「ご」を含む四字熟語
「ご」を含む四字熟語 — 290 件
豪華絢爛(ごうかけんらん)
目がくらむほど美しく、贅沢で煌びやかな様子。 「豪華」は華やかで贅沢なこと。 「絢爛」は目がくらむほど美しいこと。 「絢爛豪華」ともいう。
業果法然(ごうかほうねん)
前世での行いの報いを、現世で受けるのは当然のことであるということ。 「業果」は前世の行いが招く報い、業因。 「法然」はありのままの姿で存在していること。
合歓蠲忿(ごうかんけんふん)
植物の合歓木(ねむのき)は、怒りを取り除いてくれるということ。 「合歓」は合歓木のこと。 「蠲」は忘れること。 「忿」は怒ること。 「合歓(ごうかん)忿(いか)りを蠲(のぞ)く」とも読む。
合歓綢繆(ごうかんちゅうびゅう)
男女が深く愛し合うこと。 「合歓」は喜びを分かち合うことや、男女の睦みあいのこと。 「綢繆」は絡みつくこと。
恒河沙数(ごうがしゃすう)
極めて数が多く、数を数えることができないことのたとえ。 「恒河」はインドのガンジス川のこと。 「沙数」は砂の粒の数。 ガンジス川の砂のように多いということから。 「恒河沙」や「恒沙」とも略す。
傲岸不遜(ごうがんふそん)
おごりたかぶって、人に従わず、見下す様子。 「傲岸」はいばり人を見下す、「不遜」はへりくだらない、従わないこと。
傲岸無礼(ごうがんぶれい)
人を見下して、礼儀に外れている様子。 「傲岸」はいばり人を見下すこと。 「無礼」は礼儀に外れている様子。
剛毅果断(ごうきかだん)
意志が固く、思い切った決断と行動をすること。 「剛毅」は意志が非常に固いこと。 「果断」は大胆な決断と行動をすること。
剛毅直諒(ごうきちょくりょう)
裏表がなく誠実で意志が固いこと。 「剛毅」は意志が固いこと。 「直諒」は正直で誠実なこと。
剛毅木訥(ごうきぼくとつ)
意思がしっかりしていて、口数が少なく飾り気のない様子。 「剛毅」は意思が強く何事にも動じないこと。 「木訥」は無口で飾り気がないこと。 「剛毅朴訥」「剛毅朴吶」とも書く。
剛健質朴(ごうけんしつぼく)
飾り気がなく素直で、心も体も力強く頼もしいこと。 「剛健」は心と体のどちらも力強く頼もしいこと。 「質朴」は飾り気がなく素直なこと。 「質朴剛健」ともいう。
嗷嗷待哺(ごうごうたいほ)
空腹で食べ物を求める様子。 または、災害に見舞われた人が、心苦しい気持ちで救援を待つことのたとえ。 「嗷嗷」は鳥の雛の哀しい鳴き声。または、人々が嘆く声のたとえ。 「待哺」は餌が来るのを待つこと。 鳥の雛が親の鳥の口にある餌を待ち望んで騒がしく鳴く様子から。 「嗷嗷(ごうごう)として哺(ほ)を待つ」とも読む。
強情我慢(ごうじょうがまん)
他人の意見を絶対に受け入れないこと。 「強情」は頑固なこと。 「我慢」は好き勝手に振る舞うこと。
傲世逸俗(ごうせいいつぞく)
世間を軽く見て、世間から逃げること。 「傲世」はおごり高ぶり、世間を甘く見ること。 「逸俗」は世間から逃げること。 現実から逃避することをいう。
豪胆無比(ごうたんむひ)
他と比べられないほどに、度胸があり、思い切った行動をする様子。 「豪胆」は何事にも動じない度胸があること。 「無比」は他と比べることのできるものが存在しないこと。
強談威迫(ごうだんいはく)
要求に従わせるために、激しく脅すこと。 「強談」は強引に話の決着をつけること。 「威迫」は恐怖で相手を従わせようとすること。
剛腸石心(ごうちょうせきしん)
意志が固く、度胸があること。 「剛腸」は何事にも動じない、豪胆なこと。 「石心」は固い石のような心のこと。
敖不可長(ごうふかちょう)
思い上がって他者を見下す心は増長させてはいけないということ。 「敖」はおごって偉そうにすること。 「敖(おごり)は長(ちょう)ず可(べ)からず」とも読む。
合抱之木(ごうほうのき)
両手でやっと抱えることができるほどの大木。 「合抱(ごうほう)の木(き)も毫末(ごうまつ)より生(しょう)ず」を略した言葉。 大きな大木も小さな芽から育ったものであり、大事も小さなことの積み重ねによってなるということのたとえ。
豪放磊落(ごうほうらいらく)
心が広く大らかで、些細なことは気にしないこと。または、そのような様子。 「豪放」と「磊落」はどちらも心が広く、小さなことにこだわらないという意味。 同じ意味の言葉を重ねて意味を強調した言葉。
濠濮間想(ごうぼくかんのおもい)
