「之」を含む四字熟語一覧
之を含む四字熟語の一覧です。
五十音順に表示しています。
阿吽之息(あうんのいき)
複数の人と同じことをするときに、お互いの調子や気持ちが一致すること。 「阿」は吐く息、「吽」は吸う息のことをいい、互いの呼吸が揃った様子をいう言葉。
阿衡之佐(あこうのさ)
賢い家臣や、宰相が政治の補佐をすること。 または、その人のこと。 「阿衡」は中国の殷の賢臣の伊尹が就いた官職の名前。 「佐」は手助けすること。
阿衡之佐(あこうのたすけ)
賢い家臣や、宰相が政治の補佐をすること。 または、その人のこと。 「阿衡」は中国の殷の賢臣の伊尹が就いた官職の名前。 「佐」は手助けすること。
阿保之功(あほうのこう)
子供を育て上げた功績。 貴族などの、高い身分の人の子の子守りをする人の功績をいう。 「阿保」は子供を危険から守ったり、一緒に遊んだりすること。
阿保之功(あほのこう)
子供を育て上げた功績。 貴族などの、高い身分の人の子の子守りをする人の功績をいう。 「阿保」は子供を危険から守ったり、一緒に遊んだりすること。
晏子之御(あんしのぎょ)
他人の権威を笠にきておごり、自らの低い地位に満足している愚か者のたとえ。 「晏子」は斉の宰相、晏嬰のこと。 「御」は御者のこと。 晏嬰の御者は、晏嬰を乗せたことで得意気になっていたが、その姿を見た御者の妻は離縁を迫ると、御者は改心したという故事から。
帷幄之臣(いあくのしん)
参謀や軍師など、指揮官に付き従って作戦を練る部下のこと。 「帷」は垂れ幕「幄」は引き幕のこと。 昔の陣営は幕をめぐらしたことから作戦を練る場所、本陣や本営、軍部の意味。
異域之鬼(いいきのおに)
祖国に帰れず異国の地で死ぬこと。またはその人の魂。 「異域」は自分の国でない国、外国。 「鬼」は死んだ人の魂のこと。 故郷から離れて、外国に留まり続けている死者の魂という意味から。
異域之鬼(いいきのき)
祖国に帰れず異国の地で死ぬこと。またはその人の魂。 「異域」は自分の国でない国、外国。 「鬼」は死んだ人の魂のこと。 故郷から離れて、外国に留まり続けている死者の魂という意味から。
衣錦之栄(いきんのえい)
成功、出世した後に錦(にしき)の着物を着て故郷に帰ること。 「錦」は金や銀などの糸で織り込んだ美しい絹織物のこと。
倚玉之栄(いぎょくのえい)
容姿の美しい人や、人格のすぐれた人のそばへ寄ること。 「倚」は寄りかかること。 「玉」は玉樹のことで、容姿の美しい人や、立派な人物のたとえ。 「栄」は栄誉。 中国の魏のすぐれた容姿の夏侯玄に、明帝が皇后の弟である毛曽を並べて座らせたのを見た人々が、「葭が玉樹に寄りかかっている」と言ったという故事から。
韋弦之佩(いげんのはい)
自分の短所の改善に努めること。 または、自分の性格を改めて人格を高めるために戒めの物を身につけること。 「佩」は身につけるという意味。 「韋」はなめし皮のこと。 「弦」は弓のつるのこと。 中国の戦国時代、西門豹は短気な性格を直そうと「ゆったりとしたなめし皮」を身に着け、春秋時代の董安于は厳格な性格に改めるために「かたい弓のつる」を身につけたという故事から。 「韋弦之佩」ともいう。
一以貫之(いちいかんし)
一つの思いを曲げずに貫き通すこと。 「一以て之を貫く」とも読む。
一技之長(いちぎのちょう)
一つの技術に長けていること。
一言蔽之(いちげんへいし)
全体を一言で言い表す。一言で言うと。 一言で全体を覆うということから。 「一言(いちげん)、之(これ)を蔽(おお)う」とも読む。
一日之長(いちじつのちょう)
年齢が一日分年上なこと。 または、少しだけ経験が多いという意味から、知識や技量などが少しだけすぐれていること。
一樹之陰(いちじゅのかげ)
この世の人との出会いや関係は全て、前世の縁によるものということ。 見知らぬ人同士が、一本の木に寄り雨宿りをするのも、前世からの縁であるということから。
一日之長(いちにちのちょう)
年齢が一日分年上なこと。 または、少しだけ経験が多いという意味から、知識や技量などが少しだけすぐれていること。
一面之辞(いちめんのじ)
議論において、双方の言い分を平等に聞かず、一方の言い分、主張のみを聞くこと。 「一面」は一方のこと。 「辞」は言い分、主張のこと。
意中之人(いちゅうのひと)
心の中でひそかに思いを寄せている相手。 恋愛対象や、仕事などの適任者の候補として挙げている人を指すときに用いる。
一塊之肉(いっかいのにく)
兄弟のいない、ただ一人の子のこと。 「一塊」はひとつのかたまり。 「肉」は人間の身体のこと。 南宋の祥興帝が入水自殺して王朝が滅亡したことを聞いた、楊太后が嘆き言ったという故事から。
一割之利(いっかつのり)
凡人でも、たまには役に立つこと。 鉛でできた切れ味の悪い刀でも、一度はものを断ち切ることができることから。
一簣之功(いっきのこう)
仕事を完遂する間際の、最後のひと踏ん張りのこと。 または、仕事を完成させるために積み重ねる一つ一つの努力と、その大切さのこと。 「簣」は、土を入れて運ぶ道具。もっこ。 「一簣」は、もっこ一杯の土のこと。 「九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に虧(か)く」による。 九仞の高さの山を作るにも、最後のもっこ一杯の土を盛らずに止めてしまえば山は完成しないとの意から。
一丘之貉(いっきゅうのかく)
同じ仲間、似たようなもののたとえ。 または、同類の悪者のたとえ。 同じ丘に住む貉ということから。
一狐之腋(いっこのえき)
貴重なもの、大変価値のあるもののたとえ。 「腋」は脇のこと。 狐の脇の下からとれる毛皮は、白くて美しいがわずかにしかとれないため、大変珍重されたことから。
一笑置之(いっしょうちし)
いい加減に扱う。相手にしない。 軽く笑って別の場所に置くという意味から。 「一笑(いっしょう)、之(これ)を置(お)く」とも読む。
一炊之夢(いっすいのゆめ)
人の世界での繁栄は儚いということのたとえ。 または、人の人生が儚いことのたとえ。 「一炊」は一度飯を炊くこと。 唐の盧生という人が、旅の途中の邯鄲の町で、道士から出世が叶うという枕を借りて寝ると、出世して財力や権力を手に入れる夢を見た。 目が覚めると、宿の主人に頼んでいた、粟のかゆが出来上がっていないほどのわずかな時間しか過ぎていなかったという故事から。
一世之傑(いっせいのけつ)
その時代で最もすぐれている英雄。
一世之雄(いっせいのゆう)
その時代で一番すぐれた英雄。 「一世」はその時代、当時という意味。
一朝之忿(いっちょうのいかり)
少しの間、怒ること。 「一朝」はひと朝ということから、わずかな時間のたとえ。 「忿」は怒りのこと。
一朝之患(いっちょうのうれい)
少しの間、心配すること。 または、急に心配になること。 「一朝」はひと朝ということから、わずかな時間のたとえ。または、ある朝ということから、突然という意味。
一朝之患(いっちょうのわずらい)
少しの間、心配すること。 または、急に心配になること。 「一朝」はひと朝ということから、わずかな時間のたとえ。または、ある朝ということから、突然という意味。
一飯之恩(いっぱんのおん)
ほんのわずかな恩義のこと。 一度食事をご馳走になっただけの少しだけの恩義という意味で、そのような少しの恩義でも忘れてはいけないという戒めの言葉。
一飯之徳(いっぱんのとく)
ほんのわずかな恩義のこと。 一度食事をご馳走になっただけの少しだけの恩義という意味で、そのような少しの恩義でも忘れてはいけないという戒めの言葉。
一飯之報(いっぱんのむくい)
ほんのわずかな恩義のこと。 一度食事をご馳走になっただけの少しだけの恩義という意味で、そのような少しの恩義でも忘れてはいけないという戒めの言葉。
一以貫之(いついかんし)
一つの思いを曲げずに貫き通すこと。 「一以て之を貫く」とも読む。
鷸蚌之争(いつぼうのあらそい)
両者が争っている間に、全く関係のないものが苦労せずに利益を奪っていくこと。 「鷸」は水鳥のしぎ。 「蚌」は貝のどぶ貝。 しぎとどぶ貝が争っている間に、漁師が両方とも捕まえるという説話から。
乙夜之覧(いつやのらん)
天子が読書すること。 書物を読むことの大切さをいう言葉。 「乙夜」は午後十時くらいの時間。 「覧」は読書のこと。 天子はとても忙しいため、夜遅くになってやっと読書する時間ができるという意味から。 「乙覧」と略して使うこともある言葉。
猗頓之富(いとんのとみ)
膨大な財産のこと。 または、大富豪のこと。 「猗頓」は中国の春秋時代の大金持ちの名前。 巨万の富を得た范蠡に、資産家の教えを受けた猗頓は、牛や羊を飼い、塩を作って富を築き、金持ちといえば猗頓と人々に言われるまでになったという故事から。
移木之信(いぼくのしん)
約束を必ず実行することのたとえ。 為政者は人民に法の権威や信用を示すべきという戒めのこと。 戦国時代、秦の商鞅が国民からの信用を得るために、南門の大木を北門に移した者に十金を与えると布告したが、皆疑い誰も移さなかった。 五十金に増額すると移す者が現れたので、五十金を渡して約束を本当に守ると示した故事から。
葦末之巣(いまつのす)
頼りに出来るものが何もなく、安定しないために危なっかしい様子。 植物の葦の穂先にある鳥の巣という意味から。 中国の蒙鳩という鳥が、羽毛などで編んだ巣を葦の穂先に結びつけたが、風が吹いて巣と一緒に卵が落ちて割れたという故事から。
倚門之望(いもんのぼう)
母親が子のことを思う愛情のこと。 「倚」は寄りかかるという意味。 母親が門に寄りかかって、子の帰りを待ち望むという意味から。 中国の春秋時代の衛の王孫賈は、朝早くから夜遅くまで出掛けることが多く、母親は家の前の門や、村の入り口にある閭という門に寄りかかって帰ってくるのを待ちわびたという故事から。
倚閭之望(いりょのぼう)
母親が子のことを思う愛情のこと。 「倚」は寄りかかるという意味。 母親が門に寄りかかって、子の帰りを待ち望むという意味から。 中国の春秋時代の衛の王孫賈は、朝早くから夜遅くまで出掛けることが多く、母親は家の前の門や、村の入り口にある閭という門に寄りかかって帰ってくるのを待ちわびたという故事から。
飲河之願(いんかのねがい)
自分の身の丈に合った欲望で満足するべきであるということ。 中国古代の伝説の聖天子尭帝が、許由に天下を譲ろうとすると、動物のもぐらは大きな黄河の水を飲んでも、満腹になればそれ以上は飲まないといって断ったという故事から。
飲河之願(いんがのねがい)
自分の身の丈に合った欲望で満足するべきであるということ。 中国古代の伝説の聖天子尭帝が、許由に天下を譲ろうとすると、動物のもぐらは大きな黄河の水を飲んでも、満腹になればそれ以上は飲まないといって断ったという故事から。
咽喉之地(いんこうのち)
絶対に通らなければならない重要な場所。 「咽喉」は身体の喉のことで、戦略上で重要な場所を身体の急所である喉にたとえた言葉。
飲食之人(いんしょくのひと)
飲んだり食べたりすることだけを楽しみにしている人のこと。 本能にだけ従って生きている人のことをいう。
烏獲之力(うかくのちから)
非常に力が強いことのたとえ。 「烏獲」は人の名前。 中国の戦国時代の秦の武王に仕えていた烏獲は、重さ約八千キログラムのものを持ち上げる力持ちで、その力を使って武王に仕えて出世したという故事から。
烏合之衆(うごうのしゅう)
からすの群れは無秩序でただ集まっているだけということから、規律も統制も何も無く寄せ集めの集団や軍隊のたとえ。
烏集之交(うしゅうのまじわり)
「烏集」は烏の群れのことで、疑り深く、利己的な鳥とされていることから、お互いに自分の利益のみを考え、誠意のない交流や集まりのこと。
迂直之計(うちょくのけい)
一見すると実用的に見えないが、実際は一番実用的なこと。 「迂」は迂回すること、「直」は近道のことで、わざと回り道をすることで敵を油断させて、妨害を受けることなく先回りする兵法のことから。
烏鷺之争(うろのあらそい)
囲碁の対局こと。 「烏」はカラス、「鷺」はサギのこと。 黒と白の碁石を、それぞれ黒色の鳥であるカラスと白色の鳥であるサギにたとえ、碁石の競い合う様子を表現した言葉。
雲霞之交(うんかのこう)
一般的な関係を超越した交友関係のこと。 雲と霞がたなびいている場所という意味から、仙人などの俗世を超越したものが住むとされている場所のこと。 俗世を超越したもの同士の交友関係という意味から。
雲霞之交(うんかのまじわり)
一般的な関係を超越した交友関係のこと。 雲と霞がたなびいている場所という意味から、仙人などの俗世を超越したものが住むとされている場所のこと。 俗世を超越したもの同士の交友関係という意味から。
雲霓之望(うんげいののぞみ)
痛切な願いのたとえで、主にすぐれた君主が現れることを願うことをいう。 「雲霓」は雲と虹のこと。または、雨のこと。 日照りが続いて雨が降って虹が出ることを望むということから。
雲泥之差(うんでいのさ)
比べることができないほど大きな相違があること。 「雲泥」は天空にある雲と地上の泥のこと。 雲と泥には大きな違いがあるという意味から。
栄華之夢(えいがのゆめ)
人の繁栄は一時的なもので、長い期間続くことはないということ。 人の栄華は夢のように儚いもので、すぐに終わるということ。
詠雪之才(えいせつのさい)
文才がある女性のこと。 晋の王凝之の妻の謝道蘊が、降る雪を白い綿毛がある種子の柳絮にたとえた詩を詠み、文才をたたえられた故事から。
盈満之咎(えいまんのとがめ)
「満ちれば欠ける」という道理のことをいい、物事が最高点に到達するとかえって災いを招くという戒めのこと。 「盈満」は十分に満ちること。
易簀之際(えきさくのさい)
人が死ぬ間際のこと。 特に、徳の高い人が死ぬことを敬っていう言葉。 「易簀」は寝台に敷く簀(すのこ)を取り替えることで、人の死ぬ間際を意味する。 孔子の弟子である曽参が死ぬ間際、高位の人が使う簀(すのこ)が敷かれていたが、自身の身分には相応しくないといって取り返させたという故事から。
役夫之夢(えきふのゆめ)
人生の栄華や栄光は夢のように儚いということのたとえ。 「役者」は使用人のこと。 昼間は主人にこき使われている使用人が「夜は夢の中で王になって楽しんでいるから平気だ」と言ったという故事から。
越俎之罪(えっそのつみ)
自分の出過ぎた行いによって、他人の権限を侵す罪のこと。 「俎」はまな板のこと。 古代中国で尭帝が許由に天下を譲ろうとしたとき、許由は「人は分を守ることが大切で、たとえ料理人が神に供える料理をうまく作らなかったとしても、神主が料理人に代わって料理を作るべきではない」と言って断った故事から。
越畔之思(えっぱんのおもい)
自分の領分を守り、他者の領域を侵さないように心がけること。 「越畔」は田畑の境界である畦(あぜ)を越えること。 畦を越えて他者の田畑に踏みこむことのないように心がけることをいった言葉。
回伏之難(えふくのなん)
避けることができない困難をいう仏教の言葉。
鴛鴦之契(えんおうのちぎり)
夫婦の絆が非常に堅いこと。 または、いつまでも夫婦として仲良く暮らすという夫婦の約束のこと。 「鴛鴦」は雄と雌のおしどりのことで、雌雄が常に一緒にいる鳥ということから、夫婦の仲がよいことのたとえ。
轅下之駒(えんかのこま)
能力が足りないために、仕事を片付けられないこと。 または、人から束縛されて、自由にできないこと。 「轅」は馬車や牛車の舵棒、ながえのこと。 「駒」は二歳の若い馬。 まだ力の足りない若い馬を馬車につなぐという意味から。
猿臂之勢(えんぴのいきおい)
進退や攻守を自在に変化させることのできる軍隊の体制のこと。 または、遠い場所に陣を張ること。 「猿臂」は猿のような長いひじのこと。 弓を扱うには長いひじのほうが有利ということから、弓の扱いに長けた人のことをいう。また、長いひじを自在に操るということから、進退や攻守を自在に変えることができることをいう。
王佐之才(おうさのさい)
君主を補佐することができる優れた才能のこと。 中国の三国志などでよくみられる言葉。
横草之功(おうそうのこう)
とても簡単なこと、または少しの功績や功労のたとえ。 「横草」は草を踏んで横に倒すという意味。
王之爪牙(おうのそうが)
君主の助けとなったり、国家を守ったりする武に秀でた臣下。 「爪牙」はつめときばのことで、武器や兵のたとえ。
屋烏之愛(おくうのあい)
溺愛、盲愛のたとえ。 「屋烏」は屋根にとまっている烏(からす)のこと。 その人を愛するあまり、その人に関わるもの全て、その人の家の屋根にとまっている烏さえも愛おしくなること。
乙夜之覧(おつやのらん)
天子が読書すること。 書物を読むことの大切さをいう言葉。 「乙夜」は午後十時くらいの時間。 「覧」は読書のこと。 天子はとても忙しいため、夜遅くになってやっと読書する時間ができるという意味から。 「乙覧」と略して使うこともある言葉。
会稽之恥(かいけいのはじ)
戦いに敗れ受けた恥辱。または、人から受けた忘れることが出来ない屈辱。 「会稽」は中国の山の名前で、春秋時代の呉と越の戦場跡。
解語之花(かいごのはな)
美人のたとえ。 「解語」は言葉を理解するという意味で、唐の玄宗が「蓮の花の美しさも、言葉を理解する花には及ばない」と楊貴妃をさして言った故事から。
介山之志(かいざんのこころざし)
汚れがなく、立派な志。 中国の春秋時代の晋の国の介之推(かいしすい)は、力を尽くして文公(ぶんこう)を君主に即位させたが、その功績を誇らず、報酬も受け取らずに緜(めん)山に隠居したという故事から。
廻天之力(かいてんのちから)
世の中の情勢が全て変わるほどの大きな力のこと。 または、不利な情勢を一気に有利に変えることの出来る大きな力のこと。 「廻天」は天を回すという意味から、世の中の情勢が変わること。 「回天之力」とも書く。
回天之力(かいてんのちから)
世の中の情勢が全て変わるほどの大きな力のこと。 または、不利な情勢を一気に有利に変えることの出来る大きな力のこと。 「廻天」は天を回すという意味から、世の中の情勢が変わること。 「回天之力」とも書く。
魁塁之士(かいるいのし)
立派な体格をした人のこと。 「魁塁」は他よりすぐれてたくましいこと。
柯会之盟(かかいのめい)
約束したことを成し遂げ、信義を守り抜いて信頼を得ること。 「柯」は中国の地名。 中国の春秋時代、斉の桓公は魯の荘公と柯で会合して、侵略して得た土地を返すという約束をして、信義を守って約束を果たして信頼を得たという故事から。 「柯盟」と略して使うこともある。
蝸角之争(かかくのあらそい)
取るに足らない小さな争いのたとえ。 「蝸角」はかたつむりの角のこと。 かたつむりの角のように小さく、左右にある国同士が小さな領土を奪い合う争いをしたという故事から。 「蝸牛角上の争い」を略した言葉。
瓜葛之親(かかつのしん)
親類やその縁者のこと。 植物の瓜や葛の蔓が絡み合うことにたとえたもの。
河漢之言(かかんのげん)
特に意味のない話。 または、現実離れしているほら話のこと。 「河漢」は天の川のこと。 天の川の多くのように、次々と限りなく言葉が続くという意味から。
下学之功(かがくのこう)
始めに簡単で身近にあることを学び、少しずつ難しいことを学んでいくこと。 または、簡単なことから初めて、次第に上手くなっていくこと。 「下学」はごく普通にある簡単なことを学ぶこと。 「下学(かがく)して上達す」とも読む。
蝸牛之庵(かぎゅうのあん)
小さな家のこと。 「蝸牛」はかたつむりのこと。 「庵」は草葺きの小屋のこと。 かたつむりの殻のように小さな家という意味から。 自身の家をへりくだって言う言葉。
蝸牛之庵(かぎゅうのいおり)
小さな家のこと。 「蝸牛」はかたつむりのこと。 「庵」は草葺きの小屋のこと。 かたつむりの殻のように小さな家という意味から。 自身の家をへりくだって言う言葉。
火牛之計(かぎゅうのけい)
牛を使った戦法のこと。 中国の戦国時代の斉の田単や、日本では木曾義仲が用いたとされる戦法で、牛の角に刀剣をくくりつけ、それらの牛の尾に火付けて、敵陣に突撃させる戦法のこと。
火牛之計(かぎゅうのはかりごと)
牛を使った戦法のこと。 中国の戦国時代の斉の田単や、日本では木曾義仲が用いたとされる戦法で、牛の角に刀剣をくくりつけ、それらの牛の尾に火付けて、敵陣に突撃させる戦法のこと。
赫赫之功(かくかくのこう)
素晴らしい評判。 「赫赫」は光り輝く様子のこと。 「功」は功績。 光り輝く功績という意味から。
赫赫之名(かくかくのな)
素晴らしい評判。 「赫赫」は光り輝く様子のこと。 「名」は名声。 光り輝く名声という意味から。
隔世之感(かくせいのかん)
時代が変化したことを深く感じること。 「隔世」は時代が異なること。 昔のことを思い出すときに使うことが多い言葉。
鶴鳴之士(かくめいのし)
才能や能力があっても、世のために使われることなく、世間から認められていない賢者のこと。 または、公職についていない賢者のこと。 「鶴鳴」は鶴の鳴き声のこと。 山奥に隠遁している賢者をたとえた言葉で、山の中から鶴の美しい鳴き声は聞こえるが、姿を見ることは出来ないという意味から。
鶴翼之囲(かくよくのかこみ)
軍隊の陣形の一つで、左右に長く広がった陣形のこと。 鶴が翼を広げたような形に見えるということから。
鶴翼之陣(かくよくのじん)
軍隊の陣形の一つで、左右に長く広がった陣形のこと。 鶴が翼を広げたような形に見えるということから。
和氏之璧(かしのたま)
世に二つとない、極めて珍しい宝物のこと。 「和氏」は楚の卞和という人物のこと。 「璧」は宝玉のこと。 卞和が山中で宝玉の原石を見つけ、レイ王に献上したが、ただの石だと言われ罰として左足を切られた。 のちに武王に献上したが、同じくただの石だと言われ罰として右足を切られた。 のちに、卞和の話を聞いた文王がその原石を磨かせたところ、正真正銘の宝玉であったという故事から。
和氏之璧(かしのへき)
世に二つとない、極めて珍しい宝物のこと。 「和氏」は楚の卞和という人物のこと。 「璧」は宝玉のこと。 卞和が山中で宝玉の原石を見つけ、レイ王に献上したが、ただの石だと言われ罰として左足を切られた。 のちに武王に献上したが、同じくただの石だと言われ罰として右足を切られた。 のちに、卞和の話を聞いた文王がその原石を磨かせたところ、正真正銘の宝玉であったという故事から。
華燭之典(かしょくのてん)
結婚式のこと。 「華燭」はきらびやかで美しい灯りということから、結婚式の灯りのこと。 「典」は儀式のこと。
華胥之国(かしょのくに)
良い夢のこと。 または、昼寝のこと。 「華胥」は夢の中にある理想郷。 中国の伝説の聖天子の黄帝は、昼寝をしていると華胥という国に行く夢を見た。 華胥では、人民に不満などが何も無く、理想的な政治が行われていた。 夢から覚めた黄帝は、その国を見習った政治をすると自国をうまく治めることができたという故事から。
華胥之夢(かしょのゆめ)
良い夢のこと。 または、昼寝のこと。 「華胥」は夢の中にある理想郷。 中国の伝説の聖天子の黄帝は、昼寝をしていると華胥という国に行く夢を見た。 華胥では、人民に不満などが何も無く、理想的な政治が行われていた。 夢から覚めた黄帝は、その国を見習った政治をすると、自国をうまく治めることができたという故事から。
火宅之境(かたくのきょう)
災いに満ち溢れた境遇。 または、この世のたとえ。 火事が起こって燃えている最中の家ということから。 「境」は「きょう」とも読む。
火宅之境(かたくのさかい)
災いに満ち溢れた境遇。 または、この世のたとえ。 火事が起こって燃えている最中の家ということから。 「境」は「きょう」とも読む。
火中之栗(かちゅうのくり)
自分のためにはならないが、他人のために危険なことをすること。または、その結果で辛い思いをすること。 猿におだてられた猫が、燃えているいろりの中に入ってる栗を取ったが、猫は火傷をしたうえに栗は取られたという寓話から。
渦中之人(かちゅうのひと)
