「う」で終わる四字熟語
「う」で終わる四字熟語 — 1521 件
暴虐非道(ぼうぎゃくひどう)
人の道を外れた残酷で乱暴な行いのこと。 または、そのような人のこと。
妨功害能(ぼうこうがいのう)
功績がある人の妨害をして、有能な人物を損なうこと。 「功」は功績のある人。 「能」は才能のある人。 「功を妨げ能を害す」とも読む。
旁時掣肘(ぼうじせいちゅう)
他人の横から口を出して邪魔をすること。 「旁」はそば、近い場所という意味。 「掣肘」は肘を引っ張るという意味から、仕事の邪魔をすること。 「旁(かたわ)らより時に肘(ひじ)を掣(ひ)く」とも読む。
亡羊補牢(ぼうようほろう)
失敗した後に悪い部分を改善すること。 または、失敗してもすぐに改めれば、過ちが大きくならずにすむということのたとえ。 羊が囲いから抜けて、逃げられた後に囲いを修理するという意味から。 「羊(ひつじ)を亡(うしな)いて牢を補う」とも読む。
母猿断腸(ぼえんだんちょう)
激しい悲しみや苦しみ。 中国の東晋の桓温の部下が、舟に移動しているときに子猿を捕らえた。 母猿は岸をつたって、百里以上追いかけて船に飛び乗ったところで力尽き、母猿の腹を割くと腸がずたずたになっていたという故事から。
墨子薄葬(ぼくしはくそう)
儒家の盛大な葬式に対して、墨子が唱えた質素な葬式のこと。 「墨子」は人の名前で、中国の思想家。 節約を主張する立場から儒家に対して唱えたもの。
墨名儒行(ぼくめいじゅこう)
主張している主義と実際に行っていることが食い違っていること。 儒家を批判している墨家と自称して、儒家の孔子の教えに従って行動するという意味から。
朴魯疎狂(ぼくろそきょう)
飾り気がなく愚かで、落ち着きがなく、常識はずれなこと。または、その人のこと。 「朴魯」は見た目を繕わず、愚かなこと。 「疎狂」は落ち着きがなく、常識はずれなこと。 君子の理想像とされ、完璧な人よりも、多少愚かで常識はずれな振る舞いをするほうがよいとことをいう。
暮鼓晨鐘(ぼこしんしょう)
仏寺で、朝と夜に鐘と太鼓を打ち鳴らして時間を知らせること。 また、人の目を覚まさせるような戒めの言葉。 「晨鐘暮鼓」ともいう。
暮暮朝朝(ぼぼちょうちょう)
毎朝毎晩。 「朝朝」は毎朝。 「暮暮」は毎晩。 「暮暮朝朝(暮々朝々)」ともいう。
煩悩外道(ぼんのうげどう)
煩悩や迷いにとらわれていて、仏教を信仰しない人のこと。 「煩悩」は心や体を惑わせる、欲望や執着、怒りなどの心の働きのこと。 「外道」は仏教以外の思想や宗教を信仰すること。または、その人のこと。
摩肩接踵(まけんせっしょう)
次から次へと絶え間なく続いている様子。 または大勢の人が次々と続いている様子。 「摩肩」は肩を摩るということから人が多いということ。 「接踵」は踵(かかと)を踏むほどの間隔で続いてくること。
麻姑掻痒(まこそうよう)
物事が思い通りにうまくいくこと。 または、細かい要望に対して満足する結果で応えることができること。 痒い所に手が届くという意味。 「麻姑」は手の爪が鳥のように長い中国の伝説の仙女の名前。 「掻痒」は痒いところをかくということ。 漢の桓帝の時代、蔡経が「麻姑の爪で背中をかかせたら気持ちが良いにちがいない」と思ったという故事から。
麻中之蓬(まちゅうのほう)
悪いものもよい環境の中では、よいほうに正されるということ。 普通は曲がりくねって育つことの多い蓬も、まっすぐ育つ麻の中で育てるとまっすぐに育つという意味。
摩頂放踵(まちょうほうしょう)
自身を顧みずに他人に尽くすこと。 「摩」は磨り減る、「頂」は頭頂部、「放」は至る、「踵」はかかとのこと。 頭の先から足の踵(かかと)まで磨り減らすほど、他人・周りのために努力するという意味から。
末法思想(まっぽうしそう)
