「こ」から始まる四字熟語
「こ」から始まる四字熟語 — 378 件
呼牛呼馬(こぎゅうこば)
相手に何を言われても、逆らわないこと。 相手に牛と言われれば自分を牛だと思い、馬と言われれば自分を馬だと思うということから。 「牛と呼び馬と呼ぶ」とも読む。
枯魚銜索(こぎょかんさく)
親が生きている間に孝行すべきであるという教え。 「枯魚」は魚を干したもの。 「銜索」は縄を通すこと。 魚の干物は腐らずに長く持ちそうに見えるが、すぐに虫に食われてしまうということから、一見元気に見える親も、いつ死んでしまうか分からないということ。 「枯魚(こぎょ)索(なわ)を銜(ふく)む」とも読む。 「故魚銜索」とも書く。
国威発揚(こくいはつよう)
国家が国外へ威光を示すこと。 「国威」は国家の威光を奮い立たせて、外へ示すこと。 「発揚」は勢いを盛んにすること。
黒雲白雨(こくうんはくう)
空が黒い雲に覆われて、激しい雨が降ってくること。 「白雨」は一時的に降る激しい雨。
黒衣宰相(こくえのさいしょう)
政治に参加しながら大きな権力を持つ僧侶。 「黒衣」は僧侶が身に着ける衣服。 中国の南宋の時代、僧侶の慧琳(えりん)は、政治に参加して権力を振るったことで、人々からそのように呼ばれたことから。
哭岐泣練(こくききゅうれん)
心がけや習慣次第で、人は悪人にも善人にもなるということ。 「哭」は大きな声で泣くこと。 「岐」は分かれ道。 「練」は白い糸。 「哭岐」は楊朱が分かれ道を見て、どちらにも行くことができると気づいて泣いたという故事から。 「泣練」は墨子が白い糸を見て、何色にも染めることができると気づいて泣いたという故事から。 どちらも好きなように選ぶことができ、その選択次第で結果が変わるということをいう。 「岐(き)に哭(こく)き練(れん)に泣く」とも読む。 「哭逵泣練」とも書く。
轂撃肩摩(こくげきけんま)
人や馬車などの行き来が多くて込み合っている様子。 都会の雑踏の様子をいう。 「肩摩」は肩と肩がこすれること。 「轂撃」は車のこしき同士がぶつかること。 人の肩が擦れあい、車のこしきがぶつかりあうほどに密集している様子から。 「轂撃肩摩」ともいう。
刻鵠類鶩(こくこうるいぼく)
手本の真似をしても、似ているだけの別のものになってしまうこと。 または、能力や身分に見合わないことを望んでも得られるものはないということ。 また、優れているものを手本にすれば、それなりのものにはなるということ。 絵を描く才能のない人が大白鳥を描いてもあひるになるという意味から。 「鵠」は大白鳥。 「鶩」はあひる。 「鵠(こく)を刻みて鶩(ぼく)に類(るい)す」とも読む。
告朔餼羊(こくさくのきよう)
昔から続いている習慣や行事などを理由もなく止めるべきではないということのたとえ。または、実質がなくなっていて形式だけが残っていることのたとえ。 「告朔」は、古代中国で、諸侯が天子から受け取った新しい年の暦をいったん祖先の廟に納め、毎月一日に祭事を行い、その月の暦を国内に施行した儀式のこと。 「餼羊」は、その祭事に供えるいけにえの羊。 告朔の意義が廃れて羊を供える儀式だけが残った時、いけにえを廃止しようとしたが、孔子が告朔の儀式が全て廃れてしまうのを惜しんだという故事から。
黒歯彫題(こくしちょうだい)
黒い色に染めた歯と入れ墨をした額のこと。 「題」は額のこと。 古代中国の南方にいた異民族の風習。 「彫題」は「雕題」とも書く。 「彫題黒歯(雕題黒歯)」ともいう。
国士無双(こくしむそう)
