「ぜ」から始まる四字熟語
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噬指棄薪(ぜいしきしん)
母と子の気持ちがお互いに通じることのたとえ。 「噬指」は指を噛む。 「棄薪」は薪(たきぎ)を捨てるという意味。 後漢の蔡順が薪を採りに行っている間に来客があって、母が困って自分の指を噛むと、その気持ちが通じ、蔡順が薪を捨てて帰ってきたという故事から。
贅沢三昧(ぜいたくざんまい)
金や物を思うままに好きなだけ使うこと。 「贅沢」は必要以上の無駄な費用を使うこと。 「三昧」は夢中になって、ほかの事を蔑ろにするという意味。
是耶非耶(ぜかひか)
物事の善か悪かの判断に迷うこと。 疑問や反語という意味の助字の「耶」という文字を、物事の善か悪かをいう「是非」に付け足した言葉。 「所謂天道是耶非耶」という出典の一節で、善人が苦しみ、悪人が横行するという例は多くあり、天の定める道は正しいのかどうか迷うということから。
是生滅法(ぜしょうめっぽう)
生きているものは、いずれは確実に死ぬということ。 仏教の言葉で、この世に存在するもので変化しないものはなく、生きているものは確実に滅びるという考え方。
是是非非(ぜぜひひ)
正しいことは正しい、悪いことは悪いと、公正に判断すること。 個人的な感情を交えることなく、公正に判断すること。 「是を是とし、非を非とする、之を智と謂う。是を非とし、非を是とする、之を愚と謂う」という一文を略したもの。 「是々非々」とも書く。
是々非々(ぜぜひひ)
正しいことは正しい、悪いことは悪いと、公正に判断すること。 個人的な感情を交えることなく、公正に判断すること。 「是を是とし、非を非とする、之を智と謂う。是を非とし、非を是とする、之を愚と謂う」という一文を略したもの。 「是々非々」とも書く。
絶観忘守(ぜっかんぼうしゅ)
禅宗の言葉で、真理のことを考えることをやめ、正しい実践を超越すること。 「絶観」は真理を追究することをやめること。 「忘守」は正しい実践を忘れること。 悟りを超越した境地をいう言葉。 「観(かん)を絶(た)ち守(しゅ)を忘(わす)る」とも読む。
絶巧棄利(ぜっこうきり)
人によって作られた便利な機械を捨てて、自然の生活に戻ること。 「絶巧」は人の力で技巧を凝らした道具を捨てること。 「棄利」は人の力で便利に作られた道具を捨てること。 「巧(こう)を絶ち利(り)を棄(す)つ」とも読む。
絶世独立(ぜっせいどくりつ)
美しい女性の容姿をいう言葉。 「絶世」はこの世に並ぶものが存在しないということ。 「独立」は他と離れていて、一つだけ立っていること。 中国の前漢の時代に、宮廷楽士の李延年が自身の妹の美しさを歌った詩から。
絶体絶命(ぜったいぜつめい)
どうすることもできない危険な状況にあること。 「絶」はぎりぎりの状態や限界に達するという意味から、体と命が逃れることの出来ない危険な状態にあることをいう言葉。
舌端月旦(ぜったんげったん)
言葉で人を批評すること。 「舌端」は口先、言葉。 「月旦」は人の批評をすること。または、月の始めの日のこと。 中国の後漢の時代の許劭は、若い頃に従兄の許靖や故郷の人を毎月の初めに批評していたという故事から。
絶痛絶苦(ぜっつうぜっく)
非常に辛い心や体の痛み。 「絶」は程度が甚だしいこと。 「痛」と「苦」はどちらも痛みや苦しみのこと。
舌頭落地(ぜっとうらくち)
仏教の真理は、言葉で全てを言い表すことはできず、それを無理に言葉で説明することは、正しい真理から外れるので危険であるということ。 必要以上に喋ると、舌が地面に落ちるという戒め。 「舌頭(ぜっとう)地に落(お)つ」とも読む。
舌弊耳聾(ぜっぺいじろう)