釈迦入滅から五百年を正法、そのあとの千年を像法、そのあとの一万年を末法といい、末法には仏の教えだけが残って悟りを開ける修行者がいなくなり、仏法が廃れ世の中が混乱するとされる歴史観のこと。
抹月批風(まつげつひふう)
文人は、客を十分にもてなすことができないほどに、貧しいということのたとえ。 または、世間から離れて趣味を楽しむこと。 「抹」は細かく切ること。 「批」は薄く切ること。 風月を料理のようにして、客をもてなすという意味から。 「月を抹(まっ)し、風(かぜ)を批(ひ)す」とも読む。
慢業重畳(まんごうちょうじょう)
非常に傲慢なこと。 または、そのような気持ちを持つこと。 「慢業」は仏教の言葉で、人に自分のことを誇ったり、偉そうな態度をとったりすること。 「重畳」は何重にも重なり合うという意味の言葉で、「慢業」の意味を強めるための言葉。
満城風雨(まんじょうふうう)
町全体が風雨に襲われること。 または、事件などがすぐに町中に知れ渡り、いろんな所で大騒ぎになること。 「城」は城壁に囲まれた町のこと。
曼倩三冬(まんせんさんとう)
非常にすぐれた才能を持つ人は、あっという間に教養を身につけることができるということのたとえ。 「曼倩」は人の名前。 「三冬」は三度冬が訪れるということから、三年ということ。または、冬の間の三ヶ月のこと。 中国の前漢の曼倩は、十三歳のときに書を学び始めて、三年、または三ヶ月の期間で、文書を書けるようになり、史伝を読めるほどに上達したという故事から。
満目荒涼(まんもくこうりょう)
見渡すかぎり全てが荒廃している様子。 「満目」は視認できる距離全て。 「荒涼」は荒れて寂れていること。
満目蕭条(まんもくしょうじょう)
見渡すかぎり全てがひっそりとしていて寂しい様子。 「満目」は視認できる距離全て。 「蕭条」は静かで寂しい様子。
密雲不雨(みつうんふう)
前触れはあるのに事が起こらないこと。 また、恩恵が全ての人にいきわたらないこと。 雨雲が空いっぱいに覆っているが、まだ雨は降らないという意味。
名字帯刀(みょうじたいとう)
江戸時代、武士の特権であった姓を名乗り刀を持つことが、功績や財力などによって平民にも許されたこと。 「帯刀」は刀を腰に差して持ち歩くこと。
名詮自性(みょうせんじしょう)
仏教語で、名はそのものの本質を表すということ。 「名詮」はその名に備わっている、「自性」はそのものの本質のこと。
妙法一乗(みょうほういちじょう)
法華経だけが悟りを得られる唯一のものと説いたもの。 「妙法」は仏法の妙法蓮華経、「一乗」は悟りを得るための唯一の道という意味。
名聞利養(みょうもんりよう)
名声と財産を得ようとする欲のこと。 「名聞」は世間の評判、「利養」は身を削り財欲を満たすこと。
未来永劫(みらいえいごう)
これから先、未来の時間が永遠ということ。 「劫」は仏教語でインドの時間単位の一番長いもので、時間が無限という意味。 「永劫未来」ともいう。
無為無能(むいむのう)
「何もしない何もできない」ということ。 自分のことを謙遜するときに用いることが多い。 「無為」は何もしないこと。 「無能」は能力がないということ。
無影無踪(むえいむそう)
どこへ行ったのかわからないこと。 「踪」は足跡のことで、影も足跡も存在しないという意味。
无何之郷(むかのきょう)
果てしなく広くて見渡す限り何もなく、人の手が入っていない場所のこと。 「无」は何もない、「郷」は場所という意味から何もない場所という意味。
無何有郷(むかゆうきょう)
理想郷を言い表す言葉。 「無何有」は何も有ること無しという意味で、何も存在しない世界のこと。 絶対的な無の世界のことから。 「无何有郷」とも書く。 「むかう(の)きょう」や「むかうのさと」とも読む。
無学文盲(むがくもんもう)
知識がなく、文字を読むことさえできないこと。 または、その人のこと。
