「く」から始まる四字熟語
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空空寂寂(くうくうじゃくじゃく)
この世の形の有るもの無いもの全ては実体や本性が空で、思惟分別を超えているということ。 または、何も無く静かな様子。 または、無関心や、煩悩のない無心な状態。
空々寂々(くうくうじゃくじゃく)
この世の形の有るもの無いもの全ては実体や本性が空で、思惟分別を超えているということ。 または、何も無く静かな様子。 または、無関心や、煩悩のない無心な状態。
空空漠漠(くうくうばくばく)
広くて果てしない様子。またはぼんやりとしている状態。
空々漠々(くうくうばくばく)
広くて果てしない様子。またはぼんやりとしている状態。
空穴来風(くうけつらいふう)
隙間や穴があれば、そこから風が入り込む。同じく、何らかの隙間や問題が存在すると、そこから噂が生じやすい。 「火のない所に煙は立たぬ」ということわざと同じく、根拠のない噂が生まれることは少ない、という意味の言葉。
空花乱墜(くうげらんつい)
妄想や幻覚をいう言葉。 または、実際には存在しないものを、実際に存在するかのように間違えること。 「空花」はこの世には存在しない花のこと。 「乱墜」は乱れ落ちること。 目を患った時に、見えないはずの空花の花が乱れ落ちているように見えるということから。 「空華乱墜」とも書く。
空華乱墜(くうげらんつい)
妄想や幻覚をいう言葉。 または、実際には存在しないものを、実際に存在するかのように間違えること。 「空花」はこの世には存在しない花のこと。 「乱墜」は乱れ落ちること。 目を患った時に、見えないはずの空花の花が乱れ落ちているように見えるということから。 「空華乱墜」とも書く。
空谷跫音(くうこくのきょうおん)
人のいない場所での寂しい生活の中で予想外の訪問や便りのたとえ。または、孤立した状態での自分の意見に賛同する人を得た時に用いる言葉。 「空谷」は人気のない寂しい谷のこと。 「跫音」は足音のこと。 「跫音空谷」ともいう。
空山一路(くうざんいちろ)
人の気配のない静かな山の中に一つの道が通じていること。 「空山」は人気のない寂しく静かな山。 「一路」は一つの道。
空手還郷(くうしゅげんきょう)
手に何も持たずにふるさとに帰ること。 道元が宋の国に行って如浄禅師に出会い、当たり前のことをあるがままに知ることが悟りであり、ほかに悟るべき格別の仏法は存在しないということを悟って、帰国したという故事から。 「空手(くうしゅ)にして郷(きょう)に還(かえ)る」とも読む。
苦雨凄風(くうせいふう)
冷たい強風と長く降り続く雨のこと。 「苦雨」は何日も降り続いている雨。 「凄風」は冷たく激しい風。 「苦雨凄風」ともいう。
空前絶後(くうぜんぜつご)
今までに例がなく、これからも起こることがないような珍しいこと。 「空前」は今までに起きたことがない。 「絶後」はこれからも起こることはありえないという意味。
偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)
神以外の人や像などを信仰し拝むこと。または、絶対的なものとして批判することなく崇拝すること。
偶像破壊(ぐうぞうはかい)
神や仏などを象った像を壊すこと。 または、権力の象徴を否定して非難や攻撃をする。 「偶像」は信仰の対象として、神や仏を象った像のこと。
空即是色(くうそくぜしき)
「空」であることによって、はじめてこの世の全ての事象や物体が成り立つということ。 「空」とは、存在しているが実体性を欠いていることで、 この世の全ての事象や物体などのすべてを否定しているのではない。「空」が事象や物体などの真の姿でもあるという意味。 「色」とは、この世に存在する全ての物質的な物や、人が認識できる全ての事象のこと。
