「同」を含む四字熟語一覧
同を含む四字熟語の一覧です。
五十音順に表示しています。
阿附雷同(あふらいどう)
自分の考えなどなく、周りの意見にむやみに同調すること。 「阿附」は自分の考えなく他人の意見に賛同すること。 「雷同」は雷の轟きで、物が共振するということ。
異曲同工(いきょくどうこう)
見た目は違っているが、手法や技術に大きな差がないこと。 「曲」は音曲のこと。 「工」は技術、技巧のこと。 同じ技巧の音曲でも味わいが異なっていたり、同じ技巧の詩文でも趣が異なっていること。 「同工異曲」ともいう。
異口同音(いくどうおん)
全員が同じことを言うこと。 または、全員の意見が一つに揃うこと。 「異口」は多くの自分以外の口。 「同音」は口をそろえて言うこと。
異口同音(いこうどうおん)
全員が同じことを言うこと。 または、全員の意見が一つに揃うこと。 「異口」は多くの自分以外の口。 「同音」は口をそろえて言うこと。
医食同源(いしょくどうげん)
日常の食生活に気を配ることが、一番の病気予防になるということ。 「医食」は医薬と食事。 「同源」は根本が同じであるということ。 病気を治すために飲む薬と日常の食事は、どちらも健康を維持するためのものであり、根本は同じであるということから。
異体同心(いたいどうしん)
それぞれ異なる体を持っているが、心は強く結ばれていること。 「異体」は異なる体のこと。 「同心」は心が同じであること。 おもに夫婦や親しい人間関係などの深い関係をいう言葉。
一味同心(いちみどうしん)
同じ目的をもって結束すること。または、同じ目的をもち集まり、心を一つにした同志、仲間のこと。 「一味」は同じ目的をもつ同志、仲間のこと。 「同心」は志を同じくすること。
一視同仁(いっしどうじん)
差別することなく、全ての人を平等に慈しむこと。 「一視」は一つのものとして見ること。 「仁」は愛するという意味。 「同仁」は全てのものを同じように愛するという意味。 「同仁一視」ともいう。
一心同体(いっしんどうたい)
複数の人が心を一つにして、まるで一人の人であるかのように固く結びつくこと。 「一心」は複数の人が心を一つにすること。 「同体」は一つの体のようになること。 夫婦の愛情や友人との信頼などのことをいう言葉。
異路同帰(いろどうき)
やり方が違っていても結果は同じになるということのたとえ。 違う道を通っていても、同じ場所に到着するという意味から。 「路(みち)を異(こと)にして帰りを同じうす」とも読む。
偕老同穴(かいろうどうけつ)
夫婦の仲がいつまでも良好であること。 「偕老」は夫婦が一緒に年老いていくこと。 「同穴」は同じ墓に入ること。
嫁娶不同(かしゅふどう)
嫁入りと嫁取りがうまくいくというやり方のこと。 自分の家よりもよい家に嫁入りさせ、自分より劣っている家から嫁取りをすると、嫁いだ家に誠意と慎みをもって仕えるのでうまくいくということ。 「嫁娶」は嫁入りと嫁取り。 「嫁娶(かしゅ)、同じからず」とも読む。
禍福同門(かふくどうもん)
不幸と幸福はどちらも人が原因となって生じるものであるということ。 「禍」は災難、不幸。 「福」は幸い、幸福。 「禍福(かふく)、門を同じうす」とも読む。 この言葉の後ろに「利と害とは隣(となり)を為(な)す」と続く。
牛驥同皁(ぎゅうきどうそう)
すぐれている人と愚かな人が同じ待遇を受けること。 「驥」は一日で千里の距離を走ることができるすぐれた馬。 「皁」は牛や馬の餌を入れる飼い葉桶のこと。 牛とすぐれた馬が同じ飼い葉桶で餌を食べるということから。 「牛驥皁を同じうする」とも訓読する。
玉石同匱(ぎょくせきどうき)
すぐれているものも、劣っているものも同じように扱われること。 「匱」は大きな木箱のこと。 大きな木箱に宝石と石を一緒に入れるということから。 「玉石(ぎょくせき)匱(き)を同じくす」とも読む。
玉石同砕(ぎょくせきどうさい)