国の中で最もすぐれている人のこと。 「国士」は国の中で最もすぐれている人のこと。 「無双」は比べるものが存在しないこと。 古代中国、蕭何という人物が「韓信は国士無双の人物」といって韓信のことを劉邦に推薦した。その話を聞いた劉邦は韓信を指揮官(大将軍)に登用し、後に天下を取ったという故事から。
刻舟求剣(こくしゅうきゅうけん)
時代の変化を知らずに、古い考えや昔からの習慣にこだわって、融通がきかないことのたとえ。 中国の春秋時代、楚の人が舟で川を渡っているときに川に剣を落としてしまったので、慌てて剣を落とした位置を舟に記した。 向こう岸に着いた後に、舟に記した位置をたよりに水中を探したという故事から。 「舟に刻みて剣(けん)を求む」とも読む。
国色天香(こくしょくてんこう)
植物の牡丹の別名。 または、美人を言い表す言葉。 「国色」は国の中にあるものの中で最も美しい色のこと。または、国の中で最も美しい人のこと。 「天香」はこの世のものとは思えないほどのよい香りのこと。 「天香国色」ともいう。
黒貂之裘(こくちょうのきゅう)
非常に価値の高いもののたとえ。 「黒貂」は黒い色の動物のてん。 「裘」は皮衣。 てんの皮衣は、高貴な人が着る高価な服ということから。
黒甜郷裏(こくてんきょうり)
昼寝。 「黒甜」は昼寝。または、ぐっすりと眠ること。 「裏」は中という意味。 昼寝の夢の世界の中という意味から。 「黒甜郷裡」とも書く。
克伐怨欲(こくばつえんよく)
勝ち気、自慢、恨み、貪欲という四つの悪い心。 「克」は必要以上に人に勝とうとすること。 「伐」は自分の功績を誇ること。 「怨」は小さなことでも恨むこと。 「欲」は満たされることなく、欲し続けること。
黒白混淆(こくびゃくこんこう)
善いことと悪いことの区別をごっちゃにすること。 「黒白」は物事の是非や善悪のたとえ。 「混淆」は混ざり合っていること。 「黒白混交」とも書く。
黒白分明(こくびゃくぶんめい)
善いことと悪いことの区別をわかりやすくしていること。 「黒白」は物事の是非や善悪のたとえ。 「分明」は分かりやすく区別されていること。
黒風白雨(こくふうはくう)
暴風雨のこと。 「黒風」はちりやほこりが巻き上がるほどの強い風のこと。 「白雨」は急に降ったり止んだり、強くなったり弱くなったりする雨、にわか雨のこと。
黒風飛雨(こくふうひう)
暴風雨の別称。 「黒風」は砂塵をまき上げ、空を黒くするような強い風。 「飛雨」は激しく打ち付ける雨。
国歩艱難(こくほかんなん)
国の状態がよくならず、国家が滅びそうになっていること。 「国歩」は国の歩み、国の運命のこと。 「艱難」はひどく苦しむこと。
国民主権(こくみんしゅけん)
国家を統治するための、最も大きな権力は国民が持っているという考え。 「主権」は国家の最も大きい権力。
鵠面鳩形(こくめんきゅうけい)
飢えて痩せ細っている人の様子。 「鵠面」は鳥のくぐいのようにやせほそった顔のこと。 「鳩形」は鳩のように腹がへこんでいて、胸が突き出た体型のこと。 「鳩形鵠面」ともいう。
鵠面鳥形(こくめんちょうけい)
飢えと疲労で痩せ細って、衰えている様子。 「鵠面」は鳥の白鳥のように痩せ細った顔のこと。 「鳥形」は鳥のように痩せ細っていること。
国利民福(こくりみんぷく)
国の利益と国の人々の幸せのこと。
孤苦零丁(こくれいてい)
社会的地位や身分、財産などを失い、身寄りもなく苦労すること。 「零丁」は落ちぶれて身寄りのないこと。 「孤苦」は親がいなくて苦労すること。 晋の李密が武帝からの任官を辞退するときの上奏文で使われた言葉。 「孤苦零丁」ともいう。
