「せ」から始まる四字熟語
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青鞋布韈(せいあいふべつ)
旅をするときに着る服装のこと。 「青鞋」はわらじ。 「布韈」は脛を保護するために巻く布製の脚半のこと。 「布韈青鞋」ともいう。
井蛙之見(せいあのけん)
広い世間を知らず、自分だけの狭い見識にとらわれていること。井の中の蛙大海を知らずと同じ意味。
誠意誠心(せいいせいしん)
損得を考えず人に尽くそうとする純粋な気持ちのこと。 または、そのような気持ちを持って人に接すること。 「誠意誠心」ともいう。
晴雲秋月(せいうんしゅうげつ)
純真で汚れがなく透き通っている心のたとえ。 「晴雲」は晴れた空に浮かんでいる雲のこと。 「秋月」は秋の澄んでいる空にある月のこと。
青雲之志(せいうんのこころざし)
立身出世するために功名を得ようとする心。または、立派な人物になるために徳を磨こうとする志。 「青雲」は雲の上にある青空のことで、高位や高官、学問や道徳を修めた立派な人物という意味。
青雲之士(せいうんのし)
高い地位に上り高位高官になった人。または世に名前が知れ渡っている人物。 「青雲」は雲の上にある青空のことで、高位や高官、学問や道徳を修めた立派な人物という意味。
精衛塡海(せいえいてんかい)
実現不可能な計画を立てて失敗し、無駄な努力となること。 または、いつまでたっても悔やんでいること。 「精衛」は伝説上の小鳥の名前。 「塡海」は海を埋めること。 伝説上の皇帝炎帝の娘である女娃は東海で溺れ死んだ。 女娃は伝説上の小鳥「精衛」に化身し、自身の死んだ東海を小石や小枝などで埋めようとしたが、失敗に終わったという故事から。
精衛填海(せいえいてんかい)
実現不可能な計画を立てて失敗し、無駄な努力となること。 または、いつまでたっても悔やんでいること。 「精衛」は伝説上の小鳥の名前。 「塡海」は海を埋めること。 伝説上の皇帝炎帝の娘である女娃は東海で溺れ死んだ。 女娃は伝説上の小鳥「精衛」に化身し、自身の死んだ東海を小石や小枝などで埋めようとしたが、失敗に終わったという故事から。
清音幽韻(せいおんゆういん)
他のものよりも優れている文章のたとえ。 「清音」は濁りがなく澄んでいる音声。 「幽韻」は言葉にできないほど奥深い味わいがあること。 北宋の王安石が欧陽脩の文を評価した時の言葉。
青蓋黄旗(せいがいこうき)
天子が出現する吉兆、めでたい前兆のこと。 「青蓋」は青い日よけのつけた車で青蓋車。 「黄旗」は黄色い旗のことで、どちらも天子の用いる物。 気が集まって青蓋車や黄旗の形で天に現れるといわれている。
星河一天(せいがいってん)
空一杯に、数え切れないほどの星が川のように輝いて見える様子。 「星河」は天の川のこと。 「一天」は空全体という意味。
臍下丹田(せいかたんでん)
漢方医学で気を集中して力を込めると健康を保ち、元気や勇気が沸くとされているへそから三寸ほど下あたりのこと。 「丹田」はその箇所の名前。
西河之痛(せいかのいたみ)
自身の子供が死んで、ひどく悲しむことのたとえ。 中国の春秋時代、孔子の弟子の子夏は、西河で教えを説いている時に自身の子供が死んだことを聞き、悲しみのあまり失明してしまったという故事から。
西河之痛(せいかのつう)
自身の子供が死んで、ひどく悲しむことのたとえ。 中国の春秋時代、孔子の弟子の子夏は、西河で教えを説いている時に自身の子供が死んだことを聞き、悲しみのあまり失明してしまったという故事から。
成家立業(せいかりつぎょう)
家庭を築き、安定した仕事や事業を通じて生計を立てること。 「家(いえ)を成(な)し業(ぎょう)を立(た)つ」とも読む。
星火燎原(せいかりょうげん)
最初は小さい力のものが、成長して強大になり手に負えなくなること。 「星火」は星の光のように小さなもの。 「燎原」は広野を焼き払うこと。 反乱や一揆が次第に大きくなっていき、防げなくなることをたとえたもの。
擠陥讒誣(せいかんざんぶ)
悪意を持って、無実の罪で相手を非難して追い込むこと。 「擠陥」は悪意を持って罪に陥れること。 「讒誣」は罪をでっち上げて、その罪で非難すること。
誠歓誠喜(せいかんせいき)
この上なく喜ばしいという意味。 臣下が天子に書を奉る時に用いる言葉で、「歓喜」に「誠」を重ねて至上の喜びを表現した言葉。
旌旗巻舒(せいきけんじょ)
戦いが何度も続いて起こることのたとえ。 「旌」と「旗」はどちらも旗、「巻」は巻く、「舒」は広げるという意味で、軍旗を巻いたり、広げたりするということから、戦いに明け暮れるというたとえ。
生寄死帰(せいきしき)
人が生きているということは仮にこの世に身を寄せているだけで、死は自分の家に帰るかのように本来いるべき場所に帰ることだという意味。 「生は寄(き)なり死は帰(き)なり」とも読む。
旌旗堂堂(せいきどうどう)
軍隊が整然と整い、威厳や勢いがある様子。 「旌旗」は、軍隊の目印として掲げる旗。
生気溌溂(せいきはつらつ)
生き生きと元気に満ち溢れている様子。 「生気」は元気や活力のこと。 「溌溂」は動作や表情が元気に溢れている様子。
旌旗蔽空(せいきへいくう)
軍旗や旗さしものが空を覆うほどに多数立ち並ぶさま。 主に軍隊や艦隊の陣容が非常に盛んなことを表す言葉。
政教一致(せいきょういっち)
政治と宗教が一体となっていること。 国家制度の一つ。
誠恐誠惶(せいきょうせいこう)
誠におそれてかしこまるという意味。 臣下が天子に自分の意見を述べる時に用いる言葉。 「誠惶」は心の底からおそれかしこまることで、それを強調して丁重にいう表現。
政教分離(せいきょうぶんり)
政治と宗教が干渉することなく、また互いに利益を与えてはならないとするもののこと。 国家が宗教に干渉されること、反対に国家によって宗教や信仰の自由が妨げられることのないようにするもの。 国家制度の一つ。
精金良玉(せいきんりょうぎょく)
穏やかで純真な性格のたとえ。 「精金」は不純物のない純粋な金属。 「良玉」は美しい宝玉のこと。 北宋の程頤が、兄の程顥の人柄を評して言ったとされる言葉。 「良玉精金」ともいう。
斉駆並駕(せいくへいが)
能力や実力、地位などに差がないこと。 「駕」は馬車や乗り物のこと。 「斉駆」はそろって走らせること。 一台の馬車を数頭の馬で引っ張り疾駆することで、ともに肩を並べて進み、力に差が無いことのたとえ。 「斉駆並駕」「並駆斉駕」ともいう。
聖経賢伝(せいけいけんでん)
聖人が作った書物と、それをもとに賢者が注釈や解説を加えた書物の総称。
勢傾天下(せいけいてんか)
天下の勢力が極めて強大であるさま。
晴好雨奇(せいこううき)
晴れでも雨でも美しい景色のこと。 山水の景色は、雨の日は趣きがあり、晴れた日は美しく、どちらも見事であるという意味。 「晴好雨奇」ともいう。
晴耕雨読(せいこううどく)
田園で心静かにのんびりと気ままな生活をすること。 晴れた日は畑を耕して、雨の日は屋内にこもって本を読むという意味から。
性行淑均(せいこうしゅくきん)
性質や行動が素直で公平なこと。 「性行」は性質と行動。 「淑均」は素直で物事を全て同等に扱うこと。
誠惶誠恐(せいこうせいきょう)
誠におそれてかしこまるという意味。 臣下が天子に自分の意見を述べる時に用いる言葉。 「誠惶」は心の底からおそれかしこまることで、それを強調して丁重にいう表現。
清光素色(せいこうそしょく)
月の澄んだ白い光のこと。 「清光」は清らかな光ということから、月の光のこと。 「素色」は白い色。 夜に月が美しく輝いていることをいう言葉。
成効卓著(せいこうたくちょ)
成績や結果が非常に素晴らしいこと。 「成効」は成績や結果。 「卓」はすぐれていること。 「著」は目立っているという意味。
青黄不接(せいこうふせつ)
前年の穀物が消費し尽くされたのに、新しい穀物の苗がまだ育っていない端境期(はざかいき)のこと。 また、次世代を担う人材が十分に育たず、世代交代が途切れている状態のたとえ。 「青」は今年に植えた穀物の苗のこと。 「黄」は昨年に収穫された穀物のこと。
清光溶溶(せいこうようよう)
水が広がるように、月の澄んだ光が周囲を照らしている様子。 「清光」は月の澄んだ光。 「溶溶」は水がゆっくり流れる様子。
清光溶々(せいこうようよう)
水が広がるように、月の澄んだ光が周囲を照らしている様子。 「清光」は月の澄んだ光。 「溶溶」は水がゆっくり流れる様子。
政在選賢(せいざいせんけん)
優れた政治を行うには、賢明な人材を見極め、起用することが最も大切であるとする考え。 「政(まつりごと)は賢(けん)を選(えら)ぶに在(あ)り」とも読む。
生殺与奪(せいさつよだつ)
他人を好きなように支配すること。 絶対的な権力のことで、生かすも殺すも与えるも奪うも好きなようにできるという意味。
青山一髪(せいざんいっぱつ)
遠く離れたところにある山が見える様子。 または、水平線を言い表す言葉。 髪の毛一本に見えるように、遠くはなれた山と地平線が重なって見えるということから。
青史汗簡(せいしかんかん)
歴史書のこと。 「青史」は歴史。 「汗簡」は文書や書籍のこと。 紙ができる前の古代中国では、青竹を火であぶり、汗のように出る油を取り除いたものに文字を書いていたことから。
噬指棄薪(ぜいしきしん)
母と子の気持ちがお互いに通じることのたとえ。 「噬指」は指を噛む。 「棄薪」は薪(たきぎ)を捨てるという意味。 後漢の蔡順が薪を採りに行っている間に来客があって、母が困って自分の指を噛むと、その気持ちが通じ、蔡順が薪を捨てて帰ってきたという故事から。
生死肉骨(せいしにくこつ)
どうすることもできない苦しい状況の者を救うこと。 または、そのような状況から救ってもらった大恩のこと。 骨に肉をつけて死んだ人を生き返らせるという意味から。
斉紫敗素(せいしはいそ)
賢い人が行動して災いを福にかえるように、失敗を成功にかえることのたとえ。 「斉紫」は斉の国の特産品の紫色に染めた絹地。 「敗素」は質の悪い白絹のこと。 質の悪い白絹でも紫色に染めることで高く売ることができるということから。
成事不説(せいじふせつ)
過去の出来事について、あれこれ言わないこと。 「成事」は過去の出来事。 「説」は議論すること。 孔子が弟子の宰我の失言について諭した言葉。 「成事(せいじ)は説かず」とも読む。
西施捧心(せいしほうしん)
同じ行動でも、人物や状況の違いによって善悪の差が生じること。 または、病気に苦しむ美しい女性の様子のこと。 「西施」は越の有名な美女の名前。 病を患った西施は、眉をひそめながら痛む胸をおさえて歩くことが多かったが、多くの人がその姿を美しいと見惚れた。 その様子を見ていた村の醜い女性が、真似をして同じように歩くと、皆が逃げ出したという故事から。
正邪曲直(せいじゃきょくちょく)
正しいことと、正しくないこと。 「正邪」と「曲直」はどちらも、正しいことと正しくないこと。 似た意味の語を重ねて強調した言葉。 「曲直正邪」ともいう。
静寂閑雅(せいじゃくかんが)
ひっそりと静かで風情のある景色や雰囲気のこと。 「静寂」は静かな様子。 「閑雅」は静かで趣のあること。
西戎東夷(せいじゅうとうい)
西方と東方の異民族の蔑称。 または、漢民族からみて異民族の蔑称。 「西戎」は西方の異民族のこと。 「東夷」は東方の異民族のこと。 「東夷西戎」ともいう。
西狩獲麟(せいしゅかくりん)
文章を書くことを止めること。絶筆すること。 または、物事の終わりという意味。 または、狩りに行って麒麟を捕らえたという故事。 「麟」は太平の世で、天子の出現に応じて現れるとされる麒麟という聖獣のこと。 乱世の世に西の方で捕らえられ、神聖なはずの麒麟を人々は不気味だと恐れたのを見て、孔子は今まで自分がやってきたのは何だったのかと思い、『春秋』を最後に筆を置いたとされる故事から。
清浄潔白(せいじょうけっぱく)
行動や心が清らかで、うしろめたいことがないこと。 「清浄」は汚れがなく、清らかなこと。 「潔白」は清らかで後ろめたいことがないこと。
清浄無垢(せいじょうむく)
汚れのない清らかな様子。 仏教では、煩悩がなく澄んでいる心のこと。 「無垢」は汚れのないという意味。 「清浄」は「しょうじょう」とも読む。 「無垢清浄」ともいう。
青松落色(せいしょうらくしょく)
交友関係が途切れそうになることのたとえ。 「青松」は常緑樹の松のこと。 「落色」は色が落ちること。 常緑樹の松が色あせるという意味から。
盛粧麗服(せいしょうれいふく)
美しく着飾ること。 「盛粧」はしっかりと化粧をすること。 「麗服」は美しい衣服を着ること。 十分に化粧をして、美しい服を着るという意味から。
精神一到(せいしんいっとう)
精神を集中して事にあたれば、どんなことでも必ず成し遂げることができるということ。 「一到」は集中すること。
精神鬱怏(せいしんうつおう)
気分が晴れず、落ち込んでいる様子。 「鬱怏」は気持ちが落ち込んでいて、すっきりしない様子。
聖人君子(せいじんくんし)
