「さん」から始まる四字熟語
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桟雲峡雨(さんうんきょうう)
山の中にあるかけ橋付近に漂う雲と谷の中に降る雨のこと。 「桟」は丸太や蔓などを使って、山の険しい場所にかけられているかけ橋のこと。 「峡」は山間の谷間。
三衣一鉢(さんえいっぱち)
僧侶が持ち歩く少しの持ち物。 「三衣」はインドの僧団の僧侶が着る三種類の衣服。 「一鉢」は托鉢の時に布施で食べ物をもらい、それをいれるための食器。 インドの僧団が僧侶が持つことが許されたもので、これらがあれば最低限は足りるという意味。
三衣一鉢(さんえいっぱつ)
僧侶が持ち歩く少しの持ち物。 「三衣」はインドの僧団の僧侶が着る三種類の衣服。 「一鉢」は托鉢の時に布施で食べ物をもらい、それをいれるための食器。 インドの僧団が僧侶が持つことが許されたもので、これらがあれば最低限は足りるという意味。
三槐九棘(さんかいきゅうきょく)
政界の最高幹部のこと。 「三槐」は中国の三公の別称。 「九棘」は中国の九卿の別称。 中国の周の時代に、君主が朝廷の庭の三公の位置を示すところに槐の木を植え、九卿の位置を示すところに棘の木を植えていたことから。 「九棘三槐」ともいう。
三界火宅(さんがいのかたく)
現世をたとえた言葉。 「三界」は欲界、色界、無色界の三つの世界のことで、現世のことをいう。 「火宅」は火事になっている家。 常に苦しみ続ける現世を、火事で燃えている家にたとえた言葉。
山海珍味(さんかいのちんみ)
山と海で採れた物から作られた、珍しい味のする食べ物。 または、非常に豪華な料理のこと。
三界無安(さんがいむあん)
現世で生きることは、苦しいことや悩むことが多く、心が落ち着いて楽になることはないということ。 「三界」は欲界、色界、無色界の三つの世界のことで、現世のことをいう。 「無安」は心が安らぐことがないこと。
三界無宿(さんがいむしゅく)
この世界のどこにも落ち着ける場所がないこと。 「三界」は人が輪廻する三つの領域の欲界、色界、無色界のこと。 「無宿」は住居がないこと。
三界流転(さんがいるてん)
全ての生きているものは、三つの世界で生死を繰り返し続け、三つの世界を迷い続けるということ。 「三界」は欲界、色界、無色界の三つの世界のこと。 「流転」は迷い続けること。
山河襟帯(さんがきんたい)
自然の地形が、敵の攻撃を防ぐことに非常に有利なこと。 山が服の襟のように高く取り囲んでいて、川が帯のように流れているという意味から。
三角関係(さんかくかんけい)
三つのものの間のかかわり。 主に男女三人の間にある恋愛関係をいう言葉。 「三角」は三角形。 「関係」はかかわり、つながり。
産学協同(さんがくきょうどう)
産業界と教育機関が互いに協力して、研究や技術者の育成をすること。 「産」は産業界。 「学」は教育機関。 「協同」は心や力を合わせて取り組むこと。
三月庭訓(さんがつていきん)
勉学が長く続かないこと。 一月から始まり、十二月まである往復手紙文集である『庭訓往来』の勉強をし始めても、三月でやめてしまうということから。
三寒四温(さんかんしおん)
冬に寒い日が三日ほど続いた後、四日ほど温かくなること。 中国北部や朝鮮半島北部で、シベリア高気圧の影響を受けて起きる現象。 これを繰り返しながら少しずつ春の気候へと変わっていく。 また、近年の日本においては三寒四温がはっきりと現れることは少ないため、春の初めに低気圧と高気圧が交互にくる周期的な変化のことをいう場合が多い。
山簡倒載(さんかんとうさい)
大酒飲みのこと。 「山簡」は人の名前。 「倒載」は車に乗せた酒を全て傾けるという意味から、全ての酒を飲み尽くすという意味。 古代中国の晋の将軍の山簡は大の酒好きで、高陽地のほとりで酒を持って行っては全て飲み尽くし、ご機嫌で帰ってきていたという故事から。
三跪九叩(さんききゅうこう)
中国の清の敬礼の方法。 三回跪(ひざまず)いて、頭を九回地面に打ち付ける礼のことをいう。
慚愧懺悔(ざんきざんげ)
仏の前で自分の行った悪い行いを告白して心を入れ替えること。仏教の言葉。 「慚愧」は恥ずかしいと強く感じている様子。 「慚愧」は「慙愧」とも書く。
慙愧懺悔(ざんきざんげ)
仏の前で自分の行った悪い行いを告白して心を入れ替えること。仏教の言葉。 「慚愧」は恥ずかしいと強く感じている様子。 「慚愧」は「慙愧」とも書く。
山窮水尽(さんきゅうすいじん)
