「清廉」に関連する四字熟語 — 58 件
「清廉」に関連する四字熟語を一覧で紹介します。各四字熟語の読み方・意味もあわせて確認できます。全58件を五十音順に掲載しています。
四字熟語一覧(五十音順)
悪木盗泉(あくぼくとうせん)
困窮したとしても人としての道理を外れた行いはしないこと。 または、悪事に近づかないこと。 「悪木」はとげやにおいがあり人を困らせる悪い木、「盗泉」は泉の名前で、孔子が名前を嫌い喉が渇いていても水を飲まなかった泉。
一琴一鶴(いっきんいっかく)
清廉潔白な役人のこと。 または、旅支度がとても簡易であることのたとえ。 一張りの琴と一羽の鶴の意。 宋の役人が蜀に赴任する際、一張りの琴と一羽の鶴だけを携えて出ていったことから。
一片氷心(いっぺんのひょうしん)
濁りやけがれがなく、綺麗で澄んでいる心。 ひとかけらの氷のように透き通っているということから。 「一片冰心」とも書く。
飲馬投銭(いんばとうせん)
心も行いも清く正しいこと。 馬が水を飲むたびに、自主的に代金を水に投げ込むということから。 「馬に飲(みずか)い銭(ぜに)を投ず」とも読む。
雲心月性(うんしんげっせい)
清らかな心があり、地位や利益にこだわらないこと。 人の心や性質を清らかな月と雲にたとえた言葉。
雲中白鶴(うんちゅうのはっかく)
世俗を超越した、心の清らかな人のたとえ。 白い雲の中にいる白い鶴のことで、心が清らかで、気高く立派な人物をたとえた言葉。
潁水隠士(えいすいのいんし)
利欲にとらわれることのない、気高く清らかな人のたとえ。 または、古代中国、潁水という川の周辺に住んでいた隠者「許由」のこと。 古代中国で尭帝が許由に天子の位を譲る話をしたところ、許由は汚れた話を聞いてしまったと言い、潁水の水で耳をすすいだという故事から。
乾乾浄浄(かんかんじょうじょう)
私欲がなく、清らかでさっぱりとしていること。 または、全部なくなること。
危言危行(きげんきこう)
言葉と行動を清く正しくすること。 または、言葉と行動を厳格にすること。 「危」は厳しく公正にすることや品格を高くすること。
規行矩歩(きこうくほ)
心や行動がしっかりとしていて正しいこと。 または、昔の法則や規則にこだわり、融通がきかないこと。 「規」は円を描いたり、長さを移すことに用いる文房具のコンパスのこと。 「矩」は長さを測るのに使われる工具の差し金のこと。 どちらも規則や基準という意味。
吸風飲露(きゅうふういんろ)
けがれがなく、清らかな仙人の生活のこと。 食べ物を食べず、風を吸って、露だけを飲んで暮らすということから。 「風(かぜ)を吸い露(つゆ)を飲む」とも読む。
曲肱之楽(きょくこうのたのしみ)
富を求めずに、貧しくても正しい行いをする楽しみのこと。または、貧しい暮らしをしていても、その中に楽しみはあるということ。 「曲肱」は枕が買えないために腕を曲げて、肘を枕にするという意味。
虚静恬淡(きょせいてんたん)
私心や私欲が全くなく、心が落ち着いていること。 「虚静」は心の中に不信や疑念などがなく、落ち着いていること。 「恬淡」は私欲がなく、あっさりとしていること。 「虚静恬澹」とも、「虚静恬憺」とも書く。
許由巣父(きょゆうそうほ)
清らかで正しい行いのこと。 または、出世や高い地位につくことを嫌うこと。 「許由」と「巣父」はどちらも中国の伝説上の高潔な隠者のこと。 中国の伝説の聖天子の尭帝は、許由に位を譲ろうというと許由はそれを断り、耳が汚れたとして川で耳を洗った。 それを聞いた巣父は、川の水が汚れたとして、わざわざ上流に行って、牛に水を飲ませたという故事から。
賢良方正(けんりょうほうせい)