人格、知識ともにすぐれている素晴らしい人物のこと。 「聖人」は最高の人格者のこと。 「君子」は学問や人格にすぐれている徳の高い人のこと。
誠心誠意(せいしんせいい)
損得を考えず人に尽くそうとする純粋な気持ちのこと。 または、そのような気持ちを持って人に接すること。 「誠意誠心」ともいう。
精神統一(せいしんとういつ)
他のことに気を散らさずに、心を一つにして集中すること。 目的を達成するために他のことに気を散らさず、そのことだけに集中する心の持ち方のこと。
聖人無夢(せいじんむむ)
徳を積んだ聖人は、悩むことや心を乱すことがないので、夢をみることがないということ。 「聖人に夢無し」とも読む。
盛衰栄枯(せいすいえいこ)
栄えたり衰えたりすること。 または、繁栄しても衰退する人の世界の儚さのこと。 「栄枯」は草木が茂ったり枯れたりすること。 「盛衰」は盛んなことと衰えること。 「盛衰栄枯」ともいう。
盛衰興亡(せいすいこうぼう)
栄えることと、衰えること。 または、栄えたり衰えたりすること。 「盛衰」は繁栄と衰退。 「興亡」は国などが興ることと、滅亡すること。
凄凄切切(せいせいせつせつ)
非常にさびしい様子のこと。 「凄切」はさびしいことで、重ねて強調した言葉。
凄々切々(せいせいせつせつ)
非常にさびしい様子のこと。 「凄切」はさびしいことで、重ねて強調した言葉。
成性存存(せいせいそんそん)
天から与えられた、生まれ持った本性を大切にして、それを生かして目的を果たしたり、生命を全うすること。 「存存」は本性を保存して、保ち続けること。 「性を成し存(そん)を存(そん)す」とも読む。
成性存々(せいせいそんそん)
天から与えられた、生まれ持った本性を大切にして、それを生かして目的を果たしたり、生命を全うすること。 「存存」は本性を保存して、保ち続けること。 「性を成し存(そん)を存(そん)す」とも読む。
清聖濁賢(せいせいだくけん)
酒の異名。 「聖」は聖人、「賢」は賢者のことで、曹操が禁酒令を出したときに、清酒のことを聖人とよび、濁り酒のことを賢人とよんで、見つからないように飲んでいたという故事から。
済済多士(せいせいたし)
優れた能力や才能のある人物がたくさんいること。また、その様子。 「多士」は優れた才能や能力を持っている多くの人たちのこと。 「済済」は数が多くて盛んな様子や、立ち振る舞いの礼儀作法が整っていて立派なこと。 「済」を「さい」と読むことは本来は誤用。 「済済多士」ともいう。
済々多士(せいせいたし)
優れた能力や才能のある人物がたくさんいること。また、その様子。 「多士」は優れた才能や能力を持っている多くの人たちのこと。 「済済」は数が多くて盛んな様子や、立ち振る舞いの礼儀作法が整っていて立派なこと。 「済」を「さい」と読むことは本来は誤用。 「済済多士」ともいう。
正正堂堂(せいせいどうどう)
非難する点のない素晴らしい手段や態度のこと。 または、軍隊の士気が高く、陣形が整っている様子。 「正正」は軍旗が整然と並んでいること。 「堂堂」は陣形が整っていて士気が高いこと。 「正正の旗、堂堂の陣」を略したもの。 「正々堂々」とも書く。
正々堂々(せいせいどうどう)
非難する点のない素晴らしい手段や態度のこと。 または、軍隊の士気が高く、陣形が整っている様子。 「正正」は軍旗が整然と並んでいること。 「堂堂」は陣形が整っていて士気が高いこと。 「正正の旗、堂堂の陣」を略したもの。 「正々堂々」とも書く。
生生流転(せいせいるてん)
世の中の全ての物は、次々と生まれては時間の経過とともにいつまでも変化し続けていくという意味。 「生生」は次から次へと生まれていくこと。 「流転」は時間とともに常に変化し続けること。
生々流転(せいせいるてん)
世の中の全ての物は、次々と生まれては時間の経過とともにいつまでも変化し続けていくという意味。 「生生」は次から次へと生まれていくこと。 「流転」は時間とともに常に変化し続けること。
清絶高妙(せいぜつこうみょう)
汚れが無く、すぐれている様子。 「清絶」はこの上なく清らかなこと。 「高妙」はすぐれていて立派なこと。
井渫不食(せいせつふしょく)
すぐれた才能をもつ人物が登用されずにいることのたとえ。 「井渫」の「渫」は水の底にあるごみを取り除くという意味から、「井渫」はきれいな井戸水のこと。 「不食」は飲むためには用いないこと。 ごみなどのないきれいな井戸水があるのに、飲むための水として用いないという意味から。 「井(せい)渫(さら)えども食らわれず」とも読む。
清絶幽絶(せいぜつゆうぜつ)
人里から離れて暮らし、とても清らかで静かな様子。 「清絶」は非常に清らかなこと。 「幽絶」は静かで、人里から遠く離れていること。または、そのような場所のこと。
青銭万選(せいせんばんせん)
非常にすばらしい文章のたとえ。 「青銭」は青銅の銭。 「万選」は何度も選びなおすこと。 青銅の銭は非常に質がよく、他の質の悪い銭の中に混ぜても、一万回でも間違えることなく、青銅の銭を選び出すことが出来るという意味から。 中国の官吏の試験の科挙を何度受けなおしても合格する、素晴らしい文章のことをいう。 唐の張サクの文章が素晴らしく、「青銭学士」と称されたという故事から。
清窓浄机(せいそうじょうき)
明るくて綺麗で集中して勉強できる書斎のこと。 明るい日の光が入る窓と塵一つ無い清潔に保たれている机という意味から。
悽愴流涕(せいそうりゅうてい)
痛々しいほどに悲しみ、涙を流す様子。 「悽愴」は見ていられないほど悲しむこと。 「流涕」は涙を流すこと。 「凄愴流涕」とも、「淒愴流涕」とも書く。
凄愴流涕(せいそうりゅうてい)
痛々しいほどに悲しみ、涙を流す様子。 「悽愴」は見ていられないほど悲しむこと。 「流涕」は涙を流すこと。 「凄愴流涕」とも、「淒愴流涕」とも書く。
淒愴流涕(せいそうりゅうてい)
痛々しいほどに悲しみ、涙を流す様子。 「悽愴」は見ていられないほど悲しむこと。 「流涕」は涙を流すこと。 「凄愴流涕」とも、「淒愴流涕」とも書く。
盛粧麗服(せいそうれいふく)
美しく着飾ること。 「盛粧」はしっかりと化粧をすること。 「麗服」は美しい衣服を着ること。 十分に化粧をして、美しい服を着るという意味から。
生存競争(せいぞんきょうそう)
生き残るために避けることのできない争い。 ダーウィンの進化論の中心概念。
青苔黄葉(せいたいこうよう)
山と山の間にある家の美しい景色。 「青苔」は青い色のこけ。 「黄葉」は秋になって、葉の色が黄色に変わった葉のこと。
贅沢三昧(ぜいたくざんまい)
金や物を思うままに好きなだけ使うこと。 「贅沢」は必要以上の無駄な費用を使うこと。 「三昧」は夢中になって、ほかの事を蔑ろにするという意味。
清濁併呑(せいだくへいどん)
善も悪も全て受け入れること。 人としての器が大きく、どんなことでも受け入れること。 「清濁」は清らかなものと濁っているもののことで、善と悪や、賢者と愚者などのたとえ。 清らかなものも濁っているものも全てを飲み込むという意味から。 「清濁併せ呑む」という形で用いることが多い言葉。
清淡寡慾(せいたんかよく)
物事に執着せず、清らかで無欲な様子。 「清淡」は清らかで、無欲なこと。 「寡慾」は欲望が少ないこと。 「清淡寡欲」とも書く。
清淡寡欲(せいたんかよく)
物事に執着せず、清らかで無欲な様子。 「清淡」は清らかで、無欲なこと。 「寡慾」は欲望が少ないこと。 「清淡寡欲」とも書く。
清淡虚無(せいたんきょむ)
静かで落ち着いて、わだかまりなどがなにもなく、欲の少ない心。 「清淡」は心が清らかでさっぱりしていること。 「虚無」は何もない状態ということから、物欲がないという意味。
生知安行(せいちあんこう)
生まれた時から人としての正しい道を知っていて、苦労することなく実際に行うこと。 「安行」は悩むことなく行うこと。 努力することなく人の道を知り、それを行うことが出来るという意味から。 「学知利行」、「困知勉行」とともに、人の道を修養する三つの段階のことをいう。
精忠無比(せいちゅうむひ)
比較することが出来ないほどの純粋な忠義心。 「精忠」は純粋な君主への忠義心。
井底之蛙(せいていのあ)
広い世間を知らず、自分だけの狭い見識にとらわれていること。 「井の中の蛙大海を知らず」と同じ意味。
青天霹靂(せいてんのへきれき)
全く予想すらしていなかった急な出来事。大変動。 「霹靂」は急に激しい雷鳴が鳴り響くこと。 よく晴れた青空に、前触れもなく雷鳴が轟くという意味から。 元は、筆勢に躍動感があって、のびのびとしている様子を言い表す言葉。
青天白日(せいてんはくじつ)
雲一つない晴れ渡った青空と輝く太陽のこと。 転じて、やましいことが一切ないことのたとえ。 または、無実が明らかになり、疑いが晴れることのたとえ。 「青天」は晴れ渡った青空のこと。 「白日」は明るく輝く太陽のこと。 「白日青天」ともいう。
正当防衛(せいとうぼうえい)
他人からの不当な暴力行為から身を守る権利。 法律用語で、暴力行為を受けた時に、自身または他人を守るために、仕方なく行使する加害行為のことで、その行為の責任は問われない。
斉東野語(せいとうやご)
根拠がなく信じるに値しない言葉や、下品で愚かな言葉。 「斉東」は中国の戦国時代の斉の国の東部。 「野語」は下品で田舎びている言葉。 斉の国の東部に住んでいる田舎者の言葉という意味から。 「斉東野人の語」を略した言葉。
斉東野人(せいとうやじん)
下品な田舎者。 田舎で生まれ育った愚かな人のたとえ。 「斉東」は中国の戦国時代の斉の国の東部。 「野人」は田舎で生まれ育った、品のない人。
盛徳大業(せいとくたいぎょう)
大きくすぐれた徳と大きな事業。 「盛徳」はすぐれた高い徳。 「大業」は社会的に価値や重要性がある大きな仕事。 大きな徳があり、すぐれた人格のある君子が目標とするもののこと。
聖読庸行(せいどくようこう)
聖人が作った素晴らしい本を読んでも、行動すると普通の人と変わらないこと。 「聖読」は聖人の作った素晴らしい本を読むこと。 「庸行」は特にすぐれていない、普通の行動。 「聖読(せいどく)して庸行(ようこう)す」とも読む。
生呑活剥(せいどんかっぱく)
人が作った詩や文章を盗んで、そのまま使うこと。 または、他人から聞いた考えや意見を理解せずにそのまま受け入れて、自分の考えや意見であるかのように言うこと。 「生呑」は生きたまま丸ごと飲み込むこと。 「活剥」は生きたまま皮を剥ぐこと。 「活剥生呑」ともいう。
萋斐貝錦(せいひばいきん)
小さな失敗を誇張して言ったり、実際には無いことを事実であるかのように言って、他人を罪に陥れること。 「萋斐」はあや模様の美しい様子。 「貝錦」は貝殻のような美しい模様をしている錦。 言葉を美しく飾り立てて、人を陥れるという意味から。
精疲力尽(せいひりきじん)
酷く疲れて弱ること。 「精(せい)疲れ力(ちから)尽く」とも読む。
凄風苦雨(せいふうくう)
冷たい強風と長く降り続く雨のこと。 「苦雨」は何日も降り続いている雨。 「凄風」は冷たく激しい風。 「苦雨凄風」ともいう。
清風故人(せいふうこじん)
季節が秋に変わって、秋のさわやかな風が吹いてくるのは、昔からの友人が久しぶり訪ねてきたかのようだということ。 「故人」は昔からの友人。 「清風故人来る」を略した言葉。
清風明月(せいふうめいげつ)
明るく澄んだ月とすがすがしい風が心地よい静かな夜の様子。 または、風雅な遊びや自然を堪能すること。 「清風」はすがすがしい風のこと。 「明月」は明るく澄んだ月のこと。
声聞過情(せいぶんかじょう)
実際の能力よりも評判が高いこと。 「声聞」はよい評判のこと。 「声聞情に過ぐ」とも読み、この形で使うことが多い言葉。
精明強幹(せいめいきょうかん)
物事に精通していて、仕事を成し遂げる能力が高いこと。 「精明」は物事に精通していること。 「強幹」は物事を成し遂げる能力が高いこと。
声名狼藉(せいめいろうぜき)
よい評判がなくなって、評判を元に戻すことができないこと。 「声名」はよい評判。 「狼藉」は散らかっていて、取りまとめることができないこと。 悪名が広がりすぎて、どうにもならない状況をいう言葉。
生滅遷流(せいめつせんりゅう)
この世で生きている全てのものが、生き死にを常に繰り返しているということ。 「生滅」は生まれることと死ぬこと。 「遷流」は常に移り変わり、停滞することがないこと。
清籟蕭蕭(せいらいしょうしょう)
清らかで寂しい感じのする音声を言い表す言葉。 「清籟」は清らかな音声。 「蕭蕭」は寂しい感じのする音声。 雨風や馬の高い鳴き声、落ち葉などの物寂しい音声を言い表す言葉。
清籟蕭々(せいらいしょうしょう)
清らかで寂しい感じのする音声を言い表す言葉。 「清籟」は清らかな音声。 「蕭蕭」は寂しい感じのする音声。 雨風や馬の高い鳴き声、落ち葉などの物寂しい音声を言い表す言葉。
星羅雲布(せいらうんぷ)