非常に苦しい立場に陥って、どうすることもできない状況になること。 山奥で道が無くなって進めなくなり、川を渡るための橋がなく進めなくなるという意味から。 「山(やま)窮(きわ)まり水(みず)尽(つ)く」とも読む。
山窮水断(さんきゅうすいだん)
非常に苦しい立場に陥って、どうすることもできない状況になること。 山奥で道が無くなって進めなくなり、川を渡るための橋がなく進めなくなるという意味から。
三釁三浴(さんきんさんよく)
相手のことを大切に思う心を言い表す言葉。 人を待つ間に何度も体を洗って、良い香りの香を塗るという意味から。 「三」は何度も、という意味。 「釁」は香を塗ること。 「浴」は湯水で体を洗い清めること。
三薫三沐(さんくんさんもく)
相手のことを大切に思う心を言い表す言葉。 人を待つ間に何度も体を洗って、良い香りの香を塗るという意味から。 「三」は何度も、という意味。 「薫」は香を塗ること。 「沐」は湯水で体を洗い清めること。
三軍暴骨(さんぐんばくこつ)
大差で戦いに負けること。 「三軍」は三万七千五百人の軍隊ということから、大軍のたとえ。 「暴骨」は兵士が死んで、野で骨になるという意味。 中国の周の時代は、一万二千五百人の軍隊を一軍として、大国ではその三倍の三軍を保有するとされていた。 「三軍(さんぐん)骨(ほね)を暴(さら)す」とも読む。
三業供養(さんごうくよう)
ひれ伏して、言葉で仏の徳をたたえ、心をこめて仏を供養すること。 「三業」は仏教の言葉で、動作や所作などの身体の業、言葉の業、意識や心の業の三つの業のこと。
三綱五常(さんこうごじょう)
儒教の言葉で、人として守るべき道徳と、常に行うべき道義のこと。 「三綱」は主君と臣下、父親と子、夫と妻の間の三つの道徳のこと。 「五常」は仁、義、礼、智、信の常に行うべき五つの道義のこと。
残膏賸馥(ざんこうしょうふく)
すぐれた人物や詩、文章などを言い表す言葉。 「膏」はあぶらのこと。 「賸」は余り。 「馥」は香り。 すぐれた人物がいた後に残る香りという意味から。または、豪華な食事の残り香のこと。 「賸馥」は「ようふく」とも読む。
山光水色(さんこうすいしょく)
山や海、川などの自然の風景。 「山光」は山の風景。 「水色」は海や川、湖などの水辺の風景。
山高水長(さんこうすいちょう)
清らかで気高い人の品性のたとえ。 または、そのような人の功績や名声が後の世まで語り継がれること。 「山高」は高く山がそびえたつことから、人々が功績や徳の高さを見上げるということのたとえ。 「水長」はいつまでも川の水が流れ続けるという意味から、いつまでも絶えないことのたとえ。 「山(やま)高く水(みず)長し」とも読む。
山高水低(さんこうすいてい)
人の死などの予期せぬ不幸な出来事のこと。 山が高く、川の水が少ないとの意から。 「山(やま)高(たか)く水(みず)低(ひく)し」とも読む。
山肴野蔌(さんこうやそく)
山や野原で採ることができる美味な食物。山の幸と野の幸。 「肴」は獣や鳥などの肉類のこと。 「蔌」は野菜のこと。
残膏賸馥(ざんこうようふく)
すぐれた人物や詩、文章などを言い表す言葉。 「膏」はあぶらのこと。 「賸」は余り。 「馥」は香り。 すぐれた人物がいた後に残る香りという意味から。または、豪華な食事の残り香のこと。 「賸馥」は「ようふく」とも読む。
残酷非道(ざんこくひどう)
人の道にはずれていて、見ていられないほど酷い様子。 または、そのように酷い振る舞いや行い。
三国無双(さんごくむそう)
日本・中国・インドの三つの国の中で比べることができるものすらないこと。 もとは富士山のことをいった言葉。
三顧之礼(さんこのれい)
立場が上の人が礼を尽くして、すぐれた才能を持つ人を招くこと。 または、立場が上の人が立場が下の人に礼を尽くして、仕事を依頼すること。 「三顧」は三回訪問すること。 古代中国の三国時代、蜀の皇帝劉備が諸葛亮を迎え入れるために住居を三回訪問したという故事から。
斬衰斉衰(ざんさいしさい)
親しい関係の人の死んだ時に使う喪服。 「斬衰」は縁を縫っていない喪服で、君主や父親が死んだ時に使う、最も重い三年の喪の期間に着る服。 「斉衰」は縁を縫っている喪服で、母親や妻が死んだ時に使う、二番目に重い一年の喪の期間に着る服。
剗削消磨(さんさくしょうま)
少しずつ衰えていくことのたとえ。 岩などが雨や風などによってすり減っていくということから。 「剗」は削るという意味。 「磨」はすり減ってなくなること。
残渣余蘖(ざんさよげつ)
