「かん」から始まる四字熟語
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銜哀致誠(がんあいちせい)
悲しみと誠意を持って死者を弔うこと。 哀悼の気持ちを持って、真心を捧げるという意味から。 「哀を銜(ふく)み誠を致す」とも読む。
含飴弄孫(がんいろうそん)
年老いて仕事を止めた後の気楽な生活のこと。 飴を食べながら孫と遊ぶという意味から。 「飴(あめ)を含んで孫を弄(もてあそ)ぶ」とも読む。
閑雲孤鶴(かんうんこかく)
世間を離れのんびりと自由に暮らすこと。 または、隠士の心境のたとえ。 「閑雲」はのんびりと空に浮かぶ雲。 「孤鶴」は野で自由に遊ぶ鶴。
干雲蔽日(かんうんへいじつ)
大きな木を言い表す言葉。 「干雲」は雲の中を押し進むこと。 「蔽日」は太陽を覆い隠すこと。 雲の中を進み、太陽を覆い隠すほどに大きいということから。 「雲を干(おか)し日を蔽(おお)う」とも読む。
韓雲孟竜(かんうんもうりゅう)
男性同士で肉体関係を持つこと。 または、男の同性愛のこと。 「韓」と「孟」はどちらも人の名前で、韓愈と孟郊のこと。 二人は互いに地位を気にせずに、親友としての契りを交わしていたが、世間からは同性愛と噂されたということから。 「雲」と「竜」は互いに必要とし合っていることを言い表す言葉。
韓雲孟竜(かんうんもうりょう)
男性同士で肉体関係を持つこと。 または、男の同性愛のこと。 「韓」と「孟」はどちらも人の名前で、韓愈と孟郊のこと。 二人は互いに地位を気にせずに、親友としての契りを交わしていたが、世間からは同性愛と噂されたということから。 「雲」と「竜」は互いに必要とし合っていることを言い表す言葉。
閑雲野鶴(かんうんやかく)
世間を離れのんびりと自由に暮らすこと。 または、のんびりとした生活を送る隠士の心境のたとえ。 「閑雲」はのんびりと空に浮かぶ雲。 「野鶴」は野で自由に遊ぶ鶴。 「野鶴閑雲」ともいう。
含英咀華(がんえいしょか)
文章のよい部分をしっかりと味わって、それを理解して身に付けること。 「含」は口に含むこと。 「英」と「華」はどちらも花のこと。 「咀」はよく味わうこと。 すぐれた文章を花にたとえた言葉で、花を口に含んで味わうという意味から。 「英(えい)を含み華(か)を咀(くら)う」とも読む。
檻猿籠鳥(かんえんろうちょう)
自由を奪われて自分の好きなように生きることが出来ない境遇のたとえ。 籠の中の鳥と檻の中の猿という意味から。 「檻猿籠鳥」ともいう。
観往知来(かんおうちらい)
過去の物事を注意深く観察して、これから先のことを推測すること。 「往」は以前の事柄。過去。 「来」は先の事柄。将来。未来。 「往(ゆ)くを観(み)て来(きた)るを知る」とも読む。
韓海蘇潮(かんかいそちょう)
中国の唐の詩人の韓愈と北宋の詩人の蘇軾の文体のこと。 韓愈が書いた文章は海のように広々としていて、蘇軾の書いた文章は、海水の満ち引きのように力強い起伏があるという二人の文体を批評した言葉から。
顔回箪瓢(がんかいたんぴょう)
質素な食事のたとえ。 「箪」は竹でできた容器、わりご。 「瓢」は瓢箪でできた容器、ひさご。 わりご一杯の飯とひさご一杯の汁物だけの食事ということから。 孔子の弟子の顔回が、貧しい生活をしながらも勉学に励むのを孔子がほめた言葉から。
感慨無量(かんがいむりょう)
計ることが出来ないほど、深く感じ入ること。 「感慨」は深く心に感じて、しみじみとした気持ちになり、その気持ちにひたること。 「無量」は計ることができないほどに量が多いこと。 「感無量」という言葉はこれを略したもの。
扞格齟齬(かんかくそご)
意見がぶつかり合うこと。 「扞格」はお互いに相手の意見を認めないこと。 「齟齬」はかみ合わないという意味。 「捍格齟齬」とも書く。
捍格齟齬(かんかくそご)
意見がぶつかり合うこと。 「扞格」はお互いに相手の意見を認めないこと。 「齟齬」はかみ合わないという意味。 「捍格齟齬」とも書く。
干戈倥偬(かんかこうそう)
いつも戦争をしていて休む暇がないこと。 「干戈」は盾と矛のことで、戦争のたとえ。 「倥偬」は忙しい様子。
鰥寡孤独(かんかこどく)
親族が誰もいなくさびしいこと。 「鰥」は年をとって妻がいなくなった夫。 「寡」は年をとって夫がいなくなった妻。 「孤」は親がいない子ども。 「独」は子どもがいない老人。 全て身寄りのないさびしい人を言い表す言葉。 「矜寡孤独」とも書く。
矜寡孤独(かんかこどく)
親族が誰もいなくさびしいこと。 「鰥」は年をとって妻がいなくなった夫。 「寡」は年をとって夫がいなくなった妻。 「孤」は親がいない子ども。 「独」は子どもがいない老人。 全て身寄りのないさびしい人を言い表す言葉。 「矜寡孤独」とも書く。
含牙戴角(がんがたいかく)
獣のこと。 口に牙があって、頭に角がある生き物という意味から。 「牙を含み角を戴(いただ)く」とも読む。
頷下之珠(がんかのしゅ)
手に入れるのが難しく、非常に貴重なもののたとえ。 「頷下」は顎の下。 「珠」は宝石。 黒い竜の顎の下にあるとされている宝石のことで、命をかけなければ取ることができない宝石ということから。
頷下之珠(がんかのたま)
手に入れるのが難しく、非常に貴重なもののたとえ。 「頷下」は顎の下。 「珠」は宝石。 黒い竜の顎の下にあるとされている宝石のことで、命をかけなければ取ることができない宝石ということから。
寒花晩節(かんかばんせつ)
老後を全うすること。 「寒花」は冬に咲く花。 冬に咲く花は、長い期間香りを保つということから、人生を終えるまで節義を保ち続けるということのたとえ。
轗軻不遇(かんかふぐう)
すぐれた才能を持ちながら、世に受け入れられないこと。 または、物事が思い通りにいかず、地位や境遇に恵まれないこと。 「轗軻」は道が悪く車がうまく進めないことから転じて、物事が思い通りにいかないことのたとえ。
干戈不息(かんかふそく)