世間から離れて、自然の中で静かに楽しむ心のこと。 「濠」は濠水、「濮」は濮水のことで、どちらも中国の川の名前。 中国の戦国時代の荘子は、楚王からの丞相にするという招きを断り、濠水で魚が遊ぶのを見て楽しみ、濮水で魚を釣って楽しんだという故事から。
毫末遺漏(ごうまついろう)
ほんの少し、抜けがあること。 「毫末」は細い毛の先の先という意味から、ほんの少しという意味。 毛の先ほどのほんの少しの漏れという意味から。 「豪末遺漏」とも書く。
毫末之利(ごうまつのり)
ほんの少しだけの利益のこと。 「毫末」は髪の毛の先という意味から、少ないことのたとえ。
傲慢不羈(ごうまんふき)
人を見下して偉そうな態度で、誰にも縛られないこと。 「傲慢」は人を見下し、偉そうな態度をとること。 「不羈」は誰にも縛られないこと。または、すぐれた才能があり、自由に振舞うこと。
傲慢不遜(ごうまんふそん)
いい気になって、人を見下す様子。 「傲慢」は人を見下す態度。 「不遜」は他人を敬うことがないこと。
傲慢無礼(ごうまんぶれい)
思い上がって他人を見下すこと。礼を失する態度のこと。 「傲慢」は、いい気になって人を見下すこと。 「無礼」は、礼儀を理解していないこと。 「無礼傲慢」ともいう。
傲慢磊落(ごうまんらいらく)
人を見下して偉そうな態度で、小さなことをないがしろにすること。 「傲慢」は偉そうに他者を見下す態度のこと。 「磊落」は心が広く、小さなことにこだわらないこと。
毫毛斧柯(ごうもうふか)
災いは大きくならないうちに取り除くべきだという教え。 「毫毛」は極めて細い毛。 「斧柯」は斧の柄。 木が毛のように細いうちに取り除かなければ、いずれ斧を使わなければいけないほどに大きくなるということから。
毫釐千里(ごうりせんり)
最初の小さな違いが、後になって大きな違いになること。 最初を慎んで行うべきという教え。 「毫」と「釐」はどちらも小さな数量の単位ということから、非常に小さいことのたとえ。 「千里」の「里」は距離の単位で、「千里」は非常に遠いことのたとえ。 「毫釐の差は千里の誤り」を略した言葉。
五蘊皆空(ごうんかいくう)
この世の全ての存在や現象は、実体などなく全てのものは空であるという仏教の言葉。 「五蘊」は人の体と精神を構成する五つの要素のこと。 全ての物質をいう「色」、感覚をいう「受」、心の中に浮かぶ像をいう「想」、欲求をいう「行」、意識をいう「識」の五つ。
五蘊盛苦(ごうんじょうく)
人の体と心を構成している五つの要素から生まれる苦しみのこと。 「五蘊」は人の体と精神を構成する五つの要素のこと。 全ての物質をいう「色」、感覚をいう「受」、心の中に浮かぶ像をいう「想」、欲求をいう「行」、意識をいう「識」の五つ。 仏教の言葉で、八苦のうちの一つ。
呉越同舟(ごえつどうしゅう)
互いに仲が悪い人たちや、互いに敵対関係にある人たちが同じ場所にいたり、同じ境遇にあること。 もとは、そのような人たちでも利害が同じ場合は協力し合うという意味。 「呉」と「越」は中国の春秋時代の国の名前。 「同舟」は同じ舟に乗ること。 孫子が「長い間、敵対関係にある呉と越の国の人たちが、同じ舟に乗っていて転覆しそうになったときには、たとえ敵同士であっても助け合うだろう」と言ったという故事から。
呉越之富(ごえつのとみ)
財産が極めて多くあることのたとえ。 「呉」と「越」はどちらも中国の春秋時代の国の名前。 呉と越の国の財産を合わせたほどの莫大な財産ということから。
五陰盛苦(ごおんじょうく)
人の体と心を構成している五つの要素から生まれる苦しみのこと。 「五陰」は人の体と精神を構成する五つの要素のこと。 全ての物質をいう「色」、感覚をいう「受」、心の中に浮かぶ像をいう「想」、欲求をいう「行」、意識をいう「識」の五つ。 仏教の言葉で、八苦のうちの一つ。
五角六張(ごかくろくちょう)
何をしてもうまくいかない縁起の悪い日のたとえ。 または、物事がうまく進まないこと。 正座によって二十八方位に分割したものの中の二つ、「角」と「張」のことで、どちらも物事がうまく進まない日とされている。 五日に角宿にあい、六日に張宿にあうという意味から。
呉下阿蒙(ごかのあもう)
昔から全く進歩しない人のたとえ。または、学問や知識がない人のたとえ。 「呉下」は呉の国にいること。 「阿」は親しみを込めて人の名前の前につける言葉。 「蒙」は人の名前。 呉の国にいる蒙さんという意味から。 中国の三国時代、呉の魯粛が呂蒙と久しぶりに会うと、以前とは違って学識が非常に深くなっていて驚いたという故事から。
呉牛喘月(ごぎゅうぜんげつ)