刻露清秀(こくろせいしゅう)
さっぱりとしていて、すがすがしい秋の景色のこと。 「刻露」は秋になって、木の葉が落ちて、山の姿がはっきりと現れること。 「清秀」は空気が澄んでいて、眺めがよいこと。
孤軍奮闘(こぐんふんとう)
援軍が来ることを期待できない状態で必死に戦うこと。 または、他人の手助けを受けることなく、難しい仕事をこなすために一人で必死に努力すること。 「孤軍」は味方から離れ、援軍が期待できない状態にある、少数の部隊のこと。 「奮闘」は全力を出して戦うこと。 味方から孤立し援軍も期待できない小数の部隊が、全力で敵軍と戦うという意味から。
虎渓三笑(こけいさんしょう)
あることに夢中になって、他のことを全て忘れてしまうこと。 「虎渓」は中国の江西省の廬山にあったとされる谷の名前。 「三笑」は三人で笑うこと。 中国の東晋の高僧の慧遠は、廬山の寺にこもって、虎渓よりも外に出ないと誓っていたが、詩人の陶潜と道士の陸修静を見送るときに話に夢中になり、虎の吠える声で虎渓を超えてしまった事に気づき、三人で大笑いしたという故事から。
虎穴虎子(こけつこし)
危険なことをしなければ、大きな利益や功績を得ることはできないということ。 「虎子」は虎の子ども。 虎の子どもを捕らえるためには、危険な虎の巣穴に入るしかないという意味から。 「虎穴に入らずんば虎子を得ず」を略した言葉。
古言古義(こげんこぎ)
昔から伝わっている格言や金言のこと。 「古義」は昔から伝えられているものの意味を明らかにすること。
孤行一意(ここういちい)
誰の意見も聞かずに自分の考えだけで行動すること。 「一意」は一つのことに専念すること。 「孤行」は一人で行くこと。 相手の意見に左右されない公平さのたとえとして用いることもある。 「孤行一意」ともいう。
股肱羽翼(ここううよく)
主君を補佐する人のこと。 「股肱」は手足のことで、一番信頼できる人物のたとえ。 「羽翼」は鳥の羽と翼のことから、左右から助けること、補佐のたとえ。
孤高狷介(ここうけんかい)
意志を曲げずに、他人と協力しないこと。 「狷介」は自分の意志を固く守り、決して妥協しないこと。 「孤高」は自分一人の狭い視野だけを信じること。 「孤高狷介」ともいう。
枯槁之士(ここうのし)
地位や財産などを失い、痩せ衰えた人のこと。 または、隠居している人のたとえ。 「枯槁」は植物が枯れるということから、人が痩せ衰えること。
股肱之臣(ここうのしん)
君主の信頼できる家臣。 または、そのような部下のこと。 「股」は足のもも。 「肱」は腕のひじ。 どちらも人が動くために大切な部分ということから、なくてはならない大切なものをいう。
股肱之力(ここうのちから)
主君を補佐する能力。 または、全身の力。 「股肱」は手足のことで、一番信頼できる人物のたとえ。
虎口余生(ここうよせい)
極めて危険な状況から、奇跡的に助かること。 「虎口」は虎の口のことから、極めて危険な目に遭うことのたとえ。 「余生」は死にそうな状況から生き残ること。
個個別別(ここべつべつ)
一つひとつ。ひとりひとり。 「個別」を重ねて強調した言葉。
古今東西(ここんとうざい)
昔から今までの全ての場所。いつでもどこでも。 「古今」は過去から現在まで。 「東西」は東から西までの全ての場所のこと。 「東西古今」ともいう。
古今独歩(ここんどっぽ)
