「さ」を含む四字熟語
「さ」を含む四字熟語 — 573 件
尺二秀才(せきじのしゅうさい)
世間で認められていない文字を書く人を非難する言葉。 または、品の無い秀才のこと。 「秀才」は中国の官吏登用試験の科挙を受ける権利を持っている人のこと。または、科挙の試験科目の一つ。 科挙の試験で、「盡」の文字を俗字の「尽」と書いた人を、試験官だった楊万里は、尽の文字を「尺」と「二」に分解して、尺二の受験生と言い、合格させなかったという故事から。
切磋琢磨(せっさたくま)
学問、精神、人格などを努力して磨き上げること。 または、同じ目標を持つ友人同士が競い、励まし合って互いに向上していくこと。 「切磋」と「琢磨」はどちらも学問や精神、人格などを向上させるという意味。 「切磋」の「切」は獣の骨や象牙などを切り出すこと。「磋」はやすりやかんななどで磨き上げること。 「琢磨」の「琢」は槌とのみで宝石や石などの角を削って形を整えること。「磨」は砂と石を使って磨き上げること。 「切瑳琢磨」とも書く。
窃位素餐(せついそさん)
高い地位をもっているだけの無駄飯食い。 または、職務を果たさず、無駄に高い給料を得ていることのたとえ。 「窃位」は才能も人徳もないのに高い地位についていること。 「素餐」は何もせずに食べること。
説三道四(せつさんどうし)
根拠のない適当なことをいうこと。 「説」と「道」は言うこと。 三と言ったり四と言ったりするということから。
浅学短才(せんがくたんさい)
自分のことを謙遜していう言葉で、学問や知識が浅く、才能や能力が乏しいこと。 「浅学」は修練が足りないために、学問や知識が浅いこと。 「短才」は才能がないこと。
浅学非才(せんがくひさい)
学問や知識が浅く、才能や能力が乏しいこと。 自分のことを謙遜していう言葉。 「浅学」は修練が足りず、学問や知識が浅いという意味。 「非才」は才能がない、才能が劣っているという意味。 「浅学菲才」とも書く。
洗垢索瘢(せんこうさくはん)
他人の失敗や欠点をしつこく見つけ出そうとすること。 「索」は探すこと。 「瘢」は傷跡。 人の垢を洗い流すようなことをしても、傷跡を探そうとするという意味から。 「垢(あか)を洗いて瘢(きず)を索(もと)む」とも読む。
仙才鬼才(せんさいきさい)
普通の人と比べ、抜きん出ているすぐれた才能のこと。 「仙才」は仙人の術を習得した才能。 「鬼才」は人並み外れた、ずば抜けた才能。 中国の唐の詩人の李白は仙才、李賀は鬼才と言われていたという故事から。
千錯万綜(せんさくばんそう)
様々なことが複雑に入り混じっていること。 「千」と「万」は数が多いことのたとえ。 「錯」と「綜」は入り組んでいて、絡まりあっていていること。
千差万別(せんさばんべつ)
人や物や事柄には様々な種類や違いがあり、どれひとつをとっても同じものはないということ。 「千」と「万」は、数が多いことのたとえ。 「差」と「別」は、違いや区別という意味。
浅識非才(せんしきひさい)
自分のことを謙遜していう言葉で、学問や知識が浅く、才能や能力が乏しいこと。 「浅識」は修練が足りないために、学問や知識が浅いこと。 「非才」の「非」は「菲」とも書き、野菜のかぶらのことをいい、薄いや劣ったなどの意味から、「非才(菲才)」は才能がないことのたとえ。
煎水作氷(せんすいさくひょう)
絶対に不可能なこと。 または、見当違いなやり方では、目的を果たすことは出来ないということ。 「煎」は煮るということ。 氷を作るために水を煮るという意味から。 「水を煎(に)て氷を作る」とも読む。 「煎水作冰」とも書く。
瞻望咨嗟(せんぼうしさ)
仰ぎ見て、その良さを羨み、ため息をつくこと。 「瞻望」は仰ぎ見て尊敬すること。 「咨嗟」はため息をつくこと。 「羨望咨嗟」とも書く。
曾参殺人(そうしんさつじん)
嘘の話でも、多くの人から何度も繰り返し話を聞かされていると信じてしまうことのたとえ。 「曾参」は人名。孔子の弟子。 ある時、曾参の親類の者が人を殺した。 誰かが誤って、曾参の母親に「曾参が人を殺した」と告げたが、曾参の母親は信じなかった。 しかし、二人目、三人目と同じことを告げに来ると、さすがに話を信じて、機織仕事をやめて家を飛び出したという故事から。
