「水」を含む四字熟語一覧
水を含む四字熟語の一覧です。
五十音順に表示しています。
以水救水(いすいきゅうすい)
間違った手段で盛んな勢いを抑えようとして、かえって勢いを強めてしまうこと。 水を注いで水の流れを止めようとするということから。 「水(みず)を以(もっ)て水(みず)を救う」とも読む。
以水滅火(いすいめっか)
非常に簡単に物事ができること。 水をかけて火を消すという意味から。 「水(みず)を以(もっ)て火(ひ)を滅す」とも読む。
一衣帯水(いちいたいすい)
海や川が間にあって遮られているが、非常に距離が近いこと。 または、互いの関係が非常に深いこと。 陳の君主の悪政によって庶民が飢えと寒さで窮地に陥ったときに、隣国の隋の文帝が「たった一本の帯のような川(揚子江)に隔てられているからといって、民を見捨てることができるか」といって、陳の国を討伐したという故事から。
一水盈盈(いっすいえいえい)
愛する人に言葉をかけることが出来ない苦しい思いのこと。 「盈盈」は水が満ちている様子。 「一水」は一筋の川のこと。 牽牛と織女の七夕伝説を題材に、一筋の天の河で隔てられているために、見つめるだけで会話することが出来ない切なさをうたった詩。 「盈盈(えいえい)たる一水(いっすい)」とも読む。 「一水盈盈」ともいう。
一水四見(いっすいしけん)
同じものを見ても、見る人が変わればそれぞれの見方があるということ。 「一水」は一つの水のこと。 「四見」は四つの見方という意味から、様々な見方のたとえ。 仏教用語。
飲水思源(いんすいしげん)
物事の基本を忘れずに大切にするべきという戒め。 または、受けた恩を忘れてはいけないという戒め。 水を飲むときに、水源のことを思うという意味から。 「水を飲むときは井戸を掘った人のことを忘れるな」という中国のことわざから。 「水を飲みて源(みなもと)を思う」とも読む。
雨水亡氷(うすいぼうひょう)
寒くない冬。暖冬。 「水」は雨のこと。 雪は降らずに雨が降って、氷が張らないことから。 「水(みず)雨(ふ)り氷(こおり)亡(な)し」とも読む。
雲水行脚(うんすいあんぎゃ)
僧侶が様々な国を巡り歩きながら、仏教の修行をすること。 「雲水」は留まることのない雲と水ということから、修行僧のこと。
雲水飛動(うんすいひどう)
自然の風景画の素晴らしさをたとえた言葉。 雲が飛んで水が流れるという意味から。
盈盈一水(えいえいいっすい)
愛する人に言葉をかけることが出来ない苦しい思いのこと。 「盈盈」は水が満ちている様子。 「一水」は一筋の川のこと。 牽牛と織女の七夕伝説を題材に、一筋の天の河で隔てられているために、見つめるだけで会話することが出来ない切なさをうたった詩。 「盈盈(えいえい)たる一水(いっすい)」とも読む。 「一水盈盈」ともいう。
潁水隠士(えいすいのいんし)
利欲にとらわれることのない、気高く清らかな人のたとえ。 または、古代中国、潁水という川の周辺に住んでいた隠者「許由」のこと。 古代中国で尭帝が許由に天子の位を譲話をしたところ、許由は汚れた話を聞いてしまったと言い、潁水の水で耳をすすいだという故事から。
遠水近火(えんすいきんか)
遠い場所にあるものは、差し迫った場面では役に立たないということ。 近所が火事になると、遠い場所にある水場から水を持ってきても間に合わないという意味から。 「遠水は近火を救わず」を略した言葉。
合水和泥(がっすいわでい)
わが身を顧みずに、全力で他人を救うこと。 泥まみれになり水に濡れながらも、溺れている人を助けるという意味の仏教語。 「合水和泥」ともいう。
我田引水(がでんいんすい)
他人のことを考えず、自分の利益のみのために行動したり、都合のよい理屈をこねたりすること。 自分の田だけに水を引き入れるという意味から。 「我(わ)が田(た)に水(みず)を引(ひ)く」とも読む。