無我夢中(むがむちゅう)
一つの物事に集中しすぎて、自分のことすら忘れること。 または、集中しすぎて他のことを何も気にかけないこと。 「無我」は仏教語で自分への執着をなくすということから我を忘れること、「夢中」は一つのことに集中して他のことをまったく考えられなくなること。
無垢清浄(むくせいじょう)
汚れのない清らかな様子。 仏教では、煩悩がなく澄んでいる心のこと。 「無垢」は汚れのないという意味。 「清浄」は「しょうじょう」とも読む。 「無垢清浄」ともいう。
無稽荒唐(むけいこうとう)
根拠も何もなく、でたらめなこと。 「荒唐」はでたらめなこと。 「無稽」は考えるべき根拠がまるでないこと。 「無稽荒唐」ともいう。
夢幻泡影(むげんほうよう)
人生のはかなさのたとえ。 「夢」「幻」「泡」「影」は、どれもすぐに消えてしまうはかないものであることから。 全てのものは実体がなく空であるという仏教語。
無始曠劫(むしこうごう)
どれくらいかもわからないほどの昔のこと。 「無始」はいつが始まりだったかわからないこと。 「曠劫」はとても長い過去の年月のこと。
無始無終(むしむじゅう)
始まりもなく、終わりもないこと。 仏教語で、死んでは生まれ変わる輪廻(りんね)を永遠に繰り返すという意味から。
武者修行(むしゃしゅぎょう)
技術や技能を磨くために、故郷から離れて別の土地へ行って修行すること。 もとは、武芸者が武芸を磨くために様々な国を巡って試合をすることをいう。
無声無臭(むせいむしゅう)
誰にも気づかれずに目立たないことや、行動しても影響がまったく無いこと。 または、天の行いは、計り知ることができないので、人は気がつかないということ。 何の声もなく、何のにおいもしないという意味から。
無知文盲(むちもんもう)
知識や知恵がなく、文字が読めないこと。または、そのような人のこと。 「文盲」は文字を読むことができないこと。または、学問のないこと。 「無智文盲」とも書く。
無手勝流(むてかつりゅう)
策略を巡らせて、実際に戦わずに勝つことやその方法。 または、誰かに教わることなく、自身で考え出したやり方のこと。 「無手勝」は武器を何も持たずに勝利すること。 「流」は物事のやり方。 日本の戦国時代の剣客、塚原卜伝が渡し舟に乗っている時に真剣勝負を挑まれ、陸で戦おうと川の中州に誘ったあとに、そのまま舟を出して置き去りにして、「戦わずに勝つ、それが無手勝流だ」と言って相手を諫(いさ)めたという故事から。
無念無想(むねんむそう)
何も思わず何も考えない無心の状態のこと。 「無念」は仏教語で迷いを捨てて心が澄んでいる状態のこと。 「無想」は何も考えないということ。 特に何も考えていない思慮の足りない様子を指すこともある。 「無想無念」ともいう。
無偏無党(むへんむとう)
主義や思想にこだわることなく、一定の党に所属せずに、公平で中立の立場をとること。 「無偏」はかたよらないこと。 「無党」は特定の主義や主張を持つ党派に所属しないこと。
無法之法(むほうのほう)
法と呼ばれるものが存在しないこと。または、法や規則で縛らなくても、秩序が自然に守られていること。 仏教の言葉では、この世の全ては空であり、真実ですら存在しないということが真実ということ。 儒教の言葉では、道徳を行き渡らせれば、細々とした法を作らずとも秩序は保たれるということ。
無味乾燥(むみかんそう)
面白いと思える要素や風情が何もないこと。 「無味」は味が無いという意味から、面白みがないことのたとえ。 「乾燥」は水分がなくなり潤いに欠けるという意味から、風情や面白みがないことのたとえ。 「乾燥無味」ともいう。
無用之用(むようのよう)
一目見た時は役に立たないと思っていたものが、重要な働きをすること。 『老子』や『荘子』でよく使われる逆接的な理論。 車軸や容器の内側には何もないことが重要であり、役に立つ働きをするということから。