話が回りくどくて分かりづらいことのたとえ。 または、年老いて衰えたことを言い表す。 「舌敝」は舌がぼろぼろに破れる。 「耳聾」は耳が聞こえなること。 話す側が疲れて、聞く方も飽きるという意味から。 「舌弊耳聾」とも書く。
舌敝耳聾(ぜっぺいじろう)
話が回りくどくて分かりづらいことのたとえ。 または、年老いて衰えたことを言い表す。 「舌敝」は舌がぼろぼろに破れる。 「耳聾」は耳が聞こえなること。 話す側が疲れて、聞く方も飽きるという意味から。 「舌弊耳聾」とも書く。
絶言絶慮(ぜつごんぜつりょ)
仏教の真理というものは、言葉や思考で表現することはできないということ。 「慮」は思考、考えのこと。 「言(げん)を絶し慮(りょ)を絶す」とも読む。
絶類離倫(ぜつるいりりん)
他の人よりも一際すぐれていること。 「絶類」と「離倫」はどちらも、仲間や同類の中で突出してすぐれているという意味で、似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。 「類を絶(た)ち倫を離(はな)る」とも読む。
是非曲直(ぜひきょくちょく)
物事の善悪のこと。 「是非」は正しいことと、間違っていること。 「曲直」は曲がっていることと、まっすぐなこと。 「曲直是非」ともいう。
是非正邪(ぜひせいじゃ)
正しいことと、正しくないこと。 「是非」と「正邪」は、どちらも正しいことと、正しくないという意味で、似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。
是非善悪(ぜひぜんあく)
物事の善悪のこと。 「是非」は正しいことと、間違っていること。 「善悪是非」ともいう。
是非之心(ぜひのこころ)
物事の善と悪をしっかりと判別できる能力のこと。 「是非」は正しいことと、間違っていること。
善悪是非(ぜんあくぜひ)
物事の善悪のこと。 「是非」は正しいことと、間違っていること。 「善悪是非」ともいう。
善因善果(ぜんいんぜんか)
よい行動をすれば、よい報いがあるということ。 「善因」はよい報いを受ける原因となる行いのこと。 「善果」はよい報い。 仏教の言葉で、人の行動の善悪に応じた報いを受けることをいう。
前倨後恭(ぜんきょこうきょう)
調子にのって横暴な態度をとっていたが、急に態度を変えて、相手にへつらうようになること。 「倨」は偉そうな態度をとること。 「恭」は礼儀正しく丁寧なこと。 中国の戦国時代の遊説家の蘇秦は、諸国を放浪して貧しくなって故郷に帰ると、家族は偉そうに馬鹿にした態度をとった。 蘇秦は、その後に六国の宰相になって故郷に帰ると、家族は腰を低くして丁寧に迎え、媚びへつらったという故事から。 「前(さき)には倨(おご)りて後(のち)には恭(うやうや)し」とも読む。
善巧方便(ぜんぎょうほうべん)
相手や状況に合わせたやり方を考えること。 「善巧」は上手いこと。 「方便」はやり方。 仏教の言葉で、仏が人々に仏法を説く時のやり方をいうもので、相手の能力に合わせてやり方を変えるということから。
前言往行(ぜんげんおうこう)
昔の聖人や賢者が残した言葉や功績。 「前言」は昔の人が言った言葉。 「往行」は昔の人が残した功績や行動。
前虎後狼(ぜんここうろう)
災難などの辛いことが次から次へと起こること。 前から来る虎を防いでも、すぐに後ろから狼がやって来るという意味から。 「前門の虎、後門の狼」という形で使うことが多い言葉。 「前門に虎を拒ぎ後門に狼を進む」を略した言葉。
善後処置(ぜんごしょち)
事件が起こって、その後に残った問題をきっちりと処理すること。 「善後」は後始末をすること。
善後措置(ぜんごそち)
事件が起こって、その後に残った問題をきっちりと処理すること。 「善後」は後始末をすること。
