「どう」を含む四字熟語
「どう」を含む四字熟語 — 188 件
震天動地(しんてんどうち)
大きな事件が起こることのたとえ。 または、勢いや音が極めて激しいことのたとえ。 「天(てん)を震(ふる)わし地を動かす」とも読む。
晨夜兼道(しんやけんどう)
急いで仕事をすること。 または、昼も夜も休まずに先へ進むこと。 「晨」は朝のこと。 「兼道」は二日かかる行程を一日で進むこと。
自家撞着(じかどうちゃく)
同じ人の行動や言動が前後で辻褄が合わないこと。 「自家」は自分自身のこと、「撞着」は辻褄があわないこと、矛盾していること。
自己撞着(じこどうちゃく)
同じ人の行動や言動が前後で食い違っていること。 「撞着」は辻褄が合わないこと、矛盾していること。
人道主義(じんどうしゅぎ)
人間愛に基づいて人間の尊厳と価値を重視し、全ての人々の幸福や利益を追求する思想や立場。
垂堂之戒(すいどうのいましめ)
子供や才能のある人などの大切な人は、危険から遠ざけておくべきという戒め。 「垂堂」は軒の端の下に近づくこと。 瓦が落ちてくる危険がある場所に近づかないという意味から。
随類応同(ずいるいおうどう)
人それぞれの性格や能力に合わせて指導すること。 「随類」は種類ごとに合わせること。 「応同」は同じ仲間に応えること。 元は仏教語で、相手の素質や能力に合わせて、菩薩が理解できるように仏の教えを説くことをいう。 「類(るい)に従(したが)い同(どう)に応ず」とも読む。
旌旗堂堂(せいきどうどう)
軍隊が整然と整い、威厳や勢いがある様子。 「旌旗」は、軍隊の目印として掲げる旗。
正正堂堂(せいせいどうどう)
非難する点のない素晴らしい手段や態度のこと。 または、軍隊の士気が高く、陣形が整っている様子。 「正正」は軍旗が整然と並んでいること。 「堂堂」は陣形が整っていて士気が高いこと。 「正正の旗、堂堂の陣」を略したもの。 「正々堂々」とも書く。
説三道四(せつさんどうし)
根拠のない適当なことをいうこと。 「説」と「道」は言うこと。 三と言ったり四と言ったりするということから。
世道人心(せどうじんしん)
この世の道徳と、その道徳を守る人たちの心。 「世道」は人が人として守るべき道徳のこと。 「人心」は多くの人の心。
仙風道骨(せんぷうどうこつ)
普通の人とは違う、すぐれた人の姿のこと。 仙人や道士などのこの世を超越した人の姿ということから。
千里同風(せんりどうふう)
天下が一つにまとめあげられていて、平和に治まっていること。 「千里」ははるか遠くまでということ。 「同風」は風俗が同じものになるということから、同じ国になることのたとえ。
楚越同舟(そえつどうしゅう)
互いに仲が悪い人たちや、互いに敵対関係にある人たちが同じ場所にいたり、同じ境遇にあること。 もとは、そのような人たちでも利害が同じ場合は協力しあうという意味。 「楚」と「越」は中国の春秋時代の国の名前、「同舟」は同じ舟に乗ること。 長い間、敵対関係にある楚と越の国の人たちが、同じ舟に乗って転覆しそうになったときは、敵同士であっても助け合うだろうと「孫子」が言ったという故事から。
啐啄同時(そったくどうじ)
絶好の機会のこと。また、学ぶ者と指導者の呼吸がぴったり合うこと。 「啐」は、雛(ひな)がかえろうとするとき、殻の中で泣く声のこと。 「啄」は、親鳥が卵の殻を外からつついて、雛が出てくるのを助けること。 禅宗で、弟子が悟りを開くまであと一歩というとき、師匠がすかさず指導して悟りを得られるようにすることをいう。
造反無道(ぞうはんむどう)
体制に背いて、道理に外れた行いをすること。 「造反」は体制に背いた行動を起こすこと、謀反。
大逆無道(たいぎゃくむどう)
道理や人の道からひどく外れた常軌を逸した行為のこと。 「大逆」は君主や親を殺すなどの極悪な行い。 「無道」は道理を無視した行いのこと。
