「こ」を含む四字熟語
「こ」を含む四字熟語 — 1279 件
根深柢固(こんしんていこ)
基礎をよく固めて、不安定にならないようにすること。 「根」と「柢」はどちらも木の根のことで、物事の基礎のたとえ。 根を深く強固なものにするという意味から。
今昔之感(こんじゃくのかん)
昔のことを思い出して、現在との時世や環境の大きな変化に深く感心すること。
困獣猶闘(こんじゅうゆうとう)
どうすることも出来ない状況になっても、諦めずにあらがおうとすることのたとえ。 「困獣」は逃げる場所がなくなった獣。 追い詰められた獣でさえも、最後まで闘おうとするという意味から。 「困獣(こんじゅう)すらなお闘う、況(いわん)や人をや」を略した言葉。
混水模魚(こんすいもぎょ)
状況を乱して利益を得ること。 水を濁らせて魚の目を眩まして、混乱している魚を捕まえるという意味から。 「水を混(にご)して魚(うお)を模(さぐ)る」とも読む。 「混水摸魚」とも書く。
懇切丁寧(こんせつていねい)
真心がこもっていて、細かいところまで気配りが行き届いている様子。 「懇切」は極めて親切なこと。 「丁寧」は気配りが行き届いていること。 「丁寧懇切」ともいう。
今是昨非(こんぜさくひ)
昨日までは間違いだと思っていたことが今日は正しいと思えること。 または、今になって過去の行いが過ちであったと気づいて悔いること。 「是」は正しいこと。 「非」は誤りのこと。 「今の是にして昨の非なりしを覚る」を略した言葉。 「昨非今是」ともいう。
渾然一体(こんぜんいったい)
複数のものが溶け合ったり混ざり合ったりして、区別することができない様子。 「渾然」は複数のものが溶け合っている様子。 「混然一体」とも書く。
困知勉行(こんちべんこう)
苦労しながらも学び、努力を積み重ねて物事を実際に行うこと。 「困知」は心を苦しめて何とか知ることが出来るということ。 「勉行」は努力を積み重ねて、実際に行うこと。 『中庸』での修養の三つの段階の一つで、才能の劣った人が行う修養だが、結果は全て同じになるので才能が劣った人も努力するべきであるという教え。
昏定晨省(こんていしんせい)
親孝行すること。 「昏定」は夜に両親の寝床の用意をすること。 「晨省」は朝に両親のご機嫌を伺うこと。 「昏(くれ)に定めて晨(あした)に省(かえり)みる」とも読む。
昏天黒地(こんてんこくち)
日が暮れて、灯りがなくなって真っ暗な様子。 または、意識がぼんやりとしていて、はっきりとしないこと。 または、生活や社会の秩序が乱れている様子。 「昏」は夜のこと。
金泥精描(こんでいせいびょう)
金色の顔料を使って、細かく正確な絵を描くこと。 「金泥」は金粉を膠で溶かした金色の顔料。 「精描」は細かく正確な絵を描くこと。
懇到切至(こんとうせっし)
細かいところまで親切が行き届いていること。 「懇到」と「切至」はどちらも丁寧で、真心が十分に行き届いていること。
蒟蒻問答(こんにゃくもんどう)
的外れで噛みあっていない論争のこと。 元は古典落語の「蒟蒻問答」から出た言葉で、住職がいなくなり荒れ果てた寺を心配した蒟蒻屋の六兵衛は、居候の八五郎に住職になるように言った。 にわか坊主となった八五郎は、旅の禅僧に禅問答をしかけられ、問答に負けると寺を追い出されることになり、六兵衛に相談すると、六兵衛は住職になりすまして問答を受けると言った。 六兵衛は禅僧の問に何も答えず、禅僧はそれを無言の行と勘違いし、次は身振りで問を出した。 六兵衛は、身振りの問に、自身が坊主に成りすました蒟蒻屋ということが気づいていると思い、自分の作った蒟蒻が馬鹿にされたと勘違いし、六兵衛も身振りで問に答えると、禅僧はすばらしい答えと解釈して負けを認めたという故事から。
魂飛魄散(こんひはくさん)
激しく驚き、恐れること。 「魂」は死後天に昇る魂。 「魄」は死後地上にとどまる魂。 魂が飛んでいって、心が空になるほどに驚くということから。 「魂(こん)飛び魄(はく)散(さん)す」とも読む。
昏迷乱擾(こんめいらんじょう)
人の心を乱して判断力を弱らせて悩ませること。 「昏迷」は判断力がなくなって心が迷うこと。 「乱擾」は混乱させること。 「混迷乱擾」とも書く。