鏡花水月(きょうかすいげつ)
目には見えても、手に取ることはできないはかないもののたとえ。 または、感じ取ることができるが言葉では表すことができない、詩文などの深い味わいのたとえ。 鏡に映る花と水に映る月のことから。 「水月鏡花」ともいう。
曲水流觴(きょくすいりゅうしょう)
曲がりくねった小さな川の上流に、酒の入った杯を浮かべ、自分の前を流れていってしまう前に詩を作って、杯の酒を飲むという風流な遊びのこと。 「觴」は杯のこと。 「曲水」は曲がりくねっている小川のこと。 中国では陰暦の三月三日に行われた風習で、晋の王羲之が会稽の蘭亭で行ったものが有名。 日本では奈良時代や平安時代に行われ、曲水の宴と呼ばれた。 「曲水流觴」ともいう。
懸河瀉水(けんがしゃすい)
流れるような話し方や、文章を言い表す言葉。 「懸河」は傾斜が激しい場所を、激しく流れている川。または、滝のこと。 「瀉」は流れ込むこと。 「懸河(けんが)水を瀉(そそ)ぐ」とも読む。
光陰流水(こういんりゅうすい)
時の流れが非常に早いことのたとえ。 「光陰」は太陽と月のことで、月日や年月、長い時間のたとえ。 「流水」は流れている水のこと。 流れる水のように、月日が過ぎていくという意味から。
行雲流水(こううんりゅうすい)
物事に執着せず、自然体で事の成り行きに任せて行動するスタイルや姿勢のこと。 自在に空を漂う雲(行雲)、自然に川を流れる水(流水)の様子から。
黄河水清(こうがすいせい)
この上なく珍しいこと。 常に濁っている黄河の川の水が澄むことから。 大きな変化の予兆とされ、特に聖人が現れる兆しとされる。 「黄河、水(みず)澄む」とも読む。
高山流水(こうざんりゅうすい)
素晴らしい演奏や音楽のたとえ。または、自分のことを心から理解してくれる親友のこと。または、けがれのない澄んだ自然のこと。 中国の春秋時代の琴の名手の伯牙が、友人の鍾子期の前で泰山を思い浮かべながら演奏すると鍾子期は「泰山のように素晴らしい」と言い、流れる川を思い浮かべながら演奏すると「流れる川のように素晴らしい」と言ったという故事から。 「流水高山」ともいう。
交淡如水(こうたんじょすい)
水のようにさっぱりとした人との付き合いのこと。 徳のある人物の人付き合いをいう言葉で、徳のある人物の人付き合いは淡白に見えるが、心のこもったものであるという意味から。 「交わりは淡きこと水の如し」を略した言葉。
混水模魚(こんすいもぎょ)
状況を乱して利益を得ること。 水を濁らせて魚の目を眩まして、混乱している魚を捕まえるという意味から。 「水を混(にご)して魚(うお)を模(さぐ)る」とも読む。 「混水摸魚」とも書く。
混水摸魚(こんすいもぎょ)
状況を乱して利益を得ること。 水を濁らせて魚の目を眩まして、混乱している魚を捕まえるという意味から。 「水を混(にご)して魚(うお)を模(さぐ)る」とも読む。 「混水摸魚」とも書く。
採菓汲水(さいかきっすい)
仏に供えるために木の実を採ったり水を汲むなど、仏道修行に努めること。 「菓」は木の実のこと。
採薪汲水(さいしんきゅうすい)
自然の中で質素な生活をすること。 山で薪(たきぎ)を採り、川の水を汲むという意味から。
洒掃薪水(さいそうしんすい)
家事仕事のこと。 「洒掃」は掃除のこと。 「薪水」は炊事のこと。 水をまいて箒で掃き掃除をして、薪を集め、水を汲んで炊事をするという意味から。 「灑掃薪水」とも書く。
灑掃薪水(さいそうしんすい)
家事仕事のこと。 「洒掃」は掃除のこと。 「薪水」は炊事のこと。 水をまいて箒で掃き掃除をして、薪を集め、水を汲んで炊事をするという意味から。 「灑掃薪水」とも書く。
山窮水尽(さんきゅうすいじん)