問題に巻き込まれている人。 または、その中心にいる人。 「渦中」は混乱している状況の中。
赫赫之名(かっかくのな)
素晴らしい評判。 「赫赫」は光り輝く様子のこと。 「名」は名声。 光り輝く名声という意味から。
割臂之盟(かっぴのめい)
非公式にひっそりと結婚の約束をすること。 「割臂」は腕に傷をつけること。 「盟」は誓い、約束。 中国の春秋時代の魯の荘公が、孟任を嫁にしようとしたときに、その誓いとして荘公は自身の腕に傷をつけて、それをすすったという故事から。
過庭之訓(かていのおしえ)
家庭での教育のこと。 父親からの教えという意味から。 「過庭」は庭を横切ること。 孔子は、自分の息子の鯉が庭を横切るときに呼び止めて、詩や礼を学ぶことの大切さを諭し、鯉もそれによく従ったという故事から。 「庭訓」と略すこともあり、「過庭之教」とも書く。
過庭之教(かていのおしえ)
家庭での教育のこと。 父親からの教えという意味から。 「過庭」は庭を横切ること。 孔子は、自分の息子の鯉が庭を横切るときに呼び止めて、詩や礼を学ぶことの大切さを諭し、鯉もそれによく従ったという故事から。 「庭訓」と略すこともあり、「過庭之教」とも書く。
葭莩之親(かふのしん)
繋がりの薄い、遠い親戚。 「葭莩」は葦(あし)の茎の内側の薄い膜のことで、厚さが薄いもののたとえ。 「親」は血の繫がりのある人。親族。親戚。
烏之雌雄(からすのしゆう)
物事の善悪や正誤が非常に区別しにくいこと。 烏(からす)の雌雄は、外見上の特徴が非常に似ており、一見して判別が困難であることから来ている言葉。
河梁之吟(かりょうのぎん)
親しい友人を見送るときの離れたくないという気持ち。 「河梁」は川を渡るための橋。 中国の漢の時代、異民族の匈奴に捕まった李陵が、一緒に捕まっていた蘇武が国に戻る時に送った詩から。
河梁之別(かりょうのわかれ)
親しい友人を見送るときの離れたくないという気持ち。 「河梁」は川を渡るための橋。 中国の漢の時代、異民族の匈奴に捕まった李陵が、一緒に捕まっていた蘇武が国に戻る時に送った詩から。
観闕之誅(かんけつのちゅう)
不正を行った臣下をとがめて処刑すること。 「観闕」は宮殿などの左右にある大きな物見台。 「誅」は罪を非難して処刑すること。または、罪を厳しく非難すること。 中国の春秋時代、魯の国の大夫(たいふ)である少正卯(しょうせいぼう)は不正を行ったために、孔子によって観闕で処刑されたという故事から。
関雎之化(かんしょのか)
夫婦の仲がよく、家庭が穏やかなこと。 「関雎」は『詩経』の中にある篇の名前。 周の文王と后妃の睦まじい夫婦の徳を詠じたもので、その徳に影響を受けて、どの家庭も穏やかになるという意味から。
姦人之雄(かんじんのゆう)
世辞がうまく、世渡り上手で中身の薄い人のこと。 「姦人」はあくどい人のこと。
埳井之鼃(かんせいのあ)
世の中のことを知らず、自分だけの狭い見識や考え方にとらわれていることのたとえ。 「埳井」は壊れた古い井戸。 「鼃」は蛙(かえる)のこと。 井戸に住む蛙が海に住む大亀に、自分の住む井戸は広く自由で素晴らしいと語ったところ、大亀から海の広さや深さを聞かさせて蛙はとても驚いたという故事から。
坎井之鼃(かんせいのあ)
世の中のことを知らず、自分だけの狭い見識や考え方にとらわれていることのたとえ。 「埳井」は壊れた古い井戸。 「鼃」は蛙(かえる)のこと。 井戸に住む蛙が海に住む大亀に、自分の住む井戸は広く自由で素晴らしいと語ったところ、大亀から海の広さや深さを聞かさせて蛙はとても驚いたという故事から。
寒泉之思(かんせんのおもい)
子どもが親を思いやり、尽くそうとする心。 「寒泉」は冷たい地下水。 植物を育む冷たい地下水のように愛情をもって育ててくれた母親に対して、七人の子どもたちは苦労をかけるばかりで孝行できなかったことを自責したという話から。
邯鄲之歩(かんたんのあゆみ)
他人の真似をしたがうまくいかず、自分自身の本来のものを忘れ、どちらもうまくいかなくなること。 「邯鄲」は中国の地名。 中国の戦国時代、燕の田舎の国の青年が趙の都会の邯鄲に行って、都会の人たちの歩き方を真似しようとしたが、それに失敗して今までの自分の歩き方を忘れて這って帰ったという故事から。
邯鄲之歩(かんたんのほ)
他人の真似をしたがうまくいかず、自分自身の本来のものを忘れ、どちらもうまくいかなくなること。 「邯鄲」は中国の地名。 中国の戦国時代、燕の田舎の国の青年が趙の都会の邯鄲に行って、都会の人たちの歩き方を真似しようとしたが、それに失敗して今までの自分の歩き方を忘れて這って帰ったという故事から。
邯鄲之夢(かんたんのゆめ)
人の世界での繁栄は儚いということのたとえ。 または、人の人生が儚いことのたとえ。 「邯鄲」は中国の町の名前。 唐の盧生という人が、旅の途中の邯鄲の町で、道士から出世が叶うという枕を借りて寝ると、出世して財力や権力を手に入れる夢を見た。 目が覚めると、宿の主人に頼んでいた、粟のかゆが出来上がっていないほどのわずかな時間しか過ぎていなかったという故事から。
甘棠之愛(かんとうのあい)
すぐれた為政者を人々が慕う気持ちが深いこと。 「甘棠」はからなし、りんごの木のこと。 中国の周の召公は、善政を行った立派な為政者として人々に慕われ、召公が木蔭で休んだりんごの木を大切にして、いつまでも召公を忘れなかったという故事から。
貫道之器(かんどうのき)
「文章」の別称。 文章は道を明らかにする器であることから。
汗馬之労(かんばのろう)
物事を成功させるために、苦労しながらあちこち駆け回ること。 「汗馬」は馬に汗をかかせるということから、戦場で功績を得るために駆け巡るということ。
韓文之疵(かんぶんのきず)
主張や発言の辻褄が合わないこと。 「韓文」は中国の名文家の韓愈の書いた文章のこと。 「疵」はきずのこと。 「送孟東野序」の中で、韓愈が述べていることに矛盾があるということから。
韓文之疵(かんぶんのし)
主張や発言の辻褄が合わないこと。 「韓文」は中国の名文家の韓愈の書いた文章のこと。 「疵」はきずのこと。 「送孟東野序」の中で、韓愈が述べていることに矛盾があるということから。
緩兵之計(かんへいのけい)
敵との決戦をわざと遅らせて、時間を稼いで機会をみて攻撃をする戦法のこと。 「緩」は遅らせるという意味。
管鮑之交(かんぽうのこう)
お互いのことを理解しあっていて、利害を超えた親密な友情のこと。 「管」は管仲、「鮑」は鮑叔牙、どちらも古代中国の人の名前。 中国の春秋時代、斉の鮑叔牙と管仲は幼い頃からの親友で、二人は違う王子に仕え、王子の後継者争いで鮑叔牙が仕える桓公が勝った。 桓公は敵対した管仲を殺そうとしたが、鮑叔牙は臣下に迎えるように桓公を説得し、後に宰相となった管仲と、その補佐になった鮑叔牙の力によって斉は大きな国になった。 鮑叔牙の死後、管仲は墓前で、「私を生んだのは両親だが、私を理解しているのは鮑叔だった」と言い、互いに互いの厚意を感謝し、二人の関係はいつまでも変わらなかったという故事から。
管鮑之交(かんぽうのまじわり)
お互いのことを理解しあっていて、利害を超えた親密な友情のこと。 「管」は管仲、「鮑」は鮑叔牙、どちらも古代中国の人の名前。 中国の春秋時代、斉の鮑叔牙と管仲は幼い頃からの親友で、二人は違う王子に仕え、王子の後継者争いで鮑叔牙が仕える桓公が勝った。 桓公は敵対した管仲を殺そうとしたが、鮑叔牙は臣下に迎えるように桓公を説得し、後に宰相となった管仲と、その補佐になった鮑叔牙の力によって斉は大きな国になった。 鮑叔牙の死後、管仲は墓前で、「私を生んだのは両親だが、私を理解しているのは鮑叔だった」と言い、互いに互いの厚意を感謝し、二人の関係はいつまでも変わらなかったという故事から。
睚眥之怨(がいさいのうらみ)
ほんの少しの怨みのこと。 「睚」と「眥」はどちらもにらむという意味で、にらまれたときに抱くわずかな怨みのことから。
睚眥之怨(がいさいのえん)
ほんの少しの怨みのこと。 「睚」と「眥」はどちらもにらむという意味で、にらまれたときに抱くわずかな怨みのことから。
亥豕之譌(がいしのか)
文字を書き間違えること。 「亥」と「豕」は文字の形が似ていて書き間違えやすいことから。 「譌」は誤りという意味。
蓋世之才(がいせいのさい)
やる気に満ちていて、世を覆い尽くすほどの優れた才能を持っている人のこと。 「蓋世」は世を覆い尽くすこと。 「才」は優れた才能のこと。
諤諤之臣(がくがくのしん)
相手に対して控えることなく、正しいと思うことをはっきりと言う人のこと。 「諤諤」は遠慮せずに思ったことをはっきり言うこと。
臥榻之側(がとうのかたわら)
自身の領域、身近にあること。 「臥榻」は寝床のことで、一番私的な場所ということから自身の領域のたとえ。 自分の領域を、他人が荒らすことを許さないというときに使うことが多い言葉。
餓狼之口(がろうのくち)
強欲で残忍な性質の人のたとえ。 または、この上なく危険な状況。 ひどく腹を空かせた狼の口の中という意味から。
頷下之珠(がんかのしゅ)
手に入れるのが難しく、非常に貴重なもののたとえ。 「頷下」は顎の下。 「珠」は宝石。 黒い竜の顎の下にあるとされている宝石のことで、命をかけなければ取ることができない宝石ということから。
頷下之珠(がんかのたま)
手に入れるのが難しく、非常に貴重なもののたとえ。 「頷下」は顎の下。 「珠」は宝石。 黒い竜の顎の下にあるとされている宝石のことで、命をかけなければ取ることができない宝石ということから。
眼中之釘(がんちゅうのくぎ)
自分に害を与えるもののたとえ。 または、邪魔になる人や物のたとえ。 中国の五大時代の趙在礼の悪政に苦しんだ人々は、趙在礼が転任することになり、目の中の釘が抜けたようだと喜んだという故事から。 「眼中之丁」とも書く。
眼中之丁(がんちゅうのくぎ)
自分に害を与えるもののたとえ。 または、邪魔になる人や物のたとえ。 中国の五大時代の趙在礼の悪政に苦しんだ人々は、趙在礼が転任することになり、目の中の釘が抜けたようだと喜んだという故事から。 「眼中之丁」とも書く。
眼中之釘(がんちゅうのてい)
自分に害を与えるもののたとえ。 または、邪魔になる人や物のたとえ。 中国の五大時代の趙在礼の悪政に苦しんだ人々は、趙在礼が転任することになり、目の中の釘が抜けたようだと喜んだという故事から。 「眼中之丁」とも書く。
眼中之丁(がんちゅうのてい)
自分に害を与えるもののたとえ。 または、邪魔になる人や物のたとえ。 中国の五大時代の趙在礼の悪政に苦しんだ人々は、趙在礼が転任することになり、目の中の釘が抜けたようだと喜んだという故事から。 「眼中之丁」とも書く。
眼中之人(がんちゅうのひと)
心の中から消えることなく、いつも思っている人。または、非常に親しい関係の友人。
几案之才(きあんのさい)
美しい文章を作る才能のこと。 または、その才能を持っている人のこと。 「几」と「案」はどちらも机のこと。 「机案之才」とも書く。
机案之才(きあんのさい)
美しい文章を作る才能のこと。 または、その才能を持っている人のこと。 「几」と「案」はどちらも机のこと。 「机案之才」とも書く。
棄灰之刑(きかいのけい)
刑罰に慈悲が無く、極めて厳しいことのたとえ。 「棄灰」は道路に灰を捨てることで、軽犯罪のたとえ。 中国の殷の時代の方では、道路に灰を捨てた人は、死刑にされていたとされ、そのように厳しく刑罰を与えることで、人々に法を犯す恐怖を植え付けようとしたとされている。
機械之心(きかいのこころ)
「機械」は巧妙な仕組みの器具のことから、たくらみや偽り、たくらみ偽る心のこと。 または、策略をめぐらす考え。
鬼瞰之禍(きかんのわざわい)
良い出来事には邪魔が入りやすいことのたとえ。 または、富み栄えているときに付け上がっていると、周りから妬まれて災いを受けることのたとえ。 「瞰」は隙を狙う、もしくは窺うという意味。 富裕な家に災いを下そうとして、邪鬼が隙を狙っているという意味から。
箕裘之業(ききゅうのぎょう)
祖父から受け継いだ仕事のこと。 「箕」はふるい、「裘」は皮の上着のこと。 弓作りの職人の子は箕を作ることからはじめ、鍛冶屋の職人の子は裘を作ることからはじめ、祖父の家業を受け継ぐ準備をするという故事から。
騎虎之勢(きこのいきおい)
一度勢いがついてしまうと、途中でやめることが出来ないということ。 「騎虎」は虎に乗ること。 虎に乗った者は、降りると虎に食べられてしまうので、乗り続けるしかないという意味から。
箕山之志(きざんのこころざし)
世間での名声と利益を捨て、世間との接触を避けて信念を守ろうとすること。 伝説上の人物の許由と巣父が、世間での名声を嫌い、信念を守るために箕山という名前の山でひっそりと生活したという故事から。
机上之論(きじょうのろん)
理論的ではあるが、実際に行うことが不可能な考えや意見のこと。 「机上」は机の上。 「論」は根拠がひとつもない理論のこと。 状況や状態などを一切考慮せずに、机の上で理論だけを考えたために、実現することが出来ない計画や議論という意味から。
杞人之憂(きじんのゆう)
必要のない心配をすること。 「杞人」は古代中国の周の時代にあった杞という国の人。 「憂」は心配すること。 杞の国の人が天が崩れて落ちてきたらと考え、心配していたという故事から。
希世之雄(きせいのゆう)
この世のものとは思えないほどすぐれた英雄。 「希世」はとても珍しいこと。 「稀世之雄」とも書く。
稀世之雄(きせいのゆう)
この世のものとは思えないほどすぐれた英雄。 「希世」はとても珍しいこと。 「稀世之雄」とも書く。
羈紲之僕(きせつのぼく)
主君の旅の供をする人のこと。 従者や随行者のことを謙っていう言葉。 「羈」は馬の顔に付けるおもがい、「紲」は馬の手綱のことで、主人の馬車を操る従者という意味から。 「羈絏之僕」とも書く。
羈絏之僕(きせつのぼく)
主君の旅の供をする人のこと。 従者や随行者のことを謙っていう言葉。 「羈」は馬の顔に付けるおもがい、「紲」は馬の手綱のことで、主人の馬車を操る従者という意味から。 「羈絏之僕」とも書く。
橘中之楽(きっちゅうのたのしみ)
将棋や囲碁をする楽しみのこと。 「橘」はみかんのこと。 中国の巴キョウの人が大きなみかんの実を割ると、中に二人の老人がいて、囲碁を打って楽しんでいたという故事から。
橘中之楽(きっちゅうのらく)
将棋や囲碁をする楽しみのこと。 「橘」はみかんのこと。 中国の巴キョウの人が大きなみかんの実を割ると、中に二人の老人がいて、囲碁を打って楽しんでいたという故事から。
記問之学(きもんのがく)
書物などを読んで、覚えるだけの学問。 または、生活の中で役に立たない知識や学問のこと。 「記問」は書物や他人の考えや意見を覚えること。または、それらの知識を活かさないこと。
及肩之牆(きゅうけんのしょう)
簡単に内側が見えてしまうほど、まだ未熟であるということのたとえ。 「及肩」は肩と同じくらいの高さのこと。 「牆」は塀のこと。 古代中国の魯の大夫の叔孫武叔が、孔子よりも弟子の子貢のほうがすぐれていると言い、子貢がそれに反論したという故事から。
丘山之功(きゅうざんのこう)
無数の努力を積み重ねて成し遂げた、非常に偉大な功績。 丘や山のように大きな功績という意味から。 小さな石や土を数多く積み重ねて出来た丘や山ということから、数多くの努力を積み重ねることをいう。
九仞之功(きゅうじんのこう)
仕事を完遂する間際の、最後のひと踏ん張りのこと。 または、仕事を完成させるために積み重ねる一つ一つの努力と、その大切さのこと。 「九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に虧(か)く」による。 九仞の高さの山を作るにも、最後のもっこ一杯の土を盛らずに止めてしまえば山は完成しないとの意から。
求全之毀(きゅうぜんのそしり)
手落ちがないように準備をして、正しい行いをしても人に非難されることもあるということ。 「求全」は万全を求めること。 「毀」は悪口を言うこと。 「全(ぜん)を求むるの毀(そし)り」とも読む。
窮途之哭(きゅうとのこく)
貧しくて生活に苦しみ、悲しむこと。 「窮途」は行き止まりの道という意味から、苦しい状況のこと。 「哭」は悲しんで声を上げて泣くこと。 中国の晋の阮籍が行き止まりで進めずに嘆き悲しんだという故事から。
九年之蓄(きゅうねんのたくわえ)
国が豊かなこと。 「蓄」は食料の貯蓄のこと。 国民の一人一人に、九年分の食料の貯蓄があるという意味から。 「九年之儲」とも書く。
九年之儲(きゅうねんのたくわえ)
国が豊かなこと。 「蓄」は食料の貯蓄のこと。 国民の一人一人に、九年分の食料の貯蓄があるという意味から。 「九年之儲」とも書く。
薑桂之性(きょうけいのせい)
年老いて、さらに剛直になることのたとえ。 または、人の性格は簡単には変わらないということ。 「薑」は生姜のこと。 「桂」は肉桂のこと。 生姜も肉桂も、古いものほど辛くなっていくということから。
喬松之寿(きょうしょうのじゅ)
老いることなく、いつまでも生きること。 長寿や長命のたとえ。 「喬松」は人の名前で、中国の伝説の仙人の赤松子と王子喬の二人のこと。
曲肱之楽(きょくこうのたのしみ)
富を求めずに、貧しくても正しい行いをする楽しみのこと。または、貧しい暮らしをしていても、その中に楽しみはあるということ。 「曲肱」は枕が買えないために腕を曲げて、肘を枕にするという意味。
曲肱之楽(きょくこうのらく)
富を求めずに、貧しくても正しい行いをする楽しみのこと。または、貧しい暮らしをしていても、その中に楽しみはあるということ。 「曲肱」は枕が買えないために腕を曲げて、肘を枕にするという意味。
挙白進之(きょはくしんし)
杯を上げて他人に酒をすすめること。または、酒を飲むこと。 「白」は勝負などの罰として酒を飲ませることで、「挙白」は杯を上げて他人に酒をすすめること。または、酒を飲むこと。 「白(はく)を挙(あ)げて之(これ)を進む」とも読む。
巾幗之贈(きんかくのぞう)
意気地なしで臆病なことをはずかしめる言葉。 「巾幗」は女性用の髪飾り。 中国の三国時代、蜀の諸葛亮は魏へ攻めたが、魏の司馬懿は城に立てこもって戦おうとしなかった。 諸葛亮は女性用の髪飾りを司馬懿に贈って、臆病で女々しいことをはずかしめたという故事から。
金玉之言(きんぎょくのげん)
非常に重要な忠告。 または、戒めの言葉。 「金玉」は黄金と宝石。 黄金と宝石のように貴重な忠告という意味から。
金石之交(きんせきのまじわり)
どれだけの時間がたっても変わることの無い、かたい友情のこと。 「金石」は非常に硬いということから、永遠に変わらないものの象徴。
巾箱之寵(きんそうのちょう)
肌身離さず持っておく、非常に大切なもののこと。 「巾箱」はいつも近くに置いておく、布張りの書物などをいれる小箱のこと。 「寵」は気に入るや可愛がるということ。
金蘭之契(きんらんのけい)
極めて固く親密な友人関係のこと。 「蘭」はよい香りのするふじばかまのこと。 金のように堅く、蘭のようにかぐわしい関係という意味から。
金蘭之契(きんらんのちぎり)
極めて固く親密な友人関係のこと。 「蘭」はよい香りのするふじばかまのこと。 金のように堅く、蘭のようにかぐわしい関係という意味から。
金蘭之交(きんらんのまじわり)
極めて固く親密な友人関係のこと。 「蘭」はよい香りのするふじばかまのこと。 金のように堅く、ふじばかまのようにかぐわしい関係という意味から。
儀狄之酒(ぎてきのさけ)
味のよい酒のこと。 「儀狄」は人の名前で、中国の夏の時代に、酒を生み出したとされている伝説上の人物。または、酒のたとえ。 中国の夏の国の禹王が儀狄の酒を飲み、そのうまさから、酒に溺れて国を滅ぼすものが出ると言い、酒を禁じたという故事から。
魚塩之中(ぎょえんのうち)
海でとれる海草や魚介、塩などを扱う商売の仲間のこと。 または、そのようなものを売っている場所のこと。
魚塩之利(ぎょえんのり)
魚を捕ったり、塩を取ったりして得られる利益のこと。
魚菽之祭(ぎょしゅくのまつり)
粗末な祭りのこと。 「菽」は豆類の食べ物。 魚や豆類などの普段食べている食べ物を供える祭りということから。
漁夫之勇(ぎょふのゆう)
よい出来事も悪い出来事も全ては運命だと思い、どんな災難にあっても、いつかよい出来事があると信じて、勇気を持って取り組むこと。 「漁夫」は漁師。 漁師が水中で恐ろしいものに出会っても、仕事を辞めずに続ける勇気という意味から。 「漁父之勇」とも書く。
漁父之勇(ぎょふのゆう)
よい出来事も悪い出来事も全ては運命だと思い、どんな災難にあっても、いつかよい出来事があると信じて、勇気を持って取り組むこと。 「漁夫」は漁師。 漁師が水中で恐ろしいものに出会っても、仕事を辞めずに続ける勇気という意味から。 「漁父之勇」とも書く。
漁夫之利(ぎょふのり)
二者が争っている間に、無関係な者が苦労することなく利益を得ること。 「漁夫」は漁師のこと。 古代中国の趙が燕を攻めようとしたときに、燕の遊説家の蘇代が趙の恵文王の元に出向いて「鷸(シギ)と蚌(ハマグリ)が争っている間にどちらも漁師に捕まえられてしまった」というたとえ話をした後に「趙と燕が争えば、弱ったところを秦に狙われて両国とも取られてしまうだろう」と言って恵文王を説得したという故事から。 「漁父之利」とも書く。
漁父之利(ぎょふのり)
二者が争っている間に、無関係な者が苦労することなく利益を得ること。 「漁夫」は漁師のこと。 古代中国の趙が燕を攻めようとしたときに、燕の遊説家の蘇代が趙の恵文王の元に出向いて「鷸(シギ)と蚌(ハマグリ)が争っている間にどちらも漁師に捕まえられてしまった」というたとえ話をした後に「趙と燕が争えば、弱ったところを秦に狙われて両国とも取られてしまうだろう」と言って恵文王を説得したという故事から。 「漁父之利」とも書く。
魚鱗之陣(ぎょりんのじん)
中央が突出した、魚の鱗のような形の陣形。 兵法の八陣の一つ。
区区之心(くくのこころ)
「区」は小さな区画という意味で、「区区」は小さくて取るにたらないということから、取るにたらない小さな心のこと。 自分の考えや心のことを謙遜していう言葉。
苦肉之計(くにくのけい)
苦し紛れの策略のこと。または、自らの体を苦しめることまでして、敵を欺く策略のこと。 三国時代、赤壁の戦いで呉の黄蓋が魏のスパイの前で、自らの意思で刑を受け、見限っての投降と思わせて、敵の陣営の船団に火を放ち形勢逆転した故事から。 「苦肉之謀」とも書く。
苦肉之策(くにくのさく)
苦し紛れの策略のこと。 または、自らの体を苦しめることまでして、敵を欺く策略のこと。 三国時代、赤壁の戦いで呉の黄蓋が魏のスパイの前で、自らの意思で刑を受け、見限っての投降と思わせて、敵の陣営の船団に火を放ち形勢逆転した故事から。
苦肉之計(くにくのはかりごと)
苦し紛れの策略のこと。または、自らの体を苦しめることまでして、敵を欺く策略のこと。 三国時代、赤壁の戦いで呉の黄蓋が魏のスパイの前で、自らの意思で刑を受け、見限っての投降と思わせて、敵の陣営の船団に火を放ち形勢逆転した故事から。 「苦肉之謀」とも書く。
苦肉之謀(くにくのはかりごと)
苦し紛れの策略のこと。または、自らの体を苦しめることまでして、敵を欺く策略のこと。 三国時代、赤壁の戦いで呉の黄蓋が魏のスパイの前で、自らの意思で刑を受け、見限っての投降と思わせて、敵の陣営の船団に火を放ち形勢逆転した故事から。 「苦肉之謀」とも書く。
九年之蓄(くねんのたくわえ)
国が豊かなこと。 「蓄」は食料の貯蓄のこと。 国民の一人一人に、九年分の食料の貯蓄があるという意味から。 「九年之儲」とも書く。
九年之儲(くねんのたくわえ)
国が豊かなこと。 「蓄」は食料の貯蓄のこと。 国民の一人一人に、九年分の食料の貯蓄があるという意味から。 「九年之儲」とも書く。
狗馬之心(くばのこころ)
地位が上の者への忠誠心、誠意のこと。 「狗馬」は犬と馬のことで、犬や馬のように恩を忘れず主人に仕えて、少しずつでも恩返しをするという意味。 君主に対する自分の忠誠を自らを卑下していう言葉。