藕断糸連(ぐうだんしれん)
関係が完全には切れていないことのたとえ。 夫婦などが離婚などで縁を切っても、相手のことを思う情は完全には消えないということのたとえ。 「藕」は植物の蓮。または、その根、蓮根。 「糸連」は切った部分が糸を引くこと。 蓮や蓮根を切っても糸でつながっているという意味から。 「藕(はす)断たれて糸連なる」とも読む。
空中楼閣(くうちゅうのろうかく)
土台のない蜃気楼で現れた建物という意味から、根拠がなく現実的ではない考えや議論のこと。
空中分解(くうちゅうぶんかい)
航空機が飛んでいる途中に、空中でばらばらに壊れること。 または、計画や組織などが、途中でつぶれたり、くずれたりしてだめになることのたとえ。
空中楼閣(くうちゅうろうかく)
土台のない蜃気楼で現れた建物という意味から、根拠がなく現実的ではない考えや議論のこと。
空理空論(くうりくうろん)
現実とかけ離れていて、実際に役に立たない理論のこと。 「空理」と「空論」は現実離れしていて無益な理論や議論のこと。
苦学力行(くがくりきこう)
働いて学資を得て、苦労しながら懸命に勉強すること。 「苦学」は苦労しながら、働きながら勉強すること。 「力行」は懸命に努力する、努力しながら行うという意味。
苦学力行(くがくりっこう)
働いて学資を得て、苦労しながら懸命に勉強すること。 「苦学」は苦労しながら、働きながら勉強すること。 「力行」は懸命に努力する、努力しながら行うという意味。
盟神探湯(くかたち)
古代日本で行われた、神に誓いを立て、真偽、正邪を判断する裁判の方法。 神に誓いを立てて熱湯に手をいれて、正しい者はやけどを負わず、罪のある者は手がただれるというもの。
苦髪楽爪(くがみらくづめ)
人の苦楽の様子のことで、苦しいときは髪が早く伸び、楽をしているときは爪が早く伸びるということ。
苦行難行(くぎょうなんぎょう)
非常に苦労すること。 または、苦労や困難に耐えながら修行すること。 「行」は仏教語で、悟りを得るための修行。 「苦行難行」ともいう。
区区之心(くくのこころ)
「区」は小さな区画という意味で、「区区」は小さくて取るにたらないということから、取るにたらない小さな心のこと。 自分の考えや心のことを謙遜していう言葉。
愚公移山(ぐこういざん)
大きなことでも、根気よく努力し続ければ必ず成功することのたとえ。 愚公という老人の家の前に二つの大きな山があり、どこに行くにも迂回しなければいけなかった。 不便なので山を切り崩し、平にしようとしたときに嘲笑するものもいたが、何代にも渡ってやれば出来ると山を崩し始めた。 愚公の熱意を感じた天帝が二つの山を移した故事から。
苦口婆心(くこうばしん)
相手のことを思い、口を苦くして何度も教えさとすこと。 「苦口」は口を苦くするという意味から厳しい助言。 「婆心」は慈愛溢れる老女のような心のこと。
愚者一得(ぐしゃのいっとく)
愚かな人でもたまには優れた名案を出すこと。 自分の意見を出すときに謙遜の表現としても用いることがある。
苦心孤詣(くしんこけい)
全力で努力して、勉学や技術、芸術に精通していること。 または、深い知識や豊かな独創性を言い表す言葉。
苦心惨憺(くしんさんたん)
心を砕きながら、さまざまな苦労や努力を重ねること。 「苦心」は苦労して考えること。 「惨憺」は心を砕き、悩むこと。 「苦心惨澹」とも書く。
苦心惨澹(くしんさんたん)
心を砕きながら、さまざまな苦労や努力を重ねること。 「苦心」は苦労して考えること。 「惨憺」は心を砕き、悩むこと。 「苦心惨澹」とも書く。