非常に苦しい立場に陥って、どうすることもできない状況になること。 山奥で道が無くなって進めなくなり、川を渡るための橋がなく進めなくなるという意味から。 「山(やま)窮(きわ)まり水(みず)尽(つ)く」とも読む。
山窮水断(さんきゅうすいだん)
非常に苦しい立場に陥って、どうすることもできない状況になること。 山奥で道が無くなって進めなくなり、川を渡るための橋がなく進めなくなるという意味から。
山光水色(さんこうすいしょく)
山や海、川などの自然の風景。 「山光」は山の風景。 「水色」は海や川、湖などの水辺の風景。
山高水長(さんこうすいちょう)
清らかで気高い人の品性のたとえ。 または、そのような人の功績や名声が後の世まで語り継がれること。 「山高」は高く山がそびえたつことから、人々が功績や徳の高さを見上げるということのたとえ。 「水長」はいつまでも川の水が流れ続けるという意味から、いつまでも絶えないことのたとえ。 「山(やま)高く水(みず)長し」とも読む。
山高水低(さんこうすいてい)
人の死などの予期せぬ不幸な出来事のこと。 山が高く、川の水が少ないとの意から。 「山(やま)高(たか)く水(みず)低(ひく)し」とも読む。
山紫水明(さんしすいめい)
自然の景観がとても澄み切っていて美しいこと。 山は日の光で紫色にかすみ、水はきれいに澄んでいるという意味から。
三尺秋水(さんじゃくしゅうすい)
研ぎ澄まされたすぐれた剣のこと。 「三尺」の「尺」は長さの単位で、「三尺」は剣の標準的な長さのこと。 「秋水」は冷たく澄んだ秋の水のことで、剣の冴えわたった光をたとえた言葉。
三尺秋水(さんじゃくのしゅうすい)
研ぎ澄まされたすぐれた剣のこと。 「三尺」の「尺」は長さの単位で、「三尺」は剣の標準的な長さのこと。 「秋水」は冷たく澄んだ秋の水のことで、剣の冴えわたった光をたとえた言葉。
山容水態(さんようすいたい)
山や川などの美しい自然の風景のこと。 「容」と「態」は姿や、様子という意味。
残山剰水(ざんざんじょうすい)
戦争によって荒れ果てた山や川の様子。 または、山水画を描く技法のこと。 山や川の全体を描かずに、一部分を描いて雄大な自然を表現する技法をいう。 「残」と「剰」はどちらも「残っている」という意味。 「剰水残山」ともいう。
車如流水(しゃじょりゅうすい)
交通量が多いことのたとえ。 川を流れる水のように、車が絶え間なく行き交うことから。 「車(くるま)、流水(りゅうすい)の如(ごと)し」とも読む。
車水馬竜(しゃすいばりゅう)
車や馬などの乗り物の往来がとてもにぎやかな様子。 車は流れる水のように、馬は竜のように連なっているという意味。
車水馬竜(しゃすいばりょう)
車や馬などの乗り物の往来がとてもにぎやかな様子。 車は流れる水のように、馬は竜のように連なっているという意味。
菽水之歓(しゅくすいのかん)
貧しい生活をしていても、両親へ孝行して喜ばせること。 「菽水」は質素な食事のたとえで、「菽」は豆のことをいい、豆の粥と水という意味から。 「歓」は喜ばせること。 孔子が弟子である子路に孝行を説いた故事から。
小水之魚(しょうすいのうお)
水の少ない、小さな水溜りの中にいる魚のこと。 いつ死んでもおかしくない危険な状況をいう。 いつ干上がって水がなくなるかわからないということから。 「小水」は少量の水のこと。
松風水月(しょうふうすいげつ)
清らかな人格のたとえ。 松を渡る風のようにさわやかで、水面に映る月のように澄み切っているということから。 清らかで高潔な人格を言い表す言葉。
薪水之労(しんすいのろう)
人に仕えて、怠けず懸命に働くこと。 または、炊事などの家事仕事。 「薪水」は薪を拾いに行って、水を汲みに行くこと。
十日一水(じゅうじついっすい)