君側之悪(くんそくのあく)
君主のそばに仕えている悪人のこと。または、君主に媚を売り、悪いことを企んでいる人のこと。 「君側」は君主に近いところ、側近。 「悪」は悪人。
傾危之士(けいきのし)
言葉や策謀で、国を混乱させ傾けて危うくする危険人物のこと。 「傾危」は傾いて危ない様子。
桂玉之艱(けいぎょくのかん)
他の土地からやってきて、物価の高さで生活に苦労すること。 「桂」は香木、「玉」は宝玉、「艱」は悩むや苦しむこと。 戦国時代の遊説家の蘇秦が、楚の威王を訪れたところ、面会までに三か月も待たされてしまい、その間、宝玉より高い食べ物や香木より高い薪の値段に悩まされ、生活に苦労した故事から。
稽古之力(けいこのちから)
過去の出来事を考える努力のこと。 または、学問や芸術の成果で、財産や地位を得ること。 「稽古」は過去の出来事を考えること。
荊山之玉(けいざんのぎょく)
秀才で聡明な人のこと。 「荊山」は卞和が宝玉の原石を手に入れたという中国の山の名前で、その宝玉のように価値のある人物という意味から。
蛍雪之功(けいせつのこう)
苦しい環境の中で勉学に励むこと。 「蛍雪」は蛍の光と雪明りのこと。 中国の人物、車胤は貧しくて灯火の油を買うことができず、蛍を集めてその光で勉強していた。 同じく貧しかった孫康は、雪明かりで勉強していたという二つの故事から。
勁草之節(けいそうのせつ)
勁草のように強い節操や意志があること。 「勁草」は強い風でも倒れない強い草ということから。
鶏鳴之助(けいめいのじょ)
妻が夫を影ながら支えること。 鶏の鳴き声が聞こえて、夫が遅刻してはいけないと思って起こそうとしたが、実は聞き間違いで、まだ夜中だったという故事から。
鶏鳴之助(けいめいのたすけ)
妻が夫を影ながら支えること。 鶏の鳴き声が聞こえて、夫が遅刻してはいけないと思って起こそうとしたが、実は聞き間違いで、まだ夜中だったという故事から。
啓沃之功(けいよくのこう)
主君の手助けをして、功績をあげること。 「啓沃」は誠意をもって主君に仕えて、よい策略を助言すること。 「功」は功績のこと。
決河之勢(けっかのいきおい)
止めることの難しい、激しい勢いのこと。 「決河」は川の水が堤防を壊して流れ出ること。
結縄之政(けつじょうのまつりごと)
古代に行われた政治のこと。 文字が存在しなかった時代の政治を行う上での意志の伝達や記録の方法で、大事には大きな縄の結び目を結び、小事には小さな縄の結び目を結んだということから。
涓埃之功(けんあいのこう)
非常に小さな功績と、その功績のための非常に小さな苦労のこと。 「涓」はしずく。 「埃」はほこり。 どちらも非常に小さいことのたとえ。 自身の功績を謙っていう言葉。
犬猿之仲(けんえんのなか)
ひどく仲が悪いこと。 犬と猿は相性が悪く、互いに敵視するとされていることから。
懸河之弁(けんがのべん)
つまることなく、流れるような弁舌のこと。 「懸河」は傾斜が激しい流れの速い川。 止まることがなく、勢いよく流れる川のような弁舌という意味から。
犬馬之心(けんばのこころ)
主君への忠誠心のこと。 犬や馬が飼い主に示す忠誠心ということから。 自身の忠誠心を謙遜していう言葉。
犬馬之年(けんばのとし)
自分の年齢を謙遜していう言葉。 動物の犬や馬のように、大きな功績を残すこともなく、無駄に歳をとったということから。
犬馬之養(けんばのやしない)
両親への孝行をするときに、食事を出すだけで気持ちがないこと。 犬や馬などの動物を飼うように、衣食住を与えるだけという意味から。
犬馬之養(けんばのよう)
両親への孝行をするときに、食事を出すだけで気持ちがないこと。 犬や馬などの動物を飼うように、衣食住を与えるだけという意味から。
犬馬之歯(けんばのよわい)
自分の年齢を謙遜していう言葉。 「歯」は年齢のこと。 動物の犬や馬のように、大きな功績を残すこともなく、無駄に歳をとったということから。
犬馬之労(けんばのろう)
君主や他人のために出来る限りのことをすること。 自分の労力を謙遜していう言葉で、犬や馬程度の働きという意味から。 中国の三国時代、諸葛亮が劉備に出仕を承諾した故事から。
黔驢之技(けんろのぎ)
自身の力量を自覚せずに、人に見せて力量の拙さから恥をかくこと。 または、見た目がよいだけで中身のない技量のこと。 「黔」は中国の黔州という地名。 「驢」は動物のろばのこと。 ろばがいなかった黔州にろばを放すと、虎は自分よりも体の大きなろばを初めて見て恐れたが、ろばは虎を蹴るだけで、それ以外何もできないとわかると、虎はろばを食い殺したという故事から。
黔驢之技(けんろのわざ)
自身の力量を自覚せずに、人に見せて力量の拙さから恥をかくこと。 または、見た目がよいだけで中身のない技量のこと。 「黔」は中国の黔州という地名。 「驢」は動物のろばのこと。 ろばがいなかった黔州にろばを放すと、虎は自分よりも体の大きなろばを初めて見て恐れたが、ろばは虎を蹴るだけで、それ以外何もできないとわかると、虎はろばを食い殺したという故事から。
鯢桓之審(げいかんのしん)
鯨(くじら)が旋回して集まるような、大海の水深が深い場所のこと。 「鯢」は鯨、雌鯨のこと。 「桓」はくるくると回る様子。 「審」は水深が深いところ、淵(ふち)などのこと。
激而行之(げきじこうし)
善の本質を持つ人でも、欲望が激しくなると悪事を行ってしまうということ。 水の流れをせき止めて逆行させることから。 「激(げき)して之(これ)を行(や)る」とも読む。
撃壌之歌(げきじょうのうた)
古代中国の伝説の聖天子である尭帝が国を治めている時代に、世の中が平和であることを喜び、人々が歌った歌のこと。 「撃壌」は足で地面を踏み、音を鳴らして拍子をとること。
屐履之間(げきりのあいだ)
非常にこまかいこと。 「屐」は木の下駄のような履物。 「履」は靴という意味。 履物を履いて歩く時間という意味から。
屐履之間(げきりのかん)
非常にこまかいこと。 「屐」は木の下駄のような履物。 「履」は靴という意味。 履物を履いて歩く時間という意味から。
言外之意(げんがいのい)
言葉の隠された真意のこと。 「言外」は直接表現されていない、隠された言葉の意味ということ。
原憲之貧(げんけんのひん)
心は清らかだが、貧乏なことのたとえ。 孔子の弟子の原憲(げんけん)は、貧しくても満足していたという話から。
控馭之術(こうぎょのじゅつ)
自由を制限して、思いのままに操ること。 「控馭」は馬を思い通りに操ること。 「控御之術」とも書く。
控御之術(こうぎょのじゅつ)
自由を制限して、思いのままに操ること。 「控馭」は馬を思い通りに操ること。 「控御之術」とも書く。
膏肓之疾(こうこうのしつ)
決して治ることのない病や、治すのが難しい病のこと。または、物事に夢中になりすぎて、やめられないこと。 「膏」は心臓の下の部分、「肓」は横隔膜の上の部分、「疾」は病気のこと。 心臓の下の部分や横隔膜の上の部分は、体の中の奥にあって、薬も鍼も届かないという意味から。 古代中国の晋の景公が病に伏しているときに、「膏の上と肓の下に病が入ってしまえば、名医でも手が出せない」と童子が話し合っている夢を見たという故事から。 「病、膏肓(こうこう)に入(い)る」とも読む。
膏肓之疾(こうこうのやまい)
決して治ることのない病や、治すのが難しい病のこと。または、物事に夢中になりすぎて、やめられないこと。 「膏」は心臓の下の部分、「肓」は横隔膜の上の部分、「疾」は病気のこと。 心臓の下の部分や横隔膜の上の部分は、体の中の奥にあって、薬も鍼も届かないという意味から。 古代中国の晋の景公が病に伏しているときに、「膏の上と肓の下に病が入ってしまえば、名医でも手が出せない」と童子が話し合っている夢を見たという故事から。 「病、膏肓(こうこう)に入(い)る」とも読む。
鴻鵠之志(こうこくのこころざし)
非常に大きな目標。大志。 「鴻」はおおとり、「鵠」はくぐいのことで、白鳥の古名。 どちらも大きな鳥のことで、英雄や豪傑などの偉大な人物のたとえ。 中国の秦の時代、日雇い労働をしていた陳勝が「互いに金持ちになっても忘れずにいよう」と仲間に言い、それを聞いた雇い主が「日雇いの分際で何を言っているんだ」と嘲笑した。 陳勝は「燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや」と嘆き、後に秦に反乱を起こして王になったという故事から。 「燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや」を略した言葉。
後顧之憂(こうこのうれい)
物事が終わったあとに残っている心配事。後日のことを心配すること。 「後顧」は後ろを振り返るという意味から、あとに残る思いという意味。 「後顧之思」とも書く。
後顧之思(こうこのうれい)
物事が終わったあとに残っている心配事。後日のことを心配すること。 「後顧」は後ろを振り返るという意味から、あとに残る思いという意味。 「後顧之思」とも書く。
後顧之憂(こうこのゆう)
物事が終わったあとに残っている心配事。後日のことを心配すること。 「後顧」は後ろを振り返るという意味から、あとに残る思いという意味。 「後顧之思」とも書く。
後顧之思(こうこのゆう)
物事が終わったあとに残っている心配事。後日のことを心配すること。 「後顧」は後ろを振り返るという意味から、あとに残る思いという意味。 「後顧之思」とも書く。
膠漆之交(こうしつのこう)
非常に親しい友人との関係。親友。 「膠漆」はにかわとうるしのことで、どちらも接着剤として使われたもので、固い結びつきのたとえ。
膠漆之交(こうしつのまじわり)
非常に親しい友人との関係。親友。 「膠漆」はにかわとうるしのことで、どちらも接着剤として使われたもので、固い結びつきのたとえ。
後車之誡(こうしゃのいましめ)
先人の失敗を学び、今の戒めにすること。 先に通った車のひっくり返った車輪の跡を見て、同じようにならないように、その場所を通らないようにするという意味から。
口耳之学(こうじのがく)
底の浅い学問や知識のこと。 聞いたことの意味をよく考えることもせず、そのまま人に伝えるだけの浅い学問という意味から。
曠世之感(こうせいのかん)
この世で比べるものが存在しないような感じ。 「曠世」は比較できるものがないという意味。
曠世之才(こうせいのさい)
この世に比べることができるものが存在しないほどすぐれているということ。 「曠世」は比較できるものがないという意味。
曠世之度(こうせいのど)
非常に珍しい才能や器量。また、それを持っている人。 「曠世」は世にも珍しいこと。 「度」は度量のこと。
浩然之気(こうぜんのき)
ゆったりとした壮大な気持ち。 天地に恥じることのない道義にかなった行動をすることで、心に自然と生まれてくる強い精神のこと。 「浩然」は広くて大きいこと。
鴻漸之翼(こうぜんのよく)
高い地位に就く素質があることのたとえ。または、大きな事業をやり遂げる器量があることのたとえ。 「鴻」は大白鳥、「鴻漸」は大白鳥が次第に上昇していくこと。
荒唐之言(こうとうのげん)
根拠の無いでたらめな話。 「荒唐」は根拠がなく、意味の無い話。
荒亡之行(こうぼうのおこない)
自分の楽しみだけに夢中になり、他を顧みない荒れた行い。 「荒亡」は狩猟や酒、女遊びに夢中になり、目的を見失うこと。または、為政者が人々に無駄な負担を強制して、本人は遊び呆けること。
鴻門之会(こうもんのかい)
古代中国の漢の劉邦と楚の項羽が鴻門で会談したこと。 この会談で項羽は劉邦を殺そうとしたが、劉邦の家臣が見破って劉邦は逃げ延びた。 その後、項羽は劉邦に敗北して自決したという故事から。
黄粱之夢(こうりょうのゆめ)
人の世界での繁栄は儚いということのたとえ。 または、人の人生が儚いことのたとえ。 「黄粱」は穀物の大粟の別名。 唐の盧生という人が、旅の途中の邯鄲の町で、道士から出世が叶うという枕を借りて寝ると、出世して財力や権力を手に入れる夢を見た。 目が覚めると、宿の主人に頼んでいた、粟のかゆが出来上がっていないほどのわずかな時間しか過ぎていなかったという故事から。
鼓琴之悲(こきんのかなしみ)
親友の死に対する悲しみのこと。 「鼓琴」は琴を奏でること。 中国の晋の時代の顧栄が死んだ時に、親友の張翰が葬儀に参列し、顧栄が愛用していた琴を泣きながら弾いて、故人を偲んだという故事から。
古琴之友(こきんのとも)
自身のことをしっかりと理解してくれる友人のこと。 中国の春秋時代の琴の達人の伯牙は、鍾子期という琴を理解してくれる親友がいたという故事から。
黒貂之裘(こくちょうのきゅう)
非常に価値の高いもののたとえ。 「黒貂」は黒い色の動物のてん。 「裘」は皮衣。 てんの皮衣は、高貴な人が着る高価な服ということから。
枯槁之士(ここうのし)
地位や財産などを失い、痩せ衰えた人のこと。 または、隠居している人のたとえ。 「枯槁」は植物が枯れるということから、人が痩せ衰えること。
股肱之臣(ここうのしん)
君主の信頼できる家臣。 または、そのような部下のこと。 「股」は足のもも。 「肱」は腕のひじ。 どちらも人が動くために大切な部分ということから、なくてはならない大切なものをいう。
股肱之力(ここうのちから)
主君を補佐する能力。 または、全身の力。 「股肱」は手足のことで、一番信頼できる人物のたとえ。
涸沢之蛇(こたくのへび)
互いが利用し合い、どちらも利益を得ること。 「涸沢」は干上がった沢。 干上がった沢に住んでいた大蛇が、人に殺されないために小さな蛇と協力して、互いの尾を口に含んで、小さい蛇を大蛇が背負って道を通ると、人々は小さな蛇を神と恐れ、二匹とも無事に他の場所へ移動したという寓話から。
壺中之天(こちゅうのてん)
酒を飲んで世間のことを忘れること。 または、現世から離れた理想郷のこと。 「天」は世界のこと。 中国の後漢の時代、壺公という薬売りが、店先に置いていた壺の中に入るところを見かけた役人の費長房は、その壺の中に入れてもらうと、多くのご馳走が並ぶ理想郷だったという故事から。
胡蝶之夢(こちょうのゆめ)
自分とものとの区別がなくなって、全てのものが一つのものとする万物一体の境地のこと。または、人の生がはかないことのたとえ。または、夢と現実の境がはっきりと区別できなくなること。 荘子が胡蝶になって遊ぶ夢をみて、目が覚めると夢で胡蝶になったのか、胡蝶が夢をみて自分になったのかわからなくなったという故事から。
滑稽之雄(こっけいのゆう)
次々と様々な知恵が出てくる賢い人。 「滑稽」はすぐれた表現で、是非を言いくるめること。または、そのような人のこと。
骨肉之親(こつにくのしん)
家族のこと。 または、親しい関係の愛情が深いこと。 「骨肉」は骨と肉のように離れがたい関係という意味から、近い血縁者、肉親。 「親」は親しさという意味。
虎豹之文(こひょうのぶん)
才能と知恵のどちらもある人は、才能と知恵があるために災いを招くということのたとえ。 虎や豹は毛皮が美しいために、狩りをする気を起こさせるという意味から。 「文」は文様。
顧復之恩(こふくのおん)
育ててもらった親への恩のこと。 「顧復」は親が何度も振り返って、子を心配すること。
今昔之感(こんじゃくのかん)
昔のことを思い出して、現在との時世や環境の大きな変化に深く感心すること。
今昔之感(こんせきのかん)
昔のことを思い出して、現在との時世や環境の大きな変化に深く感心すること。
合抱之木(ごうほうのき)
両手でやっと抱えることができるほどの大木。 「合抱(ごうほう)の木(き)も毫末(ごうまつ)より生(しょう)ず」を略した言葉。 大きな大木も小さな芽から育ったものであり、大事も小さなことの積み重ねによってなるということのたとえ。
毫末之利(ごうまつのり)
ほんの少しだけの利益のこと。 「毫末」は髪の毛の先という意味から、少ないことのたとえ。
呉越之富(ごえつのとみ)
財産が極めて多くあることのたとえ。 「呉」と「越」はどちらも中国の春秋時代の国の名前。 呉と越の国の財産を合わせたほどの莫大な財産ということから。
梧鼠之技(ごそのぎ)
様々な技能をもっているが極めている技能がないこと。または、役に立つ技能が一つとしてないこと。 「梧鼠」はむささびのことで、飛ぶ、木に登る、泳ぐ、穴を掘る、走るという五つのスキルがあるが、どれも極めてはいないことから。
梧鼠之技(ごそのわざ)
様々な技能をもっているが極めている技能がないこと。または、役に立つ技能が一つとしてないこと。 「梧鼠」はむささびのことで、飛ぶ、木に登る、泳ぐ、穴を掘る、走るという五つのスキルがあるが、どれも極めてはいないことから。
塞翁之馬(さいおうのうま)
人の幸と不幸はその時々で変わるので幸不幸は予測できないという意味。 「塞翁」は砦の老人という意味。
採薪之憂(さいしんのうれい)
病気を患っていることを相手にへりくだっていう言葉。 病気で、薪(たきぎ)を採りにいくことすらできないという意味から。
才難之嘆(さいなんのたん)
すぐれた能力のある人材を得ることは難しいということへの嘆き。 「才難」は能力のある人材を得るのは難しいということ。 「才難之歎」とも書く。
才難之歎(さいなんのたん)
すぐれた能力のある人材を得ることは難しいということへの嘆き。 「才難」は能力のある人材を得るのは難しいということ。 「才難之歎」とも書く。
三顧之礼(さんこのれい)
立場が上の人が礼を尽くして、すぐれた才能を持つ人を招くこと。 または、立場が上の人が立場が下の人に礼を尽くして、仕事を依頼すること。 「三顧」は三回訪問すること。 古代中国の三国時代、蜀の皇帝劉備が諸葛亮を迎え入れるために住居を三回訪問したという故事から。
三枝之礼(さんしのれい)
両親に礼儀を尽くし、両親への孝行を重んじること。 鳩の子どもは、親の鳩がとまっている木の枝の三本下の枝にとまるという意味から。
三寸之轄(さんずんのかつ)
物事の重要な部分のこと。 「三寸」は長さのことで、短いことのたとえ。 「轄」は車輪が車軸から抜けないようにするための留め金のこと。 長さ三寸程度のものでも、これがなければ車は走ることができないということから、物事の重要な部分をいう。
三寸之轄(さんずんのくさび)
物事の重要な部分のこと。 「三寸」は長さのことで、短いことのたとえ。 「轄」は車輪が車軸から抜けないようにするための留め金のこと。 長さ三寸程度のものでも、これがなければ車は走ることができないということから、物事の重要な部分をいう。
三牲之養(さんせいのよう)
親に食事をご馳走して孝行すること。 「三牲」は牛、羊、豚の三種類のいけにえということから、ごちそうのたとえ。 「養」は親を養うこと。
三釜之養(さんぷのよう)
少ない給料の中でも両親を養い、親孝行すること。 「釜」は中国の春秋時代の容量の単位で、約十二リットルで、「三釜」で約三十七リットル。 三釜という少ない給料で両親を養うという意味から。 中国の春秋時代、孔子の弟子の曾子は、三釜の少ない給料でも両親を養えるのは幸せだったが、給料が高くなるころには両親は亡くなっていたという故事から。
座右之銘(ざうのめい)
常に自分の中に留めて、戒めとする格言、名言、諺などのこと。 「座右」は座席の右ということから、自分の側に置いておくこと。 「銘」は自身への戒めにすること。
座右之銘(ざゆうのめい)
常に自分の中に留めて、戒めとする格言、名言、諺などのこと。 「座右」は座席の右ということから、自分の側に置いておくこと。 「銘」は自身への戒めにすること。
師曠之聡(しこうのそう)
非常に鋭く敏い耳のたとえ。 「師曠」は中国の晋の盲目の楽師で政治顧問をしていた人の名前。 師曠は音を聞き分けて吉凶を知ることが出来たという故事から。
死児之齢(しじのよわい)
どうにもならないことを今さら悔やむこと。 「死児の齢を数う」の略で、亡くなった子が今生きていれば何歳だと数えて悲しむという意味。
市井之徒(しせいのと)
普通の人。 または、素行の悪いならず者のこと。 「市井」は町にある共用の井戸のことで、昔の中国では井戸の周りに町を作っていたということから、人家が集中している場所をいう。 「徒」は多くの人々のこと。
咫尺之書(しせきのしょ)
短い手紙の文章や書状のこと。 「咫尺」は周代の長さの単位で、咫は八寸、尺は十寸という意味から、短い距離や長さのこと。
咫尺之地(しせきのち)
非常に狭い土地のこと。 「咫」と「尺」はどちらも距離の単位で、短い距離のたとえ。
刺草之臣(しそうのしん)
普通の人々のこと。 「刺草」は草を刈り取ること。 普通の人が、君主に自身のことを謙っていう言葉。 草を刈り取るだけの卑しい者という意味から。
四塞之国(しそくのくに)
攻めにくく守りやすい四方を山や川に囲まれた地勢の国のこと。
七歩之才(しちほのさい)
「七歩」は七歩歩くという意味で、七歩歩く間にすぐれた詩を素早く作る詩の才能のこと。 三国時代、曹植の詩才に嫉妬した曹丕は七歩歩く間に詩を作ることが出来なければ処刑すると命じたところ、即座にすぐれた詩を作ったという故事から。
四鳥之別(しちょうのわかれ)
親子の悲しい別れのこと。 「四鳥」は四羽の雛鳥のこと。 雛鳥が巣立つときに親鳥が悲しい声で鳴く様子から。 孔子が早朝に悲鳴のような泣き声を聞き、これはなんだろうと弟子の顔回に尋ねると、垣山にいる四羽の雛鳥が巣立とうとしていたときの悲しげな母鳥の声に似ていると答えた。 調べてみると、父親が亡くなり、貧しくて子を売ることになった母親の泣き声だったという故事から。
舐犢之愛(しとくのあい)
親が自身の子を溺愛すること。 「舐」は舐める、「犢」は牛の子のことで、牛が子牛を舐める様子にたとえた言葉。
市道之交(しどうのまじわり)
利益によってつながっている付き合い。仕事や商売上の関わり。 「市道」は市場へと続いている道のこと。
紙背之意(しはいのい)
言葉の裏に隠された深意のこと。 「紙背」は言葉や文章などが書かれた紙の裏のこと。
徙木之信(しぼくのしん)
約束を必ず実行することのたとえ。 為政者は人民に法の権威や信用を示すべきという戒めのこと。 戦国時代、秦の商鞅が国民からの信用を得るために、南門の大木を北門に移した者に十金を与えると布告したが、皆疑い誰も移さなかった。 五十金に増額すると移す者が現れたので、五十金を渡して約束を本当に守ると示した故事から。
車魚之嘆(しゃぎょのたん)
「車」は外出するときに乗り物が用意される待遇、「魚」は食事に魚がつく待遇のことで、それらが無くて待遇の悪さを嘆くこと。
車魚之嘆(しゃぎょのなげき)
「車」は外出するときに乗り物が用意される待遇、「魚」は食事に魚がつく待遇のことで、それらが無くて待遇の悪さを嘆くこと。
社稷之主(しゃしょくのしゅ)
古代中国において、社稷の祭りを永続させる役割を果たす人のこと。 「社稷」は土地の神と五穀の神のこと。
社稷之臣(しゃしょくのしん)
国家の重要な職についている臣下のこと。 「社」は土地の神、「稷」は五穀の神のことで、どちらも国家にとって重要な守り神ということから、「社稷」は国家や朝廷という意味。
社稷之守(しゃしょくのまもり)
国家の守りとなる臣下のこと。 「社」は土地の神、「稷」は五穀の神のことで、どちらも国家にとって重要な守り神ということから、「社稷」は国家や朝廷という意味。
秋毫之末(しゅうごうのすえ)
非常に小さく細かいもの。 または、わずかなもののこと。 「秋毫」は秋に動物の夏毛が抜け、変わって生えてくる細い冬毛のことで、非常に小さく細かいことや、わずかなもののたとえ。 「末」は一番端の部分のこと。 細い冬毛の先という意味から。
螽斯之化(しゅうしのか)
子宝に恵まれ、子孫が栄えること。 「螽斯」は虫のいなごのことで、一度の産卵でたくさんの卵を産むとされていることから、子孫が栄えることの象徴とされている。
衆矢之的(しゅうしのまと)
たくさんの人から集中的に攻撃や非難をされる人のこと。 「衆」は数が多いこと。 たくさんの矢に射られる的という意味から。
終身之計(しゅうしんのけい)
生涯にわたって行う計画。
