って声を出すということから。
人非木石(じんひぼくせき)
人間は木や石とは異なり、感情や思考、意識を持っているということ。 「人は木石(ぼくせき)に非(あら)ず皆(みな)情(じょう)あり」を略した言葉。
人品骨柄(じんぴんこつがら)
人柄や品格、容姿や身なりのこと。 「人品」はその人が持っている品性や気品のこと。 「骨柄」は体つきから感じられる風格や品性のこと。
人貧智短(じんぴんちたん)
人は貧しく、生活に困ると頭が働かなくなり、よい知恵が浮かばなくなるということ。 「人(ひと)貧(ひん)すれば智(ち)短し」とも読む。
人不易知(じんふいち)
他人の本性を奥底まで知ることは容易ではないということ。 「人(ひと)は知(し)り易(やす)からず」とも読む。
心腹之疾(しんぷくのしつ)
命を落とす可能性の高い、非常に危険な病気。 または、どうすることも出来ない災害や、大きな障害、手ごわい相手のことをいう。 「心腹」は心臓と内臓のこと。 人にとって重要な部分の病気という意味から。
心腹之友(しんぷくのとも)
親友のこと。 「心腹」は腹を割って話して、何も隠さずに本心を明かすということから。
心腹之疾(しんぷくのやまい)
命を落とす可能性の高い、非常に危険な病気。 または、どうすることも出来ない災害や、大きな障害、手ごわい相手のことをいう。 「心腹」は心臓と内臓のこと。 人にとって重要な部分の病気という意味から。
心不在焉(しんふざいえん)
心が他の場所にあるため、目の前の物事に集中できない状態を指す言葉。 注意散漫で、手元の作業や会話に心を傾けることが難しい様子などをいう。 「心(こころ)焉(ここ)に在(あ)らず」とも読む。
新婦新郎(しんぷしんろう)
結婚式当日の婿と嫁。 「婦」は夫がいる女性。 「新婦新郎」ともいう。
人物月旦(じんぶつげったん)
人の価値などを評価して批評すること。 「月旦」は毎月のはじめの日のこと。 後漢の許劭は、毎月のはじめの日に人を批評したものを発表していたという故事から。
神仏混淆(しんぶつこんこう)
神道と仏教の信仰をうまく融合させること。 「混淆」は区別できないほどに入り混じること。 「神仏混交」とも書く。
神仏混交(しんぶつこんこう)
神道と仏教の信仰をうまく融合させること。 「混淆」は区別できないほどに入り混じること。 「神仏混交」とも書く。
深文巧詆(しんぶんこうてい)
罪を犯した人に厳しく法を適用し、法の強さを分からせること。 「文」は法律のこと。 「詆」はあばくこと。
心平気和(しんぺいきわ)
落ち着いていて安らいでいる様子。 心が落ち着いていて、争いを起こす気が全くない様子をいう。 「心(こころ)平(たい)らかに気(き)和(わ)す」とも読む。
深謀遠慮(しんぼうえんりょ)
深く考えをめぐらせて、遠い先の未来のことを見通して、手抜かりのない計画を立てること。また、その計画のこと。 「深謀」は欠陥がないようにしっかり考えられた計画。 「遠慮」は遠い先のことをしっかりと考えること。 「遠慮深謀」ともいう。
脣亡歯寒(しんぼうしかん)
互いに深い関係で繋がっていて、一方が滅びるともう一方も危険な状態になること。 「脣」は唇のこと。 唇と歯は互いに助け合う関係であり、唇が無くなると歯は寒くなるということから。 古代中国の虞の宮之奇が、虞とカクの国の関係をたとえていった故事から。 「脣(くちびる)亡(ほろ)びて歯(は)寒し」とも読む。 「唇亡歯寒」とも書く。
唇亡歯寒(しんぼうしかん)
互いに深い関係で繋がっていて、一方が滅びるともう一方も危険な状態になること。 「脣」は唇のこと。 唇と歯は互いに助け合う関係であり、唇が無くなると歯は寒くなるということから。 古代中国の虞の宮之奇が、虞とカクの国の関係をたとえていった故事から。 「脣(くちびる)亡(ほろ)びて歯(は)寒し」とも読む。 「唇亡歯寒」とも書く。
人亡物在(じんぼうぶつざい)
亡くなった人を偲(しの)び、遺品を通じてその人の存在や思い出を感じること。 人が亡くなった後も、その人の持ち物や遺品は残るとの意から。 「人(ひと)亡(ぼう)じて物(もの)あり」とも読む。
心慕手追(しんぼしゅつい)
すぐれた技術や、その技術を持つ人物などに心が惹かれ真似をすること。 心が惹かれ、手で真似をするという意味から。
心満意足(しんまんいそく)
この上なく満たされた気持ちになること。 「心満」と「意足」はどちらも心が満たされるという意味。 「心(こころ)満ち意(い)足る」とも読む。
親密無間(しんみつむかん)
人と人との関係が非常に親密で、隙間や隔たりがまったくない様子。 「親密(しんみつ)間(かん)無(な)し」とも読む。
神妙入微(しんみょうにゅうび)
物事が非常に緻密かつ巧みで、細部にまで注意と技術が施されている様子。 「神妙(しんみょう)微(び)に入(い)る」とも読む。
尽未来際(じんみらいさい)
いつまでも続く、永遠ということ。 未来の終わり、時間が続く限りいつまでもという意味。 仏教の言葉。
尽未来際(じんみらいざい)
