「な」を含む四字熟語
「な」を含む四字熟語 — 118 件
嗚呼哀哉(ああかなしいかな)
強い悲しみの気持ちを言い表す言葉。 主に人の死に対して使う言葉。
浅瀬仇波(あさせあだなみ)
思慮が浅い人は、気にする必要がないどんな小さな出来事でも大騒ぎすることのたとえ。 深い淵より浅瀬のほうが激しく波が起こることから。
一木難支(いちぼくなんし)
一度崩れ始めると、一人の力ではどうすることも出来ないということ。 「一木」は一本の建物の柱。 大きな建物が崩れると、一本の柱で支えることは出来ないという意味から。
一文半銭(いちもんきなか)
ごくわずかな金銭のこと。 「文」と「銭」はともに昔の通貨の単位。 一文銭の直径が一寸(ひとき)であることから、半銭を"きなか"とも読む。
越鳥南枝(えっちょうなんし)
故郷を懐かしみ忘れがたく思う気持ちのたとえ。 「越鳥」は中国の南方にある越の国から渡ってきた鳥。 「南枝」は南に向かって伸びている木の枝。 南方にある越の国から渡ってきた鳥は、南に向かって伸びている木の枝に巣を作るという意味から。 「越鳥は南枝に巣くう」を略した言葉。
回伏之難(えふくのなん)
避けることができない困難をいう仏教の言葉。
乳母日傘(おなばひからかさ)
子供が豊かな環境で大切に育てられること。 または、必要以上に保護された環境で育てられること。 「乳母」は母親の代わりに乳を与えて子育てをする人のこと。 「日傘」は日光を遮るための傘のこと。 乳母に抱かれたり、日傘をさしかけられたりして、大切に育てられるという意味から。
解語之花(かいごのはな)
美人のたとえ。 「解語」は言葉を理解するという意味で、唐の玄宗が「蓮の花の美しさも、言葉を理解する花には及ばない」と楊貴妃をさして言った故事から。
赫赫之名(かくかくのな)
素晴らしい評判。 「赫赫」は光り輝く様子のこと。 「名」は名声。 光り輝く名声という意味から。
河清難俟(かせいなんし)
待つことが不可能であること。または、待っても実現の見込みがないこと。 「河」は中国の川の黄河のこと。 「俟」は待つこと。 黄河の水は常に濁っているが、千年に一度だけ澄むといわれており、それを待とうとすることから。 「河清(かせい)俟(ま)ち難(がた)し」とも読む。
家内狼藉(かないろうぜき)
家の中がひどく散らかっていること。 「狼藉」は乱れていて無秩序なこと。
鉄梃大尽(かなてこだいじん)
他人の意見を聞かずに、融通のきかない大富豪、資産家のこと。 「鉄梃」は鉄のてこのことで、頑固なことのたとえ。 「大尽」は財産がたくさんある人、大富豪のこと。
艱難辛苦(かんなんしんく)
困難な状況に苦しみ悩むこと。 「艱」と「難」はどちらも苦しむことや悩むこと。 「辛苦」は苦しみ悩みのこと。 似た意味の言葉を重ねて強調したもの。 「辛苦艱難」ともいう。
艱難辛困(かんなんしんこん)
苦しみながら悩み苦労すること。 「艱」と「難」はどちらも苦しむことや悩むこと。 「辛困」は苦しみ悩みこと。 似た意味の言葉を重ねて強調した言葉で、人が生きる上で起こる、多くの辛い出来事に苦しみ悩むことをいう。
外寛内深(がいかんないしん)
見た目は大らかに見えるが、心は厳しく、無慈悲なこと。 「外寛」は見た目は寛大に見えること。 「内深」は心の中は無慈悲なこと。
外巧内嫉(がいこうないしつ)
見た目はわからないようにしているが、心の中ではねたんでいること。 「外巧」は外見をうまく飾る、「内嫉」は心の中でねたむということ。
欺軟怕硬(ぎなんはこう)
弱者を苦しめ、強者に媚びへつらうこと。 「欺」は軽んずること。 「軟」は弱者のたとえ。 「怕」は怖がること。 「硬」は強者のたとえ。 「軟(なん)を欺(あざむ)き硬(こう)を怕(おそ)る」とも読む。
犬猿之仲(けんえんのなか)