醜婦之仇(しゅうふのあだ)
邪な心を持っている臣下は、賢者や忠臣を憎く思うということ。 または、容姿の醜い女性は、美しい女性のことを憎く思うということ。 「美女は醜婦の仇なり」を略した言葉。
衆妙之門(しゅうみょうのもん)
全てのものが生まれ出るとされる門のこと。 「衆」は数が多いこと。 「妙」は様々な不思議な現象のこと。全てのもののことをいう。
聚斂之臣(しゅうれんのしん)
重い税金を厳しく徴収して、人々を苦しめる役人のこと。 「聚斂」は重い税金を課して、厳しく徴収すること。
菽水之歓(しゅくすいのかん)
貧しい生活をしていても、両親へ孝行して喜ばせること。 「菽水」は質素な食事のたとえで、「菽」は豆のことをいい、豆の粥と水という意味から。 「歓」は喜ばせること。 孔子が弟子である子路に孝行を説いた故事から。
手足之愛(しゅそくのあい)
兄弟への愛情を表す言葉。 兄弟を自分の手足と同じくらい大切な存在としてたとえたもの。
出納之吝(しゅつのうしりん)
いずれ与えなければいけないのに、出し惜しみをして渋ること。 孔子が言った四つの暴政の中の一つ。 「出納(すいとう)の吝(やぶさ)かなる」とも読む。
出藍之誉(しゅつらんのほまれ)
弟子が師匠を超えること。 または、学問をすることで人は良い方向に向上するということ。 青い染料は藍の葉から作るが、布を染めることで藍よりも青くなるということから。 「青は之を藍より取りて藍よりも青し」から出来た言葉。
朱門之家(しゅもんのいえ)
身分が高く裕福な人が暮らす家。 中国の唐の時代には、高貴で金持ちな人の家の門は赤色に塗られていたことから。
傷弓之鳥(しょうきゅうのとり)
失敗や災難を経験して、必要以上に怖がって慎重になっている人のたとえ。 「傷弓」は矢で射られて怪我をすること。 矢で射られて怪我をしたことがある鳥という意味から。 中国の更羸が魏王の前で矢を射ることなく、弦の音だけで雁を落とした。 それに驚いた魏王に更羸は、あの雁は一度矢で射られて怪我をしたことがあり、弓の音に怯えた雁は、高く飛ぼうとして古傷が痛んで落ちたと言ったという故事から。
松喬之寿(しょうきょうのじゅ)
老いることなく、いつまでも生きること。 長寿や長命のたとえ。 「松喬」は人の名前で、中国の伝説の仙人の赤松子と王子喬の二人のこと。
銷遣之具(しょうけんのぐ)
憂さを晴らす方法。 「銷遣」は憂さ晴らしをすること。 「消遣之具」とも書く。
消遣之具(しょうけんのぐ)
憂さを晴らす方法。 「銷遣」は憂さ晴らしをすること。 「消遣之具」とも書く。
将相之具(しょうしょうのぐ)
将軍や宰相になることができるほどのすぐれた才能。 「将」は将軍。 「相」は宰相。
霄壌之差(しょうじょうのさ)
比べられないほどに大きな差があること。月とすっぽん。 「霄」は空のこと。 「壌」は地面のこと。 天と地ほどの差があるということから。
小人之勇(しょうじんのゆう)
一時の感情に任せた、軽率な勇気のこと。 「小人」は度量の狭い人、小人物。
小水之魚(しょうすいのうお)
水の少ない、小さな水溜りの中にいる魚のこと。 いつ死んでもおかしくない危険な状況をいう。 いつ干上がって水がなくなるかわからないということから。 「小水」は少量の水のこと。
掌中之珠(しょうちゅうのたま)
自分の中で一番大切なもののこと。 または、自分の妻と子どものこと。 手のひらの中にある宝石という意味から。
松柏之質(しょうはくのしつ)
体が丈夫なことのたとえ。 または、意志や信念が固いことのたとえ。 「松柏」は植物の松と柏のことで、どちらも常緑樹で一年中緑の葉をつけるということから、体力や意志が強いことのたとえ。 「松栢之質」とも書く。
松栢之質(しょうはくのしつ)
体が丈夫なことのたとえ。 または、意志や信念が固いことのたとえ。 「松柏」は植物の松と柏のことで、どちらも常緑樹で一年中緑の葉をつけるということから、体力や意志が強いことのたとえ。 「松栢之質」とも書く。
松柏之寿(しょうはくのじゅ)
長く生きること。 または、長生きを祝う言葉。 「松柏」は常緑樹の松とこのてがしわのことで、どちらも寿命が長い植物ということから、長寿の象徴。
松柏之操(しょうはくのみさお)
逆境で苦しい状況でも、信念や志を貫くことのたとえ。 松や柏などの常緑樹は寒い季節でも緑の葉をつけていることから。
賞罰之柄(しょうばつのへい)
ほめることと罰を与えることができる権力のこと。 「柄」は権力のこと。
焦眉之急(しょうびのきゅう)
危険が間近に迫ってきていることのたとえ。 「焦眉」は眉が焦げるほどに火が近づくということ。 「焼眉之急」とも書く。
焼眉之急(しょうびのきゅう)
危険が間近に迫ってきていることのたとえ。 「焦眉」は眉が焦げるほどに火が近づくということ。 「焼眉之急」とも書く。
蕉鹿之夢(しょうろくのゆめ)
成功や失敗は夢のように儚いということのたとえ。 または、あきらめがよいことのたとえ。 「蕉」は植物の芭蕉の葉のこと。 中国の春秋時代、鄭の国の人が鹿を仕留めて芭蕉の葉を被せて隠したが、隠した場所を忘れたために、鹿を仕留めたのは夢だったかもしれないと諦めたという故事から。
杵臼之交(しょきゅうのこう)
身分をこだわらずに人付き合いをすること。 「杵臼」はきねとうすのこと。 中国の後漢の時代の公孫穆は、学費を稼ぐために呉祐の家で雇われて、きねとうすを使って米をついていた。 あるとき呉祐が公孫穆に話しかけてみると、高い学識があることに驚き、その後は主従を越えた付き合いを結んだという故事から。
杵臼之交(しょきゅうのまじわり)
身分をこだわらずに人付き合いをすること。 「杵臼」はきねとうすのこと。 中国の後漢の時代の公孫穆は、学費を稼ぐために呉祐の家で雇われて、きねとうすを使って米をついていた。 あるとき呉祐が公孫穆に話しかけてみると、高い学識があることに驚き、その後は主従を越えた付き合いを結んだという故事から。
食牛之気(しょくぎゅうのき)
心構えがこの上なく大きいこと。 牛を丸呑みするほどに大きな心意気という意味から。
食肉之禄(しょくにくのろく)
肉を食べることができるほどの高い給料のこと。 昔の中国で、高い地位を持っている役人、特に朝廷の官吏のことをいう言葉。
黍離之歎(しょりのたん)
国が滅んだことへの嘆き。 「黍離」は『詩経』「王風」の詩篇の名称。 中国の東周の大夫が、西周の宮殿の跡地が荒地になっているのを見て嘆いて作った詩といわれている。 「黍離之嘆」とも書く。
黍離之嘆(しょりのたん)
国が滅んだことへの嘆き。 「黍離」は『詩経』「王風」の詩篇の名称。 中国の東周の大夫が、西周の宮殿の跡地が荒地になっているのを見て嘆いて作った詩といわれている。 「黍離之嘆」とも書く。
芝蘭之化(しらんのか)
才能と知識があり、高い徳のある友人に影響を受けること。 または、よい友人から受ける影響のこと。 「芝」はめでたいことが起きる兆候とされる、霊芝のこと。 「蘭」は香りのよい香草の藤袴のこと。 どちらも高い徳があり、才知にすぐれた人のたとえ。 よい香りの中にいて、気付かないうちに性格や考え方が同じものになることをいう。
芝蘭之交(しらんのこう)
良い影響を受ける賢者との交友。 「芝」は霊芝のこと。 「蘭」は藤袴のこと。 どちらも植物で香り高いということから、善人や賢者のたとえ。
芝蘭之室(しらんのしつ)
善人のたとえ。 または、賢者に影響を受けることのたとえ。 「芝」は霊芝のこと。 「蘭」は藤袴のこと。 どちらも植物で香り高いということから、善人や賢者のたとえ。 「善人と居るは芝蘭の室に入るが如し」を略した言葉。
芝蘭之交(しらんのまじわり)
良い影響を受ける賢者との交友。 「芝」は霊芝のこと。 「蘭」は藤袴のこと。 どちらも植物で香り高いということから、善人や賢者のたとえ。
唇歯之国(しんしのくに)
利益も損害も共にする近い関係の国同士のこと。 「唇歯」は唇と歯のことで、近い関係のたとえ。
参商之隔(しんしょうのへだて)
距離が非常に離れているために、会う機会がないこと。 または、夫婦や家族が別れたり、不仲になることのたとえ。 「参」はオリオン座の星、参星。 「商」はさそり座の星、商星。 東西に遠く離れた二つの星は、空に同時に現れることはないということから。 古代中国の高辛氏の二人の息子は仲が悪く、いつも争いをしていたために、互いに遠く離れた参星と商星をつかさどらせたという伝説から。
浸潤之譖(しんじゅんのそしり)
非難や中傷の言葉が、すこしずつ信じられていくこと。 「浸潤」は液体が染み込むという意味から、思想などが人々の間に染み込んで広がることのたとえ。
薪水之労(しんすいのろう)
人に仕えて、怠けず懸命に働くこと。 または、炊事などの家事仕事。 「薪水」は薪を拾いに行って、水を汲みに行くこと。
身中之虫(しんちゅうのむし)
組織や集団の内部から災いをもたらすこと。 獅子の体内に寄生する虫が獅子を死なせることから。
心腹之疾(しんぷくのしつ)
命を落とす可能性の高い、非常に危険な病気。 または、どうすることも出来ない災害や、大きな障害、手ごわい相手のことをいう。 「心腹」は心臓と内臓のこと。 人にとって重要な部分の病気という意味から。
心腹之友(しんぷくのとも)
親友のこと。 「心腹」は腹を割って話して、何も隠さずに本心を明かすということから。
心腹之疾(しんぷくのやまい)
命を落とす可能性の高い、非常に危険な病気。 または、どうすることも出来ない災害や、大きな障害、手ごわい相手のことをいう。 「心腹」は心臓と内臓のこと。 人にとって重要な部分の病気という意味から。
時雨之化(じうのか)
適度な雨は草木の育成をよくすることから、君主の善政や聖人の教化が、人々を感化すること。 「時雨」は適切な時に適度に降る雨のこと。
耳食之談(じしょくのだん)
耳で聞いただけで食べ物の味を判断するという意味から、耳で聞いただけの話を確認もせずに信じてしまうこと。
辞譲之心(じじょうのこころ)
自分の立場や境遇から退いて、それを他者に譲ろうとする心。 儒教の「礼」の糸口とされる言葉。
爾汝之交(じじょのこう)
すごく親しい間柄のこと。 「爾」と「汝」は親しみを込めて相手を呼ぶ言葉。 「お前」や「貴様」のようにお互いを呼び合えるような仲のこと。
爾汝之交(じじょのまじわり)
すごく親しい間柄のこと。 「爾」と「汝」は親しみを込めて相手を呼ぶ言葉。 「お前」や「貴様」のようにお互いを呼び合えるような仲のこと。
日月之食(じつげつのしょく)
君子の犯した過ちのこと。 君子はたとえ過ちを犯したとしてもすぐ改めるため、日食や月食のように陰りはすぐに消え去り、再び光を取り戻すということから。
自明之理(じめいのり)
説明する必要もないほど当たり前の論理や道理のこと。 「自明」はそれ自身で証明の必要がなく明らかなこと。
耳目之欲(じもくのよく)
実際に聞いたり見たりすることで生まれる欲望のこと。 または、聞いたり見たりしたいと思う欲望のこと。
十駕之術(じゅうがのじゅつ)
たとえ才能がなくても、努力を続けることで成功できるということ。 足の遅い馬でも、十日走れば駿馬に追いつけることから。
十日之菊(じゅうじつのきく)
必要な時に遅れたために、役に立たなくなったもののこと。 「十日」は九月十日のこと。 九月九日の菊の節句から一日遅れた菊という意味から。
充閭之慶(じゅうりょのけい)
子どもが将来出世して、村の門が来客で満たされることを願う言葉。 「閭」は村の出入り口に設置されている門。 「慶」は喜び。 男子の誕生を祝う言葉として用いられる。
孺慕之思(じゅぼのおもい)
幼い子供が親を慕うこと。 または、他人にそのような感情を抱くこと。 「孺」は幼い子供のこと。 幼い子供が親を慕って泣き叫ぶのを見た、孔子の弟子である有子と子游が言ったという故事から。
城下之盟(じょうかのちかい)
敵に敗北して結ばされる、最も屈辱的な講和条約のこと。 または、敵の城下に攻め込んで、講和条約を結ぶこと。 「城」は町を守るための城壁のこと。 「盟」は講和条約のこと。
城下之盟(じょうかのめい)
敵に敗北して結ばされる、最も屈辱的な講和条約のこと。 または、敵の城下に攻め込んで、講和条約を結ぶこと。 「城」は町を守るための城壁のこと。 「盟」は講和条約のこと。
而立之年(じりつのとし)
三十歳になって、自分の中の道徳観や学識が確立して、それが自信になって思想が固まること。 孔子が自身の生涯を振り返って言った言葉。 三十歳の異名の「而立」の語源。
人琴之嘆(じんきんのたん)
人が死んだことを激しく悲しむ様子。 「琴」は中国の弦楽器で、琴柱のない琴。 中国の晋の王徽之と王献之の兄弟は、どちらも琴の名人だったが、王献之が若くして亡くなり、王献之の琴を王徽之が弾いてもうまくいかず、琴を投げつけ、嘆き悲しんだという故事から。
人之常情(じんしじょうじょう)
人が普段から持っている感情や一般的な考え方。 「人(ひと)の常情(じょうじょう)」とも読む。
人中之竜(じんちゅうのりゅう)
たくさんの人の中でも、飛びぬけてすぐれた才能のある人のこと。 「竜」はすぐれた才能を持っている人のたとえ。 中国の晋の時代の隠者の宋繊を称賛した言葉から。
炊臼之夢(すいきゅうのゆめ)
妻と死別することのたとえ。 旅先で臼(うす)で飯を炊く夢を見たため、その夢について占ってもらうと、「臼で飯を炊くのは釜を無くしたからで、”釜(ふ)”と同じ読みの”婦(ふ)”つまり”妻”を亡くすという意味だ」と言われた。 旅先から家に戻ると、実際に妻が亡くなっていたという故事から。
垂拱之化(すいきょうのか)
天子の徳により民衆が感化されて、天子が何もしなくてもおのずと天下が平穏に治まること。 「垂拱」は袖を垂れて手をこまねくという意味から何もしないこと。 「化」は感化、教化されること。
垂拱之治(すいきょうのち)
天子の徳により民衆が感化されて、天子が何かすることなく天下が平穏に治まること。 「垂拱」は袖を垂れて手をこまねくという意味から、何もしないこと。
水鏡之人(すいきょうのひと)
人の手本になるような、理解力や判断力に優れている賢い人のこと。 または、事実のままに物事を観望できる公平な人のこと。 水鏡のように清廉な人物。 「水鏡」は本当の姿をそのまま映す鏡のように、静かで曇りのない水面という意味。
水魚之交(すいぎょのこう)
とても仲がよく、離れがたい交際や友情のこと。 その関係を魚と水にたとえた言葉。 三国時代、蜀の劉備が仲の良かった孔明を軍師に迎えたときに、古参の武将は不満をもらしたが、魚に水が必要なように私には孔明が必要だと言ったという故事から。
水魚之交(すいぎょのまじわり)
とても仲がよく、離れがたい交際や友情のこと。 その関係を魚と水にたとえた言葉。 三国時代、蜀の劉備が仲の良かった孔明を軍師に迎えたときに、古参の武将は不満をもらしたが、魚に水が必要なように私には孔明が必要だと言ったという故事から。
錐刀之利(すいとうのり)
非常にわずかな利益や成果。 錐(きり)や小刀の先端のように小さく微細な利益との意から。
垂堂之戒(すいどうのいましめ)
子供や才能のある人などの大切な人は、危険から遠ざけておくべきという戒め。 「垂堂」は軒の端の下に近づくこと。 瓦が落ちてくる危険がある場所に近づかないという意味から。
鄒魯之学(すうろのがく)
孔子と孟子による学問。儒学のこと。 「鄒」は孟子の生まれた場所。 「魯」は孔子の生まれた場所。
隋和之材(ずいかのざい)
非常に優秀な人材のこと。 「隋」は隋侯の宝玉、「和」は卞和の宝玉のことで、どちらも非常に貴重で価値のあるものとされる。 それらの宝玉に例えられるほどの優れた才能や能力を持つ人物との意から。
随喜之涙(ずいきのなみだ)
仏法の教えを聞き、その真理に触れた際に心から感謝や歓喜を感じ、流れる涙のこと。転じて、純粋な喜びや有難さによって流す涙。
随侯之珠(ずいこうのたま)
貴重な宝玉やこの世で並ぶものがないほどの至宝のこと。 中国の伝説上の銘珠のこと。 「随侯」は人の名前で、随侯が傷ついた大蛇を助けたお礼に伝説の宝珠を貰ったとされる故事から。 「隋侯之珠」とも書く。
隋侯之珠(ずいこうのたま)
貴重な宝玉やこの世で並ぶものがないほどの至宝のこと。 中国の伝説上の銘珠のこと。 「随侯」は人の名前で、随侯が傷ついた大蛇を助けたお礼に伝説の宝珠を貰ったとされる故事から。 「隋侯之珠」とも書く。
井蛙之見(せいあのけん)
広い世間を知らず、自分だけの狭い見識にとらわれていること。井の中の蛙大海を知らずと同じ意味。
青雲之志(せいうんのこころざし)
立身出世するために功名を得ようとする心。または、立派な人物になるために徳を磨こうとする志。 「青雲」は雲の上にある青空のことで、高位や高官、学問や道徳を修めた立派な人物という意味。
青雲之士(せいうんのし)
高い地位に上り高位高官になった人。または世に名前が知れ渡っている人物。 「青雲」は雲の上にある青空のことで、高位や高官、学問や道徳を修めた立派な人物という意味。
西河之痛(せいかのいたみ)
自身の子供が死んで、ひどく悲しむことのたとえ。 中国の春秋時代、孔子の弟子の子夏は、西河で教えを説いている時に自身の子供が死んだことを聞き、悲しみのあまり失明してしまったという故事から。
西河之痛(せいかのつう)
自身の子供が死んで、ひどく悲しむことのたとえ。 中国の春秋時代、孔子の弟子の子夏は、西河で教えを説いている時に自身の子供が死んだことを聞き、悲しみのあまり失明してしまったという故事から。
井底之蛙(せいていのあ)
広い世間を知らず、自分だけの狭い見識にとらわれていること。 「井の中の蛙大海を知らず」と同じ意味。
積薪之嘆(せきしんのたん)
後から来た人が重用されて、先にいた人が下の立場になって苦労する悩みのこと。 古い薪の上に新しい薪が積み重ねられていき、古い薪は下のままになっているという意味から。 「積薪之歎」とも書く。
積薪之歎(せきしんのたん)
後から来た人が重用されて、先にいた人が下の立場になって苦労する悩みのこと。 古い薪の上に新しい薪が積み重ねられていき、古い薪は下のままになっているという意味から。 「積薪之歎」とも書く。
尺寸之功(せきすんのこう)
ほんの少しの功績。 自身の功績を謙遜していうときに使うこともある言葉。 「尺」と「寸」はどちらも短い長さの単位ということから、ほんの少しということのたとえ。
尺寸之地(せきすんのち)
ほんの少しの土地。 「尺」と「寸」はどちらも短い長さの単位ということから、ほんの少しということのたとえ。
尺寸之柄(せきすんのへい)
ほんの少しの権力のこと。 「尺」と「寸」はどちらも短い長さの単位ということから、ほんの少しということのたとえ。 「柄」は権力のこと。
刺草之臣(せきそうのしん)
普通の人々のこと。 「刺草」は草を刈り取ること。 普通の人が、君主に自身のことを謙っていう言葉。 草を刈り取るだけの卑しい者という意味から。
尺沢之鯢(せきたくのげい)
経験が少なく、知識が狭いこと。 または、そのような人のこと。 「尺沢」は小さな池。 「鯢」は山椒魚のこと。 小さな池に住む山椒魚は、その池の中のことしか知らないということから。
石画之臣(せっかくのしん)
失敗や危険が少ない計画を立てる臣下。 または、壮大な計画を立てる臣下。 「石画」は石のように堅い計画。
窃鈇之疑(せっぷのうたがい)
証拠もないのに疑うこと。また、疑う気持ちを持って見ていると、その人の言動が全て怪しく見えることのたとえ。 「鈇」は斧のこと。 斧を盗まれたと思った男性が隣人の女性を疑うと、その女性の立ち居振る舞いの全てが疑わしく思えたが、斧が物置で見つかるとその女性の全てがかわいらしく思えたという故事から。 「せっぷのうたがい」とも読む。
窃鈇之疑(せっぷのぎ)
証拠もないのに疑うこと。また、疑う気持ちを持って見ていると、その人の言動が全て怪しく見えることのたとえ。 「鈇」は斧のこと。 斧を盗まれたと思った男性が隣人の女性を疑うと、その女性の立ち居振る舞いの全てが疑わしく思えたが、斧が物置で見つかるとその女性の全てがかわいらしく思えたという故事から。 「せっぷのうたがい」とも読む。
遷喬之望(せんきょうののぞみ)
出世したいと強く思う心のこと。 「遷喬」は高い木へ移動すること。 鳥は冬から春になると、深い谷間から高い位置の木へ、住み処を移動するということを出世にたとえた言葉。
遷喬之望(せんきょうのぼう)
出世したいと強く思う心のこと。 「遷喬」は高い木へ移動すること。 鳥は冬から春になると、深い谷間から高い位置の木へ、住み処を移動するということを出世にたとえた言葉。
先見之明(せんけんのめい)
これから先にどうなるかを見抜くことができる能力。 「先見」は先のことを見抜くこと。 「明」は物事の本質を見抜く能力のこと。
吮疽之仁(せんしょのじん)
部下の苦労をねぎらって大切にすること。 「吮」は口で直接吸い出すこと。 「疽」は悪性の腫物。 中国の戦国時代の楚の将軍の呉起は、悪性の腫物で苦しんでいる部下の血膿を吸い取ってやったという故事から。
千乗之国(せんじょうのくに)
大国。 「乗」は兵車を数える単位で、千の兵車を出すことのできる国ということから。 一つの兵車には、それぞれに百人の兵がつくとされていて、十万の兵力をいう。
川上之歎(せんじょうのたん)
時間が過ぎていくことへの嘆き。 「川上」は川のそば。 孔子が川の流れを見て、昼も夜も関係なく流れが過ぎていく、過ぎ去るとはこういうものかと嘆いたという故事から。 「川上之嘆」とも書く。
川上之嘆(せんじょうのたん)
時間が過ぎていくことへの嘆き。 「川上」は川のそば。 孔子が川の流れを見て、昼も夜も関係なく流れが過ぎていく、過ぎ去るとはこういうものかと嘆いたという故事から。 「川上之嘆」とも書く。
千仞之谿(せんじんのたに)
極めて深い谷のこと。 「仞」は長さの単位で、長さの単位の「尋」と同じ長さ。 「一仞」はおおよそ五尺から八尺の範囲で様々な説がある。 「千仞」は「千尋」とも、「谿」は「谷」とも書く。
千尋之谿(せんじんのたに)
極めて深い谷のこと。 「仞」は長さの単位で、長さの単位の「尋」と同じ長さ。 「一仞」はおおよそ五尺から八尺の範囲で様々な説がある。 「千仞」は「千尋」とも、「谿」は「谷」とも書く。
千仞之谷(せんじんのたに)
極めて深い谷のこと。 「仞」は長さの単位で、長さの単位の「尋」と同じ長さ。 「一仞」はおおよそ五尺から八尺の範囲で様々な説がある。 「千仞」は「千尋」とも、「谿」は「谷」とも書く。
千尋之谷(せんじんのたに)
極めて深い谷のこと。 「仞」は長さの単位で、長さの単位の「尋」と同じ長さ。 「一仞」はおおよそ五尺から八尺の範囲で様々な説がある。 「千仞」は「千尋」とも、「谿」は「谷」とも書く。
千仞之山(せんじんのやま)
非常に高さのある山を言い表す言葉。 「仞」は長さの単位で、「千仞」は非常に高さがあることのたとえ。 「千尋之山」とも書く。
千尋之山(せんじんのやま)
非常に高さのある山を言い表す言葉。 「仞」は長さの単位で、「千仞」は非常に高さがあることのたとえ。 「千尋之山」とも書く。
吮疽之仁(せんそのじん)
部下の苦労をねぎらって大切にすること。 「吮」は口で直接吸い出すこと。 「疽」は悪性の腫物。 中国の戦国時代の楚の将軍の呉起は、悪性の腫物で苦しんでいる部下の血膿を吸い取ってやったという故事から。
千里之足(せんりのあし)
すぐれた才能がある人物のたとえ。 「千里」は一日で千里の距離を走ることのできる馬のことで、すぐれた才能があることのたとえ。
千里之駕(せんりのが)
はるか遠いところから来ること。 「千里」は非常に距離が遠いこと。 「駕」は馬車で来ること。
千里之志(せんりのこころざし)
すぐれた才能を持っている人の、先を見据えた大きな志。 「千里」ははるか遠い先のことを見据えていること。
是非之心(ぜひのこころ)
物事の善と悪をしっかりと判別できる能力のこと。 「是非」は正しいことと、間違っていること。
前車之轍(ぜんしゃのてつ)
先人の失敗を学び、今の戒めにすること。 先に通った車のひっくり返った車輪の跡を見て、同じようにならないように、その場所を通らないようにするという意味から。
