「ん」を含む四字熟語
「ん」を含む四字熟語 — 4074 件
臨池之志(りんちのこころざし)
懸命に文字を書く練習をすること。 「臨池」は池の近くのこと。または、書道のこと。 中国の後漢の書家の張芝は、池のほとりで文字を書く練習に励み、池が墨で黒くなったという故事から。
輪廻応報(りんねおうほう)
輪廻を繰り返すなかで、自分の行いに対する報いを受けること。 「輪廻」は車輪が回り続けるように、生と死を繰り返すということ。 「応報」は行動の善悪に応じた報いを受けること。 思いがけないことや、不条理な出来事も前世の行動による報いであるという考えのこと。 「輪回応報」とも書く。
輪廻転生(りんねてんしょう)
仏教の言葉で、人が新しい命に生まれ変わりながら生死を繰り返すこと。 「輪廻」は車輪が回り続けるように、生と死を繰り返すこと。 「転生」は死んだ後にまた生まれること。生まれ変わり。 「転生輪廻」ともいう。
麟鳳亀竜(りんぽうきりょう)
世の中が平和に治まっているときに現われるとされる、麒麟、鳳凰、亀、竜の四種類の伝説の霊獣。 または、賢者や賢人のたとえ。
臨命終時(りんみょうじゅうじ)
死ぬ直前。死の時に臨むこと。 「命終」は死ぬこと。 元は仏教語で、「臨終」と略して使われることが多い言葉。
淋漓尽致(りんりじんち)
詩や文章に勢いがあり、思いの全てが込められていること。 「淋漓」は非常に勢いのある様子。 「尽致」は思いの全てを表現すること。
林林総総(りんりんそうそう)
極めて数が多い様子。 「林林」と「総総」はどちらも数が多いという意味。
琳琅璆鏘(りんろうきゅうそう)
美しい音が鳴り響く様子。または、詩や文章、歌などの響きが美しいこと。 「琳琅」は美しい玉(ぎょく)のこと。 「璆鏘」は玉や金属などが触れ合うことで鳴る音のこと。
琳琅珠玉(りんろうしゅぎょく)
美しい宝石のこと。 または、素晴らしい人物や詩文のたとえ。 「琳琅」は美しい宝石や詩文のこと。
琳琅満目(りんろうまんもく)
美しいものが目の前にたくさんあること。 「琳琅」は美しい宝石や詩文のこと。 「琳琅(りんろう)目(め)に満(み)つ」とも読む。
累卵之危(るいらんのき)
「累卵」は積み重ねた卵のことで、卵を積み重ねるとすぐに崩れ落ちることから、非常に危険な状況のたとえ。
流転無窮(るてんむぐう)
様々な状態に変化し続けて、留まることがないこと。 「流転」は次から次へと変化し続けること。 「無窮」は終わることなく続くこと。
流転輪廻(るてんりんね)
生と死を何度も繰り返しながら、世界を迷い歩くこと。 「流転」と「輪廻」はどちらも生と死を繰り返し続けること。 「流転輪回」とも書く。
縷縷綿綿(るるめんめん)
中身のない話が長くてしつこいこと。 「縷縷」は糸のように細く長いこと。 「綿綿」は休みなく続くこと。
冷艶清美(れいえんせいび)
冷ややかで清く美しい様子。 「冷艶」は白い花や雪のように冷ややかで美しい様子。
冷汗三斗(れいかんさんと)
冷や汗が三斗出るということから、きわめて恐ろしい思いをすることや恥ずかしい思いをすること。 「斗」は体積の単位。
冷眼傍観(れいがんぼうかん)
事の成り行きを、冷然と側でただ眺めていること。 「冷眼」は冷ややかな目のこと。 「傍観」はそばでみているだけのこと。
零絹尺楮(れいけんせきちょ)
書画の小さな切れ端やかけらのこと。 「零」と「尺」はどちらも少しという意味。 「零絹」は布の小さな切れ端のこと。 「尺楮」は紙の切れ端のこと。 「楮」は和紙の原料に使われる植物。