逃げ延びた悪人たちの集団。残党。 「渣」はしぼった後の残り。 「蘖」は切り株の根元から生える若芽。ひこばえ。
三三五五(さんさんごご)
少数の人たちが固まって行き来する様子のこと。 または、人や物などがあちこちに散らばっている様子。 あっちに三、こっちに五という意味から。 「三々五々」とも書く。
三々五々(さんさんごご)
少数の人たちが固まって行き来する様子のこと。 または、人や物などがあちこちに散らばっている様子。 あっちに三、こっちに五という意味から。 「三々五々」とも書く。
残山剰水(ざんざんじょうすい)
戦争によって荒れ果てた山や川の様子。 または、山水画を描く技法のこと。 山や川の全体を描かずに、一部分を描いて雄大な自然を表現する技法をいう。 「残」と「剰」はどちらも「残っている」という意味。 「剰水残山」ともいう。
三思九思(さんしきゅうし)
何度も繰り返して深く考えること。 「三思」と「九思」はどちらも深く考えること。 「三…九…」は何度もという意味。
三思後行(さんしこうこう)
しっかりと考えた後に行動すること。 三度考えてから行動するという意味から。 元は必要以上に考えすぎること戒めた言葉だったが、現在では軽はずみな行動を戒める言葉として使われることが多い言葉。 中国の春秋時代の魯の季文子の故事から。 「三(み)たび思いて後(のち)に行う」とも読む。
三豕渉河(さんししょうか)
文字を間違えること。 中国の春秋時代の子夏が旅の途中に、「晋の軍隊が三匹の豕と河を渡った」と史書を読んでいるのを聞き、「己」を「三」、「亥」を「豕」と読み間違えて、三匹の豕ではなく、年号の己亥の年と読み間違えたのだろうと指摘したという故事から。
山紫水明(さんしすいめい)
自然の景観がとても澄み切っていて美しいこと。 山は日の光で紫色にかすみ、水はきれいに澄んでいるという意味から。
三日新婦(さんじつしんぷ)
拘束されていて、ひどく窮屈なことのたとえ。 結婚してから三日目の新婦という意味で、結婚の後はやらなければならないことが多く、拘束されるということから。
三豕渡河(さんしとか)
文字を間違えること。 中国の春秋時代の子夏が旅の途中に、「晋の軍隊が三匹の豕と河を渡った」と史書を読んでいるのを聞き、「己」を「三」、「亥」を「豕」と読み間違えて、三匹の豕ではなく、年号の己亥の年と読み間違えたのだろうと指摘したという故事から。
三枝之礼(さんしのれい)
両親に礼儀を尽くし、両親への孝行を重んじること。 鳩の子どもは、親の鳩がとまっている木の枝の三本下の枝にとまるという意味から。
三尺秋水(さんじゃくしゅうすい)
研ぎ澄まされたすぐれた剣のこと。 「三尺」の「尺」は長さの単位で、「三尺」は剣の標準的な長さのこと。 「秋水」は冷たく澄んだ秋の水のことで、剣の冴えわたった光をたとえた言葉。
三尺秋水(さんじゃくのしゅうすい)
研ぎ澄まされたすぐれた剣のこと。 「三尺」の「尺」は長さの単位で、「三尺」は剣の標準的な長さのこと。 「秋水」は冷たく澄んだ秋の水のことで、剣の冴えわたった光をたとえた言葉。
三尺童子(さんじゃくのどうじ)
七、八歳の子どものこと。 「三尺」の「尺」は長さの単位で、「三尺」は身長が低いことのたとえ。 身長が低い子どもということから。 または、「一尺」は二歳半として数え、「三尺」で七、八歳とするという説もある。
三者三様(さんしゃさんよう)
人によってそれぞれにやり方、考え方などが違うこと。 三人の人がいれば、三つのやり方や考え方などがあるという意味から。
三舎退避(さんしゃたいひ)
相手のことを恐れて、避けること。 「舎」は古代中国の軍隊が一日で進む距離のことで、三十里のことをいう。 軍隊が相手を恐れて、九十里の距離を空けて避けるという意味から。 「三舎を避(さ)く」とも読む。 中国の春秋時代、楚に亡命した晋の重耳は、楚の成王に厚遇され、重耳は感謝して、晋と楚が戦うようなことがあれば九十里後退させると約束した。 晋の君主になった重耳はその約束を果たしたという故事から。
三者鼎談(さんしゃていだん)
三人で向かい合って話し合うこと。 三人が話し合うことを「鼎」にたとえた言葉。 「鼎」は物を煮たり、祭器として使われる底の深い器で、足が三本あるということから。
三者鼎立(さんしゃていりつ)
同じ力を持っている三人が並び立つこと。 または、同じ力を持つ三つの勢力が争いあう、三すくみの状態のこと。 三人が並び立つことを「鼎」にたとえた言葉。 「鼎」は物を煮たり、祭器として使われる底の深い器で、足が三本で均衡を保って安定して立っているということから。