戦争がいつまでも続いて終わらないこと。 「干戈」はたてとほこのことで、戦争のたとえ。 「不息」は終わらないこと。 「干戈(かんか)息(や)まず」とも読む。
緩歌慢舞(かんかまんぶ)
ゆったりとした調子で歌って舞うこと。 「緩歌縵舞」とも書く。
緩歌縵舞(かんかまんぶ)
ゆったりとした調子で歌って舞うこと。 「緩歌縵舞」とも書く。
侃侃諤諤(かんかんがくがく)
相手に遠慮することなく、激しく議論を戦わせる様子。 または、遠慮することなく、自分が思っていることをはっきりと言うこと。 「侃侃」は心が強く、信念を曲げることがないこと。 「諤諤」は思っていることをはっきりと言うこと。 「侃々諤々」とも書き、「侃諤」と略すこともある。
侃々諤々(かんかんがくがく)
相手に遠慮することなく、激しく議論を戦わせる様子。 または、遠慮することなく、自分が思っていることをはっきりと言うこと。 「侃侃」は心が強く、信念を曲げることがないこと。 「諤諤」は思っていることをはっきりと言うこと。 「侃々諤々」とも書き、「侃諤」と略すこともある。
観感興起(かんかんこうき)
実際に目で見て、それに感動して奮い立つこと。 「観」は目で見ること。
寒巌枯木(かんがんこぼく)
世俗を超えた悟りの境地のこと。 または、冷淡で付き合いにくい態度のこと。 「巌」は岩のこと。 枯れた木と冷たい岩のことで、情念や煩悩を捨て去った悟りの境地をいう禅宗の言葉。 「寒巌枯木」ともいう。
乾乾浄浄(かんかんじょうじょう)
私欲がなく、清らかでさっぱりとしていること。 または、全部なくなること。
乾々浄々(かんかんじょうじょう)
私欲がなく、清らかでさっぱりとしていること。 または、全部なくなること。
関関雎鳩(かんかんしょきゅう)
夫婦の仲がよいこと。 「関関」は鳥がむつまじく鳴く声のたとえ。 「雎鳩」は水鳥のみさごの別名。 みさごのつがいが、仲良く和らいで鳴き交わしているということから。
官官接待(かんかんせったい)
地方の公務員が公費を使って、中央の公務員を接待すること。 「官官」は公務員同士という意味。 地方の公務員が中央の役人を接待して、予算の便宜を図ってもらうことをいう。
官々接待(かんかんせったい)
地方の公務員が公費を使って、中央の公務員を接待すること。 「官官」は公務員同士という意味。 地方の公務員が中央の役人を接待して、予算の便宜を図ってもらうことをいう。
汗顔無地(かんがんむち)
その場から逃げ出したいほどに恥ずかしいこと。 「汗顔」は顔に汗をかくということから、この上ないほどに恥ずかしい様子のこと。 「無地」は場所がないということから、居場所がないこと。 「汗顔(かんがん)、地無(ちな)し」とも読む。
歓喜抃舞(かんきべんぶ)
思いっきり喜ぶこと。 「抃舞」は手を打ち鳴らして踊ること。
緩急軽重(かんきゅうけいちょう)
物事や状況の重要性や緊急性の程度のこと。 「緩急」は緊急ではないことと、緊急なこと。 「軽重」は重要性の程度の軽さと重さ。 「軽重緩急」ともいう。
緩急剛柔(かんきゅうごうじゅう)
状況に合わせて適切に対処すること。 「緩急」は緩やかなことと、厳しいこと。 「剛柔」は強いことと、優しいこと。
緩急自在(かんきゅうじざい)
物事を思いのままに操ること。 「緩急」は程度が弱いことと強いこと。または、遅いことと早いこと。 「自在」は思ったとおりにできること。 状況に合わせて程度や速度などを思い通りに操ることをいう。
汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)
所有している書物が非常に多いことのたとえ。 車に載せれば車を引く牛が汗をかくほど重く、家の中で積み上げれば天井の棟木に届くほど書物が多いという意味から。 「牛(うし)に汗(あせ)し棟(むなぎ)に充(み)つ」とも読む。 「充棟汗牛」ともいう。
貫朽粟陳(かんきゅうぞくちん)
財産が極めて多いことのたとえ。 「貫朽」は穴の開いた銭に通してまとめておく銭差しの紐が朽ちること。 「粟陳」は保管していた穀物の粟が腐りかけること。 貨幣を溜め込みすぎて銭差しの紐が切れ、粟を溜め込みすぎて腐りかけるということから。
閑居養志(かんきょようし)
世間から離れて、心を育てること。 「閑居」は静かな家。 「養志」は心を鍛錬すること。 「閑居(かんきょ)して志(こころざし)を養う」とも読む。
寒気凜冽(かんきりんれつ)
極めて寒いこと。 「凜」と「冽」はどちらも寒いという意味から、「凜冽」は非常に寒いこと。 「寒気凜烈」とも書く。
寒気凜烈(かんきりんれつ)
極めて寒いこと。 「凜」と「冽」はどちらも寒いという意味から、「凜冽」は非常に寒いこと。 「寒気凜烈」とも書く。
管窺蠡測(かんきれいそく)
見識が非常に狭いこと。 または、狭い見識で物事の全体を判断すること。 「管窺」は管を通して空を見ること。 「蠡測」はほら貝の貝殻で海の水の量を量ること。 「管蠡」と略して使うこともある言葉。 「管(かん)もて窺(うかが)い蠡(れい)もて測る」とも読む。
歓欣鼓舞(かんきんこぶ)
思いっきり喜ぶこと。 「鼓舞」は鼓を打ち鳴らして踊ること。
顔筋柳骨(がんきんりゅうこつ)
中国の唐の時代の楷書の四大書家の二人である、顔真卿と柳公権の筆法の重要な部分。 または、それらを習得していること。 「筋」は筋肉、「骨」は骨格のことで、書道のこつや骨組みのたとえ。または、力強いことのたとえ。
艱苦辛苦(かんくしんく)
苦しみながら悩み苦労すること。 「艱」と「苦」はどちらも苦しむことや悩むこと。 「辛苦」は苦しみ悩みこと。 似た意味の言葉を重ねて強調した言葉で、人が生きる上で起こる、多くの辛い出来事に苦しみ悩むことをいう。
艱苦奮闘(かんくふんとう)
苦しいなかでも力の限り戦うこと。 「艱苦」は辛く苦しい状況。 「奮闘」は力を尽くして戦うこと。
観闕之誅(かんけつのちゅう)
不正を行った臣下をとがめて処刑すること。 「観闕」は宮殿などの左右にある大きな物見台。 「誅」は罪を非難して処刑すること。または、罪を厳しく非難すること。 中国の春秋時代、魯の国の大夫(たいふ)である少正卯(しょうせいぼう)は不正を行ったために、孔子によって観闕で処刑されたという故事から。