装模作様(そうもさくよう)
見栄を張ったり、上品ぶったりすること。 「装」と「模」はどちらも見た目を着飾ったり、他人の真似をしたりすること。 「作様」は動きの様子。 「装模(そうも)様(よう)を作(な)す」とも読む。
草廬三顧(そうろさんこ)
立場が上の人が礼を尽くして、すぐれた才能のある人を招くこと。 または、立場が上の人が、立場が下の人に礼を尽くして仕事の依頼をすること。 「三顧」は三回訪問することで、古代中国の三国時代に、諸葛亮を迎え入れるために、劉備本人が三回訪問したという故事から。
束手無策(そくしゅむさく)
どうする方法もなく、何もできないこと。 「束」は縛ること。 策略もなく、手も縛られていて何もできないという意味から。 「手(て)を束ねて策無し」とも読む。
麤言細語(そげんさいご)
荒々しい言葉と取るに足らない言葉。 「粗言」は荒々しい言葉。 「細語」は小さな声で話すような言葉。 「粗言細語」とも書く。
粗酒粗餐(そしゅそさん)
質素な酒と食事のこと。 「餐」は食べ物のこと。 人をもてなす時に出す酒や料理を謙遜していう言葉。
損者三友(そんしゃさんゆう)
関わらないほうがよい三種類の友人のこと。 「損者」は利益になることがない友人。 「三友」は体裁だけを取り繕う人、口先だけ達者な人、不誠実な人の三種類の友人のこと。 このような人たちと友人になっても損しかないという意味から。
損者三楽(そんしゃさんらく)
人が楽しむものの中で、害のある三つのもののこと。 欲望の赴くままに振舞うこと、すべきことをせずに遊んで暮らすこと、酒や女性に溺れることの三つをいう。
粟散辺地(ぞくさんへんち)
辺境にある小さな国のこと。 粟の粒が散らばっているかのように、世界の果てにある小さな国という意味から。 中国やインドから見た日本のことをいう場合もある。 「辺地粟散」ともいう。
粟散辺土(ぞくさんへんど)
辺境にある小さな国のこと。 粟の粒が散らばっているかのように、世界の果てにある小さな国という意味から。 中国やインドから見た日本のことをいう場合もある。
大寒索裘(たいかんさくきゅう)
準備や対策を前もってせずに、何かが起きてから慌てること。 「索」は求める、「裘」は皮の上着のことで、寒くなってから皮の上着を求めるという意味から。
対岸火災(たいがんのかさい)
自分には直接関係のない事件、出来事のたとえ。 川の向こう岸で起きた火災という意味で、川があるので向こう岸での火災はこちらに被害が出ることはないことから。
大才晩成(たいさいばんせい)
偉大な人は歳をとってから頭角をあらわすようになること。 「大才」は大きな才能、「晩成」は普通より遅れて形になることで、すぐれた才能は成熟するまでに時間がかかるという意味から。
多才能弁(たさいのうべん)
様々な才能があり、話し上手なこと。 「多才」は様々な才能や知恵があること。 「能弁」は弁舌がすぐれていること。
多士済済(たしさいさい)
優れた能力や才能のある人物がたくさんいること。また、その様子。 「多士」は優れた才能や能力を持っている多くの人たちのこと。 「済済」は数が多くて盛んな様子や、立ち振る舞いの礼儀作法が整っていて立派なこと。 「済」を「さい」と読むことは本来は誤用。 「済済多士」ともいう。
治山治水(ちさんちすい)
山や川などの国土を改修して国民が生活しやすいようにすること。 「治山」は植林などを行って山を整備すること。 「治水」は洪水や土砂崩れなどの水害が起こらないように、河川を整備すること。
鋳山煮海(ちゅうさんしゃかい)
たくさんの財産を蓄えること。 または、山や海の資源が豊かなこと。 「鋳山」は山から銅を採掘して銅貨を作ること。 「煮海」は海水を煮て塩を作ること。 「山に鋳(い)、海を煮る」「山に鋳(い)、海に煮る」とも読む。
兆載永劫(ちょうさいようごう)
限りなく長い時間のこと。 「兆載」は一兆年という意味。 「永劫」は仏教の言葉で、非常に長い時間という意味。
朝三暮四(ちょうさんぼし)
