「じ」から始まる四字熟語
絞込み検索
時移俗易(じいぞくえき)
時代の移り変わりに応じて、風俗や習慣も変わること。 「時(とき)移(うつ)り俗(ぞく)易(か)わる」とも読む。
時雨之化(じうのか)
「時雨」は適切な時に適度に降る雨のこと。 適度な雨は草木の育成をよくすることから、君主の善政や聖人の教化が、人々を感化すること。
慈烏反哺(じうはんぽ)
育ててくれた親に恩返しすること。 「慈烏」はカラスの別名、「反哺」は口移しで餌を与えること。 成長したカラスは、口移しで老いた親に餌を与えて幼時の恩を返すといわれていることから。
持盈保泰(じえいほたい)
安らかで満ち足りた状態を維持し続けること。 または、慎重に行動して災いを招かないようにすること。 「持盈」は満ち足りた状態を維持すること。 「保泰」は安らかなことを維持すること。 「保泰持盈」ともいう。
事過境遷(じかきょうせん)
物事の状況や事態が変化すると、心の状態も変化するということ。 または、一つのことが終われば、環境や身辺の諸事情が変化するということ。 「境」は心の状態や、人の境遇のこと。 「遷」は変化すること。 「事(こと)過ぎ境(きょう)遷(うつ)る」とも読む。
自家撞着(じかどうじゃく)
同じ人の行動や言動が前後で辻褄が合わないこと。 「自家」は自分自身のこと、「撞着」は辻褄があわないこと、矛盾していること。
自家撞着(じかどうちゃく)
同じ人の行動や言動が前後で辻褄が合わないこと。 「自家」は自分自身のこと、「撞着」は辻褄があわないこと、矛盾していること。
自家撲滅(じかぼくめつ)
同じ人の言動や文章が、前と後で食い違っていること。 「自家」は自分自身のこと。 自分自身を滅ぼすということから。
自家薬籠(じかやくろう)
自分の使いたい時に自由に使える物や技術、または人のこと。 「薬籠」は薬箱のことで、自分の家にある薬箱の中の薬はどれも役に立つものであり、必要なときに好きなように使えることから。
爾雅温文(じがおんぶん)
心がおだやかで、態度や言動が礼儀にかなっていること。 「温文」は温和で礼儀にかなっていること。 「爾雅」は言葉や文章などが美しいこと。 「爾雅温文」ともいう。
自画自賛(じがじさん)
「賛」は絵画に添える詩文のこと。 一般的には他人に書いてもらうもので、自分の絵画に自分で賛を書くことから、自分で自分をほめるという意味。
直指人心(じきしにんしん)
人の心を直に指差すこと。 禅宗の言葉で、人の心と仏は同じものであり、そのことを言葉や文字でなく、直接的に導くことをいう。
時期尚早(じきしょうそう)
事を実行するのは、まだ時期が早すぎるという意味。 「尚早」はまだ時期ではないという意味。
時機到来(じきとうらい)
よい機会がやってくるという意味。 「時機」はよい機会のことで、時機が到来するということから。
事急計生(じきゅうけいせい)
差し迫った状況になり、追い詰められるとかえってよい計略や策略を思いつくということ。 中国の後梁の初代皇帝の朱全忠の妾の子である朱友珪は、朱全忠に左遷されそうになり悲嘆していると、側近から追い詰められるとよい計略が浮かぶものだと励まされ、朱全忠を殺して帝位を奪ったという故事から。 「事(こと)急(きゅう)なれば計(けい)生ず」とも読む。
自給自足(じきゅうじそく)
自分に必要なものを自分でまかない、十分に足りるようにすること。
自彊不息(じきょうふそく)
休むことなく、自ら努力を続けること。 「彊」は心を緩めず励んで行うこと。 「自彊(じきょう)息(や)まず」とも読む。 「自彊」は「自強」とも書く。
自強不息(じきょうふそく)
休むことなく、自ら努力を続けること。 「彊」は心を緩めず励んで行うこと。 「自彊(じきょう)息(や)まず」とも読む。 「自彊」は「自強」とも書く。
舳艫千里(じくろせんり)
船の船尾に次の船の船首がくっつくような間隔で、どこまでも連なっていること。 または、そのように船団が進む様子。 「舳」は船首、「艫」は船尾、「千里」は距離が非常に長いこと。
自己暗示(じこあんじ)
自分で自分に特定の意識や理念を抱くように繰り返すことで暗示をかけること。
自高自大(じこうじだい)
大きな態度をとって他人を見下すこと。 「自高」と「自大」はどちらも自分で自分を大きいものだと思うこと。
自己犠牲(じこぎせい)
他人に尽くすために、自分の利益や欲望、命などを捨てること。 「犠牲」は目的を果たすために、大事なものを捧げること。
自己欺瞞(じこぎまん)
自分の本心、良心を裏切り、心を偽ること。 「欺」と「瞞」はどちらも偽るという意味。
自己嫌厭(じこけんえん)
自分で自分のことを嫌うこと。 「嫌厭」は嫌って憎むこと。
自己嫌悪(じこけんお)
自分で自分のことを嫌うこと。 「嫌悪」は嫌って憎むこと。
自己顕示(じこけんじ)
自らの存在に注目させようとすること。 または、自らの功績や成功を自慢すること。 「顕示」は明確に示すこと。
自己中心(じこちゅうしん)
自分のことしか考えずに行動すること。
自己韜晦(じことうかい)
自身の才能や地位、本心などを隠して表に出さないこと。 「韜晦」は才能や学識などを隠すという意味。
自己陶酔(じことうすい)
自分自身の言葉や考えなどを素晴らしいものとして、自分自身に酔いしれること。 「陶酔」はうっとりと心地よい気分に浸ること。
自己撞着(じこどうちゃく)
同じ人の行動や言動が前後で食い違っていること。 「撞着」は辻褄が合わないこと、矛盾していること。
自己弁護(じこべんご)
自分の保身のために、都合のいい言い訳をすること。 「弁護」はその人の利益になることを主張して、その人を守りかばうこと。
自己満足(じこまんぞく)
自身の言動に対して、自身で不満なく満たされた気持ちになること。 「満足」は望んだとおりに事が進んで、満たされた気持ちになること。 否定的な意味で使われることが多い言葉で、他人から見れば満足する水準に届いていなくても、自身が満足することをいう。
自己矛盾(じこむじゅん)
同じ人の考えや行動が前後で食い違い、つじつまが合わなくなること。
自今以後(じこんいご)
現在から先。今から後。 「自今」は「而今」「爾今」、「以後」は「已後」とも書く。
而今而後(じこんじご)
今より後やこれから、今後という意味。
自業自得(じごうじとく)
自分が行ったことが自分に返ってくること。 悪い意味で使われることが多い。 自分の行動の善悪の業によって、苦楽の業を受けるという意味の仏教の因果の法則を表す言葉。
事後承諾(じごしょうだく)
事が終わった後で許可を得ること、または与えること。
自作自演(じさくじえん)
自分で筋書きを作り、自分で演じること。 または、自分で歌を作り自分で歌うこと。 被害者と加害者が同一人物の狂言誘拐や狂言強盗、インターネット上での成りすまし行為など。
自作自受(じさくじじゅ)
自身の働いた悪事の結果、悪い報いを受けること。 「自作」は自身が行うということ。 自身の行動の結果を自信が受けるという意味から。
自殺行為(じさつこうい)
行動の結果、自分の身を滅ぼすとわかっていながらも、あえて行う愚かな行動のこと。 「自殺」は自身の意思で自身の命を絶つこと。
事死如生(じしじょしょう)
亡くなった人に対して、生きている時と同じように丁寧に仕えること。 最上の孝行の様子をいう。 「死に事(つかう)ること生(い)けるが如し」とも読む。
自私自利(じしじり)
周りに配慮せず、自分の事しか考えていない行動や態度のこと。
耳視目食(じしもくしょく)
衣食の本質を忘れて、見た目の贅沢さだけを求めること。 「目食」は味を気にせずに見た目が豪華なものを食べること。 「耳視」は評判を気にして、たとえ似合わなくても高価な衣服を選ぶこと。 「耳視目食」ともいう。
自主独立(じしゅどくりつ)
他の人を頼らず、自分の意思で責任を持って物事を行うこと。
耳食之談(じしょくのだん)
耳で聞いただけで食べ物の味を判断するという意味から、耳で聞いただけの話を確認もせずに信じてしまうこと。
自信満満(じしんまんまん)
信が溢れている状態で、揺るぎない確信を持ち、不安の影が見えない様子。
時時刻刻(じじこくこく)
時を追って次々と何かが起こる様子。 「その時その時」や「一刻一刻」など。 「時刻」は時間の流れの決まった一瞬のことで、それを重ねて、一瞬一瞬が連続して経過していく様子という意味。
時々刻々(じじこくこく)
時を追って次々と何かが起こる様子。 「その時その時」や「一刻一刻」など。 「時刻」は時間の流れの決まった一瞬のことで、それを重ねて、一瞬一瞬が連続して経過していく様子という意味。
時時刻刻(じじこっこく)
時を追って次々と何かが起こる様子。 「その時その時」や「一刻一刻」など。 「時刻」は時間の流れの決まった一瞬のことで、それを重ねて、一瞬一瞬が連続して経過していく様子という意味。
時々刻々(じじこっこく)
時を追って次々と何かが起こる様子。 「その時その時」や「一刻一刻」など。 「時刻」は時間の流れの決まった一瞬のことで、それを重ねて、一瞬一瞬が連続して経過していく様子という意味。
事実無根(じじつむこん)
事実に基づいていない上に、根拠もないこと。
事事物物(じじぶつぶつ)
一つ一つのあらゆる物事のこと。 「事物」を重ねて強調した言葉。
事々物々(じじぶつぶつ)
一つ一つのあらゆる物事のこと。 「事物」を重ねて強調した言葉。
耳熟能詳(じじゅくのうしょう)
何度も聞いて聞きなれていることは、詳しく説明できるという意味。 または、物事をよく知っているという意味。 「耳熟」は耳が聞きなれている、「能詳」は詳しく説明することが出来るということ。
耳竪垂肩(じじゅすいけん)
耳たぶが長く、肩まで垂れていること。 「耳竪」は耳たぶのこと。 裕福で長生きな人の容姿をいう言葉。 「耳竪(じじゅ)肩(かた)に垂(た)る」「耳竪(じじゅ)肩(かた)に垂(なんなん)とす」とも読む。