金輪奈落(こんりんならく)
物事の極限のたとえ。 または、絶対にや、どこまでもということ。 「金輪」は大地の一番の深い底。 「奈落」は地獄のこと。 仏教の言葉で、仏教の世界観での三つの大輪の一つで、大地の下にあり、下から順に風輪、水輪があって、その上にあるとされている。
渾崙呑棗(こんろんどんそう)
人からの教えの意味を考えずに、ただ受け入れるだけでは本当に理解することはできないということのたとえ。 「渾崙」は丸ごとという意味。 「呑棗」は植物の棗の実を噛まずに飲み込むこと。 棗の実を噛まずに丸呑みしても、棗の実の味はわからないという意味から。 元は仏教の言葉で、仏の教えについていった言葉。 「渾崙(こんろん)棗(なつめ)を呑(の)む」とも読む。
五行相剋(ごぎょうそうこく)
この世の全てのものの根源の要素が互いに力を減じ合うこと。 「五行」は全てのものの根源の要素とされる、木・火・土・金・水の五つの要素のこと。 「相剋」は木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木に勝つということ。 自然現象や社会の変化などを説明したり、王朝をたとえて移り変わりを理論付けたりした。 「五行相克」とも書く。
五穀豊穣(ごこくほうじょう)
穀物が充分に実ること。 「五穀」は米、麦、粟、豆に黍(きび)または稗(ひえ)を加えた5つのことで、人間が主食とする五種類の代表的な穀物のこと。具体的な穀物名を指さずに穀物の総称として用いることもある。 「豊穣」は穀物が充分に実ること。
載籍浩瀚(さいせきこうかん)
たくさんの書物があることのたとえ。 「載籍」は物事の内容や様子を記した書籍という意味から、書物のこと。 「浩瀚」は巻数が多いという意味。
削株掘根(さくしゅくっこん)
災いの原因を根本から取り除くこと。 災いを木にたとえ、株を削って根を掘り起こすという意味から。 「株を削り根を掘る」とも読む。
鑿壁偸光(さくへきとうこう)
貧しい生活をしながら勉学に励むこと。苦学のたとえ。 「鑿」は穴を開けること。 「偸」は盗むこと。 壁に穴を開けて隣の家の光を盗み、盗んだ光で勉強をするということから。 前漢にいた匡衡は貧しく、灯火の油を買うことができず、壁に穴を開け、隣家の明かりを盗んで勉学に励んだという故事から。 「壁を鑿(うが)ちて光を偸(ぬす)む」とも読む。
佐命立功(さめいりっこう)
天子に仕えて、建国の手助けをして功績を上げること。 「佐命」は天命を受けた帝の手助けをすること。 「立功」は功績を上げること。 「命(めい)を佐(たす)けて功(こう)を立つ」とも読む。
三跪九叩(さんききゅうこう)
中国の清の敬礼の方法。 三回跪(ひざまず)いて、頭を九回地面に打ち付ける礼のことをいう。
三軍暴骨(さんぐんばくこつ)
大差で戦いに負けること。 「三軍」は三万七千五百人の軍隊ということから、大軍のたとえ。 「暴骨」は兵士が死んで、野で骨になるという意味。 中国の周の時代は、一万二千五百人の軍隊を一軍として、大国ではその三倍の三軍を保有するとされていた。 「三軍(さんぐん)骨(ほね)を暴(さら)す」とも読む。
三綱五常(さんこうごじょう)
儒教の言葉で、人として守るべき道徳と、常に行うべき道義のこと。 「三綱」は主君と臣下、父親と子、夫と妻の間の三つの道徳のこと。 「五常」は仁、義、礼、智、信の常に行うべき五つの道義のこと。
山光水色(さんこうすいしょく)
山や海、川などの自然の風景。 「山光」は山の風景。 「水色」は海や川、湖などの水辺の風景。
山高水長(さんこうすいちょう)
清らかで気高い人の品性のたとえ。 または、そのような人の功績や名声が後の世まで語り継がれること。 「山高」は高く山がそびえたつことから、人々が功績や徳の高さを見上げるということのたとえ。 「水長」はいつまでも川の水が流れ続けるという意味から、いつまでも絶えないことのたとえ。 「山(やま)高く水(みず)長し」とも読む。
山高水低(さんこうすいてい)
人の死などの予期せぬ不幸な出来事のこと。 山が高く、川の水が少ないとの意から。 「山(やま)高(たか)く水(みず)低(ひく)し」とも読む。
