「う」を含む四字熟語
「う」を含む四字熟語 — 4264 件
洒掃薪水(さいそうしんすい)
家事仕事のこと。 「洒掃」は掃除のこと。 「薪水」は炊事のこと。 水をまいて箒で掃き掃除をして、薪を集め、水を汲んで炊事をするという意味から。 「灑掃薪水」とも書く。
裁断批評(さいだんひひょう)
芸術作品などを、一定の基準によって判定する批評方法のこと。 古典主義時代以前の欧州で主流だった方法。 「裁断」は善悪や是非などを判断して決めること。
採長補短(さいちょうほたん)
他人の長所をとり入れて、自身の短所を補うこと。 「長」は長所、「短」は短所。 「長(ちょう)を採(と)り短(たん)を補(おぎな)う」とも読む。
才弁縦横(さいべんじゅうおう)
すぐれた弁舌を自在に使いこなすこと。 「才弁」はすぐれた弁舌のこと。 「縦横」は思い通りに使いこなすこと。
西方浄土(さいほうじょうど)
阿弥陀仏がいるとされ、人間界から西方に十万億土離れている極楽浄土のこと。
彩鳳随鴉(さいほうずいあ)
女性が身分の劣る男性に嫁に行かされること。また、そのことに不満を持つこと。 美しい鳳(おおとり)が鴉(からす)に嫁ぐことから。 妻が夫のことをいい加減に扱うことにも用いる言葉。 「随鴉彩鳳」ともいう。
菜圃麦隴(さいほばくろう)
野菜や穀物を育てる農地、野菜畑や麦畑のこと。 「圃」と「隴」はどちらも畑という意味で、「菜圃」は野菜を植えている畑、「麦隴」は麦を植えている畑ということから。
才貌両全(さいぼうりょうぜん)
才能と美しい容姿の両方を兼ね備えていること。 「才貌」は才能と容貌。 「両全」は両方との備えていること。
豺狼当路(さいろうとうろ)
悪意を持つ人が国の重要な地位についていることのたとえ。または、そのような権力を持つものが、権力を使って人の道を外れた行いをすること。 「豺狼」は山犬と狼、「当路」は道をふさぐことで、山犬や狼が道に居座っていて行く手をさえぎられているという意味から。
作史三長(さくしのさんちょう)
才知、学問、識見という三つの能力のことで、歴史家が歴史書を書いたり、編集したりするために必要な能力をいう。
鑿窓啓牖(さくそうけいゆう)
多くの考え方を学んで見識を広めること。 「鑿」は穴を空ける、穿つ。 「啓」は開くこと。 「牖」は窓のこと。 閉じている窓を開いて光を取り入れるという意味から。 「窓を鑿(うが)ち牖(まど)を啓(ひら)く」とも読む。
作文三上(さくぶんさんじょう)
文章の構想を考えるのに最も適している三つの場所のこと。 「作文」は文章を作ること。 「三上」は馬上、枕上、厠上の三つの場所のこと。 馬上は馬に乗っているとき、枕上は寝床で横になっているとき、厠上は便所に入っているとき。
鑿壁偸光(さくへきとうこう)
貧しい生活をしながら勉学に励むこと。苦学のたとえ。 「鑿」は穴を開けること。 「偸」は盗むこと。 壁に穴を開けて隣の家の光を盗み、盗んだ光で勉強をするということから。 前漢にいた匡衡は貧しく、灯火の油を買うことができず、壁に穴を開け、隣家の明かりを盗んで勉学に励んだという故事から。 「壁を鑿(うが)ちて光を偸(ぬす)む」とも読む。
左支右吾(さしゆうご)
様々な手段を用いて危険を防ぐこと。または、左右のどちらにも差支えがあること。あれこれ言い逃れをして危険を回避しようとすること。 左を支えて、右を防ぐという意味から。
砂上楼閣(さじょうのろうかく)
物事が長く続かないこと。または、実際に出来る可能性が全くない計画のこと。 「楼閣」は立派な建物のこと。 砂の上に立てた立派な建物は、地盤が弱くすぐに崩れるという意味から。
左戚右賢(させきゆうけん)
親族を低い地位の左側に、賢者を高い地位の右側に置くこと。 卑しいものを左側、尊ぶものを右側に置く中国の漢の時代の風習。 「右賢左戚」ともいう。
沙中偶語(さちゅうのぐうご)
臣下同士で謀反を起こす相談をすること。 「沙中」は人のいない砂地のこと、「偶語」は向かい合って話し合うこと。 古代中国の漢の君主の劉邦の時代に、功績を上げていても褒賞がもらえずに、他に人のいない砂地で、臣下たちが謀反の相談をしていたという故事から。
