「ち」を含む四字熟語
「ち」を含む四字熟語 — 994 件
三汁七菜(さんじゅうしちさい)
豪華な食べ物のこと。 または、日本の本膳料理の正式な品数。 三品の汁物と七品のおかずのこと。
山静日長(さんせいにっちょう)
静かな山の中で穏やかな生活をする身の上のこと。 「山(やま)静(しず)かにして日(ひ)長(なが)し」とも読む。 日本では、書や水墨画などの題材として使われることが多い言葉。
三千寵愛(さんぜんちょうあい)
たくさんの侍女にかける寵愛。 元は、たくさんの女性にかけるべき愛情を一人だけに向けてしまうことをいう。 宮中に仕える女性三千人にかける寵愛という意味から。 中国の唐の玄宗皇帝は、三千人ほどの美女がいたが、楊貴妃はその美女たち全員の寵愛を独り占めしたという故事から。
山中暦日(さんちゅうれきじつ)
人里から離れて、山奥でのんびりと暮らすこと。 「暦日」は月日のこと。 「山中暦日無し」を略した言葉で、人里離れた山奥で暮らすと、ゆったりとしていて、月日がたつのを忘れてしまうという意味から。
三鳥出網(さんちょうしゅつもう)
三つの悟りに至るための修行や方法がそれぞれ異なっていることのたとえ。 「三鳥」は、仏教の三乗のたとえ。三乗は、悟りを得るための三つの修行や方法である声聞乗(しょうもんじょう)・縁覚乗(えんかくじょう)・菩薩乗(ぼさつじょう)のこと。 三乗によって悟りを得ることを、三羽の鳥が網から外へ出ることにたとえた言葉。 「三鳥(さんちょう)網(あみ)を出(い)ず」とも読む。
参天弐地(さんてんじち)
天や地のように大きな徳を積むこと。 「参天」は天と並ぶこと。 「弐地」は地と並ぶこと。 「天(てん)に参じ地に弐(じ)す」とも読む。
罪不容誅(ざいふようちゅう)
罪が重いため、死罪ですら許すことができないこと。 中国の後漢の歴史家の班固が、前漢の末期に帝位を奪った王莽について言った言葉。
四衢八街(しくはちがい)
大通りがあらゆる方面に通じた大きな街のこと。 またはそのような大きな街のたとえとして用いられる。 「衢」と「街」はどちらも四方に通じる道のこと。
豕交獣畜(しこうじゅうちく)
獣のように人を扱うこと。 「豕交」は豚と接するように交際すること。 「獣畜」は獣のように扱い養うこと。 人を人として見ずに、獣と同じように扱うことをいう言葉。
思索生知(しさくせいち)
道筋を立ててじっくりと追いながら考えると、よい知恵が生まれるということ。 「思索」は道筋をたてて追いながら考えること。 「生知」は知恵が生まれること。
獅子身中(しししんちゅう)
獅子の体内に寄生する虫が獅子を死なせることから、組織や集団の内部から災いをもたらすこと。
咫尺之地(しせきのち)
非常に狭い土地のこと。 「咫」と「尺」はどちらも距離の単位で、短い距離のたとえ。
至大至重(しだいしちょう)
非常に大きく大切で重要なこと。 「至」は最もよい、この上ないという意味。 「大」は大切で重要なこと。
七行俱下(しちぎょうくか)
読書をする速度が非常に早いこと。 中国の南北時代、宋の孝武帝は、一度に七行の文章を読んだという話から。 「七行(しちぎょう)倶(とも)に下る」とも読む。
七嘴八舌(しちしはちぜつ)
七つの嘴(くちばし)と八つの舌という意味で、たくさんの意見が色々なところから出ること。 または、多くの人々が喋っている様子。
七種菜羹(しちしゅのさいこう)
七種の野菜の汁物。または、七草粥のこと。 「菜羹」は野菜の汁物。 一年の健康を願い、陰暦一月七日に食べる。
七手八脚(しちしゅはっきゃく)
多くの人たちが、それぞれに忙しく動き回っている様子。
七縦七擒(しちしょうしちきん)
敵を捕らえたり逃がしたりを繰り返して、力を見せ付けて屈服させて味方にすること。 「縦」は放つこと。 「擒」は捕まえること。 蜀の諸葛亮が、南蛮王孟獲を七回捕らえては逃がすを繰り返しつつ南部を平定して行き、孟獲も最後には二度と反乱を起こさないと誓ったという故事から。 「七擒七縦」ともいう。