山肴野蔌(さんこうやそく)
山や野原で採ることができる美味な食物。山の幸と野の幸。 「肴」は獣や鳥などの肉類のこと。 「蔌」は野菜のこと。
三顧之礼(さんこのれい)
立場が上の人が礼を尽くして、すぐれた才能を持つ人を招くこと。 または、立場が上の人が立場が下の人に礼を尽くして、仕事を依頼すること。 「三顧」は三回訪問すること。 古代中国の三国時代、蜀の皇帝劉備が諸葛亮を迎え入れるために住居を三回訪問したという故事から。
三思後行(さんしこうこう)
しっかりと考えた後に行動すること。 三度考えてから行動するという意味から。 元は必要以上に考えすぎること戒めた言葉だったが、現在では軽はずみな行動を戒める言葉として使われることが多い言葉。 中国の春秋時代の魯の季文子の故事から。 「三(み)たび思いて後(のち)に行う」とも読む。
山棲谷飲(さんせいこくいん)
世間から離れて隠居すること。 山の中で暮らして、谷川の水を飲むということから。
三人成虎(さんにんせいこ)
真実ではないことでも、多くの人が言えばいつの間にか真実として広まるということのたとえ。 「街に虎が出たと言ったら信じるか」と尋ねると「信じない」と答えた。 「それならばもう一人別の人物が同じこと言ったら信じるか」と尋ねると「わからない」と答え、「三人ならどうか」と聞くと「信じるようになるだろう」と答えたという故事から。
三老五更(さんろうごこう)
高い徳を積んでいる長老のこと。 「三老」と「五更」はどちらも中国の周の時代の長老の異称。 「三老」は臣下の最高位の三公、「五更」は引退した卿の地位をもっていた人の呼称とされているが、様々な説がある。
坐臥行歩(ざがこうほ)
日常的に行う動作の体の動かし方のこと。 「坐」は座ること、「臥」は寝ること、「行歩」は歩くという意味から。
残膏賸馥(ざんこうしょうふく)
すぐれた人物や詩、文章などを言い表す言葉。 「膏」はあぶらのこと。 「賸」は余り。 「馥」は香り。 すぐれた人物がいた後に残る香りという意味から。または、豪華な食事の残り香のこと。 「賸馥」は「ようふく」とも読む。
残酷非道(ざんこくひどう)
人の道にはずれていて、見ていられないほど酷い様子。 または、そのように酷い振る舞いや行い。
残忍酷薄(ざんにんこくはく)
人のことを気遣うこともなく、むごいこと。 「残忍」と「酷薄」はどちらも無慈悲なこと。 「残忍刻薄」とも書く。
四海困窮(しかいこんきゅう)
世の中の人々が貧乏で生活に困ること。 「四海」は四方の海の内側という意味から、世の中や国内、世界のたとえ。
士気高揚(しきこうよう)
集団のやる気や熱意、意気込みが高くなること。または高くすること。 「士気」は戦いに臨む兵士のやる気のこと。 「高揚」は気分が高まる、または、高めること。
舐糠及米(しこうきゅうまい)
少しのことから被害が増えていくこと。 虫が米の外側の糠を舐めると、次は中の米を食べるということから。 前漢、景帝の代に諸侯の勢力を削る目的で、諸侯の領地を少しずつ削ぐ政策を行った。 領地を削がれた呉王は領地がなくなってしまうことを危惧し、呉楚七国の乱を起こしたという故事から。 「糠を舐(ねぶ)りて米に及ぶ」とも読む。
試行錯誤(しこうさくご)
試みと失敗を何度も繰り返して、問題の解決に近づけていくこと。
至公至平(しこうしへい)
極めて公平であること。 「至」は「いたって」や「この上なく」という意味。 「公平」という言葉に「至」をつけて強調した語。
豕交獣畜(しこうじゅうちく)
獣のように人を扱うこと。 「豕交」は豚と接するように交際すること。 「獣畜」は獣のように扱い養うこと。 人を人として見ずに、獣と同じように扱うことをいう言葉。
師曠之聡(しこうのそう)
非常に鋭く敏い耳のたとえ。 「師曠」は中国の晋の盲目の楽師で政治顧問をしていた人の名前。 師曠は音を聞き分けて吉凶を知ることが出来たという故事から。
四荒八極(しこうはっきょく)
世界中のあらゆる場所、地域のこと。 世界の隅々までという意味。 「四荒」は北方の觚竹、南方の北戸、西方の西王母、東方の日下の四つのことで、この四方の果てにあるえびすの国のこと。 えびすは異民族の別称。 「八極」は八方の地の果てという意味。