細かい部分にも注意を払って作品を完成させること。 または、その作品のこと。 一つの川の絵を描くために十日間かけて、一つの石の絵を書くのに五日かけるという意味から。 精魂を込めて、注意深く作られた芸術作品を仕上げることをいう。
順水推舟(じゅんすいすいしゅう)
情勢に合わせてやり方などを変え、うまく物事を成し遂げることのたとえ。 川の流れに逆らわずに舟を進めることから。 「水(みず)に順(したが)いて舟(ふね)を推(お)す」とも読む。
剰水残山(じょうすいざんざん)
戦争によって荒れ果てた山や川の様子。 または、山水画を描く技法のこと。 山や川の全体を描かずに、一部分を描いて雄大な自然を表現する技法をいう。 「残」と「剰」はどちらも「残っている」という意味。 「剰水残山」ともいう。
水火無情(すいかむじょう)
水害や火災は人に大きな損害を与えるということ。 水害や火災には情けはないという意味で、天災の恐ろしさをいう言葉。
水鏡之人(すいきょうのひと)
人の手本になるような、理解力や判断力に優れている賢い人のこと。 または、事実のままに物事を観望できる公平な人のこと。 水鏡のように清廉な人物。 「水鏡」は本当の姿をそのまま映す鏡のように、静かで曇りのない水面という意味。
水魚之交(すいぎょのこう)
とても仲がよく、離れがたい交際や友情のこと。 その関係を魚と水にたとえた言葉。 三国時代、蜀の劉備が仲の良かった孔明を軍師に迎えたときに、古参の武将は不満をもらしたが、魚に水が必要なように私には孔明が必要だと言ったという故事から。
水魚之交(すいぎょのまじわり)
とても仲がよく、離れがたい交際や友情のこと。 その関係を魚と水にたとえた言葉。 三国時代、蜀の劉備が仲の良かった孔明を軍師に迎えたときに、古参の武将は不満をもらしたが、魚に水が必要なように私には孔明が必要だと言ったという故事から。
水月鏡花(すいげつきょうか)
目には見えても、手に取ることはできないはかないもののたとえ。 または、感じ取ることができるが言葉では表すことができない、詩文などの深い味わいのたとえ。 鏡に映る花と水に映る月のことから。 「水月鏡花」ともいう。
水光接天(すいこうせってん)
川の水面に映る月光の輝きが、遥か遠くで空(天)と接していること。 雄大な夜景のさま。
水紫山明(すいしさんめい)
澄み渡った自然の景観が美しいこと。 山は日光で紫色にかすみ、川はきれいに澄んでいるという意味から。
水随方円(すいずいほうえん)
民の善悪は政治を行うものによって感化されるということ。 または、人は環境や人間関係次第で、善悪のどちらにも感化されるということ。 「随」は従うこと。「方円」は四角いものと円いもの。 水は容器の形に従って、四角にでも円にでもなるという意味。
水声山色(すいせいさんしょく)
川の水の流れる音と、山の木々の緑のこと。 穏やかな村を言い表す言葉。 「水声」は川の流れの水の音。 「山色」は山の木々の緑色。
水清無魚(すいせいむぎょ)
心が清く高潔であっても、程度が過ぎると人に親しまれないということ。 「水清ければ魚無し」とも読み、澄み切った水には魚が住めないという意味から。
水村山郭(すいそんさんかく)
水辺の村と山里という意味。 元は中国の江南地方ののどかな農村を表現した言葉。 「水村」は江南地方の小運河が多い村のこと。 「郭」は町を囲う城郭のことから「山郭」は山際の集落という意味。
水滴石穿(すいてきせきせん)
小さい力でも積み重なれば強大な力になることのたとえ。 「水滴」は一滴の水、「石穿」は石に穴をあけること。 水滴も同じ位置に落ち続ければ、いずれ石に穴をあけることができるという意味から。 「水滴石を穿(うが)つ」とも読む。
水天一碧(すいてんいっぺき)
水平線で海と空の境が、区別できないように青い色一色に溶け合っている様子のこと。 「水天」は海と空のこと。 「一碧」は水面や空の色が深い青色一色になっていること。