賢くて行いが正しいということ。 または、中国の漢や唐の時代以降に行われた、官吏を登用するときの試験の科目の名前。 「賢良」は賢くて素直なこと。 「方正」は行いが正しいという意味。
原憲之貧(げんけんのひん)
心は清らかだが、貧乏なことのたとえ。 孔子の弟子の原憲(げんけん)は、貧しくても満足していたという話から。
高潔無比(こうけつむひ)
他と比べられないほどに、心の品格が高く、清らかな様子。 「高潔」は心に品格があり、清らかなこと。 「無比」は比べられるものが存在しないこと。
皎皎冽冽(こうこうれつれつ)
清らかな様子。 「皎皎」は清らかな様子。または、分かりやすくはっきりしている様子。 「冽冽」は清らかで、少しの濁りもなく澄んでいること。または、寒気が厳しい様子。 朝の寒気のように清らかで、濁りもなく澄んでいる様子から。 「皓皓冽冽」とも書く。
山高水長(さんこうすいちょう)
清らかで気高い人の品性のたとえ。 または、そのような人の功績や名声が後の世まで語り継がれること。 「山高」は高く山がそびえたつことから、人々が功績や徳の高さを見上げるということのたとえ。 「水長」はいつまでも川の水が流れ続けるという意味から、いつまでも絶えないことのたとえ。 「山(やま)高く水(みず)長し」とも読む。
三輪清浄(さんりんしょうじょう)
仏教の言葉で、三業の全てが清らかに働いていること。 または、お布施のときに、施す人と施しを受ける人と施す物の三つの全てが清らかなこと。 「三輪」は三業のことで、身業、口業、意業の三つのことをいい、身業は体の動作や所作、口業は言葉、意業は意識、心の働きのことをいう。 「清浄」は汚れがなく清らかなこと。
衆酔独醒(しゅうすいどくせい)
周囲の全ての人が道徳を失っているが、自分だけは正しく生きているということ。 周りにいる全ての人は酒に酔っているが、自分だけは酔わずに醒めているという意味から。 古代中国の戦国時代の楚の詩人、屈原が讒言によって追放されたときに、漁師になぜさまよっているかと聞かれて返した言葉で、「衆人皆酔えるに、我独り醒めたり」を略した言葉。
秀麗皎潔(しゅうれいこうけつ)
少しの汚れもなく、気品があって美しい様子。 「秀麗」はすぐれていて美しいこと。 「皎潔」は汚れが無く、清らかなこと。
清浄潔白(しょうじょうけっぱく)
行動や心が清らかで、うしろめたいことがないこと。 「清浄」は汚れがなく、清らかなこと。 「潔白」は清らかで後ろめたいことがないこと。
松風水月(しょうふうすいげつ)
清らかな人格のたとえ。 松を渡る風のようにさわやかで、水面に映る月のように澄み切っているということから。 清らかで高潔な人格を言い表す言葉。
心地光明(しんちこうめい)
心が正しく、清く広いこと。 「心地」は心のこと。 「光明」は仏の心身から放たれる、明るく輝く光のこと。
自浄意志(じじょういし)
清らかな心を保つように努力すること。 仏教の言葉で、仏道を究めるには悪行を働いてはならず、善行を積まなければならないという教えのこと。 「自ら意志を浄(きよ)む」とも読む。
純真可憐(じゅんしんかれん)
邪念や私欲などがなく清らかで、素直で愛らしいこと。 「純真」は心が清らかで素直なこと。 「可憐」はいじらしく愛らしいこと。 主に少女に対して使う言葉。
純真無垢(じゅんしんむく)
邪念や私欲などのない清らかな心を持っていること。 または、自然のままで飾り気のない様子のこと。 「純真」と「無垢」はどちらも清らかで汚れのないという意味。 同じ意味の言葉を重ねて強調した言葉。 主に子供のことをいう言葉。
純情可憐(じゅんじょうかれん)
邪念や私欲などがなく清らかで、素直で愛らしいこと。 「純情」は心が清らかで素直なこと。 「可憐」はいじらしく愛らしいこと。 主に少女に対して使う言葉。