至高無上(しこうむじょう)
限りないほど素晴らしいこと。 「至高」は最高、「無上」は”この上なく”または”限りない”という意味。
市虎三伝(しこさんでん)
真実ではないことでも、多くの人が言えばいつの間にか真実として広まるということのたとえ。 「街に虎が出たと言ったら信じるか」と尋ねると「信じない」と答えた。 「それならばもう一人別の人物が同じこと言ったら信じるか」と尋ねると「わからない」と答え、「三人ならどうか」と聞くと「信じるようになるだろう」と答えたという故事から。
四顧寥廓(しこりょうかく)
周りに何もなく、寂しく広がっている様子。 「四顧」は周りを見回すこと。 「寥廓」は寂しく広がっている様子。
士魂商才(しこんしょうさい)
実業家や商人の理想や心構えのことで、武士の魂と商売の才能のどちらも持つこと。 「士魂」は武士の魂。 「商才」は商売の才能。
指差喚呼(しさかんこ)
安全のために指で指し示して、大きな声を出して周囲の状況を確認すること。 「指差」は指で指し示すこと。 「喚呼」は言葉を実際に口から出すこと。 鉄道の運行や危険のある作業現場で、安全のために周囲の状況を確認するための行動をいう。
孜孜忽忽(ししこつこつ)
他のことを考えず、目的を果たすためだけに注力すること。 「孜孜」は熱心に努力すること。 「忽忽」は他を顧みないこと。
歯如瓠犀(しじょこさい)
歯が白色で綺麗にそろっていて美しいこと。 「瓠犀」はひさご(ヒョウタン・ユウガオ・トウガンなどの総称)の種のこと。白く美しく並んだ美人の歯のたとえ。 「歯(は)は瓠犀(こさい)の如(ごと)し」とも読む。
詩人蛻骨(しじんぜいこつ)
上質な茶をたたえる言葉。 「蛻」は抜きかえる、または、ぬけがらという意味。 素晴らしいお茶は詩人の感性さえも素晴らしいものにかえるということから。
七種菜羹(しちしゅのさいこう)
七種の野菜の汁物。または、七草粥のこと。 「菜羹」は野菜の汁物。 一年の健康を願い、陰暦一月七日に食べる。
七生報国(しちしょうほうこく)
何度生まれ変わっても、国のために尽力すること。 「七」は数が多いことのたとえ。 「七生」は仏教の言葉で、何度も生まれ変わるということ。 「報国」は国から受けた恩に報いるために尽くすということ。
七十古稀(しちじゅうこき)
昔から七十歳まで生きることが出来る人は稀だということ。 杜甫の詩の「人生七十古来稀なり」という一節に由来して、七十歳を「古稀」と呼ぶようになった。
尸虫出戸(しちゅうしゅっこ)
死体が埋葬されず、そのままになっている様子。または、葬儀をしっかりと行わないこと。 「尸」は死体のこと。 中国の春秋時代、斉の桓公が死んだ時に葬儀を行うことなく跡目争いが起こり、死体から湧いた虫が戸外へと出てきたという故事から。 「尸虫(しちゅう)戸(と)より出(い)ず」とも読む。
詩腸鼓吹(しちょうのこすい)
詩を作る情をかきたてられること。 または、情をかきたてられる鶯(うぐいす)の鳴き声のこと。 「詩腸」は詩を作る情、「鼓吹」は太鼓や笛を鳴らすという意味から勢いづけるや鼓舞するという意味。 六朝時代、宗の戴ギョウが行き先を聞かれ、「鶯の声を聞き世俗に染まった耳を清めて、詩情をかきたてようとしている」と答えた故事から。
執行猶予(しっこうゆうよ)
有罪判決による刑罰を与える前に猶予期間を設け、その期間に何も問題を起こさなかった時には刑罰を執り行わないようにする制度のこと。
失魂落魄(しっこんらくはく)
とても驚き、慌てている様子。または、精神が不安定な状態になっていて奇怪な行動をすること。 天から受けた精神を司るたましいの「魂」と、地から受けた肉体を司るたましい「魄」が無くなるという意味。
蝨処褌中(しつしょこんちゅう)
狭い見識の中で満足すること。または、そのように暮らすこと。 「蝨」は昆虫のシラミ。 「褌」は下着のこと。 下着の中に住みついたシラミのことから。 「蝨(しらみ)褌中(こんちゅう)に処(お)る」とも読む。
至徳不孤(しとくふこ)