自受法楽(じじゅほうらく)
「法楽」は仏教で仏を信じて楽しんで善行積むことで、悟りの境地を自分自身で楽しむこと。
自浄意志(じじょういし)
清らかな心を保つように努力すること。 仏教の言葉で、仏道を究めるには悪行を働いてはならず、善行を積まなければならないという教えのこと。 「自ら意志を浄(きよ)む」とも読む。
自浄作用(じじょうさよう)
川や海、大気などが流れている間に、自然と綺麗になる作用のこと。 または、組織など内にある悪い部分を、自らの力で改善すること。
自縄自縛(じじょうじばく)
自身の縄で自身を縛るという意味から、自らの言動や心がけで身動きが出来なくなり苦しむこと。
辞譲之心(じじょうのこころ)
自分の立場や境遇から退いて、それを他者に譲ろうとする心。 儒教の「礼」の糸口とされる言葉。
事上磨錬(じじょうまれん)
実際に行動や実践を通じて、知識や精神を磨き修養すること。 「事上」は行動や業務をしながらという意味で、「磨錬」は磨きをかけること。 日常の業務をしっかりとこなして、それを通じて修養することが真の学問だとする陽明学の基本的な考え方。
爾汝之交(じじょのこう)
すごく親しい間柄のこと。 「爾」と「汝」は親しみを込めて相手を呼ぶ言葉。 「お前」や「貴様」のようにお互いを呼び合えるような仲のこと。
爾汝之交(じじょのまじわり)
すごく親しい間柄のこと。 「爾」と「汝」は親しみを込めて相手を呼ぶ言葉。 「お前」や「貴様」のようにお互いを呼び合えるような仲のこと。
事序繽紛(じじょひんぷん)
物事の順序がめちゃくちゃになること。 「事序」は物事の順序や秩序のこと。 「繽紛」はたくさんのものが交じり合い、よくわからなくなること。
時世時節(じせいじせつ)
その時その時の巡りあわせ。時代ごとの世の中の様子。 「時世」は時代や時代の流れ。 「時節」は時期や世の中の現在の様子。
時節到来(じせつとうらい)
「時節」はよい機会のことで、時節が到来するということから、よい機会がやってくるという意味。
耳聡目明(じそうもくめい)
目と耳の感覚のどちらもすぐれていること。 「耳聡」は聴覚がすぐれていること。
自麤入細(じそにゅうさい)
大雑把な部分から始めていき、細かい部分へと進んでいくこと。 文章を作るときの作り方をいう言葉。 「麤」は細かい部分にこだわらない様子。大まか。 「麤(そ)より細(さい)に入(い)る」とも読む。
自存独立(じそんどくりつ)
何ものにも縛られることもなく、誰からの助けを受けることもなく、自分一人の力だけで存在していること。 「独立」は他からの助けを受けたり支配されたりしないこと。 「自存」は自分一人の力だけで生きていくこと。 「自存独立」ともいう。
自他不二(じたふに)
絶対的な平等のこと。 仏教の考え方から見ると自身と他人には区別などなく、自身を救うことと他人を救うことは同じことであるという仏教の言葉。
時代錯誤(じだいさくご)
時代の流れとは合わない古臭い考えのこと。 「錯誤」は間違ったことを正しいと思い込むこと。
事大主義(じだいしゅぎ)
自分の考えを持たず、自分の保身のために強いものを迎合する考えや態度のこと。
耳聴心受(じちょうしんじゅ)
心に深く刻みつけること。 耳で聞き、心で受け止めることから。
十誡五倫(じっかいごりん)
キリスト教の十の戒律と、儒教の人として守るべき五つの道。 「十誡」はキリスト教でモーセが神から与えられた戒律のこと。 「五倫」は孟子によって提唱された五つの道徳法則のこと。 「十戒五倫」とも書く。
十戒五倫(じっかいごりん)
キリスト教の十の戒律と、儒教の人として守るべき五つの道。 「十誡」はキリスト教でモーセが神から与えられた戒律のこと。 「五倫」は孟子によって提唱された五つの道徳法則のこと。 「十戒五倫」とも書く。
十寒一暴(じっかんいちばく)
努力というものは、続けられずに怠ってしまいがちであるということ。また、短期間努力してもその後に長期間怠れば努力が無駄になってしまうということ。 「暴」は日にさらすこと。 「寒」は冷やすこと。 日にさらして暖めようとして、一日は暖めたがその後の十日間は日陰においたままにして冷やしてしまうという意味。 「十寒一暴」ともいう。
十死一生(じっしいっしょう)
ほとんど助かる見込みがない状況でかろうじて助かること。
十室九空(じっしつきゅうくう)
災害や戦乱、暴政などで住民がいなくなり、十軒に九軒が空き家になって村が閑散としている様子。
十室而九(じっしつじきゅう)
災害や戦争、悪政などが原因となって国が荒れていること。 十軒のうち九軒が不満を持っていることから。 「十室(じっしつ)にして九(きゅう)」とも読む。
十手所指(じっしゅしょし)
多数の人の意見や評価が一致することのたとえ。 十人が同じところを指さすことから。 「十手(じっしゅ)の指(ゆびさ)す所(ところ)」とも読む。
十進九退(じっしんくたい)
十人に九人は諦めるほどに、仏教の修行は厳しく困難なこと。 または、悟りを得るためには十の努力をして九は無駄になるために、多くの時間が必要なこと。
実践躬行(じっせんきゅうこう)
理論などを自らの力で実際に実行してみること。 「実践」は実際にやってみること。 「躬行」は自分の力で行うこと。 口だけではなく実際にやってみることの大切さをいう言葉。 「躬行実践」ともいう。
実相観入(じっそうかんにゅう)
対象に自己を投入して、自己と対象が一つになることで、対象のもっている世界を具象的に写すという理論。 斉藤茂吉が唱えた短歌の写生理論のことで、正岡子規の写生論を発展させたもの。
十中八九(じっちゅうはっく)
十あるうちの八か九ということから「ほとんど」「おおかた」「ほぼ確実」という意味。
十発十中(じっぱつじっちゅう)
確実に。絶対に。必ず。 十発射撃すると十発当たることから。
十風五雨(じっぷうごう)
十日ごとに風が吹き、五日ごとに雨が降る、農耕に適した天候のこと。 または、世の中が平和で穏やかな状態であることのたとえ。
日月其除(じつげつきじょ)
月日は常に流れ続け、人を待つことはないということ。 「除」は時間が経過すること。 「月日(じつげつ)其(そ)れ除(さ)らん」とも読む。
日月星辰(じつげつせいしん)
空のこと。または、太陽、月、星などの天体のこと。 「星辰」は星座。星の総称。
日月之食(じつげつのしょく)
君子の犯した過ちのこと。 君子はたとえ過ちを犯したとしてもすぐ改めるため、日食や月食のように陰りはすぐに消え去り、再び光を取り戻すということから。
日月逾邁(じつげつゆまい)
月日が過ぎていくこと。または、驚くほどはやく老いていくこと。 「日月」は時、時間のこと。 「逾邁」は経過するや、過ぎていくという意味。
日就月将(じつしゅうげつしょう)
少しずつ良い方へと変わっていくこと。 「就」は成就すること。 「将」は前に進むこと。 「日(ひ)に就(な)り月(つき)に将(すす)む」とも読む。
実事求是(じつじきゅうぜ)
「実事」は本当のことや事実、「求是」は真実を求めるということから、 事実の実証に基づいて物事の真理を追求すること。
日中則昃(じつちゅうそくしょく)
勢いが盛んになった後は必ず衰退するということ。 「昃」は日が傾くこと。 日が昇った後は、必ず沈むことから。 「日(ひ)中(ちゅう)すれば則(すなわ)ち昃(かた)むく」とも読む。
日暮途遠(じつぼとえん)
対処のしようがない状態。万策尽きた状態。または、年老いていて目的を果たせないこと。 日が暮れても、まだ目的地まで遠いという意味から。 「日(ひ)暮(く)れて途(みち)遠し」とも読む。
日陵月替(じつりょうげったい)
月日が経つにつれて少しずつ衰えていくこと。 「陵」と「替」はどちらも衰えるという意味。 「日(ひ)に陵(りょう)し月(つき)に替(たい)す」とも読む。
実力伯仲(じつりょくはくちゅう)
優劣をつけることができないほどに実力の差がないこと。 「伯仲」は長男と次男のこと。 兄弟の中でも長男と次男は歳が近いことが多く、実力も同じくらいであるということから、どちらもすぐれていて優劣をつけるのが難しいことをいう。
耳提面命(じていめんめい)
細かいところまで行き届いた丁寧な説明をして、理解できるように説き聞かせること。 「耳提」は耳を引いて寄せること。 「面命」は向かい合って説き聞かせること。
自然法爾(じねんほうに)
浄土真宗で如来の絶対的な他力に身を任せること。 「自然」は外部からの影響ではなく、自ずからそうであること。 「法爾」は法則のままやあるがままということ。 全てのものは、自ずから如来の知恵のあらわれであり、真理にかなっているということ。 「法爾自然」ともいう。
事半功倍(じはんこうばい)
少しの努力で大きなよい結果を出すこと。 他の人の半分の量の努力で、他の人の倍以上の成果を上げるという意味から。 「事(こと)半(なか)ばにして功(こう)倍(ばい)す」とも読む。
地盤沈下(じばんちんか)
地面が沈んで、地面の高さが低くなる現象のこと。 または、それまでの激しい勢いが弱くなることのたとえ。 「沈下」は沈んで下がること。
慈悲心鳥(じひしんちょう)
カッコウ目カッコウ属の鳥、十一(じゅういち)の別称。 「ジヒシン」と鳴いているように聞こえることから。
慈悲忍辱(じひにんにく)
仏教語で、「慈悲」は慈しみ深い心、「忍辱」は苦難を耐えてしのぶことで、情け深くどんな苦難も耐えてしのぶこと。 または、僧が守るべき道のこと。
慈眉善目(じびぜんもく)
「慈眉」は慈愛に満ちた眉、「善目」は正直でまじめそうな目のことから、やさしくて善良そうな顔つきのこと。
時不可失(じふかしつ)
良い機会は逃さないようにするべきということ。 「時(とき)は失(うしな)う可(べ)からず」とも読む。
時不久留(じふきゅうりゅう)
時間は素早く過ぎていくものであるということ。 「時(とき)久(ひさ)しくは留(とど)まらず」とも読む。