薬九層倍(くすりくそうばい)
薬は、売値が原価の九倍と異常に高いことから、暴利をむさぼることのたとえ。
九寸五分(くすんごぶ)
短刀のこと。 「寸」と「分」は長さの単位で、短刀の長さと同じということから。
苦節十年(くせつじゅうねん)
長い間物事がうまくいかなくても、成功を信じて努力を続けること。 「十年」は長い年月という意味で、苦労を振り返って用いることが多い。
九損一徳(くそんいっとく)
費用が多くかかり、あまり利益にならないこと。 九回損をして、一回得をするという意味から。 「鞠は九損一徳」を略した言葉で、蹴鞠に熱中すると十の中で九は損をするという意味から。 「九損一得」とも書く。
九損一得(くそんいっとく)
費用が多くかかり、あまり利益にならないこと。 九回損をして、一回得をするという意味から。 「鞠は九損一徳」を略した言葉で、蹴鞠に熱中すると十の中で九は損をするという意味から。 「九損一得」とも書く。
愚痴無知(ぐちむち)
愚かで知識がないこと。 または、そのような人のこと。 「愚痴」は愚かなこと。 「無知」は何も知らないこと。 「愚痴無智」とも書く。
愚痴無智(ぐちむち)
愚かで知識がないこと。 または、そのような人のこと。 「愚痴」は愚かなこと。 「無知」は何も知らないこと。 「愚痴無智」とも書く。
苦中作楽(くちゅうさくらく)
苦しい中でも、楽しもうとして作り出すこと。 元は苦しいことばかりの世の中で、それが楽しいと思い込んで、この世界に心がとらわれているという否定的な意味で、そこから苦しいことも苦としないという意味に変わった言葉。または、忙しくても余裕のある生き方のことをいう。 「苦中(くちゅう)に楽(らく)を作(な)す」とも読む。
苦爪楽髪(くづめらくがみ)
人の苦楽の様子。 苦しい時は爪がよく伸び、楽をしている時は髪がよく伸びるということ。 「楽髪苦爪」ともいう。
狗頭生角(くとうせいかく)
不思議なこと。 または、あるはずがないことが起こること。 「狗」は動物の犬のこと。 犬の頭に角が生えるということから。 「犬頭(くとう)角(つの)を生ず」とも読む。
功徳無量(くどくむりょう)
功績や恩恵がこの上なく大きいこと。 「功徳」は功績と人徳。 「無量」は計ることが出来ないほど多いこと。 仏教の言葉で、信仰によって仏からの恩恵を授かること。
苦肉之計(くにくのけい)
苦し紛れの策略のこと。または、自らの体を苦しめることまでして、敵を欺く策略のこと。 三国時代、赤壁の戦いで呉の黄蓋が魏のスパイの前で、自らの意思で刑を受け、見限っての投降と思わせて、敵の陣営の船団に火を放ち形勢逆転した故事から。 「苦肉之謀」とも書く。
苦肉之策(くにくのさく)
苦し紛れの策略のこと。 または、自らの体を苦しめることまでして、敵を欺く策略のこと。 三国時代、赤壁の戦いで呉の黄蓋が魏のスパイの前で、自らの意思で刑を受け、見限っての投降と思わせて、敵の陣営の船団に火を放ち形勢逆転した故事から。
苦肉之計(くにくのはかりごと)
苦し紛れの策略のこと。または、自らの体を苦しめることまでして、敵を欺く策略のこと。 三国時代、赤壁の戦いで呉の黄蓋が魏のスパイの前で、自らの意思で刑を受け、見限っての投降と思わせて、敵の陣営の船団に火を放ち形勢逆転した故事から。 「苦肉之謀」とも書く。
苦肉之謀(くにくのはかりごと)
苦し紛れの策略のこと。または、自らの体を苦しめることまでして、敵を欺く策略のこと。 三国時代、赤壁の戦いで呉の黄蓋が魏のスパイの前で、自らの意思で刑を受け、見限っての投降と思わせて、敵の陣営の船団に火を放ち形勢逆転した故事から。 「苦肉之謀」とも書く。
九年之蓄(くねんのたくわえ)