桑海之変(そうかいのへん)
世の中の移り変わりが激しいことのたとえ。 「滄海」は大海のこと。 「桑田」は桑畑のこと。 大海だった所が桑畑になるような変化が起こるとの意から。 「滄海変じて桑田と為る」を略した言葉。 「桑田滄海」「桑海之変」「滄桑之変」「桑田碧海」「滄桑之変」などともいう。
総角之好(そうかくのよしみ)
小さなころからの親交のこと。 「総角」は束ねた髪を角(つの)のように両側から垂らした小児の髪型のことから、小さい子供という意味。 「好」は親しい関係のこと。
喪家之狗(そうかのいぬ)
元気がなくてやつれている人のたとえ。 または、身を寄せるところがなく、放浪している人のたとえ。 「喪家」は喪中の家のこと。 「狗」は犬のこと。 葬式をしている家は忙しいので、犬に餌をやり忘れてしまい犬がやせてしまうという意味から。 また、一説に家を失った犬や宿無しの犬のことをいうこともある。
喪家之狗(そうかのく)
元気がなくてやつれている人のたとえ。 または、身を寄せるところがなく、放浪している人のたとえ。 「喪家」は喪中の家のこと。 「狗」は犬のこと。 葬式をしている家は忙しいので、犬に餌をやり忘れてしまい犬がやせてしまうという意味から。 また、一説に家を失った犬や宿無しの犬のことをいうこともある。
爪牙之士(そうがのし)
君主を守り、手助けをする臣下のこと。 爪や牙になって君主を守るという意味から、心から信頼できる臣下をいう言葉。
糟糠之妻(そうこうのつま)
貧しい生活をして、共に苦労をしてきた妻のこと。 「糟糠」は酒かすと米ぬかのことから貧しい食事のたとえ。 光武帝が、姉の湖陽公手と家臣の宋弘を結婚させようとしたが、既婚者である宋弘は「貧しい時期を共に苦労してきた妻のことを大切にしたい」と言って断ったという故事から。
操觚之士(そうこのし)
文章を書くことを生活するための手段にしている人のこと。 「觚」は文字を書いた木札のことで、それを操る人という意味から。
荘周之夢(そうしゅうのゆめ)
自分とものとの区別がなくなって、全てのものが一つのものとする万物一体の境地のこと。または、人の生がはかないことのたとえ。または、夢と現実の境がはっきりと区別できなくなること。 「荘周」は道教の始祖の一人とされる思想家の荘子の別名。 荘子が胡蝶になって遊ぶ夢をみて、目が覚めると夢で胡蝶になったのか、胡蝶が夢をみて自分になったのかわからなくなったという故事から。
宋襄之仁(そうじょうのじん)
必要のない情けをかけること。 「宋襄」は宋の国の襄公という人の名前。 「仁」は哀れみや思いやり。 楚との戦闘で、楚の軍が川を渡っている最中の陣形が崩れたところを攻めてはどうかと、部下に進言された襄公は、人の困難につけこむものではないと言い、攻めずにそのまま大敗したという故事から。
滄桑之変(そうそうのへん)
世の中の移り変わりが激しいことのたとえ。 「滄海」は大海のこと。 「桑田」は桑畑のこと。 大海だった所が桑畑になるような変化が起こるとの意から。 「滄海変じて桑田と為る」を略した言葉。 「桑田滄海」「桑海之変」「滄桑之変」「桑田碧海」「滄桑之変」などともいう。
蚤知之士(そうちのし)
時代の流れの先を見通すことができる人。 先見の明のある人をいう。 「蚤知」は早い段階で、事が起こる前に知るという意味。
糟粕之妻(そうはくのつま)
粗末な頃から生活を共に苦労してきた妻のこと。 「糟粕」は酒かすのことから、質素な食事という意味。 光武帝が姉の湖陽公手と家臣の宋弘を結婚させようとした時に、宋弘が「糟糠の妻は堂より下さず」と言って断った故事から。
桑蓬之志(そうほうのこころざし)
男子が将来の目標を心にしっかりと決めること。 「桑」は桑の木で作った弓、「蓬」は植物のよもぎの矢のこと。 古代中国で、男子が生まれるとこれから先に世間で活躍することを願い、矢を天地四方に射た風習から。
草莽之臣(そうぼうのしん)
官職につかずに民間の職についている人のこと。 または、臣下が自分自身のことを謙って言い表す言葉。 「草莽」は草むらや田舎という意味から、官職につかずに民間で働いている人のことのたとえ。
桑濮之音(そうぼくのおん)
国を滅ぼすような淫乱な音楽。 「濮上」は濮水(ぼくすい)という川のほとり。 「桑間」はその川の流れる地名。 春秋時代、衛の霊公が濮水のほとりで聞いた音楽を気に入り、晋の平公の前で披露させたところ、晋の楽官の師曠が、この音楽は殷を滅亡させたみだらな音楽だといって演奏を中止させたという故事から。 「桑間濮上の音(おん)」を略した言葉。 「濮上桑間」「桑濮之音」「濮上之音」ともいう。
草莽之臣(そうもうのしん)
官職につかずに民間の職についている人のこと。 または、臣下が自分自身のことを謙って言い表す言葉。 「草莽」は草むらや田舎という意味から、官職につかずに民間で働いている人のことのたとえ。
惻隠之心(そくいんのこころ)
他人を思いやったり、同情する心のこと。 「惻隠」は人をいたわったり、思いやること。 孟子の性善説の四端説の一つで、「惻隠の心は仁の端なり」を略した言葉。
俎上之鯉(そじょうのこい)
相手に全てを握られていて、身動きすら出来ない状態や状況のこと。 「俎」はまな板のこと。 まな板にのせられていて、捌かれる直前の鯉ということから。 「俎板の上の鯉」の形で使うことが多い言葉。
俎上之肉(そじょうのにく)
相手に全てを握られていて、身動きすら出来ない状態や状況のこと。 「俎」はまな板のこと。 まな板の上にのせられ、料理されるのを待つ肉という意味から。
蘇張之弁(そちょうのべん)
その時の利益と損害などの状況に合わせて、国や組織などが手を組んだり、離れたりすること。 「蘇」は強大になった秦に対して、周辺の六カ国が、縦(南北)に同盟を組んで対抗するという蘇秦の策略。 「張」は合従の対抗策として秦の張儀が使った策略で、秦と組む利を説いて、合従から抜けさせ、秦と各国が横(東西)に同盟を組むというもの。
率土之浜(そっとのひん)
国中。世界のあらゆる場所。 「率土」は全ての土地という意味。 「浜」は地がなくなる場所、地続きになっている陸の果て。
率土之浜(そつどのひん)
国中。世界のあらゆる場所。 「率土」は全ての土地という意味。 「浜」は地がなくなる場所、地続きになっている陸の果て。
祖逖之誓(そてきのせい)
命をかけた決意のこと。 目的を果たすまでは、絶対に帰らないという誓い。 「祖逖」は中国の東晋の将軍の名前。 異民族を討伐に行くときに、戦果を上げなければ二度と帰らないと誓ったという故事から。
祖逖之誓(そてきのちかい)
命をかけた決意のこと。 目的を果たすまでは、絶対に帰らないという誓い。 「祖逖」は中国の東晋の将軍の名前。 異民族を討伐に行くときに、戦果を上げなければ二度と帰らないと誓ったという故事から。
樽俎之間(そんそのかん)
宴席の場。 または、宴席で外交の話し合いを行ったり、雑談をしたりすること。 「樽俎」は酒の入った樽と料理を載せるための台ということから、宴会のたとえ。 「尊俎之間」とも書く。
尊俎之間(そんそのかん)
宴席の場。 または、宴席で外交の話し合いを行ったり、雑談をしたりすること。 「樽俎」は酒の入った樽と料理を載せるための台ということから、宴会のたとえ。 「尊俎之間」とも書く。
象牙之塔(ぞうげのとう)
現実社会から離れて、芸術を楽しむ芸術至上主義の人々の孤高と静寂の境地。 または、現実社会から離れるほどに研究熱心な科学者や、その生活や研究室などの閉鎖社会のこと。 もとは、批評家サント=ブーブがフランスの詩人ヴィニーの生活を批評した言葉。
続貂之譏(ぞくちょうのそしり)
つまらない者が、権力で次々と高官になることを罵しる言葉。 または、劣った者がすぐれた者のあとに続くこと。 「貂」は動物のてんのことで、昔は高官の冠にてんの尾を飾っていた。 「譏」は罵ること。 晋の趙王倫が力を得て、一族をみな高官にして、てんの尾で飾った冠をつけたために、てんの尾が足りなくなって、犬の尾で飾らないといけなくなると人々が罵った故事から。
耐久之朋(たいきゅうのとも)
長く変わることのない友情で結ばれた友人のこと。 「耐久」は長い月日が経過しても変化しないという意味。 「朋」は親しい相手、友人という意味。
泰山之安(たいざんのやすき)
その山のようにどっしりと安定していて変わらないこと。 「泰山」は中国の山の名前。 「太山之安」とも書く。
太山之安(たいざんのやすき)
その山のようにどっしりと安定していて変わらないこと。 「泰山」は中国の山の名前。 「太山之安」とも書く。
帯礪之誓(たいれいのちかい)
何があっても絶対に変わることがない固い誓いのこと。 功労のある家臣に天子が誓う言葉で、いつまでも繁栄させることを約束する言葉。 中国の黄河が帯のように細くなったり、泰山が砥石のように平らになるほどの年月がたっても、功労のある家臣の家はいつまでも途絶えさせないという意味から。 中国の漢の劉邦の制約文、「封爵之誓」の文言。
高嶺之花(たかねのはな)
遠い場所にあって、手に取ることが出来ず、眺めるだけの人や物のこと。 心がひきつけられるような人や、価値の高い物などのたとえ。 「高嶺」は山の一番高いところ。 高い山の一番高いところに咲いている花には手が届かないという意味から。
他山之石(たざんのいし)
自身を磨くために役に立つ、他人の間違っている行い。 自分の所有していない、他人の山から採取された粗悪な石でも、自分の山から採取された宝石を磨くには役に立つという意味から。 他人の間違っている行いでも、自分を向上させるためには役に立つということのたとえ。
多生之縁(たしょうのえん)
この世に生まれる前から結ばれている深い因縁。 道を歩いていて、知らない人と服の袖が触れるような些細なことでも、この世に生まれる前の、何度も転生を繰り返す間に結ばれた深い縁によるものだという意味から。 本来は誤用だが、「他生之縁」と書くこともある。
探卵之患(たんらんのうれい)
足場となる大切な場所を襲撃されることへの恐怖。 または、内部の事情を見抜かれることへの恐怖。 親鳥が巣を離れている間に、卵を取られてしまうのではないかという心配という意味から。
湛盧之剣(たんろのけん)
宝剣のこと。 中国の呉の王の闔閭が持っていたとされる、黒く澄んだ宝剣。 「湛」は澄むや沈むという意味。 「盧」は黒い色という意味。 中国の春秋時代、越の王が有名な刀匠の欧冶子を招いて作らせたもので、呉の王の闔閭が最初に持っていたが、剣が見限って楚の昭王のものになったといわれている。
大椿之寿(だいちんのじゅ)
長く生きることのたとえ。 または、長寿を祝う言葉。 「大椿」は伝説上の大木のこと。 大木の八千年を四季の一つとして、三万二千年を人間の一年にたとえた言葉。
脱兎之勢(だっとのいきおい)
動きが非常に素早い様子。 罠から逃げる兎のように素早いという意味から。
弾丸之地(だんがんのち)
非常に狭い土地のこと。 「弾丸」は小さな鳥を捕獲するために使う弾き弓の小さな玉のことで、非常に小さいもののたとえ。
断機之戒(だんきのいましめ)
物事を途中でやめてしまったり、諦めてしまってはいけないという戒めの言葉。おもに学問のことを指す。 「断機」は織りかけている機の糸を途中で切ること。 孟子が学問を投げ出そうとしたときに、孟子の母親は織り途中の機の糸を切断して「学問を途中でやめることは、この織物と同じようなものだ」と言って戒めたという故事から。
断金之交(だんきんのこう)
この上なく親密な友情のこと。 「断金」は金属を断ち切ること。 金属を断ち切ることができるほどに固く結ばれた絆という意味から。
断琴之交(だんきんのこう)
とても親密な友情のこと。 中国の春秋時代の伯牙は、琴の名手として名高く、自分の琴を真に理解してくれる親友である鍾子期が死ぬと、琴の弦を切って二度と琴を弾くことはなかったという故事から。
断金之交(だんきんのまじわり)
この上なく親密な友情のこと。 「断金」は金属を断ち切ること。 金属を断ち切ることができるほどに固く結ばれた絆という意味から。
断琴之交(だんきんのまじわり)
とても親密な友情のこと。 中国の春秋時代の伯牙は、琴の名手として名高く、自分の琴を真に理解してくれる親友である鍾子期が死ぬと、琴の弦を切って二度と琴を弾くことはなかったという故事から。
団雪之扇(だんせつのおうぎ)
時期がずれたために、必要がなくなったもののたとえ。 または、男性にすてられた女性のたとえ。 中国の漢の成帝からの寵愛を失った班ショウ伃が、自身が捨てられることを、夏から秋になり、涼しくなって捨てられる扇にたとえた詩で、その扇が丸くて雪のように白いということから。
断腸之思(だんちょうのおもい)
激しい悲しみや苦しみ。 中国の東晋の桓温の部下が、舟に移動しているときに子猿を捕らえた。 母猿は岸をつたって、百里以上追いかけて船に飛び乗ったところで力尽き、母猿の腹を割くと腸がずたずたになっていたという故事から。
徴羽之操(ちうのそう)
「徴羽」は中国の五音の中の二つのことで、二つの音を操ることから正しい音楽のこと。
池魚之殃(ちぎょのわざわい)
なんの関係も無いのに、災難に巻き込まれることや巻き添えにあうこと。 語源が諸説ある言葉。 罪を犯した桓タイが逃げるときに、池に宝珠を投げ込み、それを探すために池をさらったために魚が全滅したという故事から。 または、城門の火事の消火のために池の水を使ったために、干上がって魚が全滅したという故事から。 または、城門の火事が広がり、池中魚という名前の人の家に燃え移って死んだという故事から。 「池魚之禍」とも書く。
池魚之禍(ちぎょのわざわい)
なんの関係も無いのに、災難に巻き込まれることや巻き添えにあうこと。 語源が諸説ある言葉。 罪を犯した桓タイが逃げるときに、池に宝珠を投げ込み、それを探すために池をさらったために魚が全滅したという故事から。 または、城門の火事の消火のために池の水を使ったために、干上がって魚が全滅したという故事から。 または、城門の火事が広がり、池中魚という名前の人の家に燃え移って死んだという故事から。 「池魚之禍」とも書く。
竹帛之功(ちくはくのこう)
歴史に名前が残るような功績や手柄のこと。 「竹帛」は竹の札と綿布のことで、紙のない時代には竹帛に文字を書いていたことから、歴史書や書物という意味。
竹馬之友(ちくばのとも)
子供のころからの親友や幼馴染のこと。 「竹馬」は一本の竹の棒を馬に見立てたもの。 幼いころから竹馬で駆け回って一緒に遊んだ友達という意味から。
置錐之地(ちすいのち)
ほんの少しの土地のこと。 または、ひどく狭い空間のこと。 錐(きり)を立てるのが精一杯なほど狭い土地という意味から。
遅暮之嘆(ちぼのたん)
年老いていく自身の体を嘆くこと。 「遅暮」は少しずつ終わりに近づいていくという意味から。
遅暮之嘆(ちぼのなげき)
年老いていく自身の体を嘆くこと。 「遅暮」は少しずつ終わりに近づいていくという意味から。
中原之鹿(ちゅうげんのしか)
多くの英雄が天子の位を狙って争うこと。または、一つの地位などの目的を狙って競い合うこと。 「中原」は中国の黄河中流域のことで、当時の国の中心ということから天下のたとえ。 「鹿」は天子の位のたとえ。 天下を狙って競い合うことを、猟師が鹿を追いかけることにたとえた言葉。
中冓之言(ちゅうこうのげん)
夫婦や男女が寝室で語り合うこと。 「中冓」は家の奥にある部屋ということから、夫婦の寝室のこと。
疇咨之憂(ちゅうしのうれい)
すぐれた人材を集めなければいけないという悩み。 「疇咨」は相談して人材を探すこと。 政治を行うものには、優秀な人材を確保することがいつも大きな悩みであるということ。
誅心之法(ちゅうしんのほう)
実際に行動を起こしていなくても、心の中に悪意があれば罰を与えること。 中国の春秋時代の法で、「原心定罪」と呼ばれ、動機に応じた罰を与えるということ。
疇昔之夜(ちゅうせきのよ)
昨晩。昨夜。前日の夜。 「疇」は過ぎた時間を言い表す言葉。
中庸之道(ちゅうようのみち)
偏りがなく、過不足のない態度のこと。 儒教の中心的な思想とされ、考えや行動が中立であることをいう。
沖和之気(ちゅうわのき)
天地の間にある調和されて穏やかな気のこと。 「沖和」はやすらかなこと。 陰と陽が交わるところにあるものとされ、人間そのものを言い表す言葉。 「冲和之気」とも書く。
長短之説(ちょうたんのせつ)
話の内容や状況に合わせて、話し方を変えること。 古代中国の思想家である縦横家の話し方のことで、話を長くしたり短くしたり自在にできたということから。
長夜之飲(ちょうやのいん)
何日も続けて行う、大規模な酒宴。 古代中国の殷の紂王は、朝になっても窓を開けずに灯りをともして、何日にも渡って酒宴を続けたという故事から。
長夜之楽(ちょうやのたのしみ)
何日も続けて行う、大規模な酒宴。 古代中国の殷の紂王は、朝になっても窓を開けずに灯りをともして、何日にも渡って酒宴を続けたという故事から。
長幼之序(ちょうようのじょ)
年上と年下の間にある、守るべき社会的、道徳的な秩序のこと。 「長幼」は年齢が上の人と下の人。 「序」は順序、席次のこと。 儒教の五つの道徳法則、五倫のうちの一つ。
重卵之危(ちょうらんのあやうき)
この上なく危険なことのたとえ。 積み重ねた卵は、いつ崩れて卵が割れるか分からないという意味から。
重卵之危(ちょうらんのき)
この上なく危険なことのたとえ。 積み重ねた卵は、いつ崩れて卵が割れるか分からないという意味から。
樗櫟之材(ちょれきのざい)
役に立たない人や物のたとえ。 「樗櫟」は木のおうちとくぬぎのこと。 おうちもくぬぎも木材としては使えないという意味から。 主に自分のことを謙遜していう言葉。
陳蔡之厄(ちんさいのやく)
旅先や道中で災難にあうこと。 「陳」と「蔡」はどちらも国の名前。 中国の思想家の孔子が遊説の旅の道中、陳と蔡の国境の近くで兵に囲まれ、身動きが取れなくなったうえに、食料が尽きて苦労したという故事から。
鄭衛之音(ていえいのおん)
国を滅亡に導くほどの下品で淫靡な音楽のこと。 「鄭」と「衛」は中国春秋時代の国名。 「桑間」は衛の地名。 両国の音楽はみだらなものであったとされていることから。 「鄭衛之音」ともいう。
棣鄂之情(ていがくのじょう)
仲が良く美しい兄弟の情のこと。 「棣」は庭梅のこと。 「鄂」は花のがくのこと。 庭梅の花はがくが寄り添って美しく咲くことから。
轍鮒之急(てっぷのきゅう)
危険や困難が迫っていることのたとえ。 また、切迫した状況にある人のたとえ。 「轍」は車輪の跡、わだちのこと。 「鮒」は魚の鮒(ふな)のこと。 車輪の跡にできた枯れかけの水たまりにいる鮒という意味から。 荘子が監河侯に米を借りに行ったが、監河侯から「近々年貢が入るのでその後に貸しましょう」と言われた。 それを聞いた荘子は、「ここに来る途中で枯れかけの水たまりにいる鮒から水をくださいと助けを求められました。そこで私は、後で川の水を持ってきてあげようと答えました。しかし鮒は、水が欲しいのは今だと言って怒ってしまいました」というたとえ話をして窮状を訴えたという故事から。
天淵之差(てんえんのさ)
違いの差が非常に大きいこと。 天と淵には大きな開きがあるという意味から。
天潢之派(てんこうのは)
皇族のこと。 「天潢」は天の川のこと。 「派」は大元から別れ出たもののこと。 天の川の支流にたとえた言葉。
天日之表(てんじつのひょう)
天子となるべき容貌のこと。 「天日」は天子のこと。 「表」は顔の形、容貌。 中国の書生という人物が、唐の高祖李淵の次男を評した故事から。
椽大之筆(てんだいのふで)
立派で堂々としている文章のたとえ。 「椽」は屋根を支える最も立派で太い木材。垂木。 中国の西晋の時代の王珣は、垂木のような大きな筆を授けられる夢を見て、そのように筆をふるう機会があるのではと思っていると、武帝が崩御して、忌辞などで堂々とした文章を書いたという故事から。
天之美禄(てんのびろく)
酒の別名。 「美禄」はよい俸禄ということ。 天から授かった素晴らしいものという意味から。
天之暦数(てんのれきすう)
運命のこと。 または、天命によって帝王になる運命のこと。 「暦数」は運命のこと。 古代中国の伝説上の聖天子の尭帝が、自身の息子ではなく、臣下の舜に帝位を譲ったときに言ったとされる言葉から。
天府之国(てんぷのくに)
外敵からの攻撃を防ぎやすい地形をしていて、作物がよくできる肥えた土地のこと。 「天府」は人の手が加えられていない、自然にできた倉庫という意味。
天網之漏(てんもうのろう)
天の下す罰から免れること。 または、法の抜け穴をつくこと。 「天網」は悪人を捕らえるために、天が張っている網ということから、国の法律をいう。
泥中之蓮(でいちゅうのはす)
けがれた環境の中でも、悪い影響を受けることなく心の清らかさや美しさを失わずに保つことのたとえ。 泥の中でも美しい花を咲かせる蓮のこと。 煩悩の中でも仏法で清浄さを保つことができるということを蓮にたとえた仏教語。
泥中之蓮(でいちゅうのはちす)
けがれた環境の中でも、悪い影響を受けることなく心の清らかさや美しさを失わずに保つことのたとえ。 泥の中でも美しい花を咲かせる蓮のこと。 煩悩の中でも仏法で清浄さを保つことができるということを蓮にたとえた仏教語。
田父之功(でんぷのこう)
争っているもの同士が両方とも倒れて、その争いとは関係ない人が利益を得ること。 「田父」は農夫のこと。 犬が兎を追いかけ続け、両方ともが疲労で死んでしまい、そこを通りかかった農夫が何の苦労もなく両方ともを手に入れたという話から。 古代中国の戦国時代、魏と戦っても秦や楚の国が喜ぶだけで意味はないと、淳于コンが斉の国の王を諭す時にしたたとえ話から。
田父之功(でんぽのこう)
争っているもの同士が両方とも倒れて、その争いとは関係ない人が利益を得ること。 「田父」は農夫のこと。 犬が兎を追いかけ続け、両方ともが疲労で死んでしまい、そこを通りかかった農夫が何の苦労もなく両方ともを手に入れたという話から。 古代中国の戦国時代、魏と戦っても秦や楚の国が喜ぶだけで意味はないと、淳于コンが斉の国の王を諭す時にしたたとえ話から。
吐握之労(とあくのろう)
熱心にすぐれた人材を探し求めることのたとえ。 「握髪」は髪を握ること。 「吐哺」は食べ物を吐き出すこと。 春秋時代、周公旦は食事中でも食べ物を吐き出し、入浴中でも濡れた髪を握って、面接を求める人にはすぐに面会して、すぐれた人材の登用に努めたという故事から。 「吐哺握髪」「吐哺捉髪」「吐握之労」ともいう。
東家之丘(とうかのきゅう)
すぐれた人物を見抜くことが出来ないこと。 人を見る目がないこと。 または、すばらしい才能を持っているのに世間に知れ渡っていないこと。 「東家」は東隣にある家。 「丘」は孔子の名前。 孔子の家の隣人が、孔子のことを聖人とは知らずに「東隣の丘さん」と呼んでいたという故事から。
倒懸之急(とうけんのきゅう)
状態が非常に切迫していること。 「倒懸」は逆さまに吊るすという意味で、逆さ吊りになって苦しい状態にたとえたもの。
董狐之筆(とうこのふで)
圧力に負けずに、事実を曲げずに正しく歴史を書き記すこと。 「董狐」は晋の歴史記録官をしていた人の名前。 国王の霊公が殺害されたときに、宰相の趙盾の所業だと記載したが、実際には弟の趙穿が殺害したために趙盾は訂正を求めたが、弟を見逃した罪の重さを訴えて変えることがなかったという故事から。
党錮之禍(とうこのわざわい)
党派や政党を結成したことが原因となって発生する災いのこと。 「党錮」は党人を禁固刑にすること。 腐敗した政治を行う宦官に党派を組んで批判したが、宦官はその者たちに党人という名前をつけ、弾圧して終身禁固刑に処したという故事から。
冬日之温(とうじつのおん)
君主から臣下への恩恵は、寒い冬の日の陽光のように優しく暖かいということ。 「冬日」は冬の日の太陽の光。 「温」は暖かく心地よいこと。
刀筆之吏(とうひつのり)