三汁七菜(さんじゅうしちさい)
豪華な食べ物のこと。 または、日本の本膳料理の正式な品数。 三品の汁物と七品のおかずのこと。
三従四徳(さんじゅうしとく)
昔の中国の女性への教え。 「三従」は従うべき三つのことで、幼い時は父親に従い、嫁いだ後には夫に従い、年老いたら子どもに従うべきであるということ。 「四徳」はいつもの生活で心がけるべき四つのことで、女性としての節操を守ることをいう婦徳、言葉遣いをいう婦言、身だしなみをいう婦容、家事をいう婦功のこと。
三十而立(さんじゅうじりつ)
三十歳になって、自分の中の道徳観や学識が確立して、それが自信になって思想が固まること。 孔子が自身の生涯を振り返って言った言葉。 三十歳の異名の「而立」の語源。 「三十にして立つ」とも読む。
三十六策(さんじゅうろくさく)
逃げるべきときには逃げるのが最もよい計略であるということ。 古代中国の三十六種の兵法の一つで、その中で最もよいとされる計略。 「三十六策走(にぐ)るを上計と為(な)す」を略した言葉。
三十六計(さんじゅうろっけい)
逃げるべきときには逃げるのが最もよい計略であるということ。 古代中国の三十六種の兵法の一つで、その中で最もよいとされる計略。 「三十六計逃ぐるに如(し)かず」を略した言葉。
三種神器(さんしゅのじんぎ)
皇位の証として代々伝わっている三つの宝物。 天照大神が天孫降臨の時に授けたとされるもので、八咫鏡、八尺瓊勾玉、天叢雲剣のこと。
三旬九食(さんじゅんきゅうしょく)
生活がひどく貧しいことのたとえ。 「三旬」は一ヶ月のこと。 一ヶ月の間に九回しか食事ができないという意味から。 中国の春秋時代の子思が衛の国にいた時に、一ヶ月で九回しか食事ができないほど貧しかったという故事から。
蚕食鯨呑(さんしょくげいどん)
力の強い大きな国が、弱く小さい国を侵略していくこと。 虫の蚕が桑の葉を食べていき、鯨が魚を丸呑みにするという意味から。
斬新奇抜(ざんしんきばつ)
物事の思いつきがこれまでにないほど新しく、独特なこと。 「斬新」は今までになく新しいこと。 「奇抜」は他の人が思いつきもしない、変わっていること。
三心二意(さんしんじい)
気持ちが落ち着かず、いろいろと迷うこと。 または、人が別々の意見を主張していて、考えがまとまらないこと。 「意」は意志や意見のこと。
三途大河(さんずのたいが)
あの世にある川。三途の川。 この世とあの世の境にあるとされ、死んだ人が初七日に渡るといわれている。
三寸之轄(さんずんのかつ)
物事の重要な部分のこと。 「三寸」は長さのことで、短いことのたとえ。 「轄」は車輪が車軸から抜けないようにするための留め金のこと。 長さ三寸程度のものでも、これがなければ車は走ることができないということから、物事の重要な部分をいう。
三寸之轄(さんずんのくさび)
物事の重要な部分のこと。 「三寸」は長さのことで、短いことのたとえ。 「轄」は車輪が車軸から抜けないようにするための留め金のこと。 長さ三寸程度のものでも、これがなければ車は走ることができないということから、物事の重要な部分をいう。
三寸不律(さんずんふりつ)
長さの短い筆のこと。 「三寸」の「寸」は長さの単位で、「三寸」は長さが短いことのたとえ。 「不律」は筆の別名。
三世一爨(さんせいいっさん)
三つの世代の家族が一つの家で一緒に住むこと。 「爨」はかまどのこと。 三世代の家族が、一つのかまどを共有して食事を作るということから。
三聖吸酸(さんせいきゅうさん)
儒教の蘇軾と道教の黄庭堅、仏教の仏印禅師の三人が、桃花酸という名前の酢をなめて、全員が顔をしかめたということ。 東洋画の画材としてよく使われるもので、思想も宗教も異なっているが、酢がすっぱいことは、全てにあてはまる真理であるという三つの宗教の一致をいう。 儒教の孔子と道教の老子、仏教の釈迦を描く場合もある。
山棲谷飲(さんせいこくいん)
世間から離れて隠居すること。 山の中で暮らして、谷川の水を飲むということから。
山静日長(さんせいにっちょう)
静かな山の中で穏やかな生活をする身の上のこと。 「山(やま)静(しず)かにして日(ひ)長(なが)し」とも読む。 日本では、書や水墨画などの題材として使われることが多い言葉。
三牲之養(さんせいのよう)
親に食事をご馳走して孝行すること。 「三牲」は牛、羊、豚の三種類のいけにえということから、ごちそうのたとえ。 「養」は親を養うこと。
山精木魅(さんせいぼくみ)
山の霊や木の霊のこと。 「山精」は山の霊。 「木魅」は木の霊。 山の中にいる様々な霊のことをいう。