国が豊かなこと。 「蓄」は食料の貯蓄のこと。 国民の一人一人に、九年分の食料の貯蓄があるという意味から。 「九年之儲」とも書く。
九年之儲(くねんのたくわえ)
国が豊かなこと。 「蓄」は食料の貯蓄のこと。 国民の一人一人に、九年分の食料の貯蓄があるという意味から。 「九年之儲」とも書く。
九年面壁(くねんめんぺき)
長い期間一つのことに専念してやり遂げること。 または、長い期間努力し続けること。 達磨大師が嵩山の少林寺に籠り、九年間壁に向かって座禅を組んで悟りを開いたという故事から。 「九年面壁(くねんめんぺき・きゅうねんめんぺき)」ともいう。
狗吠緇衣(くはいしい)
いつもと違う服を着ていれば、怪しまれることは当たり前のことだということ。 「狗吠」は犬が吠えることやその鳴き声。 「緇衣」は黒い色の服のこと。 楊布が白い服で出かけたが雨に降られたので、黒い服に着替えて帰ると、飼っている犬に吠えられたという故事から。
狗馬之心(くばのこころ)
地位が上の者への忠誠心、誠意のこと。 「狗馬」は犬と馬のことで、犬や馬のように恩を忘れず主人に仕えて、少しずつでも恩返しをするという意味。 君主に対する自分の忠誠を自らを卑下していう言葉。
狗尾続貂(くびぞくちょう)
つまらない者が、権力で次々と高官になることを罵しる言葉。または、劣った者がすぐれた者のあとに続くこと。 「狗尾」は犬の尾、「貂」は動物のてんのことで、昔は高官の冠にてんの尾を飾っていた。 晋の趙王倫が力を得て、一族をみな高官にして、てんの尾で飾った冠をつけたために、てんの尾が足りなくなって、犬の尾で飾らないといけなくなると人々が罵った故事から。
九分九厘(くぶくりん)
ほとんど完璧なもの。ほぼ間違いないこと。 十分のうちの九分九厘という意味から。
具不退転(ぐふたいてん)
後ろを振り返らずに、物事を遣り通すという気持ちをもつこと。 「具」は準備するということ。 「不退転」は仏教の修行で、退歩することの段階から戻らないということから、信じて決して変えないということ。
求不得苦(ぐふとくく)
仏教の八苦の中の一つで、求めているものを得ることが出来ない苦しみのこと。
区聞陬見(くぶんすうけん)
学問や知識の幅が狭くて偏っていること。 「区」は細かい、小さいという意味。 「陬」は偏っていること。 自分の知識を謙遜する場合に使うこともある。
九品往生(くほんおうじょう)
仏教で極楽浄土に往生するときの九種類の方法のこと。 生前の功徳によって、上品、中品、下品に分かれており、さらにそれぞれに上生、中生、下生がある。 その違いによって九等級の蓮台に迎えられるとされている。
九品蓮台(くほんれんだい)
生前の行いによって九等級に分かれるとされており、極楽浄土に往生した者が座る蓮(はす)でできた台のこと。
愚問愚答(ぐもんぐとう)
意味のない問答のこと。 つまらない質問と愚かな答えという意味から。
君恩海壑(くんおんかいがく)
君主から受けた恩は、海や谷のように深いこと。 「君恩」は君主からの恩。 「海壑」は海と谷。 海や谷のように深い恩ということから。
群蟻附羶(ぐんぎふせん)
利益が発生するところに、人々が群がることを卑しむ言葉。 「羶」は生臭いことで、生臭い肉に蟻が集まるということから。 「群蟻羶に附く」とも訓読する。 「群蟻付羶」とも書く。
群蟻付羶(ぐんぎふせん)
利益が発生するところに、人々が群がることを卑しむ言葉。 「羶」は生臭いことで、生臭い肉に蟻が集まるということから。 「群蟻羶に附く」とも訓読する。 「群蟻付羶」とも書く。
群疑満腹(ぐんぎまんぷく)