たくさんのものが連なっている様子のたとえ。 「星羅」は星のように連なっていること。 「雲布」は雲のように広い範囲に敷き詰めること。 元は軍隊の陣形が大きく華々しいことを言い表す言葉。 「星(ほし)のごとく羅(つら)なり雲(くも)のごとく布(し)く」とも読む。
青藍氷水(せいらんひょうすい)
教えを受けた弟子が師匠を超えることのたとえ。 「青藍」は藍の葉を原料に青い染料を作るが、布を染めるとさらに鮮やかな青い色になるということ。 「氷水」は氷の原料は水だが、水よりも温度が低いということ。
星離雨散(せいりうさん)
集まっていたものが、素早く散らばること。 星のように離れて、雨のように散らばるという意味から。
生離死別(せいりしべつ)
非常に辛い別れのこと。 生き別れと死に別れということから。 「生きて離れ死んで別れる」とも読む。
整理整頓(せいりせいとん)
必要の無いものを捨てて、乱れているものを整えて、綺麗に片付けること。 「整理」は乱れているものを整えること。または、いらないものを捨てること。 「整頓」は整った状態にすること。 似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。
精力絶倫(せいりょくぜつりん)
心と体に元気が満ち溢れ、並外れてすぐれていること。 「精力」は心身の能力のことで、男性の性的能力をいうことが多い言葉。 「絶倫」は普通よりも非常にすぐれていること。
勢力伯仲(せいりょくはくちゅう)
能力が拮抗していて、優劣をつけるのが難しいこと。 「伯」は長男、「仲」は次男のことで、「伯仲」はよく似ていて、力がほぼ同じであることのたとえ。
精励恪勤(せいれいかっきん)
全力を尽くして仕事や勉学に励むこと。 「精励」は全力で物事を行うこと。 「恪勤」は真剣に物事を行うこと。 「恪勤精励」ともいう。
精励刻苦(せいれいこっく)
苦労しながらも、全力で仕事や勉強をすること。 「精励」は仕事や勉強をひたすら頑張ること。 「刻苦」は自分の身を刻むような苦労をすること。 「刻苦精励」ともいう。
清廉潔白(せいれんけっぱく)
心が清らかで、良心に恥じるようなことがまったくないこと。 「清廉」は清く正しいこと。 「潔白」は心や行いにやましいことや汚れがないこと。
世運隆替(せうんりゅうたい)
世の中の情勢が、時代の流れと共に盛んになったり、衰えたりすること。 「世運」は世の中の流れ、時代のなりゆき。 「隆替」は勢いがよくなったり、弱くなったりすること。
世外桃源(せがいとうげん)
この世とは違う別の平和な世界。理想郷。 「世外」はこの世ではない別の世界のこと。 「桃源」は「桃源郷」を略した言葉で、別の世界にある平和で穏やかな世界をいう。 とある漁師が川をさかのぼって森の奥に進むと洞穴があり、その洞穴を抜けると、そこには桃の花が咲き乱れる美しい地があり、秦の乱から逃れてきた者たちが平和に暮らす理想郷を見つけたという故事から。
是耶非耶(ぜかひか)
物事の善か悪かの判断に迷うこと。 疑問や反語という意味の助字の「耶」という文字を、物事の善か悪かをいう「是非」に付け足した言葉。 「所謂天道是耶非耶」という出典の一節で、善人が苦しみ、悪人が横行するという例は多くあり、天の定める道は正しいのかどうか迷うということから。
積悪余殃(せきあくのよおう)
積み重ねた悪事の報いの災いが子孫にまで及ぶこと。 「積悪」はたくさん悪いことをすること。 「余殃」は悪事の報いが本人だけでなく、その子孫にまで及ぶこと。 「積悪の家には必ず余殃有り」という言葉を略した言葉。
尺蚓穿堤(せきいんせんてい)
小さなことが原因となり、大きな災難が発生すること。 「尺蚓」は小さなみみず。 「穿堤」は堤防に穴をあけること。 小さなみみずが堤防に穴をあけたことが原因になり、そこから堤防が決壊して一つの村が水に浸かるということから。 「尺蚓(せきいん)堤(つつみ)を穿(うが)つ」とも読む。
積羽沈舟(せきうちんしゅう)
小さなものでも、数がたくさん集まれば大きな力になるということのたとえ。 軽い羽毛でもたくさん集まれば、舟を沈めるほどの重さになるという意味から。 「積羽(せきう)舟(ふね)を沈む」とも読む。
碩学大儒(せきがくたいじゅ)
様々な学問を深く習得した学者。 または、学問の道を極めつくした大学者のこと。 「碩学」は学問を深く習得していること。 「大儒」は大学者や儒学者のこと。
惜玉憐香(せきぎょくれんこう)
女性をとても大切に愛でること。 「憐」と「惜」は大切にするという意味。 「香」や「玉」は女性のたとえ。 「惜玉憐香」ともいう。
跖狗吠尭(せきくはいぎょう)
善悪とは関係なく、自分の主人に忠義を尽くすものだということ。 「跖」は中国の春秋時代の盗賊の盗跖のこと。 「狗」は動物の犬。 「尭」は中国の古代の聖天子の尭帝のこと。 盗跖の飼っている犬が尭帝に吠えかかるという意味から。 「跖(せき)の狗(いぬ)尭(ぎょう)に吠(ほ)ゆ」とも読む。
赤口毒舌(せきこうどくぜつ)
激しく非難して、相手を傷つける言葉のこと。 「赤口」は悪口や、他者を傷つけることを言う人の口のこと。 「毒舌」は厳しい皮肉や、悪口のこと。
積厚流光(せきこうりゅうこう)
蓄積したものが多ければ多いほど、その恩恵は大きいということ。 または、先祖の功績が大きければ、子孫にも恩恵が及ぶということ。 「積厚」は厚く積み重ねること。 「流光」は広く恩恵が及ぶこと。
尺山寸水(せきざんすんすい)
高い山の上から見下ろした景色。 「尺」と「寸」はどちらも長さの単位で、どちらも短い長さのたとえ。 上から見た他の山や川が小さく見えるということから。
隻紙断絹(せきしだんけん)
文字が書かれている布や紙の切れ端。 「隻紙」は紙の切れ端。 「断絹」は布の切れ端。 貴重な文字が書かれている紙や布の切れ端のことをいう。
積日累久(せきじつるいきゅう)
役人などが功績や功労を長い期間積み重ねること。 「積日」は日数を重ねること。 「累久」はいつまでも続くこと。 官吏の昇格について、才能や能力ではなく、年数による功績や功労だけで昇格させると、才能や能力がある人が育たないと、中国の前漢の董仲舒が武帝に上申した故事から。
尺二秀才(せきじのしゅうさい)
世間で認められていない文字を書く人を非難する言葉。 または、品の無い秀才のこと。 「秀才」は中国の官吏登用試験の科挙を受ける権利を持っている人のこと。または、科挙の試験科目の一つ。 科挙の試験で、「盡」の文字を俗字の「尽」と書いた人を、試験官だった楊万里は、尽の文字を「尺」と「二」に分解して、尺二の受験生と言い、合格させなかったという故事から。
碩師名人(せきしめいじん)
すぐれた功績のある学者や、高い名声のある人。 または、徳の高い人や、人望のあつい人。 「碩師」は大学者。 「名人」は高い名声のある人。
赤手空拳(せきしゅくうけん)
誰から手を借りることなく、自分の力だけで物事を行うこと。 武器を持たずに、素手で敵に向かっていくという意味から。 「赤手」は素手。 「空拳」は手に何も持たない拳だけのこと。
赤縄繋足(せきじょうけいそく)
結婚する準備が整うこと。 または、結婚すること。 赤い紐で足首を縛るという意味から。 中国の唐の韋固は、旅先で不思議な老人に出会い、老人のそばにあった袋の赤いひもについて聞くと、天に選ばれた夫婦となるべき人同士の足首にひもで縛れば、憎い仇同士でも夫婦になると言ったという故事から。 「赤縄(せきじょう)足を繋(つな)ぐ」とも読む。
石上樹下(せきじょうじゅげ)
出家して行脚している人の境遇のたとえ。 行脚している僧は木の下や石の上を宿にして生活するという意味の仏教の言葉。 「石上樹下」ともいう。
石心鉄腸(せきしんてっちょう)
鉄や石のように固く強い心と意志のこと。 「鉄腸」は鉄のように固い腸。 「石心」は石のように固い心臓。 「腸」と「心」は内臓の腸と心臓のことから、心や意志のたとえ。 「石心鉄腸」ともいう。
積薪之嘆(せきしんのたん)
後から来た人が重用されて、先にいた人が下の立場になって苦労する悩みのこと。 古い薪の上に新しい薪が積み重ねられていき、古い薪は下のままになっているという意味から。 「積薪之歎」とも書く。
積薪之歎(せきしんのたん)
後から来た人が重用されて、先にいた人が下の立場になって苦労する悩みのこと。 古い薪の上に新しい薪が積み重ねられていき、古い薪は下のままになっているという意味から。 「積薪之歎」とも書く。
赤心奉国(せきしんほうこく)
誠意を込めて国のために尽くすこと。 「赤心」は嘘のない本当の心という意味。
積水成淵(せきすいせいえん)
小さいものでも、数が多くなれば大きな力になるということ。 または、努力を積み重ねていけば願いを叶えることが出来るということ。 少しの水も集まれば淵になるという意味から。 「積水(せきすい)淵(ふち)を成す」とも読む。
尺寸之功(せきすんのこう)
ほんの少しの功績。 自身の功績を謙遜していうときに使うこともある言葉。 「尺」と「寸」はどちらも短い長さの単位ということから、ほんの少しということのたとえ。
尺寸之地(せきすんのち)
ほんの少しの土地。 「尺」と「寸」はどちらも短い長さの単位ということから、ほんの少しということのたとえ。
尺寸之柄(せきすんのへい)
ほんの少しの権力のこと。 「尺」と「寸」はどちらも短い長さの単位ということから、ほんの少しということのたとえ。 「柄」は権力のこと。
積善余慶(せきぜんのよけい)
善い行いを何度も行った家は、子孫にもその恩恵があるということ。 「積善」は善い行いを積み重ねること。 「余慶」は子孫にも幸福が及ぶこと。 「積善の家には必ず余慶あり」を略した言葉。
刺草之臣(せきそうのしん)
普通の人々のこと。 「刺草」は草を刈り取ること。 普通の人が、君主に自身のことを謙っていう言葉。 草を刈り取るだけの卑しい者という意味から。
尺沢之鯢(せきたくのげい)
経験が少なく、知識が狭いこと。 または、そのような人のこと。 「尺沢」は小さな池。 「鯢」は山椒魚のこと。 小さな池に住む山椒魚は、その池の中のことしか知らないということから。
尺短寸長(せきたんすんちょう)
どんな人にも長所と短所は必ずあるということ。 「尺」と「寸」はどちらも長さを表す単位。 場合によっては一尺でも短いと感じることもあり、一寸でも長いと思うことがあるという意味から。 「尺も短き所有り、寸も長き所有り」を略した言葉。
積土成山(せきどせいざん)
努力を積み重ねれば、いつか大きなことを成し遂げることができるということ。 少しの土を積んでいけば、いつか山になるという意味から。 「積土(せきど)山を成す」とも、「土を積んで山を成す」とも読む。
責任転嫁(せきにんてんか)
自分が負わなければならない義務や償いを他人に負わせること。 または、自分が失敗したことを人のせいにすること。 「転嫁」は二度目の嫁入りという意味から、他の場所へ移すということ。
石破天驚(せきはてんきょう)
非常に斬新ですぐれている詩文や音楽のこと。 石が破れて、天が驚くほどに素晴らしいという意味から。 「石(いし)破れて天(てん)驚く」とも読む。
赤貧如洗(せきひんじょせん)
ひどく貧しいこと。 「赤」は何もないこと。 水で洗い流した後のように何もないということから。 「赤貧洗うが如し」という形で使うことが多い言葉。
尺幅千里(せきふくせんり)
大きさの小さい絵に広大な風景を描くこと。 詩や絵画などに奥深い世界が描かれていることをいう。 「尺幅」は四方が大きさが一尺あること。 「千里」は非常に遠い距離があること。
尺璧非宝(せきへきひほう)
時間は非常に大切なものであるということのたとえ。 「尺璧」は直径が一尺ほどある宝石。 一尺の直径がある宝石も時間に比べると大した宝物ではないという意味から。 「尺璧(せきへき)宝(たから)に非ず」とも読む。
隻履西帰(せきりせいき)
死んだはずの達磨大師が、片方の草履を手に持って天竺に帰ったという故事のこと。 「隻」は一対のうちの片方のもの。 達磨大師の死後三年たったときに、求法の旅に出ていた宋雲が西から帰る途中で片方の草履を持った達磨大師を見かけた。 その後、達磨大師の棺を開けてみると、片方の草履がなくなっていたという故事から。 「隻履(せきり)西(にし)に帰る」とも読む。
世辞追従(せじついしょう)
相手に気に入られようとして、相手の言うことを何でもきいて、機嫌をとること。 「世辞」は気に入られようとして、機嫌をとること。 「追従」は逆らうことなく、言うとおりに従うこと。
是生滅法(ぜしょうめっぽう)
生きているものは、いずれは確実に死ぬということ。 仏教の言葉で、この世に存在するもので変化しないものはなく、生きているものは確実に滅びるという考え方。
是是非非(ぜぜひひ)
正しいことは正しい、悪いことは悪いと、公正に判断すること。 個人的な感情を交えることなく、公正に判断すること。 「是を是とし、非を非とする、之を智と謂う。是を非とし、非を是とする、之を愚と謂う」という一文を略したもの。 「是々非々」とも書く。
是々非々(ぜぜひひ)