山精木魅(さんせいもくび)
山の霊や木の霊のこと。 「山精」は山の霊。 「木魅」は木の霊。 山の中にいる様々な霊のことをいう。
三尺童子(さんせきのどうじ)
七、八歳の子どものこと。 「三尺」の「尺」は長さの単位で、「三尺」は身長が低いことのたとえ。 身長が低い子どもということから。 または、「一尺」は二歳半として数え、「三尺」で七、八歳とするという説もある。
三世十方(さんぜじっぽう)
無限の空間や時間をいう仏教の言葉。 「三世」は、過去・現在・未来。 「十方」は、東・西・南・北・西北・西南・東北・東南・上・下。
三世了達(さんぜりょうだつ)
仏の知恵は過去、現在、未来の事を広く様々に見通していること。 「三世」は過去、現在、未来の三つの世界のこと。 「了達」はあらゆることを悟っていること。
散善花綻(さんぜんかたん)
邪念があったとしても、善い行いをすればよい報いを受けられるということ。仏教の言葉。 「散善」はよこしまな心を持って行う善行。 「花綻」は花が咲き始めるという意味から、報いを受けることのたとえ。 「散善(さんぜん)花(はな)綻(ほころ)ぶ」とも読む。
三千世界(さんぜんせかい)
この世界の全て。全宇宙。 仏教の言葉で、須弥山を中心に四つの大陸があり、その周りに九山八海があるのが一つの世界とするもの。 その一つの世界が千集まったものが小千世界とされ、小千世界が千合わせたものを中千世界、中千世界を千合わせたものを大千世界という。 大千世界、中千世界、小千世界を合わせて三千大千世界といい、これを略した言葉。 世間という意味でも使われることがある。 一人の仏が、教え導くことができる範囲とされている。
山川草木(さんせんそうもく)
人間以外のあらゆる自然の総称。 山と川と草と木のことから、あらゆる自然という意味。
三千寵愛(さんぜんちょうあい)
たくさんの侍女にかける寵愛。 元は、たくさんの女性にかけるべき愛情を一人だけに向けてしまうことをいう。 宮中に仕える女性三千人にかける寵愛という意味から。 中国の唐の玄宗皇帝は、三千人ほどの美女がいたが、楊貴妃はその美女たち全員の寵愛を独り占めしたという故事から。
三千寵愛(さんぜんのちょうあい)
たくさんの侍女にかける寵愛。 元は、たくさんの女性にかけるべき愛情を一人だけに向けてしまうことをいう。 宮中に仕える女性三千人にかける寵愛という意味から。 中国の唐の玄宗皇帝は、三千人ほどの美女がいたが、楊貴妃はその美女たち全員の寵愛を独り占めしたという故事から。
山川万里(さんせんばんり)
山や川を越えてやっとたどりつくような遠い場所。きわめて距離が離れている様子。 「万里」は一万里という距離のことから、きわめて距離が離れていることのたとえ。
山藪蔵疾(さんそうぞうしつ)
大きな事を成す人物は、どんな人でも包みいれる器量があるということのたとえ。 または、どんなすぐれた人物でも一つくらい弱点があるということ。 「山藪」は山と藪のことで、立派な人物のたとえ。 「蔵」は隠すや、しまい込むということ。 「疾」は害になるものという意味から、虫や毒蛇のこと。 山や藪は害虫や毒蛇ですら隠し包み込むという意味から。 中国の春秋時代、晋の景公が宋に救援を出そうとしたときに、伯宋がそれを諫(いさ)めたという故事から。 「山藪(さんそう)疾(やまい)を蔵(かく)す」とも読む。
三草二木(さんそうにもく)
資質や能力に差がある普通の人たちでも、仏の教えによって、誰もが悟りを得ることができるということ。 「三草」は大、中、小の三種類の薬草。 「二木」は大、小の二種類の木。 どんな大きさの植物も雨水の恩恵を受けるということから。
三蔵法師(さんぞうほうし)
仏教の三つの経典の経蔵、律蔵、論蔵に精通している僧侶のこと。 日本では、中国の伝奇『西遊記』の玄奘三蔵として知られているが、「三蔵法師」は固有名詞ではなく敬称。
残息奄奄(ざんそくえんえん)
どうにか呼吸が出来ているような、死んでしまいそうな状態のこと。 または、そのような状態のことから、広く色々なことが滅びてしまいそうな苦しい状況のこと。 「残息」は呼吸のこと。 「奄」は覆うやふさぐという意味で、「奄奄」は呼吸が止まってしまいそうな状態ということから、弱々しい状態のこと。 「残息奄々」とも書く。
残息奄々(ざんそくえんえん)
どうにか呼吸が出来ているような、死んでしまいそうな状態のこと。 または、そのような状態のことから、広く色々なことが滅びてしまいそうな苦しい状況のこと。 「残息」は呼吸のこと。 「奄」は覆うやふさぐという意味で、「奄奄」は呼吸が止まってしまいそうな状態ということから、弱々しい状態のこと。 「残息奄々」とも書く。
