「と」を含む四字熟語
「と」を含む四字熟語 — 611 件
東父西母(とうふせいぼ)
死ぬことも老いることもない仙人のこと。 「東父」は男の仙人の東王父のこと。 「西母」は女の仙人の西王母のこと。 どちらも中国の仙人で、男女それぞれの仙人の筆頭。
投鞭断流(とうべんだんりゅう)
軍隊の人数が極めて多く、兵の力が強力なことのたとえ。 全員の鞭を川の長江に投げ込んで、川の流れを止めて川を渡るということから。 中国の前秦の世祖符堅が、東晋を攻めた時に言ったとされる言葉。 「鞭(むち)を投じて流れを断つ」とも読む。
東奔西走(とうほんせいそう)
仕事や用事などの目的を果たすために、いろいろな方向や場所へ忙しく走り回ること。 「奔」と「走」はどちらも走るという意味。 目的を果たすために、東の方向へ走った後に反対の西の方向へ走るという意味から。
豆剖瓜分(とうぼうかぶん)
一つの国が小さく分裂すること。 瓜や豆を割るように小さくわかれるという意味から。
掉棒打星(とうぼうだせい)
現実的に不可能なことに、無駄に労力をついやすこと。 または、思うとおりにならずもどかしいこと。 棒を振って夜空の星を落とそうとするという意味から。 「棒(ぼう)を掉(ふる)い星(ほし)を打つ」とも読む。
稲麻竹葦(とうまちくい)
物がたくさんあることのたとえ。人や物がたくさん集まっていて群がっている様子をいう。 植物の稲・麻・竹・葦が同じ場所に群がって生えているという意味から。
橦末之伎(とうまつのぎ)
軽業のこと。 「橦末」は竿の先端。 「伎」は曲芸。 竿の先端で行う曲芸という意味から。
当面蹉過(とうめんさか)
すぐ近い位置で見ながら見間違えること。または、目の前にいても誤ってすれ違うこと。 「当面」は目の前ということ。 「蹉過」は間違えること。 「当面に蹉過(さか)す」とも読む。
儻来之物(とうらいのもの)
思いがけず手に入った物のこと。または、賭博で手に入った物のこと。 「儻」は思いがけずや、偶然に、という意味。
桃李成蹊(とうりせいけい)
徳がある人物には、その人を慕って自然と人が集まるということ。 「蹊」は狭い道、小道。 桃やすももの花は美しく、実はおいしいために自然と人が集まり、道が出来るということから。 「桃李言わざれども下自ずから蹊を成す」という言葉を略した言葉。
党利党略(とうりとうりゃく)
自身が所属する党派や集団の利益とそのための策略。 「利」は利益、「略」は計略、策略のこと。
桃李満門(とうりまんもん)
すぐれた人材が数多く集まること。 人材を桃やすももにたとえた言葉で、味のよい桃やすももが門に満ち溢れるという意味から。 「桃李(とうり)門に満つ」とも読む。
等量斉視(とうりょうせいし)
全ての人を区別することなく、同じように扱うこと。 全てのものを同じように量り、同じように視るという意味から。 「等しく量り斉(ひと)しく視る」とも読む。
棟梁之材(とうりょうのざい)
国や集団を支えることができ、重要な任務を任せることのできる人のこと。 「棟」と「梁」は棟木と梁のことで、どちらも屋根を支えるために重要な木材ということから。
桃林処士(とうりんのしょし)
牛の別名。 「桃林」は中国の河南省にあった城塞の名前。 「処士」はすぐれた能力があるが、公の勤めについていないこと。または、桃林に住んでいる牛の名前。 中国の周の武王が二度と戦場にならないようにと、桃林に牛を放ち、その牛がそう呼ばれるようになったという故事から。
螳螂之衛(とうろうのえい)
数が少なく弱い兵力や軍備のこと。 「螳螂」はかまきりのこと。 「衛」は防衛、守備をする人のこと。 「螳螂」は「蟷螂」とも書く。
螳螂之斧(とうろうのおの)
弱者が身の程も知らずに勝ち目のない強者に立ち向かうこと。 「螳螂」はかまきりのこと。「斧」はかまきりの前足のこと。 斉の荘公の車に、かまきりが前足を振り上げて立ち向かってきたという故事から。 「蟷螂之斧」とも書く。