時不再来(じふさいらい)
良い機会は二度と訪れないこともあるので、時機を逃すことなく行動すべきであるということ。 「時(とき)再(ふたた)び来(きた)らず」とも読む。
自負自賛(じふじさん)
自分の行為をすぐれていると思い込み、自分の行為を褒めること。 「自負」は自分の才能をすぐれていると思い込むこと。 「自賛」は自分の行いを自分で褒めること。 「自負自讃」とも書く。
自負自讃(じふじさん)
自分の行為をすぐれていると思い込み、自分の行為を褒めること。 「自負」は自分の才能をすぐれていると思い込むこと。 「自賛」は自分の行いを自分で褒めること。 「自負自讃」とも書く。
自分勝手(じぶんかって)
自分の都合だけを考えて、他の人の迷惑などを考えずに行動すること。 「勝手」は自分の都合だけで行動すること。
自分勝手(じぶんがって)
自分の都合だけを考えて、他の人の迷惑などを考えずに行動すること。 「勝手」は自分の都合だけで行動すること。
耳聞目見(じぶんもくけん)
自身の耳や目で、実際に聞いたり見たりすること。 「耳もて聞き、目もて見る」とも読む。
自暴自棄(じぼうじき)
やけになって、もうどうなってもいいと将来の希望を捨てたり、投げやりな行動をすること。 「自暴」はやけくそで自分を損なうこと。 「自棄」は自分を見捨てること。
慈母敗子(じぼはいし)
教育には優しさだけではなく、時には厳しさが必要なこと。 「慈母」は愛情が深い母親、「敗子」は道楽息子のこと。 甘やかしすぎるとわがままで親不孝な道楽息子になるという意味。
事無二成(じむにせい)
二つの物事を同時に行っても、両方とも成功させることはできないということ。 「事(こと)に二成(にせい)無(な)し」とも読む。
自明之理(じめいのり)
説明する必要もないほど当たり前の論理や道理のこと。 「自明」はそれ自身で証明の必要がなく明らかなこと。
耳目之欲(じもくのよく)
実際に聞いたり見たりすることで生まれる欲望のこと。 または、聞いたり見たりしたいと思う欲望のこと。
自問自答(じもんじとう)
自分自身に質問をしかけて、自分自身でその質問に答えること。
鵲巣鳩居(じゃくそうきゅうきょ)
他人の地位や成功を横取りすること。 または、嫁いできた女性が夫の家をわが家とすることのたとえ。 巣作りが得意な鵲(かささぎ)の巣に鳩(はと)が住み着くことから。 「鵲巣鳩居」ともいう。
鵲巣鳩占(じゃくそうきゅうせん)
他人の地位や成功を横取りすること。または、嫁いできた女性が夫の家をわが家とすることのたとえ。 巣作りが得意な鵲の巣に鳩が住み着くという意味から。
弱肉強食(じゃくにくきょうしょく)
弱者の犠牲があって、その上にいる強者が繁栄すること。 「強食弱肉」ともいう。
寂滅為楽(じゃくめついらく)
仏教語で煩悩を滅した悟りの境地に、真の安楽があるということ。 「寂滅」は「涅槃(ねはん)」と同じ意味で、煩悩を滅した悟りの境地、「為楽」は楽しみをなすという意味。
邪宗異端(じゃしゅういたん)
少数派に信じられている正統ではなく、人の心を惑わす宗教のこと。 「邪宗」は道理に外れた、人を惑わす有害な宗教のこと。 「異端」はその時代の多くの人に認められず、少数の人によって信じられている主張や学説、宗教などのこと。
邪説異端(じゃせついたん)
少数派に信じられている正統ではない主張・学説・信仰などのこと。 「異端」は多くの人には認められず、少数の人によって信じられている主張や学説、宗教などのこと。 「邪説」は道理に外れた主張や学説のこと。 「邪説異端」ともいう。
邪智奸佞(じゃちかんねい)
性格がひねくれていて、悪知恵がはたらくこと。 「奸佞」は心がひねくれていて悪賢く、人にこびへつらうこと。 「邪智」は悪いことにだけよく働く知恵。 「奸佞」は「姦佞」とも、「邪智」は「邪知」とも書く。 「邪智奸佞」ともいう。
邪智姦佞(じゃちかんねい)
性格がひねくれていて、悪知恵がはたらくこと。 「奸佞」は心がひねくれていて悪賢く、人にこびへつらうこと。 「邪智」は悪いことにだけよく働く知恵。 「奸佞」は「姦佞」とも、「邪智」は「邪知」とも書く。 「邪智奸佞」ともいう。
邪知奸佞(じゃちかんねい)
性格がひねくれていて、悪知恵がはたらくこと。 「奸佞」は心がひねくれていて悪賢く、人にこびへつらうこと。 「邪智」は悪いことにだけよく働く知恵。 「奸佞」は「姦佞」とも、「邪智」は「邪知」とも書く。 「邪智奸佞」ともいう。
邪知姦佞(じゃちかんねい)
性格がひねくれていて、悪知恵がはたらくこと。 「奸佞」は心がひねくれていて悪賢く、人にこびへつらうこと。 「邪智」は悪いことにだけよく働く知恵。 「奸佞」は「姦佞」とも、「邪智」は「邪知」とも書く。 「邪智奸佞」ともいう。
邪知暴虐(じゃちぼうぎゃく)
悪いことに知識がよく働き、乱暴な行動で人々を苦しめること。 「邪知」は悪知恵。 「暴虐」は乱暴で残酷なこと。 「邪智暴虐」とも書く。
邪智暴虐(じゃちぼうぎゃく)
悪いことに知識がよく働き、乱暴な行動で人々を苦しめること。 「邪知」は悪知恵。 「暴虐」は乱暴で残酷なこと。 「邪智暴虐」とも書く。
雀角鼠牙(じゃっかくそが)
訴訟のこと。 「鼠牙」は鼠(ねずみ)の牙。 「雀角」は雀(すずめ)のくちばし。 鼠や雀が壁や塀に穴を空けて家を壊すように、訴訟は家庭を壊すという意味から。 「雀角鼠牙」ともいう。
寂光浄土(じゃっこうじょうど)
仏の住んでいるとされる静かで汚れのない世界のこと。または、仏道の悟りの境地のこと。 「寂光」は真理の静寂と真智の光。 「浄土」は汚れがなく清らかな国。
十悪五逆(じゅうあくごぎゃく)
十の悪い行いと、五つの憎むべき罪。 「十悪」は殺し、盗み、不純な異性関係、嘘、戯れ言、乱暴な言葉、陰口、貪欲、怒りや憎しみ、誤った見解のこと。 「五逆」は五逆罪の略で、母親殺し、父親殺し、聖人殺し、仏を傷つけて出血させる、教団を破壊するという地獄に落とされる五つの重罪のこと。
縦横自在(じゅうおうじざい)
自分の思ったことを邪魔されることなく、思ったように出来ること。 または、思い切りやりたいことをすること。 「縦横」と「自在」はどちらも何者からも邪魔されることなく、思うとおりに出来ること。
縦横無礙(じゅうおうむげ)
思ったまま好きなように物事を行う様子。 または、満足するまで自由に行動すること。 「縦横」は縦と横のことから自分の思うよう好きに振舞うこと。 「無礙」は何者にも縛られないこと。
縦横無尽(じゅうおうむじん)
思うまま好きなように物事を行う様子。 または、満足するまで自由に行動すること。 「縦横」は縦と横のことから、自分の思いのままに振る舞うこと。 「無尽」は尽きることが無いという意味。
十駕之術(じゅうがのじゅつ)
たとえ才能がなくても、努力を続けることで成功できるということ。 足の遅い馬でも、十日走れば駿馬に追いつけることから。
獣窮則齧(じゅうきゅうそくげつ)
追い詰められた獣が必死に噛み付くように、人も行き詰まってしまうと嘘をつくということ。 「獣(じゅう)窮(きゅう)すれば則(すなわ)ち齧(か)む」とも読む。
十逆五悪(じゅうぎゃくごあく)
十の悪い行いと、五つの憎むべき罪。 「十逆」は殺し、盗み、不純な異性関係、嘘、戯れ言、乱暴な言葉、陰口、貪欲、怒りや憎しみ、誤った見解のこと。 「五悪」は母親殺し、父親殺し、聖人殺し、仏を傷つけて出血させる、教団を破壊するという地獄に落とされる五つの重罪のこと。
十行倶下(じゅうぎょうくか)
読書の速度がとても速いこと。 中国の南北朝時代、北斉の孝瑜は、十行の文章を一度に読み進めたという故事から。 「十行(じゅうぎょう)倶(とも)に下る」とも読む。
重厚長大(じゅうこうちょうだい)
大きくて重量感のある様子。 重く、厚く、長く、大きいという意味から。 人の性格や建物、または、重化学工業などのことをいう。
十五志学(じゅうごしがく)
十五歳で学問をすることを心に決めること。 「十五」は十五歳のこと。 「志学」は学問をすることを心に決めること。 孔子が生涯を振り返って言った言葉から。 「志学」という言葉が十五歳のことをいうのは、この言葉が語源。
獣聚鳥散(じゅうしゅうちょうさん)
規律や統率が全くないものの集まり。 「聚」は集まるという意味。 獣のように集まって、鳥のように散るという意味で、獣や鳥が秩序なく集まったり散ったりする様子から。
十日一水(じゅうじついっすい)
細かい部分にも注意を払って作品を完成させること。 または、その作品のこと。 一つの川の絵を描くために十日間かけて、一つの石の絵を書くのに五日かけるという意味から。 精魂を込めて、注意深く作られた芸術作品を仕上げることをいう。
十日之菊(じゅうじつのきく)
必要な時に遅れたために、役に立たなくなったもののこと。 「十日」は九月十日のこと。 九月九日の菊の節句から一日遅れた菊という意味から。
充耳不聞(じゅうじふぶん)
耳を塞いで話しを聞こうとしないこと。 話を聞く気が全くないことをいう。 「充」は塞ぐという意味。 「耳を充(ふさ)いで聞かず」とも読む。
十字砲火(じゅうじほうか)
二箇所以上で連射が可能な火気を使い、射線が交差するように互いに支援し合う戦法。主に防御のときに効果を発揮する。第一次世界大戦で登場した戦法の一つ。 「十字」は漢字の十の文字の形。 「砲火」は大砲などの火器を撃ったときに出る火のこと。または、その弾丸のこと。 「十字火」ともいう。
重重無尽(じゅうじゅうむじん)
全てのものが、互いに数え切れないほどの関係を持っていて、反映し、一体化しあっているということ。 「重重」は何重にも重なり合っていること。 「無尽」は尽きないこと。 華厳宗の世界観を示す言葉で、十枚の鏡を張り巡らせた中央に一本の蝋燭を立てると、炎が鏡に移り、それがさらに別の鏡に映っていき、限りなく重なり合うように、世界は成り立っているとされている。 「十十無尽」とも書く。