ひどく仲が悪いこと。 犬と猿は相性が悪く、互いに敵視するとされていることから。
犬馬之養(けんばのやしない)
両親への孝行をするときに、食事を出すだけで気持ちがないこと。 犬や馬などの動物を飼うように、衣食住を与えるだけという意味から。
言易行難(げんいこうなん)
言うだけなら簡単だが、実際に行うことは難しいということ。 「言うは易し行うは難し」の形で用いることが多い言葉。
黄中内潤(こうちゅうないじゅん)
才能や徳を外側に出すことなく、人知れず内側に持っていること。 易経の五行説の言葉で、五色の色は青、赤、黄、白、黒という順番になるということから、「黄」は中央という意味。 「中」は中庸の徳のこと。 「黄中」は人としての徳が内側に満たされていること。 「内潤」は内側にあるつやや、輝きという意味から、才能や徳のことをいう。
荒亡之行(こうぼうのおこない)
自分の楽しみだけに夢中になり、他を顧みない荒れた行い。 「荒亡」は狩猟や酒、女遊びに夢中になり、目的を見失うこと。または、為政者が人々に無駄な負担を強制して、本人は遊び呆けること。
鼓琴之悲(こきんのかなしみ)
親友の死に対する悲しみのこと。 「鼓琴」は琴を奏でること。 中国の晋の時代の顧栄が死んだ時に、親友の張翰が葬儀に参列し、顧栄が愛用していた琴を泣きながら弾いて、故人を偲んだという故事から。
国歩艱難(こくほかんなん)
国の状態がよくならず、国家が滅びそうになっていること。 「国歩」は国の歩み、国の運命のこと。 「艱難」はひどく苦しむこと。
孤掌難鳴(こしょうなんめい)
何かを成そうとしても、一人ではどうすることもできないということ。 「孤掌」は片手の手の平のことで、拍手は片手ではできないということから、協力しなければできないということのたとえ。 「孤掌(こしょう)鳴り難(がた)し」とも読む。
狐狼盗難(ころうとうなん)
夜に道を行くことが危険なことのたとえ。 狐や狼、盗賊に襲われるということから。
孤論難持(ころんなんじ)
賛同者のいない、独りで主張するだけの議論を保つことは難しく通らないということ。 「孤論」は誰にも同意や支持を得られない議論。 「孤論(ころん)、持(じ)し難(がた)し」とも読む。
金輪奈落(こんりんならく)
物事の極限のたとえ。 または、絶対にや、どこまでもということ。 「金輪」は大地の一番の深い底。 「奈落」は地獄のこと。 仏教の言葉で、仏教の世界観での三つの大輪の一つで、大地の下にあり、下から順に風輪、水輪があって、その上にあるとされている。
災難即滅(さいなんそくめつ)
災いがすぐに消えること。 または、それを願う言葉。
才難之嘆(さいなんのたん)
すぐれた能力のある人材を得ることは難しいということへの嘆き。 「才難」は能力のある人材を得るのは難しいということ。 「才難之歎」とも書く。
思案投首(しあんなげくび)
よい案が浮かばずに悩み、首を傾けている様子。 「思案」はいろいろと考えること。 「投首」は首を傾げている様子。
子見南子(しけんなんし)
礼の道を守るために、周りに惑わされず自分の考えを信じること。 「南子」は、衛の国王霊公の夫人。 孔子は、衛の国王霊公に招かれた際、夫人の南子に謁見することが礼の道と考えたが、弟子の子路は南子の素行の悪さから謁見を嫌がり不快に思った。 しかし孔子は「私にやましいところがあれば天が私を見捨てるだろう」と誓いを立て、考えを変えなかったという故事から。
七難九厄(しちなんくやく)
男女とも七と九のつく年齢のときには災厄に遭いやすいという俗信のこと。
七難八苦(しちなんはっく)
様々な苦難や災難のこと。または、災難や苦難にあうこと。 元は仏教語で経典によってことなるが、『観音経』で「七難」は、火難、水難、羅刹難、王難、鬼難、枷鎖難、怨賊難の七つのこと。 「八苦」は、生、老、病、死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦の八つのこと。