水天髣髴(すいてんほうふつ)
遠くの海と空の境(水平線)がぼんやりとしていて、どこまでが海でどこまでが空なのかはっきりしない様子。 「水天」は海と空のこと。 「髣髴」はぼんやりとしていてはっきり区別できない様子。 「水天彷彿」とも書く。
水天彷彿(すいてんほうふつ)
遠くの海と空の境(水平線)がぼんやりとしていて、どこまでが海でどこまでが空なのかはっきりしない様子。 「水天」は海と空のこと。 「髣髴」はぼんやりとしていてはっきり区別できない様子。 「水天彷彿」とも書く。
水到渠成(すいとうきょせい)
学問を身につけると、それに伴って徳も自然に備わるということ。または、物事は手を加えなくても、時がたてば自然と望んだとおりになるということ。 「渠」は溝や堀のことで、水が流れると、土が削られていって、水の流れだけで溝が出来上がるという意味から。 「水(みず)到(いた)りて渠(きょ)成る」とも読む。
水乳交融(すいにゅうこうゆう)
水と乳が一体となって溶け合うように、人間関係が非常に密接で、互いに切り離せないほど調和している様子。
水平思考(すいへいしこう)
エドワード・デ・ボノが提唱した発想法で、問題を解決するために、次々と視点を変えながら、既成の概念にとらわれずに新たな発想を生み出す方法のこと。
水落石出(すいらくせきしゅつ)
物事の隠れていた実体がはっきりとわかるようになること。 川の水面の高さが低くなって、普段は見えない川底の石が現れるという意味から。 「水(みず)落ちて石(いし)出(い)づ」とも読む。
水陸並進(すいりくへいしん)
海軍と陸軍が同時に進軍し、複数の方面で作戦を展開すること。 陸上部隊と海上部隊が協力して進撃する様子。
青藍氷水(せいらんひょうすい)
教えを受けた弟子が師匠を超えることのたとえ。 「青藍」は藍の葉を原料に青い染料を作るが、布を染めるとさらに鮮やかな青い色になるということ。 「氷水」は氷の原料は水だが、水よりも温度が低いということ。
尺山寸水(せきざんすんすい)
高い山の上から見下ろした景色。 「尺」と「寸」はどちらも長さの単位で、どちらも短い長さのたとえ。 上から見た他の山や川が小さく見えるということから。
積水成淵(せきすいせいえん)
小さいものでも、数が多くなれば大きな力になるということ。 または、努力を積み重ねていけば願いを叶えることが出来るということ。 少しの水も集まれば淵になるという意味から。 「積水(せきすい)淵(ふち)を成す」とも読む。
千山万水(せんざんばんすい)
多くの山と川のこと。また、奥深く広大な自然のこと。 「千」と「万」は数が多いことで、どこまでも山や川が続いているという意味から、遠く険しい道のりの形容としても用いられる言葉。 「万水千山」ともいう。
煎水作氷(せんすいさくひょう)
絶対に不可能なこと。 または、見当違いなやり方では、目的を果たすことは出来ないということ。 「煎」は煮るということ。 氷を作るために水を煮るという意味から。 「水を煎(に)て氷を作る」とも読む。 「煎水作冰」とも書く。
煎水作冰(せんすいさくひょう)
絶対に不可能なこと。 または、見当違いなやり方では、目的を果たすことは出来ないということ。 「煎」は煮るということ。 氷を作るために水を煮るという意味から。 「水を煎(に)て氷を作る」とも読む。 「煎水作冰」とも書く。
治山治水(ちさんちすい)
山や川などの国土を改修して国民が生活しやすいようにすること。 「治山」は植林などを行って山を整備すること。 「治水」は洪水や土砂崩れなどの水害が起こらないように、河川を整備すること。
知者楽水(ちしゃらくすい)