疑わしいことが多くて、心の中が疑問でいっぱいになること。または、たくさんの人が疑いの心を持つこと。 「群」は多いことや多くの人、「疑」は疑いの気持ちを持つこと。 「満腹」の「腹」は腹の中ということから、心という意味で、「満腹」は心の中がいっぱいに満ちるということ。
群軽折軸(ぐんけいせつじく)
小さな力でも、多く集まれば大きな力になることのたとえ。 「群」は多いことや多くの人、「軸」は車の軸のことで、軽いものでも数が多ければ重くなって、車の軸は折れるという意味から。 「群軽(ぐんけい)軸(じく)を折る」とも読む。
群鶏一鶴(ぐんけいのいっかく)
多くの凡人の中で、極めて優れている一人の人物のこと。 鶏の群れの中にいる一羽の鶴という意味から。
焄蒿凄愴(くんこうせいそう)
強い香気を放っていて、人の心を悲壮で恐ろしい気持ちにさせること。 生物の死後の霊魂である鬼神を言い表す言葉。 「焄蒿」は、いぶすように強い香りが立ちのぼること。 「凄愴」は、痛ましく恐ろしいこと。
群策群力(ぐんさくぐんりょく)
たくさんの人が策をめぐらせて、皆で力を合わせること。 「群策」はたくさんの臣下が策を巡らすこと。 「群力」はたくさんの役人の力のこと。 立場が下の人が策を巡らし、立場が上の人はそれを受け入れて協力することにより、組織は最も強い力を発揮するということから。 漢が楚を倒した理由を尋ねると、臣下の作戦を聞き入れて、役人と臣下は力を合わせたからと答えたという故事から。
君子固窮(くんしこきゅう)
君子といえども、困窮することはある。そのような時でも取り乱すことなく、理性的で冷静な態度を保つが君子であるということ。
君子自重(くんしじちょう)
学識があり、徳の備わった人格者は、自身の行動を慎んで、軽率な行動をしないこと。 「君子」は教養があり、高い徳がある人格者。 「自重」は慎んで、軽はずみな行動をしないこと。
君子殉名(くんしじゅんめい)
人格者は、名誉のために自身を犠牲にするということ。 「君子」は教養があり、高い徳がある人格者。 「殉名」は名誉を得るために、自身を犠牲にすること。 「君子(くんし)名(な)に殉(じゅん)ず」とも読む。
君子九思(くんしのきゅうし)
人格者が常に心がけるべき九つのこと。 「君子」は人格者、「九思」はいつも忘れないように心にある九つのこと。 物はしっかりと見る、話は正確に聞く、表情はいつも穏やかに保つ、手厚く礼儀正しい姿勢、言葉は真心を持って偽らない、仕事は慎重にする、疑問には質問する、怒る時にはその後どうするか考えておく、道義を犯して利益を貪らないという九つのこと。 「君子は九思あり」とも訓読する。
君子三畏(くんしのさんい)
君子がおそれ敬うべき三つのこと。 天命、有徳の大人、聖人の言をいう。 「君子」は人格者、「畏」はおそれ敬うこと。
君子三戒(くんしのさんかい)
少年期の色欲、壮年期の闘争、老年期の物欲という人格者が自ら戒めておくべき三つのこと。 「君子」は人格者。
君子三楽(くんしのさんらく)
父母と兄弟が元気で健在なこと、正しい行動をして、正しい心を持って天に恥じない生活をすること、すぐれた才能を持つ人を見つけ出し教育するという人格者の三つの楽しみのこと。 「君子」は人格者。
君子万年(くんしばんねん)
高い徳を持っている高潔な人は長く生きるということ。または、長生きを祈願する言葉。 「君子」は学識が高く、徳の高い人物、人格者。 「万年」は一万年のことで、長い年月のたとえ。
君子豹変(くんしひょうへん)
信念を持たずに考えや態度をあっさりと変えること。 元は「人格者は間違いをすぐに認めて改める」という良い意味で使われていたが、現在は悪い意味で使われることが多い言葉。 「君子」は徳のあるすばらしい人物のこと。 「豹変」は豹の毛が生え変わるときに模様が美しく変化することで、ここでは考えや態度を急に変えることのたとえ。