大山鳴動(たいざんめいどう)
騒ぎばかりが大きくて、結果は非常に小さいことのたとえ。 「鳴動」は音を立てて揺れること。 「大山鳴動して鼠(ねずみ)一匹」という言葉の略。 「大きな山が産気づき激しい音を立て揺れ動いた結果、鼠が一匹生まれた」という古代ローマのことわざからきた言葉。 「泰山鳴動」とも、「太山鳴動」とも書く。
大道微意(たいどうびい)
儒教に経典に記されている人の行うべき正しい道と、微妙で深い大儀のこと。 「大道」は道理にかなった人が行うべき正しい道のこと。 「微意」は奥深く微妙な大儀のこと。 儒教の経典の奥義をいう言葉。
大道不器(たいどうふき)
聖人が行う偉大な道は、普遍的で大きな働きをもつということ。 「大道」は聖人が行う偉大な道。 「器」は物を入れることしか使い道のない器のこと。 器のように一つの用途でしか使えないものとは異なり、聖人の行う道は様々な作用を発揮するという意味から。
大欲非道(たいよくひどう)
慈悲が全くなく、非常に欲深いこと。 「大欲」は欲深いこと。 「非道」は人の道から外れていること。 「大慾非道」とも書く。
大異小同(だいいしょうどう)
一致する部分は少しあるが、全体的に大きく異なっているということ。 「大異」は大部分が異なっていること。 「小同」は細かい部分が似ていること。
大同小異(だいどうしょうい)
小さな違いがあって完全に同じではないが、ほぼ同じこと。 大きな差がないこと。 「大同」は大まかには同じものであること。 「小異」は少しだけ差や違いがあること。
大同団結(だいどうだんけつ)
複数の政党や団体などの目的を持った人々の集まりが、一つの大きな目的のために、政党や団体などの各々の意見の違いを超えて力を合わせること。 日本の明治時代、一八八六年~一八八九年に発生した自由民権運動各派による反政府統一運動が有名。
築室道謀(ちくしつどうぼう)
意見が多過ぎるとまとめることが困難で、物事がなかなか実現しないということ。 「築室」は家を建てること。 「道謀」は道で人に相談してまわること。 道で人に相談しても、それぞれが異なる意見を言うので、結局家が完成しないということから。
長者万灯(ちょうじゃのまんどう)
裕福な人が用意する多くの灯火。 金の力だけで施しはたくさんしているが、心がこもっていないこと。
直立不動(ちょくりつふどう)
まっすぐと立って、動かないこと。
天道是非(てんどうぜひ)
天から受ける裁きは、本当に正しいのかどうかということ。 運命に対する怒りや疑問をいう言葉。 「天道(てんどう)是か非か」とも読む。 善人が貧しいまま餓死し、悪人は不自由せずに天寿を全うすることが多いということを嘆いた、中国の前漢の歴史家の司馬遷の言葉から。
天道無親(てんどうむしん)
天の働きは、何に対しても公平であるということ。 「無親」は特定の人にだけ親しくするようなことはしないということ。 「天道(てんどう)親(しん)無し」とも読む。
天魔外道(てんまげどう)
天上界にいる魔王と仏教を信仰しない人のこと。 「天魔」は仏教の修行や、善い行いなどを妨害したり、邪道に誘ったりする魔王のこと。 「外道」は仏教以外の宗教や、仏道から外れた教えのこと。または、それらを信仰する人のこと。 「天魔」も「外道」も仏道を妨害し、害を与える者のことをいう。
頭童歯豁(とうどうしかつ)
老人のこと。または、年老いていくこと。 「頭童」は子どもの坊主頭のこと。転じて頭髪が薄くなった頭のたとえ。 「歯豁」は歯が抜けて隙間が多くなること。 「歯豁頭童」ともいう。
党同伐異(とうどうばつい)
事の善し悪しに関わらず、とにかく仲間の味方をして対立する相手を攻撃すること。 「党」は仲間のこと。 「異」は対立する相手のこと。 「同じきに党(むら)がり異なるを伐(う)つ」とも読む。 「伐異党同」ともいう。