十十無尽(じゅうじゅうむじん)
全てのものが、互いに数え切れないほどの関係を持っていて、反映し、一体化しあっているということ。 「重重」は何重にも重なり合っていること。 「無尽」は尽きないこと。 華厳宗の世界観を示す言葉で、十枚の鏡を張り巡らせた中央に一本の蝋燭を立てると、炎が鏡に移り、それがさらに別の鏡に映っていき、限りなく重なり合うように、世界は成り立っているとされている。 「十十無尽」とも書く。
重々無尽(じゅうじゅうむじん)
全てのものが、互いに数え切れないほどの関係を持っていて、反映し、一体化しあっているということ。 「重重」は何重にも重なり合っていること。 「無尽」は尽きないこと。 華厳宗の世界観を示す言葉で、十枚の鏡を張り巡らせた中央に一本の蝋燭を立てると、炎が鏡に移り、それがさらに別の鏡に映っていき、限りなく重なり合うように、世界は成り立っているとされている。 「十十無尽」とも書く。
十々無尽(じゅうじゅうむじん)
全てのものが、互いに数え切れないほどの関係を持っていて、反映し、一体化しあっているということ。 「重重」は何重にも重なり合っていること。 「無尽」は尽きないこと。 華厳宗の世界観を示す言葉で、十枚の鏡を張り巡らせた中央に一本の蝋燭を立てると、炎が鏡に移り、それがさらに別の鏡に映っていき、限りなく重なり合うように、世界は成り立っているとされている。 「十十無尽」とも書く。
柔茹剛吐(じゅうじょごうと)
弱者を見下して、強者に謙るという、世の常を言う言葉。 「柔茹」は柔らかい食べ物を食べること。 「剛吐」は固い食べ物を吐き出すこと。 「柔(じゅう)なるは茹(くら)い剛(ごう)なるは吐(は)く」とも読む。
獣尽狗亨(じゅうじんくほう)
目的を果たすまで重用されていた人が、その後冷遇されることのたとえ。 「狗」は猟犬のこと。 「亨」は煮ること。 獣を取り尽くした後、猟犬は不要となるため、煮て食べられるという意味から。 「獣(けもの)尽きて狗(いぬ)亨(に)らる」とも読む。
縦説横説(じゅうせつおうせつ)
思いのままに解説すること。 または、思いのままに議論をすること。 「縦…横…」は自由にという意味。
十全健康(じゅうぜんけんこう)
病気の部分がなく、完全に健康なこと。 「十全」は完全なこと。 「健康」は体や心に悪いところがないこと。
十全十美(じゅうぜんじゅうび)
不十分な部分がなく、完全であること。 「十全」と「十美」はどちらも全てのものに欠点などなく、完璧であるということ。
十中八九(じゅうちゅうはっく)
十あるうちの八か九ということから「ほとんど」「おおかた」「ほぼ確実」という意味。
獣蹄鳥跡(じゅうていちょうせき)
世の中が酷く乱れていること。 「獣蹄」は獣の足跡。 獣や鳥の足跡が町中に溢れるという意味から。
充棟汗牛(じゅうとうかんぎゅう)
所有している書物が非常に多いことのたとえ。 車に載せれば車を引く牛が汗をかくほど重く、家の中で積み上げれば天井の棟木に届くほど書物が多いという意味から。 「牛(うし)に汗(あせ)し棟(むなぎ)に充(み)つ」とも読む。 「充棟汗牛」ともいう。
縦塗横抹(じゅうとおうまつ)
思うままに書きなぐること。 「抹」は塗り消すこと。 縦に書いて横に消すという意味から。
十人十色(じゅうにんといろ)
性格、好み、考え方などは人それぞれ違うということ。 「十人」は十人の人のこと。 「十色」は十の種類があるということ。 人の性質は人それぞれ違うため、十人いれば十の種類に分かれるという意味から。
十年一日(じゅうねんいちじつ)
十年という長い期間が経過しても全く変わっていないこと。 または、長い期間が経過しても進歩や成長をしていないこと。 「十年」は年数の十年のこと。 「一日」は日数の一日のこと。 十年という長い期間、同じ一日を繰り返すという意味から。 また、十年間同じことを繰り返すということから、辛抱強く努力し続けることや変化しないように守り続けることをいう場合もある。
十年一剣(じゅうねんいっけん)
武術の修練を長い間積み続けること。 または、修練を積み続けた武術を発揮する機会を待つこと。 一振りの刀を十年磨き続けるという意味から。 「十年、一剣を磨く」を略した言葉。
十年一昔(じゅうねんひとむかし)
世の中の変化が非常に激しいことのたとえ。 十年の年月を一区切りとして、十年という期間が過ぎれば、身の回りも変化して、もう昔のことのように感じるという意味から。
十年磨剣(じゅうねんまけん)
長い期間武術の修行をすること。 または、武術の修行をして、活躍する機会を待つこと。 十年の期間、一振りの剣を磨き続けるという意味から。 「十年、一剣を磨く」を略した言葉。
柔能制剛(じゅうのうせいごう)
能力の弱い者が能力の強い者に勝つこと。 柔らかい物が固い者に勝つという意味から。 主に「柔能く剛を制す」の形で用いることが多い言葉。
戎馬倥偬(じゅうばこうそう)
戦場で慌しく走り回り、忙しく軍務を行うこと。 「戎馬」は戦争で使うための武器と馬。 「倥偬」は非常に忙しいこと。
十風五雨(じゅうふうごう)
十日ごとに風が吹き、五日ごとに雨が降る、農耕に適した天候のこと。 または、世の中が平和で穏やかな状態であることのたとえ。
十万億土(じゅうまんおくど)
極楽浄土のこと。 「万」と「億」は非常に大きな単位のことで、「十万億」は距離が非常に離れていることのたとえ。 「土」は仏の土地という意味の仏土のこと。 極楽浄土は、この世から十万億の非常に遠い場所にある仏土のさらに先にあるということから。
十目所視(じゅうもくしょし)
多数の人の意見や評価が一致することのたとえ。 十人が同じところをみることから。 「十目(じゅうもく)の視(み)る所(ところ)」とも読む。
十羊九牧(じゅうようきゅうぼく)
人口の割りに役人が多すぎることのたとえ。 十頭の羊に九人の羊飼いという意味から。
充閭之慶(じゅうりょのけい)
子どもが将来出世して、村の門が来客で満たされることを願う言葉。 「閭」は村の出入り口に設置されている門。 「慶」は喜び。 男子の誕生を祝う言葉として用いられる。
儒家者流(じゅかしゃりゅう)
孔子の学問を受け継ぐ学問の流派。
樹下石上(じゅかせきじょう)
出家して行脚している人の境遇のたとえ。 行脚している僧は木の下や石の上を宿にして生活するという意味の仏教の言葉。 「石上樹下」ともいう。
裋褐不完(じゅかつふかん)
貧しくて粗雑な衣服を身に着けていること。 衣服が破れたままで整っていないことから。 「裋褐(じゅかつ)完(まった)からず」とも読む。
熟思黙想(じゅくしもくそう)
心を落ち着かせて、しっかりと物事を考えること。 「熟思」はしっかりと考えること。 「黙想」は喋らずによく考えること。
熟読玩味(じゅくどくがんみ)
文章をしっかりと読んで、その意味を落ち着いてゆっくりと考えて味わうこと。 「熟読」は文章を繰り返し読んで、意味を十分に考えること。 「玩味」は食べ物の味をしっかりと感じながら食べるという意味で、文章の深い意味を読み取って味わうこと。 「熟読含味」とも書く。
熟読含味(じゅくどくがんみ)
文章をしっかりと読んで、その意味を落ち着いてゆっくりと考えて味わうこと。 「熟読」は文章を繰り返し読んで、意味を十分に考えること。 「玩味」は食べ物の味をしっかりと感じながら食べるという意味で、文章の深い意味を読み取って味わうこと。 「熟読含味」とも書く。
熟読三思(じゅくどくさんし)
しっかりと考えながら読んで、その内容を繰り返し考えること。 「熟読」は文章をしっかりと考えながら読むこと。 「三思」は何度も考えること。
熟慮断行(じゅくりょだんこう)
不足がないようにしっかりと考え抜いた上で、固い決意を持って行動すること。 「熟慮」は不足がないようにしっかりと考えること。 「断行」は固い決意を持って行動すること。
寿則多辱(じゅそくたじょく)
長く生きることは、それだけ恥を晒すことが多くなるということ。 「寿(いのちなが)ければ則(すなわ)ち辱(はじ)多し」とも読む。
受胎告知(じゅたいこくち)
妊娠したことを知らせること。 キリスト教で天使ガブリエルが、聖母マリアの元へキリストを妊娠したことを告げた出来事から。
述懐奉公(じゅっかいぼうこう)
不満などの愚痴をこぼしながら、主人や君主に仕えること。 「述懐」は愚痴を言うこと。 「奉公」は身をささげて仕えること。
朮羹艾酒(じゅっこうがいしゅ)
もち粟が入っている吸い物とよもぎの入っている酒のこと。 「朮」は粟の一種類のもち粟のこと。 「羹」は肉や野菜の入っている吸い物。 「艾」はよもぎのこと。 古代中国の洛陽で、五月の節句を祝うものとされていた。
十死一生(じゅっしいっしょう)
ほとんど助かる見込みがない状況でかろうじて助かること。
述而不作(じゅつじふさく)
昔の人の説を伝えるだけで、むやみに自身の考えを作らないこと。 『論語』「述而篇」の冒頭の言葉で、孔子が自身の学問への態度について述べたもの。 「述べて作らず」ともいう。
寿比南山(じゅひなんざん)
長生きを祝うこと。 「寿(じゅ)は南山(なんざん)に比(ひ)す」とも読む。
寿福無疆(じゅふくむきょう)
長寿と幸福がいつまでも続くことを願う言葉。 「無疆」はいつまでも続くこと。
授方任能(じゅほうにんのう)
仕事の方法や規範などを教え、有能な人材に官職を与えること。 君主がやるべきことをいう。 「方(ほう)を授(さず)け能(のう)に任(にん)ず」とも読む。
入木三分(じゅぼくさんぶ)
筆勢が非常に強いこと。 または、物事を深くまで的確に追究すること。 「入木」は木に染み込むこと。 「三分」は長さのことで約七ミリのこと。 書家の王羲之は筆勢が強いことで知られていて、文字を記した木を削ってみると、三分の深さまで墨が染み込んでいたという故事から。 書道の別称「入木道(じゅぼくどう)」の語源。