鴒原之情(れいげんのじょう)
危険や苦労があるときに助け合える兄弟の深い情愛のこと。 「鴒」は兄弟仲がよいされている水鳥の鶺鴒のこと。 「鴒原」は水辺にいるはずの鶺鴒が高原で鳴いているような危険な状況のこと。
霊魂不滅(れいこんふめつ)
死によって肉体がなくなっても、人の霊魂は永遠に存続し不滅であるという考えのこと。
礪山帯河(れいざんたいが)
永久に変わらない固い誓いのたとえ。 または、国が栄え続けることのたとえ。 「礪」は砥石(といし)のこと。「山」は泰山のこと。 「帯」はおびのこと。「河」は黄河のこと。 高い泰山がすりへって砥石のように平たくなるようなことがあったとしても、広い黄河が帯のように細くなるようなことがあったとしても、永久に変わることはないという意味から。
励声一番(れいせいいちばん)
大切な場面で、全力で声を張り上げること。 「励声」は大きな声をだす、「一番」は最初やここ一番のこと。
冷静沈着(れいせいちんちゃく)
何事にも動じずに、落ち着いていること。 「冷静」と「沈着」はどちらも、何事にも動じることなく落ち着いていることで、似た意味の語を重ねて強調した言葉。 「沈着冷静」ともいう。
霊台方寸(れいだいほうすん)
心。 「霊台」は魂がある場所。 「方寸」は四方が一寸の範囲ということから、心、胸中という意味。 心は胸の内の四方が一寸の範囲、心臓にあると考えられていたということから。
冷暖自知(れいだんじち)
自分のことは他人から教わらなくても自分自身で分かるということ。 水の冷暖は飲んだ者が分かるという意味から。
令聞令望(れいぶんれいぼう)
名声。良い評判。 「令聞」と「令望」はどちらも名声やよい評判という意味
烈士徇名(れっしじゅんめい)
義を重んずる人は、名誉のために命を懸けること。 「烈士」は正しい信念を持った義理堅い人のこと。 「徇」は一つのことに身を捧げるという意味。
蓮華往生(れんげおうじょう)
人が死んだ後に極楽に行くこと。 「蓮華」は極楽浄土のたとえで、仏や菩薩の座を表している。 「往生」は現世を離れて極楽に行くこと。
蓮華宝土(れんげほうど)
極楽浄土のこと。 「蓮華」は蓮、または、睡蓮の花のこと。 「宝土」は仏がいる国の美称。または、理想郷という意味。 常に釈迦が説法をしていて、清らかな蓮の鼻が咲き乱れ、苦しみのない世界をいう。
憐香惜玉(れんこうせきぎょく)
女性をとても大切に愛でること。 「憐」と「惜」は大切にするという意味。 「香」や「玉」は女性のたとえ。 「惜玉憐香」ともいう。
連鎖反応(れんさはんのう)
ある反応がきっかけで、別の反応を発生させて、次々と反応を引き起こしていく化学反応のこと。 または一つの出来事がきっかけで、次々と別の出来事が発生すること。
連日連夜(れんじつれんや)
毎日毎晩続けて。 「連日」はどの日も、毎日。 「連夜」はどの夜も。毎夜。
連城之璧(れんじょうのへき)
世にも珍しい宝物のこと。 「璧」は宝のこと。 卞和が山中で見つけた宝玉の原石を、レイ王に献じるとただの石と言われ罰として左足を切られ、武王に献じるとただの石と言われ罰として右足を切られた。 その後、悔しさで泣き続ける卞和のことを聞いた文王が使者にその原石を磨かせると、天下の宝玉だったという故事から。
連戦連勝(れんせんれんしょう)