殺妻求将(さっさいきゅうしょう)
名誉や利益を得るためになんでもすることのたとえ。 将軍になるために、自分の妻を殺すということから。 中国の春秋時代、斉の国を攻めようとした時に、魯王は呉起を将軍にしようとしたが、呉起の妻が斉の国の出身であったために、呉起を将軍にすることをためらったが、呉起は妻を殺して将軍になったという故事から。
左提右挈(さていゆうけつ)
互いに助け合い、協力すること。左手に提げ、右手に携えるとの意から。
左程右準(さていゆうじゅん)
全ての行動が道徳的な手本の通りなこと。 「程」や「準」はどちらも物事を行う上での基準。
左図右史(さとゆうし)
所蔵している書物が多いことのたとえ。 左右のどちらを向いても本ばかりということから。 「図」は書籍。 「史」は史書。
詐謀偽計(さぼうぎけい)
相手を騙して罠にはめる策略。 「詐謀」と「偽計」はどちらも相手を騙すための策略。
佐命立功(さめいりっこう)
天子に仕えて、建国の手助けをして功績を上げること。 「佐命」は天命を受けた帝の手助けをすること。 「立功」は功績を上げること。 「命(めい)を佐(たす)けて功(こう)を立つ」とも読む。
左右具宜(さゆうぐぎ)
高い教養があり、その場に応じた立派な立ち居振る舞いができること。 「左右具(とも)に宜(よろ)し」とも読む。
左右傾側(さゆうけいそく)
その時の状況に応じて都合がいいものに従うこと。 「傾側」は傾いて斜めになる、または、傾けて斜めにすること。転じて、勢いのあるものに従うこと。
左右他言(さゆうたげん)
自分に都合の悪いことの話題をそらしてごまかすこと。 「他言」は話題をそらすこと。 話題の答えに困ったり、答える必要がないと思う時の態度のこと。 中国の戦国時代、孟子が斉の国の王にしっかりと国を治めていないことへの責任を指摘され、側近に話を逸らさせたという故事から。
沙羅双樹(さらそうじゅ)
八十歳で入滅した釈迦の寝床にあった沙羅の木のこと。 「沙羅」は植物の名前。 釈迦が入滅したときに、釈迦の寝床の四方に二本ずつあった常緑樹である沙羅の木が、釈迦の入滅を悲しんで、一本ずつ枯れたとも、全ての木が白くなって枯れたとも言われている伝説のこと。 日本では『平家物語』の冒頭の句として有名。 「砂羅双樹」とも書く。
桟雲峡雨(さんうんきょうう)
山の中にあるかけ橋付近に漂う雲と谷の中に降る雨のこと。 「桟」は丸太や蔓などを使って、山の険しい場所にかけられているかけ橋のこと。 「峡」は山間の谷間。
三槐九棘(さんかいきゅうきょく)
政界の最高幹部のこと。 「三槐」は中国の三公の別称。 「九棘」は中国の九卿の別称。 中国の周の時代に、君主が朝廷の庭の三公の位置を示すところに槐の木を植え、九卿の位置を示すところに棘の木を植えていたことから。 「九棘三槐」ともいう。
山簡倒載(さんかんとうさい)
大酒飲みのこと。 「山簡」は人の名前。 「倒載」は車に乗せた酒を全て傾けるという意味から、全ての酒を飲み尽くすという意味。 古代中国の晋の将軍の山簡は大の酒好きで、高陽地のほとりで酒を持って行っては全て飲み尽くし、ご機嫌で帰ってきていたという故事から。
産学協同(さんがくきょうどう)
産業界と教育機関が互いに協力して、研究や技術者の育成をすること。 「産」は産業界。 「学」は教育機関。 「協同」は心や力を合わせて取り組むこと。
三跪九叩(さんききゅうこう)
中国の清の敬礼の方法。 三回跪(ひざまず)いて、頭を九回地面に打ち付ける礼のことをいう。
山窮水尽(さんきゅうすいじん)
非常に苦しい立場に陥って、どうすることもできない状況になること。 山奥で道が無くなって進めなくなり、川を渡るための橋がなく進めなくなるという意味から。 「山(やま)窮(きわ)まり水(みず)尽(つ)く」とも読む。
山窮水断(さんきゅうすいだん)
非常に苦しい立場に陥って、どうすることもできない状況になること。 山奥で道が無くなって進めなくなり、川を渡るための橋がなく進めなくなるという意味から。