孺慕之思(じゅぼのおもい)
幼い子供が親を慕うこと。 または、他人にそのような感情を抱くこと。 「孺」は幼い子供のこと。 幼い子供が親を慕って泣き叫ぶのを見た、孔子の弟子である有子と子游が言ったという故事から。
儒林棟梁(じゅりんのとうりょう)
儒学者の世界で上にたって、重い責任を担っている人。 「儒林」は儒学を学んだり、研究している仲間のこと。 「棟梁」は人をまとめて率いる人、統率者のこと。
純一無雑(じゅんいつぶざつ)
他の物がまったく混ざってない様子。 または、邪心や偽りなどが一切無く純粋なこと。 「純一」や「無雑」はどちらも他のものが全く混ざっておらず純粋であるという意味で、同じ意味の語を重ねて強調した言葉。 「純一(じゅんいつ)にして雑(まじ)ること無し」とも読む。
純一無雑(じゅんいつむざつ)
他の物がまったく混ざってない様子。 または、邪心や偽りなどが一切無く純粋なこと。 「純一」や「無雑」はどちらも他のものが全く混ざっておらず純粋であるという意味で、同じ意味の語を重ねて強調した言葉。 「純一(じゅんいつ)にして雑(まじ)ること無し」とも読む。
循規蹈矩(じゅんきとうく)
規則を守り続けて行動すること。 「循」は従って行うこと。 「規」は円を描くときに使うコンパスのこと。 「蹈」は守ることを守りながら行動すること。 「矩」は四角形を描く時に使う曲尺。 変化や変革を嫌う人のたとえとしても使われる。 「規(き)に循(したが)い矩(のり)を蹈(ふ)む」とも読む。
順逆一視(じゅんぎゃくいっし)
人生の本質を見通し、幸不幸に振り回されないこと。 「順逆」は幸せと不幸せ。 「一視」は同じものとして見ること。 人生の幸せと不幸せを同じものとして見て、感情をこえた境地に立つこと。
純潔清浄(じゅんけつしょうじょう)
汚れが全くない、真っ白な心のこと。 「純潔」は清らかなこと。 「清浄」は穢れが全く無いこと。 似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。
純潔無垢(じゅんけつむく)
汚れが全くない、真っ白な心のこと。 「純潔」は清らかなこと。 「無垢」は穢れが全く無いこと。 似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。
蓴羹鱸膾(じゅんこうろかい)
故郷のことを懐かしいと思う気持ちのこと。 または、故郷の懐かしい味のこと。 「蓴羹」はじゅんさいの吸い物。 「鱸膾」は魚のすずきのなます。 中国の晋の張翰は、故郷の食事であるじゅんさいの吸い物と、すずきのなますが恋しくなり、官職を辞めて洛陽から帰郷したという故事から。
徇国死義(じゅんこくしぎ)
国の危難に迫られても、筋を曲げることなく死を選ぶこと。 「国(くに)に徇(したが)いて義(ぎ)に死す」とも読む。
徇私舞弊(じゅんしぶへい)
不正なことをして、法律などを捻じ曲げることで、それを正しいことにすること。 「徇私」は自身の利益だけを追い求めること。 「舞弊」は法律や規則を、自分の都合がよいように歪めること。 主に、官吏が個人の利益のために不正を行い、法や規制をまげて罪にならないようにすることをいう。
純真可憐(じゅんしんかれん)
邪念や私欲などがなく清らかで、素直で愛らしいこと。 「純真」は心が清らかで素直なこと。 「可憐」はいじらしく愛らしいこと。 主に少女に対して使う言葉。
純真無垢(じゅんしんむく)
邪念や私欲などのない清らかな心を持っていること。 または、自然のままで飾り気のない様子のこと。 「純真」と「無垢」はどちらも清らかで汚れのないという意味。 同じ意味の言葉を重ねて強調した言葉。 主に子供のことをいう言葉。
純情可憐(じゅんじょうかれん)
邪念や私欲などがなく清らかで、素直で愛らしいこと。 「純情」は心が清らかで素直なこと。 「可憐」はいじらしく愛らしいこと。 主に少女に対して使う言葉。
順水推舟(じゅんすいすいしゅう)
情勢に合わせてやり方などを変え、うまく物事を成し遂げることのたとえ。 川の流れに逆らわずに舟を進めることから。 「水(みず)に順(したが)いて舟(ふね)を推(お)す」とも読む。
純精無雑(じゅんせいむざつ)
わずかな汚れもなく、混じり気のない様子。 「純精」と「無雑」はどちらも純粋という意味で、似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。
醇風美俗(じゅんぷうびぞく)
他人への思いやりのある、美しく望ましい風俗や習慣。 「醇風」は人への思いやりのある習慣。 「美俗」は美しい習慣。 「淳風美俗」とも書く。
淳風美俗(じゅんぷうびぞく)
他人への思いやりのある、美しく望ましい風俗や習慣。 「醇風」は人への思いやりのある習慣。 「美俗」は美しい習慣。 「淳風美俗」とも書く。
順風満帆(じゅんぷうまんぱん)
特に問題が起きることなく、思い通りに物事が進んでいくこと。 「順風」は追い風。 「満帆」は船の帆をいっぱいに張ること。 船の帆が追い風を受けていっぱいに張り、順調に進んでいくという意味から。
循名責実(じゅんめいせきじつ)
名前と実質が伴っているか調べ考えること。 「責実」は実績を求めること。 行動や口実が職分に合っているかをしっかりと調べて考えることをいう。 「名(な)に循(したが)い実(じつ)を責(せ)む」とも読む。
自由闊達(じゆうかったつ)
のびのびとした広い心で小事にこだわらないこと。 「自由」は縛られることなく、のびのびしていること。 「闊達」は広くおおらかな心で小事にこだわらないこと。 「闊達自由」ともいう。
自由自在(じゆうじざい)
思ったことが思った通りに出来ること。 または、思う存分やりたいことをやること。 「自由」と「自在」はどちらも、邪魔されることなく思い通りに出来るという意味。
自由放任(じゆうほうにん)
口を出したり、考えを押し付けたりせずに、それぞれに思うままにやらせること。 「放任」は物事の状況や人の行動などに一切手を出さずに、成り行きに任せること。 経済に関しては、企業や個人に対して、政府が統制や規制などの干渉をしないことをいう。
自由奔放(じゆうほんぽう)
周りのことを気にすることなく、自分が思ったことそのままに行動する様子。または、規範や世間の常識にとらわれることなく、思いのままに物事を行うこと。 「自由」は他を気にすることなく、思ったことをそのまま行うこと。 「奔放」は常識などに縛られることなく、思うままに行動すること。 「奔放自由」ともいう。
自由貿易(じゆうぼうえき)
国家による制約や保護を受けることなく、当人同士だけで行う輸出入。
自由民権(じゆうみんけん)
人は自由であり、平等に政治へ参加する権利を持っているという考え。 「民権」は普通の人々が政治に参加することのできる権利。 日本では、これを実現するために、明治時代の初期に政治運動が起こった。
如暗得灯(じょあんとくとう)
迷いのある人間が仏道に入門すること。 真っ暗な場所で先を照らす明かりを得ることから。 仏教の言葉。 「暗(あん)に灯(とう)を得(う)る如(ごと)し」とも読む。
叙位叙勲(じょいじょくん)
位階を授与したり、勲等を与えて勲章を授与したりすること。 「叙」は授けるという意味。
上医医国(じょういいこく)
すぐれた医者は、人の病気を治すだけではなく、国の乱れを正すものだということ。 「上医」はすぐれた技術をもつ名医という意味から、才能のある政治家のたとえ。 「上医(じょうい)は国を医(い)す」とも読む言葉で、すぐれた政治家の心得をいう。
上意下達(じょういかたつ)
上の者の意志や命令などを、下の者にしっかりと伝えること。 「上意」は君主の命令という意味から、上の者の意志や命令のこと。 「下達」は下の者に伝えること。
情意投合(じょういとうごう)
お互いの意志や気持ちが通じること。 「情意」は気持ちや意志のこと。 「投合」はぴったりと一つに合うこと。
冗員淘汰(じょういんとうた)
必要のない人員を減らして整えること。 「冗員」は不必要な人員のこと。 「淘汰」は必要なものと、必要のないものを選んで必要のないものを捨てること。
上雨旁風(じょううぼうふう)
ひどく荒れた状態で、傷み切った家。 上からは雨が入ってきて、横からは風が入ってくることから。 「旁」は横という意味。
上援下推(じょうえんかすい)
上の人から目をかけられ、下のものから推薦されること。 「援」は引き上げるという意味。 「推」は推す、推薦するという意味。
城下之盟(じょうかのちかい)
敵に敗北して結ばされる、最も屈辱的な講和条約のこと。 または、敵の城下に攻め込んで、講和条約を結ぶこと。 「城」は町を守るための城壁のこと。 「盟」は講和条約のこと。
城下之盟(じょうかのめい)
敵に敗北して結ばされる、最も屈辱的な講和条約のこと。 または、敵の城下に攻め込んで、講和条約を結ぶこと。 「城」は町を守るための城壁のこと。 「盟」は講和条約のこと。
状況証拠(じょうきょうしょうこ)
その物事の背景や関係などから推定することによって、間接的に根拠となるもの。
上求菩提(じょうぐぼだい)
菩薩がさらに高みを望んで、完全な悟りの境地を求めること。 仏教の言葉で、仏教の修行者の菩薩が、自身が仏になるために、煩悩を捨て去った悟りの境地である菩提を求めるという意味から。
浄潔快豁(じょうけつかいかつ)
不満や不平などが全く無く、さっぱりとしている様子。 「浄潔」は清らかで潔いこと。 「快豁」はさっぱりとしていて、大らかなこと。
条件反射(じょうけんはんしゃ)
一定の刺激を与えると、決まって引き起こされる、後から身についた決まった体の反応のこと。 「反射」は意識せずに引き起こされる体の反応のこと。 ソビエト連邦の生理学者のイワン・パブロフによって発見された。
上下一心(じょうげいっしん)