文字を書き取ることを仕事にしている役人のこと。 筆と小刀を使って仕事をする位の低い役人という意味から。 紙のない時代は、木や竹に筆で文字を書き、書き誤ると小刀で削って修正していたということから。
橦末之伎(とうまつのぎ)
軽業のこと。 「橦末」は竿の先端。 「伎」は曲芸。 竿の先端で行う曲芸という意味から。
儻来之物(とうらいのもの)
思いがけず手に入った物のこと。または、賭博で手に入った物のこと。 「儻」は思いがけずや、偶然に、という意味。
棟梁之材(とうりょうのざい)
国や集団を支えることができ、重要な任務を任せることのできる人のこと。 「棟」と「梁」は棟木と梁のことで、どちらも屋根を支えるために重要な木材ということから。
螳螂之衛(とうろうのえい)
数が少なく弱い兵力や軍備のこと。 「螳螂」はかまきりのこと。 「衛」は防衛、守備をする人のこと。 「螳螂」は「蟷螂」とも書く。
蟷螂之衛(とうろうのえい)
数が少なく弱い兵力や軍備のこと。 「螳螂」はかまきりのこと。 「衛」は防衛、守備をする人のこと。 「螳螂」は「蟷螂」とも書く。
螳螂之斧(とうろうのおの)
弱者が身の程も知らずに勝ち目のない強者に立ち向かうこと。 「螳螂」はかまきりのこと。「斧」はかまきりの前足のこと。 斉の荘公の車に、かまきりが前足を振り上げて立ち向かってきたという故事から。 「蟷螂之斧」とも書く。
蟷螂之斧(とうろうのおの)
弱者が身の程も知らずに勝ち目のない強者に立ち向かうこと。 「螳螂」はかまきりのこと。「斧」はかまきりの前足のこと。 斉の荘公の車に、かまきりが前足を振り上げて立ち向かってきたという故事から。 「蟷螂之斧」とも書く。
当路之人(とうろのひと)
重要な職務についていて、権力のある人のこと。 「当路」は交通の重要な場所にいると意味から、重要な地位について権力を持っていること。
十日之菊(とおかのきく)
必要な時に遅れたために、役に立たなくなったもののこと。 「十日」は九月十日のこと。 九月九日の菊の節句から一日遅れた菊という意味から。
特立之士(とくりつのし)
普通の人よりもすぐれた能力や、徳を備えていること。 「特立」は一際すぐれていること。
斗斛之禄(とこくのろく)
ほんの少しの給料。 「斗」と「斛」はどちらも分量の単位で、一斗と一斛ということから、非常に少ないことのたとえ。 「禄」は俸禄、給料のこと。
斗筲之器(としょうのうつわ)
器量の小さな人のたとえ。 「斗」は一斗の量が入る升。 「筲」は一斗二升の量が入る竹の籠。 どちらも入る量が少ない器のことから。 「斗筲之器」「斗筲之材」「斗筲之子」とも。
斗筲之材(としょうのさい)
器量の小さな人のたとえ。 「斗」は一斗の量が入る升。 「筲」は一斗二升の量が入る竹の籠。 どちらも入る量が少ない器のことから。 「斗筲之器」「斗筲之材」「斗筲之子」とも。
斗筲之子(としょうのし)
器量の小さな人のたとえ。 「斗」は一斗の量が入る升。 「筲」は一斗二升の量が入る竹の籠。 どちらも入る量が少ない器のことから。 「斗筲之器」「斗筲之材」「斗筲之子」とも。
斗筲之人(としょうのひと)
器量の小さな人のたとえ。 「斗」は一斗の量が入る升。 「筲」は一斗二升の量が入る竹の籠。 どちらも入る量が少ない器のことから。 「斗筲之器」「斗筲之材」「斗筲之子」とも。
屠所之羊(としょのひつじ)
次第に死期に近づいていくことのたとえ。 屠殺場に連れて行かれる羊という意味から。
塗炭之苦(とたんのくるしみ)
泥沼で泥だらけになり、炭で焼かれるような辛い苦しみのこと。 「塗」は泥や泥水。 中国の夏の桀王は暴君として有名で、桀王によって苦しめられた人々を言い表した言葉から。
塗炭之民(とたんのたみ)
辛く苦しい境遇の人々のこと。 「塗炭」は泥沼と炭火のことで、泥沼にはまって炭火で焼かれるということから、非常に辛い境遇のたとえ。
図南之翼(となんのよく)
大事業や海外進出などの大きな計画を立てること。 大きな目標を立てて、その目標を達成しようとすることをいう。 「図南」は南の海へ行こうと計画すること。 「翼」は鵬のことで、伝説の大きな鳥のこと。 鵬が南の海を目指して飛びたったという説話から。
屠羊之肆(とようのし)
自分の身の程に相応しい仕事のたとえ。 「屠」は獣を殺すこと。 「肆」は店のこと。 羊を殺して肉を売る店という意味。 中国の春秋時代、国を追われた楚の昭王のお供をしていた羊肉屋の説は、昭王が王に返り咲いたときに褒賞を与えられたが、「羊肉屋に戻れるだけで十分です」と言い、褒賞を受け取らなかったという故事から。
屠竜之技(とりょうのぎ)
優れてはいるが、学んでも役に立たない無駄な技術のこと。 「屠」は獣を殺すこと。 竜を殺す技術を学んでも、竜は現実にいないので使うことがないという意味から。
豚魚之信(とんぎょのしん)
全ての人に真面目で正直な心を行き渡らせることのできる、徳のある人のこと。または、そうした誠実な心のこと。 「豚魚」は豚と魚のことで、下賎な人のたとえ。 豚や魚にまで、真面目で正直な心を行き渡らせることが、信の心の究極であるとされている。
道之以徳(どうしいとく)
道徳心を育てることで、人々は各々に考え、正しい生き方や考え方をするようになるということ。 「之(これ)を道(みちび)くに徳を以(もっ)てす」とも読む。
堂堂之陣(どうどうのじん)
わずかな乱れもなく整然と隊列を組んでいる陣容のこと。 「堂堂」はいかめしく立派な様子。
独知之契(どくちのけい)
自分だけが約束が成り立っていると思い込むこと。 「独知」は自分一人が知っているということ。 「契」は約束や契約のこと。 相手の意思をはっきりと確かめていない約束のことをいう。
呑牛之気(どんぎゅうのき)
やる気に満ち溢れていること。 牛を丸呑みするほどに大きな心意気という意味から。
呑舟之魚(どんしゅうのうお)
人並み外れた才能がある人、大人物のたとえ。 舟を丸呑みにするほどの大きな魚ということから。
呑波之魚(どんぱのうお)
人並み外れた才能がある人、大人物のたとえ。
内外之分(ないがいのぶん)
内側にあるものと、外側にあるものの区別のこと。 自分に備わっているものと、備わっていないものの区別や、自分を治めて確立することと、名誉や利益などの世俗の区別をいう言葉。
内助之功(ないじょのこう)
家庭内で夫の働きを支える妻の功績のこと。 「内助」は内側で助けるという意味。
南華之悔(なんかのくい)
上司を怒らせる余計な発言のせいで、才能があるにもかかわらず出世できないこと。 唐の温庭インは宰相の質問に答えたところ、答え方が宰相の怒りに触れ、能力があるにもかかわらず科挙(試験)に合格できなかったという故事から。
南柯之夢(なんかのゆめ)
夢のこと。 または、世の中は夢のようにはかないことのたとえ。 中国の唐の時代、ある男性が槐の木の下で寝ているときに、大槐安国の王の娘と結婚して南柯群の太守となり繁栄と衰退を経験しながら二十年の歳月を過ごす夢を見たという故事から。
南山之寿(なんざんのじゅ)
事業が栄え続けること。 または、長寿を祝う言葉。 「南山」は中国にある終南山という山のことで、長寿や堅固の象徴とされていることから。
難中之難(なんちゅうのなん)
難しいことの中でも、際立って難しいもの。
南風之薫(なんぷうのくん)
君主の正しい政治が人々に行き渡ること。 「南風」は南から吹く温かで優しい風。 「薫」は心地よい香りのこと。 伝説の聖天子「舜(しゅん)」が歌ったとされる詩からきた言葉。
南風之詩(なんぷうのし)
中国の伝説の聖天子の舜が作ったとされる歌のこと。 または、世の中が平和に治まっていることのたとえ。 または、両親に報いる孝行の教え。 「南風」は生物を育てる、温かで柔らかな南風のことで、君主からの恩沢や両親の慈愛のたとえ。 舜帝が五弦の琴を弾いて、南風の詩をうたうと世の中が平和になったという故事から。
二姓之好(にせいのこう)
結婚すること。 または、婚約した両家の親しい交際のこと。 昔の中国では同じ姓をもつ者同士は結婚できないという風習があったことから、「二姓」とは姓の異なる両家のこと。
二姓之好(にせいのよしみ)
結婚すること。 または、婚約した両家の親しい交際のこと。 昔の中国では同じ姓をもつ者同士は結婚できないという風習があったことから、「二姓」とは姓の異なる両家のこと。
日昃之労(にっしょくのろう)
午後まで休むことなく、昼食すら食べずに働くこと。 また、精一杯努力して働くことのたとえ。 「日昃」は現在の午後二時頃のこと。
入幕之賓(にゅうばくのひん)
軍の幕僚や極めて親しい客人のこと。 垂れ幕での囲いの中に招きいれるほどの相手という意味から。 「賓」は尊重すべき客のこと。
忍之一字(にんのいちじ)
何かをやり遂げるために、最も大切なことは耐え忍ぶことであるということ。
燃犀之明(ねんさいのめい)
物事の本質を鋭く見抜く力があることのたとえ。 怪物がいるといわれる深い淵の中で、犀(さい)の角を燃やして探してみると、水の底に本当に怪物がいたという故事から。
燃眉之急(ねんびのきゅう)
危険がすぐ近くまで迫っていて非常に緊迫した状況のたとえ。 眉が燃えるほど近くに火が迫り、急を要する事態であることから。
嚢沙之計(のうしゃのけい)
漢の将軍「韓信」が行った水攻めのこと。 「嚢沙」は土嚢のことで、土嚢を使って川の上流で水をせき止めて、敵が川を渡るのを見計らい土嚢を外し、下流に一気に水を流して、多くの敵を倒したという策略。
嚢中之錐(のうちゅうのきり)
すぐれた才能の持ち主は、大衆の中に交じっていても、自然と才能を発揮することから目立ってくることのたとえ。 「嚢中」は袋の中という意味。 「錐」は小さな穴をあけるための鋭い刃先の工具 袋の中に錐を入れておくと、錐の刃先が自ずと袋を突き破り、外に出てくることから。
敗軍之将(はいぐんのしょう)
戦いに負けた大将のこと。また、失敗したものは言い訳する資格はないということ。
吠日之怪(はいじつのあやしみ)
優れた言動を理解することができない見識の狭い者が、疑って非難すること。 「吠日」は犬が太陽に向かって吠えるという意味。 蜀の地方の高い山に囲まれ、曇りや雨が多く、太陽がほとんど出ない地方の犬は、たまに太陽が出ると驚いて太陽に向かって吠えるという故事から。
吠日之怪(はいじつのかい)
優れた言動を理解することができない見識の狭い者が、疑って非難すること。 「吠日」は犬が太陽に向かって吠えるという意味。 蜀の地方の高い山に囲まれ、曇りや雨が多く、太陽がほとんど出ない地方の犬は、たまに太陽が出ると驚いて太陽に向かって吠えるという故事から。
背水之陣(はいすいのじん)
死を覚悟して全力で物事にあたること。 または、引くことができない困難な状況のこと。 川や海を背にして退路のない陣形で戦うという意味。 漢の韓信が、戦いの際に川を背にして退却できない状況を意図的に作り兵に決死の覚悟をさせて、二十万以上の趙の兵に大勝したという故事から。
肺腑之言(はいふのげん)
真心のこもった言葉。 「肺腑」は臓器の肺ということから、心の奥の底という意味。
覇王之輔(はおうのほ)
一番力のある者の補佐役のこと。 「覇王」は覇者と王者。 「輔」は手助けするや、支えるという意味。 周の文王が狩りの占いをすると、「覇王之輔」を得ると占われ、釣りをしている呂尚に出会ったという故事から。 文王が「先君の太公が望みを求めておられた方である」と言ったことで、呂尚は太公望と呼ばれた。
破瓜之年(はかのとし)
女性の十六歳のこと。または、男性の六十四歳のこと。 「瓜」の文字を縦に二つに割ると「八」「八」に分けることができ、これを加算すると十六になることから。 または、「八」「八」を乗算すると六十四になることから。
破鏡之嘆(はきょうのなげき)
夫婦が離婚する時の悲しみ。 「破鏡」は鏡を半分に割ること。 結婚する時に鏡を半分に割り、それぞれを妻と夫それぞれ片方ずつもち、妻が浮気をすると、妻の持っている鏡がカササギになって夫のところへ飛んで行き、浮気が発覚して離婚したという故事から。 「破鏡之歎」とも書く。
破鏡之歎(はきょうのなげき)
夫婦が離婚する時の悲しみ。 「破鏡」は鏡を半分に割ること。 結婚する時に鏡を半分に割り、それぞれを妻と夫それぞれ片方ずつもち、妻が浮気をすると、妻の持っている鏡がカササギになって夫のところへ飛んで行き、浮気が発覚して離婚したという故事から。 「破鏡之歎」とも書く。
伯夷之清(はくいのせい)
清らかで気高い人のたとえ。 「伯夷」は人の名前。 古代中国の殷の人物で、君主と臣下が義を大切にし、王朝が交代するときには節操を守り、新しい王朝に仕えなかったことから、清廉の極みとされている。
白屋之士(はくおくのし)
役人になることなく、貧しい生活をしている学者や知識人のこと。 「白屋」は白い茅葺きの屋根の家ということから、普通の市民や貧しい家のことをいう。
柏舟之操(はくしゅうのそう)
夫を亡くした妻が貞操を守って、二度と結婚しないこと。 「柏舟」は『詩経』の中にある篇の名前。 古代中国の春秋時代、衛の国の太子だった共伯の妻の共姜は、共伯が亡くなった後に再婚を勧められても断り、「柏舟」の詩を作って、貞操を守り続けることを誓ったという故事から。
柏舟之操(はくしゅうのみさお)
夫を亡くした妻が貞操を守って、二度と結婚しないこと。 「柏舟」は『詩経』の中にある篇の名前。 古代中国の春秋時代、衛の国の太子だった共伯の妻の共姜は、共伯が亡くなった後に再婚を勧められても断り、「柏舟」の詩を作って、貞操を守り続けることを誓ったという故事から。
伯仲之間(はくちゅうのかん)
能力が拮抗していて、優劣をつけるのが難しいこと。 「伯」は長男、「仲」は次男のことで、「伯仲」はよく似ていて、力がほぼ同じであることのたとえ。
白波之賊(はくはのぞく)
集団で略奪を行う、盗賊のこと。 「白波」は盗賊のこと。 中国の後漢の末期に、黄巾賊の残党が白波谷にこもって盗賊をしていたために白波族と呼ばれたという故事から。
破竹之勢(はちくのいきおい)
止めることができないほどの激しい勢いがあること。 植物の竹は、最初の一つ節を割くと、後の節は滞ることなく滑らかに割くことができるということから。
斑衣之戯(はんいのたわむれ)
親孝行することのたとえ。 または、孝養を尽くすことのたとえ。 「斑衣」は子どもが着るような派手な模様の服のこと。 楚の老莱子は七十歳になっても、子供用の服を着て子どものように戯れ、親を喜ばせて年老いたことを忘れさせようとした故事から。
反間之計(はんかんのけい)
敵の間者に偽の情報を流して内部から乱したり、敵の間者を利用して敵の情報を得たりする策略のこと。 『孫子』「用間」の中にある五つの計略の一つ。
飯後之鐘(はんごのかね)
遅刻すること。 「飯後」は食事の後。 「鐘」は時間を知らせる鐘。 中国の王播は、幼いころに寺に世話になっていたが、とある僧が王播を嫌って食事を知らせる鐘を食後に鳴らして、王播を遅刻だと言って食べさせなかったという故事から。
飯後之鐘(はんごのしょう)
遅刻すること。 「飯後」は食事の後。 「鐘」は時間を知らせる鐘。 中国の王播は、幼いころに寺に世話になっていたが、とある僧が王播を嫌って食事を知らせる鐘を食後に鳴らして、王播を遅刻だと言って食べさせなかったという故事から。
反哺之孝(はんぽのこう)
親の恩に子が報いること、親孝行することのたとえ。 「反哺」は食べ物を返すこと。 中国の伝説で、烏は六十日で成鳥になり、その後は親鳥に六十日の間、親に餌を与えるということから。
反哺之羞(はんぽのしゅう)
親の恩に子が報いること、親孝行することのたとえ。 「反哺」は食べ物を返すこと。 中国の伝説で、烏は六十日で成鳥になり、その後は親鳥に六十日の間、親に餌を与えるということから。
半面之識(はんめんのしき)
少し顔を見たことがある程度の知り合いのこと。 または、少し会っただけの人の顔を覚えていること。 「半面」は顔の半分。顔の半分程度しかしらないの意。 中国の後漢の応奉は、二十歳のときに戸から顔を半分出した車大工を見かけただけなのに、数十年後に道で見かけた時に、その顔を覚えていたので声を掛けたという故事から。 「半面識」と略して使うこともある言葉。
倍称之息(ばいしょうのそく)
とても高額な利息のこと。 「倍称」は借りたお金の二倍の金額を返すという意味。
麦曲之英(ばくきょくのえい)
酒のこと。 「麦」と「曲」の漢字を組み合わせると、酒の原料の「麹」の異体字になるということから。 「英」はすぐれているものという意味。
莫逆之契(ばくぎゃくのちぎり)
互いに争うことがなく、気心の知れた関係。親友。 「莫」は否定を意味する助字で、「莫逆」は逆らうことがないという意味。
莫逆之友(ばくぎゃくのとも)
互いに争うことがなく、気心の知れた友人。親友。 「莫」は否定を意味する助字で、「莫逆」は逆らうことがないという意味。
莫逆之交(ばくぎゃくのまじわり)
互いに争うことがなく、気心の知れた関係。親友。 「莫」は否定を意味する助字で、「莫逆」は逆らうことがないという意味。 「莫逆」は「ばくげき」、「交」は「こう」とも読む。
莫逆之友(ばくげきのとも)
互いに争うことがなく、気心の知れた友人。親友。 「莫」は否定を意味する助字で、「莫逆」は逆らうことがないという意味。
麦秀之歌(ばくしゅうのうた)
祖国が滅亡したことを嘆くこと。 「麦秀」は植物の麦が伸びること。 古代中国の殷の箕子が滅亡した殷の廃墟で、麦が生い茂っているのを見て嘆き作った歌ということから。
麦秀之嘆(ばくしゅうのたん)
祖国が滅亡したことを嘆くこと。 「麦秀」は植物の麦が伸びること。 古代中国の殷の箕子が滅亡した殷の廃墟で、麦が生い茂っているのを見て嘆いた歌のことから。
伐性之斧(ばっせいのおの)
人の心や体に害を与えるもののこと。 「伐性」は人としての本質を害すること。 女性や淫らな音楽に溺れたり、偶然起こる良い出来事に期待することをいう。 人としての本質を破壊する斧という意味から。
伐性之斧(ばっせいのふ)
人の心や体に害を与えるもののこと。 「伐性」は人としての本質を害すること。 女性や淫らな音楽に溺れたり、偶然起こる良い出来事に期待することをいう。 人としての本質を破壊する斧という意味から。
伐氷之家(ばっぴょうのいえ)
地位の高い身分の家柄。 「伐氷」は氷を切り出すこと。 古代中国では、卿大夫以上の高い身分の家柄のものだけが、葬式に氷を使うことが許されたということから。 「伐冰之家」とも書く。
伐冰之家(ばっぴょうのいえ)
地位の高い身分の家柄。 「伐氷」は氷を切り出すこと。 古代中国では、卿大夫以上の高い身分の家柄のものだけが、葬式に氷を使うことが許されたということから。 「伐冰之家」とも書く。
伐木之契(ばつぼくのちぎり)
厚い友情を言い表す言葉。 「伐木」は『詩経』にある詩の一編で、山中で友を呼び合う鳥と、友人や古くからの知り合いと酒を酌み交わす様子を描写したもので、友情の大切さを詠んでいる一編。
馬舞之災(ばぶのさい)
火事のこと。 中国の晋の時代の黄平は、馬が踊り、それを見た人々が拍手する夢を見た。 そのことを占いの名人の索タンに相談すると、「馬は火の象徴であり、それが踊るということは火が巻き起こること。馬に拍手するというのは、火を消そうとすることだ」といわれ、黄平が帰ると家が火事にあっていたという故事から。
馬舞之災(ばぶのわざわい)
火事のこと。 中国の晋の時代の黄平は、馬が踊り、それを見た人々が拍手する夢を見た。 そのことを占いの名人の索タンに相談すると、「馬は火の象徴であり、それが踊るということは火が巻き起こること。馬に拍手するというのは、火を消そうとすることだ」といわれ、黄平が帰ると家が火事にあっていたという故事から。
盤石之固(ばんじゃくのかため)
並外れて堅固なこと。安定していて、揺れ動くことがないこと。 「盤石」は大きな岩のことで、並外れて固いことや、安定していることのたとえ。 「磐石之固」とも書く。
磐石之固(ばんじゃくのかため)
並外れて堅固なこと。安定していて、揺れ動くことがないこと。 「盤石」は大きな岩のことで、並外れて固いことや、安定していることのたとえ。 「磐石之固」とも書く。
万乗之君(ばんじょうのきみ)
大国の君主のこと。 「乗」は兵車を数える単位のこと。 一万台の兵車を出すことができる国の君主という意味から。
万乗之国(ばんじょうのくに)
強大な力を持った大国。 「乗」は馬四頭立て戦車を数える単位。 一乗につき兵百人がついたとされ、一万の戦車を使うことのできる国ということから。
万全之策(ばんぜんのさく)
失敗する可能性が少しもない、完璧な策略。 「万全」は一万に一つも失敗する可能性がないということから。
万夫之望(ばんぷののぞみ)
世界の多くの人々に尊敬して慕われること。 または、そのような人のこと。 「万夫」は数多くの人、万人。 「望」は仰ぎ見る、尊敬すること。
万夫之望(ばんぷのぼう)
世界の多くの人々に尊敬して慕われること。 または、そのような人のこと。 「万夫」は数多くの人、万人。 「望」は仰ぎ見る、尊敬すること。
万里之望(ばんりののぞみ)
高い官職や地位につきたいという望みのこと。 「万里」は非常に遠い距離のたとえ。 非常に遠くにある目的地に着きたいという意味から。
匪躬之節(ひきゅうのせつ)
自身の損得は考えずに、君主や国家への忠義を尽くすこと。 「匪躬」は自身の損得を考えないこと。
非常之功(ひじょうのこう)
とてつもなくすごい功績のこと。 「非常」は程度が飛びぬけていること。 「功」は功績のこと。
非常之人(ひじょうのひと)
二つとないほどにすぐれた能力をもった人のこと。 「非常」は普通とは違う、一際すぐれていること。
匪石之心(ひせきのこころ)
自分の信念を堅く守り、決して揺らぐことのない心のこと。 石のように転がることがない心という意味から。
秘中之秘(ひちゅうのひ)
極めて大切な秘密のこと。 秘密の中でも、一番大切な秘密ということから。
匹夫之勇(ひっぷのゆう)
思慮の足りない人が一時の感情に任せただけの勇気のこと。 「匹夫」は身分の低い人や普通の人という意味から、軽率な人のたとえ。
必由之路(ひつゆうのみち)
人が守るべき道理。 「必由」は必ず通っていくこと。 「路」は道のこと。 人が必ず通らなければならない道という意味から。
人之安宅(ひとのあんたく)
その人に備わっている徳のたとえ。 「安宅」は人が落ち着いて住める場所のこと。 徳を備えた人は誰かに襲われることがないので、徳は人を安全に住まわせる場所ということから。
髀肉之嘆(ひにくのたん)
実力を発揮する機会がなく、功績を上げられないことを嘆くこと。 または、特にやることもなく、無駄に日々を過ごすことを嘆くこと。 「髀肉」は太ももについた贅肉。 中国の三国時代の蜀の劉備は、劉表のもとに身を寄せたが、劉表は劉備の野心を警戒して重用することなく、戦場に出る機会もなくなり、常に戦場に出て締まっていた太ももに贅肉がついたと、劉備が嘆いた故事から。 「髀肉」は「脾肉」、「嘆」は「歎」とも書く。
脾肉之嘆(ひにくのたん)
実力を発揮する機会がなく、功績を上げられないことを嘆くこと。 または、特にやることもなく、無駄に日々を過ごすことを嘆くこと。 「髀肉」は太ももについた贅肉。 中国の三国時代の蜀の劉備は、劉表のもとに身を寄せたが、劉表は劉備の野心を警戒して重用することなく、戦場に出る機会もなくなり、常に戦場に出て締まっていた太ももに贅肉がついたと、劉備が嘆いた故事から。 「髀肉」は「脾肉」、「嘆」は「歎」とも書く。
髀肉之歎(ひにくのたん)
実力を発揮する機会がなく、功績を上げられないことを嘆くこと。 または、特にやることもなく、無駄に日々を過ごすことを嘆くこと。 「髀肉」は太ももについた贅肉。 中国の三国時代の蜀の劉備は、劉表のもとに身を寄せたが、劉表は劉備の野心を警戒して重用することなく、戦場に出る機会もなくなり、常に戦場に出て締まっていた太ももに贅肉がついたと、劉備が嘆いた故事から。 「髀肉」は「脾肉」、「嘆」は「歎」とも書く。
脾肉之歎(ひにくのたん)