正しいことは正しい、悪いことは悪いと、公正に判断すること。 個人的な感情を交えることなく、公正に判断すること。 「是を是とし、非を非とする、之を智と謂う。是を非とし、非を是とする、之を愚と謂う」という一文を略したもの。 「是々非々」とも書く。
世尊金口(せそんこんく)
釈迦が自ら行う説法のこと。 釈迦が弟子や人々のために、自身で説いた教えや説法をいう。 「世尊」は高貴な人という意味の言葉で、釈迦のことをいう。 「金口」は仏の口のこと。
世代交代(せだいこうたい)
年老いた人が退いて、若い人と代わること。 元は生物学の言葉で、同じ種類の生物が、生殖法の違う世代が交互に現れることをいう。 「世代交替」とも書く。
世代交替(せだいこうたい)
年老いた人が退いて、若い人と代わること。 元は生物学の言葉で、同じ種類の生物が、生殖法の違う世代が交互に現れることをいう。 「世代交替」とも書く。
世態人情(せたいにんじょう)
人間の感情や世の中の状況。 「人情」は人の感情。 「世態」は世の中の状況。 「世態人情」ともいう。
世智弁聡(せちべんそう)
世の中のことを詳しく知っていること。 世の中のことを詳しく知っているために、先入観などから、仏法のありのままを受け入れることができないことをいう。
節哀順変(せつあいじゅんぺん)
悲しみが度を過ぎないように抑えて、時間の経過によって少しずつ和らげていくのがよいということ。 お悔やみの言葉として、中国でよく使われる言葉。 「哀を節するは順いて変ず」とも読む。
雪案蛍窓(せつあんけいそう)
苦労して勉学に励むこと。 蛍の光と雪明かりで勉強するという意味から。 「車胤」と「孫康」という二人の人物の故事から。 晋の車胤は、灯火の油を買うことができないほど貧しかったため、蛍を集めてその光で勉強し、同じように貧しかった孫康は、雪明かりで勉強をしたという二つの故事から。 「雪案蛍窓」ともいう。
節衣縮食(せついしゅくしょく)
節約すること。 衣服や食事の無駄をはぶくということから。 「衣(い)を節し食を縮(ちぢ)む」とも読む。
窃位素餐(せついそさん)
高い地位をもっているだけの無駄飯食い。 または、職務を果たさず、無駄に高い給料を得ていることのたとえ。 「窃位」は才能も人徳もないのに高い地位についていること。 「素餐」は何もせずに食べること。
雪萼霜葩(せつがくそうは)
植物の梅の別名。 「萼」は花のつぼみの外側の部分、がくのこと。 「葩」は花のこと。 雪や霜のように白く、寒さをしのいで花を咲かせるという意味から。
石画之臣(せっかくのしん)
失敗や危険が少ない計画を立てる臣下。 または、壮大な計画を立てる臣下。 「石画」は石のように堅い計画。
石火電光(せっかでんこう)
動きが極めて早いこと。または、ごく短い時間。一瞬。 「電光」は雷の光。 「石火」は火打ち石などを打ち付けたときに出る火花。 どちらも一瞬の光であることから。 「石火電光」ともいう。
折花攀柳(せっかはんりゅう)
色町で遊女や芸者と遊ぶこと。 「折花」は花を手で折って取ること。 「攀柳」は柳の木に登ること。 美しい女性を花にたとえ、色町には多くの柳の木が植えられていたということから。
折檻諫言(せっかんかんげん)
臣下が自身の君主を厳しく諫(いさ)めること。 「折檻」は手すりが折れること。 「諫言」は下の立場の者が、上の立場の者を諫(いさ)める言葉。 中国の前漢の時代の朱雲は、成帝がひいきにしている臣下は奸臣であり、切り捨てるべきだと諫(いさ)めた。 しかし、成帝はそれに怒り、朱雲を処刑するように命じると朱雲はそれに抵抗し、手すりにつかまったまま成帝を諫(いさ)め続けていると、手すりが折れたという故事から。 厳しく戒めるという意味の「折檻」の語源とされている。
絶観忘守(ぜっかんぼうしゅ)
禅宗の言葉で、真理のことを考えることをやめ、正しい実践を超越すること。 「絶観」は真理を追究することをやめること。 「忘守」は正しい実践を忘れること。 悟りを超越した境地をいう言葉。 「観(かん)を絶(た)ち守(しゅ)を忘(わす)る」とも読む。
窃玉偸香(せつぎょくとうこう)
男性が女性に手を出して、男女の肉体関係にふけること。 「玉」と「香」はどちらも女性のたとえ。 「窃」と「偸」はどちらも盗むということ。 「玉(ぎょく)を窃(ぬす)み香(こう)を偸(ぬす)む」とも読む。 「偸香窃玉」ともいう。
雪月風花(せつげつふうか)
四季の季節ごとの美しい自然の風景。 または、それらの風景を鑑賞して、詩歌を作る風流な様子のこと。 冬の雪、秋の月、夏の風(嵐)、春の花ということから。 「風花雪月」ともいう。
接見応対(せっけんおうたい)
実際に顔を合わせて受け答えすること。 または、相手への受け答えのやり方。 「接見」は人と実際に会うことで、特に高い身分の人が、公的に相手を迎えて実際に会うことをいう。
節倹力行(せっけんりっこう)
がんばって節約すること。 「節倹」は節約と倹約のことで、無駄遣いしないこと。 「力行」は努力して物事を行うこと。
節倹力行(せっけんりょっこう)
がんばって節約すること。 「節倹」は節約と倹約のことで、無駄遣いしないこと。 「力行」は努力して物事を行うこと。
絶巧棄利(ぜっこうきり)
人によって作られた便利な機械を捨てて、自然の生活に戻ること。 「絶巧」は人の力で技巧を凝らした道具を捨てること。 「棄利」は人の力で便利に作られた道具を捨てること。 「巧(こう)を絶ち利(り)を棄(す)つ」とも読む。
絶言絶慮(ぜつごんぜつりょ)
仏教の真理というものは、言葉や思考で表現することはできないということ。 「慮」は思考、考えのこと。 「言(げん)を絶し慮(りょ)を絶す」とも読む。
切磋琢磨(せっさたくま)
学問、精神、人格などを努力して磨き上げること。 または、同じ目標を持つ友人同士が競い、励まし合って互いに向上していくこと。 「切磋」と「琢磨」はどちらも学問や精神、人格などを向上させるという意味。 「切磋」の「切」は獣の骨や象牙などを切り出すこと。「磋」はやすりやかんななどで磨き上げること。 「琢磨」の「琢」は槌とのみで宝石や石などの角を削って形を整えること。「磨」は砂と石を使って磨き上げること。 「切瑳琢磨」とも書く。
切瑳琢磨(せっさたくま)
学問、精神、人格などを努力して磨き上げること。 または、同じ目標を持つ友人同士が競い、励まし合って互いに向上していくこと。 「切磋」と「琢磨」はどちらも学問や精神、人格などを向上させるという意味。 「切磋」の「切」は獣の骨や象牙などを切り出すこと。「磋」はやすりやかんななどで磨き上げること。 「琢磨」の「琢」は槌とのみで宝石や石などの角を削って形を整えること。「磨」は砂と石を使って磨き上げること。 「切瑳琢磨」とも書く。
説三道四(せつさんどうし)
根拠のない適当なことをいうこと。 「説」と「道」は言うこと。 三と言ったり四と言ったりするということから。
切歯咬牙(せっしこうが)
歯をくいしばって、歯軋り(はぎしり)をするほどひどく悔しがること。 「咬牙」は歯をかみ締めること。 「切歯」は歯軋りをすること。 「切歯咬牙」ともいう。
切歯痛憤(せっしつうふん)
歯軋りして激しく怒ること。 「切歯」は歯軋りすること。 「痛憤」は激しく怒ること。
截趾適履(せっしてきり)
どうでもいいことに気を取られて、大切なことを忘れること。 または、大切なことと、どうでもいいことを取り違えて、無理に折り合いをつけること。 「截趾」は足のつま先を削ること。 「適履」は履物の大きさが合うこと。 小さな靴を履くために、自分の足を削って大きさを合わせるという意味から。
切歯腐心(せっしふしん)
激しく怒って、思い悩むこと。 「切歯」は歯軋りをするということから、怒った顔のたとえ。 「腐心」は心を悩ますこと。
切歯扼腕(せっしやくわん)
激しく怒って、悔しがる様子のこと。 「切歯」は歯ぎしりをすることや歯を食いしばること。 「扼腕」は自身の片方の腕をもう片方の手で握り締めること。
摂取不捨(せっしゅふしゃ)
この世に生きているもののことを、仏が決して見捨てることなく救うこと。 「摂取」は仏がこの世で生きているものを救うこと。 「不捨」はどんな生き物のことも、仏は決して見捨てないということ。
雪上加霜(せつじょうかそう)
災難や不幸などの悪い出来事が次々と続いて起こることのたとえ。または、迷惑なだけの親切心や行動。 雪の白に霜の白を加えるということから。 禅宗では、余計なお節介のことをいう。 「雪上(せつじょう)に霜(しも)を加(くわ)う」とも読む。
折衝禦侮(せっしょうぎょぶ)
敵の攻撃を防いで、相手を恐れさせること。 「折衝」は攻撃してくる敵の武器をくじくこと。 「禦侮」はこちらを侮ることを防ぐという意味。 「衝(つ)くを折(くじ)き侮(あなど)りを禦(ふせ)ぐ」とも読む。
殺生禁断(せっしょうきんだん)
生き物を捕ったり、殺したりすることを禁止すること。 仏教の言葉で、慈悲の心から、鳥や魚、獣などを捕ったり、殺したりすることを禁止するもの。十悪の一つとされる。
絶世独立(ぜっせいどくりつ)
美しい女性の容姿をいう言葉。 「絶世」はこの世に並ぶものが存在しないということ。 「独立」は他と離れていて、一つだけ立っていること。 中国の前漢の時代に、宮廷楽士の李延年が自身の妹の美しさを歌った詩から。
切切偲偲(せつせつしし)
善を勧めて、互いに励ましあいながら磨きあうこと。 「切切」と「偲偲」はどちらも心をこめて元気付けるという意味。 「切偲」という善を勧めて励ましあうという意味の言葉を重ねて強調した言葉。 孔子の弟子の子路が、孔子に士人とはどういう人かと尋ねたという故事から。
切々偲々(せつせつしし)
善を勧めて、互いに励ましあいながら磨きあうこと。 「切切」と「偲偲」はどちらも心をこめて元気付けるという意味。 「切偲」という善を勧めて励ましあうという意味の言葉を重ねて強調した言葉。 孔子の弟子の子路が、孔子に士人とはどういう人かと尋ねたという故事から。
絶体絶命(ぜったいぜつめい)
どうすることもできない危険な状況にあること。 「絶」はぎりぎりの状態や限界に達するという意味から、体と命が逃れることの出来ない危険な状態にあることをいう言葉。
舌端月旦(ぜったんげったん)
言葉で人を批評すること。 「舌端」は口先、言葉。 「月旦」は人の批評をすること。または、月の始めの日のこと。 中国の後漢の時代の許劭は、若い頃に従兄の許靖や故郷の人を毎月の初めに批評していたという故事から。
截断衆流(せつだんしゅる)
この世の妄想や気を散らす邪魔な考えを完全に断ち切ること。 「截断」は断ち切ること。 「衆流」は様々なものの流れという意味から、雑念や煩悩のたとえ。 「衆流(しゅる)を截断(せつだん)す」とも読む。
雪中松柏(せっちゅうしょうはく)
志や節操、主義を決して曲げないことのたとえ。 植物の松や柏の葉の色は、雪が降っても緑色のまま変わらないということから。
雪中送炭(せっちゅうそうたん)
困窮している人に物資を送ったりして助けること。 雪の寒さで困っている人に、炭をあげて暖めるという意味から。 「雪中(せっちゅう)に炭を送る」とも読む。
雪中四友(せっちゅうのしゆう)
冬に咲く四種類の花のこと。 画題として好まれる、黄梅、ロウ梅、水仙、山茶花のことをいう。
雪中松柏(せっちゅうのしょうはく)
志や節操、主義を決して曲げないことのたとえ。 植物の松や柏の葉の色は、雪が降っても緑色のまま変わらないということから。
絶痛絶苦(ぜっつうぜっく)
非常に辛い心や体の痛み。 「絶」は程度が甚だしいこと。 「痛」と「苦」はどちらも痛みや苦しみのこと。
雪泥鴻爪(せつでいこうそう)
人の行動や、人の一生で起こる出来事は儚いものであるということ。 「雪泥」は雪が解けたあとのぬかるんでいる場所。 「鴻爪」は鳥の鴻の爪の跡。 雪解けのぬかるみに鴻が爪の跡を残しても、爪の跡はすぐに消えるということから。
雪泥鴻爪(せつでいのこうそう)
人の行動や、人の一生で起こる出来事は儚いものであるということ。 「雪泥」は雪が解けたあとのぬかるんでいる場所。 「鴻爪」は鳥の鴻の爪の跡。 雪解けのぬかるみに鴻が爪の跡を残しても、爪の跡はすぐに消えるということから。
舌頭落地(ぜっとうらくち)
仏教の真理は、言葉で全てを言い表すことはできず、それを無理に言葉で説明することは、正しい真理から外れるので危険であるということ。 必要以上に喋ると、舌が地面に落ちるという戒め。 「舌頭(ぜっとう)地に落(お)つ」とも読む。
刹那主義(せつなしゅぎ)
未来や過去のことを考えず、今が楽しければそれでよいという考えのこと。 「刹那」は仏教の言葉で、非常に短い時間、一瞬のこと。
雪魄氷姿(せっぱくひょうし)
梅の花のこと。または、清く澄んだ心を持った人のたとえ。 梅の花は雪の残る冬の終わりに、白く美しく咲くことから。 「氷姿」は「冰姿」とも書く。 「雪魄氷姿(雪魄冰姿)」ともいう。
雪魄冰姿(せっぱくひょうし)
梅の花のこと。または、清く澄んだ心を持った人のたとえ。 梅の花は雪の残る冬の終わりに、白く美しく咲くことから。 「氷姿」は「冰姿」とも書く。 「雪魄氷姿(雪魄冰姿)」ともいう。
截髪易酒(せっぱつえきしゅ)