簡潔明瞭(かんけつめいりょう)
単純ではっきりとしていること。 「明瞭」ははっきりとしていて分かりやすいこと。
姦言似信(かんげんじしん)
悪い心をもって君主に対して発した言葉は、表面的には誠意があるように聞こえるということ。 「姦」は道理に背いている様子。 「信」は誠意のある様子。真心。 「姦言(かんげん)は信(しん)に似たり」とも読む。 この言葉の前に「佞言(ねいげん)は忠に似たり」という言葉がある。
甘言蜜語(かんげんみつご)
相手に気に入られるための心地よい言葉。 「蜜語」は男女の甘い語らいのことで、蜜のように甘い言葉ということから。
歓言愉色(かんげんゆしょく)
楽しげな会話と楽しげな表情。 または、お世辞を言って、愛想よく振る舞うこと。 「歓言」は楽しく話しをする、談笑。 「愉色」は楽しげな表情、笑顔。
緩絃朗笛(かんげんろうてき)
ゆったりとした弦楽器の音色と、すっきりとはっきり響く笛の音色のこと。 「緩絃」はゆったりとした弦楽器の音色。 「朗笛」ははっきりとよく響く笛の音色。 「緩弦朗笛」とも書く。
緩弦朗笛(かんげんろうてき)
ゆったりとした弦楽器の音色と、すっきりとはっきり響く笛の音色のこと。 「緩絃」はゆったりとした弦楽器の音色。 「朗笛」ははっきりとよく響く笛の音色。 「緩弦朗笛」とも書く。
頑固一徹(がんこいってつ)
自分の考えや態度をかたくなに変えようとせずに最後まで押し通すこと。または、そのような性格のこと。 「頑固」と「一徹」はどちらも考えや態度を変えずに貫き通すという意味。似ている意味の言葉を重ねて強調した言葉。
眼光炯炯(がんこうけいけい)
目が鋭く光る様子。 「眼光」は目の光。または、物事の本質を見抜く能力のこと。 「炯炯」は鋭く輝くこと。 物事の真実を見抜いているような、人を圧倒する目をいう。
眼光炯々(がんこうけいけい)
目が鋭く光る様子。 「眼光」は目の光。または、物事の本質を見抜く能力のこと。 「炯炯」は鋭く輝くこと。 物事の真実を見抜いているような、人を圧倒する目をいう。
箝口結舌(かんこうけつぜつ)
口を閉じて何も言わないこと。 「箝口」と「結舌」はどちらも何も言わないことで、似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。
顔厚忸怩(がんこうじくじ)
恥ずかしいと深く感じること。 「顔厚」は厚かましいこと。 「忸怩」は自分の行いを恥ずかしいと感じること。 どれだけ厚かましい人でも恥かしいと感じるという意味から。 「顔厚にして忸怩たる有り」を略した言葉。
眼光紙背(がんこうしはい)
読解力が極めて優れていることのたとえ。 「眼光」は眼の光のこと。転じて、物事を見通す力。 「紙背」は文章などが書かれた紙の裏のこと。 眼の光が鋭く、紙の裏まで貫くという意味から。 「眼光紙背に徹す」を略した言葉。
眼高手低(がんこうしゅてい)
目標は高いが実力が足りないこと。または、批評するのは上手いが、実際に自分で行う能力がないこと。 「眼高」は価値や本質など見抜く能力が高いこと。 「手低」は実力や技術力が低いこと。
寒江独釣(かんこうどくちょう)
冬の雪が降っている川で、一人で釣りをすること。 または、その姿のこと。 画題として有名。 中国の唐の柳宗元の「江雪」という詩で歌われた情景。
含垢忍辱(がんこうにんじょく)
辱めに耐えること。 「含垢」と「忍辱」はどちらも辱めに耐えること。 「垢を含み辱めを忍ぶ」とも読む。
紈袴子弟(がんこしてい)
高価な衣服を身に着けた貴族の子弟。 「紈袴」は白い練絹の袴のことで、昔の中国の貴族の子どもが着ていたもの。 「子弟」は地位や身分の高い家の子ども。
換骨羽化(かんこつうか)
人から仙人になること。 「換骨」は仙人の術を使い、人間としての骨を仙人としての骨にかえること。 「羽化」は人の体に羽が生えて空を飛べるようになるという意味で、仙人になることをいう。
換骨羽化(かんこつうげ)
人から仙人になること。 「換骨」は仙人の術を使い、人間としての骨を仙人としての骨にかえること。 「羽化」は人の体に羽が生えて空を飛べるようになるという意味で、仙人になることをいう。
換骨奪胎(かんこつだったい)
詩文の創作法の一つで、昔の人が作った詩文の表現や発想を取り入れ、それに自身の発想を加えて新しいものを作り出すこと。 または、新しい技術や発想を加えて古いものを作り直すこと。 または、外側が同じでも中身が違うことや、中身だけを取り替えること。 現在では、他人の詩文を作り変えて自分の作品のように見せかけるという意味もあるが、本来は誤用。 元は人が修行して仙人の体に生まれ変わるという意味の言葉で、それを詩文を創作することにたとえた言葉。 「換骨」は凡骨を仙骨に換えること。 「奪胎」は胎盤を奪い自分のものにするという意味から、昔の詩文の内容を手本にして作り変えること。 「骨を換え胎を奪う」とも訓読する。 「奪胎」は「脱胎」とも書く。 「奪胎換骨(脱胎換骨)」ともいう。
換骨脱胎(かんこつだったい)
詩文の創作法の一つで、昔の人が作った詩文の表現や発想を取り入れ、それに自身の発想を加えて新しいものを作り出すこと。 または、新しい技術や発想を加えて古いものを作り直すこと。 または、外側が同じでも中身が違うことや、中身だけを取り替えること。 現在では、他人の詩文を作り変えて自分の作品のように見せかけるという意味もあるが、本来は誤用。 元は人が修行して仙人の体に生まれ変わるという意味の言葉で、それを詩文を創作することにたとえた言葉。 「換骨」は凡骨を仙骨に換えること。 「奪胎」は胎盤を奪い自分のものにするという意味から、昔の詩文の内容を手本にして作り変えること。 「骨を換え胎を奪う」とも訓読する。 「奪胎」は「脱胎」とも書く。 「奪胎換骨(脱胎換骨)」ともいう。
冠婚葬祭(かんこんそうさい)