いつまでも続く、永遠ということ。 未来の終わり、時間が続く限りいつまでもという意味。 仏教の言葉。
人面獣心(じんめんじゅうしん)
非情で残酷な人のたとえ。 けだものの心を持った人間という意味から。
人面獣身(じんめんじゅうしん)
妖怪や化け物のこと。 顔が人間で、身体は獣という意味から。
人面桃花(じんめんとうか)
恋い慕う女性に会えないこと。 「人面」は美しい女性の顔。 「桃花」は植物の桃の花。 中国の唐の詩人の崔護は、ある桃の木の下で美しい女性に会い、その女性と互いに惹かれあったが、その時はそのまま別れた。 崔護はその女性を忘れられず、次の年にまた訪ねたがその女性に会うことができず、詩を残して去ったという故事から。
瞋目張胆(しんもくちょうたん)
大いに勇気を奮うこと。 「瞋目」は怒りで目をむき出すこと。 「張胆」は肝っ玉を太くすること。 恐ろしい事態にあっても、恐れずに勇気を持って立ち向かう心構えをいう言葉。 「目を瞋(いから)し胆(きも)を張る」とも読む。
晨夜兼道(しんやけんどう)
急いで仕事をすること。 または、昼も夜も休まずに先へ進むこと。 「晨」は朝のこと。 「兼道」は二日かかる行程を一日で進むこと。
神祐天助(しんゆうてんじょ)
天や神の助け。または、思いがけない幸運に救われること。 「神祐」は神の助け。 「天助」は天の助け。
迅雷風烈(じんらいふうれつ)
激しい雷と風のこと。 または、行動が非常に素早い様子。
森羅万象(しんらばんしょう)
この世に存在する全てのものや現象。 「森羅」は生い茂った木々がどこまでも並び続いている様子のことから、無数に連なるという意味。 「万象」は形あるもの全てという意味。
森羅万象(しんらばんぞう)
この世に存在する全てのものや現象。 「森羅」は生い茂った木々がどこまでも並び続いている様子のことから、無数に連なるという意味。 「万象」は形あるもの全てという意味。
森羅万象(しんらまんぞう)
この世に存在する全てのものや現象。 「森羅」は生い茂った木々がどこまでも並び続いている様子のことから、無数に連なるという意味。 「万象」は形あるもの全てという意味。
心乱如麻(しんらんじょま)
心が取り乱されて、どうすればよいかわからない様子。 心が、絡まった麻糸のように複雑で解けない状態にあるとの意から。 「心乱(しんらん)麻(あさ)の如(ごと)し」とも、「心(こころ)乱(みだ)るること麻(あさ)の如(ごと)し」とも読む。
心理戦争(しんりせんそう)
武力を用いず、情報操作やプロパガンダ(喧伝)、心理的操作などを通じて、相手を不利にし、自己の利益を追求する戦術や戦略。
心領神会(しんりょうしんかい)
心の中で深く理解すること。 「領」と「会」はどちらも理解すること。 「神」は心のこと。
新涼灯火(しんりょうとうか)
秋の始めの夜の涼しさは、灯りの下で読書するにはぴったりだということ。 「新涼」は秋の初めの涼しさ。 「灯火」は灯りの下で書物を読むということで、「灯火親しむべき候」を略した言葉。
深慮遠謀(しんりょえんぼう)
遠い先の未来のことに深く考えをめぐらせて、手抜かりのない計画を立てること。 または、その計画そのもののこと。 「深慮」は欠陥がないようにしっかり考えられた計画。 「遠謀」は将来のことを見通してしっかりと考えること。 「遠謀深慮」ともいう。
親類縁者(しんるいえんじゃ)
血のつながりや、親戚など縁続きのある人のこと。 「親類」は血のつながりのある人たちのこと。 「縁者」は親戚関係にある人たちのこと。
心霊現象(しんれいげんしょう)
科学的な方法では証明または説明が困難である、超自然的な現象。 特に、幽霊や死後の世界といった、死者の霊魂が関与しているとされる現象についていう言葉。 これらの現象は、多くの場合、個人の経験に基づいて報告されており、科学的な根拠は一般に不足している。
深厲浅掲(しんれいせんけい)
その時々の状況に合わせて適切に対処すること。 「厲」は着物をたくし上げること。 「掲」は裾をからげること。 深い川を渡る時には着物をたくし上げ、浅い川を渡る時は裾をからげて渡ることから。 「深ければ厲(れい)し、浅ければ掲(けい)す」とも読む。
蜃楼海市(しんろうかいし)
気象現象の蜃気楼のこと。 または、非現実的な考えや根拠のない理論のたとえ。 「海市」と「蜃楼」はどちらも蜃気楼(光の異常屈折が原因で遠くのものが浮かんで見えたり逆さに見えたりする現象)のこと。 「蜃楼海市」ともいう。
辛労辛苦(しんろうしんく)
ひどく辛い苦労をすること。 「労苦」という言葉に、「辛」を加えて強調した言葉。 「辛労」は「心労」とも書く。 「辛苦辛労(辛苦心労)」ともいう。
心労辛苦(しんろうしんく)
ひどく辛い苦労をすること。 「労苦」という言葉に、「辛」を加えて強調した言葉。 「辛労」は「心労」とも書く。 「辛苦辛労(辛苦心労)」ともいう。
新郎新婦(しんろうしんぷ)
結婚式当日の婿と嫁。 「婦」は夫がいる女性。 「新婦新郎」ともいう。