三綱五常(さんこうごじょう)
儒教の言葉で、人として守るべき道徳と、常に行うべき道義のこと。 「三綱」は主君と臣下、父親と子、夫と妻の間の三つの道徳のこと。 「五常」は仁、義、礼、智、信の常に行うべき五つの道義のこと。
山光水色(さんこうすいしょく)
山や海、川などの自然の風景。 「山光」は山の風景。 「水色」は海や川、湖などの水辺の風景。
山高水長(さんこうすいちょう)
清らかで気高い人の品性のたとえ。 または、そのような人の功績や名声が後の世まで語り継がれること。 「山高」は高く山がそびえたつことから、人々が功績や徳の高さを見上げるということのたとえ。 「水長」はいつまでも川の水が流れ続けるという意味から、いつまでも絶えないことのたとえ。 「山(やま)高く水(みず)長し」とも読む。
山高水低(さんこうすいてい)
人の死などの予期せぬ不幸な出来事のこと。 山が高く、川の水が少ないとの意から。 「山(やま)高(たか)く水(みず)低(ひく)し」とも読む。
山肴野蔌(さんこうやそく)
山や野原で採ることができる美味な食物。山の幸と野の幸。 「肴」は獣や鳥などの肉類のこと。 「蔌」は野菜のこと。
三業供養(さんごうくよう)
ひれ伏して、言葉で仏の徳をたたえ、心をこめて仏を供養すること。 「三業」は仏教の言葉で、動作や所作などの身体の業、言葉の業、意識や心の業の三つの業のこと。
三国無双(さんごくむそう)
日本・中国・インドの三つの国の中で比べることができるものすらないこと。 もとは富士山のことをいった言葉。
剗削消磨(さんさくしょうま)
少しずつ衰えていくことのたとえ。 岩などが雨や風などによってすり減っていくということから。 「剗」は削るという意味。 「磨」はすり減ってなくなること。
三思九思(さんしきゅうし)
何度も繰り返して深く考えること。 「三思」と「九思」はどちらも深く考えること。 「三…九…」は何度もという意味。
三思後行(さんしこうこう)
しっかりと考えた後に行動すること。 三度考えてから行動するという意味から。 元は必要以上に考えすぎること戒めた言葉だったが、現在では軽はずみな行動を戒める言葉として使われることが多い言葉。 中国の春秋時代の魯の季文子の故事から。 「三(み)たび思いて後(のち)に行う」とも読む。
三豕渉河(さんししょうか)
文字を間違えること。 中国の春秋時代の子夏が旅の途中に、「晋の軍隊が三匹の豕と河を渡った」と史書を読んでいるのを聞き、「己」を「三」、「亥」を「豕」と読み間違えて、三匹の豕ではなく、年号の己亥の年と読み間違えたのだろうと指摘したという故事から。
三者三様(さんしゃさんよう)
人によってそれぞれにやり方、考え方などが違うこと。 三人の人がいれば、三つのやり方や考え方などがあるという意味から。
三尺秋水(さんじゃくしゅうすい)
研ぎ澄まされたすぐれた剣のこと。 「三尺」の「尺」は長さの単位で、「三尺」は剣の標準的な長さのこと。 「秋水」は冷たく澄んだ秋の水のことで、剣の冴えわたった光をたとえた言葉。
三汁七菜(さんじゅうしちさい)
豪華な食べ物のこと。 または、日本の本膳料理の正式な品数。 三品の汁物と七品のおかずのこと。
三従四徳(さんじゅうしとく)
昔の中国の女性への教え。 「三従」は従うべき三つのことで、幼い時は父親に従い、嫁いだ後には夫に従い、年老いたら子どもに従うべきであるということ。 「四徳」はいつもの生活で心がけるべき四つのことで、女性としての節操を守ることをいう婦徳、言葉遣いをいう婦言、身だしなみをいう婦容、家事をいう婦功のこと。
三十而立(さんじゅうじりつ)
三十歳になって、自分の中の道徳観や学識が確立して、それが自信になって思想が固まること。 孔子が自身の生涯を振り返って言った言葉。 三十歳の異名の「而立」の語源。 「三十にして立つ」とも読む。
三十六策(さんじゅうろくさく)
逃げるべきときには逃げるのが最もよい計略であるということ。 古代中国の三十六種の兵法の一つで、その中で最もよいとされる計略。 「三十六策走(にぐ)るを上計と為(な)す」を略した言葉。