祝いと弔いの儀式の総称。 「冠」は成人式、「婚」は結婚式、「葬」は葬式、「祭」は法事や盆などの祖先の祭礼のこと。 「婚」は「昏」、「葬」は「喪」とも書く。
冠昏葬祭(かんこんそうさい)
祝いと弔いの儀式の総称。 「冠」は成人式、「婚」は結婚式、「葬」は葬式、「祭」は法事や盆などの祖先の祭礼のこと。 「婚」は「昏」、「葬」は「喪」とも書く。
冠婚喪祭(かんこんそうさい)
祝いと弔いの儀式の総称。 「冠」は成人式、「婚」は結婚式、「葬」は葬式、「祭」は法事や盆などの祖先の祭礼のこと。 「婚」は「昏」、「葬」は「喪」とも書く。
冠昏喪祭(かんこんそうさい)
祝いと弔いの儀式の総称。 「冠」は成人式、「婚」は結婚式、「葬」は葬式、「祭」は法事や盆などの祖先の祭礼のこと。 「婚」は「昏」、「葬」は「喪」とも書く。
翫歳愒日(がんさいかいじつ)
無為に日々を過ごすこと。 「翫」と「愒」はどちらも貪(むさぼ)るという意味。 人々を治める者が行ってはならないことを述べたもの。 「歳を翫(むさぼ)り日を愒(むさぼ)る」とも訓読する。
敢作敢当(かんさくかんとう)
覚悟を決めて行動すること。 または、決断して行動した結果の責任を潔く取ること。 または、その気持ちのこと。 「敢作」は「敢行」は同じ意味で、思い切って行動すること。 「当」は取り掛かること。
寒山拾得(かんざんじっとく)
中国の唐の時代の二人の高僧で、文殊菩薩と普賢菩薩の生まれ変わりとされている、寒山と拾得のこと。 二人とも奇行が多く、詩人として有名で、禅画の画題としてよく使われる。
岸芷汀蘭(がんしていらん)
水辺で花が香しく咲き乱れ、草木が生い茂っている様子。 「岸」は水辺の岸になっているところ。 「汀」は水辺の低くなっているところ。 「芷」はセリ科の植物のヨロイグサのこと。 「蘭」はキク科の植物のフジバカマのこと。
観者如堵(かんじゃじょと)
多くの見物人が集まっている様子。 「堵」は土を固めて作った塀。 見物人が多く、塀のように見えるという意味から。 「観(み)る者堵(と)の如(ごと)し」とも、「観(み)る者堵(かき)の如(ごと)し」とも読む。
含沙射影(がんしゃせきえい)
陰険な方法で人を害すること。 「含沙」は水の中にいる虫のいさごむしのこと。 いさごむしが人の影に砂を吐くと、影に砂をかけられた人は高熱が出て死んでしまうとされていることから。 「含沙(がんしゃ)影を射る」とも読む。
感情移入(かんじょういにゅう)
他人の表情や言葉で、感情などを自分のものとして体験すること。 十九世紀の末に、ドイツのリップスが唱えたもので、美学における根本の概念をいう。 自然や芸術作品などの対象に、自分の感情を投射することで、対象の感情をつかもうとすることをいう。
顔常山舌(がんじょうざんのした)
辛い処罰を受けても、君主や国への忠義を貫き通すこと。 「顔常山」は顔杲卿という人物のこと。 中国唐の顔杲卿は、反乱軍の安禄山に捕らえられても、唐への忠義を曲げず、安禄山を罵倒したため舌を切られるという処罰を受けたが、それでもなお罵倒を続けたという故事から。
緩衝地帯(かんしょうちたい)
対立し合ってる国同士の間にあり、衝撃を緩和する目的で設ける中立地帯。または、ぶつかった時の衝撃を弱める目的で間に設置する物。
勧奨懲戒(かんしょうちょうかい)
善を勧めて悪を罰すること。 「勧奨」は奨励すること。 「懲戒」は罰すること。 善い行いを勧めて、悪い行いをしないようにするということ。
含笑入地(がんしょうにゅうち)
悔いを残さず、心穏やかに死ぬこと。 「入地」は遺体を土の中に埋めること。 中国の後漢の韓韶が贏県を治めていたときに、難民に食べ物を与えたところ、戸主に非難されたが、韓韶は困っている人を助けて罰せられるのなら笑顔で死ねると言ったという故事から。 「笑いを含んで地に入る」とも読む。
干将莫邪(かんしょうばくや)
古代中国にあったとされる名剣の名前。 「干将」は中国の春秋時代の呉の国の刀工の名前。 「莫邪」はその刀工の妻の名前。 干将は呉の王に剣を作るように言われ、剣を作り始めたが、上手くいかなかった。 炉に妻の髪と爪を入れてみると、二振りの名剣が完成して、その剣に「干将」と「莫邪」という名 づけて献上したという故事から。 「干将莫耶」とも書く。
干将莫耶(かんしょうばくや)
古代中国にあったとされる名剣の名前。 「干将」は中国の春秋時代の呉の国の刀工の名前。 「莫邪」はその刀工の妻の名前。 干将は呉の王に剣を作るように言われ、剣を作り始めたが、上手くいかなかった。 炉に妻の髪と爪を入れてみると、二振りの名剣が完成して、その剣に「干将」と「莫邪」という名 づけて献上したという故事から。 「干将莫耶」とも書く。
旰食宵衣(かんしょくしょうい)
夜が明ける前から衣服を身に着けて夜遅くに夕食を取ることから、為政者が早朝から夜遅くまで懸命に政治に取り組むこと。 「宵」は夜が明ける前。 「旰」は日が暮れる頃。または、深夜。 「旰食宵衣」ともいう。
関雎之化(かんしょのか)
夫婦の仲がよく、家庭が穏やかなこと。 「関雎」は『詩経』の中にある篇の名前。 周の文王と后妃の睦まじい夫婦の徳を詠じたもので、その徳に影響を受けて、どの家庭も穏やかになるという意味から。
肝腎肝文(かんじんかんもん)
非常に重要なこと。 「肝腎」は肝臓と腎臓のことで、人の身体で大切な部分ということから、重要なことのたとえ。 「肝文」は肝になる一節という意味から、重要なことのたとえ。
閑人閑話(かんじんかんわ)
ひまで用のない人が話す無駄な話。 「閑人」は暇な人。 「閑話」は役に立たない話。無駄話。 自身の話を謙遜していう言葉。
玩人喪徳(がんじんそうとく)
人を見くびって軽く扱うと、自身の徳を失うことになるということ。 「玩人」は人を軽く見てもてあそぶこと。 「人を玩(もてあそ)べば徳を喪(うしな)う」とも読む。
寛仁大度(かんじんたいど)
心が広くて、度量が大きく、慈悲深いこと。 「寛仁」は慈悲深く、心が広いこと。 「大度」は度量が大きいこと。