地位や身分にこだわらず、目的を果たすために団結すること。 全ての人が団結して取り組めば、どんな困難も乗り越えることができるという教え。 「上下(しょうか)心(こころ)を一(いつ)にす」とも読む。
上下天光(じょうげてんこう)
空も水面も光り輝いていること。 「上下」は空と水面のこと。 「天光」は空全体に広がる日の光のことで、ここでは、水面に反射した日の光のこともいう。
上行下効(じょうこうかこう)
上の立場の人が行動すると、下の立場の人はそれを見て学ぶということ。 「効」は教わることや、真似をすること。 「上(かみ)行えば下(しも)効(なら)う」とも読む。
城狐社鼠(じょうこしゃそ)
君主や権力者の威光を笠にきて悪事を働く者のたとえ。 「城狐」は城に住んでいるきつね。 「社鼠」は神社などの社に住んでいるねずみ。 そのような動物を駆除するためには、その場所を壊さないといけないので、悪いことをしても駆除することが難しいことから。 「社鼠城狐」ともいう。
常在戦場(じょうざいせんじょう)
物事に取り組むときの心得。 戦場にいる感覚で、いつも気を引き締めて行うべきであると説いた言葉。 「常に戦場に在(あ)り」とも読む。
常山蛇勢(じょうざんのだせい)
隙が無いことのたとえ。 または、文章の初めから終わりまで一貫していることのたとえ。 「常山」は中国の河北省にある山のこと。 兵法で、前後の陣や、左右の陣が互いに呼応して戦う隙のない戦法のこと。 常山に住んでいるとされる両頭の蛇は、頭を攻撃すれば尾で反撃して、尾を攻撃すれば頭で反撃して、体を攻撃すれば頭と尾で反撃するので隙が無いということから。
冗詞贅句(じょうしぜいく)
詩や文章の中にある必要のない語句。
盛者必衰(じょうしゃひっすい)
栄えているものは、いつか必ず衰えて滅びるということ。 元は仏教語で、世の中が無常なことをいう言葉。 『平家物語』の冒頭の句として有名。
趙州洗鉢(じょうしゅうせんぱつ)
仏道の修行で大切なことは、普段の生活のように無駄なことをせずに、日々の勤めを励むべきであるということ。 「趙州」は人の名前で、中国の高僧。 趙州は粥を食べたら鉢を洗うように、鐘が鳴れば仏法を説くために堂へ行くように、いつも行うことをしっかりと行って余計な考えを差し込まないことが大切であると説いた。
畳牀架屋(じょうしょうかおく)
無駄なことや意味のないことを繰り返し行うこと。 または、人の真似ばかりで、新しい趣がないこと。 「牀」は床のこと。 「架」は屋根のこと。 床の上にまた床を張って、屋根の上にさらに屋根を作るという意味から。 「牀(しょう)を畳(かさ)ね屋を架(か)す」とも読む。
上昇気流(じょうしょうきりゅう)
上に昇っていく大気の流れのこと。 または、物事が特に問題なく、調子よく進むこと。 「上昇」は上にのぼること。 「気流」は大気の流れ。
情緒纏綿(じょうしょてんめん)
感情が深く、いつまでも心から離れないこと。 「情緒」は感情や気分。 「纏綿」はまとわりつくという意味。
常住坐臥(じょうじゅうざが)
ふだん、いつも。 「常住」はいつもという意味。 「坐臥」は座ることと寝ること。 座っているときも寝ているときもという意味から。 「行住坐臥」の「行住」と、「常住」が混同されてできた言葉。 「常住座臥」とも書く。
常住座臥(じょうじゅうざが)
ふだん、いつも。 「常住」はいつもという意味。 「坐臥」は座ることと寝ること。 座っているときも寝ているときもという意味から。 「行住坐臥」の「行住」と、「常住」が混同されてできた言葉。 「常住座臥」とも書く。
常住不断(じょうじゅうふだん)
途切れることなくずっと続いていること。 「常住」と「不断」はずっと続いているという意味。 「常住」は仏教の言葉で、過去から現在、未来にわたって変わることなく続いていること。
常住不滅(じょうじゅうふめつ)
いつまでも変わらずに滅びないこと。 「常住」は生まれたり死んだりすることなく、いつまでもあり続けること。
常住不断(じょうじゅふだん)
途切れることなくずっと続いていること。 「常住」と「不断」はずっと続いているという意味。 「常住」は仏教の言葉で、過去から現在、未来にわたって変わることなく続いていること。
情状酌量(じょうじょうしゃくりょう)
裁判で、被告人が罪を犯した事情や理由などを考慮して、刑罰を軽くすること。 「情状」は境遇や年齢などの様々な事情や理由などのこと。 「酌量」は諸事情をくみ取り、同情して軽減すること。
情恕理遣(じょうじょりけん)
人への態度が大らかで穏やかなこと。 「恕」は許すこと。 「遣」は逃がすこと。 他人が過ちを犯しても、思いやりや道理と見比べて、大らかな態度で許すという意味から。 中国の晋の衛カイが感情を表に出さないことについていった言葉。 「情もて恕(ゆる)し理(り)もて遣(や)る」とも読む。
剰水残山(じょうすいざんざん)
戦争によって荒れ果てた山や川の様子。 または、山水画を描く技法のこと。 山や川の全体を描かずに、一部分を描いて雄大な自然を表現する技法をいう。 「残」と「剰」はどちらも「残っている」という意味。 「剰水残山」ともいう。
饒舌多弁(じょうぜつたべん)
口数が非常に多いこと。 「饒舌」と「多弁」はどちらもよく喋るという意味で、似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。
躡足附耳(じょうそくふじ)
注意するときに、その人を傷つけないように、周りの人に気づかれないような配慮をすることが大切であるということ。 「躡足」は足を踏むこと。 「附耳」は耳に口をつけて密かに言うこと。 「足を躡(ふ)み耳に附(つ)く」とも読む。
冗談半分(じょうだんはんぶん)
真面目な話と冗談が混ざっている状態、または、言いにくいことを軽く冗談のように表現すること。
情緒纏綿(じょうちょてんめん)
感情が深く、いつまでも心から離れないこと。 「情緒」は感情や気分。 「纏綿」はまとわりつくという意味。
常套手段(じょうとうしゅだん)
いつも決まって使われる手段や方法のこと。 または、誰もが知っているような手段や方法のこと。 「常套」は古臭くて誰でも知っているようなこと。
譲畔而耕(じょうはんじこう)
民が欲を持たず、平和に暮らしている様子。 農民が田畑の境界となる畔(あぜ)を自分のものと主張することなく、譲り合って作物を育てることから。 中国の西周の時代、文王が平和に世を治め、民がそのように暮らしていたとされる。 「畔(あぜ)を譲(ゆず)りて耕(たがや)す」とも読む。
攘臂疾言(じょうひしつげん)
とても誇らしそうな様子。 「攘臂」は袖を捲り上げること。 「疾言」は早口で喋ること。
常備不懈(じょうびふかい)
普段の生活の中でも、何かあった時のための準備を怠らないこと。 「不懈」は怠らない、油断しないということ。 「常に備えて懈(おこた)らず」とも読む。
乗風破浪(じょうふうはろう)
危険や困難を恐れることなく進む様子。 風に乗った帆船が波の上部を打ち破りながら進むことから。 「風(かぜ)に乗り波(なみ)を破る」とも読む。
乗桴浮海(じょうふふかい)
世の中を嘆いて逃げ出すこと。 「乗桴」はいかだを操縦すること。 「浮海」は船などで陸から離れて海へ出ること。 世の中が乱れているときには逃げるということで、いかだに乗って海へ逃げるという意味から。 「桴(いかだ)に乗りて海に浮かぶ」とも読む。
常命六十(じょうみょうろくじゅう)
人の命はおおよそ六十歳くらいであるということ。 「常命」は平均の寿命。
上命下達(じょうめいかたつ)
立場が上の者の意志や命令、言葉などを立場が下の者にしっかりと伝えること。 「上命」は君主の命令という意味から上の者の意志や命令のこと。 「下達」は下の立場の者に知らせること。
乗輿車駕(じょうよしゃが)
天子が乗る車。 または、天子のこと。 「乗輿」と「車駕」はどちらも天子が外出するときに使う車のこと。
乗輿播越(じょうよはえつ)
天子が都を落ち延びて、遠くの他国を流浪すること。 「乗輿」は天子が乗る車のこと。 「播越」は居場所がなくなって、他国を流浪すること。
常楽我浄(じょうらくがじょう)
悟りの境地にある四つの徳のこと。 「常」は永遠であること。 「楽」は安楽であること。 「我」は他からの束縛を受けないこと。 「浄」は煩悩のない清らかな境地。
常鱗凡介(じょうりんぼんかい)
普通の人のたとえ。 「鱗」は魚の鱗のことから、魚のたとえ。 「介」は貝のこと。 普通の魚と平凡な貝類という意味から。
上漏下湿(じょうろうかしつ)
貧しい家、あばら家を言い表す言葉。 屋根からは雨が漏れてきて、床から湿気が上がってくるという意味から。 「上(かみ)は漏(も)れ下(しも)は湿(しめ)る」とも読む。
上漏下湿(じょうろうかしゅう)
貧しい家、あばら家を言い表す言葉。 屋根からは雨が漏れてきて、床から湿気が上がってくるという意味から。 「上(かみ)は漏(も)れ下(しも)は湿(しめ)る」とも読む。
如影従形(じょえいじゅうけい)
非常に深い関わりがあること。 影の形はそのものの形に従うことから。 「影(かげ)の形(かたち)に従(したが)うが如(ごと)し」とも読む。
女謁横行(じょえつおうこう)
女官が君主に対して個人的な要望を日常的に行っている状態。 「女謁」は君主からの寵愛を利用して女性が頼みごとをすること。
如火如荼(じょかじょと)
軍隊の勢い、または情熱や意気込みが非常に盛んな様子のたとえ。 「荼」はイネ科のちがやの穂。白い色をしている。 燃え上がる火の赤さと、生い茂るちがやの白さを用いて、盛んな勢いを表した言葉。 「火(ひ)の如(ごと)し荼(と)の如(ごと)し」とも読む。
如蛾赴火(じょがふか)
自分から進んで危険を冒すこと。 蛾が明かりに引かれて火に飛び込むことから。 「蛾(が)の火(ひ)に赴(おもむ)くが如(ごと)し」とも読む。
如飢如渇(じょきじょかつ)