前後不覚(ぜんごふかく)
物事の前後がわからなくなるほど、正気を失ってしまうこと。 気絶したり、酒を飲みすぎたりした状態のことをいう言葉。 「前後」は物事の前と後。 「不覚」は意識がしっかりしてしないこと。
前後矛盾(ぜんごむじゅん)
言葉や行動が前後で噛み合っていないこと。 「矛盾」は二つの物事の辻褄があっていないこと。
前車之轍(ぜんしゃのてつ)
先人の失敗を学び、今の戒めにすること。 先に通った車のひっくり返った車輪の跡を見て、同じようにならないように、その場所を通らないようにするという意味から。
前車覆轍(ぜんしゃのふくてつ)
先人の失敗を学び、今の戒めにすること。 「覆轍」はひっくり返った車の残した車輪の跡のこと。 先に通った車のひっくり返った車輪の跡を見て、同じようにならないように、その場所を通らないようにするという意味から。
全身全霊(ぜんしんぜんれい)
体と心の全て。または、体力と精神力の全て。 「霊」は心のこと。 「全霊」は心の全て、精神力の全てという意味。
禅譲放伐(ぜんじょうほうばつ)
王朝を交代する二つの方法。 「禅譲」は世襲せずに、君主が自ら選んで徳がある人に譲ること。 「放伐」は悪政を行う君主を、臣下が武力で打ち倒したり、追放したりして地位を奪うこと。
前人未踏(ぜんじんみとう)
今までに誰一人として成し遂げたことがないこと。 または、誰も足を踏み入れたことがないこと。 「前人」は過去から現在までの全ての人、先人のこと。 「未到」は到達したことがないこと。 今までにない素晴らしい記録や先人が誰一人として踏み込んだことのない場所への探検について使う言葉。 「前人未踏」とも書く。 「未踏」は誰もそこに入ったことがないという意味。
前人未到(ぜんじんみとう)
今までに誰一人として成し遂げたことがないこと。 または、誰も足を踏み入れたことがないこと。 「前人」は過去から現在までの全ての人、先人のこと。 「未到」は到達したことがないこと。 今までにない素晴らしい記録や先人が誰一人として踏み込んだことのない場所への探検について使う言葉。 「前人未踏」とも書く。 「未踏」は誰もそこに入ったことがないという意味。
全生全帰(ぜんせいぜんき)
親からもらった体を傷つけずに、人生を全うすることが本当の親孝行であるという教え。 「全」は欠けていない完全な状態。 体を欠けることなく、全て返すという意味から。 曾子門人の楽正子春は、足に軽い怪我を負ったことを、孔子の親孝行の教えに背いたとして嘆いたという故事から。
善戦健闘(ぜんせんけんとう)
持っている力を全て出し切って立派に戦うこと。 敗者の奮闘を称えて使うことの多い言葉。
前代未聞(ぜんだいみもん)
いまだかつて聞いたことがないようなこと。 大変な出来事や珍しい出来事などをいう言葉。 「前代」は現在より前の時代のこと。 「未聞」は一度も聞いたことがないこと。
全知全能(ぜんちぜんのう)
全てを知り尽くし、ありとあらゆることができる能力のこと。 「全知」は全てのことを理解出来る知識。 「全能」はあらゆることができる能力。 「全智全能」とも書く。
全智全能(ぜんちぜんのう)
全てを知り尽くし、ありとあらゆることができる能力のこと。 「全知」は全てのことを理解出来る知識。 「全能」はあらゆることができる能力。 「全智全能」とも書く。
前程万里(ぜんていばんり)
これから先の目的地までの道のりが遠く長いこと。 または、将来に大きな可能性があること。 「前程」はこれから先の道のり。 「万里」は距離が非常に遠いことのたとえ。
前途多難(ぜんとたなん)
これから先に、数多くの困難が待っていること。 または、そのように予想されること。 「前途」は将来、これから先の道のり。 「多難」は困難や災難などの苦労する出来事が多いこと。