過去から現在まで、比べるものが存在しないほどすぐれていること。 「古今」は過去から現在までということ。 「独歩」は他と比べることができるものがないということ。
古今無双(ここんむそう)
過去から現代まで、比べるものが存在しないほどすぐれていること。 「古今」は過去から現在までということ。 「無双」は匹敵するものがないということ。
孤雌寡鶴(こしかかく)
夫を失い、一人になった女性のたとえ。 「孤雌」はつがいの雄を失って孤独な雌。 「寡鶴」はつれあいのいない鶴のこと。
狐死首丘(こししゅきゅう)
生まれ育った地を忘れないことのたとえ。 または、物事の根本を忘れないことのたとえ。 狐は、死ぬときに生まれ育った丘に頭を向けて死ぬということから。 「狐(きつね)死して丘に首(かしら)す」とも読む。
虎視眈眈(こしたんたん)
力のあるものが、機会をじっくりと窺っている様子。 「虎視」は虎が獲物をじっくりと狙うこと。 「眈眈」は睨む、見下ろすという意味。 虎が獲物を鋭く見つめて、襲う機会をじっくりと待っている様子から。
狐死兎泣(こしときゅう)
仲間の不幸を悲しみ、同情すること。 「狐」と「兎」は徳の低い人、悪人のたとえ。 悪人同士が悲しみ合うことをいう。 「狐(きつね)死して兎(うさぎ)泣く」とも読む。
去此不遠(こしふおん)
この世から極楽浄土は西のはるか遠くにあるとされるが、仏の教えを信じ、心に法を観じることで、実際にはこの世から遠くないという意味の仏教語。 仏教の教えにおいて、極楽浄土への道は物理的な距離ではなく、心の在り方次第で近く感じられるものとされる。 「此(ここ)を去ること遠からず」とも読む。
顧小失大(こしょうしつだい)
目の前の小さな利益を得ようとして、大きな利益を失うこと。 「小」と「大」は利益の規模のこと。 「小を顧(かえり)みて大を失う」とも読む。
孤掌難鳴(こしょうなんめい)
何かを成そうとしても、一人ではどうすることもできないということ。 「孤掌」は片手の手の平のことで、拍手は片手ではできないということから、協力しなければできないということのたとえ。 「孤掌(こしょう)鳴り難(がた)し」とも読む。
虎嘯風生(こしょうふうしょう)
すぐれた能力を持つ人が機会を得て奮起することのたとえ。 「虎嘯」は虎が吠えること。 「風生」は風が発生すること。 虎が吠えて風が激しく巻き起こるという意味から。 「虎(とら)嘯(うそぶ)いて風(かぜ)生(しょう)ず」とも読む。
虎嘯風冽(こしょうふうれつ)
聖人が君主になると、それにともなってすぐれた臣下が現れることのたとえ。 虎が吠えると風が冷たくなるという意味から。 「虎(とら)嘯(うそぶ)きて風(かぜ)冽(つめた)し」とも読む。
古色蒼然(こしょくそうぜん)
とても古びている様子。 または、古びていて趣のあること。 「古色」は古くなったことで出る独特の色合いのこと。 「蒼然」は古びて、色が薄くなったり変わったりしていること。
枯樹生華(こじゅせいか)
ひどく困難なことの最中に、その状況を抜け出す方法を見出すこと。 または、歳をとって衰えた老人に生気が戻ること。 枯れた木に花が咲くということから。 元は真心が相手に通じることをたとえた言葉。 「枯樹(こじゅ)華(はな)を生ず」とも読む。 「枯樹生花」とも書く。
孤城落日(こじょうらくじつ)
繁栄していたものの勢いが衰えて、助けてくれるものもなく寂しい様子。 「孤城」は援軍が来ない城のこと。 「落日」は西に沈む日のこと。 孤立していて助けもなく、攻め落とされる寸前の城が夕日に照らされていてさびしい様子をいう。