山村僻邑(さんそんへきゆう)
山奥の不便なところにある村のこと。 「僻邑」は都会から離れた、不便な場所にある村のこと。
三諦円融(さんだいえんにゅう)
仏教の言葉で、空、仮、中の三つの真理がそれぞれの立場を保ちながらも、互いに溶け合っている状態が同時に成り立っていること。 「円融」はお互いに融合しているが、それぞれ立場を保ちつつ妨げになっていないこと。 「三諦」は空、仮、中の三つの真理のこと。 天台宗が説く三つの真理のことで、全てのものには実体が存在しないという「空」と、全てのものは因縁によって存在するという「仮」と、それら二つを超越して存在しているという「中」のことをいう。 「三諦円融」ともいう。
三諦止観(さんたいしかん)
仏道の修行に努めること。 「三諦」は空諦、仮諦、中諦の三つの真理こと。 「止観」は専念して、対象を正しく認識すること。
三諦止観(さんだいしかん)
仏道の修行に努めること。 「三諦」は空諦、仮諦、中諦の三つの真理こと。 「止観」は専念して、対象を正しく認識すること。
惨憺経営(さんたんけいえい)
いろいろなことに苦心して、心を悩ませながら計画して営むこと。 「経営」は目的のために考えて準備して行動すること。 「惨憺」は心を砕いて悩むこと。 「惨憺」は「惨澹」とも書く。 「惨憺経営」ともいう。
惨澹経営(さんたんけいえい)
いろいろなことに苦心して、心を悩ませながら計画して営むこと。 「経営」は目的のために考えて準備して行動すること。 「惨憺」は心を砕いて悩むこと。 「惨憺」は「惨澹」とも書く。 「惨憺経営」ともいう。
三段論法(さんだんろんぽう)
論理的推論の形式の一つ。 大前提と小前提から結論を導き出す法則をいう。
山中暦日(さんちゅうれきじつ)
人里から離れて、山奥でのんびりと暮らすこと。 「暦日」は月日のこと。 「山中暦日無し」を略した言葉で、人里離れた山奥で暮らすと、ゆったりとしていて、月日がたつのを忘れてしまうという意味から。
三鳥出網(さんちょうしゅつもう)
三つの悟りに至るための修行や方法がそれぞれ異なっていることのたとえ。 「三鳥」は、仏教の三乗のたとえ。三乗は、悟りを得るための三つの修行や方法である声聞乗(しょうもんじょう)・縁覚乗(えんかくじょう)・菩薩乗(ぼさつじょう)のこと。 三乗によって悟りを得ることを、三羽の鳥が網から外へ出ることにたとえた言葉。 「三鳥(さんちょう)網(あみ)を出(い)ず」とも読む。
斬釘截鉄(ざんていせってつ)
毅然とした態度で、強い決断力があること。 「斬」と「截」はどちらも断ち切るということ。 釘や鉄を断ち切るという意味から。 元は禅宗の言葉で、妄想や煩悩などの迷いをすっぱりと断ち切ることをいう。 「釘を斬り鉄を截(た)つ」とも読む。
参天弐地(さんてんじち)
天や地のように大きな徳を積むこと。 「参天」は天と並ぶこと。 「弐地」は地と並ぶこと。 「天(てん)に参じ地に弐(じ)す」とも読む。
讒諂面諛(ざんてんめんゆ)
他人の悪口を言って、相手に媚を売ること。 「讒諂」は他人の悪口を言って、相手に気に入られようと媚を売ること。 「面諛」は相手の目の前で直接こびへつらうこと。
山濤識量(さんとうしきりょう)
すぐれた判断力や考え、器量をもっている人のこと。 「山濤」は人の名前。 「識量」は知識や器量のこと。 竹林の七賢と呼ばれる賢者の一人である、山濤のようにすぐれた知識と器量があるということから。
三頭両緒(さんとうりょうしょ)
物事が複雑で、まとめて治めることができないことのたとえ。 または、物事の始まりが多いことのたとえ。 「頭」と「緒」はどちらも物事の始めということ。
残忍酷薄(ざんにんこくはく)
人のことを気遣うこともなく、むごいこと。 「残忍」と「酷薄」はどちらも無慈悲なこと。 「残忍刻薄」とも書く。
残忍刻薄(ざんにんこくはく)
人のことを気遣うこともなく、むごいこと。 「残忍」と「酷薄」はどちらも無慈悲なこと。 「残忍刻薄」とも書く。
三人成虎(さんにんせいこ)
真実ではないことでも、多くの人が言えばいつの間にか真実として広まるということのたとえ。 「街に虎が出たと言ったら信じるか」と尋ねると「信じない」と答えた。 「それならばもう一人別の人物が同じこと言ったら信じるか」と尋ねると「わからない」と答え、「三人ならどうか」と聞くと「信じるようになるだろう」と答えたという故事から。