前途多望(ぜんとたぼう)
将来、成功する可能性が大いにあること。 「前途」はこれから先の道のり、将来のこと。 「多望」は望みが叶う可能性があること。
前途有望(ぜんとゆうぼう)
将来、成功する可能性が大いにあること。 「前途」はこれから先の道のり、将来のこと。 「有望」は望みが叶う可能性があること。
前途洋々(ぜんとようよう)
これから先の人生が明るく開けていて、希望に満ちていること。 「前途」はこれから先の道のり。将来。 「洋洋」は見渡す限り一面に水が広々と満ちている様子、転じて、大きく広がっている様子のこと。 「前途洋々」とも書く。
前途洋洋(ぜんとようよう)
これから先の人生が明るく開けていて、希望に満ちていること。 「前途」はこれから先の道のり。将来。 「洋洋」は見渡す限り一面に水が広々と満ちている様子、転じて、大きく広がっている様子のこと。 「前途洋々」とも書く。
前途遼遠(ぜんとりょうえん)
これから先の道のりが非常に遠いこと。 「前途」はこれから先の道のり、将来のこと。 「遼」と「遠」はどこまでも続いているということ。 目的を果たすまでに、たくさんの苦労や災難が待ち構えていることをいう。
善男善女(ぜんなんぜんにょ)
仏教を信仰する人たちのこと。 または、寺院や霊場、神社などを参拝したり、巡礼したりする人のこと。
漸入佳境(ぜんにゅうかきょう)
話や状況が次第に興味深いところに入っていくこと。 「漸入」は深いところに少しずつ入っていくこと。 「佳境」は一番面白く興味深いこと。 中国の晋の画家の顧ガイ之は、好物のサトウキビを食べるときにおいしくないところから食べていたが、その理由を聞かれると、「漸く佳境に入る」と答えたという故事から。 「漸(ようや)く佳境(かきょう)に入(い)る」とも読む。
前跋後疐(ぜんばつこうち)
どうすることもできない窮地に追い込まれること。 「跋」は踏むこと。 「疐」はつまずき倒れること。 年老いた狼は前に進もうとすると垂れ下がった自分の顎を踏み、後ろに進もうとすると自分の尻尾を踏んで倒れるという意味から。 「前に跋(ふ)み後ろに疐(つまず)く」とも読む。
全豹一斑(ぜんぴょういっぱん)
物事のわずかな部分だけを見て、物事の全体を推測したり、批評したりすること。 見識が狭いことのたとえ。 「一斑」は、豹(ひょう)の毛皮にあるまだら模様のうちの一つのこと。転じて物事の一部分。 狭い管を覗いて中から見えた一つの豹のまだら模様を見て、豹の全体を推測するという意味から。 「全豹一斑」ともいう。
前仆後継(ぜんふこうけい)
次々に犠牲者が出ること。 または、犠牲を恐れることなく、前に進み続けること。 「仆」は倒れること。 前にいる人が倒れると、その後ろの人が続いて倒れるという意味から。 「前(まえ)仆(たお)るれば後継ぐ」とも読む。
前覆後戒(ぜんぷくこうかい)
先人の失敗を学び、今の戒めにすること。 「覆」はひっくり返った車の残した車輪の跡のこと。 先に通った車のひっくり返った車輪の跡を見て、同じようにならないようにその場所を通らないようにするという意味から。
全力投球(ぜんりょくとうきゅう)
持っている全ての力を出して物事に取り組むこと。 野球の投手が全ての力を出し尽くして投球するという意味から。
善隣外交(ぜんりんがいこう)
隣国と友好的な外交関係を結ぶこと。 「善隣」は隣の家の人や隣国と仲良くすること。
善隣友好(ぜんりんゆうこう)
隣国と友好的な外交関係を結ぶこと。 「善隣」は隣の家の人や隣国と仲良くすること。
前狼後虎(ぜんろうこうこ)
災難などの辛いことが次から次へと起こること。 前から来る虎を防いでも、すぐに後ろから狼がやって来るという意味から。