七生報国(しちしょうほうこく)
何度生まれ変わっても、国のために尽力すること。 「七」は数が多いことのたとえ。 「七生」は仏教の言葉で、何度も生まれ変わるということ。 「報国」は国から受けた恩に報いるために尽くすということ。
七十古稀(しちじゅうこき)
昔から七十歳まで生きることが出来る人は稀だということ。 杜甫の詩の「人生七十古来稀なり」という一節に由来して、七十歳を「古稀」と呼ぶようになった。
七縦八横(しちじゅうはちおう)
ひどく混乱して、四方八方に散らばること。軍隊が敗走することのたとえ。
七転八起(しちてんはっき)
七回転んでも八回起き上がるという意味から、何度失敗してもくじけずに奮闘すること。 「七転び八起き(ななころびやおき)」とも読む。
七顛八倒(しちてんばっとう)
激しい苦痛に苦しみもだえること。 「七」や「八」は程度が甚だしいことのたとえで、何度も転がって何度も倒れるという意味から。 「七転八倒」とも書く。
七堂伽藍(しちどうがらん)
寺の主な七つの堂の総称。または、七つの堂の揃っている寺のこと。 「七堂」は、時代や宗派により異なるが、金堂、塔、講堂、鐘楼、経蔵、僧房、食堂のこと。 「伽藍」は寺の建物のこと。
七難九厄(しちなんくやく)
男女とも七と九のつく年齢のときには災厄に遭いやすいという俗信のこと。
七難八苦(しちなんはっく)
様々な苦難や災難のこと。または、災難や苦難にあうこと。 元は仏教語で経典によってことなるが、『観音経』で「七難」は、火難、水難、羅刹難、王難、鬼難、枷鎖難、怨賊難の七つのこと。 「八苦」は、生、老、病、死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦の八つのこと。
七歩之才(しちほのさい)
「七歩」は七歩歩くという意味で、七歩歩く間にすぐれた詩を素早く作る詩の才能のこと。 三国時代、曹植の詩才に嫉妬した曹丕は七歩歩く間に詩を作ることが出来なければ処刑すると命じたところ、即座にすぐれた詩を作ったという故事から。
七歩八叉(しちほはっさ)
詩文の才能にめぐまれていること。 魏の曹植は七歩歩く間に詩を作り、唐の温庭インは八回腕を組む間に八韻の賦を作った故事から。 「叉」は腕を組むこと。
死中求活(しちゅうきゅうかつ)
死ぬ覚悟を持って、困難に立ち向かうこと。 または、絶体絶命の窮地の中で生き延びるための活路を求めること。 「死中」は死を待つしかない状況、「求活」は生き残るための方法を求めること。
尸虫出戸(しちゅうしゅっこ)
死体が埋葬されず、そのままになっている様子。または、葬儀をしっかりと行わないこと。 「尸」は死体のこと。 中国の春秋時代、斉の桓公が死んだ時に葬儀を行うことなく跡目争いが起こり、死体から湧いた虫が戸外へと出てきたという故事から。 「尸虫(しちゅう)戸(と)より出(い)ず」とも読む。
史籀大篆(しちゅうだいてん)
史籀が今までの書体を改変して作った大篆という名前の新しい書体のこと。 「史籀」は中国の周の宣王のときの歴史を記録して、歴史書を編修する史官のこと。 「大篆」は書体の名前。
詩中有画(しちゅうゆうが)
詩の中にすぐれた言葉で景色が表現され、読んだ人がその景色にいるかのように感じられること。 中国の北宋の時代、蘇軾が唐の王維の詩を評価して言った言葉から。 「詩中(しちゅう)に画あり」とも読む。
視聴言動(しちょうげんどう)
見る、聞く、言う、行動するの四つのことで、この四つの礼儀にかなうよう慎むこと。 顔淵が孔子に仁について尋ねると、「礼に基づかないものは見ても聞いても言っても行動してもいけない」と答えた故事から。
詩腸鼓吹(しちょうのこすい)
詩を作る情をかきたてられること。 または、情をかきたてられる鶯(うぐいす)の鳴き声のこと。 「詩腸」は詩を作る情、「鼓吹」は太鼓や笛を鳴らすという意味から勢いづけるや鼓舞するという意味。 六朝時代、宗の戴ギョウが行き先を聞かれ、「鶯の声を聞き世俗に染まった耳を清めて、詩情をかきたてようとしている」と答えた故事から。