目先のわずかな違いや損益にこだわりすぎて、結局は同じ結果になることが理解できないこと。 または、巧みな言葉や話し方で人を丸め込むこと。 変化しやすく安定しないことや何とか生きていけるだけの生計のことをいう場合もある。 春秋時代、たくさんの猿を飼っていた宋の狙公は生活が急に苦しくなり、自身が食べる分もぎりぎりの状態で仕方なく猿の餌を減らすことにしたが、嫌われるのが嫌だったためにごまかすことにした。 狙公が「どんぐりを朝に三つ、暮に四つにする」と言ったところ猿たちが怒ったため、「それでは朝は四つに増やし、暮は三つにする」と言うと猿たちは朝の数が増えて喜んで納得したという故事から。
朝参暮請(ちょうさんぼしん)
仏教の修行をする者が朝と夕方に寺に行って、住職からの説法を受けること。 「参」は師のところへ行くこと。 「請」は師に教えを請うこと。
張三李四(ちょうさんりし)
どこにでもいるような普通の人のこと。 張氏の三男と李氏の四男という意味。 「張」や「李」という姓は中国では数が多く、三男や四男は重要視されないという意味から。
朝四暮三(ちょうしぼさん)
表面的なわずかな違いや損益にこだわり、結果が同じという本質を理解しないこと。 または、巧みな言葉や話し方で人を丸め込むこと。 変化しやすく安定しないことや、何とか生きていけるだけの生計のことをいうこともある。 春秋時代、たくさんの猿を飼っていた宋の狙公は生活が急に苦しくなり、自身が食べる分もぎりぎりの状態で仕方なく猿の餌を減らすことにしたが、嫌われるのが嫌だったためにごまかすことにした。 「朝にどんぐりを三つ、暮に四つにする」と言ったところ猿たちが怒り、「それでは朝は四つに増やし、暮は三つにする」と言うと猿たちは朝の数が増えて喜んで納得したという故事から。
長者三代(ちょうじゃさんだい)
金持ちの家は親子三代までもてばよいほうだということ。 財産を築いた者の子が財産を使い、孫はさらに財産を浪費するという意味から。
長舌三寸(ちょうぜつさんずん)
人前ではお世辞をいい、その裏では馬鹿にして笑うこと。 「長舌」は思ってもいないお世辞をいうこと。 「三寸」は長さが短いということから、舌先でお世辞をいうことのたとえ。
糶糴斂散(ちょうてきれんさん)
政府が米を豊作の時に買って保存しておいて、凶作の時に安く売ること。 「糶」は穀物を売ること。 「糴」は穀物を買うこと。 「斂」は集めるという意味。 「散」は配布するという意味。 経済政策の一つで、中国の春秋時代の斉の宰相の管仲に始まったとされ、米市場に適切に介入して、価格を安定させることができる。
樗櫟散木(ちょれきさんぼく)
役に立たない人や物のたとえ。 「樗櫟」は木のおうちとくぬぎのこと。 おうちもくぬぎも木材としては使えないという意味から。 主に自分のことを謙遜していう言葉。
陳蔡之厄(ちんさいのやく)
旅先や道中で災難にあうこと。 「陳」と「蔡」はどちらも国の名前。 中国の思想家の孔子が遊説の旅の道中、陳と蔡の国境の近くで兵に囲まれ、身動きが取れなくなったうえに、食料が尽きて苦労したという故事から。
沈竈産蛙(ちんそうさんあ)
非常に激しい洪水のたとえ。 「沈竈」はかまどが水に浸かること。 「産蛙」はかえるが発生すること。 中国の春秋時代、晋の智伯が水攻めをしたときに、城中の人家のかまどが水に浸かり、そのかまどからかえるが発生したという故事から。
鉄網珊瑚(てつもうさんご)
珍しい品物や、素晴らしい才能をもつ人物を得るために探すこと。 海の底に鉄の網を沈めて、それに着生させ、成長したあとに引き上げて珊瑚を採取するという、唐の時代に東ローマ帝国で行われたとされる方法から。
天淵之差(てんえんのさ)
違いの差が非常に大きいこと。 天と淵には大きな開きがあるという意味から。
天下三分(てんかさんぶん)
国が三つに分かれて争い合うこと。 「天下」は国全体のこと。 中国の後漢が滅亡した後に、魏、呉、蜀の三つの勢力に分かれて争い合ったことをいう。
天災地変(てんさいちへん)
自然が変化することが原因で起こる様々な災いのこと。 地震や台風、落雷、洪水、津波などの災害をいう。
天井桟敷(てんじょうさじき)
大きな劇場で、料金が安く、一番天井に近い後ろの客席のこと。 一番奥にあるために見づらく、せりふも聞き取り辛いが、料金が安いため、何度も通う芝居好きの客が多く、演者には重要視された。
天覆地載(てんぷうちさい)