当路之人(とうろのひと)
重要な職務についていて、権力のある人のこと。 「当路」は交通の重要な場所にいると意味から、重要な地位について権力を持っていること。
十日之菊(とおかのきく)
必要な時に遅れたために、役に立たなくなったもののこと。 「十日」は九月十日のこと。 九月九日の菊の節句から一日遅れた菊という意味から。
兎葵燕麦(ときえんばく)
名前と実体が伴っていないこと。 「兎葵」は植物のいえにれ。 「燕麦」は植物のからすむぎ。 名前に「葵」や「麦」があるが、実際には違うということから。
兎起鶻落(ときこつらく)
書画や文章に勢いがあることのたとえ。 「鶻」は鳥のはやぶさのこと。 うさぎが巣から素早く飛び出したり、はやぶさが急降下しながら獲物を捕らえたりする様子にたとえた言葉。
兎起鳧挙(ときふきょ)
並外れて素早いことのたとえ。 兎が巣から素早く飛び出したり、鴨が飛び上がる様子にたとえた言葉。 「兎(うさぎ)起(た)ち鳧(かも)挙(あ)がる」とも読む。
蠹居棊処(ときょきしょ)
色々なところに悪人がいること。 「蠹」は木を食べる害虫の木食い虫。 「棊」は囲碁の碁盤の上にある碁石。 碁盤の上の碁石のように、木食い虫がたくさんいるという意味から。
時世時節(ときよじせつ)
その時その時の巡りあわせ。時代ごとの世の中の様子。 「時世」は時代や時代の流れ。 「時節」は時期や世の中の現在の様子。
得意忘形(とくいぼうけい)
芸術などで、精神や本質を大切にして、外形のことを忘れること。 または、気分が舞い上がって、我を忘れること。 「意を得て形(かたち)を忘(わす)る」とも読む。
得意忘言(とくいぼうげん)
悟りや真理に達した際には言葉が不要になるということ。 言葉は真理に至るため、また相手に思いを伝えるための道具であり、本質が伝われば言葉は忘れてしまっても良いという意味から。 荘子の教えの一つ。 「意を得て言(げん)を忘(わす)る」とも読む。
得意満面(とくいまんめん)
物事が狙い通りになって、誇らしげな様子が顔いっぱいに表れているさま。
匿影蔵形(とくえいぞうけい)
物事の本当のことを隠すこと。 「匿」と「蔵」はどちらも隠すという意味。 影も形も、他人に見えないように隠すことから。 「影(かげ)を匿(かく)し形(かたち)を蔵(かく)す」とも読む。 「蔵形匿影」ともいう。
跿跔科頭(とくかとう)
恐れ知らずで勇ましい兵士。 「跿跔」は足に何も履かないこと。裸足。 「科頭」は兜などの身を守るものを何も被っていない頭。
得魚忘筌(とくぎょぼうせん)
目的を達成するまでに役に立っていたものを達成したあとには忘れること。 「筌」は魚を捕まえるために水の中に設置する竹のかご。 魚を捕まえたあとは、筌のことを忘れるという意味から。 「魚(うお)を得て筌(せん)を忘(わす)る」とも読む。
徳高望重(とくこうぼうじゅう)
高い人徳があり、多くの人たちからの信望があること。 「徳(とく)高く望(ぼう)重し」とも読む。
得衆得国(とくしゅうとくこく)
国民からの支持を得ることができれば、一つの国を支配して治めることができるということ。 「衆(しゅう)を得(う)れば国を得(う)る」とも読む。
読書三余(とくしょさんよ)
読書をするのに都合のよい三つの余暇のこと。 冬の季節、夜、雨天の日の三つ。 中国の三国時代、魏の董遇が弟子に読書を勧めると、弟子は時間が無いと嘆いたときに諭したという言葉から。
徳性滋養(とくせいじよう)
道徳心を育てること。 「徳性」は生まれつきに持っている道徳的な性質。 「滋養」は育てるという意味。
特筆大書(とくひつたいしょ)
目立つように大きな文字で書くこと。 「特筆」は特別なものとして取り上げて書くこと。
特立之士(とくりつのし)
普通の人よりもすぐれた能力や、徳を備えていること。 「特立」は一際すぐれていること。
徳量寛大(とくりょうかんだい)