三人文殊(さんにんもんじゅ)
平凡な人でも、三人で知恵を出し合えば何かよい考えが出るものだということ。 「文殊」は知恵をつかさどるとされるという文殊菩薩のこと。 普通な人でも三人で考えを出し合えば、文殊菩薩と同等以上の考えが浮かぶという意味から。 「三人寄れば文殊の知恵」を略した言葉。 「三人文珠」とも書く。
三人文珠(さんにんもんじゅ)
平凡な人でも、三人で知恵を出し合えば何かよい考えが出るものだということ。 「文殊」は知恵をつかさどるとされるという文殊菩薩のこと。 普通な人でも三人で考えを出し合えば、文殊菩薩と同等以上の考えが浮かぶという意味から。 「三人寄れば文殊の知恵」を略した言葉。 「三人文珠」とも書く。
三衣一鉢(さんねいっぱち)
僧侶が持ち歩く少しの持ち物。 「三衣」はインドの僧団の僧侶が着る三種類の衣服。 「一鉢」は托鉢の時に布施で食べ物をもらい、それをいれるための食器。 インドの僧団が僧侶が持つことが許されたもので、これらがあれば最低限は足りるという意味。
残念至極(ざんねんしごく)
非常に悔しいこと。 「至極」はこの上なくや、非常にという意味の言葉。
残念無念(ざんねんむねん)
たまらなく悔しいこと。 「残念」は目的を果たせずに思い残すこと。 「無念」は目的を果たすことが出来なくなることを悔しく思うこと。 似た意味の言葉を重ねて強調したもの。 「無念残念」ともいう。
三拝九拝(さんぱいきゅうはい)
何度も頭を下げて、頼みごとをしたり、敬意や謝罪の意志を表したりすること。 手紙の最後に記して、相手に敬意を表す言葉として用いることもある。 「三拝」は敬意を持って三回拝むこと。仏教では身業、口業、意業の三業に敬意を表すこと。 「九拝」は敬意を持って九回拝むこと。または、古代中国で定められた九種類の礼拝のこと。
賛拝不名(さんぱいふめい)
天子に上奏する時に、自分の名前を言わなくてよいこと。 天子が功績のある臣下に与えた特権の一つ。 「賛拝(さんぱい)するに名(な)いわず」とも読む。
残杯冷炙(ざんぱいれいしゃ)
そっけない扱いをされ、辱めをうけること。 「残杯」は他の人が口をつけて残した酒。 「冷炙」は焼いたあとに冷めた肉。 人の食べ残した飲食物で、もてなしをされるという意味から。
三百代言(さんびゃくだいげん)
根拠のない適当な話で人を騙すこと。 または、そのような人のこと。 「三百」は昔の小さな通貨の三百文ということから、非常に価値が低いことのたとえ。 「代言」は代言人のことで、弁護士の昔の名称。 資格を持っていない人が、他人の訴訟を取り扱ったことを罵っていった言葉から。
賛否両論(さんぴりょうろん)
賛成と反対の両方の意見。 意見が反対の者同士が向かい合っていて、結論が出ない状況をいう。
三釜之養(さんぷのよう)
少ない給料の中でも両親を養い、親孝行すること。 「釜」は中国の春秋時代の容量の単位で、約十二リットルで、「三釜」で約三十七リットル。 三釜という少ない給料で両親を養うという意味から。 中国の春秋時代、孔子の弟子の曾子は、三釜の少ない給料でも両親を養えるのは幸せだったが、給料が高くなるころには両親は亡くなっていたという故事から。
散文精神(さんぶんせいしん)
小説を書くときの精神のありかたで、浪漫的・詩的感覚を排除して、実際におこったことを冷静に捉えて、客観的に見つめようとするもの。 昭和十一年に小説家の武田麟太郎が主張したもの。
三分鼎足(さんぶんていそく)
力が同じものが三人並び立つこと。 または、同じ力を持つ勢力が並び立つこと。 三人が並び立つことを「鼎」にたとえた言葉。 「鼎」は食べ物を煮たり、祭器として使われる三本足の器。
三平二満(さんぺいじまん)
十分とはいえないが、それに満足して平穏に生活すること。 「三」と「二」は数が少ないことのたとえ。 三でも安らかで、二でも満足するという意味から。 または、「三」は額と鼻、下顎のことをいい、「二」は左右の頬をいい、「三」が平らで「二」が膨らんでいるような顔ということから、おかめ顔やおたふく顔のことをいう。
三平二満(さんぺいにまん)
十分とはいえないが、それに満足して平穏に生活すること。 「三」と「二」は数が少ないことのたとえ。 三でも安らかで、二でも満足するという意味から。 または、「三」は額と鼻、下顎のことをいい、「二」は左右の頬をいい、「三」が平らで「二」が膨らんでいるような顔ということから、おかめ顔やおたふく顔のことをいう。
残編断簡(ざんぺんだんかん)