徳さえあれば人から嫌われることもなく、周りに同じような人たちが集まるため、孤独になることはないということ。 「至」は至って。きわめて。この上なく。 「徳」はよい人格。 「至徳(しとく)は孤(こ)ならず」とも読む。
士農工商(しのうこうしょう)
日本の江戸時代にあった四つの身分階級のことで、武士、農民、工人、商人のこと。
鴟目虎吻(しもくこふん)
欲深く凶悪で残忍な人相のたとえ。 「鴟目」はふくろうのような目つき。 「虎吻」は虎のような口。 どちらも凶悪で残忍な人相のたとえ。
社燕秋鴻(しゃえんしゅうこう)
出合って間もない間に分かれること。 「社燕」は春の社日にきて、秋の社日に去る燕、「秋鴻」は秋にきて春に去る白鳥のことで、燕と白鳥がすれ違う短い出会いという意味から。
釈根灌枝(しゃくこんかんし)
「釈根」は根を捨てる、「灌枝」は枝に水を注ぎかけるという意味から、他の事に気をとられて物事の本質を忘れること。 または、問題の本質を調べることをせずに結果だけを問題にすること。
灼然炳乎(しゃくぜんへいこ)
非常にはっきりとしている様子。 「灼然」と「炳乎」はどちらも明らかな様子をいう言葉で、似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。
社交辞令(しゃこうじれい)
社交場などでの儀礼的な応対のことで、相手を喜ばせるためのお世辞の言葉のこと。 「辞令」は応答の言葉という意味。
捨根注枝(しゃこんちゅうし)
他の事に気をとられて物事の本質を忘れること。 または、問題の本質を調べることをせずに結果だけを問題にすること。 「捨根」は根を捨てること。 「注枝」は枝に水を注ぎかけること。
衆口一致(しゅうこういっち)
多くの人たちの意見が一致すること。 「衆口」はたくさんの人の言葉や考え。 「一致」は完全にぴったりと合うこと。
秋高気爽(しゅうこうきそう)
秋の空が高く、すっきりと晴れ渡っていて、空気がさっぱりとしていること。 「秋高」は秋の空が晴れ渡っていて高いこと。 「気爽」はさっぱりとしていて心地よい空気のこと。
衆口熏天(しゅうこうくんてん)
たくさんの人たちの意見には、ものすごい力があるということのたとえ。 「衆口」はたくさんの人たちの意見。 「熏天」は天を動かすほどに感動させるということ。 たくさんの人たちの意見は、天を動かすほどに感動させるほどの力があるということから。 「衆口(しゅうこう)天(てん)を熏(くん)ず」とも読む。
衆口鑠金(しゅうこうしゃくきん)
大勢の人たちによる言葉の力は恐ろしいということ。 特に、根拠のない、でたらめな中傷についていう言葉。 「衆口」は多くの人たちのいう言葉。 「鑠金」は金属を溶かすということ。 大勢の人たちの言葉は金属すら溶かしてしまうほど強力という意味から。 「衆口(しゅうこう)金(きん)を鑠(と)かす」とも読む。
秋高馬肥(しゅうこうばひ)
爽やかで心地よい秋を言い表す言葉。 空が高く、すっきりと晴れ渡る気持ちのよい秋の季節になると、馬も餌をよく食べてたくましく肥えるということから。 元は秋の収穫の後で、中国の北部から騎馬民族が攻め込んでくる季節のことをいう言葉。 「秋高く馬肥ゆ」とも読み、現在では、「天高く馬肥ゆる秋」と用いることが多い言葉。
修己治人(しゅうこちじん)
自身の知識を高めて、精神を磨き、徳を積んでから世の中を正しく治めること。 自身の修養に励み、高く積んだ徳で人々を感化して、世の中を平和に正しく治めることをいう。 儒教の根本思想。 「己を修めて人を治む」とも読む。
襲故弥新(しゅうこびしん)
古い表現を使いならがも、目新しさを出すこと。 「襲」は、受け継ぐ。 「弥」は、より一層。ますます。 「故(もと)を襲(おそ)いて弥(いよいよ)新(あたら)し」とも読む。
秋日荒涼(しゅうじつこうりょう)
秋の寂しい風景を言い表す言葉。 「荒涼」は荒れ果てた様子。
舟中敵国(しゅうちゅうてきこく)
味方が敵になることもあることのたとえ。 行き先が同じ舟に乗っている人は利害が同じだが、状況によっては敵になるという意味から。 為政者への戒めの言葉で、周囲の敵国ばかり気にかけて、内政を怠れば、国内から反逆者が現れて滅ぼされるということ。