立派な徳を持っていて、広く大きな心があること。
得隴望蜀(とくろうぼうしょく)
人間の欲望は尽きることがないということ。 「隴」と「蜀」はどちらも中国の地名。 後漢の光武帝が望みを叶えて、隴を手に入れたが、次は蜀が欲しいと望んだという故事から。 「隴(ろう)を得て蜀(しょく)を望む」とも読む。
妬賢嫉能(とけんしつのう)
賢人やすぐれた才能のある人を妬むこと。 「妬」と「嫉」はどちらも妬むこと。 「賢能を嫉妬す」をお互いに補い合って完成させる表現法で言い表した言葉。 「賢(けん)を妬(ねた)み能(のう)を嫉(にく)む」とも読む。
杜口結舌(とこうけつぜつ)
権勢をふるっている人には、わざわざ何か言ったりしないことのたとえ。 「杜口」は口を塞ぐこと。 「結舌」は舌を動かさないこと。 どちらも何も言わないという意味。 「口を杜(ふさ)ぎ舌を結ぶ」とも読む。
斗斛之禄(とこくのろく)
ほんの少しの給料。 「斗」と「斛」はどちらも分量の単位で、一斗と一斛ということから、非常に少ないことのたとえ。 「禄」は俸禄、給料のこと。
吐故納新(とこのうしん)
昔からあるものを捨てて、新しいものを取り入れること。 「吐故」は体の中から古い空気を吐き出すこと。 「納新」は鼻から新しい空気を取り入れること。 「故(ふる)きを吐きて新しきを納(い)る」とも読む。
吐剛茹柔(とごうじょじゅう)
弱い者を押さえつけるが、強いやつからは逃げること。 「吐剛」は固い食べ物を吐き出すこと。 「茹柔」は柔らかい食べ物を食べること。 固い食べ物は吐き出して、柔らかい食べ物だけを食べるという意味から。 「剛を吐(は)き柔を茹(く)らう」とも読む。 「茹柔吐剛」ともいう。
菟糸燕麦(としえんばく)
名前と実体が一致していないこと。 「菟糸」は「ねなしかずら」という植物のこと。 「燕麦」は「からすむぎ」という植物のこと。 名前に「糸」や「麦」という字を含んでいるが、「糸」に関連しない、または「麦」ではない植物であることから。 「兎糸燕麦」とも書く。
兎死狗烹(としくほう)
利用できるときだけは重用されるが、利用できなくなるとすぐに捨てられるということのたとえ。 兎がいなくなれば、兎を捕まえるための猟犬は必要なくなって、猟犬は煮て食べられるという意味から。 元は、戦乱の世が終わって平和になると、武勲をあげた武将は必要なくなって殺されるということをいった言葉。 「兎(うさぎ)死して狗(いぬ)烹(に)らる」とも読む。
蠧紙堆裏(としたいり)
高く積み上げられた古い書物の中のこと。 「蠧紙」は虫に食べられた書物。 「堆裏」は積み上げられたものの中ということ。
徒手空拳(としゅくうけん)
物事を始める時に、助けとなるものが何一つないこと。 「徒手」と「空拳」はどちらも手の中に何も無いという意味で、物事を始めるときに力として使うことが出来るものが何も無いことをいう。
斗酒隻鶏(としゅせきけい)
亡くなった友人のことを悲しんで嘆き、生前のことや思い出を述べること。 「斗酒」は一斗の量の酒。 「隻鶏」は一羽の鶏。 古代中国での死者への供物をいう。 中国の魏の曹操が友人の橋玄の墓を祭ったときに作った文から。
斗酒百篇(としゅひゃっぺん)
たくさんの酒を飲みながら、たくさんの詩を作ること。 「斗酒」の「斗」は容量の単位で、一斗の量の酒ということから、たくさんの酒のたとえ。 「百篇」の「篇」は詩を数える単位で、百篇の詩ということから、たくさんの詩のたとえ。 唐の詩人の杜甫が李白のことを評した言葉から。
斗筲之人(としょうのひと)
器量の小さな人のたとえ。 「斗」は一斗の量が入る升。 「筲」は一斗二升の量が入る竹の籠。 どちらも入る量が少ない器のことから。 「斗筲之器」「斗筲之材」「斗筲之子」とも。
屠所之羊(としょのひつじ)
次第に死期に近づいていくことのたとえ。 屠殺場に連れて行かれる羊という意味から。
斗折蛇行(とせつだこう)