やせ細るほどに努力して来客を接待することのたとえ。 または、誠意を持って客を接待することのたとえ。 「截」は断ち切ること。 中国の晋の陶侃は、貧しかったために、友人をもてなすために、自身の髪を切って売り、酒や食べ物を買ってもてなしたという故事から。 「髪を截(き)りて酒に易(か)う」とも読む。
窃鈇之疑(せっぷのうたがい)
証拠もないのに疑うこと。また、疑う気持ちを持って見ていると、その人の言動が全て怪しく見えることのたとえ。 「鈇」は斧のこと。 斧を盗まれたと思った男性が隣人の女性を疑うと、その女性の立ち居振る舞いの全てが疑わしく思えたが、斧が物置で見つかるとその女性の全てがかわいらしく思えたという故事から。 「せっぷのうたがい」とも読む。
窃鈇之疑(せっぷのぎ)
証拠もないのに疑うこと。また、疑う気持ちを持って見ていると、その人の言動が全て怪しく見えることのたとえ。 「鈇」は斧のこと。 斧を盗まれたと思った男性が隣人の女性を疑うと、その女性の立ち居振る舞いの全てが疑わしく思えたが、斧が物置で見つかるとその女性の全てがかわいらしく思えたという故事から。 「せっぷのうたがい」とも読む。
舌敝耳聾(ぜっぺいじろう)
話が回りくどくて分かりづらいことのたとえ。 または、年老いて衰えたことを言い表す。 「舌敝」は舌がぼろぼろに破れる。 「耳聾」は耳が聞こえなること。 話す側が疲れて、聞く方も飽きるという意味から。 「舌弊耳聾」とも書く。
舌弊耳聾(ぜっぺいじろう)
話が回りくどくて分かりづらいことのたとえ。 または、年老いて衰えたことを言い表す。 「舌敝」は舌がぼろぼろに破れる。 「耳聾」は耳が聞こえなること。 話す側が疲れて、聞く方も飽きるという意味から。 「舌弊耳聾」とも書く。
切問近思(せつもんきんし)
理解が難しいことを、身近な問題として取り上げて、真剣に考えること。 「切問」は理解できていないことを問うこと。 「近思」は身近なこととして考えること。 「切(せつ)に問いて近く思う」とも読む。
雪裏清香(せつりせいこう)
植物の梅の別名。 「雪裏」は雪の中という意味。 雪がある時期はほとんど花は咲いていないが、梅は雪が残っている時期から花を咲かせて、清らかな香りを漂わせるという意味から。
絶類離倫(ぜつるいりりん)
他の人よりも一際すぐれていること。 「絶類」と「離倫」はどちらも、仲間や同類の中で突出してすぐれているという意味で、似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。 「類を絶(た)ち倫を離(はな)る」とも読む。
世道人心(せどうじんしん)
この世の道徳と、その道徳を守る人たちの心。 「世道」は人が人として守るべき道徳のこと。 「人心」は多くの人の心。
是非曲直(ぜひきょくちょく)
物事の善悪のこと。 「是非」は正しいことと、間違っていること。 「曲直」は曲がっていることと、まっすぐなこと。 「曲直是非」ともいう。
是非正邪(ぜひせいじゃ)
正しいことと、正しくないこと。 「是非」と「正邪」は、どちらも正しいことと、正しくないという意味で、似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。
是非善悪(ぜひぜんあく)
物事の善悪のこと。 「是非」は正しいことと、間違っていること。 「善悪是非」ともいう。
是非之心(ぜひのこころ)
物事の善と悪をしっかりと判別できる能力のこと。 「是非」は正しいことと、間違っていること。
善悪是非(ぜんあくぜひ)
物事の善悪のこと。 「是非」は正しいことと、間違っていること。 「善悪是非」ともいう。
潜移暗化(せんいあんか)
環境や周りの人の影響を受け、気が付かないうちに性質や考え方が変わること。 「潜」と「暗」はひそかに、知らないうちにという意味。 「移」と「化」は影響を受けて変化するという意味。 「潜(ひそ)かに移り暗(あん)に化(か)す」とも読む。
戦意喪失(せんいそうしつ)
戦おうとする気力がなくなること。 または、物事を解決しようとする気力がなくなること。 「戦意」は戦おうとする気持ち。 「喪失」はなくなること。
千違万別(せんいばんべつ)
様々な種類があって、その中にも様々な違いがあること。 「千」と「万」は数が多いことのたとえ。 「違」と「別」ははっきりと違いがあって、分けられていること。
善因善果(ぜんいんぜんか)
よい行動をすれば、よい報いがあるということ。 「善因」はよい報いを受ける原因となる行いのこと。 「善果」はよい報い。 仏教の言葉で、人の行動の善悪に応じた報いを受けることをいう。
扇影衣香(せんえいいこう)
身分の高い女性が集まって話をしている様子。 「扇影」は持っている扇子の影。 「衣香」は豪華で美しい衣服とよい香り。 どちらも高貴な女性を言い表す言葉。
浅学寡聞(せんがくかぶん)
知識や経験が少ないこと。 「浅学」は学問や知識が乏しいこと。 「寡聞」は実際に見たり聞いたりして得た知識や経験が少ないこと。 自身の知識や経験の少なさを謙遜していう言葉。 「寡聞浅学」ともいう。
遷客騒人(せんかくそうじん)
故郷から遠く離れた土地に左遷させられた人や、心に憂いをもっている人のこと。 または、詩人や文人の別称。 「遷客」は左遷されて遠い土地に来た人。 「騒人」は心に憂いをもつ人。 どちらも詩に自身の思いを込めるということから、詩人や文人のたとえ。
浅学短才(せんがくたんさい)
自分のことを謙遜していう言葉で、学問や知識が浅く、才能や能力が乏しいこと。 「浅学」は修練が足りないために、学問や知識が浅いこと。 「短才」は才能がないこと。
千客万来(せんかくばんらい)
たくさんの客が、途絶えることなく次々に来ること。 「千」と「万」は数が多いことのたとえ。 来客が多い様子や繁盛している店の様子をいう言葉。
浅学非才(せんがくひさい)
学問や知識が浅く、才能や能力が乏しいこと。 自分のことを謙遜していう言葉。 「浅学」は修練が足りず、学問や知識が浅いという意味。 「非才」は才能がない、才能が劣っているという意味。 「浅学菲才」とも書く。
浅学菲才(せんがくひさい)
学問や知識が浅く、才能や能力が乏しいこと。 自分のことを謙遜していう言葉。 「浅学」は修練が足りず、学問や知識が浅いという意味。 「非才」は才能がない、才能が劣っているという意味。 「浅学菲才」とも書く。
先花後果(せんかこうか)
最初の子どもに女の子どもが生まれ、その後に男の子どもが生まれること。 「花」は女の子どものたとえ。 「果」は男の子どものたとえ。 植物は花が咲いた後に、果実が実るということから。
先花後果(せんかごか)
最初の子どもに女の子どもが生まれ、その後に男の子どもが生まれること。 「花」は女の子どものたとえ。 「果」は男の子どものたとえ。 植物は花が咲いた後に、果実が実るということから。
千歓万悦(せんかんばんえつ)
この上なく喜ぶこと。 「千」と「万」は数が多いということから、程度が甚だしいことのたとえ。 「歓」と「悦」はどちらも喜ぶということ。
千巌万壑(せんがんばんがく)
険しい岩山と深い谷が続く景色。 「巌」は険しい岩山。 「壑」は深い谷。 「千」と「万」は数が非常に多いことを言い表す言葉。
先義後利(せんぎこうり)
人が守るべき道徳を一番に考えて、利益を二の次に考えること。 「義」は人としての道徳、仁義。 「利」は利益。 人の上に立つ人の心構えをいう言葉。 「義を先(さき)にして利を後(あと)にす」とも読む。
千客万来(せんきゃくばんらい)
たくさんの客が、途絶えることなく次々に来ること。 「千」と「万」は数が多いことのたとえ。 来客が多い様子や繁盛している店の様子をいう言葉。
遷喬之望(せんきょうののぞみ)
出世したいと強く思う心のこと。 「遷喬」は高い木へ移動すること。 鳥は冬から春になると、深い谷間から高い位置の木へ、住み処を移動するということを出世にたとえた言葉。
遷喬之望(せんきょうのぼう)
出世したいと強く思う心のこと。 「遷喬」は高い木へ移動すること。 鳥は冬から春になると、深い谷間から高い位置の木へ、住み処を移動するということを出世にたとえた言葉。
善巧方便(ぜんぎょうほうべん)
相手や状況に合わせたやり方を考えること。 「善巧」は上手いこと。 「方便」はやり方。 仏教の言葉で、仏が人々に仏法を説く時のやり方をいうもので、相手の能力に合わせてやり方を変えるということから。
饌玉炊金(せんぎょくすいきん)
とてもぜいたくなごちそうのこと。または、心のこもったもてなしに感謝していう言葉。 金を炊いて、宝玉を膳に並べるという意味。 「金(きん)を炊(かし)ぎ玉(ぎょく)を饌(そな)う」とも読む。 「饌玉炊金」ともいう。
前倨後恭(ぜんきょこうきょう)
調子にのって横暴な態度をとっていたが、急に態度を変えて、相手にへつらうようになること。 「倨」は偉そうな態度をとること。 「恭」は礼儀正しく丁寧なこと。 中国の戦国時代の遊説家の蘇秦は、諸国を放浪して貧しくなって故郷に帰ると、家族は偉そうに馬鹿にした態度をとった。 蘇秦は、その後に六国の宰相になって故郷に帰ると、家族は腰を低くして丁寧に迎え、媚びへつらったという故事から。 「前(さき)には倨(おご)りて後(のち)には恭(うやうや)し」とも読む。
千金一刻(せんきんいっこく)
ほんのわずかな時間が千金にも値するということ。 「一刻」の「刻」は時間の単位のことで、わずかな時間のたとえ。 「千金」は多額の金銭のことから、価値があるもののたとえ。 楽しい時間や季節などがあっという間に過ぎ去っていくことを惜しんでいう言葉。 また、少しの時間でも大切にするべきだという戒め。 出典は「春宵一刻値千金」という言葉で、春の夜は素晴らしく非常に価値があるという意味。 「千金一刻」ともいう。
千金一笑(せんきんいっしょう)
美人のこと。 一度の微笑みが千金にも値することから。 「千金一笑」ともいう。
千金一擲(せんきんいってき)
惜しむことなく豪快に大金を使うこと。 または、思い切りよく行動すること。 「一擲」は一度投げること。 「千金」は大金のこと。 賭け事の一度の勝負に大金を賭けることから。 「千金一擲」ともいう。
千鈞一髪(せんきんいっぱつ)
極めて危険なことのたとえ。 「鈞」は中国の昔の重さの単位で、「一鈞」は周の時代では約八キログラム、唐の時代では約二十キログラム。 髪の毛一本で千鈞の重さがあるものを吊り下げることから。 「一髪、千鈞を引く」を略した言葉。 「千鈞一髪」ともいう。
千金弊帚(せんきんへいそう)
自分の地位や能力などを理解せず、思い上がることのたとえ。 または、自分の物ならどんなにつまらないものでも貴重に思えることのたとえ。 「弊帚」は使い古してぼろぼろになったほうきのこと。 自分の物ならぼろぼろになったほうきでも千金の価値があると考えるという意味から。 「弊帚」は「敝帚」とも書く。 「千金弊帚(千金敝帚)」ともいう。
千金敝帚(せんきんへいそう)
自分の地位や能力などを理解せず、思い上がることのたとえ。 または、自分の物ならどんなにつまらないものでも貴重に思えることのたとえ。 「弊帚」は使い古してぼろぼろになったほうきのこと。 自分の物ならぼろぼろになったほうきでも千金の価値があると考えるという意味から。 「弊帚」は「敝帚」とも書く。 「千金弊帚(千金敝帚)」ともいう。
千軍万馬(せんぐんばんば)
この上なく規模の大きい軍隊のこと。 または、戦闘の経験を多く積んでいる人物のことで、人生経験が豊富な人物のたとえ。 「千」と「万」は数が多いことのたとえ。 「軍」は兵士、「馬」は軍用の馬のこと。
千荊万棘(せんけいばんきょく)
多数の困難が待ち受けていること。 「千」や「万」は数が非常に多いことのたとえ。 「荊」と「棘」はいばらのことで、とげがある植物を言い表す言葉。 進む予定の道に数え切れないほどのいばらがあるという意味から。
鮮血淋漓(せんけつりんり)
真っ赤な血が垂れて落ちること。 「鮮血」は体から出たばかりの血。 「淋漓」は汗や血などの液体が垂れて落ちること。
前言往行(ぜんげんおうこう)
昔の聖人や賢者が残した言葉や功績。 「前言」は昔の人が言った言葉。 「往行」は昔の人が残した功績や行動。
旋乾転坤(せんけんてんこん)
国の情勢を一変すること。 「旋」と「転」は根本から回すという意味。 「乾」は天、「坤」は地のこと。 天地を一回転させて、正しい状況に戻すという意味から。 「乾(けん)を旋(めぐ)らし坤(こん)を転(てん)ず」とも読む。
先見之明(せんけんのめい)
これから先にどうなるかを見抜くことができる能力。 「先見」は先のことを見抜くこと。 「明」は物事の本質を見抜く能力のこと。
千言万語(せんげんばんご)
極めて多くの言葉のこと。 または、非常に多くの言葉を並べたくどい話のこと。 「千」と「万」は非常に数が多いことのたとえ。 「言」と「語」はどちらも言葉という意味。
千言万語(せんげんまんご)
極めて多くの言葉のこと。 または、非常に多くの言葉を並べたくどい話のこと。 「千」と「万」は非常に数が多いことのたとえ。 「言」と「語」はどちらも言葉という意味。