至道無難(しどうぶなん)
好き嫌いや損得など選り好みする気持ちさえなければ、禅で悟りを開くことは難しいことではないということ。 「至道」は悟りや真理に達する道のこと。
七五三縄(しめなわ)
鳥居や神棚などに飾ったり、神域を区別するために用いたりする縄のこと。 縄の網目に七、五、三筋のわらをはさんで垂らすことに由来する当て字。 「注連縄」「〆縄」「標縄」などとも。
車魚之嘆(しゃぎょのなげき)
「車」は外出するときに乗り物が用意される待遇、「魚」は食事に魚がつく待遇のことで、それらが無くて待遇の悪さを嘆くこと。
衆怒難犯(しゅうどなんはん)
大勢の人たちを怒らせると、その怒りにあらがうのは難しいため、怒らせないようにすべきであるということ。 中国の春秋時代の鄭の子孔は、自分に従わないものを処刑しようとしたが、子産という人物から「大勢の人の怒りには抵抗できず、自分一人の欲望を満たすのは難しい」と諫められて取りやめたという故事から。
終南捷径(しゅうなんしょうけい)
正規の試験などをすることなく官職につくこと。または、終南山には仕官への近道があるということ。 「終南」は長安の南にある山の終南山のこと。 「捷径」は近道、最短距離の道のこと。 終南山で隠居していた盧蔵用が、則天武后に召されて官職を得た故事から、終南山で隠者のふりをすることで名声が上がって仕官への近道になるという意味。
衝繁疲難(しょうはんひなん)
中国の清朝とベトナムの阮朝で用いられた地方行政単位の等級制度。 地域を 「衝」(交通の要所)、「繁」(行政・司法が機能しにくい地域)、「疲」(生産量が少ない地域)、「難」(統治が困難な地域) の四つに分類し、適した役人を配置することで統治の効率化を図った。 府・州・庁・県はこの基準で評価され、四字すべてを持つものを「最要缺」、三字を「要缺」、二字を「中缺」、一字または無字を「簡缺」とし、文字数が多いほどその長の職位が重要とされた。
書心画也(しょはしんがなり)
書かれた文字を見れば、その筆者の性格や心情を理解できるということ。 文字は書いた人の心を表す画(絵)であるとの意から。
進退両難(しんたいりょうなん)
どうすることもできないこと。 前に進むことも、後ろに下がることも難しいという意味から。 「進退両(ふた)つながら難(かた)し」とも読む。
寿比南山(じゅひなんざん)
長生きを祝うこと。 「寿(じゅ)は南山(なんざん)に比(ひ)す」とも読む。
女子難養(じょしなんよう)
女性に対する扱いは難しいということ。 孔子が嘆いた言葉から。 「女子(じょし)は養(やしな)い難(がた)し」とも読む。
寸歩難行(すんぽなんこう)
わずかな距離も移動することが出来ないこと。または、非常に苦しい立場に立たされ、どうすることも出来ない状態のたとえ。 「寸歩」はほんの少しの距離、一歩。 一歩も動くことが出来ないという意味から。 「寸歩(すんぽ)行(ゆ)き難し」とも読む。
随喜之涙(ずいきのなみだ)
仏法の教えを聞き、その真理に触れた際に心から感謝や歓喜を感じ、流れる涙のこと。転じて、純粋な喜びや有難さによって流す涙。
刹那主義(せつなしゅぎ)
未来や過去のことを考えず、今が楽しければそれでよいという考えのこと。 「刹那」は仏教の言葉で、非常に短い時間、一瞬のこと。
千成瓢箪(せんなりびょうたん)
豊臣秀吉の馬印のこと。 小さく数が多い瓢箪の一種をいう。 美濃攻めの時に、豊臣秀吉が瓢箪を高く掲げ合図を送った功績を織田信長に認められ、報酬として金の瓢箪を与えられて、瓢箪を馬印にすることを許されたといわれている。
先難後獲(せんなんこうかく)