実力を発揮する機会がなく、功績を上げられないことを嘆くこと。 または、特にやることもなく、無駄に日々を過ごすことを嘆くこと。 「髀肉」は太ももについた贅肉。 中国の三国時代の蜀の劉備は、劉表のもとに身を寄せたが、劉表は劉備の野心を警戒して重用することなく、戦場に出る機会もなくなり、常に戦場に出て締まっていた太ももに贅肉がついたと、劉備が嘆いた故事から。 「髀肉」は「脾肉」、「嘆」は「歎」とも書く。
皮膚之見(ひふのけん)
物事の表面的な部分だけを見て、本質を捉えようとしない浅はかな考えのこと。 「見」は考えという意味。
百世之師(ひゃくせいのし)
後世までずっと師として尊敬され続ける人のこと。 「百世」は世代が百代もの長い期間という意味から、非常に長い年月、後世まで長く続くという意味。
百世之利(ひゃくせいのり)
永遠に利益を得続けること。 「百世」は世代が百代もの長い期間という意味から、非常に長い年月、後世まで長く続くという意味。
百年之業(ひゃくねんのぎょう)
これから後の世に残る素晴らしい仕事のこと。 または、昔から受け継がれてきた伝統的な仕事のこと。 「業」は仕事という意味。
百年之柄(ひゃくねんのへい)
将来のことを考えた政治を行い、権力を長く保とうとすること。 「百年」は長い期間のたとえ。 「柄」は権力のこと。
百薬之長(ひゃくやくのちょう)
酒のこと。 酒を賞賛したもので、様々な薬の中で酒が最も効果があるという意味の言葉。 「百薬」は様々な種類の薬。 「長」は最も上に立つもの、かしら。 前漢の王莽が言ったとされる言葉から。
百里之才(ひゃくりのさい)
人々を治めることのできる、それなりの能力のこと。 「百里」は四方が百里の範囲のことで、古代中国の一つの県の大きさをいう。 一つの県を治めることが出来るくらいの能力という意味から。
百里之命(ひゃくりのめい)
一つの国の政治、運命のこと。 「百里」は四方が百里の範囲のことで、天子から委任された諸侯の国の領土のことをいう。 「命」は制令のことで、一国の運命のこと。
摽末之功(ひょうまつのこう)
ちょっとした功績。わずかな功績。 「摽」は刀の先端、切っ先のことで、わずかなことのたとえ。 「功」は成し遂げた結果。功績。手柄。
牝鶏之晨(ひんけいのしん)
女性が強い権力を持って、勢力を振るうこと。 または、女性が権力を握って治めると、国や家などが滅びることのたとえ。 「牝鶏」は雌鶏。 「晨」は日の出を鶏が鳴いて知らせるという意味。 日の出の時間に鳴くのは本来は雄鶏であり、雌鶏が鳴くことは秩序が乱れた証とされ、王后や王妃が権力を握り、国家が滅びることの前触れとされていた。
貧賤之交(ひんせんのまじわり)
貧しく苦労している時から交友のある友人のこと。または、そのような友人は大切にすべきであるということ。 出世すると以前の友人を捨てて、高い地位を持っている人と付き合おうとするが、以前の友人を捨ててはならないということ。
尾生之信(びせいのしん)
約束を守りぬくことのたとえ。または、正直すぎて機転のきかないことのたとえ。 「尾生」は人の名前。 「信」は信義という意味。 魯の国の尾生が橋の下で女性と会う約束をしたが、いつまでも女性はこないまま尾生は橋の下で待ち続けた。 やがて、雨が降り始めて川が増水して、橋の橋脚に抱きついたまま溺れ死んだという故事から。
謬悠之説(びゅうゆうのせつ)
何の根拠もない、でたらめな話。 「謬」は間違っていること。 「悠」は極めて広いこと。
廟堂之器(びょうどうのき)
朝廷で政治を行うことができる、すぐれた才能のある人物のこと。 「廟」は君主の祖先をまつった建物、宗廟。 「堂」は君主と臣下が会議を行う場所、明堂。 「廟堂」は宗廟と明堂ということから、政治を行う朝廷のこと。 「器」は才能のこと。
麋鹿之姿(びろくのすがた)
品がなく、質素な姿のたとえ。 「麋鹿」は大きな鹿のことで、品がないことのたとえ。 山に住んでる鹿のように品のない姿という意味から。 自身の姿を謙遜して言う言葉。
布衣之極(ふいのきょく)
庶民として最高の出世のこと。 「布衣」は布で作った衣服のことで、一般庶民をあらわすことから、無位無官の人のこと。 「極」は最高、最上という意味。
布衣之極(ふいのきわみ)
庶民として最高の出世のこと。 「布衣」は布で作った衣服のことで、一般庶民をあらわすことから、無位無官の人のこと。 「極」は最高、最上という意味。
布衣之交(ふいのこう)
身分や地位などを気にしない心からの交友。または、庶民の付き合い。 「布衣」は布で作った衣服のことで一般庶民をあらわすことから無位無官の人のこと。
布衣之交(ふいのまじわり)
身分や地位などを気にしない心からの交友。または、庶民の付き合い。 「布衣」は布で作った衣服のことで一般庶民をあらわすことから無位無官の人のこと。
風雲之会(ふううんのかい)
すぐれた能力を持っている人が良い機会をいかして、能力を存分に発揮して功名を得ること。 または、すぐれた才能を持っている人がよい主君に出会い、その才能を認められて重要な地位に就くこと。 「風雲」は竜が風と雲に乗って天に昇るということから、すぐれた能力を持っている人や、英雄が良い機会を生かして名誉を得ることのたとえ。 「会」は出会うこと。
風雲之器(ふううんのき)
時代の流れに乗って、大活躍する器量の持ち主のこと。 社会の変動期に上手く流れに乗り、大きな成功をするような人のことをいう。 「風雲」は風が吹いて、雲が立つという意味で、世の中が非常に不安定な状態で、大きく変動しようとすることのたとえ。 「器」は器量のことで、その人物の器の大きさのこと。
風雲之志(ふううんのこころざし)
時代の流れに乗り、大きな事を起こそうとする野心のこと。 「風雲」は風が吹いて、雲が立つという意味で、世の中が非常に不安定な状態で、大きく変動しようとすることのたとえ。
風魚之災(ふうぎょのわざわい)
海上で受ける嵐などの災難のこと。 または、外敵や海賊などによる災いのこと。 「風」は嵐、「魚」は鰐魚などの災いをもたらす悪魚のこと。
風樹之歎(ふうじゅのたん)
父母が亡くなり孝行しようとしてもできない嘆きのこと。 「風樹」は風に揺れる木のこと。 風で揺れている木は、木自身が制止したいと思っても風が止まなければ制止できず、思い通りにいかないということから。 「風樹之嘆」とも書く。
風樹之嘆(ふうじゅのたん)
父母が亡くなり孝行しようとしてもできない嘆きのこと。 「風樹」は風に揺れる木のこと。 風で揺れている木は、木自身が制止したいと思っても風が止まなければ制止できず、思い通りにいかないということから。 「風樹之嘆」とも書く。
風塵之会(ふうじんのかい)
戦争で混乱している世の中のこと。または、社会が不安定で秩序が乱れていること。 「風塵」は風で舞う砂や埃のことから、戦乱のこと。 「会」は情勢や時勢のこと。
風前之灯(ふうぜんのともしび)
人の命や物事が非常に危険な状況にあることのたとえ。 風が吹き付けていていつ消えてもおかしくない灯火という意味から。
風霜之気(ふうそうのき)
激しくて厳しい文章に込められている心意気のこと。 風の勢いの強さと霜の厳しい寒さということから。
風霜之任(ふうそうのにん)
罪や責任を問いただすことは、厳しく激しい任務ということから、監察官や司法官のこと。 「風霜」は勢いの激しい風と寒々しい霜の厳しさのこと。 「任」は任務という意味。
風波之民(ふうはのたみ)
世の評判に左右される人のこと。 風の影響でおきる波のような人という意味から。
風旙之論(ふうはんのろん)
結論が出ない議論をすること。 風でゆれる旗を見て、一人は風が動いたと言い、他の人が旗が動いたと言って、どちらも譲らずに議論は終わらなかったという故事から。
風木之悲(ふうぼくのかなしみ)
父母が亡くなり孝行しようとしてもできない悲しみのこと。 「風木」は風に揺れる木のことで、風で揺れている木は、木自身が制止したいと思っても風が止まなければ制止できず、思い通りにいかないということから。
浮雲之志(ふうんのこころざし)
悪行で手に入れた地位や財産は、儚いものであるという考え。 または、そのようなものは自身とは関係ないものだという考え。 「浮雲」は空に浮いている雲のことで、雲はすぐに散ってなくなるということから、儚いもののたとえ。または、雲は手の届かないところにあるということから、自身に関係がないもののたとえ。
付会之説(ふかいのせつ)
関係のないものを無理やり理屈づけること。または、無理に理屈づけた論説のこと。 「付会」は無理に理屈づけること。 「附会之説」とも書く。
附会之説(ふかいのせつ)
関係のないものを無理やり理屈づけること。または、無理に理屈づけた論説のこと。 「付会」は無理に理屈づけること。 「附会之説」とも書く。
夫家之征(ふかのせい)
定職についていない者に課せられた、中国の周の時代にあった罰金。 「夫家」は夫婦、「征」は税を徴収すること。 一組の農民の夫婦に田が与えられ、その夫婦に課せられていた税と同じ額の罰金を課せられていたということから。
不刊之書(ふかんのしょ)
いつまでも伝わり続ける書物。 不朽の名作。 「刊」は削るという意味。 紙のない時代には、木や竹に文字を記し、必要の無い部分や誤った部分は削っていたということから。
不帰之客(ふきのきゃく)
死んだ人のこと。 二度と帰ることの出来ない旅に出た人という意味から。
不羈之才(ふきのさい)
非常にすぐれた才能。 「羈」はつなぐという意味。 誰にも繋ぎとめることが出来ない才能という意味から。
不急之務(ふきゅうのつとめ)
いつかはしなければならないが、特に急ぐ理由のない仕事のこと。
不急之務(ふきゅうのむ)
いつかはしなければならないが、特に急ぐ理由のない仕事のこと。
俯仰之間(ふぎょうのかん)
非常に短い時間のこと。 「俯仰」はうつむくことと上を向くこと。 下を向いたり、上を向いたりする間の時間という意味から。 「俛仰之間」とも書く。
俛仰之間(ふぎょうのかん)
非常に短い時間のこと。 「俯仰」はうつむくことと上を向くこと。 下を向いたり、上を向いたりする間の時間という意味から。 「俛仰之間」とも書く。
覆車之戒(ふくしゃのいましめ)
先人の失敗を学び、今の戒めにすること。 「覆車」はひっくり返った車の残した車輪の跡のこと。 先に通った車のひっくり返った車輪の跡を見て、同じようにならないように、その場所を通らないようにするという意味から。
腹心之疾(ふくしんのしつ)
命を落とす可能性の高い、非常に危険な病気。 または、どうすることも出来ない災害や、大きな障害、手ごわい相手のこと。 「腹心」は内臓と心臓のこと。 人にとって重要な部分の病気という意味から。
腹心之臣(ふくしんのしん)
心から信頼できる家臣のこと。 「腹心」は自分の腹や心になるという意味で、確実な信頼をすること。
腹中之書(ふくちゅうのしょ)
広い知識があることを自慢する言葉。 腹の内側に書物がたくさんあるという意味から。 中国の晋のカク隆は七月七日に腹を出して寝ている理由を尋ねられ、書物を虫干しする日だから腹の中の書物を虫干ししていると答えたという故事から。
腹誹之法(ふくひのほう)
心の中で非難するだけで罰する法律のこと。 「腹誹」は心の中で対象を非難すること。 「腹非之法」とも書く。
腹非之法(ふくひのほう)
心の中で非難するだけで罰する法律のこと。 「腹誹」は心の中で対象を非難すること。 「腹非之法」とも書く。
不虞之誉(ふぐのほまれ)
偶然手に入れた名誉のこと。 「不虞」は予想外、思ってもいないこと。 手に入れた名誉を謙遜していう言葉。
不繋之舟(ふけいのふね)
心に不満や不信など何もない、無心のたとえ。 または、なにものにも縛られずにただ漂っているだけのような人のこと。 繋がれてなく、ただ波に漂う船という意味から。
不言之教(ふげんのおしえ)
口に出すことなく相手に習得させることのできる教えのこと。 老荘思想の「無為自然」の教えのことで、道を修めた者は、何もせず、何も言わずに人を教え導くことができるということ。
巫山之夢(ふざんのゆめ)
男女の交わり、情交のたとえ。 「巫山」は中国の四川省と湖北省の間にある、女神が住んでいたとされる山のこと。 中国の戦国時代の楚の懐王が昼寝をした際、夢の中で巫山の女神と情交を結んだ。別れ際に女神が「朝には雲となって、夕方には雨となってここに参ります」と言ったという故事から。
負薪之憂(ふしんのうれい)
自分の病気を謙遜していう言葉。 「負薪」は薪を背負うこと。 「憂」は病気。 薪を背負ったせいで疲れてしまって病気になるということから。または、病気になってしまい、薪を背負う余力も無くなるということから。
負薪之病(ふしんのへい)
自分の病気を謙遜していう言葉。 「負薪」は薪を背負うこと。 薪を背負ったせいで疲れてしまって病気になるということから。または、病気になってしまい、薪を背負う余力も無くなるということから。
負薪之病(ふしんのやまい)
自分の病気を謙遜していう言葉。 「負薪」は薪を背負うこと。 薪を背負ったせいで疲れてしまって病気になるということから。または、病気になってしまい、薪を背負う余力も無くなるということから。
附耳之言(ふじのげん)
隠し事は漏れやすく、あっという間に広まるということ。 「附耳」は口を耳に近づけて話しをするという意味。 耳の横で小さな声で話しをしても、千里も離れている場所でも聞こえてしまうということから。 「付耳之言」とも書く。
付耳之言(ふじのげん)
隠し事は漏れやすく、あっという間に広まるということ。 「附耳」は口を耳に近づけて話しをするという意味。 耳の横で小さな声で話しをしても、千里も離れている場所でも聞こえてしまうということから。 「付耳之言」とも書く。
不時之需(ふじのじゅ)
突然発生した必要や需要のこと。 思いがけない時の要求という意味から。
不時之需(ふじのもとめ)
突然発生した必要や需要のこと。 思いがけない時の要求という意味から。
不時之須(ふじのもとめ)
突然発生した必要や需要のこと。 思いがけない時の要求という意味から。
膚受之愬(ふじゅのうったえ)
痛切な訴えのこと。 「膚受」は切りつけるような痛切さのこと。 「愬」は不平や不満を訴えること。 気づくことなく垢がたまるように、少しずつ人を偽り、傷つけていくという意味でも使われる言葉。
膚受之愬(ふじゅのそ)
痛切な訴えのこと。 「膚受」は切りつけるような痛切さのこと。 「愬」は不平や不満を訴えること。 気づくことなく垢がたまるように、少しずつ人を偽り、傷つけていくという意味でも使われる言葉。
不争之徳(ふそうのとく)
人と争わないという人格。 「不争」は人と争いをしないこと。 「徳」は立派な人格。 本当に強い人は争わず、戦わず、人を使うことがうまい人は、人に謙るということ。 老子が説いた言葉。
釜中之魚(ふちゅうのうお)
相手に全てを握られていて、身動きすら出来ない状態や状況のこと。 釜の中で料理されるのを待つ魚という意味から。
敷天之下(ふてんのもと)
世界中。 「敷天」は空の隅々までということ。 空を隅々まで覆うという意味から。 「敷天」は「普天」とも、「薄天」とも書く。
普天之下(ふてんのもと)
世界中。 「敷天」は空の隅々までということ。 空を隅々まで覆うという意味から。 「敷天」は「普天」とも、「薄天」とも書く。
薄天之下(ふてんのもと)
世界中。 「敷天」は空の隅々までということ。 空を隅々まで覆うという意味から。 「敷天」は「普天」とも、「薄天」とも書く。
不敗之地(ふはいのち)
負ける可能性が絶対にない態勢のこと。 敵の攻撃を受けにくく、攻め落とされる可能性のない大事な場所にあること。 「不敗の地に立つ」という形で使うことが多い言葉。
不抜之志(ふばつのこころざし)
何があっても諦めないこと。 「不抜」はどうやっても抜くことができないという意味から、とても堅いことのたとえ。
榑木之地(ふぼくのち)
東にある、太陽が昇るとされる地方。 または、日本の異名。 「榑木」は太陽の昇る場所にあるとされる神木の名前で、この神木から太陽が昇るとされている。榑木は扶桑(ふそう)ともいう。 「扶木之地」とも書く。
扶木之地(ふぼくのち)
東にある、太陽が昇るとされる地方。 または、日本の異名。 「榑木」は太陽の昇る場所にあるとされる神木の名前で、この神木から太陽が昇るとされている。榑木は扶桑(ふそう)ともいう。 「扶木之地」とも書く。
不毛之地(ふもうのち)
作物が育たない、ひどく痩せた土地。 または、見るべきよい結果や、発見が何もないこと。 「毛」は地面から生える草木や穀物のこと。
夫里之布(ふりのふ)
夫布と里布という、古代中国の税のこと。 「夫布」は無職の人に課される税のこと。 「里布」は麻や桑を家の敷地内に植えない人に課される税のこと。 「布」は布銭、金銭のこと。
不惑之年(ふわくのとし)
四十歳になって、心に迷いがなくなること。 孔子が生涯を述懐して語った言葉で、四十歳のときに自分の学問に自信をもって、向かう方向が妥当だと確信して迷わなくなったということから。
刎頸之交(ふんけいのまじわり)
深い友情のたとえ。 「刎頸」は首を切り落とすという意味。 相手のためなら首を切り落とされてもかまわないということから。 中国の戦国時代の趙の将軍の廉頗と、蘭相如が深い友情を結んだという故事から。
糞土之牆(ふんどのしょう)
やる気がなく、だらしない人を教育することはできないということのたとえ。または、役に立たないもののたとえ。 腐ってぼろぼろになった木と土壁ということで、腐った木材に彫刻することはできず、腐った土壁に上塗りをすることはできないという意味から。
忿忿之心(ふんぷんのこころ)
激しく怒っているときの心。 「忿忿」は怒ったり、恨んだりしている時の様子。
墳墓之地(ふんぼのち)
生まれ育った故郷。または、死ぬまで暮らそうと思っている地のこと。 「墳墓」は墓のこと。 祖先から受け継いだ墓がある地という意味から。
舞馬之災(ぶばのわざわい)
火事のこと。 中国の晋の時代の黄平は、馬が踊り、それを見た人々が拍手する夢を見た。 そのことを占いの名人の索タンに相談すると、「馬は火の象徴であり、それが踊るということは火が巻き起こること。馬に拍手するというのは、火を消そうとすることだ」といわれ、黄平が帰ると家が火事にあっていたという故事から。
毋望之人(ぶぼうのひと)
窮地に陥ったときに、求めなくても助けてくれる人のこと。思わぬ助け舟。 「毋」は否定の意味の言葉。 「毋望」は予想もしていないという意味。
毋望之禍(ぶぼうのわざわい)
考えてもいなかった不幸が突然訪れること。 「毋望」は予期していなかったことが突然起こること。 「毋」は「无」、「無」とも書く。
无望之禍(ぶぼうのわざわい)
考えてもいなかった不幸が突然訪れること。 「毋望」は予期していなかったことが突然起こること。 「毋」は「无」、「無」とも書く。
無望之禍(ぶぼうのわざわい)
考えてもいなかった不幸が突然訪れること。 「毋望」は予期していなかったことが突然起こること。 「毋」は「无」、「無」とも書く。
蚊虻之労(ぶんぼうのろう)
価値のない、つまらない技術のこと。 「蚊虻」は虫のかとあぶ。 蚊や虻のような小さな労力という意味から。
分憂之寄(ぶんゆうのき)
諸国の政務を行った地方官、国司のこと。 「分憂」は憂いを分かち合うこと。 「寄」は任務のこと。 人々と憂いを分かち合う任務という意味から。
兵車之会(へいしゃのかい)
武力を用いて開かれる諸侯の会合のこと。 「兵車」は戦闘に使用する車(戦車)。
平明之治(へいめいのち)
公平で道理にかなった政治のこと。 「平明」は公平で道理に明るいこと。 「治」は政治のこと。
胼胝之労(へんちのろう)
非常に辛い苦労をすること。 「胼胝」は皮膚が厚く固くなるたこやひび、あかぎれ。 たこやひび、あかぎれができるほどに苦労するという意味から。
胼胝之労(へんていのろう)
非常に辛い苦労をすること。 「胼胝」は皮膚が厚く固くなるたこやひび、あかぎれ。 たこやひび、あかぎれができるほどに苦労するという意味から。
米泉之精(べいせんのせい)
酒のこと。 米を発酵・熟成させる手法が酒の主な造り方であることから。
汨羅之鬼(べきらのき)
水中で溺れて死んだ人のこと。 「汨羅」は中国の川の名前。 「鬼」は死者の霊魂。 楚の懐王に忠節を尽くして仕えていた屈原という人が、讒言で懐王の怒りを買い、追放されて入水自殺したという故事から。
逢掖之衣(ほうえきのい)
袖が大きくゆとりのある服のこと。儒者の服。 「逢」は大きいやゆるやかという意味。 「掖」は腋(わき)の下のこと。
泛駕之馬(ほうがのうま)
一般的な常識には従わずに別の方法をとる英雄のたとえ。 「泛駕」は馬が興奮して指示に従わずに道をそれてしまうということから。
方正之士(ほうせいのし)
きちんとした正しい行いをする人のこと。
抱柱之信(ほうちゅうのしん)
約束を守りぬくことのたとえ。 または、正直すぎて機転がきかないことのたとえ。 「抱柱」は橋の脚にしがみつくこと。 「信」は信義という意味。 魯の国の尾生が橋の下で女性と会う約束をしたが、いつまでも女性はこないまま尾生は橋の下で待ち続けた。 やがて、雨が降り始めて川が増水して、橋の橋脚に抱きついたまま溺れ死んだという故事から。
北門之嘆(ほくもんのたん)
仕官した先の主人が愚かな人物で、重要な地位につくことができずに嘆くこと。 「北門」は『詩経」の詩の編名。 中国の東晋の李充が家計のために、地位の低い地方官になったときに言ったとされる言葉から。 「北門之歎」とも書く。
北門之歎(ほくもんのたん)
仕官した先の主人が愚かな人物で、重要な地位につくことができずに嘆くこと。 「北門」は『詩経」の詩の編名。 中国の東晋の李充が家計のために、地位の低い地方官になったときに言ったとされる言葉から。 「北門之歎」とも書く。
北門之嘆(ほくもんのなげき)
仕官した先の主人が愚かな人物で、重要な地位につくことができずに嘆くこと。 「北門」は『詩経」の詩の編名。 中国の東晋の李充が家計のために、地位の低い地方官になったときに言ったとされる言葉から。 「北門之歎」とも書く。
北門之歎(ほくもんのなげき)
仕官した先の主人が愚かな人物で、重要な地位につくことができずに嘆くこと。 「北門」は『詩経」の詩の編名。 中国の東晋の李充が家計のために、地位の低い地方官になったときに言ったとされる言葉から。 「北門之歎」とも書く。
蒲鞭之政(ほべんのせい)
思いやりのある政治を行うこと。 「蒲鞭」は植物の蒲の穂の鞭。 刑罰に柔らかく痛みを与えない蒲の穂の鞭を使い、辱めを与えるだけの政治ということから。
蒲鞭之罰(ほべんのばつ)
思いやりのある政治を行うこと。 「蒲鞭」は植物の蒲の穂の鞭。 刑罰に柔らかく痛みを与えない蒲の穂の鞭を使い、辱めを与えるだけの政治ということから。
蒲鞭之政(ほべんのまつりごと)
思いやりのある政治を行うこと。 「蒲鞭」は植物の蒲の穂の鞭。 刑罰に柔らかく痛みを与えない蒲の穂の鞭を使い、辱めを与えるだけの政治ということから。
蒲柳之質(ほりゅうのしつ)
生まれた時から体が弱く、病気になりやすいこと。 「蒲柳」は植物のかわやなぎ、ねこやなぎのことで、木が柔らかく、秋になると真っ先に葉が落ちるということから、病弱な体質のたとえ。
賁育之勇(ほんいくのゆう)
気力と勇気に満ち溢れている様子。 「賁」と「育」はどちらも人の名前で、孟賁と夏育のこと。 孟賁と夏育はどちらも中国の秦の武王に仕え、二人とも怪力で勇気があることで有名。
望雲之情(ぼううんのじょう)
遠くの地にいる故郷の父母を思う心情のこと。 唐の時代、狄仁傑という人物が、大公山に登って、白い雲が流れるのを見て、あの雲の下に父母がいると語り、長い間たたずんでいた故事から。
罔極之恩(ぼうきょくのおん)
両親から受けた報いきれないほどの恩のこと。 「罔極」は限りがないという意味。 報いることが出来ないほどの限りない恩という意味から。
望蜀之嘆(ぼうしょくのたん)
人間の欲望は尽きることがないということ。 「蜀」は中国の地名。 後漢の光武帝が望みを叶えて、隴を手に入れたが、次は蜀が欲しいと望んだという故事から。
望塵之拝(ぼうじんのはい)