広く大きな人徳や慈愛の心のたとえ。 「天覆」は天が上から広くこの世の全てのものを覆うこと。 「地載」は地が下からこの世の全てのものを載せて支えること。 天地が全てのものを包み込むという意味から、様々なことを受け入れる、人としての器量の大きさをいう。
投閑置散(とうかんちさん)
重要な地位についていないことのたとえ。 「閑」と「散」はどちらもやるべきこのない、自由な時間、暇のこと。または、忙しくない職のこと。 暇な身分について、暇な場所に置かれるという意味から。 「閑(かん)に投じ散(さん)に置く」とも読む。
倒載干戈(とうさいかんか)
戦いが終わって平和になることの形容。 「倒載」は武器を上下逆に積むこと。 「干戈」は盾と矛のことから武器の総称。 殷の紂王を討伐した帰りに、武王が武器を逆に積み、刃を虎の皮で覆って戦いを二度としないと示した故事から。 「干戈(かんか)を倒載(とうさい)す」とも読む。
桃三李四(とうさんりし)
物事を成し遂げるには、それ相応に時間が必要であるということ。 桃が実をつけるには三年が必要で、李が実をつけるには四年の年月が必要であるということから。
当面蹉過(とうめんさか)
すぐ近い位置で見ながら見間違えること。または、目の前にいても誤ってすれ違うこと。 「当面」は目の前ということ。 「蹉過」は間違えること。 「当面に蹉過(さか)す」とも読む。
斗筲之材(としょうのさい)
器量の小さな人のたとえ。 「斗」は一斗の量が入る升。 「筲」は一斗二升の量が入る竹の籠。 どちらも入る量が少ない器のことから。 「斗筲之器」「斗筲之材」「斗筲之子」とも。
咄嗟叱咤(とっさしった)
大きな声で叫びながら叱り付けること。 「咄嗟」と「叱咤」はどちらも叱り付けるという意味。
杜黙詩撰(ともくしさん)
詩や文章にたくさんの間違いがあって、いい加減なこと。 「杜黙」は人の名前。 「詩撰」は詩や文章を作ること。 中国の詩人の杜黙の作る詩や文章は、定型詩の格式にほとんど当てはまっていなかったということから。 「杜撰」という形で使うことが多い言葉。
頓首再拝(とんしゅさいはい)
頭を深く下げて丁寧にお辞儀をすること。 または、手紙の最後に記して敬意を示す言葉。 「頓首」は頭を地面につけてお辞儀をすること。 「再拝」は二度拝むという意味の言葉。
頓知頓才(とんちとんさい)
状況に合わせてすぐに適切な判断ができる知恵や才能のこと。 「頓」は一瞬という意味で、一瞬の間に出てくる知恵をいう言葉。 「頓智頓才」とも書く。
土階三等(どかいさんとう)
質素な建物のたとえ。 「等」は階段の段の数。 宮殿の入り口の階段が土で出来ていて、三段しかないという意味から。 古代中国の伝説の聖天子の尭帝と舜帝の宮殿を言い表した言葉。
独出心裁(どくしゅつしんさい)
表現や発想が他人とは違っていて独創的なこと。 「心裁」は独自の考えや思いつきのこと。 「独り心裁(しんさい)を出(いだ)す」とも読む。
読書三到(どくしょさんとう)
読書をするときに大切な三つのこと。 「三到」は「目到」、「口到」、「心到」の三つの心得のこと。 「目到」は文字を目でしっかりと見ること。 「口到」は声を出して読むこと。 「心到」は集中して読むこと。 中国の宋の朱熹が唱えたもの。
読書三余(どくしょさんよ)
読書をするのに都合のよい三つの余暇のこと。 冬の季節、夜、雨天の日の三つ。 中国の三国時代、魏の董遇が弟子に読書を勧めると、弟子は時間が無いと嘆いたときに諭したという言葉から。
南無三宝(なむさんぼう)
仏門に入り、仏教の三宝を信じて、仏に頼ること。 または、驚いたり失敗したときに「南無三」と略して発する言葉。 「南無」は経典や仏の名前の前につけて、絶対的な信頼を寄せて頼ること(梵語の音訳)。 「三宝」は仏、仏の教え、教えをひろめる僧のこと。
肉食妻帯(にくじきさいたい)
明治以前に浄土真宗以外で禁じられていた、僧侶が肉を食べ、妻を持つこと。
二束三文(にそくさんもん)
売値がとても安いこと。 ほとんど価値がないこと。 「文」は昔使われていた価値の低い貨幣。 「三文」は少しの金額のたとえ。 二束売っても三文(少しの金額)にしかならないということから。 「二束」は「二足」とも書き、農民の副業として多く生産されていた金剛草履という丈夫な草履が、二足でたったの三文という安い値段で売られていたことが語源という説もある。