閑人適意(かんじんてきい)
世間から離れて、のんびりと風流な生活をすること。 または、そのような人のこと。 「閑人」は特にすることのない、暇な人。または、風流な人。 「適意」は思うままに振舞うこと。
姦人之雄(かんじんのゆう)
世辞がうまく、世渡り上手で中身の薄い人のこと。 「姦人」はあくどい人のこと。
韓信匍匐(かんしんほふく)
将来的な目的を果たすために、恥辱や苦労を耐えることのたとえ。 「韓信」は人の名前。 韓信は背が高く、大きな剣を持っていたために、「立派な剣を持っているが臆病者だ。やれるものなら剣で突いてみろ。出来なければ股の下をくぐれ。」と挑発され、羞じに耐えて股の下をくぐった。 後に漢の劉邦に仕え、王朝を建国するときに大きな功績を上げ、名将として三傑と称されるまでになったという故事から。
鼾声如雷(かんせいじょらい)
いびきの音がすさまじく大きいこと。 「鼾声」はいびきの音。 雷のように大きな音のいびきということから。 「鼾声(かんせい)雷の如(ごと)し」とも読む。
甘井先竭(かんせいせんけつ)
才能がある人ほど、衰退するのが早いということのたとえ。 「甘井」はうまい水の出る井戸。 うまい水が出る井戸は、人がより多く集まるために、先に水がなくなるということから。 「甘井(かんせい)、先(ま)ず竭(つ)く」とも読む。
埳井之鼃(かんせいのあ)
世の中のことを知らず、自分だけの狭い見識や考え方にとらわれていることのたとえ。 「埳井」は壊れた古い井戸。 「鼃」は蛙(かえる)のこと。 井戸に住む蛙が海に住む大亀に、自分の住む井戸は広く自由で素晴らしいと語ったところ、大亀から海の広さや深さを聞かさせて蛙はとても驚いたという故事から。
坎井之鼃(かんせいのあ)
世の中のことを知らず、自分だけの狭い見識や考え方にとらわれていることのたとえ。 「埳井」は壊れた古い井戸。 「鼃」は蛙(かえる)のこと。 井戸に住む蛙が海に住む大亀に、自分の住む井戸は広く自由で素晴らしいと語ったところ、大亀から海の広さや深さを聞かさせて蛙はとても驚いたという故事から。
姦声乱色(かんせいらんしょく)
人の心を乱し、堕落させる音楽や淫らな女性の容貌のこと。 「姦声」は人の心を乱して堕落させる音楽。 「乱色」は淫らな女性の容貌。
干戚羽旄(かんせきうぼう)
武の舞と文の舞のこと。 「干戚」は盾と斧などの武器を持って舞う、武の舞のこと。 「羽旄」は鳥の雉の羽と、牛の旄牛の尾を飾った旗を持って舞う、文の舞のこと。
頑石点頭(がんせきてんとう)
説得力や影響力が大きいことのたとえ。 「頑石」はただの石。 「点頭」はうなずくこと。 意思のない石ですらうなずくほどに影響力が大きいということから。 僧の道生が石を集めて説法すると、その説法を理解して石はうなずいたという故事から。
煥然一新(かんぜんいっしん)
人目で分かるほどにはっきりと新しくなること。 または、一気にすっかりと新しくなること。 「煥然」は明らかな様子。 「一新」はがらりと新しくなること。 「煥然(かんぜん)として一新(いっしん)す」とも読む。
冠前絶後(かんぜんぜつご)
他よりも、飛び抜けてすぐれていること。 または、極めて珍しいこと。 「冠前」は過去から今までで一番すぐれていること。 「絶後」は今から未来にも現われないということ。 「冠絶」と略して使うこともある言葉。 中国の宋の徽宋帝が、唐の画家の呉道子を評した故事から。
勧善懲悪(かんぜんちょうあく)
善い行いを奨励して、悪い行いには罰を与えること。 「勧善」は善い行いを勧めること。 「懲悪」は悪い行いを懲らしめること。 「善を勧め悪を懲(こ)らす」とも読む。 「懲悪勧善」ともいう。
完全燃焼(かんぜんねんしょう)
最後まできれいに燃え尽きること。 または、全ての力を出し切ること。
寒泉之思(かんせんのおもい)
子どもが親を思いやり、尽くそうとする心。 「寒泉」は冷たい地下水。 植物を育む冷たい地下水のように愛情をもって育ててくれた母親に対して、七人の子どもたちは苦労をかけるばかりで孝行できなかったことを自責したという話から。
完全無欠(かんぜんむけつ)
足りない部分や短所などが全くないこと。 「完全」と「無欠」はどちらも不足や弱点が全くないという意味。 同じ意味の言葉を重ねて強調したもの。
乾燥無味(かんそうむみ)
面白いと思える要素や風情が何もないこと。 「無味」は味が無いという意味から、面白みがないことのたとえ。 「乾燥」は水分がなくなり潤いに欠けるという意味から、風情や面白みがないことのたとえ。 「乾燥無味」ともいう。
観測気球(かんそくききゅう)
世論や相手の反応を調べるために、わざと流す情報や声明のこと。 または、高層の大気の状態を調べたり、戦場で敵の状況の偵察や、砲弾の着弾の状態を観測するための気球のこと。 「観測」はよく観察して推測すること。
官尊民卑(かんそんみんぴ)
政府や役人などの官営事業を尊んで、民間人や民間事業を卑しむこと。 「官」は政府や役人のこと。 「民」は普通の人、民間人のこと。
邯鄲学歩(かんたんがくほ)
他人の真似をしたがうまくいかず、自分自身の本来のものを忘れ、どちらもうまくいかなくなること。 「邯鄲」は中国の地名。 中国の戦国時代、燕の田舎の国の青年が趙の都会の邯鄲に行って、都会の人たちの歩き方を真似しようとしたが、それに失敗して今までの自分の歩き方を忘れて這って帰ったという故事から。
寒煖饑飽(かんだんきほう)
普段の生活で感じる苦楽のこと。 寒さや暖かさ、空腹や満腹ということから。 「饑飽」は空腹と満腹のこと。 「寒暖饑飽」とも書く。
寒暖饑飽(かんだんきほう)
普段の生活で感じる苦楽のこと。 寒さや暖かさ、空腹や満腹ということから。 「饑飽」は空腹と満腹のこと。 「寒暖饑飽」とも書く。
肝胆胡越(かんたんこえつ)
そっくりなものでも、見方によっては違うものに見えるということ。 または、非常に近い関係の者の交際が途絶えがちになることのたとえ。 「肝胆」は内臓の肝臓と胆嚢。 「胡」と「越」は中国の国の名前で、胡は北方にあり、越は西方にあった。 異なる物という観点から見れば、体の中で隣り合っている肝臓と胆嚢も、楚と越の国のように離れているように思えるという意味から。