身分の高い人や権力のある人に気に入られようと振る舞うこと。または、遅れを取ること。 「望」は後ろから眺めること。 「塵」は車が動くときに巻き起こす砂埃。 中国の西晋の時代の人物、藩岳は当時強い権力を持っていた賈謐に媚びへつらい、賈謐の乗った車が去るときには、車が巻き起こした砂埃の中でいつまでもお辞儀をしていたという故事から。
忘憂之物(ぼうゆうのもの)
酒の別称。 不安を忘れることができるものという意味から。
亡羊之嘆(ぼうようのたん)
進路や方針が多すぎて何を選ぶべきかわからなくなること。 または、学問の道が細かく分かれすぎていて、学問の根本を捉えにくいことのたとえ。 「亡羊」は羊に逃げ切られること。 羊が逃げ出し、大勢の人で追いかけたが分かれ道が多く、逃げられてしまったという話を聞いた楊朱は、学問も同じように様々なものに分かれすぎていて、それぞれ根本の部分は同じなのにそれを忘れ、理解できなくなっていると言ったという故事から。
望洋之嘆(ぼうようのたん)
はるか上を見上げて嘆き悲しむこと。または、どうにもできない状況を嘆くこと。 「望洋」は上を見上げること。または、広大で果てしない様子。 偉大な人物や学問などを前にして、自身の度量の少なさを感じて嘆くことをいう。 「望陽之嘆」、「望羊之嘆」、「望佯之嘆」とも書く。
望陽之嘆(ぼうようのたん)
はるか上を見上げて嘆き悲しむこと。または、どうにもできない状況を嘆くこと。 「望洋」は上を見上げること。または、広大で果てしない様子。 偉大な人物や学問などを前にして、自身の度量の少なさを感じて嘆くことをいう。 「望陽之嘆」、「望羊之嘆」、「望佯之嘆」とも書く。
望羊之嘆(ぼうようのたん)
はるか上を見上げて嘆き悲しむこと。または、どうにもできない状況を嘆くこと。 「望洋」は上を見上げること。または、広大で果てしない様子。 偉大な人物や学問などを前にして、自身の度量の少なさを感じて嘆くことをいう。 「望陽之嘆」、「望羊之嘆」、「望佯之嘆」とも書く。
望佯之嘆(ぼうようのたん)
はるか上を見上げて嘆き悲しむこと。または、どうにもできない状況を嘆くこと。 「望洋」は上を見上げること。または、広大で果てしない様子。 偉大な人物や学問などを前にして、自身の度量の少なさを感じて嘆くことをいう。 「望陽之嘆」、「望羊之嘆」、「望佯之嘆」とも書く。
濮上之音(ぼくじょうのおん)
国を滅ぼすような淫乱な音楽。 「濮上」は濮水(ぼくすい)という川のほとり。 「桑間」はその川の流れる地名。 春秋時代、衛の霊公が濮水のほとりで聞いた音楽を気に入り、晋の平公の前で披露させたところ、晋の楽官の師曠が、この音楽は殷を滅亡させたみだらな音楽だといって演奏を中止させたという故事から。 「桑間濮上の音(おん)」を略した言葉。 「濮上桑間」「桑濮之音」「濮上之音」ともいう。
墨翟之守(ぼくてきのまもり)
意思を固く守り、決して曲げないこと。または、敵の攻撃から城を固く守ること。 「墨翟」は古代中国の思想家の墨子(ぼくし)の別称。 中国の墨子と公輸盤(こうしゅはん)が木の板などを使って城や兵器に見立てた机上戦を行ったとき、墨子が公輸盤の攻撃をことごとく防いだという故事から。
麻中之蓬(まちゅうのほう)
悪いものもよい環境の中では、よいほうに正されるということ。 普通は曲がりくねって育つことの多い蓬も、まっすぐ育つ麻の中で育てるとまっすぐに育つという意味。
麻中之蓬(まちゅうのよもぎ)
悪いものもよい環境の中では、よいほうに正されるということ。 普通は曲がりくねって育つことの多い蓬も、まっすぐ育つ麻の中で育てるとまっすぐに育つという意味。
无何之郷(むかのきょう)
果てしなく広くて見渡す限り何もなく、人の手が入っていない場所のこと。 「无」は何もない、「郷」は場所という意味から何もない場所という意味。
無稽之言(むけいのげん)
でたらめで根拠のない話のこと。 「無稽」は考えるべき根拠がまるでないこと。
無稽之談(むけいのだん)
でたらめで根拠のない話のこと。 「無稽」は考えるべき根拠がまるでないこと。
無告之民(むこくのたみ)
貧しい人や老人、孤児などの弱者のこと。 苦しみを訴える相手や手段が存在しない人たちのことから。 「無告」は苦しみを訴える相手が誰もいないこと。
無辜之民(むこのたみ)
何の罪も犯していない人たちのこと。 「無辜」は罪が無いという意味。 主に天災や人災などに巻き込まれて苦しめられる人々のことをいう。
無声之詩(むせいのし)
絵画のこと。 音声がなくても詩を作りたい気分になるものということから。
無法之法(むほうのほう)
法と呼ばれるものが存在しないこと。または、法や規則で縛らなくても、秩序が自然に守られていること。 仏教の言葉では、この世の全ては空であり、真実ですら存在しないということが真実ということ。 儒教の言葉では、道徳を行き渡らせれば、細々とした法を作らずとも秩序は保たれるということ。
無妄之福(むぼうのふく)
考えてもいなかった幸運が突然訪れること。 「無妄」は予期していなかったことが突然起こること。 「無」は「无」、「毋」とも書く。
毋望之禍(むぼうのわざわい)
考えてもいなかった不幸が突然訪れること。 「毋望」は予期していなかったことが突然起こること。 「毋」は「无」、「無」とも書く。
无望之禍(むぼうのわざわい)
考えてもいなかった不幸が突然訪れること。 「毋望」は予期していなかったことが突然起こること。 「毋」は「无」、「無」とも書く。
無望之禍(むぼうのわざわい)
考えてもいなかった不幸が突然訪れること。 「毋望」は予期していなかったことが突然起こること。 「毋」は「无」、「無」とも書く。
夢熊之喜(むゆうのよろこび)
男の子供が生まれることを喜ぶこと。 「夢熊」は夢に熊が出てくること。 熊は山の動物の中で、陽の象徴であり、強壮の動物で男の象徴とされ、夢に出ることは男の子供が生まれる前兆とされていたことから。
無用之用(むようのよう)
一目見た時は役に立たないと思っていたものが、重要な働きをすること。 『老子』や『荘子』でよく使われる逆接的な理論。 車軸や容器の内側には何もないことが重要であり、役に立つ働きをするということから。
夢賚之良(むらいのりょう)
夢の中で天の使いから賜った家臣のこと。 「良」はすぐれた能力のある家臣。 古代中国の殷の高宗が夢でよい家臣を天から賜った。 目が覚めた高宗は、人相書を描いて全国を探させると、囚人と共に道路工事をしていた説という人を見つけて臣下にした。 説は宰相として非常に活躍したという故事から。
無累之人(むるいのひと)
なにものにも縛られない、自由な心を持っている人のこと。 「累」はわずらわしさという意味。 世間のわずらわしい出来事から逃れて、関わらない人ということから。
明月之珠(めいげつのしゅ)
暗闇でも自ら光を放って照らす明月のような宝玉のこと。
明月之珠(めいげつのたま)
暗闇でも自ら光を放って照らす明月のような宝玉のこと。
命世之才(めいせいのさい)
世に有名な才能のこと。 または、そのような才能を持っている人のこと。 「命世」は世に名前が知れ渡っているという意味。
冥冥之志(めいめいのこころざし)
人に知られないように努力すること。 または、人に知られないように心の底で決意すること。 「冥冥」は暗い様子という意味から、人に知られない様子のこと。
冥々之志(めいめいのこころざし)
人に知られないように努力すること。 または、人に知られないように心の底で決意すること。 「冥冥」は暗い様子という意味から、人に知られない様子のこと。
滅頂之災(めっちょうのさい)
水中で溺れて死ぬこと。または、壊滅するほどの損害のたとえ。 「滅頂」は頭が水の中に沈むこと。 頭が水の中に沈むほどの災難という意味から。
罔極之恩(もうきょくのおん)
両親から受けた報いきれないほどの恩のこと。 「罔極」は限りがないという意味。 報いることが出来ないほどの限りない恩という意味から。
妄想之縄(もうぞうのなわ)
自分の身を苦しめる心の迷いのこと。 仏教語で、みだらな考えや心の迷いを身体を縛るための縄にたとえたもの。
両刃之剣(もろはのつるぎ)
役に立つものでも、使い方を間違えると危険をもたらすことのたとえ。または、大きな利益を得る可能性もあるが、大きな被害を受ける可能性もあること。 「両刃」は背と腹の両方に刃がついている剣のことで、使い方を間違えると使用者自身にも危険が及ぶことから。 「諸刃之剣」とも書く。
諸刃之剣(もろはのつるぎ)
役に立つものでも、使い方を間違えると危険をもたらすことのたとえ。または、大きな利益を得る可能性もあるが、大きな被害を受ける可能性もあること。 「両刃」は背と腹の両方に刃がついている剣のことで、使い方を間違えると使用者自身にも危険が及ぶことから。 「諸刃之剣」とも書く。
薬石之言(やくせきのげん)
欠点を正すのに役立つ忠告という意味。 「薬石」は石の鍼(はり)治療や薬剤のこと。 人を戒める言葉を薬にたとえている。
八咫之鏡(やたのかがみ)
天照大神(あまてらすおおみかみ)が岩戸に隠れているときに、石凝姥命(いしこりどめのみこと)が作ったとされる鏡。 この鏡で天照大神自身を映し、興味を持たせて岩戸の外に引き出したとされる神話がある。 日本の天皇家の皇位継承の象徴の三種の神器の一つ。 他の二つは天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)。
宥坐之器(ゆうざのき)
自らの戒めとするために身近に置いてある道具のこと。 「宥坐」は身近や身の回りという意味。 桓公の墓にあった器は「水が入っていない空の時は傾き、水を適度に入れるとまっすぐに立ち、水が満ちるとひっくり返り全てこぼれる」という。 これを見た孔子は「知を持つものは愚を自覚し、功績を持つものは謙譲の心をもち、力を持つものは恐れを忘れず、富があるものは謙遜を忘れずに正しい姿勢を保て。」と説いた故事から。
有識之士(ゆうしきのし)
すぐれた判断力があり、高い学のある人のこと。 「有識」は知識や見識があるという意味。
有終之美(ゆうしゅうのび)
物事をやり遂げ、最後に立派な結果を残して終わること。
鷹犬之才(ようけんのさい)
猟で使われる鷹(たか)や犬は主の意思に従って働くことから、 手先として使うことで役に立つ才能やその才能の持ち主のこと。 「才」は才能、または才能の持ち主。
庸言之謹(ようげんのきん)
普通に生活しているときでも、言葉に気をつけること。 「庸言」は普段の生活で使っている言葉、「謹」は気を配る、または慎むという意味。
養志之孝(ようしのこう)
親の心や気持ちを汲み取って、体だけでなく心も満たす親孝行のこと。 「養志」は親の志を養うという意味。
耀蝉之術(ようぜんのじゅつ)
政治を行う者が自身の持つ徳を示すことで、その徳を慕って人々が自然に集まるようにすること。 「耀」は輝くようにする、はっきりと分かるようにするということ。 「蝉」は昆虫のせみ。 明かりをつけると、その明かりに蝉が集まってくるので、集まってきた蝉を捕まえるということから、君主が徳を示して人々を従わせることをいう。
楊布之狗(ようふのいぬ)
見た目が変わったのを見て、内面も変わったと信じることのたとえ。または、見た目が変われば内面も変わったと思うのが普通であるということ。 「楊布」は人の名前。 「狗」は動物の犬。 中国の戦国時代の思想家の楊朱の弟の楊布は、白い服で出かけたが雨で濡れたために黒い服に着替えて帰ってくると、飼っていた犬が楊布だと気付かずに吠えたために怒ったが、楊朱は白い犬が汚れて黒くなって帰ってくれば怪しく思うだろうといい、楊布を抑えとどめたという故事から。
浴沂之楽(よくきのたのしみ)
世間から離れてのんびりと暮らす楽しみのたとえ。 「浴沂」は沂水という名前の川で水浴びすること。 孔子が弟子たちにそれぞれの志を述べさせたところ、多くの弟子たちが功績を挙げるといった志を述べる中、曽晢は、春から夏にかけての季節に少年たちとともに沂水で水浴びして、雨乞いをするための祭壇で涼んで、歌を歌いながら帰りたいと述べ、孔子は喜んで同意したという故事から。
予且之患(よしょのかん)
身分の高い人が気付かれないように出掛けて、不幸な出来事にあうこと。 「予且」は人の名前。 天帝の使者である白い竜が魚の姿になって泳いでいると、漁師の予且に目を射抜かれて捉えられたという故事から。
乱世之雄(らんせいのゆう)
乱れた世の中で力を示して、大きな事業を成し遂げる人のこと。 「乱世」は戦争が絶えない乱れた世界。 中国の後漢の時代、人物鑑定で有名な許劭は、若い頃の曹操を清平の姦賊、乱世の英雄と評したという故事から。 『魏志』「武帝紀」では、治世の能臣、乱世の姦雄と評されたとされている。
爛腸之食(らんちょうのし)
食べ過ぎること。 「爛腸」はたくさんのご馳走を食べて内臓をただれさせること。 腸をただれさせるほどの、たくさんの肉や酒などのご馳走を食べるという意味から。
爛腸之食(らんちょうのしょく)
食べ過ぎること。 「爛腸」はたくさんのご馳走を食べて内臓をただれさせること。 腸をただれさせるほどの、たくさんの肉や酒などのご馳走を食べるという意味から。
犂牛之子(りぎゅうのこ)
地位や身分の低い家に生まれても、才能があれば出世することはできるということ。 「犂牛」は入り混じった毛色の牛のことで、低い地位や身分の家の生まれのたとえ。 孔子は弟子の仲弓に、入り混じった毛色の牛の子でも、毛色が赤で角がまっすぐであれば、祭祀の供物に使うことができる素晴らしい牛として重宝されるといって励ましたという故事から。
犂牛之喩(りぎゅうのたとえ)
地位や身分の低い家に生まれても、才能があれば出世することはできるということ。 「犂牛」は入り混じった毛色の牛のことで、低い地位や身分の家の生まれのたとえ。 孔子は弟子の仲弓に、入り混じった毛色の牛の子でも、毛色が赤で角がまっすぐであれば、祭祀の供物に使うことができる素晴らしい牛として重宝されるといって励ましたという故事から。
蓼莪之詩(りくがのし)
親孝行な子どもが、領主から課せられた労働で家を離れたために、親孝行できなかったことを両親の死後に悲しんでうたった詩のこと。または、両親が死んで、親孝行できない悲しみのこと。 「蓼莪」は『詩経』の篇名。
六尺之孤(りくせきのこ)
未成年の孤児のこと。 または、まだ幼い時に父王と死別して即位した君主のこと。 「六尺」は一・四メートルで十四、五歳の身長のこと。 また、一尺を二歳半と考えて、十五歳とする説もある。 「孤」は孤児のこと。
履霜之戒(りそうのいましめ)
大きな災難に遭わないように、少しでも災いの予兆があれば準備する、もしくは避けるべきという戒め。 「履霜」は霜を踏むこと。 霜を踏むようになると寒さが今まで以上に厳しくなるので準備をするべきであるという意味。
履霜之戒(りそうのかい)
大きな災難に遭わないように、少しでも災いの予兆があれば準備する、もしくは避けるべきという戒め。 「履霜」は霜を踏むこと。 霜を踏むようになると寒さが今まで以上に厳しくなるので準備をするべきであるという意味。
立錐之地(りっすいのち)
とても狭い土地や空間のこと。 錐(きり)を立てるのが精一杯なほど狭い土地という意味。 一般的には「立錐の余地もない」と用いる。
柳絮之才(りゅうじょのさい)
文才がある女性のこと。 晋の王凝之の妻の謝道蘊が、降る雪を白い綿毛がある種子の柳絮にたとえた詩を詠み、文才をたたえられた故事から。
竜象之力(りゅうぞうのちから)
賢者や徳の高い僧侶のたとえ。 水の中の竜や陸の上の象のように、他の生物より飛びぬけた力を持っているという意味から。 仏教語で「竜象」は、素晴らしい能力を持った象という意味から、学識や徳が人並み外れて高い僧侶のこと。
竜蛇之歳(りゅうだのとし)
十二支の辰年と巳年のこと。 または、辰年と巳年は賢者が死ぬ年とされていることから、災いの多い年、凶年のこと。 中国の後漢の学者の鄭玄は、病に伏しているときに夢の中で孔子に会い、「今年は辰年で来年は巳年だ」と言われ、その年のうちに無くなったという故事から。
劉伶之鍤(りゅうれいのすき)
気の向くままに酒を飲んで気ままに生きること。 「鍤」は農具の名前で、田畑を耕すためのもの。 中国の晋の国の劉伶は、鹿が引く車に乗り、酒と鍤を持った従者を常にそばに置き、自分が死んだらその場で鍤を使って穴を掘って埋めてくれと言っていたという故事から。
凌雲之志(りょううんのこころざし)
世俗を超越しようとする気高い志。 または、高い地位に出世することを願う大きな志。 「凌雲」は雲よりも高い所という意味から、世間を超越するという意味。 「陵雲之志」とも書く。
陵雲之志(りょううんのこころざし)
世俗を超越しようとする気高い志。 または、高い地位に出世することを願う大きな志。 「凌雲」は雲よりも高い所という意味から、世間を超越するという意味。 「陵雲之志」とも書く。
燎原之火(りょうげんのひ)
凄まじい勢いがあり、止めることが難しく、ものすごい速さで広がっていく様子のこと。 「燎」は燃やすこと。 野原に火がつくとあっという間に燃え広がり、消火することは、ほぼ出来なくなるということから。
凌霄之志(りょうしょうのこころざし)
世俗を超越しようとする気高い志のこと。 または、高い地位に出世することを願う大きな志のこと。
竜象之力(りょうぞうのちから)
賢者や徳の高い僧侶のたとえ。 水の中の竜や陸の上の象のように、他の生物より飛びぬけた力を持っているという意味から。 仏教語で「竜象」は、素晴らしい能力を持った象という意味から、学識や徳が人並み外れて高い僧侶のこと。
竜蛇之歳(りょうだのとし)
十二支の辰年と巳年のこと。 または、辰年と巳年は賢者が死ぬ年とされていることから、災いの多い年、凶年のこと。 中国の後漢の学者の鄭玄は、病に伏しているときに夢の中で孔子に会い、「今年は辰年で来年は巳年だ」と言われ、その年のうちに無くなったという故事から。
遼東之豕(りょうとうのいのこ)
世間を知らず、経験や知識が少ないために、取るに足りないことで得意になること。 普通の人からすれば日常的なものを、特別なものとして誇らしげに思うことをいう。 「遼東」は中国にある遼河という河の東の地方のこと。 「豕」は豚のこと。 遼東の農家に頭の白い豚が生まれ、農民は特別なものだと思い天子に献上しようとしたが、道中で見かけた豚の群れは皆頭が白く、他の地方ではごく普通のことと知り、自身の無知を恥じて帰ったという故事から。
両刃之剣(りょうばのつるぎ)
役に立つものでも、使い方を間違えると危険をもたらすことのたとえ。または、大きな利益を得る可能性もあるが、大きな被害を受ける可能性もあること。 「両刃」は背と腹の両方に刃がついている剣のことで、使い方を間違えると使用者自身にも危険が及ぶことから。 「諸刃之剣」とも書く。
諸刃之剣(りょうばのつるぎ)
役に立つものでも、使い方を間違えると危険をもたらすことのたとえ。または、大きな利益を得る可能性もあるが、大きな被害を受ける可能性もあること。 「両刃」は背と腹の両方に刃がついている剣のことで、使い方を間違えると使用者自身にも危険が及ぶことから。 「諸刃之剣」とも書く。
驪竜之珠(りりょうのたま)
危険なことをしないと手に入れることができない、非常に価値のある物のたとえ。 または、非常に素晴らしい詩文のこと。 「驪竜」は黒い竜。 黒い竜の顎の下にある宝石という意味から。
臨池之志(りんちのこころざし)
懸命に文字を書く練習をすること。 「臨池」は池の近くのこと。または、書道のこと。 中国の後漢の書家の張芝は、池のほとりで文字を書く練習に励み、池が墨で黒くなったという故事から。
累卵之危(るいらんのあやうき)
「累卵」は積み重ねた卵のことで、卵を積み重ねるとすぐに崩れ落ちることから、非常に危険な状況のたとえ。
累卵之危(るいらんのき)
「累卵」は積み重ねた卵のことで、卵を積み重ねるとすぐに崩れ落ちることから、非常に危険な状況のたとえ。
鴒原之情(れいげんのじょう)
危険や苦労があるときに助け合える兄弟の深い情愛のこと。 「鴒」は兄弟仲がよいされている水鳥の鶺鴒のこと。 「鴒原」は水辺にいるはずの鶺鴒が高原で鳴いているような危険な状況のこと。
連城之璧(れんじょうのへき)
世にも珍しい宝物のこと。 「璧」は宝のこと。 卞和が山中で見つけた宝玉の原石を、レイ王に献じるとただの石と言われ罰として左足を切られ、武王に献じるとただの石と言われ罰として右足を切られた。 その後、悔しさで泣き続ける卞和のことを聞いた文王が使者にその原石を磨かせると、天下の宝玉だったという故事から。
連理之枝(れんりのえだ)
男女の仲が良く、情愛が深いことのたとえ。 「連理」は別々の木の枝と枝が結合して一体化した枝のこと。
弄瓦之喜(ろうがのよろこび)
女の子が誕生すること。また、そのことへの喜び。 「弄瓦」は糸巻きを玩具にすること。 中国では家事が上手くなるようにと、女の子に玩具として糸巻きを与えたことから。
螻蟻之誠(ろうぎのせい)
螻蛄(けら)や蟻(あり)のような小さな生物のように小さな誠意という意味。 自分の誠意を謙っていう言葉。 「螻蟻」は螻蛄と蟻のこと。
螻蛄之才(ろうこのさい)
様々な技能をもっているが極めている技能がないこと。 または、役に立つ技能が一つとしてないこと。 「螻蛄」はけらのことで、飛ぶ、木に登る、泳ぐ、穴を掘る、走るという五つの能力があるが、どれも極めてはいないことから。
弄璋之喜(ろうしょうのよろこび)
男の子が生まれること。または、生まれた喜び。 「弄」はおもちゃにすること、「璋」は玉のこと。 中国では男の子に玉を玩具として与えて出世を願ったことから。 祝辞として使われる言葉。
老馬之智(ろうばのち)
長い経験によって培われたすぐれた知識や経験のこと。 斉の管仲が戦いの帰りに道に迷い、一度通った道は覚えているという老馬の知恵を頼って放り、その後をついていくと無事に帰ることができたという故事から。
廊廟之器(ろうびょうのうつわ)
政府で政治を行うのに相応しい才能のこと。または、首相や大臣に相応しい才能や、その才能がある人のこと。 「廊廟」は政務をとるための建物。 「器」は才能のこと。
廊廟之器(ろうびょうのき)
政府で政治を行うのに相応しい才能のこと。または、首相や大臣に相応しい才能や、その才能がある人のこと。 「廊廟」は政務をとるための建物。 「器」は才能のこと。
魯魚之謬(ろぎょのあやまり)
「魯」と「魚」の字の形が似ていることから、文字を書き誤ること。
鹿苹之歓(ろくへいのよろこび)
平和な世の中で、客を招待して宴会を開くこと。 「苹」は植物のよもぎのこと。 鹿が鳴き交わして集まり、野原でよもぎを食べる姿にたとえた言葉。
鹿鳴之宴(ろくめいのえん)
客を招待して、もてなす酒宴のこと。または、中国の唐の時代、官吏登用試験に受かって、都に上る時に開いた宴会のこと。 「鹿鳴」は鹿が鳴いて仲間を呼び、野原でよもぎを食べる姿を歌った詩の名前で、客をもてなす宴会のたとえ。 社交場として明治政府が建てた、鹿鳴館の語源とされている。
盧生之夢(ろせいのゆめ)
人の世界での繁栄は儚いということのたとえ。 または、人の人生が儚いことのたとえ。 「盧生」は人の名前。 唐の盧生という人が、旅の途中の邯鄲の町で、道士から出世が叶うという枕を借りて寝ると、出世して財力や権力を手に入れる夢を見た。 目が覚めると、宿の主人に頼んでいた、粟のかゆが出来上がっていないほどのわずかな時間しか過ぎていなかったという故事から。
魯之男子(ろのだんし)
賢人の行動の真似をしても意味はなく、賢人の精神を学ぶことに意味があるということ。 または、男女の間の礼儀や作法を尊重する男性のこと。 または、女性嫌いの男性のこと。 「魯」は周の時代の中国の国の名前。 魯の国で一人で暮らしている男性の隣に住む女性の家が嵐で倒壊してしまい、男性の家に逃げてきたが、男性は「男女が同じ屋根の下にいることは礼節に恥じる」といい門を開けなかった。 女性が「賢者の柳下恵は女性を家に泊めても誰も咎めなかった」と言うと、男性は「自分は柳下恵には遠く及ばなく、その人格を学びたい」と言い、結局家に入れなかったという故事から。