君子不器(くんしふき)
優れた人物は、一つのことだけでなく、様々なことに通用する才能を持っているということ。 「君子」は学識が高く、徳の高い人物、人格者のことで、そのような人物は、一つの使い道しかない器物とは違っていて、様々な役割を果たすことが出来るということから。 「君子は器ならず」とも訓読する。
群而不党(ぐんじふとう)
すぐれた人物は、人と仲良くしても徒党を組むことはないということ。 「党」は徒党を組んで身内を優遇すること。 「群して党せず」、また「群すれども党せず」とも読む。
君子万年(くんしまんねん)
高い徳を持っている高潔な人は長く生きるということ。または、長生きを祈願する言葉。 「君子」は学識が高く、徳の高い人物、人格者。 「万年」は一万年のことで、長い年月のたとえ。
葷酒山門(くんしゅさんもん)
匂いの強い食べ物や酒を寺院に持ち込んだり、そのような物を飲食した者は、寺院に入ってはいけないという戒め。 「葷」はにらやねぎ、にんにくなどの強い匂いを発する野菜のこと。 「酒」は酒のことで、どちらも修行の邪魔になり、不浄のものとされている。 「山門」は寺院の門や、寺院そのもののこと。 主に禅寺の門の脇に設置されている石碑に、「不葷酒入山門」と刻まれていて、その言葉を略した言葉。
君辱臣死(くんじょくしんし)
臣下は君主と楽しいときも苦しいときも共に生き、生死を共にしなければいけないということ。または、君主が辱めを受ければ、臣下は恨みを晴らすために命を懸けるということ。 「君辱」は君主が侮辱されること。 「臣死」は臣下が死を覚悟して事にあたること。 古代中国の春秋時代、越の政治家の范蠡が「君に憂いあれば臣労し、君辱めらるれば臣死す」といった故事から。 「君辱めらるれば臣死す」とも訓読する。
君側之悪(くんそくのあく)
君主のそばに仕えている悪人のこと。または、君主に媚を売り、悪いことを企んでいる人のこと。 「君側」は君主に近いところ、側近。 「悪」は悪人。
君命無二(くんめいむに)
君主からの命令は、一度出されてしまえば、それが絶対であるということ。 または、臣下は君主からの命令に対して、疑いの心を持たないこと。 「君命(くんめい)に二(に)無し」とも読む。
群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)
実力者たちがそれぞれ勢力を持ち、対立すること。 「群雄」は英雄や実力者たちのこと。 「割拠」は各地に拠点を構えて勢力を持つこと。 戦国時代、英雄達が各地に拠点を構えて覇を競ったことから。
群竜無首(ぐんりゅうむしゅ)
よい人材はたくさんいるが、統率できる者がいないために、うまく事が運ばないこと。または、まとめる人がいないこと。 「群竜」の「竜」はよい人材のたとえで、「群竜」は竜がたくさんいるという意味から、よい人材がたくさんいること。 「無首」の「首」は統率できる者のことで、「無首」は統率できる者がいないこと。 「群竜、首無し」とも訓読みする。
群竜無首(ぐんりょうむしゅ)
よい人材はたくさんいるが、統率できる者がいないために、うまく事が運ばないこと。または、まとめる人がいないこと。 「群竜」の「竜」はよい人材のたとえで、「群竜」は竜がたくさんいるという意味から、よい人材がたくさんいること。 「無首」の「首」は統率できる者のことで、「無首」は統率できる者がいないこと。 「群竜、首無し」とも訓読みする。
勲労功伐(くんろうこうばつ)
成果や功績のこと。または、成果や功績を上げること。 「勲」、「労」、「功」、「伐」はどれも成果や功績のこと。 人臣の功は「閲」を含めた五つ。