浄潔快豁(じょうけつかいかつ)
不満や不平などが全く無く、さっぱりとしている様子。 「浄潔」は清らかで潔いこと。 「快豁」はさっぱりとしていて、大らかなこと。
水鏡之人(すいきょうのひと)
人の手本になるような、理解力や判断力に優れている賢い人のこと。 または、事実のままに物事を観望できる公平な人のこと。 水鏡のように清廉な人物。 「水鏡」は本当の姿をそのまま映す鏡のように、静かで曇りのない水面という意味。
清浄無垢(せいじょうむく)
汚れのない清らかな様子。 仏教では、煩悩がなく澄んでいる心のこと。 「無垢」は汚れのないという意味。 「清浄」は「しょうじょう」とも読む。 「無垢清浄」ともいう。
清絶高妙(せいぜつこうみょう)
汚れが無く、すぐれている様子。 「清絶」はこの上なく清らかなこと。 「高妙」はすぐれていて立派なこと。
清淡寡慾(せいたんかよく)
物事に執着せず、清らかで無欲な様子。 「清淡」は清らかで、無欲なこと。 「寡慾」は欲望が少ないこと。 「清淡寡欲」とも書く。
清淡虚無(せいたんきょむ)
静かで落ち着いて、わだかまりなどがなにもなく、欲の少ない心。 「清淡」は心が清らかでさっぱりしていること。 「虚無」は何もない状態ということから、物欲がないという意味。
清廉潔白(せいれんけっぱく)
心が清らかで、良心に恥じるようなことがまったくないこと。 「清廉」は清く正しいこと。 「潔白」は心や行いにやましいことや汚れがないこと。
曾参歌声(そうしんのかせい)
貧しい生活のなかでも欲にとらわれずに高潔に生きること。 「曾参」は人の名前。 曾参は衣食も満足にいかないほど貧しかったが、『詩経』の商頌の詩を歌うと世界に響き、金石の楽器の演奏のように見事なものだったという故事から。
体元居正(たいげんきょせい)
善や徳を身につけて、常に正しい立場に身を置くこと。 「体」は身につけることや実際に行うこと。 「元」は善や正しいこと。 「居正」は正しい立場に身を置くこと。 「元(げん)を体(たい)して正に居(お)る」とも読む。
大法小廉(たいほうしょうれん)
全ての家臣が忠義を尽くし、清く正しいこと。 臣下の心得をいう言葉で、「大法」は大臣が法律を守ること、「小廉」は身分の低い臣下、小臣が清廉に仕えること。
端木辞金(たんぼくじきん)
納得のできない金銭は、絶対に受け取らないということ。 「端木」は人名。 「辞金」は金銭を受け取ることを辞退するという意味。 中国の春秋時代、孔子の弟子で富豪の端木は、他国に売られた魯の国の人を買い戻すときに公金を使うことになっていたにも関わらず、それをよしとせずに私財で買い戻したという故事から。 「端木(たんぼく)金(きん)を辞す」とも読む。
適怨清和(てきえんせいわ)
恨めしいほどに素晴らしく、清らかで整っていること。 「適怨」はこの上なく素晴らしいために、恨めしい気持ちが生まれること。 「清和」は清らかで整っていること。
泥中之蓮(でいちゅうのはす)
けがれた環境の中でも、悪い影響を受けることなく心の清らかさや美しさを失わずに保つことのたとえ。 泥の中でも美しい花を咲かせる蓮のこと。 煩悩の中でも仏法で清浄さを保つことができるということを蓮にたとえた仏教語。
冬月赤足(とうげつせきそく)
欲を持たず、清く正しい行いをしているために、貧しい暮らしをしていることのたとえ。 「冬月」は季節の冬のこと。 「赤足」は足に何も履かない、裸足のこと。
内清外濁(ないせいがいだく)
心は清潔さを保ちながら、外見は汚れたように装い、世俗とうまく付き合う処世術のこと。
伯夷叔斉(はくいしゅくせい)