肝胆相照(かんたんそうしょう)
お互いに心の奥深くまで理解しあっていて、打ち解け合っている関係のたとえ。 「肝胆」は内臓の肝臓と胆嚢のことで、心の奥底のたとえ。 肝臓と胆嚢のように近くて深い関係ということから。 「肝胆(かんたん)相(あい)照らす」とも読む。
肝胆楚越(かんたんそえつ)
そっくりなものでも、見方によっては違うものに見えるということ。 または、非常に近い関係の者の交際が途絶えがちになることのたとえ。 「肝胆」は内臓の肝臓と胆嚢。 「楚」と「越」は中国の国の名前で、楚は長江の中流にあり、越は長江の下流にあった。 異なる物という観点から見れば、体の中で隣り合っている肝臓と胆嚢も、楚と越の国のように離れているように思えるという意味から。
邯鄲之歩(かんたんのあゆみ)
他人の真似をしたがうまくいかず、自分自身の本来のものを忘れ、どちらもうまくいかなくなること。 「邯鄲」は中国の地名。 中国の戦国時代、燕の田舎の国の青年が趙の都会の邯鄲に行って、都会の人たちの歩き方を真似しようとしたが、それに失敗して今までの自分の歩き方を忘れて這って帰ったという故事から。
邯鄲之歩(かんたんのほ)
他人の真似をしたがうまくいかず、自分自身の本来のものを忘れ、どちらもうまくいかなくなること。 「邯鄲」は中国の地名。 中国の戦国時代、燕の田舎の国の青年が趙の都会の邯鄲に行って、都会の人たちの歩き方を真似しようとしたが、それに失敗して今までの自分の歩き方を忘れて這って帰ったという故事から。
邯鄲之夢(かんたんのゆめ)
人の世界での繁栄は儚いということのたとえ。 または、人の人生が儚いことのたとえ。 「邯鄲」は中国の町の名前。 唐の盧生という人が、旅の途中の邯鄲の町で、道士から出世が叶うという枕を借りて寝ると、出世して財力や権力を手に入れる夢を見た。 目が覚めると、宿の主人に頼んでいた、粟のかゆが出来上がっていないほどのわずかな時間しか過ぎていなかったという故事から。
簡単明瞭(かんたんめいりょう)
単純ではっきりとしていること。 「明瞭」ははっきりとしていて分かりやすいこと。
奸知術数(かんちじゅっすう)
悪い知恵や策略。悪だくみ。 「奸知」は邪悪な知恵。 「術数」は策略のこと。 「姦知術数」とも書く。
姦知術数(かんちじゅっすう)
悪い知恵や策略。悪だくみ。 「奸知」は邪悪な知恵。 「術数」は策略のこと。 「姦知術数」とも書く。
管中窺天(かんちゅうきてん)
見識が狭いことのたとえ。 細い管を覗いて天を見るという意味で、管を覗いて天を見ても、天の一部分しか見ることは出来ないということから。 「管中(かんちゅう)より天(てん)を窺(うかが)う」とも読む。
管中窺豹(かんちゅうきひょう)
見識が非常に狭いことのたとえ。 管を通して動物の豹を見ても、一つの斑文しか見ることが出来ず、全体はわからないという意味から。 「管中(かんちゅう)より豹(ひょう)を窺(うかが)う」とも読む。
管仲随馬(かんちゅうずいば)
聖人の知恵を借りること。 または、昔の人の経験を尊重することのたとえ。 「管仲」は中国の人の名前。 「随」は従うこと。 中国の春秋時代、名宰相といわれていた管仲は、戦いから帰るときに道に迷い、馬の知恵を借りようと馬を放ち、馬の後についていくと帰ることができたという故事から。 「管仲(かんちゅう)馬(うま)に随(したが)う」とも読む。
眼中之釘(がんちゅうのくぎ)
自分に害を与えるもののたとえ。 または、邪魔になる人や物のたとえ。 中国の五大時代の趙在礼の悪政に苦しんだ人々は、趙在礼が転任することになり、目の中の釘が抜けたようだと喜んだという故事から。 「眼中之丁」とも書く。
眼中之丁(がんちゅうのくぎ)
自分に害を与えるもののたとえ。 または、邪魔になる人や物のたとえ。 中国の五大時代の趙在礼の悪政に苦しんだ人々は、趙在礼が転任することになり、目の中の釘が抜けたようだと喜んだという故事から。 「眼中之丁」とも書く。
眼中之釘(がんちゅうのてい)
自分に害を与えるもののたとえ。 または、邪魔になる人や物のたとえ。 中国の五大時代の趙在礼の悪政に苦しんだ人々は、趙在礼が転任することになり、目の中の釘が抜けたようだと喜んだという故事から。 「眼中之丁」とも書く。
眼中之丁(がんちゅうのてい)
自分に害を与えるもののたとえ。 または、邪魔になる人や物のたとえ。 中国の五大時代の趙在礼の悪政に苦しんだ人々は、趙在礼が転任することになり、目の中の釘が抜けたようだと喜んだという故事から。 「眼中之丁」とも書く。
眼中之人(がんちゅうのひと)
心の中から消えることなく、いつも思っている人。または、非常に親しい関係の友人。
眼中無人(がんちゅうむじん)
傲慢で人を人として扱わず、好き放題に振る舞う様子。 「眼中人(ひと)無し」とも読む。
歓天喜地(かんてんきち)
思いっきり喜ぶこと。 「歓喜」と「天地」を合わせた言葉で、天に向かって喜び、地に向かって喜ぶという意味から。 「天(てん)に歓(よろこ)び地に喜ぶ」とも読む。
旱天慈雨(かんてんじう)
辛い状況の時に助けや援助を受けること。 または、待ち望んだものが手に入ったり、実現したりすること。 「旱天」は日照りが続いて旱魃になること。 旱魃で困っているときの恵の雨ということから。 「干天慈雨」とも書く。
干天慈雨(かんてんじう)
辛い状況の時に助けや援助を受けること。 または、待ち望んだものが手に入ったり、実現したりすること。 「旱天」は日照りが続いて旱魃になること。 旱魃で困っているときの恵の雨ということから。 「干天慈雨」とも書く。
撼天動地(かんてんどうち)
目を見張るほど活動が立派なこと。 または、音や声、勢いなどが大きいことのたとえ。 または、世の人々を驚かせる大きな出来事のたとえ。 「撼」は動かすという意味。 天地を揺り動かすという意味から。
甘棠之愛(かんとうのあい)