夢賚之良(むらいのりょう)
夢の中で天の使いから賜った家臣のこと。 「良」はすぐれた能力のある家臣。 古代中国の殷の高宗が夢でよい家臣を天から賜った。 目が覚めた高宗は、人相書を描いて全国を探させると、囚人と共に道路工事をしていた説という人を見つけて臣下にした。 説は宰相として非常に活躍したという故事から。
無理往生(むりおうじょう)
自分の言動を強引に相手に承諾させること。 「往生」は元は「圧状」と書き、人を脅して相手に無理やり文書を書かせること。
無理非道(むりひどう)
人としての道理から外れていること。 「無理」と「非道」はどちらも人としての道理から外れていること。
明察秋毫(めいさつしゅうごう)
どんな小さなことも見逃さない非常に優れた洞察力のたとえ。 「秋毫」は秋に生え変わる獣の細い毛のことで、その細い毛さえも見分けることができるという意味から。
明珠暗投(めいしゅあんとう)
どんなに貴重なものでも、人に贈るときに礼を失すれば恨まれることのたとえ。 「明珠」はそれ自身が光を発する宝玉、「暗投」は暗闇に物を投げるという意味。 暗闇にいる人に明月の珠を投げつけても、剣に手をかけて睨まない人はいない。 それは理由もなく急に前に飛んでくるからだと書状を奉り、身の潔白を主張した故事から。
盟神探湯(めいしんたんとう)
古代日本で行われた、神に誓いを立て、真偽、正邪を判断する裁判の方法。 神に誓いを立てて熱湯に手をいれて、正しい者はやけどを負わず、罪のある者は手がただれるというもの。
名存実亡(めいそんじつぼう)
名前としては存在しているが、実体が失われていること。 内容や意義が無くなり、名前や見た目だけになること。 「名(な)存(そん)し実(じつ)亡(ほろ)ぶ」とも読む。
明来暗往(めいらいあんおう)
親密な関係のたとえ。 「明来」は表立って行き来すること。 「暗往」は人に知られないように行き来すること。 悪い意味で使われることが多い言葉。
滅私奉公(めっしほうこう)
個人的な感情や欲求、利益を捨てて、社会や国家などの公のために尽くすこと。 または、そのようにして立場が上の者に尽くすこと。 「滅私」は自身の利益や欲求を捨てること。 「奉公」は公や立場が上の者に奉仕すること。
面折廷諍(めんせつていそう)
朝廷の君主の面前で、おじけづくことなく、堂々と相手の非を諫(いさ)める行為。 「面折」は面と向かっての公然たる非難や責め。 「廷諍」は朝廷の君主の前での論争や争論。 「廷諍」は「廷争」とも書く。 「廷諍面折(廷争面折)」ともいう。
面誉不忠(めんよふちゅう)
直接相手と向かい合って人をほめる人は、誠実ではないということ。 「面誉(めんよ)忠ならず」とも読む。
妄言妄聴(もうげんもうちょう)
根拠のない、いい加減なことを言ったり、相手の話を真面目に聞かないこと。 「妄言」は根拠のないでたらめな発言。 「妄聴」はいい加減に話を聞くこと。 話をする人も話を聞く人も、どちらもいい加減な様子をいう言葉。
猛虎伏草(もうこふくそう)
英雄は隠れていても必ず世に現れるという意味。 虎は草原に伏して身を隠そうとしても、隠すことは出来ないということから。
目挑心招(もくちょうしんしょう)
遊女が客を流し目で誘惑する様子のこと。 「目挑」は流し目で誘うこと、「心招」は心の中で誘い招くこと。
百舌勘定(もずかんじょう)
支払いをするときに口先でうまくごまかして、他人にお金を払わせて自分は支払わないこと。 または自分が得するようにすること。 百舌と鳩(はと)と鴫(しぎ)が十五文の買い物をしたとき、百舌は鳩と鴫をうまくごまかして、鳩に八文、鴫に七文を支払わせて自分は一文も支払わなくていいようにしたという昔話から。
門戸開放(もんこかいほう)