知恵のある人は水が流れることを好んで楽しむということ。 水がよどみなく流れる様子が、知恵が滞ることなく働くことに似ていることから。 「知者(ちしゃ)は水(みず)を楽しむ」とも読む。
地水火風(ちすいかふう)
仏教でこの世の全てを構成する四つの元素とされる、地、水、火、風のこと。 「四大」や「四大種」とも呼ばれる。
滴水成氷(てきすいせいひょう)
冬の猛烈な寒さのこと。 または、極寒の地のこと。 滴る水がすぐに氷になるという意味から。 「滴水(てきすい)氷を成す」とも読む。
滴水嫡凍(てきすいてきとう)
一瞬の気も抜かずに、禅の修業にはげむこと。 「滴水」は水がしたたること。 「嫡凍」の「嫡」はすぐにという意味で、「嫡凍」はすぐに凍るという意味。 滴る水が間をおかずに凍る寒さということを、厳しい修行の緊張感にたとえた言葉。
桃花癸水(とうかきすい)
女性の月経のこと。 「桃花」は女性を意味する雅語。 「癸」は十干の十番目である”みずのと”のこと。 「癸水」は月経のこと。
杯水車薪(はいすいしゃしん)
少なすぎて役に立たないこと。 「杯水」は杯に一杯分の水、「車薪」は車一台分の薪のことで、杯に一杯分という少量の水で、燃えている車一台分の薪の火を消そうとするという意味から。
背水之陣(はいすいのじん)
死を覚悟して全力で物事にあたること。 または、引くことができない困難な状況のこと。 川や海を背にして退路のない陣形で戦うという意味。 漢の韓信が、戦いの際に川を背にして退却できない状況を意図的に作り兵に決死の覚悟をさせて、二十万以上の趙の兵に大勝したという故事から。
白水真人(はくすいしんじん)
後漢が急激に繁栄することを予言した言葉。 または、中国の貨幣の異称。 中国の前漢を倒して新を興した王莽は、貨幣に「金刀」と印字されているのを見て、「金刀」は組み合わせると「劉」となり、劉氏の復興の兆しになるとして「貨泉」と改めた。 しかし、「貨泉」も分解すると「貨」は「眞(真)人」、「泉」は「白水」になり、白水郷から劉秀が現われて後漢を興す兆しになったという故事から。
跋山渉水(ばつざんしょうすい)
苦しく辛いことを克服しながら長い旅をすること。 「跋山」は山を越えること。 「渉水」は河を渡ること。 「山を跋(ふ)み水を渉(わた)る」とも読む。
万水千山(ばんすいせんざん)
多くの山と川のこと。また、奥深く広大な自然のこと。 「千」と「万」は数が多いことで、どこまでも山や川が続いているという意味から、遠く険しい道のりの形容としても用いられる言葉。 「万水千山」ともいう。
覆水難収(ふくすいなんしゅう)
一度情勢が変わってしまうと、取り返すのは難しいということのたとえ。または、一度失敗すると取り返すことは難しいということのたとえ。または、一度駄目になった夫婦の関係を戻すことは難しいということのたとえ。 一度こぼしてしまった水は、もう一度集めることはできないという意味から。 「覆水(ふくすい)収(おさ)め難(がた)し」とも読む。
覆水不返(ふくすいふへん)
一度行ったことは、元に戻したり、やり直したりすることは出来ないということ。 または、一度離婚した夫婦の仲は二度と元のようになることはないということ。 こぼれた水は元には戻らないという意味から。 古代中国の周の呂尚は、読書ばかりしていて貧乏だったために妻の馬氏は離婚したが、呂尚が出世すると復縁を求めた。 呂尚は水を地面にこぼして、こぼれた水は二度と元には戻らないと言い、断ったという故事から。 「覆水は返らず」とも読み、多くは「覆水盆に返らず」という形で用いる言葉。
負薪汲水(ふしんきゅうすい)
自然の中で質素な生活をすること。 薪を採って谷川の水を汲むということから。
芙蓉覆水(ふようふくすい)
華が一番盛んな季節に、たくさん美しく咲いている様子。 「芙蓉」は蓮の花。 蓮の花の季節になり、池を覆い尽くすほどに咲き乱れるということから。 「芙蓉(ふよう)水を覆(おお)う」とも読む。