私欲がなく清らかな人格の人のたとえ。 「伯夷」と「叔斉」はどちらも人の名前。 伯夷と叔斉は自国を出て、周の文王に身を寄せた。 文王の死後、息子の武王が後を継ぎ、自身の主君である殷の紂王を討とうとしたので、不忠だと諫(いさ)めたが聞き入れられなかった。 その後、紂王を討ち取った武王が周王朝を建てたが、伯夷と叔斉は主君を討ち取った武王を非難し、周のものを食べることを恥として、周から離れて隠遁した後に餓死したという故事から。
伯夷之清(はくいのせい)
清らかで気高い人のたとえ。 「伯夷」は人の名前。 古代中国の殷の人物で、君主と臣下が義を大切にし、王朝が交代するときには節操を守り、新しい王朝に仕えなかったことから、清廉の極みとされている。
八元八凱(はちげんはちがい)
高い徳を持っていて、清く正しい心の人物のこと。 「元」は善、「愷」は高い徳。 古代中国の神話上の高辛氏の八人の心の清い人物は「八元」と呼ばれ、高陽氏の八人の高い徳を持つ人物は「八愷」と呼ばれていたという故事から。 「八元八凱」とも書く。
氷壺秋月(ひょうこしゅうげつ)
清く澄んだ心のこと。 「氷壺」は白い玉で出来ていて、中に氷が入っている壺。 「秋月」は秋の月。 どちらも清らかで澄んでいる様子を言い表す言葉。 「氷」は「冰」とも、「壺」は「壷」とも書く。
氷姿雪魄(ひょうしせっぱく)
梅の花のこと。または、清く澄んだ心を持った人のたとえ。 梅の花は雪の残る冬の終わりに、白く美しく咲くことから。 「氷姿」は「冰姿」とも書く。 「雪魄氷姿(雪魄冰姿)」ともいう。
氷清玉潤(ひょうせいぎょくじゅん)
父親と娘婿の二人ともが高い徳を備えていることのたとえ。または、清く気高い人格のたとえ。 氷のように清らかで、宝石のように潤いがあるという意味から。 中国の晋の楽広は、身も心も清らかな人柄と評されていたが、その娘婿の衛玠も清らかで潤いがあると評され、楽広は氷清と呼ばれ、衛玠は玉潤と呼ばれ、賞賛されたという故事から。
品行方正(ひんこうほうせい)
考えや行いが正しくきちんとしている様子。 「品行」は普段の行いや振る舞い。 「方正」は心や行動が正しいこと。
明鏡止水(めいきょうしすい)
心が清く澄み切っていて邪念のない心境のたとえ。 「明鏡」は曇りが一点もないきれいな鏡のこと。 「止水」は止まっていて澄み切った水のこと。
鳴蝉潔飢(めいせんけっき)
気高く清らかな心を持つ者は、いかなる状況でも信念を曲げないことのたとえ。 蝉(せみ)は気高い心を持ち、たとえ飢えても露(つゆ)以外のものを口にしないという伝説に由来する。
雄風高節(ゆうふうこうせつ)
立派で清らかな人格。 「雄風」は立派で堂堂とした品格。 「高節」は上品で立派な志。
瑶林瓊樹(ようりんけいじゅ)
人の品性が清らかで気高く、普通の人よりも優れていることのたとえ。 「瑶」と「瓊」はどちらも宝石のことで、宝石のように美しい林と樹のこと。 高潔なものを美しい林や樹にたとえた言葉。
冷艶清美(れいえんせいび)
冷ややかで清く美しい様子。 「冷艶」は白い花や雪のように冷ややかで美しい様子。
廉恥功名(れんちこうみょう)
清く正しく、恥を知る心があり、名声を上げようとする心があること。 「廉恥」は潔く、清く正しいこと。 「功名」は功績を挙げて名誉を得ること。
六根清浄(ろっこんしょうじょう)
欲望や迷いを断ち切り、心と体を清らかにすること。 「六根」は仏教で煩悩や迷いなどの元になるとされる六つの器官のことで、眼・耳・鼻・舌・身・意のことをいう。 「清浄」は煩悩や迷いなどを捨てて、汚れがなく清らかなこと。 山参りなどで修行者が山に登るときに唱えていた言葉。 「六根浄」と略して用いられることもあり、それが変化したものが「どっこいしょ」という掛け声の語源ともいわれている。