制度や制限をなくして、自由に出入りできるようにすること。 門戸を開け放って自由にするという意味から。
問鼎軽重(もんていけいちょう)
人の権力や地位を軽くみて、取って代わろうとすることのたとえ。 または、人の権力や能力を疑って軽くみること。 「鼎」は古代中国で、ものを煮るのに用いた青銅器。ここでは帝位の象徴とされた宝器。 古代中国の楚の荘王が、周の帝位の象徴である鼎の大きさや重さを尋ねた。 鼎は象徴であり、大小や軽重を問うべきではないにもかかわらず、それを問うたのは周の王室の権威をないがしろにし、暗に王権を狙ったものあったという故事から。 一般的に「鼎の軽重を問う」という形で使うことが多い言葉。
問答無用(もんどうむよう)
話し合うことに意味が無いこと。 「問答」は話し合うこと、「無用」は必要ないことで、主にこれ以上話し合っても無駄なため、一方的に話し合いを終わらせるときに使う言葉。
夜雨対牀(やうたいしょう)
兄弟や友人との仲がとても良いこと。 「対牀」は寝床を並べるという意味。 夜に雨の音を聞きながら寝床を並べて仲良く眠ることから。 「対牀夜雨」ともいう。
薬石無効(やくせきむこう)
薬や医者の治療がまったくもって効かないこと。 「薬石」は石の鍼(はり)治療や薬剤。 「無効」は効き目が無いという意味。
約法三章(やくほうさんしょう)
簡単な法や取り決めを作り、それを実施することを民衆と約束すること。 秦末期に関中を平定した劉邦が、県の長老に秦の法律を廃止して、人を殺したものは死刑、傷害と盗みは罰するとした三つの法の制定を約束した故事から。
野戦攻城(やせんこうじょう)
野原や平地で戦闘をして、城を攻めること。 「野戦」は野外で戦う、「攻城」は城を攻めること。
誘引開導(ゆういんかいどう)
「引導」の語源で、人々を仏の教えに導くこと。 または僧侶が葬式のときに死者へ極楽浄土の法を説くこと。
游雲驚竜(ゆううんきょうりょう)
書の筆遣いが素晴らしく、筆跡が生き生きとしている様子。 「雲」はいろいろなものに変化すること。 「竜」は神秘的で、力強く勇ましい動きのこと。 素晴らしい筆遣いを雲と竜にたとえたもの。
尤雲殢雨(ゆううんていう)
男女の情交のこと。 「尤」はもたれかかること。または、まとわりつくこと。 「殢」は寄り添って親しむこと。 「雲」と「雨」は楚の国の懐王が巫山にいる巫女と情交を交わしたという故事から、男女の情交のたとえ。 「殢雨尤雲」ともいう。
雄気堂堂(ゆうきどうどう)
勇敢で力強い性質で、立派な様子。 「雄気」は男らしく勇敢な性質。 「堂堂」は立派な様子。
有言実行(ゆうげんじっこう)
言ったことは必ず実行すること。 「有言」は口に出して言うこと、「実行」は実際に行動すること。 「不言実行」をもとにしてつくられた俗語。
油腔滑調(ゆうこうこっちょう)
話や文章などが、物事の表面だけを捉えていて軽薄なこと。 「油」はあぶら、「滑」はなめらかや、すべるという意味で、上辺しか見ずに本質を理解していない、上滑りしていることを言い表す言葉。 「腔」と「調」はどちらも言葉の調子や語気のこと。
有厚無厚(ゆうこうむこう)
不合理なことをこじつけによって正当化しようとすること。 「極めて厚さがあるものは、もはや厚い厚くないということすら言えないので厚さの概念自体がない」という詭弁(きべん)。
有口無行(ゆうこうむこう)
口先だけで行動が伴わないこと。 「有口」は口先だけがうまいこと。 「無行」は行動しないこと。
幽趣佳境(ゆうしゅかきょう)
慎み深く、品のある趣や心境。 「幽趣」は慎み深い味わいのこと。 「佳境」はよい場所ということから、上品で奥深い境地のこと。 すぐれた芸術に触れることで生まれる感覚をいう。
雄大豪壮(ゆうだいごうそう)
規模が大きくて、立派なこと。 「雄大」は雄々しくて大きいという意味。 「豪壮」は大きくて立派という意味。