四鳥之別(しちょうのわかれ)
親子の悲しい別れのこと。 「四鳥」は四羽の雛鳥のこと。 雛鳥が巣立つときに親鳥が悲しい声で鳴く様子から。 孔子が早朝に悲鳴のような泣き声を聞き、これはなんだろうと弟子の顔回に尋ねると、垣山にいる四羽の雛鳥が巣立とうとしていたときの悲しげな母鳥の声に似ていると答えた。 調べてみると、父親が亡くなり、貧しくて子を売ることになった母親の泣き声だったという故事から。
四鳥別離(しちょうべつり)
雛(ひな)鳥が巣立つときに親鳥が悲しい声で鳴く様子から、親子の悲しい別れのこと。 「四鳥」は四羽の雛鳥のこと。 孔子が早朝に悲鳴のような泣き声を聞き、これはなんだろうと弟子の顔回に尋ねると、垣山にいる四羽の雛鳥が巣立とうとしていたときの悲しげな母鳥の声に似ていると答えた。 調べてみると、父親が亡くなり、貧しくて子を売ることになった母親の泣き声だったという故事から。
七里結界(しちりけっかい)
人や物事を嫌って近づけない、寄せつけないこと。 または、密教で魔障をいれないようにするために七里四方に結界を設けること。
失地回復(しっちかいふく)
奪われた地位や権力、領地などを取り戻すことのたとえ。 「失地」は奪われた土地。 戦争などで奪われた土地を取り戻すという意味から。
七珍万宝(しっちんまんぽう)
多種多様の宝物のこと。 経典により多少違いはあるが、仏教語で「七珍」は、金、銀、瑠璃、シャコ、瑪瑙、玻璃、珊瑚の七種のこと。 「万宝」は多くの種類の宝物という意味。
蝨処褌中(しつしょこんちゅう)
狭い見識の中で満足すること。または、そのように暮らすこと。 「蝨」は昆虫のシラミ。 「褌」は下着のこと。 下着の中に住みついたシラミのことから。 「蝨(しらみ)褌中(こんちゅう)に処(お)る」とも読む。
指天画地(してんかくち)
思ったことをそのまま言ったり、議論したりすることのたとえ。 または、身振り手振りで激しく話しをする様子。 「指天」は天を指差すこと。 「画地」は地に描くこと。 「天(てん)を指し地に画(かく)す」とも読む。
捨根注枝(しゃこんちゅうし)
他の事に気をとられて物事の本質を忘れること。 または、問題の本質を調べることをせずに結果だけを問題にすること。 「捨根」は根を捨てること。 「注枝」は枝に水を注ぎかけること。
舎短取長(しゃたんしゅちょう)
短所や欠点を補わずにすてて、長所だけを伸ばすこと。または、取るに足らないものをすてて、よいものだけに着目すること。 「短」は短所、「長」は長所のこと。 「短(たん)を舎(す)て長(ちょう)を取る」とも読む。
舎本逐末(しゃほんちくまつ)
物事の根幹となる大事なことをいいかげんにして、必要のないことに関心を持つこと。 「舎本」は根本を捨てること。 「逐末」は末節を追うこと。 「本(もと)を舎(す)てて末(すえ)を逐(お)う」とも読む。
秀外恵中(しゅうがいけいちゅう)
主に女性についていう語で、容姿が美しく優しい心を持っていること。または、容姿が美しく賢いこと。 「秀外」は外見が秀でている。 「恵中」は心が優しいや、聡いという意味。
僦櫃質銭(しゅうきちせん)
質屋が取る利息のこと。 「僦櫃」は債務の担保として利息を取ること。
衆口一致(しゅうこういっち)
多くの人たちの意見が一致すること。 「衆口」はたくさんの人の言葉や考え。 「一致」は完全にぴったりと合うこと。
修己治人(しゅうこちじん)
自身の知識を高めて、精神を磨き、徳を積んでから世の中を正しく治めること。 自身の修養に励み、高く積んだ徳で人々を感化して、世の中を平和に正しく治めることをいう。 儒教の根本思想。 「己を修めて人を治む」とも読む。
終歳馳駆(しゅうさいちく)