堂宇伽藍(どううがらん)
寺院の中にある建物をまとめていう名称。 「堂宇」は神仏を祭る建物。 「伽藍」は僧侶が集まって、仏道の修行をするための場所。
堂下周屋(どうかのしゅうおく)
廊下のこと。 建物の部屋と部屋をつなぐ通路のこと。 「周屋」は部屋の周りをめぐるという意味。
同甘共苦(どうかんきょうく)
苦しいことも楽しいことも分かち合うこと。 「甘(かん)を同じくし苦を共にす」とも読む。
同気相求(どうきそうきゅう)
気の合う者同士は互いに求め合い、自然と集うようになること。 「同気」は気の合う仲間や同じ性質の者のこと。 「相求」は互いに求め合うこと。
道揆法守(どうきほうしゅ)
道理を基準に物事をはかり、自ら法を守ること。 「道揆」は道理に基づいて物事をはかることで、政治を行う上位の者への教訓。 「法守」は法を守ることで臣下など下位の者への教訓。
同仇敵愾(どうきゅうてきがい)
恨んでいる相手に共に立ち向かうこと。 「同仇」は同じ人物を恨むべき相手とすること。 「敵愾」は怨んでいる相手に向かっていくこと。 「敵愾同仇」ともいう。
同気連枝(どうきれんし)
血のつながりのある、兄弟姉妹のこと。 「連枝」は連なっている枝のことで、兄弟姉妹のたとえ。 同じ気質があり、枝と枝が連なっている木という意味から。 「気を同じくして枝を連(つら)ぬ」とも読む。
同衾共枕(どうきんきょうちん)
男女が同じ布団で睦まじく寝て、情愛を交わすこと。 「衾」は布団や夜具のこと。 同じ布団で枕を共にするという意味から。
恫疑虚喝(どうぎきょかつ)
心の中では怯えながら、相手をおどすこと。 「恫疑」は恐れて迷うこと。 「虚喝」は虚勢をはっておどすこと。こけおどし。
童牛角馬(どうぎゅうかくば)
あるはずのない物事のたとえ。または、偽りの物事。 「童牛」は角が生えていない牛。 「角馬」は角が生えている馬。 どちらもありえないもののたとえ。
洞見癥結(どうけんちょうけつ)
見つけにくい問題や事柄を見抜くこと。 「洞見」は見通すや見抜くという意味。 「癥結」は腹の内部にできたしこりのことで、表面から見えない問題のたとえ。 中国の戦国時代の鄭の国の医者の扁鵲は、長桑君という人からもらった薬を飲むと壁の向こうを見通せるようになり、病人を見ると体内のしこりを全て見抜くことができたという故事から。
同始異終(どうしいしゅう)
原因が同じでも、状況が違えば結果も変わるということ。 「同始」は始まりが同じであること。 「異終」は終わりが違うこと。 「始めを同じくするも終わりを異にす」とも読む。
道之以徳(どうしいとく)
道徳心を育てることで、人々は各々に考え、正しい生き方や考え方をするようになるということ。 「之(これ)を道(みちび)くに徳を以(もっ)てす」とも読む。
同室操戈(どうしつそうか)
兄弟、または、身内で争うことのたとえ。 「同室」は同じ部屋で暮らす人という意味から、家族や身内のこと。 「操戈」は武器のほこを持つという意味から、争い合うことのたとえ。 「同室(どうしつ)戈(ほこ)を操(と)る」とも読む。
同床異夢(どうしょういむ)
立場や仕事が同じでも、考え方や目的が違うこと。 同じ寝室に寝ていても、見る夢の内容はそれぞれ違うという意味から。
同床各夢(どうしょうかくむ)
立場や仕事が同じでも、考え方や目的が違うこと。 同じ寝室で寝ても、見る夢の内容はそれぞれ違うという意味から。
銅牆鉄壁(どうしょうてっぺき)
守りが非常に堅いことのたとえ。 または、絶対に壊すことができないもののたとえ。 「牆」は垣根のことで、銅の垣根と鉄の壁という意味から。
同心協力(どうしんきょうりょく)
心を一つにして、皆と力を合わせて物事に取り組むこと。
道心堅固(どうしんけんご)
道徳心を堅く守り通すこと。 「道心」は是非や善悪をしっかりと判断して、正しい道を守って行動しようとする心、道徳心。 「堅固」は意志が固く、動かされないこと。