すぐれた為政者を人々が慕う気持ちが深いこと。 「甘棠」はからなし、りんごの木のこと。 中国の周の召公は、善政を行った立派な為政者として人々に慕われ、召公が木蔭で休んだりんごの木を大切にして、いつまでも召公を忘れなかったという故事から。
貫道之器(かんどうのき)
「文章」の別称。 文章は道を明らかにする器であることから。
患得患失(かんとくかんしつ)
所持していない時は手に入れるために悩み、所持したあとには失わないために悩むということ。 「患」は悩むこと。 「得」は利益。 「失」は損失。 利益や損失に振り回される器の小さい人を言い表す言葉。 つまらない人間と共に仕事はできないと、孔子が言ったという言葉から。 「得(う)るを患(うれ)い失うを患(うれ)う」とも読む。
環堵蕭然(かんとしょうぜん)
狭く質素でみすぼらしい家の様子。 「環堵」は家を囲む垣根のこと。または小さく狭い家のこと。「堵」は長さの単位で、一説に約二・二メートルとされるが諸説ある。 「蕭然」は寂しい様子。
頑鈍無恥(がんどんむち)
信念がなく、恥知らずなこと。 「頑鈍」は信念がなく、恥知らずなこと。 「無恥」は恥知らずなこと。 中国の漢の陳平が、劉邦は傲慢で無礼だが、報酬を惜しまないために、強欲で恥知らずな兵士が集まると言ったという故事から。
艱難辛苦(かんなんしんく)
困難な状況に苦しみ悩むこと。 「艱」と「難」はどちらも苦しむことや悩むこと。 「辛苦」は苦しみ悩みのこと。 似た意味の言葉を重ねて強調したもの。 「辛苦艱難」ともいう。
艱難辛困(かんなんしんこん)
苦しみながら悩み苦労すること。 「艱」と「難」はどちらも苦しむことや悩むこと。 「辛困」は苦しみ悩みこと。 似た意味の言葉を重ねて強調した言葉で、人が生きる上で起こる、多くの辛い出来事に苦しみ悩むことをいう。
奸佞邪智(かんねいじゃち)
性格がひねくれていて、悪知恵がはたらくこと。 「奸佞」は心がひねくれていて悪賢く、人にこびへつらうこと。 「邪智」は悪いことにだけよく働く知恵。 「奸佞」は「姦佞」とも、「邪智」は「邪知」とも書く。 「邪智奸佞」ともいう。
姦佞邪智(かんねいじゃち)
性格がひねくれていて、悪知恵がはたらくこと。 「奸佞」は心がひねくれていて悪賢く、人にこびへつらうこと。 「邪智」は悪いことにだけよく働く知恵。 「奸佞」は「姦佞」とも、「邪智」は「邪知」とも書く。 「邪智奸佞」ともいう。
奸佞邪知(かんねいじゃち)
性格がひねくれていて、悪知恵がはたらくこと。 「奸佞」は心がひねくれていて悪賢く、人にこびへつらうこと。 「邪智」は悪いことにだけよく働く知恵。 「奸佞」は「姦佞」とも、「邪智」は「邪知」とも書く。 「邪智奸佞」ともいう。
姦佞邪知(かんねいじゃち)
性格がひねくれていて、悪知恵がはたらくこと。 「奸佞」は心がひねくれていて悪賢く、人にこびへつらうこと。 「邪智」は悪いことにだけよく働く知恵。 「奸佞」は「姦佞」とも、「邪智」は「邪知」とも書く。 「邪智奸佞」ともいう。
感応道交(かんのうどうこう)
仏の力が人々の信仰の心に応えて、仏と人々の心が通じ合うこと。 「感応」は仏と人々の心が通じ合うこと。 「感応(かんのう)の道(みち)交わる」とも読む。
肝脳塗地(かんのうとち)
戦場で無残な死に方をすることのたとえ。 または、忠義を尽くすためならどんな犠牲も惜しまないことのたとえ。 「肝脳」は内臓の肝臓と脳。 「塗地」は土でひどく汚れること。 死体の内臓が土で汚れるという意味から。
汗馬之労(かんばのろう)
物事を成功させるために、苦労しながらあちこち駆け回ること。 「汗馬」は馬に汗をかかせるということから、戦場で功績を得るために駆け巡るということ。
銜尾相随(かんびそうずい)
一列に連なって、切れ目なく進む様子。 「銜尾」は後ろの馬が前の馬の尾を口にくわえること。 「相随」は前のものについていくこと。 狭く険しい山道などで、まるで前の馬の尾を後ろの馬が口にくわえるように、一列に連なって進むという意味から。 「銜尾(かんび)相随(あいしたが)う」とも読む。
勧百諷一(かんぴゃくふういつ)
役に立ったり利益になることがあまりなく、悪影響を与えたり損害になったりすることのほうが多いこと。 言葉や文章についていう言葉。 元は百の贅沢を勧めて、一の節約をするということを遠回しに諫(いさ)めた言葉。 「百(ひゃく)を勧(すす)めて一(いつ)を諷(ふう)す」とも読む。
玩物喪志(がんぶつそうし)
必要の無いものに夢中になって、大切なことをなおざりにすること。 「喪志」は本来の目的を忘れること。 物に執着すれば志を失くしてしまうという意味から。 「物(もの)を玩(もてあそ)べば志(こころざし)を喪(うしな)う」とも読む。
感孚風動(かんぷふうどう)
人を感動させて感化すること。 「感孚」は人に感動を与えること。 「風動」は風に吹かれてなびくように、人を感化するということ。
間不容髪(かんふようはつ)
何か事が起きたときに、それに合わせた行動をすぐに行うこと。 髪の毛一本を入れる隙間もないという意味から。 「間、髪を容れず」という形で使うことが多い言葉。
感奮興起(かんぷんこうき)
物事に強く感動して奮い立つこと。 「感奮」は感動して奮い立つこと。 「興起」は気構えが奮い立つこと。
韓文之疵(かんぶんのきず)
主張や発言の辻褄が合わないこと。 「韓文」は中国の名文家の韓愈の書いた文章のこと。 「疵」はきずのこと。 「送孟東野序」の中で、韓愈が述べていることに矛盾があるということから。
韓文之疵(かんぶんのし)
主張や発言の辻褄が合わないこと。 「韓文」は中国の名文家の韓愈の書いた文章のこと。 「疵」はきずのこと。 「送孟東野序」の中で、韓愈が述べていることに矛盾があるということから。
緩兵之計(かんへいのけい)
敵との決戦をわざと遅らせて、時間を稼いで機会をみて攻撃をする戦法のこと。 「緩」は遅らせるという意味。
完璧帰趙(かんぺききちょう)