何度も戦い、戦うたびに勝つこと。 「連戦」は何度も続けて戦うこと。 「連勝」は勝ち続けること。
連帯責任(れんたいせきにん)
複数の人が共に責任を負うこと。
廉恥功名(れんちこうみょう)
清く正しく、恥を知る心があり、名声を上げようとする心があること。 「廉恥」は潔く、清く正しいこと。 「功名」は功績を挙げて名誉を得ること。
廉頗負荊(れんぱふけい)
心の底から謝罪すること。 「廉頗」は人の名前。 「負荊」は茨を背負うこと。 中国の春秋戦国時代の趙の国の将軍である廉頗は、藺相如のことを恨んでいたが、藺相如は廉頗と争うと秦に滅ぼされるとして争いを避けていた。 そのことを知った廉頗は自身を恥じて、裸で茨の鞭を背負い、藺相如に心から謝罪して、後に相手のために死んでもいいと思うほどの親友になったという故事から。 「廉頗(れんぱ)荊(いばら)を負う」とも読む。
聯袂辞職(れんべいじしょく)
大勢の人が一緒に職を辞すること。 「聯袂」は”たもとを連ねる”という意味から、大勢の人が一緒に行動すること。 「連袂辞職」とも書く。
連璧賁臨(れんぺきひりん)
同時に二人の来客があること。 「連璧」は二つが一対になっている宝玉のことで、二人のすぐれた友人をたとえたもの。 「賁臨」は人が訪れることの敬称。
連理之枝(れんりのえだ)
男女の仲が良く、情愛が深いことのたとえ。 「連理」は別々の木の枝と枝が結合して一体化した枝のこと。
狼子野心(ろうしやしん)
凶暴な人のたとえ。 または、凶暴な人は教化するのは非常に困難ということのたとえ。 「狼子」は狼(おおかみ)の子、「野心」は野生の心という意味で、狼の子は人に飼われても、生まれついての野生の凶暴さを失わないという意味。
狼心狗肺(ろうしんこうはい)
人の心が残酷で、欲深いことのたとえ。 「狼心」は狼のように冷酷で欲深い心。 「狗」は犬のことで、卑しさや狡賢いことのたとえ。 「肺」は心の奥や心の底のこと。
老成円熟(ろうせいえんじゅく)
経験が豊富で、人格や技能が十分に熟練していること。 「老成」は多くの経験を積んでいて、物事に長けていること。 「円熟」は人格や技能が十分に熟練していること。
老生常譚(ろうせいのじょうだん)
古臭くてありふれた話のこと。 「老生」は年をとった書生、「常譚」はいつもする話のことで、年老いた人がいつもする話という意味から。 三国時代に魏の管輅が何晏を占い「易を勉強して徳を深めないと危険」と言うと、同席していた鄧ヨウは「老生の常譚」といって取り合わなかったが、次の年に二人とも誅殺されてしまったという故事から。
籠鳥檻猿(ろうちょうかんえん)
自由を奪われて自分の好きなように生きることが出来ない境遇のたとえ。 籠の中の鳥と檻の中の猿という意味から。 「檻猿籠鳥」ともいう。
籠鳥恋雲(ろうちょうれんうん)
捕らえられている者が自由を望むことのたとえ。 籠の中の鳥が空を恋しがるという意味から。
狼貪虎視(ろうどんこし)
野心が旺盛なことのたとえ。 または、無道で欲が深いこと。 「狼貪」は狼のように欲が深いこと。 「虎視」は虎が獲物を狙うように見ること。
老若貴賤(ろうにゃくきせん)
年齢や身分に関係なく、全ての人たちという意味。 「老若」は老人と若者のこと。 「貴賤」は身分の高い人と低い人のこと。 「貴賤老若」ともいう。
老若男女(ろうにゃくなんにょ)
年齢や性別に関係なく、全ての人たちという意味。 「老若」は老人と若者、「男女」は男性と女性のこと。
老婆心切(ろうばしんせつ)