三十六計(さんじゅうろっけい)
逃げるべきときには逃げるのが最もよい計略であるということ。 古代中国の三十六種の兵法の一つで、その中で最もよいとされる計略。 「三十六計逃ぐるに如(し)かず」を略した言葉。
三旬九食(さんじゅんきゅうしょく)
生活がひどく貧しいことのたとえ。 「三旬」は一ヶ月のこと。 一ヶ月の間に九回しか食事ができないという意味から。 中国の春秋時代の子思が衛の国にいた時に、一ヶ月で九回しか食事ができないほど貧しかったという故事から。
三聖吸酸(さんせいきゅうさん)
儒教の蘇軾と道教の黄庭堅、仏教の仏印禅師の三人が、桃花酸という名前の酢をなめて、全員が顔をしかめたということ。 東洋画の画材としてよく使われるもので、思想も宗教も異なっているが、酢がすっぱいことは、全てにあてはまる真理であるという三つの宗教の一致をいう。 儒教の孔子と道教の老子、仏教の釈迦を描く場合もある。
山静日長(さんせいにっちょう)
静かな山の中で穏やかな生活をする身の上のこと。 「山(やま)静(しず)かにして日(ひ)長(なが)し」とも読む。 日本では、書や水墨画などの題材として使われることが多い言葉。
三牲之養(さんせいのよう)
親に食事をご馳走して孝行すること。 「三牲」は牛、羊、豚の三種類のいけにえということから、ごちそうのたとえ。 「養」は親を養うこと。
三尺童子(さんせきのどうじ)
七、八歳の子どものこと。 「三尺」の「尺」は長さの単位で、「三尺」は身長が低いことのたとえ。 身長が低い子どもということから。 または、「一尺」は二歳半として数え、「三尺」で七、八歳とするという説もある。
山川草木(さんせんそうもく)
人間以外のあらゆる自然の総称。 山と川と草と木のことから、あらゆる自然という意味。
三世十方(さんぜじっぽう)
無限の空間や時間をいう仏教の言葉。 「三世」は、過去・現在・未来。 「十方」は、東・西・南・北・西北・西南・東北・東南・上・下。
三世了達(さんぜりょうだつ)
仏の知恵は過去、現在、未来の事を広く様々に見通していること。 「三世」は過去、現在、未来の三つの世界のこと。 「了達」はあらゆることを悟っていること。
三千寵愛(さんぜんちょうあい)
たくさんの侍女にかける寵愛。 元は、たくさんの女性にかけるべき愛情を一人だけに向けてしまうことをいう。 宮中に仕える女性三千人にかける寵愛という意味から。 中国の唐の玄宗皇帝は、三千人ほどの美女がいたが、楊貴妃はその美女たち全員の寵愛を独り占めしたという故事から。
山藪蔵疾(さんそうぞうしつ)
大きな事を成す人物は、どんな人でも包みいれる器量があるということのたとえ。 または、どんなすぐれた人物でも一つくらい弱点があるということ。 「山藪」は山と藪のことで、立派な人物のたとえ。 「蔵」は隠すや、しまい込むということ。 「疾」は害になるものという意味から、虫や毒蛇のこと。 山や藪は害虫や毒蛇ですら隠し包み込むという意味から。 中国の春秋時代、晋の景公が宋に救援を出そうとしたときに、伯宋がそれを諫(いさ)めたという故事から。 「山藪(さんそう)疾(やまい)を蔵(かく)す」とも読む。
三草二木(さんそうにもく)
資質や能力に差がある普通の人たちでも、仏の教えによって、誰もが悟りを得ることができるということ。 「三草」は大、中、小の三種類の薬草。 「二木」は大、小の二種類の木。 どんな大きさの植物も雨水の恩恵を受けるということから。
山村僻邑(さんそんへきゆう)
山奥の不便なところにある村のこと。 「僻邑」は都会から離れた、不便な場所にある村のこと。
三蔵法師(さんぞうほうし)
仏教の三つの経典の経蔵、律蔵、論蔵に精通している僧侶のこと。 日本では、中国の伝奇『西遊記』の玄奘三蔵として知られているが、「三蔵法師」は固有名詞ではなく敬称。
三段論法(さんだんろんぽう)
論理的推論の形式の一つ。 大前提と小前提から結論を導き出す法則をいう。
山中暦日(さんちゅうれきじつ)
人里から離れて、山奥でのんびりと暮らすこと。 「暦日」は月日のこと。 「山中暦日無し」を略した言葉で、人里離れた山奥で暮らすと、ゆったりとしていて、月日がたつのを忘れてしまうという意味から。