先庚後庚(せんこうこうこう)
失敗しないように注意深く物事を行うこと。 「庚」は変えるという意味。 易経の言葉で、物事を変える時には、変える前と後のことをしっかりと説明するべきであるということ。 「庚(こう)に先だち庚(こう)に後(おく)る」とも読む。
先甲後甲(せんこうこうこう)
間違いがないように注意深く、落ち着いて行うこと。 または、物事が起こる兆候の前後。 「甲」は法令を新たに作る場合に、人々に丁寧に説明するべきということ。または、物事の兆候の始め。 「先甲」は兆候が現れていないこと。 「後甲」は兆候が現れた後のこと。
洗垢索瘢(せんこうさくはん)
他人の失敗や欠点をしつこく見つけ出そうとすること。 「索」は探すこと。 「瘢」は傷跡。 人の垢を洗い流すようなことをしても、傷跡を探そうとするという意味から。 「垢(あか)を洗いて瘢(きず)を索(もと)む」とも読む。
千紅万紫(せんこうばんし)
たくさんの色の花が咲いている様子。 または、たくさんの色を言い表す言葉。 「千」と「万」は数が多いことのたとえ。 「紅」と「紫」はたくさんの花の色のたとえ。 「万紫千紅」「千紫万紅」ともいう。
先刻承知(せんこくしょうち)
以前から知っているということ。 「先刻」は以前から、すでに。
前虎後狼(ぜんここうろう)
災難などの辛いことが次から次へと起こること。 前から来る虎を防いでも、すぐに後ろから狼がやって来るという意味から。 「前門の虎、後門の狼」という形で使うことが多い言葉。 「前門に虎を拒ぎ後門に狼を進む」を略した言葉。
善後処置(ぜんごしょち)
事件が起こって、その後に残った問題をきっちりと処理すること。 「善後」は後始末をすること。
善後措置(ぜんごそち)
事件が起こって、その後に残った問題をきっちりと処理すること。 「善後」は後始末をすること。
千呼万喚(せんこばんかん)
大きな声で繰り返し呼びかけること。 「千」と「万」は数が多いことのたとえ。 「呼」と「喚」は叫び呼ぶこと。
千古万古(せんこばんこ)
非常に遠い過去。 または、昔から現在まで。 または、永遠。 「千古」と「万古」はどちらも遠い昔ということで、同じ意味の言葉を重ねて強調した言葉。
千古不易(せんこふえき)
永遠に変わらないこと。 「千古」は大昔、または、遠い昔から現在まで長い時間のこと。 「不易」は変わらないという意味。
前後不覚(ぜんごふかく)
物事の前後がわからなくなるほど、正気を失ってしまうこと。 気絶したり、酒を飲みすぎたりした状態のことをいう言葉。 「前後」は物事の前と後。 「不覚」は意識がしっかりしてしないこと。
千古不朽(せんこふきゅう)
いつまでも価値を保ち続けること。 「千古」はこの上なく遠い過去。昔。または、昔から現在までの長い時間。 「不朽」は失われることなく、後の世まで残ること。
千古不抜(せんこふばつ)
いつまでも変化しないこと。 「千古」はこの上なく遠い過去。昔。または、昔から現在までの長い時間。 「不抜」は堅くてゆるがないこと。
千古不磨(せんこふま)
いつまでもなくならないこと。または、途絶えることなく、伝わり続けること。 「千古」は遠い昔のこと。または、遠い過去から現在まで。 「不磨」は磨り減ってなくなることがないということ。 すぐれた伝統や芸術、技術などがいつまでも受け継がれていくことについていう。
千古不滅(せんこふめつ)
いつまでも価値を保ち続けること。 「千古」はこの上なく遠い過去。昔。または、昔から現在までの長い時間。 「不滅」は失われることなく、後の世まで残ること。
前後矛盾(ぜんごむじゅん)
言葉や行動が前後で噛み合っていないこと。 「矛盾」は二つの物事の辻褄があっていないこと。
千恨万悔(せんこんばんかい)
過去の失敗を激しく悔やむこと。 「千」と「万」は数が多いということから、程度が甚だしいことのたとえ。 「恨」と「悔」はどちらも過去のことを残念に思うこと。
潜在意識(せんざいいしき)
自覚していない、心の奥の深い部分に隠れている意識。 「潜在」は表に表れずに、奥深くに存在していること。
千載一遇(せんざいいちぐう)
千年に一度あるかないかの絶好の機会のこと。 「千載」は千年という意味。「載」は年のこと。 「一遇」は一度出会うこと。
仙才鬼才(せんさいきさい)
普通の人と比べ、抜きん出ているすぐれた才能のこと。 「仙才」は仙人の術を習得した才能。 「鬼才」は人並み外れた、ずば抜けた才能。 中国の唐の詩人の李白は仙才、李賀は鬼才と言われていたという故事から。
千錯万綜(せんさくばんそう)
様々なことが複雑に入り混じっていること。 「千」と「万」は数が多いことのたとえ。 「錯」と「綜」は入り組んでいて、絡まりあっていていること。
千差万別(せんさばんべつ)
人や物や事柄には様々な種類や違いがあり、どれひとつをとっても同じものはないということ。 「千」と「万」は、数が多いことのたとえ。 「差」と「別」は、違いや区別という意味。
千差万別(せんさまんべつ)
人や物や事柄には様々な種類や違いがあり、どれひとつをとっても同じものはないということ。 「千」と「万」は、数が多いことのたとえ。 「差」と「別」は、違いや区別という意味。
先斬後奏(せんざんこうそう)
指示を受ける前に問題を解決して、解決した後に上の人に報告すること。 規則を破った人を処罰し、その後君主に報告するという意味から。 「斬」は切り殺すという意味から、処罰すること。 「奏」は上の立場の人に申し上げること、上奏すること。 「先(ま)ず斬りて後(のち)奏(そう)す」とも読む。
千山万水(せんざんばんすい)
多くの山と川のこと。また、奥深く広大な自然のこと。 「千」と「万」は数が多いことで、どこまでも山や川が続いているという意味から、遠く険しい道のりの形容としても用いられる言葉。 「万水千山」ともいう。
遷徙偃仰(せんしえんぎょう)
世の中の流れに応じて、身の振り方を変えること。 または、時代の変化に応じて、やり方を変えること。 「遷徙」は時の流れに合わせて変化すること。 「偃仰」は伏せたり、上を見るということから、世の流れに合わせて、浮いたり沈んだりすること。
浅識非才(せんしきひさい)
自分のことを謙遜していう言葉で、学問や知識が浅く、才能や能力が乏しいこと。 「浅識」は修練が足りないために、学問や知識が浅いこと。 「非才」の「非」は「菲」とも書き、野菜のかぶらのことをいい、薄いや劣ったなどの意味から、「非才(菲才)」は才能がないことのたとえ。
仙姿玉質(せんしぎょくしつ)
非常に美しい容姿の女性のこと。 「仙姿」は仙女の姿という意味から、気高く立派で優雅な姿のこと。 「玉質」は磨き上げた宝石のように、なめらかで美しい肌ということ。
先事後得(せんじこうとく)
しっかりと働いて、その後に報酬を受け取ること。 「先事」は先にしっかりと働くこと。 報酬を気にするよりも、まずは真面目に働くべきであるということから。 「事を先にして得(う)ることを後(あと)にす」とも読む。
千紫万紅(せんしばんこう)
たくさんの色の花が咲いている様子。 または、たくさんの色を言い表す言葉。 「千」と「万」は数が多いことのたとえ。 「紅」と「紫」はたくさんの花の色のたとえ。 「万紫千紅」「千紫万紅」ともいう。
千思万考(せんしばんこう)
何度も深く考えること。 「千」と「万」は、数が多いことのたとえ。 「思」と「考」は、考えるという意味。
千姿万態(せんしばんたい)
様々な異なっている姿や様相。 「千」と「万」は数が多いことのたとえ。 「姿」と「態」は顔かたちや体つき、容姿のこと。 「千万の姿態」ということから。
浅酌低唱(せんしゃくていしょう)
酒を軽く飲んで歌や詩を小声で口ずさむこと。 「浅酌」は少量の酒をたしなむ程度に軽く飲むこと。 「低唱」は歌を小さく低い声で歌うこと。 「低唱浅斟」「浅斟低唱」「浅酌微吟」ともいう。
浅酌微吟(せんしゃくびぎん)
酒を軽く飲んで歌や詩を小声で口ずさむこと。 「浅酌」は少量の酒をたしなむ程度に軽く飲むこと。 「低唱」は歌を小さく低い声で歌うこと。 「低唱浅斟」「浅斟低唱」「浅酌微吟」ともいう。
前車之轍(ぜんしゃのてつ)
先人の失敗を学び、今の戒めにすること。 先に通った車のひっくり返った車輪の跡を見て、同じようにならないように、その場所を通らないようにするという意味から。
前車覆轍(ぜんしゃのふくてつ)
先人の失敗を学び、今の戒めにすること。 「覆轍」はひっくり返った車の残した車輪の跡のこと。 先に通った車のひっくり返った車輪の跡を見て、同じようにならないように、その場所を通らないようにするという意味から。
千射万箭(せんしゃばんせん)
一つ一つのことに手を抜いてはいけないという教え。 「箭」は矢のこと。 弓道の心得をいう言葉で、千本万本の矢を射るときでも、今射る矢をおろそかにせず、新たな気持ちで望むべきということ。
先従隗始(せんじゅうかいし)
物事を行うときは、まずは身近なことから始めるべきという教え。 または、提案した人が率先して物事を始めるべきであるということ。 「隗」は郭隗という人の名前。 中国の戦国時代の燕の昭王が、郭隗によい人材が欲しいと相談すると、郭隗は、自分を優遇すれば、愚かな自分でも優遇されると知った賢い者が集まると言った。 昭王は郭隗の言うとおりに、郭隗の家を建て替えて重用すると、多くの賢人が集まってきたという故事から。 「先(ま)ず隗(かい)従(よ)り始めよ」とも読む。
千秋万古(せんしゅうばんこ)
この上なく長い年月。永遠の歳月。 「万古」は万年、永遠のたとえ。 「千秋」は千年、長い年月のたとえ。 「千秋万古」ともいう。
千秋万歳(せんしゅうばんざい)
限りなく長い年月。 または、長生きを祝う言葉。 「千」と「万」は数が多いことのたとえ。 「秋」と「歳」は年のこと。 千年も万年も長生きすることを願うという意味から。
洗手奉職(せんしゅほうしょく)
真面目に働くこと。 または、清く正しく職務に励むこと。 「手を洗い職に奉(ほう)ず」とも読む。
千乗之国(せんじょうのくに)
大国。 「乗」は兵車を数える単位で、千の兵車を出すことのできる国ということから。 一つの兵車には、それぞれに百人の兵がつくとされていて、十万の兵力をいう。
川上之歎(せんじょうのたん)
時間が過ぎていくことへの嘆き。 「川上」は川のそば。 孔子が川の流れを見て、昼も夜も関係なく流れが過ぎていく、過ぎ去るとはこういうものかと嘆いたという故事から。 「川上之嘆」とも書く。
川上之嘆(せんじょうのたん)
時間が過ぎていくことへの嘆き。 「川上」は川のそば。 孔子が川の流れを見て、昼も夜も関係なく流れが過ぎていく、過ぎ去るとはこういうものかと嘆いたという故事から。 「川上之嘆」とも書く。
千乗万騎(せんじょうばんき)
膨大な量の車と騎馬のこと。 または、規模が大きく、堂々とした行列のこと。 「千」と「万」は数が非常に多いことのたとえ。 「乗」は兵車を数える単位で、一つの兵車には兵が百人がついたとされている。 「騎」は騎馬のこと。 権力者、特に天子の行列のことをいう。
千状万態(せんじょうばんたい)
色々な様子や形のこと。 「千」と「万」は数が多いことのたとえ。 「状」と「態」はどちらも形や状態のこと。
禅譲放伐(ぜんじょうほうばつ)
王朝を交代する二つの方法。 「禅譲」は世襲せずに、君主が自ら選んで徳がある人に譲ること。 「放伐」は悪政を行う君主を、臣下が武力で打ち倒したり、追放したりして地位を奪うこと。
僭賞濫刑(せんしょうらんけい)
程度が不適切な褒美と罰のこと。 「僭賞」は度を超えた褒美のこと。 「濫刑」はむやみに罰を与えること。
僭賞濫罰(せんしょうらんばつ)
程度が不適切な褒美と罰のこと。 「僭賞」は度を超えた褒美のこと。 「濫罰」はむやみに罰を与えること。
吮疽之仁(せんしょのじん)
部下の苦労をねぎらって大切にすること。 「吮」は口で直接吸い出すこと。 「疽」は悪性の腫物。 中国の戦国時代の楚の将軍の呉起は、悪性の腫物で苦しんでいる部下の血膿を吸い取ってやったという故事から。
千緒万端(せんしょばんたん)
様々な物事が数多く入り混じっていて分かり辛いこと。 「千」と「万」は数が多いことのたとえ。 「緒」と「端」は物事の始めのこと。 物事の始まりが多すぎて、何から始めればいいのかわからないという意味から。
専心一意(せんしんいちい)
他のことに心を奪われることなく、一つのことだけに心を注ぐこと。 「一意」と「専心」はどちらも一つのことだけに心を注ぐこと。 「専心」は「摶心」とも書く。 「専心一意(摶心一意)」ともいう。
摶心一意(せんしんいちい)
他のことに心を奪われることなく、一つのことだけに心を注ぐこと。 「一意」と「専心」はどちらも一つのことだけに心を注ぐこと。 「専心」は「摶心」とも書く。 「専心一意(摶心一意)」ともいう。
洗心革面(せんしんかくめん)
改心して面目を新しくすること。 「洗心」は心の汚れを落として清めること。 「革面」は顔つきをよりよくすること。 「心(こころ)を洗い面(おもて)を革(あらた)む」とも読む。