すぐれているものや劣っているもの、賢者や愚者などがともに滅びてなくなること。 宝石も石も一緒に砕けてなくなるという意味から。
形影相同(けいえいそうどう)
心の善悪が行動に出ること。 「形影」は形と影。 形が曲がれば影も曲がり、形がまっすぐであれば影もまっすぐであるように、心が正しければ行いも正しいということ。
刑名参同(けいめいさんどう)
口に出して言った言葉と行動を完全に合わせること。 「形」は行動、「名」は言葉、「参同」は比較して一致させること。 中国の戦国時代、韓非子ら法家が唱えた基本的な思想で、実際に起こした行動や功績と、臣下が言ったことや地位を比較して、それが合っているかどうかで賞罰を決めること。 「刑名参同」とも書く。
形名参同(けいめいさんどう)
口に出して言った言葉と行動を完全に合わせること。 「形」は行動、「名」は言葉、「参同」は比較して一致させること。 中国の戦国時代、韓非子ら法家が唱えた基本的な思想で、実際に起こした行動や功績と、臣下が言ったことや地位を比較して、それが合っているかどうかで賞罰を決めること。 「刑名参同」とも書く。
堅白異同(けんぱくいどう)
辻褄の合わない無茶な論理を展開すること。詭弁。 中国の戦国時代の趙の公孫竜の詭弁のことで、堅くて白い石を見ると白いことはわかるが堅さは分からない、手で触って堅さを調べると色は分からないので、堅くて白い石は存在しないというもの。
堅白同異(けんぱくどうい)
辻褄の合わない無茶な論理を展開すること。詭弁。 中国の戦国時代の趙の公孫竜の詭弁のことで、堅くて白い石を見ると白いことはわかるが堅さは分からない、手で触って堅さを調べると色は分からないので、堅くて白い石は存在しないというもの。
解脱同相(げだつどうそう)
僧侶が着る服装、袈裟のこと。 「解脱」は煩悩の迷いから開放されて悟りの境地に達すること。 「幢相」は寺の庭に立て、小さな旗のついた幢に袈裟の形が似ているということから。 「解脱幢相衣」を略した言葉。 「解脱同相」とも書く。
公私混同(こうしこんどう)
公的なことと私的なことを区別せずに扱うこと。 主に個人的な利害のために公的なことを利用することをいう。 「公私」は公的なことと私的なこと。 「混同」ははっきりと分けなければならないものを区別せずに一緒にすること。
呉越同舟(ごえつどうしゅう)
互いに仲が悪い人たちや、互いに敵対関係にある人たちが同じ場所にいたり、同じ境遇にあること。 もとは、そのような人たちでも利害が同じ場合は協力し合うという意味。 「呉」と「越」は中国の春秋時代の国の名前。 「同舟」は同じ舟に乗ること。 孫子が「長い間、敵対関係にある呉と越の国の人たちが、同じ舟に乗っていて転覆しそうになったときには、たとえ敵同士であっても助け合うだろう」と言ったという故事から。
産学協同(さんがくきょうどう)
産業界と教育機関が互いに協力して、研究や技術者の育成をすること。 「産」は産業界。 「学」は教育機関。 「協同」は心や力を合わせて取り組むこと。
四海同胞(しかいどうほう)
人と接するときにまごころと礼儀を持てば、人は兄弟のように親しくなれること。または、親しくするべきだということ。 「四海」は四つの方向の海のことから全世界という意味。
次第不同(しだいふどう)
決まった順序通りになっていないこと。
殊域同嗜(しゅいきどうし)
別の国の人と自分の趣味や嗜好が同じなこと。 「殊域」は外国のこと。 「同嗜」は同じ趣味を持っていること。
殊塗同帰(しゅとどうき)
手段や方法など道筋は違っていても、結果や結論は同じところにたどり着くこと。 「殊塗」は異なる道筋のこと。 「同帰」は同じところに状態や結果が落ち着くこと。 「同帰殊塗」ともいう。
笙磬同音(しょうけいどうおん)
人々が心を合わせて協調し、仲良くする様子のたとえ。 「笙」と「磬」はそれぞれ古代中国の管楽器と打楽器。 「同音」はこれらの楽器が協調して美しい音を作り出すこと。 「笙磬(しょうけい)音(いん)を同じくす」とも読む。
随類応同(ずいるいおうどう)