故事来歴(こじらいれき)
昔から伝わっている事柄の由来や歴史。 「故事」は昔から伝わっている出来事や物語。 「来歴」は物事の歴史や起源。 「古事来歴」とも書く。
古人糟魄(こじんのそうはく)
賢者や聖人の本質や真髄は、言葉や文字で伝えることはできないということ。 「古人」は昔のすぐれた人、賢者や聖人のこと。 「糟魄」は酒かすのこと。 言葉や文字で伝えることのできる知恵は、酒かすのように残りかすでしかないという意味から。 老荘思想の言葉で、書物で学問をすることを否定する言葉。 「古人糟粕」とも書く。
胡説乱道(こせつらんどう)
辻褄が合わないでたらめな議論や言葉。 「胡説」はでたらめな議論。 「乱道」はいい加減なことを言うこと。または、そのようなことを言って道理を乱すこと。
鼓舌揺脣(こぜつようしん)
好き放題に思ったことを喋ること。 「鼓舌」は舌を鳴らして喋ること。 「揺脣」は唇を動かすこと。 どちらも勢いよく喋ることのたとえ。 「揺脣」は「揺唇」とも書く。 「揺脣鼓舌(揺唇鼓舌)」ともいう。
胡孫入袋(こそんにゅうたい)
民間にいた人が、公職についたために自由が無くなること。 または、物事を自由に行えないこと。 「胡孫」は動物の猿の別称。 猿が袋の中に入れられるという意味から。 「胡孫(こそん)袋に入(い)る」とも読む。
涸沢之蛇(こたくのへび)
互いが利用し合い、どちらも利益を得ること。 「涸沢」は干上がった沢。 干上がった沢に住んでいた大蛇が、人に殺されないために小さな蛇と協力して、互いの尾を口に含んで、小さい蛇を大蛇が背負って道を通ると、人々は小さな蛇を神と恐れ、二匹とも無事に他の場所へ移動したという寓話から。
誇大妄想(こだいもうそう)
現在の自身の地位・財産・能力などを、実際のものより大きく評価して、事実であるかのように思い込むこと。 「誇大」は大げさに言ったり、考えたりすること。 「妄想」は自分だけの勝手な基準で作られた、根拠のない信念。
壺中之天(こちゅうのてん)
酒を飲んで世間のことを忘れること。 または、現世から離れた理想郷のこと。 「天」は世界のこと。 中国の後漢の時代、壺公という薬売りが、店先に置いていた壺の中に入るところを見かけた役人の費長房は、その壺の中に入れてもらうと、多くのご馳走が並ぶ理想郷だったという故事から。
胡蝶之夢(こちょうのゆめ)
自分とものとの区別がなくなって、全てのものが一つのものとする万物一体の境地のこと。または、人の生がはかないことのたとえ。または、夢と現実の境がはっきりと区別できなくなること。 荘子が胡蝶になって遊ぶ夢をみて、目が覚めると夢で胡蝶になったのか、胡蝶が夢をみて自分になったのかわからなくなったという故事から。
克己復礼(こっきふくれい)
欲望や感情に打ち勝ち、礼儀にかなった言動をすること。 「克己」は自分の欲望、感情に打ち勝つこと。 「復礼」は礼の本質に立ち返り、礼の道に従うこと。 顔淵が師である孔子に「仁」について聞くと、「己に克ちて礼に復す」と答えたという故事から。
刻苦学儒(こっくがくじゅ)
たいへんな苦労をしながら勉学に取り組むこと。 中国の唐の時代、韓愈(かんゆ)は幼いころに孤児となったが、自ら勉学に励んで立派な学者になったという故事から。 「刻苦(こっく)、儒(じゅ)を学ぶ」とも読む。
刻苦精進(こっくしょうじん)
自身を傷つけるほどに専念して努力すること。 「刻苦」は自身の心身を苦しめるほどに努力すること。 「精進」は苦労しながらも努力すること。
刻苦精励(こっくせいれい)