極めて忙しく、一年中走り回ること。 「終歳」は一年中、いつもという意味。 「馳駆」は走り回る、尽力すること。
周知徹底(しゅうちてってい)
全ての人にしっかりと知れ渡らせること。
集中豪雨(しゅうちゅうごうう)
限られた一定の範囲において、比較的短い時間のあいだに激しく降る雨。
舟中敵国(しゅうちゅうてきこく)
味方が敵になることもあることのたとえ。 行き先が同じ舟に乗っている人は利害が同じだが、状況によっては敵になるという意味から。 為政者への戒めの言葉で、周囲の敵国ばかり気にかけて、内政を怠れば、国内から反逆者が現れて滅ぼされるということ。
集中砲火(しゅうちゅうほうか)
特定の人や場所に、同時に非難や批判を浴びせることのたとえ。 「集中」は一つの場所に集めること。 「砲火」は大砲などの火器を撃ったときに出る火のこと。または、その弾丸のこと。 一つの場所に一斉に砲火を浴びせるという意味から。
取快一時(しゅかいいちじ)
その瞬間の快楽を優先し、一時的な満足を求める態度のこと。 「快(かい)を一時(いちじ)に取(と)る」とも読む。
主義主張(しゅぎしゅちょう)
その組織や人が持ち続けている、意見や考えのこと。 「主義」は常に持ち続けている行動の指針。 「主張」は常に持ち続けている意見や考え。
縮地補天(しゅくちほてん)
政治の構造を大きく変えること。 「地」は実際行われる政治。 「天」は政治の理念。 天子の政治改革をいう言葉で、現実にある様々な問題を引き締めて、政治理念との不足を補うという意味。 「地を縮め天を補う」とも読む。
酒食徴逐(しゅしちょうちく)
互いに招いたり招かれたりして、食事をしたりする仲のよい関係。 「徴逐」は友人が互いに招待し合うこと。
手足重繭(しゅそくちょうけん)
ひどく苦労すること。 「重繭」は手足にたこやまめが何度もできること。 たこやまめが何度もできるほど苦労するということから。
酒池肉林(しゅちにくりん)
極めて贅沢で豪勢な宴会のこと。 または、性的に乱れている宴会のこと。 「酒池」は酒で満たした池のこと。 「肉林」は林の木々に肉を吊るしたもの。 殷の暴君紂王が、酒池と肉林を用意してその中を裸にした男女に追いかけ回らせるという宴会を、昼も夜もなく何日にもわたって開いたという故事から。 「肉林」の”肉”という字には文字通り”肉”の意味しかなく、原文では酒池肉林の後に「男女を裸にして追いかけ回らせる」という意味の文があるため、酒池肉林という言葉自体には「性的に乱れている宴会」という意味は含まれておらず、そのような意味での用い方は本来は誤用である。
春日遅遅(しゅんじつちち)
春の日が心地よく、のんびりとしている様子。 または、春の日が長く、日が暮れるまでの時間が長いこと。 「春日」は春の太陽。 「遅遅」は時間がのんびりと過ぎていくこと。
駿足長阪(しゅんそくちょうはん)
すぐれた能力を持っている人が、自分の才能を試すために、難しいことに挑んでみたいと思うこと。 「駿足」は速く走ることができる馬。 「長阪」は長い距離のある坂道。 速く走ることができる馬は、長く険しい坂道を駆けてみたいと思うという意味から。 「駿足長阪を思う」を略した言葉。 「駿足長坂」とも書く。
春朝秋覲(しゅんちょうしゅうきん)
主君に対する礼をいう言葉。 「朝」は春に主君へ参内して謁見すること。 「覲」は秋に主君へ領地で収穫した作物などを献上すること。
史有三長(しゆうさんちょう)
歴史を記述するためには、文才、学問、見識の三つが必要とされるということ。 中国の唐の時代の歴史家である劉知幾が主張したもの。 「史(し)に三長(さんちょう)あり」とも読む。
将蝦釣鼈(しょうかちょうべつ)
少しの費用や労力で大きな利益を得ること。 海老を餌にしてすっぽんを釣ることから。 「将」は使うこと。 「蝦」は海老。 「鼈」はカメ目スッポン属の動物。 「蝦(えび)を将(もっ)て鼈(べつ)を釣る」とも読む。
小隙沈舟(しょうげきちんしゅう)