人それぞれの性格や能力に合わせて指導すること。 「随類」は種類ごとに合わせること。 「応同」は同じ仲間に応えること。 元は仏教語で、相手の素質や能力に合わせて、菩薩が理解できるように仏の教えを説くことをいう。 「類(るい)に従(したが)い同(どう)に応ず」とも読む。
千里同風(せんりどうふう)
天下が一つにまとめあげられていて、平和に治まっていること。 「千里」ははるか遠くまでということ。 「同風」は風俗が同じものになるということから、同じ国になることのたとえ。
楚越同舟(そえつどうしゅう)
互いに仲が悪い人たちや、互いに敵対関係にある人たちが同じ場所にいたり、同じ境遇にあること。 もとは、そのような人たちでも利害が同じ場合は協力しあうという意味。 「楚」と「越」は中国の春秋時代の国の名前、「同舟」は同じ舟に乗ること。 長い間、敵対関係にある楚と越の国の人たちが、同じ舟に乗って転覆しそうになったときは、敵同士であっても助け合うだろうと「孫子」が言ったという故事から。
啐啄同時(そったくどうじ)
絶好の機会のこと。また、学ぶ者と指導者の呼吸がぴったり合うこと。 「啐」は、雛(ひな)がかえろうとするとき、殻の中で泣く声のこと。 「啄」は、親鳥が卵の殻を外からつついて、雛が出てくるのを助けること。 禅宗で、弟子が悟りを開くまであと一歩というとき、師匠がすかさず指導して悟りを得られるようにすることをいう。
大異小同(だいいしょうどう)
一致する部分は少しあるが、全体的に大きく異なっているということ。 「大異」は大部分が異なっていること。 「小同」は細かい部分が似ていること。
大同小異(だいどうしょうい)
小さな違いがあって完全に同じではないが、ほぼ同じこと。 大きな差がないこと。 「大同」は大まかには同じものであること。 「小異」は少しだけ差や違いがあること。
大同団結(だいどうだんけつ)
複数の政党や団体などの目的を持った人々の集まりが、一つの大きな目的のために、政党や団体などの各々の意見の違いを超えて力を合わせること。 日本の明治時代、一八八六年~一八八九年に発生した自由民権運動各派による反政府統一運動が有名。
敵愾同仇(てきがいどうきゅう)
恨んでいる相手に共に立ち向かうこと。 「同仇」は同じ人物を恨むべき相手とすること。 「敵愾」は怨んでいる相手に向かっていくこと。 「敵愾同仇」ともいう。
党同伐異(とうどうばつい)
事の善し悪しに関わらず、とにかく仲間の味方をして対立する相手を攻撃すること。 「党」は仲間のこと。 「異」は対立する相手のこと。 「同じきに党(むら)がり異なるを伐(う)つ」とも読む。 「伐異党同」ともいう。
同甘共苦(どうかんきょうく)
苦しいことも楽しいことも分かち合うこと。 「甘(かん)を同じくし苦を共にす」とも読む。
同帰殊塗(どうきしゅと)
手段や方法など道筋は違っていても、結果や結論は同じところにたどり着くこと。 「殊塗」は異なる道筋のこと。 「同帰」は同じところに状態や結果が落ち着くこと。 「同帰殊塗」ともいう。
同気相求(どうきそうきゅう)
気の合う者同士は互いに求め合い、自然と集うようになること。 「同気」は気の合う仲間や同じ性質の者のこと。 「相求」は互いに求め合うこと。
同軌同文(どうきどうぶん)
天下が統一されること。 「同文」は使う文字を統一すること。 「同軌」は車の車輪の幅を統一すること。 使う文字や車輪の幅を統一するという意味から、天下が統一されていることのたとえ。 「文を同じくし軌(き)を同じくす」とも読む。 「同軌同文」ともいう。
同仇敵愾(どうきゅうてきがい)
恨んでいる相手に共に立ち向かうこと。 「同仇」は同じ人物を恨むべき相手とすること。 「敵愾」は怨んでいる相手に向かっていくこと。 「敵愾同仇」ともいう。
同気連枝(どうきれんし)
血のつながりのある、兄弟姉妹のこと。 「連枝」は連なっている枝のことで、兄弟姉妹のたとえ。 同じ気質があり、枝と枝が連なっている木という意味から。 「気を同じくして枝を連(つら)ぬ」とも読む。