全身全霊(ぜんしんぜんれい)
体と心の全て。または、体力と精神力の全て。 「霊」は心のこと。 「全霊」は心の全て、精神力の全てという意味。
浅斟低唱(せんしんていしょう)
酒を軽く飲んで歌や詩を小声で口ずさむこと。 「浅酌」は少量の酒をたしなむ程度に軽く飲むこと。 「低唱」は歌を小さく低い声で歌うこと。 「低唱浅斟」「浅斟低唱」「浅酌微吟」ともいう。
千仞之谿(せんじんのたに)
極めて深い谷のこと。 「仞」は長さの単位で、長さの単位の「尋」と同じ長さ。 「一仞」はおおよそ五尺から八尺の範囲で様々な説がある。 「千仞」は「千尋」とも、「谿」は「谷」とも書く。
千尋之谿(せんじんのたに)
極めて深い谷のこと。 「仞」は長さの単位で、長さの単位の「尋」と同じ長さ。 「一仞」はおおよそ五尺から八尺の範囲で様々な説がある。 「千仞」は「千尋」とも、「谿」は「谷」とも書く。
千仞之谷(せんじんのたに)
極めて深い谷のこと。 「仞」は長さの単位で、長さの単位の「尋」と同じ長さ。 「一仞」はおおよそ五尺から八尺の範囲で様々な説がある。 「千仞」は「千尋」とも、「谿」は「谷」とも書く。
千尋之谷(せんじんのたに)
極めて深い谷のこと。 「仞」は長さの単位で、長さの単位の「尋」と同じ長さ。 「一仞」はおおよそ五尺から八尺の範囲で様々な説がある。 「千仞」は「千尋」とも、「谿」は「谷」とも書く。
千仞之山(せんじんのやま)
非常に高さのある山を言い表す言葉。 「仞」は長さの単位で、「千仞」は非常に高さがあることのたとえ。 「千尋之山」とも書く。
千尋之山(せんじんのやま)
非常に高さのある山を言い表す言葉。 「仞」は長さの単位で、「千仞」は非常に高さがあることのたとえ。 「千尋之山」とも書く。
千辛万苦(せんしんばんく)
色々な苦しみや困難のこと。 または、たくさんの苦労を経験すること。 「千」と「万」は数が多いことのたとえ。 千万の苦労をするということから。
前人未到(ぜんじんみとう)
今までに誰一人として成し遂げたことがないこと。 または、誰も足を踏み入れたことがないこと。 「前人」は過去から現在までの全ての人、先人のこと。 「未到」は到達したことがないこと。 今までにない素晴らしい記録や先人が誰一人として踏み込んだことのない場所への探検について使う言葉。 「前人未踏」とも書く。 「未踏」は誰もそこに入ったことがないという意味。
前人未踏(ぜんじんみとう)
今までに誰一人として成し遂げたことがないこと。 または、誰も足を踏み入れたことがないこと。 「前人」は過去から現在までの全ての人、先人のこと。 「未到」は到達したことがないこと。 今までにない素晴らしい記録や先人が誰一人として踏み込んだことのない場所への探検について使う言葉。 「前人未踏」とも書く。 「未踏」は誰もそこに入ったことがないという意味。
煎水作氷(せんすいさくひょう)
絶対に不可能なこと。 または、見当違いなやり方では、目的を果たすことは出来ないということ。 「煎」は煮るということ。 氷を作るために水を煮るという意味から。 「水を煎(に)て氷を作る」とも読む。 「煎水作冰」とも書く。
煎水作冰(せんすいさくひょう)
絶対に不可能なこと。 または、見当違いなやり方では、目的を果たすことは出来ないということ。 「煎」は煮るということ。 氷を作るために水を煮るという意味から。 「水を煎(に)て氷を作る」とも読む。 「煎水作冰」とも書く。
先制攻撃(せんせいこうげき)
相手の攻撃よりも先に攻撃すること。 「先制」は物事が起こる直前。または、事を起こそうとしている直前のこと。
先声後実(せんせいこうじつ)
まずは強いという評判によって怯えさせ、その後に武力で攻撃すること。 始めに声で怯えさせて、武力で攻撃するのは怯えさせた後にするという意味から。 「声を先にして実(じつ)を後(のち)にす」とも読む。
全生全帰(ぜんせいぜんき)
親からもらった体を傷つけずに、人生を全うすることが本当の親孝行であるという教え。 「全」は欠けていない完全な状態。 体を欠けることなく、全て返すという意味から。 曾子門人の楽正子春は、足に軽い怪我を負ったことを、孔子の親孝行の教えに背いたとして嘆いたという故事から。
先聖先師(せんせいせんし)
尊敬の気持ちを込めて孔子を呼ぶ名称。 過去の聖人や賢者の教えを広めた、師と仰がれる人をいう。 「先聖」は昔の聖人や賢者のこと。 「先師」は聖人や賢者の教えを広めた人。 古代中国で学校を作るときに先聖と先師を祭っていたが、時代によって祭る人は異なっていた。
先声奪人(せんせいだつじん)
出し抜いて他人より有利な立場に立つこと。 戦いをするときは、先に大きな声を出して相手を怯えさせるという意味から。 「先声(せんせい)人を奪う」とも読む。
泉石煙霞(せんせきえんか)
人里から離れて、自然の中で生活したいという願いが極めて強いこと。 「泉石」は泉水と石ということから、自然の景色や、自然そのもののこと。 「煙霞」は煙と霞。 自然の中で生活したいという気持ちが、煙や霞がかかっているように、すっきりとしないという意味から。
泉石膏肓(せんせきこうこう)
人里から離れて、自然の中で生活したいという願いが極めて強いこと。 「泉石」は泉水と石ということから、自然の景色や、自然そのもののこと。 「膏肓」は心臓の下の部分と、横隔膜の上の部分のことで、病気になると治療のための鍼も薬も届かないために、治すことが出来ないとされている。 自然の中で生活したいという気持ちが、治せない病気のようになるということから。
戦戦兢兢(せんせんきょうきょう)
恐れを感じて震える様子。 「戦戦」は恐怖で震えること。 「兢兢」は恐れて慎んだ態度をとること。 「戦々兢々」「戦戦恐恐」「戦々恐々」とも書く。
戦々兢々(せんせんきょうきょう)
恐れを感じて震える様子。 「戦戦」は恐怖で震えること。 「兢兢」は恐れて慎んだ態度をとること。 「戦々兢々」「戦戦恐恐」「戦々恐々」とも書く。
戦戦恐恐(せんせんきょうきょう)
恐れを感じて震える様子。 「戦戦」は恐怖で震えること。 「兢兢」は恐れて慎んだ態度をとること。 「戦々兢々」「戦戦恐恐」「戦々恐々」とも書く。
戦々恐々(せんせんきょうきょう)
恐れを感じて震える様子。 「戦戦」は恐怖で震えること。 「兢兢」は恐れて慎んだ態度をとること。 「戦々兢々」「戦戦恐恐」「戦々恐々」とも書く。
善戦健闘(ぜんせんけんとう)
持っている力を全て出し切って立派に戦うこと。 敗者の奮闘を称えて使うことの多い言葉。
宣戦布告(せんせんふこく)
戦争を始めることを相手の国に宣言すること。 「宣戦」は戦争を始めるという意思をはっきりと示すこと。 「布告」は国家としての意思を国内外に示すこと。
戦戦慄慄(せんせんりつりつ)
恐怖で震えてびくびくする様子。 「戦慄」は恐怖で震えるという意味で、重ねて意味を強調した言葉。
戦々慄々(せんせんりつりつ)
恐怖で震えてびくびくする様子。 「戦慄」は恐怖で震えるという意味で、重ねて意味を強調した言葉。
蝉噪蛙鳴(せんそうあめい)
うるさいだけで役に立たない議論や、余計な表現が多い稚拙な文章のこと。 蛙(かえる)や蝉(せみ)の鳴き声は騒がしいだけで役に立たないという意味から。 「蝉噪蛙鳴」ともいう。
翦草除根(せんそうじょこん)
災いの原因になるものを全て取り除くこと。 「翦草」は草を刈ること。 「除根」は根を取り除くこと。 草を全て刈り取り、草が生えないように根を全て取り除くという意味から。 「草を翦(き)り根を除く」とも読む。
千瘡百孔(せんそうひゃっこう)
欠点や短所が数多くあること。 または、ひどく傷だらけでぼろぼろの状態のこと。 「百」と「千」はどちらも数が多いことのたとえ。 「孔」は穴、「瘡」は切り傷。 百の穴、千の切り傷があるという意味から。 「千瘡」は「千創」とも書く。 「千瘡百孔(千創百孔)」ともいう。
千創百孔(せんそうひゃっこう)
欠点や短所が数多くあること。 または、ひどく傷だらけでぼろぼろの状態のこと。 「百」と「千」はどちらも数が多いことのたとえ。 「孔」は穴、「瘡」は切り傷。 百の穴、千の切り傷があるという意味から。 「千瘡」は「千創」とも書く。 「千瘡百孔(千創百孔)」ともいう。
先祖伝来(せんぞでんらい)
先祖から何代にも渡って受け継いだ物事。 「先祖」は同じ血筋に連なっている代々の人たちのこと。 「伝来」は何代も続いて受け継がれること。
吮疽之仁(せんそのじん)
部下の苦労をねぎらって大切にすること。 「吮」は口で直接吸い出すこと。 「疽」は悪性の腫物。 中国の戦国時代の楚の将軍の呉起は、悪性の腫物で苦しんでいる部下の血膿を吸い取ってやったという故事から。
千村万落(せんそんばんらく)
たくさんの村落。 「千」と「万」は数が非常に多いことのたとえ。
千態万状(せんたいばんじょう)
いろいろなものの、様々な様子や状態。 または、様々な状態や形に変化すること。 「千」と「万」は数が非常に多いことのたとえ。 「態」と「状」はどちらも形や状態のこと。
千態万様(せんたいばんよう)
いろいろなものの、様々な様子や状態。 または、様々な状態や形に変化すること。 「千」と「万」は数が非常に多いことのたとえ。
前代未聞(ぜんだいみもん)
いまだかつて聞いたことがないようなこと。 大変な出来事や珍しい出来事などをいう言葉。 「前代」は現在より前の時代のこと。 「未聞」は一度も聞いたことがないこと。
千朶万朶(せんだばんだ)
たくさんの花のこと。 または、たくさんの花が咲き乱れていること。 「千」と「万」は数が多いことのたとえ。 「朶」は花が咲いている枝。
栴檀双葉(せんだんのふたば)
立派ですぐれた才能を持っている人は、子どもの頃からすぐれた才能を持っているということ。 「栴檀」は香木の白檀のこと。 「双葉」は芽が出たばかりの小さな二枚の葉のこと。 白檀は芽が出た直後でもいい香りを放つということから。 「栴檀は双葉より芳し」を略した言葉。 「栴檀二葉」とも書く。
栴檀二葉(せんだんのふたば)
立派ですぐれた才能を持っている人は、子どもの頃からすぐれた才能を持っているということ。 「栴檀」は香木の白檀のこと。 「双葉」は芽が出たばかりの小さな二枚の葉のこと。 白檀は芽が出た直後でもいい香りを放つということから。 「栴檀は双葉より芳し」を略した言葉。 「栴檀二葉」とも書く。
専断偏頗(せんだんへんぱ)
勝手に正しいと思い込み、考えが偏っている様子。 「専断」は自分一人の意見で勝手に決めること。 「偏頗」は考えが一方に偏っている様子。
先知先覚(せんちせんがく)
普通の人よりも早く道理を理解すること。 または、すぐれた学識と人格をもっている人のこと。
全知全能(ぜんちぜんのう)
全てを知り尽くし、ありとあらゆることができる能力のこと。 「全知」は全てのことを理解出来る知識。 「全能」はあらゆることができる能力。 「全智全能」とも書く。
全智全能(ぜんちぜんのう)
全てを知り尽くし、ありとあらゆることができる能力のこと。 「全知」は全てのことを理解出来る知識。 「全能」はあらゆることができる能力。 「全智全能」とも書く。
千緒万端(せんちょばんたん)
様々な物事が数多く入り混じっていて分かり辛いこと。 「千」と「万」は数が多いことのたとえ。 「緒」と「端」は物事の始めのこと。 物事の始まりが多すぎて、何から始めればいいのかわからないという意味から。
扇枕温衾(せんちんおんきん)
両親を大切にすること。 夏は親の枕元で、扇で扇いで涼しくして、冬は自分の体温で親の布団を温めて、親が過ごしやすいようにするということから。 「枕を扇(あお)ぎ衾(ふすま)を温(あたた)む」とも読む。
扇枕温被(せんちんおんぴ)
両親を大切にすること。 夏は親の枕元で、扇で扇いで涼しくして、冬は自分の体温で親の布団を温めて、親が過ごしやすいようにするということから。
前程万里(ぜんていばんり)
これから先の目的地までの道のりが遠く長いこと。 または、将来に大きな可能性があること。 「前程」はこれから先の道のり。 「万里」は距離が非常に遠いことのたとえ。
先手必勝(せんてひっしょう)
先に攻撃を仕掛ければ、必ず勝てるということ。 「先手」は先に攻撃すること。
旋転囲繞(せんてんいじょう)
相手の周りを回りながら囲むこと。 「旋転」はぐるぐる回ること。 「囲繞」は周囲を取り囲むこと。
前途多難(ぜんとたなん)
これから先に、数多くの困難が待っていること。 または、そのように予想されること。 「前途」は将来、これから先の道のり。 「多難」は困難や災難などの苦労する出来事が多いこと。
前途多望(ぜんとたぼう)
将来、成功する可能性が大いにあること。 「前途」はこれから先の道のり、将来のこと。 「多望」は望みが叶う可能性があること。
前途有望(ぜんとゆうぼう)
将来、成功する可能性が大いにあること。 「前途」はこれから先の道のり、将来のこと。 「有望」は望みが叶う可能性があること。
前途洋洋(ぜんとようよう)