日常茶飯(にちじょうさはん)
頻繁に起こるような、よくある出来事のこと。 ありきたりな出来事を日常の食事(茶と飯)にたとえた言葉。 「日常茶飯事」や「茶飯事」ともいう。
二転三転(にてんさんてん)
内容や状況、考え、態度などがころころと変わること。
二桃三士(にとうさんし)
策略によって人を自滅させること。 春秋時代、宰相の晏嬰という人物が、わがままな三人の勇士を排除しようと策を練り、君主から二つの桃を贈らせて「三人の勇士の中で功績が大きい二人が食べよ」と言った。 三人のうち二人が自分の功績が大きいと誇って桃を食べたが、実は桃を食べなかった人物が一番功績が大きかったと知り、二人は自害した。 残った一人も「自分だけ生きるのは義にもとる」と自害し、三人を排除したかった晏嬰の狙い通りになったという故事から。
二人三脚(ににんさんきゃく)
二人一組で横に並び、隣り合った足首をひもで結んで走る競走。 また、二人が協力し合って物事を遂行することのたとえ。
入木三分(にゅうぼくさんぶ)
筆勢が非常に強いこと。 または、物事を深くまで的確に追究すること。 「入木」は木に染み込むこと。 「三分」は長さのことで約七ミリのこと。 書家の王羲之は筆勢が強いことで知られていて、文字を記した木を削ってみると、三分の深さまで墨が染み込んでいたという故事から。 書道の別称「入木道(じゅぼくどう)」の語源。
人三化七(にんさんばけしち)
容姿が非常に不細工なこと。 特に女性に対して蔑んで言う言葉。 三割は人間に見えるが、残りの七割は化け物に見えるという意味から。
認奴作郎(にんどさくろう)
物の価値を理解できないこと。 「奴」は召し使いや下僕のこと、「郎」は主人のこと。 召し使いと主人を間違えてしまうという意味から。
年災月殃(ねんさいげつおう)
かつてないほどの不幸な日のこと。 または、次々へと災厄に見舞われ、とてつもなく不幸なこと。 「年災」は天災で穀物がだめになること。 「月殃」は月の不運、報い、天罰などのこと。
燃犀之明(ねんさいのめい)
物事の本質を鋭く見抜く力があることのたとえ。 怪物がいるといわれる深い淵の中で、犀(さい)の角を燃やして探してみると、水の底に本当に怪物がいたという故事から。
年年歳歳(ねんねんさいさい)
「来る年も来る年も」や「毎年、毎年」という意味。 「年年」と「歳歳」はどちらも「どの年も」という意味。 「歳歳年年(歳々年々)」ともいう。
排斥擠陥(はいせきさいかん)
悪意をもって無実の罪に陥れて、押しのけること。 「排斥」は認めずに拒んで退けること。 「擠陥」は悪意を持って無実の罪に陥れること。
白衣宰相(はくいのさいしょう)
地位を持っていないのに、大きな権力を持っている人。または、地位を持っていないのに、宰相のような待遇を受けること。 「白衣」は白い色の服のことで、官位にある人は、官位ごとの決まっている色の服を着たということから、官位のない人のこと。 「宰相」は政務を執る官位の最高位のこと。
白衣三公(はくいのさんこう)
地位も権力も持たないものが出世して高官になること。 「白衣」は白い色の服のことで、官位にある人は、官位ごとの決まっている色の服を着たということから、官位のない人のこと。 「三公」は丞相、太尉、御史大夫という最高権力をもつ三つの官職のこと。 漢の公孫弘は、生まれは平民だったが、出世して丞相になったという故事から。 「白衣より天子の三公となる」を略した言葉。
博学才穎(はくがくさいえい)
学識が豊かで、才能と知恵があること。 「博学」は学問で得た見識が高いこと。 「才穎」は才能と知恵がすぐれていること。
博学多才(はくがくたさい)
幅広い知識があり、様々な優れた才能を持っていること。 「博学」は様々な分野の知識が豊かなこと。 「多才」は様々な才能に恵まれていること。
白砂青松(はくさせいしょう)
海岸の美しい景色を言い表す言葉。 「白砂」は白い砂、「青松」は青々と生い茂った松の林のことで、主に日本の美しい海岸線のことをいう。 「白沙青松」とも書く。
博識多才(はくしきたさい)
幅広く様々な知識があり、様々なことへの優れた才能を持っていること。 「博識」は様々な分野の知識が豊かなこと。 「多才」は様々なことへの才能に恵まれていること。