同衾共枕(どうきんきょうちん)
男女が同じ布団で睦まじく寝て、情愛を交わすこと。 「衾」は布団や夜具のこと。 同じ布団で枕を共にするという意味から。
同工異曲(どうこういきょく)
見た目は違っているが、手法や技術に大きな差がないこと。 「曲」は音曲のこと。 「工」は技術、技巧のこと。 同じ技巧の音曲でも味わいが異なっていたり、同じ技巧の詩文でも趣が異なっていること。 「同工異曲」ともいう。
同始異終(どうしいしゅう)
原因が同じでも、状況が違えば結果も変わるということ。 「同始」は始まりが同じであること。 「異終」は終わりが違うこと。 「始めを同じくするも終わりを異にす」とも読む。
同室操戈(どうしつそうか)
兄弟、または、身内で争うことのたとえ。 「同室」は同じ部屋で暮らす人という意味から、家族や身内のこと。 「操戈」は武器のほこを持つという意味から、争い合うことのたとえ。 「同室(どうしつ)戈(ほこ)を操(と)る」とも読む。
同床異夢(どうしょういむ)
立場や仕事が同じでも、考え方や目的が違うこと。 同じ寝室に寝ていても、見る夢の内容はそれぞれ違うという意味から。
同床各夢(どうしょうかくむ)
立場や仕事が同じでも、考え方や目的が違うこと。 同じ寝室で寝ても、見る夢の内容はそれぞれ違うという意味から。
同心協力(どうしんきょうりょく)
心を一つにして、皆と力を合わせて物事に取り組むこと。
同心戮力(どうしんりくりょく)
心を合わせて協力すること。 「同心」は心を合わせること。 「戮力」は力を合わせること。 「心を同じくして力を戮(あわ)す」とも読む。 「戮力同心」ともいう。
同而不和(どうじふわ)
こびへつらって調子を合わせているが、親しみは持っていないこと。 孔子が、くだらない人間との付き合い方について言った言葉。 「同じて和(わ)せず」とも読む。
同仁一視(どうじんいっし)
差別することなく、全ての人を平等に慈しむこと。 「一視」は一つのものとして見ること。 「仁」は愛するという意味。 「同仁」は全てのものを同じように愛するという意味。 「同仁一視」ともいう。
同声異俗(どうせいいぞく)
生まれながらにして持っている素質は同じだが、教育や生活の環境によって人格に差が生じること。 教育の重要性を説いた荀子の言葉で、赤子の泣き声は同じでも、民族が違えば異なる風俗や習慣を身につけるということ。 「声を同じくして俗を異にす」とも読む。
同病相憐(どうびょうそうれん)
同じ境遇にあって、同じ苦しみを持つ者同士はお互いに同情する気持ちが強いということ。 同じ病気になった者同士が互いに慰めあうという意味から。 「同病相憐れむ」という形で用いることが多い言葉。
同風一俗(どうふういちぞく)
全国のしきたりや、ならわしが同じものになり、統一されること。 「風(ふう)を同じく俗を一(いつ)にす」とも読む。
同文同軌(どうぶんどうき)
天下が統一されること。 「同文」は使う文字を統一すること。 「同軌」は車の車輪の幅を統一すること。 使う文字や車輪の幅を統一するという意味から、天下が統一されていることのたとえ。 「文を同じくし軌(き)を同じくす」とも読む。 「同軌同文」ともいう。
同文同種(どうぶんどうしゅ)
使われている文字と、人種が同じということ。 「文」は文字。 「種」は人種。 日本と中国の関係をいうことが多い言葉。
同袍同沢(どうほうどうたく)
苦労を分かち合った友人。親友、戦友。 「袍」は中に綿を入れた服のことで、防寒用の服。 「沢」は汗取りのことで、下着のこと。 衣服を貸し合って助けあった友人という意味から。
同類相求(どうるいそうきゅう)
同じ性質や種類のものは、自然に引き寄せられ、互いに求め合うものであるということ。
伐異党同(ばついとうどう)
事の善し悪しに関わらず、とにかく仲間の味方をして対立する相手を攻撃すること。 「党」は仲間のこと。 「異」は対立する相手のこと。 「同じきに党(むら)がり異なるを伐(う)つ」とも読む。 「伐異党同」ともいう。