必要以上に世話を焼きすぎること。 「老婆心」は老いた女性が必要以上に子や孫の気遣いをすることから過度の親切。 「切」は非常に想いが強いこと。 元は仏教語で、師匠の僧が修行者に丁寧に教え導くこと。
老幼男女(ろうようなんにょ)
年齢や性別に関係なく、全ての人たち。 「老幼」は老人と若者。 「男女」は男性と女性。 「男女老幼」ともいう。
老莱斑衣(ろうらいはんい)
親孝行することのたとえ。 または、孝養を尽くすことのたとえ。 「老莱」は人の名前。 「斑衣」は子どもが着るような派手な模様の服のこと。 楚の老莱子は七十歳になっても、子供用の服を着て子どものように戯れ、親を喜ばせて年老いたことを忘れさせようとした故事から。
六十耳順(ろくじゅうじじゅん)
六十歳になると、人の言葉をすぐに理解することができるようになり、異なる考えも素直に受け入れることができるということ。 孔子が生涯を述懐して語った言葉。
六道輪廻(ろくどうりんね)
仏教語で、この世で生きている全てのものが六道の世界で生と死を繰り返すこと。 「六道」は死んだ後に行く世界のことで、生きている時の行いの善悪によってどの世界に生まれ変わるか決まり、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つがある。
鹿鳴之宴(ろくめいのえん)
客を招待して、もてなす酒宴のこと。または、中国の唐の時代、官吏登用試験に受かって、都に上る時に開いた宴会のこと。 「鹿鳴」は鹿が鳴いて仲間を呼び、野原でよもぎを食べる姿を歌った詩の名前で、客をもてなす宴会のたとえ。 社交場として明治政府が建てた、鹿鳴館の語源とされている。
六根清浄(ろっこんしょうじょう)
欲望や迷いを断ち切り、心と体を清らかにすること。 「六根」は仏教で煩悩や迷いなどの元になるとされる六つの器官のことで、眼・耳・鼻・舌・身・意のことをいう。 「清浄」は煩悩や迷いなどを捨てて、汚れがなく清らかなこと。 山参りなどで修行者が山に登るときに唱えていた言葉。 「六根浄」と略して用いられることもあり、それが変化したものが「どっこいしょ」という掛け声の語源ともいわれている。
魯之男子(ろのだんし)
賢人の行動の真似をしても意味はなく、賢人の精神を学ぶことに意味があるということ。 または、男女の間の礼儀や作法を尊重する男性のこと。 または、女性嫌いの男性のこと。 「魯」は周の時代の中国の国の名前。 魯の国で一人で暮らしている男性の隣に住む女性の家が嵐で倒壊してしまい、男性の家に逃げてきたが、男性は「男女が同じ屋根の下にいることは礼節に恥じる」といい門を開けなかった。 女性が「賢者の柳下恵は女性を家に泊めても誰も咎めなかった」と言うと、男性は「自分は柳下恵には遠く及ばなく、その人格を学びたい」と言い、結局家に入れなかったという故事から。
魯般雲梯(ろはんうんてい)
中国の春秋時代の魯の国にいたすぐれた大工の魯般が作った、雲に届くほどの高いはしごのこと。 「魯般」は人の名前。 「雲梯」は雲に届くような高さのあるはしごのことで、主に城を攻めるときに使っていた。 魯般は春秋時代の工匠で、公輸盤や公輸判、魯班とも呼ばれ、機械を作るのを得意としていて、木を刻んで作った鳥は空を飛んだとされている。 後の世では工匠の祭神として祭られている。
炉辺談話(ろへんだんわ)
囲炉裏の側でするようなうちとけた話、世間話。 「炉辺」は囲炉裏や暖炉の近くのこと。