欲求がこの上なく強いこと。 空腹で喉が渇いているときに食べ物や飲み物を欲しがることから。 「飢(う)うるが如(ごと)し渇(かわ)くが如(ごと)し」とも読む。
除旧更新(じょきゅうこうしん)
以前からの制度や慣習のうち、時代や状況に合わなくなったものをよりよいものへと変えること。 古くなったものを新しいものへと変えることから。 「旧(ふる)きを除き新しきに更(か)う」とも読む。
除去不祥(じょきょふしょう)
不運や不幸を避ける、またはそれらを取り除くこと。 邪気払い、また吉祥を願う言葉。
如左右手(じょさゆうしゅ)
その人にとって頼りとなる存在。または、お互いに協力して助け合う様子。 「左右(さゆう)の手(て)の如(ごと)し」とも読む。
如坐針氈(じょざしんせん)
極度の不安や緊張から落ち着かない様子。 針が敷き詰められた敷物の上に座っているようであるとの意から。 「氈」は動物の毛を加工して作られた敷物。 「針氈(しんせん)に坐(ざ)するが如(ごと)し」とも読む。
如指諸掌(じょししょしょう)
極めて簡単で理解しやすいこと。 手のひらに乗せたものを指で示すほど容易との意から。 孔子が禘(てい)という祭りについて説明を求められた際、自分の手のひらを指しながら、禘について説明できる人なら天下についても簡単に説明できるだろう、と述べたという故事から。 「諸(これ)を掌(たなごころ)に指(さ)すが如(ごと)し」とも読む。
女子難養(じょしなんよう)
女性に対する扱いは難しいということ。 孔子が嘆いた言葉から。 「女子(じょし)は養(やしな)い難(がた)し」とも読む。
如出一轍(じょしゅついってつ)
意見や行動が似ていること。 「轍」は車の車輪の跡。 同じ轍から出てきたようであるとの意から。 「一轍(いってつ)より出(いづ)るが如(ごと)し」とも読む。
茹柔吐剛(じょじゅうとごう)
弱い者を押さえつけるが、強いやつからは逃げること。 「吐剛」は固い食べ物を吐き出すこと。 「茹柔」は柔らかい食べ物を食べること。 固い食べ物は吐き出して、柔らかい食べ物だけを食べるという意味から。 「剛を吐(は)き柔を茹(く)らう」とも読む。 「茹柔吐剛」ともいう。
女尊男卑(じょそんだんぴ)
男性よりも女性が尊いとする考え方のこと。 または、そのような社会的な慣習。 「女尊」は女性を敬い、高く扱うこと。 「男卑」は男性を軽んじて低く扱うこと。
助長抜苗(じょちょうばつびょう)
手助けをしようとした結果、かえって害を与えてしまうというたとえ。 古代中国で、農夫が苗を早く成長させようと引っ張ったところ、苗が抜けて枯れてしまったという故事から。 「長(ちょう)ずるを助けんとして苗(なえ)を抜く」とも読む。
助長補短(じょちょうほたん)
他者よりすぐれている部分を伸ばして、他者より劣っている部分を補うこと。 「助長」は成長の手助けをすること。 「長を助け短を補(おぎな)う」とも読む。
除暴安良(じょぼうあんりょう)
悪や不正を排除し、社会を安定させて良い環境を作ること。 「暴(ぼう)を除(のぞ)き良(りょう)を安(やす)んず」とも読む。
如夢初醒(じょむしょせい)
以前の誤りや気力のない状態に気づき、改善や修正をしようとすること。 ようやく夢から覚めたという意味から、新たな自覚や理解に至ったことを表す言葉。 「夢(ゆめ)初(はじ)めて醒(さ)めるが如(ごと)し」とも読む。
如狼如虎(じょろうじょこ)
勇気があって強い様子。 「狼(ろう)の如(ごと)く虎(とら)の如(ごと)く」とも読む。
事予則立(じよそくりつ)
何事も、行動を起こす前に十分な準備や計画をしておけば成功する可能性が高くなるということ。 「事(こと)予(あらかじ)めすれば則(すなわ)ち立(た)つ」とも読む。
自力更生(じりきこうせい)
他人を頼りにせず、自身の力だけで生活を改めて正しく立ち直ること。 「更生」は悪い状況からよい状態に戻ること。 犯罪を犯した人や経営の傾いた企業などが、他の力を借りずに立ち直ることなどをいう。 「自力甦生」とも書く。
自力甦生(じりきこうせい)
他人を頼りにせず、自身の力だけで生活を改めて正しく立ち直ること。 「更生」は悪い状況からよい状態に戻ること。 犯罪を犯した人や経営の傾いた企業などが、他の力を借りずに立ち直ることなどをいう。 「自力甦生」とも書く。
自立自存(じりつじそん)
自分自身の力で生活や活動を維持する能力や態度のこと。 「自立」と「自存」はどちらも独立して自分の力で生きていく意味を持ち、似た意味の二つの語を重ねて強調した言葉。
而立之年(じりつのとし)
三十歳になって、自分の中の道徳観や学識が確立して、それが自信になって思想が固まること。 孔子が自身の生涯を振り返って言った言葉。 三十歳の異名の「而立」の語源。
事理明白(じりめいはく)
物事の道理や筋道がはっきりとしていること。 「事理」は物事の道理や筋道。 「明白」ははっきりとしていてわかりやすいこと。
持粱歯肥(じりょうしひ)
ご馳走を食べること。 または、良い食事ができる身分になること。 「持粱」はご馳走が盛られている食器を手にもつこと。 「歯肥」は肥えた肉を噛むこと。 「梁(りょう)を持(じ)して肥(ひ)を歯(くら)う」とも読む。
自利利他(じりりた)
自分一人だけで利益を得るのではなく、他の人にも利益を与えること。 または、自身は修行して悟りを求め、他の人には仏法による救いを施すこと。 「自利」は自身の利益。 「利他」は他人の利益。
人為淘汰(じんいとうた)
数多くの中から、目的にあった性質を持った個体を選んで残していくこと。 家畜や植物などの品種改良の方法の一つ。 「人為」は自然のままではなく、人が手を加えること。 「淘汰」は悪いものを捨てて、良いものだけを残すこと。
人海戦術(じんかいせんじゅつ)
たくさんの人を使って、仕事や任務を成し遂げようとするやり方。 「人海」は人がたくさんいる様子を海にたとえた言葉。 元は人を多く集めて数の力を使い、敵軍を倒す戦略のことをいう。
尋花問柳(じんかもんりゅう)
花や柳を探しながら景色を楽しむことから、春の景色を楽しむこと。 または、花や柳を遊女や芸妓にたとえて、色町で遊ぶこと。 「柳を問い、花を尋ねる」とも読む。 「尋花問柳」ともいう。
人間青山(じんかんせいざん)
世の中は広く、死に場所ならどこにでもあるので、目的を果たすために、故郷を捨ててでも大いに活躍するべきであるということ。 「人間」は世の中、世間。 「青山」は墓。死に場所。 世の中は広いので、死に場所くらいはどこにでもあるという意味から。 「人間至る処青山有り」を略した言葉。
塵外孤標(じんがいこひょう)
ずば抜けてすぐれていること。 「塵外」はこまごまとした世間のことを塵にたとえたもので、世間の外側にいるという意味。 「孤標」は人格などが他よりも一際すぐれていること。
人琴之嘆(じんきんのたん)
人が死んだことを激しく悲しむ様子。 「琴」は中国の弦楽器で、琴柱のない琴。 中国の晋の王徽之と王献之の兄弟は、どちらも琴の名人だったが、王献之が若くして亡くなり、王献之の琴を王徽之が弾いてもうまくいかず、琴を投げつけ、嘆き悲しんだという故事から。
仁義多責(じんぎたせき)
仁愛と正義を備えている人は、果たすべき社会的責任が大きくなるということ。 「仁義(じんぎ)は責(せ)め多し」とも読む。
人傑地霊(じんけつちれい)
すぐれた土地から素晴らしい人材が世の中に出ること。 「地霊」はすぐれた土地。または、霊的な存在が宿る土地。 「人傑」は素晴らしい人材。 「人傑地霊」ともいう。
人権蹂躙(じんけんじゅうりん)
人が生まれながらに持っている権利を侵すこと。 または、憲法で保障されている、国民が人らしく生きるための権利を国家が侵すこと。 「人権」は人が生まれながらに持っている、人らしく生きるための権利。 「蹂躙」はふみにじること。侵害すること。
仁言利博(じんげんりはく)
徳の高い人物の言葉や行動は、多くの人々に利益があるということ。 「仁言」は徳のある人の言葉。 「利博」は利益が広い範囲に及ぶこと。 「仁言(じんげん)利博(ひろ)し」とも読む。
人口膾炙(じんこうかいしゃ)
多くの人たちの話題となり、人気を集めること。 「膾」は生肉を細かく刻んだ食べ物、「炙」は炙り肉のことで、どちらも多くの人がご馳走として好んで食べることから。 「人口(じんこう)に膾炙(かいしゃ)する」とも読む。 「膾炙人口」ともいう。
人口稠密(じんこうちゅうみつ)
人や家が一箇所に集まっていること。 「稠密」は隙間がないほどに集まっていること。
人口稠密(じんこうちょうみつ)
人や家が一箇所に集まっていること。 「稠密」は隙間がないほどに集まっていること。
塵垢粃糠(じんこうひこう)
何の役にも立たないもののたとえ。 「塵」は小さなごみ、ちり。 「垢」は皮膚のよごれ、あか。 「粃」は殻ばかりで実っていない穀物、しいな。 「糠」は米の外皮の糠。
尋言逐語(じんごんちくご)
仏教の言葉で、経典の文字や言葉の解釈だけを考え、本質を理解しようとしないこと。 「言(げん)を尋(たず)ね語を逐(お)う」とも読む。
人山人海(じんざんじんかい)
非常に多くの人が集まっていることのたとえ。
塵思埃念(じんしあいねん)
一般的なくだらない考えや邪念のこと。 「塵思」と「埃念」はどちらもくだらない考えという意味で、似た意味の言葉を重ねて強調したもの。 塵や埃のように汚れた考えという意味から。
人之常情(じんしじょうじょう)
人が普段から持っている感情や一般的な考え方。 「人(ひと)の常情(じょうじょう)」とも読む。
仁者必勇(じんしゃひつゆう)
思いやりのある人には勇気も備わっているということ。 「仁(じん)ある者(もの)は必ず勇(ゆう)あり」とも読む。
仁者不憂(じんしゃふゆう)
仁徳が備わった人は、常に人としての正しい行いをするので、悩むことがないということ。 「仁者」は仁徳が備わっている人、仁徳者。 「不憂」は悩んだり、不安になったりしないこと。 「仁者(じんしゃ)は憂(うれ)えず」とも読む。