万物斉同(ばんぶつせいどう)
荘子の思想で、相対的な知を否定して、唯一絶対の観点からすれば、全てのものは同じであるというもの。 人の認識は善悪などの対立する概念を相対化して成り立っているが、それらを超越した絶対的な無の境地から見れば、全ては同じものであるということ。
万里同風(ばんりどうふう)
天下が一つにまとめあげられていて、平和に治まっていること。 「万里」ははるか遠くまでということ。 「同風」は風俗が同じものになるということから、同じ国になることのたとえ。 「万里(ばんり)風(ふう)を同じうす」とも読む。
比目同行(ひもくどうこう)
二人が親密で離れないことのたとえ。 「比目」は目を並べること。 「同行」は共に歩くこと。 中国の伝説上の比目魚は、目が一つしかないために、二匹並ばないと泳ぐことができないということから。
猫鼠同眠(びょうそどうみん)
悪事を働く人と、それを取り締まる人が示し合わせて事を運ぶこと。 または、上の立場の人と、下の立場の人が共謀して悪事を働くこと。 猫と鼠が共に眠るという意味から。
風雨同舟(ふううどうしゅう)
困難や苦労を一緒に経験すること。 「風雨」は強い風や雨のことで、困難のたとえ。 「同舟」は同じ舟に乗ること。 同じ舟に乗って激しい嵐を乗り越えるという意味から。
不同不二(ふどうふじ)
一つだけしかないこと。 「不同」と「不二」は同じものが存在しないこと。
附和雷同(ふわらいどう)
自分の考えなどなく、周りの意見にむやみに同調すること。 「附和」は考えなく他人の意見に賛同すること。 「雷同」は雷の轟きで、物が共振するということ。 「附和」は「付和」とも書く。 「雷同附和」ともいう。
付和雷同(ふわらいどう)
自分の考えなどなく、周りの意見にむやみに同調すること。 「附和」は考えなく他人の意見に賛同すること。 「雷同」は雷の轟きで、物が共振するということ。 「附和」は「付和」とも書く。 「雷同附和」ともいう。
雷同一律(らいどういちりつ)
自分の考えなどなく、すぐに周りの意見にむやみに同調すること。 「雷同」は、雷の轟きで物が共振するということ。
雷同附和(らいどうふわ)
自分の考えなどなく、周りの意見にむやみに同調すること。 「附和」は考えなく他人の意見に賛同すること。 「雷同」は雷の轟きで、物が共振するということ。 「附和」は「付和」とも書く。 「雷同附和」ともいう。
雷同付和(らいどうふわ)
自分の考えなどなく、周りの意見にむやみに同調すること。 「附和」は考えなく他人の意見に賛同すること。 「雷同」は雷の轟きで、物が共振するということ。 「附和」は「付和」とも書く。 「雷同附和」ともいう。
六合同風(りくごうどうふう)
天下が統一され、世の中が平和に治まっていて、教化や風俗を同じくすること。 「六合」は天と地と四方で天下のこと。 「同風」は同じ風俗ということ。
戮力同心(りくりょくどうしん)
心を合わせて協力すること。 「同心」は心を合わせること。 「戮力」は力を合わせること。 「心を同じくして力を戮(あわ)す」とも読む。 「戮力同心」ともいう。
累世同居(るいせいどうきょ)
数世代の子孫が同じ家に同居すること。 「累世」は代々または世を重ねるということ。 「同居」は同じ家に一緒に住むこと。
和光同塵(わこうどうじん)
俗世で目立たないように、才能や徳を隠して暮らすこと。 仏教では、仏や菩薩が衆生を救うために、本来の姿を隠して、煩悩の塵をまとって、俗世に現れること。 「和光」は、才能の光を和らげ目立たないように隠すこと、「同塵」は、俗世間に合わせるという意味。
和而不同(わじふどう)
人と協力はしても、むやみやたらに意見や態度を同じにしないこと。 徳があるものは協力はするが同調はしない、徳がないものは協力はしないが同調するという意味から。
和衷協同(わちゅうきょうどう)
心を合わせて協力して物事を行うこと。 「和衷」は心の底から一つに合わせること、「協同」は協力して物事を行うこと。