預かった大切なものを傷一つつけずに返すこと。 「璧」は宝石のこと。 古代中国の戦国時代、和氏の璧という宝石を持っていた趙の恵文王は、秦の昭王から十五の城市と交換するように要求され、藺相如が和氏の璧を届けに行ったが、道中で交換ではなく奪うつもりだと気づき、一度秦の昭王に奪われた後に、上手く言いくるめて取り返して趙の国に持ち帰ったという故事から。 「璧を完うして趙に帰る」とも読み、「完璧」という言葉の語源とされている。
管鮑之交(かんぽうのこう)
お互いのことを理解しあっていて、利害を超えた親密な友情のこと。 「管」は管仲、「鮑」は鮑叔牙、どちらも古代中国の人の名前。 中国の春秋時代、斉の鮑叔牙と管仲は幼い頃からの親友で、二人は違う王子に仕え、王子の後継者争いで鮑叔牙が仕える桓公が勝った。 桓公は敵対した管仲を殺そうとしたが、鮑叔牙は臣下に迎えるように桓公を説得し、後に宰相となった管仲と、その補佐になった鮑叔牙の力によって斉は大きな国になった。 鮑叔牙の死後、管仲は墓前で、「私を生んだのは両親だが、私を理解しているのは鮑叔だった」と言い、互いに互いの厚意を感謝し、二人の関係はいつまでも変わらなかったという故事から。
管鮑之交(かんぽうのまじわり)
お互いのことを理解しあっていて、利害を超えた親密な友情のこと。 「管」は管仲、「鮑」は鮑叔牙、どちらも古代中国の人の名前。 中国の春秋時代、斉の鮑叔牙と管仲は幼い頃からの親友で、二人は違う王子に仕え、王子の後継者争いで鮑叔牙が仕える桓公が勝った。 桓公は敵対した管仲を殺そうとしたが、鮑叔牙は臣下に迎えるように桓公を説得し、後に宰相となった管仲と、その補佐になった鮑叔牙の力によって斉は大きな国になった。 鮑叔牙の死後、管仲は墓前で、「私を生んだのは両親だが、私を理解しているのは鮑叔だった」と言い、互いに互いの厚意を感謝し、二人の関係はいつまでも変わらなかったという故事から。
含哺鼓腹(がんぽこふく)
人々が豊かな生活をして、平和な世の中を楽しむこと。 「含哺」は口に食べ物を含むこと。 「鼓腹」は腹鼓を打つこと。 満腹になって満たされている様子から。 「哺(ほ)を含み腹(はら)を鼓(こ)す」とも読む。
頑迷固陋(がんめいころう)
頑固で視野が狭く、正しい判断ができないこと。 「頑迷」は頑固で物事の道理がわからないこと。 「固陋」は古いものに固執すること。 「頑迷」は「頑冥」とも書く。 「固陋頑迷(固陋頑冥)」ともいう。
頑冥固陋(がんめいころう)
頑固で視野が狭く、正しい判断ができないこと。 「頑迷」は頑固で物事の道理がわからないこと。 「固陋」は古いものに固執すること。 「頑迷」は「頑冥」とも書く。 「固陋頑迷(固陋頑冥)」ともいう。
干名采誉(かんめいさいよ)
名誉を求め続けること。 「干」は求めること。 「采」は取ること。 節操なく名誉を求め続ける人を蔑んで言う言葉。 「名(な)を干(もと)め誉(ほま)れを采(と)る」とも読む。
簡明直截(かんめいちょくせつ)
簡潔で理解しやすいこと。 「直截」は迷わずに決裁すること。 「簡明」は簡潔でわかりやすいこと。 文章や人の性質のことをいう。 「簡明直截」ともいう。
頑冥不霊(がんめいふれい)
道理がわからず、頑固で思考が鈍い人のこと。 「頑冥」は頑固で道理がわからないこと。 「不霊」は頭の働きが鈍いこと。 「不霊頑冥」ともいう。
簡明扼要(かんめいやくよう)
分かりやすく、物事の大切な部分をしっかりと押さえていること。 「扼要」は戦略上で大切な場所を占拠するという意味から、要点を押さえること。 「簡明(かんめい)にして要(よう)を扼(おさ)う」とも読む。
顔面蒼白(がんめんそうはく)
恐怖や怪我などで動揺したり、困惑したりして血の気が失せた顔色のこと。 「蒼白」は青白いこと。
歓楽哀情(かんらくあいじょう)
楽しい気持ちで満たされると、その後のことを考えてしまい、哀しい気持ちがわき上がってくるということ。 「歓楽」は遊びや飲酒、女遊びの楽しみ。 「哀情」は哀しい気持ち。 「歓楽極まりて哀情多し」を略した言葉。
冠履顛倒(かんりてんとう)
地位や立場などの順位が逆になっていること。 価値や秩序が乱れていることをいう。 「冠履」はかんむりと靴。 「顛倒」はひっくり返ること。 かんむりと靴が入れ替わるという意味から。 「冠履転倒」とも書く。
冠履転倒(かんりてんとう)
地位や立場などの順位が逆になっていること。 価値や秩序が乱れていることをいう。 「冠履」はかんむりと靴。 「顛倒」はひっくり返ること。 かんむりと靴が入れ替わるという意味から。 「冠履転倒」とも書く。
冠履倒易(かんりとうえき)
地位や立場などの順位が逆になっていること。 価値や秩序が乱れていることをいう。 「冠履」はかんむりと靴。 「倒易」は入れ替わること。 かんむりと靴が入れ替わるという意味から。
頑廉懦立(がんれんだりつ)
立派な人物からよい影響を受けて、悪い人もよくなっていくということ。 「頑」は強欲なこと。 「廉」は心に汚れが無く清らかなこと。 「懦」は物事を遣り通す気構えがないこと。 「立」は目標を持つこと。 立派な人物からよい影響を受けて、欲深い人も清く正しい心になり、意気地のない人も奮起して目標を持つということから。 「伯夷の風(ふう)を聞く者は、頑夫も廉に、懦夫(だふ)も志を立つる有り」から。 伯夷は、周の時代の隠者で、清い心を持った立派な人物とされる。
頑陋至愚(がんろうしぐ)
頑固で分別がなく、極めて愚かなこと。 「頑陋」は頑固で分別がないこと。 「至愚」は極めて愚かなこと。
閑話休題(かんわきゅうだい)
それはさておき。ともかく。 本題からそれてしまった話を本題に戻すときに使う言葉。 主に文章中に用いられる言葉。 「閑話」は無駄な雑談のこと。 「休題」は話をやめること。 「間話休題」とも書く。
間話休題(かんわきゅうだい)
それはさておき。ともかく。 本題からそれてしまった話を本題に戻すときに使う言葉。 主に文章中に用いられる言葉。 「閑話」は無駄な雑談のこと。 「休題」は話をやめること。 「間話休題」とも書く。