先に難事に取り組み、利益は後回しにすること。 まずは人のためになることを行い、自分の利益になることは後回しにすること。 または、苦労した後に利益を得ること。 「先難」は困難な物事を先に解決すること。 「後獲」は利益を後回しにすること。後で利益を得ること。 「難(かた)きを先(さき)にし獲(う)るを後(のち)にす」とも読む。
前途多難(ぜんとたなん)
これから先に、数多くの困難が待っていること。 または、そのように予想されること。 「前途」は将来、これから先の道のり。 「多難」は困難や災難などの苦労する出来事が多いこと。
善男善女(ぜんなんぜんにょ)
仏教を信仰する人たちのこと。 または、寺院や霊場、神社などを参拝したり、巡礼したりする人のこと。
楚囚南冠(そしゅうなんかん)
捕虜として捕らわれていても、祖国のことを忘れないこと。 または、捕らわれて他国にいる人のこと。 「楚囚」は他国に捕らわれた楚の国の人。 「南冠」は南方にある国の様式の冠で、この場合の南方は楚の国のことをいう。 中国の春秋時代、楚の鐘儀は晋に捕らえられていても、祖国である楚の国の冠をいつも被っていたという故事から。
太盛難守(たいせいなんしゅ)
勢力が大きくなると、それを維持するのが難しくなること。 すぐれているものは、すぐれている部分が原因で滅びやすいということから。 「太盛(たいせい)守り難(がた)し」とも読む。
高嶺之花(たかねのはな)
遠い場所にあって、手に取ることが出来ず、眺めるだけの人や物のこと。 心がひきつけられるような人や、価値の高い物などのたとえ。 「高嶺」は山の一番高いところ。 高い山の一番高いところに咲いている花には手が届かないという意味から。
多事多難(たじたなん)
事件や解決が難しい出来事が非常に多いこと。 「多事」は事件が非常に多いこと。 「多難」は災害が非常に多いこと。
断悪修善(だんなくしゅぜん)
全ての煩悩を捨て去るという誓いのこと。 全ての悪を断ち切って善を修めるという意味の仏教の言葉で、菩薩の誓願の一つ。 「悪を断ち善を修(おさ)む」とも読む。
遅暮之嘆(ちぼのなげき)
年老いていく自身の体を嘆くこと。 「遅暮」は少しずつ終わりに近づいていくという意味から。
喋喋喃喃(ちょうちょうなんなん)
男女が小さな声で仲良く話をすること。 または、小さな声で仲良く語り合う様子。 「喋喋」はたくさん喋ること。 「喃喃」は小さな声で話すこと。
天歩艱難(てんぽかんなん)
天運に恵まれないために非常に苦労すること。 または、天の運行が停滞すること。 「天歩」は天の運行。または、国家の運命のこと。 「艱難」は災難や苦労という意味。
東西南北(とうざいなんぼく)
方位の東、西、南、北のこと。または、周囲の全ての方向のこと。
斗南一人(となんのいちにん)
この世で最もすぐれている人のこと。 「斗南」は星座の北斗七星よりも南という意味から、天下という意味。 天下で並ぶ人がいないほどすぐれているということから。
図南鵬翼(となんのほうよく)
大事業や海外進出などの大きな計画を立てること。 大きな目標を立てて、その目標を達成しようとすることをいう言葉。 「図南」は南の海へ行こうと計画すること。 「鵬」は伝説の大きな鳥。 鵬が南の海を目指して飛び立つ説話から。
図南之翼(となんのよく)
大事業や海外進出などの大きな計画を立てること。 大きな目標を立てて、その目標を達成しようとすることをいう。 「図南」は南の海へ行こうと計画すること。 「翼」は鵬のことで、伝説の大きな鳥のこと。 鵬が南の海を目指して飛びたったという説話から。
貪愛瞋憎(とんないしんぞう)
欲望や執着を意味する「貪愛」と、いかり憎むことを意味する「瞋憎」を合わせた言葉。 どちらも人の心をかき乱し苦しみを生む煩悩とされる。 「とんあい」は「とんない」とも読む。
内外之分(ないがいのぶん)