川や道が曲がりくねっていて長く続いている様子。 「斗折」の「斗」は星座の北斗七星のことで、北斗七星のように折れ曲がっている様子。 「蛇行」は蛇がくねって移動するように、曲がりくねっている様子。
兎走烏飛(とそううひ)
あっという間に月日が過ぎていくこと。 「兎」は月、「烏」は日(太陽)のたとえであることから、「兎」と「烏」で月日のことを表している。 「飛」や「走」は経過が早いことを表している。 月には兎、太陽には金烏が住むとされる中国の伝説からきた言葉。 「烏飛兎走」ともいう。
斗粟尺布(とぞくしゃくふ)
兄弟の仲が悪いこと。 「斗粟」の「斗」は容量の単位。 一斗の粟のことから、少しの食べ物のたとえ。 「尺布」の「尺」は長さの単位。 一尺の布のことから、少しの衣服のたとえ。 中国の漢の淮南王と文帝は腹違いの兄弟だったが、文帝はおごり昂って法に背く行いを多くしたために、淮南王に王位を奪われ流罪にされた。 その道中で文帝は悶え苦しみ、食を断って死んだ。 人々はそのことについて「一尺の布でも一斗の粟でも、分け合えば互いの寒さと飢えをしのげるのに、何故仲良くできなかったのか」と歌ったという故事から。 「尺布斗粟」ともいう。
塗炭之苦(とたんのくるしみ)
泥沼で泥だらけになり、炭で焼かれるような辛い苦しみのこと。 「塗」は泥や泥水。 中国の夏の桀王は暴君として有名で、桀王によって苦しめられた人々を言い表した言葉から。
塗炭之民(とたんのたみ)
辛く苦しい境遇の人々のこと。 「塗炭」は泥沼と炭火のことで、泥沼にはまって炭火で焼かれるということから、非常に辛い境遇のたとえ。
独鈷鎌首(とっこかまくび)
論争が好きな歌人のこと。 「独鈷」は祈祷をするときに左手に持つ仏具、独鈷杵のこと。 「鎌首」は農具の鎌のように曲がった首。 鎌倉時代、大規模な歌合せがあり、顕昭と寂連は毎日参加して激しく論争をしていた。 顕昭は独鈷杵を持ち、寂連は頭を突き上げて論争をしていたので、その様子を侍女たちが言い合っていたという故事から。
咄嗟叱咤(とっさしった)
大きな声で叫びながら叱り付けること。 「咄嗟」と「叱咤」はどちらも叱り付けるという意味。
訥言敏行(とつげんびんこう)
すぐれた人格を持っている人は、口数は少なく、動きは正確で素早いということ。 「訥言」は話が下手なこと。 「敏行」は行動が素早いこと。 「言(げん)に訥(とつ)にして行いに敏(びん)なり」とも読む。
咄咄怪事(とつとつかいじ)
予想もしていなかった不思議な出来事。 または、極めて都合が悪いこと。 「咄咄」は驚いて声を上げること。 「怪事」は不思議な出来事。 晋の殷浩が、親友である桓温の讒言で貶められた悔しさを言い表した言葉から。
突怒偃蹇(とつどえんけん)
怒った人やおごりたかぶった人の顔を言い表す言葉。 または、岩石が角ばっていて突き出た様子を言い表す言葉。 「突怒」は激しく怒っている様子。 「偃蹇」はおごりたかぶっている人の様子。
屠毒筆墨(とどくのひつぼく)
読んだ人に害を及ぼす書物のこと。 「屠毒」は害を及ぼすこと。 「筆墨」は書物のこと。
斗南一人(となんのいちにん)
この世で最もすぐれている人のこと。 「斗南」は星座の北斗七星よりも南という意味から、天下という意味。 天下で並ぶ人がいないほどすぐれているということから。
図南鵬翼(となんのほうよく)
大事業や海外進出などの大きな計画を立てること。 大きな目標を立てて、その目標を達成しようとすることをいう言葉。 「図南」は南の海へ行こうと計画すること。 「鵬」は伝説の大きな鳥。 鵬が南の海を目指して飛び立つ説話から。
図南之翼(となんのよく)
大事業や海外進出などの大きな計画を立てること。 大きな目標を立てて、その目標を達成しようとすることをいう。 「図南」は南の海へ行こうと計画すること。 「翼」は鵬のことで、伝説の大きな鳥のこと。 鵬が南の海を目指して飛びたったという説話から。