仁者無敵(じんしゃむてき)
人徳が備わった人には、敵になる人がいないということ。 「仁者」は仁徳が備わっている人、仁徳者。 仁徳者が君主になれば、全ての人民を平等に愛するので、敵になる人がいなくなるという意味から。 「仁者は敵無し」とも読む。
仁者楽山(じんしゃらくざん)
仁徳のある人は心に余裕があって落ち着いているので、似た様にずっしりと安定している山を好むということ。 「仁者(じんしゃ)は山を楽しむ」とも読む。
人主逆鱗(じんしゅげきりん)
君主や支配者から怒りを買うことのたとえ。 「人主」は君主や支配者のこと。 「逆鱗」は竜の顎の下に逆さに生えているとされる一枚の鱗のことで、これに触ると竜は激怒して触った人を殺すという伝説から、上の立場の人からの激しい怒りを買うことのたとえ。 「人主もまた逆鱗有り」を略した言葉。
人主逆鱗(じんしゅのげきりん)
君主や支配者から怒りを買うことのたとえ。 「人主」は君主や支配者のこと。 「逆鱗」は竜の顎の下に逆さに生えているとされる一枚の鱗のことで、これに触ると竜は激怒して触った人を殺すという伝説から、上の立場の人からの激しい怒りを買うことのたとえ。 「人主もまた逆鱗有り」を略した言葉。
尋章摘句(じんしょうてきく)
些細なことばかりこだわって、全体的なものの見方ができないこと。 「尋章」と「摘句」は文章の一節を考えること。 文章や詩の語句を解釈することにこだわって、書物全体の意味や趣旨を理解できないという意味から。 「章を尋(たず)ね句を摘(つ)む」とも読む。
人死留名(じんしりゅうめい)
功績を上げて世に名前を残すこと。 「人を死して名を留(とど)む」とも読む。
人心一新(じんしんいっしん)
人々の心を新しくすること。 「人心」はたくさんの人々の心。 「一新」は古いものを無くして、新しいものにすること。
人心洶洶(じんしんきょうきょう)
世の人たちの心が恐れおののいて動揺していること。 「洶洶」はびくびくしたり、動揺したりすること。
人心洶々(じんしんきょうきょう)
世の人たちの心が恐れおののいて動揺していること。 「洶洶」はびくびくしたり、動揺したりすること。
人身攻撃(じんしんこうげき)
主張などに対して具体的な反論ではなく、その人個人の事情や行動を非難すること。 「人身」は個人の事情や行動のこと。 「攻撃」は激しく非難すること。
人心収攬(じんしんしゅうらん)
たくさんの人たちの心をしっかりとらえてまとめること。 または、たくさんの人たちの信頼を得ること。 「収攬」はまとめて手でにぎること。
人心如面(じんしんじょめん)
人々の心は、顔のように個々に異なるということ。 心も容姿も人それぞれであり、一概に判断できないという意味から。 「人心(じんしん)は面(めん)の如(ごと)し」とも読む。
人心向背(じんしんのこうはい)
人々の心がどちらに向かうかということ。 「人心」はたくさんの人たちの心。 「向背」は従うか背くかということ。 たくさんの人たちが同意するか、反対するかという意思やその傾向のことをいう。
人心沸騰(じんしんふっとう)
多くの人々の心が熱狂すること。 「人心」はたくさんの人たちの心。 「沸騰」は興奮状態になること。
人事葛藤(じんじかっとう)
人間と人間の争い。 「人事」は人間にかかわりのある事柄。 「葛藤」は植物のかずらや藤がもつれて絡むという意味から、争いやごたごたのたとえ。
人事考課(じんじこうか)
組織などで、所属している人の功績を評価して査定すること。 「考」は比較して調査すること。 「課」は功績を評価すること。
人事天命(じんじてんめい)
人として出来る限りの努力をして、結果は運命に任せること。 「人事」は人間ができること。 「天命」は運命。 「人事を尽くして天命を待つ」を略した言葉。
人事不省(じんじふせい)
意識を失うこと。昏睡状態になること。 病気や怪我などで意識を失い、刺激に反応を示さないほどの酷い状態になることをいう。 「人事」は人としての感覚・意識。 「不省」は意識がはっきりとしないこと。
尋常一様(じんじょういちよう)
他と変わらず、普通な様子。 「尋常」は変わったことのない、普通なこと。 「一様」は行動や状態が他と同じこと。
人生羈旅(じんせいきりょ)
人の人生、一生。 「羈旅」は旅のこと。 人生、一生のことを旅にたとえた言葉。
人生行路(じんせいこうろ)
人の一生。 「行路」は道を行くということから、旅路のこと。 人の一生をどうなるか予測できない、長く困難な旅路にたとえた言葉。
人生在勤(じんせいざいきん)
が生きていく上で、努力と勤勉が重要であるとの考え。 「人生(じんせい)は勤(つと)むるに在(あ)り」とも読む。
人生如夢(じんせいじょむ)
人の一生が儚いことのたとえ。 人の一生は夢のように消えてしまいやすいということから。 「人生(じんせい)夢の如(ごと)し」とも読む。
人生朝露(じんせいちょうろ)
人の一生が儚いことのたとえ。 「朝露」は朝の早い時間におりた露のことで、昼には消えてしまうということから、儚いもののたとえ。 人の一生を消えやすい朝露にたとえた言葉。 「人生朝露の如し」を略した言葉。
人生哲学(じんせいてつがく)
人生とその意義、価値、目的などに関する哲学。
人跡未踏(じんせきみとう)
人がまだ足を踏み入れたことがないこと。 「人跡」は人が歩いた足跡のこと。 「未踏」は未だ誰一人として、足を踏み入れていないこと。
尽善尽美(じんぜんじんび)
完璧なこと。 善と美のどちらもきわめているということから。 「善を尽くし美を尽くす」とも読む。
迅速果敢(じんそくかかん)
すぐに決断して、迷わずに行動すること。 「迅速」は非常に速いこと。 「果敢」は物事を思い切りよく決断すること。
迅速果断(じんそくかだん)
物事を思い切りよく速やかに決断し、行動すること。 「果断」は物事を思い切りよく決断すること。
人畜無害(じんちくむがい)
何ものにも害を与える可能性がないこと。 または、そのような人や物のこと。 「人畜」は人と家畜。 落ち着いた性格の人や、女性に対して危険性のない男性をいう言葉。
人中之竜(じんちゅうのりゅう)
たくさんの人の中でも、飛びぬけてすぐれた才能のある人のこと。 「竜」はすぐれた才能を持っている人のたとえ。 中国の晋の時代の隠者の宋繊を称賛した言葉から。
尽忠報国(じんちゅうほうこく)
国に忠義を尽くして、国からの恩に報いること。 「尽忠」は誠意を込めて君主や国家に尽くすこと。 「報国」は国から受けた恩に報いること。 中国の南北朝時代の皇帝宣帝の死後、その遺言に背こうとした高官を顔之儀が諫(いさ)めたとされる言葉から。 「報国尽忠」ともいう。
陣中見舞(じんちゅうみまい)
頑張って仕事をしている人を訪ねて励ますこと。 または、そのときに渡す贈り物のこと。 「陣」は戦場の中の本部。 もとは、戦場で戦う兵士を訪ねて労うことをいう。
人定勝天(じんていしょうてん)
人間の意志や努力が強ければ、自然や運命さえも超越できるということ。 「人(ひと)定(さだ)まりて天(てん)に勝つ」とも読む。
陣頭指揮(じんとうしき)
人の上に立つ人が、現場の一番前で指揮すること。 「陣頭」は戦闘部隊の一番前。または、第一線。
人道主義(じんどうしゅぎ)
人間愛に基づいて人間の尊厳と価値を重視し、全ての人々の幸福や利益を追求する思想や立場。
塵飯塗羹(じんぱんとこう)
実際に何の役にも立たないもののこと。 「塵飯」は塵の飯。 「塗羹」は泥の吸い物。 こどもがままごと遊びで作った、見た目だけで食べられない食事ということから。
人非木石(じんひぼくせき)
人間は木や石とは異なり、感情や思考、意識を持っているということ。 「人は木石(ぼくせき)に非(あら)ず皆(みな)情(じょう)あり」を略した言葉。
人品骨柄(じんぴんこつがら)
人柄や品格、容姿や身なりのこと。 「人品」はその人が持っている品性や気品のこと。 「骨柄」は体つきから感じられる風格や品性のこと。
人貧智短(じんぴんちたん)
人は貧しく、生活に困ると頭が働かなくなり、よい知恵が浮かばなくなるということ。 「人(ひと)貧(ひん)すれば智(ち)短し」とも読む。
人不易知(じんふいち)
他人の本性を奥底まで知ることは容易ではないということ。 「人(ひと)は知(し)り易(やす)からず」とも読む。
人物月旦(じんぶつげったん)
人の価値などを評価して批評すること。 「月旦」は毎月のはじめの日のこと。 後漢の許劭は、毎月のはじめの日に人を批評したものを発表していたという故事から。
人亡物在(じんぼうぶつざい)
亡くなった人を偲(しの)び、遺品を通じてその人の存在や思い出を感じること。 人が亡くなった後も、その人の持ち物や遺品は残るとの意から。 「人(ひと)亡(ぼう)じて物(もの)あり」とも読む。
尽未来際(じんみらいさい)
いつまでも続く、永遠ということ。 未来の終わり、時間が続く限りいつまでもという意味。 仏教の言葉。
尽未来際(じんみらいざい)
いつまでも続く、永遠ということ。 未来の終わり、時間が続く限りいつまでもという意味。 仏教の言葉。
人面獣心(じんめんじゅうしん)
非情で残酷な人のたとえ。 けだものの心を持った人間という意味から。
人面獣身(じんめんじゅうしん)
妖怪や化け物のこと。 顔が人間で、身体は獣という意味から。
人面桃花(じんめんとうか)
恋い慕う女性に会えないこと。 「人面」は美しい女性の顔。 「桃花」は植物の桃の花。 中国の唐の詩人の崔護は、ある桃の木の下で美しい女性に会い、その女性と互いに惹かれあったが、その時はそのまま別れた。 崔護はその女性を忘れられず、次の年にまた訪ねたがその女性に会うことができず、詩を残して去ったという故事から。
迅雷風烈(じんらいふうれつ)
激しい雷と風のこと。 または、行動が非常に素早い様子。