驢鳴犬吠(ろめいけんばい)
くだらない文章や、聞くだけ無駄な話のたとえ。 「驢鳴」は動物のろばの鳴き声。 ろばや犬の鳴き声のように無駄な話という意味から。 「驢鳴き犬吠ゆ」とも訓読する。 「犬吠驢鳴」ともいう。
論功行賞(ろんこうこうしょう)
功績や手柄を調べて、その程度に見合う褒美を与えること。 「論功」は功績や手柄の程度を議論して褒美を決めること。 「行賞」は褒美を与えること。 「功(こう)を論(ろん)じ賞(しょう)を行(おこな)う」とも読む。
論旨明快(ろんしめいかい)
議論や主張などの内容が分かりやすいこと。 「論旨」は議論や主張などの内容。
矮子看戯(わいしかんぎ)
見識がないことのたとえ。また、自分にはよくわからないことであっても、すぐに周りの意見に合わせることのたとえ。 「矮子」は背の低い人のこと。 「看戯」は観劇のこと。 背が低くて舞台が見えないのに、周りの人の批評を聞いて賛同するという意味から。
淮南鶏犬(わいなんのけいけん)
他人の権力と勢力で自分の利益を得たり、出世したりすること。 「淮南」は国の名前。 中国の前漢の時代、淮南の王の劉安が昇天した後に、自身が調合した仙薬の残りを犬や鶏がなめると、犬や鶏も昇天できたという故事から。
和顔愛語(わがんあいご)
仏教経典で菩薩の態度を表現する言葉で、和やかで親しみやすい態度のこと。 「和顔」はなごやかで柔らかい表情、「愛語」は親愛の気持ちのこもった言葉のこと。
和羹塩梅(わこうあんばい)
主君を補佐してうまく国を治める有能な大臣や宰相のこと。 「和羹」は様々な材料や調味料を合わせて作る吸い物のこと。 「塩梅」は塩と梅酢のこと。 国政の執行を塩と梅酢を程よく加えて美味しく仕上げる吸い物にたとえたもの。
和光同塵(わこうどうじん)
俗世で目立たないように、才能や徳を隠して暮らすこと。 仏教では、仏や菩薩が衆生を救うために、本来の姿を隠して、煩悩の塵をまとって、俗世に現れること。 「和光」は、才能の光を和らげ目立たないように隠すこと、「同塵」は、俗世間に合わせるという意味。
和魂漢才(わこんかんさい)
「和魂」は日本古来の固有の精神のこと、「漢才」は中国伝来の学問のことで、日本古来の精神を大切にしつつ、漢学を学ぶという意味。
和魂洋才(わこんようさい)
「和魂」は日本古来の固有の精神のこと、「洋才」は西洋の学問や知識のことで、日本古来の精神を大切にしつつ、西洋の学問や知識を学ぶこと。
和如琴瑟(わじょきんしつ)
夫婦の仲がよいこと。 「瑟」は大型の琴。 琴と瑟は合奏するとよく調和することから、夫婦仲のよさを琴と瑟の調和にたとえた言葉。
和盤托出(わばんたくしゅつ)
包み隠さずにすべて見せること。 「盤」は食べ物をのせる台のこと。 客に食べ物を出すときに、食べ物をのせた台も一緒に出すとの意から。
和風慶雲(わふうけいうん)
温厚な人格者を言い表した語。 穏やかで和らいだ風とよいことが起きる前兆とされる雲(慶雲)のような存在という意味。 孔子の弟子の顔淵を評した言葉。
剜肉補瘡(わんにくほそう)
その場しのぎで問題に対処すること。余裕がないことのたとえ。または、急いで行ったために余計に悪化させることのたとえ。 「剜肉」は肉をえぐって取り出すこと。 「瘡」は傷のこと。 自分の肉をえぐり出し、その肉を傷にあてがい治そうとすることから。 「肉を剜(えぐ)って瘡(きず)を補う」とも読む。
腕白小僧(わんぱくこぞう)
いたずら好きで元気な子どものこと。