萍水相逢(へいすいそうほう)
旅をしているもの同士が偶然の出会いから知り合いになること。 「萍」は浮き草のこと。 偶然の出会いを浮き草と流れる水にたとえた言葉。
蜂房水渦(ほうぼうすいか)
数多くの家屋が集中して立ち並んでいる様子。 建物が蜂の巣の穴のように隣り合っていて、水の渦巻きのように連なっているという意味から。
蓬萊弱水(ほうらいじゃくすい)
はるか遠く離れていること。 「蓬萊」は東にあって仙人が住んでいるとされる伝説の島。 「弱水」は西にあるとされる伝説の川。 「蓬萊」と「弱水」の距離は三十万里離れているとされていることから。
明鏡止水(めいきょうしすい)
心が清く澄み切っていて邪念のない心境のたとえ。 「明鏡」は曇りが一点もないきれいな鏡のこと。 「止水」は止まっていて澄み切った水のこと。
遊山玩水(ゆうざんがんすい)
山や川などの美しい自然の景色を見て、自然を楽しむこと。 「玩」は満足するまで楽しむこと。 「山に遊びて水を玩(もてあそ)ぶ」とも読む。 「遊山」は「游山」とも、「玩水」は「翫水」とも書く。
游山玩水(ゆうざんがんすい)
山や川などの美しい自然の景色を見て、自然を楽しむこと。 「玩」は満足するまで楽しむこと。 「山に遊びて水を玩(もてあそ)ぶ」とも読む。 「遊山」は「游山」とも、「玩水」は「翫水」とも書く。
遊山翫水(ゆうざんがんすい)
山や川などの美しい自然の景色を見て、自然を楽しむこと。 「玩」は満足するまで楽しむこと。 「山に遊びて水を玩(もてあそ)ぶ」とも読む。 「遊山」は「游山」とも、「玩水」は「翫水」とも書く。
游山翫水(ゆうざんがんすい)
山や川などの美しい自然の景色を見て、自然を楽しむこと。 「玩」は満足するまで楽しむこと。 「山に遊びて水を玩(もてあそ)ぶ」とも読む。 「遊山」は「游山」とも、「玩水」は「翫水」とも書く。
落花流水(らっかりゅうすい)
落ちた花が流れる水に乗っていくことから、過ぎ去っていく春の景色のこと。 転じて、衰えおちぶれること。 また、男女が相思相愛にあることのたとえ。水の流れに身を任せたい落花を男、落花を浮かべて流れたい水を女にたとえて、男女の気持ちが通じ合うとの意で用いる。 「流水落花」ともいう。
流觴曲水(りゅうしょうきょくすい)
曲がりくねった小さな川の上流に、酒の入った杯を浮かべ、自分の前を流れていってしまう前に詩を作って、杯の酒を飲むという風流な遊びのこと。 「觴」は杯のこと。 「曲水」は曲がりくねっている小川のこと。 中国では陰暦の三月三日に行われた風習で、晋の王羲之が会稽の蘭亭で行ったものが有名。 日本では奈良時代や平安時代に行われ、曲水の宴と呼ばれた。 「曲水流觴」ともいう。
流水高山(りゅうすいこうざん)
素晴らしい演奏や音楽のたとえ。または、自分のことを心から理解してくれる親友のこと。または、けがれのない澄んだ自然のこと。 中国の春秋時代の琴の名手の伯牙が、友人の鍾子期の前で泰山を思い浮かべながら演奏すると鍾子期は「泰山のように素晴らしい」と言い、流れる川を思い浮かべながら演奏すると「流れる川のように素晴らしい」と言ったという故事から。 「流水高山」ともいう。
流水落花(りゅうすいらっか)
落ちた花が流れる水に乗っていくことから、過ぎ去っていく春の景色のこと。 転じて、衰えおちぶれること。 また、男女が相思相愛にあることのたとえ。水の流れに身を任せたい落花を男、落花を浮かべて流れたい水を女にたとえて、男女の気持ちが通じ合うとの意で用いる。 「流水落花」ともいう。
和泥合水(わでいがっすい)
わが身を顧みずに、全力で他人を救うこと。 泥まみれになり水に濡れながらも、溺れている人を助けるという意味の仏教語。 「合水和泥」ともいう。