書物の欠片やちょっとした書き物のこと。 「断編」は切れてばらばらになった書物。 「残簡」はちりぢりになって残った書物。 「残編断簡」「断簡残編」ともいう。
讒謗罵詈(ざんぼうばり)
乱暴で品のない言葉を使い、相手のことを悪く言うこと。 「罵詈」は汚い言葉で相手の悪口を言うこと。 「讒謗」は他人のことを悪く言うこと。 「讒謗罵詈」ともいう。
三木一草(さんぼくいっそう)
後醍醐(ごたいご)天皇の建武政権下で功績を上げ、重用された四人の臣下の総称。 「三木」は、名前に「き」の付く三人。結城親光(ゆうきちかみつ)、名和長年(なわながとし)の役職、伯耆守(ほうきのかみ)、楠木正成(くすのきまさしげ)のこと。 「一草」は、名前に「くさ」の付く一人。千種忠顕(ちぐさただあき)のこと。
三位一体(さんみいったい)
1.キリスト教で、父である神と子であるイエス・キリストと聖霊の三つは、唯一の神がそれぞれ姿を変えたもので、元は一つのものだとする教義のこと。
2.それぞれ異なる三つのものが、根本的な性質や要素は同一であること。
3.三つのものがしっかりと結びついて、一つのもののようになること。または、三人が心を一つにして物事にあたること。
三密瑜伽(さんみつゆが)
密教の修行。 「三密」は身密、口密、意密の三つの行のこと。 「瑜伽」は修行者の三密と仏の三密が、互いに交じり溶け合うこと。 「瑜伽三密」ともいう。
算無遺策(さんむいさく)
策略が全てうまくいくこと。 「算」は結果を予測して考えること。 「遺策」は駄目な部分のある策略。 「算(さん)に遺策(いさく)無(な)し」とも読む。
三面六臂(さんめんろっぴ)
一人で数人分の成果をあげること。 または、様々な違う分野で活躍すること。 「臂」は腕のこと。 三つの顔と、六本の腕がある仏像の姿を言い表す言葉。
山容水態(さんようすいたい)
山や川などの美しい自然の風景のこと。 「容」と「態」は姿や、様子という意味。
三浴三薫(さんよくさんくん)
相手のことを大切に思う心を言い表す言葉。 人を待つ間に何度も体を洗って、良い香りの香を塗るという意味から。 「三」は何度も、という意味。 「浴」は湯水で体を洗い清めること。 「薫」は香を塗ること。
山溜穿石(さんりゅうせんせき)
小さな努力を重ねていけば、どんなことも成し遂げることができることのたとえ。 「山溜」は山から滴り出る水。 山から滴り出る水が、長い時間をかけて岩石に穴をあけるという意味から。 「山溜(さんりゅう)、石(いし)を穿(うが)つ」とも読む。 「山霤穿石」とも書く。
山霤穿石(さんりゅうせんせき)
小さな努力を重ねていけば、どんなことも成し遂げることができることのたとえ。 「山溜」は山から滴り出る水。 山から滴り出る水が、長い時間をかけて岩石に穴をあけるという意味から。 「山溜(さんりゅう)、石(いし)を穿(うが)つ」とも読む。 「山霤穿石」とも書く。
三輪空寂(さんりんくうじゃく)
人に物をあげたり、お布施をするときは、渡す物への執着はやめるべきということ。 「三輪」はお布施をする人、施しを受ける人、施す物の三つのこと。 「空寂」はこの世の全てのものは実体がなく、空であるということ。 「三輪」の三つの全てが空であるとして、執着心を捨て去ることをいう。
三輪清浄(さんりんしょうじょう)
仏教の言葉で、三業の全てが清らかに働いていること。 または、お布施のときに、施す人と施しを受ける人と施す物の三つの全てが清らかなこと。 「三輪」は三業のことで、身業、口業、意業の三つのことをいい、身業は体の動作や所作、口業は言葉、意業は意識、心の働きのことをいう。 「清浄」は汚れがなく清らかなこと。
山礪河帯(さんれいかたい)
永久に変わらないかたい誓約のこと。 または、国が平和で栄え続けること。 「山」は泰山、「礪」は砥石、「河」は黄河のことで、広い黄河が帯のように細くなっても、高い泰山がすりへって砥石のように平になっても、長く変わることがないという意味から。
三令五申(さんれいごしん)
何度も繰り返して説明して諭すこと。 「申」は繰り返すという意味。 三回命じて五回言い聞かせるという意味から。
暫労永逸(ざんろうえいいつ)
先に苦労をして、その後はずっとのんびりと暮らすこと。 「暫労」は一時的に頑張って働くこと。 「永逸」はいつまでものんびりと暮らすこと。
三老五更(さんろうごこう)
高い徳を積んでいる長老のこと。 「三老」と「五更」はどちらも中国の周の時代の長老の異称。 「三老」は臣下の最高位の三公、「五更」は引退した卿の地位をもっていた人の呼称とされているが、様々な説がある。