些細なことでも軽く見ないで、慎重に取り組むべきであるという戒めの言葉。 「小隙」は少しの隙間。 「沈舟」は舟が沈没すること。 少しの隙間でも、その部分から水が入って舟が沈没してしまうので、少しの隙間にも気をつけるべきであるということから。 「小隙(しょうげき)舟を沈む」とも読む。
正笏一揖(しょうしゃくいちゆう)
重々しく礼儀正しい振る舞いをして、相手に敬意を示すこと。 「正笏」は束帯を身に付けた時に右手に持つ笏を正しく持つ振る舞いのこと。または、そこから礼儀正しいことのたとえ。 「一揖」は軽くお辞儀をすること。
掌中之珠(しょうちゅうのたま)
自分の中で一番大切なもののこと。 または、自分の妻と子どものこと。 手のひらの中にある宝石という意味から。
小懲大誡(しょうちょうたいかい)
軽い刑罰を与えることによって、二度としないように恐れさせて警告すること。 「小懲」は小さな罰を与えて恐れさせること。 「大誡」は強く警告すること。 人徳のない人は、自分の利益にならない仁はしないので、軽い刑罰で脅して、罪を犯さないようにすることが、そのような人には幸福であるということから。 「小(すこ)しく懲(こ)らして大いに戒(いまし)む」とも読む。
祥月命日(しょうつきめいにち)
仏教の言葉で、一周忌を向かえた後の、故人が死んだ月日と同じ月日のこと。 「祥月」は故人の一周忌を向かえた後の、その人が亡くなった月日と同じ月日のこと。 「命日」は故人が亡くなった日と同じ日のこと。
従容中道(しょうようちゅうどう)
自然な振る舞いが、道理に合っていることのたとえ。 「従容」は余裕があり、落ち着いている様子。 「中道」は道に合致すること。 『中庸』では、意識せずに自然な振る舞いが、天の道理に合っていることこそ聖人の道であるとされている。 「従容(しょうよう)として道に中(あ)たる」とも読む。 「縦容中道」とも書く。
少欲知足(しょうよくちそく)
すこしのもので満足すること。 「少欲」は持っていないものをたくさん求めないこと。 「知足」は足るを知るという意味で、持っているもので満足すること。 「欲少なくして足るを知る」とも読む。
綀裳竹笥(しょしょうちくし)
娘の嫁入りの準備をへりくだって言う言葉。 「綀裳」は目の粗い布の衣裳。 「竹笥」は竹で作られた衣装箱。 どちらも粗雑なものであることから、不十分な嫁入りの準備のたとえ。
四六時中(しろくじちゅう)
一日中・いつも・終日という意味。 「四六時」は二十四時間。四掛ける六で二十四になることから。 「中」はその間ずっとという意味。 昔使われていた「二六時中」という言葉が変化したもの。
信疑忠謗(しんぎちゅうぼう)
誠実な言動や信念が疑われ、誹謗中傷される不幸な状況を指す言葉。 「信(しん)にして疑(うたが)われ忠(ちゅう)にして謗(そし)らる」とも読む。
深識長慮(しんしきちょうりょ)
これから先の出来事までしっかりと考えること。 「深識」は判断力や理解力が深いこと。 「長慮」はこれから先のことを深く考えること。
斟酌折衷(しんしゃくせっちゅう)
それぞれの事情や心情を汲み取って、その中間を取ること。 「斟酌」は事情や心情を汲み取ること。 「折衷」は複数の中間を選び取ること。 「斟酌折中」とも書く。
身心一如(しんしんいちにょ)
肉体と精神は一つのものの両面であり、分けることはできないということ。 「一如」は一体であること。 「心身一如」とも書く。
真実一路(しんじついちろ)
真実だけを求めて生きること。 または、誠実に生きること。 「一路」はまっすぐやひたすらという意味。 山本有三の同名の小説によって広まったとされる言葉。
親戚知己(しんせきちき)
血縁関係にある親族と、親しい友人や知人を指す言葉。 「親戚」は血縁者のこと。 「知己」は友人や親しい知人のこと。
心地光明(しんちこうめい)
心が正しく、清く広いこと。 「心地」は心のこと。 「光明」は仏の心身から放たれる、明るく輝く光のこと。