苦労しながらも、全力で仕事や勉強をすること。 「精励」は仕事や勉強をひたすら頑張ること。 「刻苦」は自分の身を刻むような苦労をすること。 「刻苦精励」ともいう。
刻苦勉励(こっくべんれい)
苦労しながらも、全力で仕事や勉強に励むこと。 「刻苦」は自分の身を刻むような苦労をすること。 「勉励」は仕事や勉学に務め励むこと。
刻苦問学(こっくもんがく)
苦労しながら勉学に取り組むこと。 「刻苦(こっく)、学(がく)を問(と)う」とも読む。
国君含垢(こっくんがんこう)
君主は将来のことを考えて、一時的な恥は耐えるべきであるという教え。 または、君主には臣下の失敗を許す度量が必要であるという教え。 「垢」は垢、汚れという意味から、恥や失敗のたとえ。 「国君(こっくん)垢(こう)を含む」とも読む。
滑稽洒脱(こっけいしゃだつ)
文章や話が機知に富んでいて、俗気がなく洗練されていること。 「滑稽」は弁舌が上手く、思うように出来ること。 「洒脱」はさっぱりとしていて洗練されていること。
滑稽之雄(こっけいのゆう)
次々と様々な知恵が出てくる賢い人。 「滑稽」はすぐれた表現で、是非を言いくるめること。または、そのような人のこと。
骨騰肉飛(こっとうにくひ)
心も体も躍動すること。 または、美しい女性を見て、情欲が沸き立つ様子のこと。 元は、兵士が戦場を勇敢に走り回る様子をいう言葉。 「骨(ほね)騰(おど)り肉(にく)飛ぶ」とも読む。
木端微塵(こっぱみじん)
極めて細かく砕けること。 「木端」は材木の切れ端のことで、つまらないもののたとえ。 「微塵」は細かい塵や埃のことで、非常に細かいもののたとえ。
乞食行脚(こつじきあんぎゃ)
仏教の僧侶が、人家の戸口に立って食べ物をもらいながら旅をすること。 仏教の言葉で、修行のためにおこなうもの。
骨肉相食(こつにくそうしょく)
親子や兄弟など、肉親同士で激しく争うこと。 「骨肉」は肉親のたとえ。 「相食」はお互いに食べ相うということ。 「骨肉(こつにく)相(あい)食(は)む」とも読む。
骨肉之親(こつにくのしん)
家族のこと。 または、親しい関係の愛情が深いこと。 「骨肉」は骨と肉のように離れがたい関係という意味から、近い血縁者、肉親。 「親」は親しさという意味。
固定観念(こていかんねん)
強く思い込んでいて、変えることの難しい考えのこと。 「固定」は一定の状態から変化しないこと。 「観念」は物事に対する意識や考えのこと。 一つの考えに拘束され、適切な判断ができないという悪い意味で使われることが多い言葉。
虎擲竜挐(こてきりょうだ)
英雄と英雄が戦うことのたとえ。 「擲」は投げつけること。 「挐」はつかみ合うこと。 虎と竜が激しく打ち合うという意味から。 「竜挐」は「りゅうだ」とも読む。 「竜挐虎擲」ともいう。
涸轍鮒魚(こてつのふぎょ)
危険や困難が迫っていることのたとえ。 また、切迫した状況にある人のたとえ。 「涸」は水が枯れること。 「轍」は車輪の跡、わだちのこと。 「鮒魚」は魚の鮒(ふな)のこと。 水がなくなった車輪の跡にいる鮒という意味から。 荘子が監河侯に米を借りに行ったが、監河侯から「近々年貢が入るのでその後に貸しましょう」と言われた。 それを聞いた荘子は、「ここに来る途中で水が枯れた車輪の跡にいる鮒に水をくださいと助けを求められました。そこで私は、後で川の水を持ってきてあげようと答えました。しかし鮒は、水が欲しいのは今だと言って怒ってしまいました」というたとえ話をして窮状を訴えたという故事から。