三鳥出網(さんちょうしゅつもう)
三つの悟りに至るための修行や方法がそれぞれ異なっていることのたとえ。 「三鳥」は、仏教の三乗のたとえ。三乗は、悟りを得るための三つの修行や方法である声聞乗(しょうもんじょう)・縁覚乗(えんかくじょう)・菩薩乗(ぼさつじょう)のこと。 三乗によって悟りを得ることを、三羽の鳥が網から外へ出ることにたとえた言葉。 「三鳥(さんちょう)網(あみ)を出(い)ず」とも読む。
山濤識量(さんとうしきりょう)
すぐれた判断力や考え、器量をもっている人のこと。 「山濤」は人の名前。 「識量」は知識や器量のこと。 竹林の七賢と呼ばれる賢者の一人である、山濤のようにすぐれた知識と器量があるということから。
三頭両緒(さんとうりょうしょ)
物事が複雑で、まとめて治めることができないことのたとえ。 または、物事の始まりが多いことのたとえ。 「頭」と「緒」はどちらも物事の始めということ。
三拝九拝(さんぱいきゅうはい)
何度も頭を下げて、頼みごとをしたり、敬意や謝罪の意志を表したりすること。 手紙の最後に記して、相手に敬意を表す言葉として用いることもある。 「三拝」は敬意を持って三回拝むこと。仏教では身業、口業、意業の三業に敬意を表すこと。 「九拝」は敬意を持って九回拝むこと。または、古代中国で定められた九種類の礼拝のこと。
賛否両論(さんぴりょうろん)
賛成と反対の両方の意見。 意見が反対の者同士が向かい合っていて、結論が出ない状況をいう。
三釜之養(さんぷのよう)
少ない給料の中でも両親を養い、親孝行すること。 「釜」は中国の春秋時代の容量の単位で、約十二リットルで、「三釜」で約三十七リットル。 三釜という少ない給料で両親を養うという意味から。 中国の春秋時代、孔子の弟子の曾子は、三釜の少ない給料でも両親を養えるのは幸せだったが、給料が高くなるころには両親は亡くなっていたという故事から。
三木一草(さんぼくいっそう)
後醍醐(ごたいご)天皇の建武政権下で功績を上げ、重用された四人の臣下の総称。 「三木」は、名前に「き」の付く三人。結城親光(ゆうきちかみつ)、名和長年(なわながとし)の役職、伯耆守(ほうきのかみ)、楠木正成(くすのきまさしげ)のこと。 「一草」は、名前に「くさ」の付く一人。千種忠顕(ちぐさただあき)のこと。
山容水態(さんようすいたい)
山や川などの美しい自然の風景のこと。 「容」と「態」は姿や、様子という意味。
山溜穿石(さんりゅうせんせき)
小さな努力を重ねていけば、どんなことも成し遂げることができることのたとえ。 「山溜」は山から滴り出る水。 山から滴り出る水が、長い時間をかけて岩石に穴をあけるという意味から。 「山溜(さんりゅう)、石(いし)を穿(うが)つ」とも読む。 「山霤穿石」とも書く。
三輪空寂(さんりんくうじゃく)
人に物をあげたり、お布施をするときは、渡す物への執着はやめるべきということ。 「三輪」はお布施をする人、施しを受ける人、施す物の三つのこと。 「空寂」はこの世の全てのものは実体がなく、空であるということ。 「三輪」の三つの全てが空であるとして、執着心を捨て去ることをいう。
三輪清浄(さんりんしょうじょう)
仏教の言葉で、三業の全てが清らかに働いていること。 または、お布施のときに、施す人と施しを受ける人と施す物の三つの全てが清らかなこと。 「三輪」は三業のことで、身業、口業、意業の三つのことをいい、身業は体の動作や所作、口業は言葉、意業は意識、心の働きのことをいう。 「清浄」は汚れがなく清らかなこと。
三老五更(さんろうごこう)
高い徳を積んでいる長老のこと。 「三老」と「五更」はどちらも中国の周の時代の長老の異称。 「三老」は臣下の最高位の三公、「五更」は引退した卿の地位をもっていた人の呼称とされているが、様々な説がある。
罪悪滔天(ざいあくとうてん)
この上なく大きな罪悪のたとえ。 「滔天」は天に届くほどに大きな波という意味から、程度が甚だしいことのたとえ。 天に届くほどに大きな罪悪ということから。