これから先の人生が明るく開けていて、希望に満ちていること。 「前途」はこれから先の道のり。将来。 「洋洋」は見渡す限り一面に水が広々と満ちている様子、転じて、大きく広がっている様子のこと。 「前途洋々」とも書く。
前途洋々(ぜんとようよう)
これから先の人生が明るく開けていて、希望に満ちていること。 「前途」はこれから先の道のり。将来。 「洋洋」は見渡す限り一面に水が広々と満ちている様子、転じて、大きく広がっている様子のこと。 「前途洋々」とも書く。
前途遼遠(ぜんとりょうえん)
これから先の道のりが非常に遠いこと。 「前途」はこれから先の道のり、将来のこと。 「遼」と「遠」はどこまでも続いているということ。 目的を果たすまでに、たくさんの苦労や災難が待ち構えていることをいう。
千成瓢箪(せんなりびょうたん)
豊臣秀吉の馬印のこと。 小さく数が多い瓢箪の一種をいう。 美濃攻めの時に、豊臣秀吉が瓢箪を高く掲げ合図を送った功績を織田信長に認められ、報酬として金の瓢箪を与えられて、瓢箪を馬印にすることを許されたといわれている。
先難後獲(せんなんこうかく)
先に難事に取り組み、利益は後回しにすること。 まずは人のためになることを行い、自分の利益になることは後回しにすること。 または、苦労した後に利益を得ること。 「先難」は困難な物事を先に解決すること。 「後獲」は利益を後回しにすること。後で利益を得ること。 「難(かた)きを先(さき)にし獲(う)るを後(のち)にす」とも読む。
善男善女(ぜんなんぜんにょ)
仏教を信仰する人たちのこと。 または、寺院や霊場、神社などを参拝したり、巡礼したりする人のこと。
漸入佳境(ぜんにゅうかきょう)
話や状況が次第に興味深いところに入っていくこと。 「漸入」は深いところに少しずつ入っていくこと。 「佳境」は一番面白く興味深いこと。 中国の晋の画家の顧ガイ之は、好物のサトウキビを食べるときにおいしくないところから食べていたが、その理由を聞かれると、「漸く佳境に入る」と答えたという故事から。 「漸(ようや)く佳境(かきょう)に入(い)る」とも読む。
専売特許(せんばいとっきょ)
発明者や企業に対して、それを独占して使うことのできる権利を国が与えること。 または、他の人には真似できない、その人にだけができることのたとえ。 「専売」は特定のものを独占して販売すること。 「特許」は独占する権利を認めること。 元は、「特許」の旧称。
浅薄愚劣(せんぱくぐれつ)
考えが軽薄で、知識が浅く、愚かなこと。 「浅薄」は考えが浅はかで、知識がないこと。 「愚劣」はばかばかしいこと。
阡陌交通(せんぱくこうつう)
あぜ道が張り巡らされていること。 「阡」は南北に通じている道路。 「陌」は東西に通じている道路。 「阡陌」は道路、あぜ道のこと。または、道が張り巡らされていること。 「交通」はどこへでも通じている道のこと。 「阡陌(せんぱく)交(こもごも)通ず」とも読む。
浅薄皮相(せんぱくひそう)
物の見方が浅く表面しか見ないこと。または、知識や学問などに奥深さがないこと。 「皮相」は見た目や表面のこと。 「浅薄」は深さが浅くて厚さが薄いこと。 「浅薄皮相」ともいう。
前跋後疐(ぜんばつこうち)
どうすることもできない窮地に追い込まれること。 「跋」は踏むこと。 「疐」はつまずき倒れること。 年老いた狼は前に進もうとすると垂れ下がった自分の顎を踏み、後ろに進もうとすると自分の尻尾を踏んで倒れるという意味から。 「前に跋(ふ)み後ろに疐(つまず)く」とも読む。
千波万波(せんぱばんぱ)
たくさんの波。 「千」と「万」は数が多いことのたとえ。 波が絶えず押し寄せる様子をいう。
千般計較(せんぱんけいこう)
様々なことを考えたり想像すること。 または、考えすぎて落ち着かないこと。 「千般」はさまざまや、いろいろという意味。 「計較」は比較して考えること。 「千般計校」とも書く。
千般計校(せんぱんけいこう)
様々なことを考えたり想像すること。 または、考えすぎて落ち着かないこと。 「千般」はさまざまや、いろいろという意味。 「計較」は比較して考えること。 「千般計校」とも書く。
千万無量(せんばんむりょう)
どれくらいあるか数えることができないほどに数が多いこと。 「千万」はこの上なく数が多いこと。 「無量」は見当がつけられないほど数が多いこと。
鮮美透涼(せんびとうりょう)
美しく透き通っている様子。 「鮮美」は美しく色鮮やかなこと。 「透涼」は涼やかで、清く透き通っている様子。 人の性質についてもいう言葉。
全豹一斑(ぜんぴょういっぱん)
物事のわずかな部分だけを見て、物事の全体を推測したり、批評したりすること。 見識が狭いことのたとえ。 「一斑」は、豹(ひょう)の毛皮にあるまだら模様のうちの一つのこと。転じて物事の一部分。 狭い管を覗いて中から見えた一つの豹のまだら模様を見て、豹の全体を推測するという意味から。 「全豹一斑」ともいう。
仙風道骨(せんぷうどうこつ)
普通の人とは違う、すぐれた人の姿のこと。 仙人や道士などのこの世を超越した人の姿ということから。
前覆後戒(ぜんぷくこうかい)
先人の失敗を学び、今の戒めにすること。 「覆」はひっくり返った車の残した車輪の跡のこと。 先に通った車のひっくり返った車輪の跡を見て、同じようにならないようにその場所を通らないようにするという意味から。
前仆後継(ぜんふこうけい)
次々に犠牲者が出ること。 または、犠牲を恐れることなく、前に進み続けること。 「仆」は倒れること。 前にいる人が倒れると、その後ろの人が続いて倒れるという意味から。 「前(まえ)仆(たお)るれば後継ぐ」とも読む。
穿壁引光(せんぺきいんこう)
貧しい生活をしながら勉学に励むこと。苦学のたとえ。 壁に穴を開けて隣の家の光を盗み、盗んだ光で勉強をするということから。 前漢にいた匡衡は貧しく、灯火の油を買うことができず、壁に穴を開け、隣家の明かりを盗んで勉学に励んだという故事から。 「壁を穿(うが)ちて光を引く」とも読む。
千篇一律(せんぺんいちりつ)
物事がどれも同じで面白みがないこと。 「千篇」はたくさんの詩文のこと。 「一律」は全て同じ調子という意味。 「千編一律」とも書く。
千編一律(せんぺんいちりつ)
物事がどれも同じで面白みがないこと。 「千篇」はたくさんの詩文のこと。 「一律」は全て同じ調子という意味。 「千編一律」とも書く。
千変万化(せんべんばんか)
情勢や状況がさまざまに移り変わり、変化し続けること。 「千」と「万」は数が多いことのたとえ。 千回も万回も変化するという意味から。
千変万化(せんぺんばんか)
情勢や状況がさまざまに移り変わり、変化し続けること。 「千」と「万」は数が多いことのたとえ。 千回も万回も変化するという意味から。
瞻望咨嗟(せんぼうしさ)
仰ぎ見て、その良さを羨み、ため息をつくこと。 「瞻望」は仰ぎ見て尊敬すること。 「咨嗟」はため息をつくこと。 「羨望咨嗟」とも書く。
羨望咨嗟(せんぼうしさ)
仰ぎ見て、その良さを羨み、ため息をつくこと。 「瞻望」は仰ぎ見て尊敬すること。 「咨嗟」はため息をつくこと。 「羨望咨嗟」とも書く。
千方百計(せんぽうひゃっけい)
いろいろな方法や手段。 または、ありとあらゆる方法を使って行動すること。 「千」と「百」は様々やいろいろという意味。 「方」は手段。 「計」は計画。
千磨百錬(せんまひゃくれん)
たくさんの辛く苦しい出来事を解決して、鍛え抜かれたもののこと。 「千」と「百」は数が多いことで、様々やいろいろということのたとえ。 「錬」は金属を鍛え上げること。 「千磨百煉」とも書く。
千磨百煉(せんまひゃくれん)
たくさんの辛く苦しい出来事を解決して、鍛え抜かれたもののこと。 「千」と「百」は数が多いことで、様々やいろいろということのたとえ。 「錬」は金属を鍛え上げること。 「千磨百煉」とも書く。
千万無量(せんまんむりょう)
どれくらいあるか数えることができないほどに数が多いこと。 「千万」はこの上なく数が多いこと。 「無量」は見当がつけられないほど数が多いこと。
千門万戸(せんもんばんこ)
建物や部屋の数が極めて多いこと。 または、たくさんの建物が隙間も無いほどに集まっていること。 「千」と「万」は数が多いことのたとえ。 「門」と「戸」は建物の出入り口ということから、部屋や家のたとえ。
先憂後楽(せんゆうこうらく)
政治家は、人々よりも先に国のことを心配し、人々が楽しんだ後で自身も楽しむべきだということ。 政治を行う者の心得を説く言葉。 また、先に苦労したり心配事をなくしたりしておけば、後で楽ができるという意味で用いられることもある。 「天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」という北宋の范仲淹が言った言葉を略したもの。 東京都と岡山県にある日本庭園「後楽園」の語源。
千里一曲(せんりいっきょく)
すぐれた人物にも過ちはあるということ。 または、その過ちをとりたてて批判する必要はないということ。 または、行動が自由でつまらない節操にこだわらないことのたとえ。 中国の黄河は千里の距離に一度進路を変えるということから。
千里結言(せんりけつげん)
遠く離れた友人と結んだ約束のこと。 「千里」は距離が非常に離れていることのたとえ。 「結言」は言葉で約束をすること。
千里同風(せんりどうふう)
天下が一つにまとめあげられていて、平和に治まっていること。 「千里」ははるか遠くまでということ。 「同風」は風俗が同じものになるということから、同じ国になることのたとえ。
千里之足(せんりのあし)
すぐれた才能がある人物のたとえ。 「千里」は一日で千里の距離を走ることのできる馬のことで、すぐれた才能があることのたとえ。
千里之駕(せんりのが)
はるか遠いところから来ること。 「千里」は非常に距離が遠いこと。 「駕」は馬車で来ること。
千里結言(せんりのけつげん)
遠く離れた友人と結んだ約束のこと。 「千里」は距離が非常に離れていることのたとえ。 「結言」は言葉で約束をすること。
千里之志(せんりのこころざし)
すぐれた才能を持っている人の、先を見据えた大きな志。 「千里」ははるか遠い先のことを見据えていること。
千里無烟(せんりむえん)
人々の生活が貧しく苦しいこと。 「千里」は千里四方という意味から、広大な範囲のたとえ。 「烟」は炊事をするときにでる煙。 千里四方の広い範囲で、炊事をする煙が見えないという意味から。 「千里無煙」とも書く。
千里無煙(せんりむえん)
人々の生活が貧しく苦しいこと。 「千里」は千里四方という意味から、広大な範囲のたとえ。 「烟」は炊事をするときにでる煙。 千里四方の広い範囲で、炊事をする煙が見えないという意味から。 「千里無煙」とも書く。
千里命駕(せんりめいが)
遠くにいる友人を訪ねること。 「千里」は非常に距離が離れていることのたとえ。 「命駕」は馬車の用意を命じること。 遠くの友人を訪ねるために、馬車の用意を命令するという意味から。 「千里(せんり)駕(が)を命ず」とも読む。
千両役者(せんりょうやくしゃ)
格式が高く、すぐれた技術を持っている役者。 または、目立った活躍をして人気を得た、才能と技術どちらも持っている人。 年収が千両ある役者という意味から。
全力投球(ぜんりょくとうきゅう)
持っている全ての力を出して物事に取り組むこと。 野球の投手が全ての力を出し尽くして投球するという意味から。
千慮一失(せんりょのいっしつ)
どんな立派な賢者にも、失敗や間違いが一つはあるということ。 または、しっかりと考えて準備しても、予想もしていなかった手落ちがあるということ。 「千慮」は何度も考えること。 「一失」は一回の失敗。
千慮一得(せんりょのいっとく)
愚かな人にでも、たくさんの考えの中には、一つくらい良いものがあるということ。 「千慮」はたくさんの考え。 「一得」は一つの利点。 自身の考えを述べるときに謙遜していうこともある言葉。
善隣外交(ぜんりんがいこう)
隣国と友好的な外交関係を結ぶこと。 「善隣」は隣の家の人や隣国と仲良くすること。
善隣友好(ぜんりんゆうこう)
隣国と友好的な外交関係を結ぶこと。 「善隣」は隣の家の人や隣国と仲良くすること。
賤斂貴出(せんれんきしゅつ)
価格が安いときに暴落を防ぐために買って保存しておき、価格が高くなったときに、高騰しすぎないように保存しておいたものを売って物価の安定を図る政策のこと。 昔の中国が行った政策。 「賤」は安価。 「斂」は集めること。 「貴」は高価。 「賎(せん)に斂(おさ)め貴に出(いだ)す」とも読む。
賤斂貴発(せんれんきはつ)
価格が安いときに暴落を防ぐために買って保存しておき、価格が高くなったときに、高騰しすぎないように保存しておいたものを売って物価の安定を図る政策のこと。 「賤」は安価。 「斂」は集めること。 「貴」は高価。 「発」は出すこと。 「賤(せん)に斂(おさ)め貴(き)に発す」とも読む。
前狼後虎(ぜんろうこうこ)
災難などの辛いことが次から次へと起こること。 前から来る虎を防いでも、すぐに後ろから狼がやって来るという意味から。