内側にあるものと、外側にあるものの区別のこと。 自分に備わっているものと、備わっていないものの区別や、自分を治めて確立することと、名誉や利益などの世俗の区別をいう言葉。
内剛外柔(ないごうがいじゅう)
外見は穏やかでやさしそうに見えるが、心の中には何事にも左右されない強い意志や信念をもっていること。 「柔」は優しいやこと。穏やかなこと。 「剛」は心が強いこと。 「外柔内剛」ともいう。
内柔外剛(ないじゅうがいごう)
心の中はやさしくおだやかだが、外見は強そうに見えること。 「柔」はやわらかくて弱いという意味。 「剛」はかたくて強いという意味。 「外剛内柔」ともいう。
内助之功(ないじょのこう)
家庭内で夫の働きを支える妻の功績のこと。 「内助」は内側で助けるという意味。
内政干渉(ないせいかんしょう)
ある国の政治や外交などの問題に他国が口を出すこと。 「干渉」は他人の領域に勝手に介入すること。
内清外濁(ないせいがいだく)
心は清潔さを保ちながら、外見は汚れたように装い、世俗とうまく付き合う処世術のこと。
内疎外親(ないそがいしん)
内心は嫌っているが、それを隠して親しげに接すること。 「内疎」は内側で嫌っていること。 「外親」は外側で親しいように見せかけること。
内典外典(ないてんげてん)
仏教に関係する書物と仏教に関係のない書物のこと。 「典」は書物や書籍のことで、仏典を「内」、仏教と関係のない経典を「外」とした仏教語。
内平外成(ないへいがいせい)
国の内側がよく治まっており、外交も特に問題がなく、とても平和な状態のこと。 「地平天成」と同じく元号「平成」の由来とされる語。 「内(うち)平(たいら)かに外(そと)成る」とも読む。
内憂外患(ないゆうがいかん)
国の内側にも外側にも問題や心配事がたくさんあること。 「内憂」は内側に問題があることで国内の問題のこと。 「外患」は外側に問題があることで外国から受ける災難や問題のこと。 国だけではなく、組織や個人などの表現にも使われる言葉。
七転八起(ななころびやおき)
七回転んでも八回起き上がるという意味から、何度失敗してもくじけずに奮闘すること。 「七転び八起き(ななころびやおき)」とも読む。
南無三宝(なむさんぼう)
仏門に入り、仏教の三宝を信じて、仏に頼ること。 または、驚いたり失敗したときに「南無三」と略して発する言葉。 「南無」は経典や仏の名前の前につけて、絶対的な信頼を寄せて頼ること(梵語の音訳)。 「三宝」は仏、仏の教え、教えをひろめる僧のこと。
南轅北轍(なんえんほくてつ)
意志と行動が矛盾していることのたとえ。 「轅」は前進する方向に向けるかじ棒のこと。 「轍」は車輪の跡のこと。 かじ棒は南を向いているのに、車輪の跡は北に向かって付いているという意味から。 「北轍南轅」ともいう。
南郭濫吹(なんかくらんすい)
才能の無い者が才能があるかのように見せかけること。 または、それにより高い地位を得ること。 「南郭」は人の名前。 「濫吹」は下手な笛をむやみやたらに吹くこと。 春秋時代の斉の王は合奏を好み、三百人もの楽士を集めて笛の演奏をさせていた。 南郭は演奏が下手であるにもかかわらず、その中に混ざり高給を得ていた。 ところが、次の王は独奏が好みで、一人ずつ吹かせることにしたところ、南郭はあわてて逃げ出したという故事から。
南華之悔(なんかのくい)
上司を怒らせる余計な発言のせいで、才能があるにもかかわらず出世できないこと。 唐の温庭インは宰相の質問に答えたところ、答え方が宰相の怒りに触れ、能力があるにもかかわらず科挙(試験)に合格できなかったという故事から。
南柯之夢(なんかのゆめ)
夢のこと。 または、世の中は夢のようにはかないことのたとえ。 中国の唐の時代、ある男性が槐の木の下で寝ているときに、大槐安国の王の娘と結婚して南柯群の太守となり繁栄と衰退を経験しながら二十年の歳月を過ごす夢を見たという故事から。