途方途轍(とほうとてつ)
物事の方法や理屈、道筋のこと。 「途方」はやり方や道筋という意味。 「途轍」は通っていく道ということから、やり方や道筋という意味。 同じ意味の言葉を重ねて強調したもの。
塗抹詩書(とまつししょ)
幼い子供のこと。 または、幼い子供のいたずらのこと。 「塗抹」は塗りつぶすこと。 「詩書」は儒教で大切にされている経典の詩経と書経。 儒教では大切にされている経典も、幼児は気にかけることなく塗りつぶしてしまうという意味から。 「詩書(ししょ)を塗抹(とまつ)す」とも読む。
左見右見(とみこうみ)
あっちを見たり、こっちを見たりすること。 または、様々なことに注意を払うこと。 右を見たり、左を見たりするという意味から。 「と」はそのように、「こう」はこのようにという意味で、それに漢字を当てた言葉。
杜黙詩撰(ともくしさん)
詩や文章にたくさんの間違いがあって、いい加減なこと。 「杜黙」は人の名前。 「詩撰」は詩や文章を作ること。 中国の詩人の杜黙の作る詩や文章は、定型詩の格式にほとんど当てはまっていなかったということから。 「杜撰」という形で使うことが多い言葉。
杜門却掃(ともんきゃくそう)
門を開けることなく、世間との関係を絶つこと。 「杜門」は門を閉じること。 「却掃」は客をしりぞけること。 道を掃除して客を迎えることをしないという意味から。
都門桂玉(ともんけいぎょく)
他の土地からやってきて、物価の高さで生活に苦労すること。 「桂」は香木、「玉」は宝玉。 戦国時代の遊説家の蘇秦が、楚の威王を訪れたところ、面会までに三か月も待たされてしまい、その間、宝玉より高い食べ物や香木より高い薪の値段に悩まされ、生活に苦労したという故事から。
屠羊之肆(とようのし)
自分の身の程に相応しい仕事のたとえ。 「屠」は獣を殺すこと。 「肆」は店のこと。 羊を殺して肉を売る店という意味。 中国の春秋時代、国を追われた楚の昭王のお供をしていた羊肉屋の説は、昭王が王に返り咲いたときに褒賞を与えられたが、「羊肉屋に戻れるだけで十分です」と言い、褒賞を受け取らなかったという故事から。
斗量帚掃(とりょうそうそう)
普通の人。 または、人材や物がたくさん余っていること。 「斗量」はますで量を量ること。 「帚掃」はほうきで掃くこと。 どちらも余っていることのたとえで、自分のことを謙遜していう言葉。
屠竜之技(とりょうのぎ)
優れてはいるが、学んでも役に立たない無駄な技術のこと。 「屠」は獣を殺すこと。 竜を殺す技術を学んでも、竜は現実にいないので使うことがないという意味から。
貪愛瞋憎(とんあいしんぞう)
欲望や執着を意味する「貪愛」と、いかり憎むことを意味する「瞋憎」を合わせた言葉。 どちらも人の心をかき乱し苦しみを生む煩悩とされる。 「とんあい」は「とんない」とも読む。
豚魚之信(とんぎょのしん)
全ての人に真面目で正直な心を行き渡らせることのできる、徳のある人のこと。または、そうした誠実な心のこと。 「豚魚」は豚と魚のことで、下賎な人のたとえ。 豚や魚にまで、真面目で正直な心を行き渡らせることが、信の心の究極であるとされている。
敦煌五竜(とんこうごりょう)
中国の晋の時代、朝廷が設置した官吏を養成する大学で、評価が高かった敦煌出身の五人の総称。 「燉煌五竜」とも書く。
頓首再拝(とんしゅさいはい)
頭を深く下げて丁寧にお辞儀をすること。 または、手紙の最後に記して敬意を示す言葉。 「頓首」は頭を地面につけてお辞儀をすること。 「再拝」は二度拝むという意味の言葉。
豚児犬子(とんじけんし)
他者を軽蔑していう言葉。または、愚かな子供のこと。 自分の子供のことを謙っていう言葉。 豚や犬のように愚かな子供という意味から。
頓知頓才(とんちとんさい)
状況に合わせてすぐに適切な判断ができる知恵や才能のこと。 「頓」は一瞬という意味で、一瞬の間に出てくる知恵をいう言葉。 「頓智頓才」とも書く。