同心戮力(どうしんりくりょく)
心を合わせて協力すること。 「同心」は心を合わせること。 「戮力」は力を合わせること。 「心を同じくして力を戮(あわ)す」とも読む。 「戮力同心」ともいう。
同而不和(どうじふわ)
こびへつらって調子を合わせているが、親しみは持っていないこと。 孔子が、くだらない人間との付き合い方について言った言葉。 「同じて和(わ)せず」とも読む。
同声異俗(どうせいいぞく)
生まれながらにして持っている素質は同じだが、教育や生活の環境によって人格に差が生じること。 教育の重要性を説いた荀子の言葉で、赤子の泣き声は同じでも、民族が違えば異なる風俗や習慣を身につけるということ。 「声を同じくして俗を異にす」とも読む。
動静云為(どうせいうんい)
人の言葉と行動。 「動静」は普段の生活の立ち居振る舞い。 「云為」は普段の生活の発言と行動。
銅駝荊棘(どうだけいきょく)
国が滅ぼされることを嘆くことのたとえ。 「銅駝」は銅製のラクダの像のこと。 「荊棘」は荊(いばら)、または荒れ果てること。 中国、晋の索靖は国が乱れることを予知し、「宮門に飾ったラクダの像も、やがて荒れ果てたいばらの中に埋もれるだろう」と嘆いたという故事から。 「銅駝の荊棘中に在るを歎く」を略した言葉。 「荊棘銅駝」ともいう。
道聴塗説(どうちょうとせつ)
聞いただけで理解していない学問のこと。 または、聞いただけで根拠のない知識を他人にそのまま話すこと。 「道」と「塗」はどちらも通行するための通路、道のこと。 道を歩いている時に聞いた話を、同じ道にいる人に得意気に話すということから。 「道(みち)に聴(き)きて塗(みち)に説く」とも読む。
洞庭春色(どうていしゅんしょく)
みかんを使って発酵、熟成させて作った酒のこと。 「洞庭」は中国にある湖の名前、洞庭湖のことで、洞庭湖の春の景色という意味から。 中国では立春の日にこの酒を飲んでいたとされている。
洞天福地(どうてんふくち)
この世のものとは思えないほどの美しい風景。 「洞天」は天に通じている場所。 「福地」は幸福が生まれる場所。 どちらも仙人が住んでいるとされている場所のこと。 道教では、十大洞天、三十小六洞天、七十二福地のことをいう。
堂塔伽藍(どうとうがらん)
寺院の中にある建物をまとめていう名称。 「堂」は神仏を祭る建物、「塔」はもとは釈迦の遺骨や遺物を納めた場所のことから、供養をするための重層の建築物のこと。 「伽藍」は僧侶が集まって仏道の修行をする場所のこと。
銅頭鉄額(どうとうてつがく)
勇敢で強いことのたとえ。 または、槍や刀を通さない、頑丈な甲冑を身に付けた勇ましい兵士のこと。 銅の頭と鉄の額という意味から。
堂堂之陣(どうどうのじん)
わずかな乱れもなく整然と隊列を組んでいる陣容のこと。 「堂堂」はいかめしく立派な様子。
同病相憐(どうびょうそうれん)
同じ境遇にあって、同じ苦しみを持つ者同士はお互いに同情する気持ちが強いということ。 同じ病気になった者同士が互いに慰めあうという意味から。 「同病相憐れむ」という形で用いることが多い言葉。
同風一俗(どうふういちぞく)
全国のしきたりや、ならわしが同じものになり、統一されること。 「風(ふう)を同じく俗を一(いつ)にす」とも読む。
同文同軌(どうぶんどうき)
天下が統一されること。 「同文」は使う文字を統一すること。 「同軌」は車の車輪の幅を統一すること。 使う文字や車輪の幅を統一するという意味から、天下が統一されていることのたとえ。 「文を同じくし軌(き)を同じくす」とも読む。 「同軌同文」ともいう。
同文同種(どうぶんどうしゅ)
使われている文字と、人種が同じということ。 「文」は文字。 「種」は人種。 日本と中国の関係をいうことが多い言葉。
同袍同沢(どうほうどうたく)
苦労を分かち合った友人。親友、戦友。 「袍」は中に綿を入れた服のことで、防寒用の服。 「沢」は汗取りのことで、下着のこと。 衣服を貸し合って助けあった友人という意味から。
洞房花燭(どうぼうかしょく)
結婚して初めての夜。新婚初夜。 「洞房」は家の奥にある女性の部屋のこと。閨房。 「花燭」は華やかなろうそくの灯りのことから、婚礼という意味。 「花燭」は「華燭」とも書く。 「花燭洞房(華燭洞房)」ともいう。
道貌岸然(どうぼうがんぜん)
表情や態度に威厳があり、近寄り難い様子。 「道貌」の「道」は他の学派の儒家からは、かたいことを非難されていた朱子学の道学者のこと、「貌」は表情のこと。 「岸然」は険しい、とげとげしいこと。
道傍苦李(どうぼうのくり)
誰からも関心を示されずに見捨てられたもののたとえ。 「道傍」は道端のこと。 「苦李」は苦い味のすもも。 道端にある誰の物でもないすももの木に実がなっていても、苦いすももは誰もとろうとしないという意味から。 中国の三国時代の賢者の王戎が、多くの人が道端のすももをとり合っていたが、王戎はとろうとしなかったという故事から。
瞠目結舌(どうもくけつぜつ)
激しく驚いて呆れること。 「瞠目」は大きく目を開いて見るということから、驚くこと。 「結舌」は舌を結ぶという意味から、舌が動かなくなって、声も出ない様子。
桐葉知秋(どうようちしゅう)
わずかな前兆や現象から、物事の本質や衰退を察知すること。 「知秋」は秋が到来を知ること。 一枚の葉が落ちることから、秋の訪れを察知するということから。
同類相求(どうるいそうきゅう)
同じ性質や種類のものは、自然に引き寄せられ、互いに求め合うものであるということ。
二河白道(にがびゃくどう)
仏教での極楽往生へ至るための道のこと。 「二河」は怒りを示す火の河と貪欲を示す水の河のこと。 二つの河に挟まれた極楽の彼岸に到達する白い道のことで、両側から火と水が迫り、後ろからも追っ手が迫っている中で一心にその道を進むと、ついには極楽浄土へたどり着いたことから、煩悩にまみれた人でも念仏一筋につとめれば悟りの彼岸にいたることを説いたもの。
八相成道(はっそうじょうどう)
仏教の言葉で、釈迦の一生を表す八つの段階や局面のこと。 「八相」は降兜率、托胎、出胎、出家、降魔、成道、転法輪、入滅の八つの段階や局面をいう言葉。 「成道」は悟りを開いて、仏教の道を完成すること。
班荊道故(はんけいどうこ)
しばらく会っていない、昔の友人とたまたま出会って語り合うこと。 「班荊」は草を敷くこと。 「道故」は話をすること。 中国の春秋時代、伍挙が楚から亡命して晋に行く途中に、古い友人の公孫帰生とたまたま出会って語り合ったという故事から。 「荊(けい)を班(し)きて故(こと)を道(い)う」とも読む。
万物斉同(ばんぶつせいどう)
荘子の思想で、相対的な知を否定して、唯一絶対の観点からすれば、全てのものは同じであるというもの。 人の認識は善悪などの対立する概念を相対化して成り立っているが、それらを超越した絶対的な無の境地から見れば、全ては同じものであるということ。
万里同風(ばんりどうふう)
天下が一つにまとめあげられていて、平和に治まっていること。 「万里」ははるか遠くまでということ。 「同風」は風俗が同じものになるということから、同じ国になることのたとえ。 「万里(ばんり)風(ふう)を同じうす」とも読む。
非義非道(ひぎひどう)
人としてやってはいけない、道に背いた悪い行いのこと。 「非義」は義理に背いた行い。 「非道」は人としての道から外れた行い。
比目同行(ひもくどうこう)
二人が親密で離れないことのたとえ。 「比目」は目を並べること。 「同行」は共に歩くこと。 中国の伝説上の比目魚は、目が一つしかないために、二匹並ばないと泳ぐことができないということから。