勘違いして無駄に怯えること。 または、考えすぎたせいで無駄な苦労をすること。 「呉」は中国の地名。 南の暑い地域にいる牛は、月を見ても太陽だと思って苦しそうに呼吸するということから。 「呉牛(ごぎゅう)、月に喘(あえ)ぐ」とも読む。
五行相剋(ごぎょうそうこく)
この世の全てのものの根源の要素が互いに力を減じ合うこと。 「五行」は全てのものの根源の要素とされる、木・火・土・金・水の五つの要素のこと。 「相剋」は木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木に勝つということ。 自然現象や社会の変化などを説明したり、王朝をたとえて移り変わりを理論付けたりした。 「五行相克」とも書く。
五行相生(ごぎょうそうしょう)
五行説で、木・火・土・金・水が、それぞれ、木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生み、と互いに力を増やす関係のこと。
五行並下(ごぎょうへいか)
読書の速度が非常にはやいこと。 一度に五行の文章を読むということから。 「五行(ごぎょう)並び下る」とも読む。 中国の後漢時代、応奉は一度に五行の文章を読み、読んだ内容を決して忘れず、役人になった時には罪人数千人分の名前と罪名を暗記して裁いたという故事から。
極悪非道(ごくあくひどう)
人の道から外れた、これ以上ないほどの悪のこと。 「極悪」は類を見ないほど極めて悪いこと。 「非道」は人としての道理に反していること。
極大苦悩(ごくだいくのう)
この上なく大きな悩みや苦しみのこと。 「極大」は非常に大きいこと。
極楽往生(ごくらくおうじょう)
この世で死んだ後、極楽浄土に生まれ変わること。 または、思い残すことなく、心穏やかに死ぬこと。 「極楽」は「極楽浄土」を略した言葉で、仏教で阿弥陀仏がいるとされる苦しみのない世界のこと。 「往生」は死ぬこと。 「往生極楽」ともいう。
極楽浄土(ごくらくじょうど)
阿弥陀仏がいるとされている苦労や苦痛のない世界のこと。 仏教の言葉。 大乗仏教の経典の一つである「阿弥陀経」には、極楽浄土は西の方向に十万億土よりもさらに先にあり、そこでは今も阿弥陀仏が説法を行っていると記されている。
極楽蜻蛉(ごくらくとんぼ)
何事も悩まず、気楽に暮らしている人のこと。 「蜻蛉」は虫のとんぼ。 捕まる心配をする必要のない、極楽でのんびり飛んでいるとんぼという意味から。 のんきな人をからかう時に言う言葉。
五穀豊穣(ごこくほうじょう)
穀物が充分に実ること。 「五穀」は米、麦、粟、豆に黍(きび)または稗(ひえ)を加えた5つのことで、人間が主食とする五種類の代表的な穀物のこと。具体的な穀物名を指さずに穀物の総称として用いることもある。 「豊穣」は穀物が充分に実ること。
五山十刹(ござんじっせつ)
禅宗の寺の格を言い表す言葉。 最高の位を五山といい、その下の位を十刹という。
五色霜林(ごしきのそうりん)
美しい紅葉の風景。 「五色」は色鮮やかな様子。 「霜林」は霜がふった後の林。 秋の終わり頃の風景を言い表す言葉で、霜がふることで、木々の葉の色が紅や黄色に変化することから。
呉市吹簫(ごしすいしょう)
すぐれた能力のある人が一時的に貧しく苦しくなり、物乞いをすることのたとえ。 「吹簫」はたて笛を吹くこと。 呉の市中でたて笛を吹いて物乞いをするという意味から。 「呉市(ごし)に簫(しょう)を吹く」とも読む。 中国の春秋時代、楚の伍子胥は呉の市中で乞食をしていたが、後に呉の王に仕えて功績をあげたという故事から。
五趣生死(ごしゅしょうじ)
人々が自ら作った善悪が原因で、五つの世界に生まれ変わること。 「五趣」は仏教の言葉で、生き物が自身で作った功績と罪、過ちによって死後に生まれ変わる五つの世界、地獄、餓鬼、畜生、人、天のこと。 「生死」は生きることと死ぬこと。または、生と死を繰り返すこと。
五障三従(ごしょうさんじゅう)
女性が持っているとされていた五つの障害と、女性に従わされていた三つのこと。 「五障」は仏教の言葉で、梵天、帝釈天、魔王、転輪聖王、仏のことで、この五つは女性がなれないとされていた。 「三従」は幼少時は親に従い、結婚後は夫に従い、老いたら子に従うべきということ。
後生大事(ごしょうだいじ)
集中して物事に取り組むこと。 または、何かをとても大切にすること。 「後生」は死後に生まれ変わった後に住む世界のこと。 主に物品などに対して、執着しすぎることを揶揄するときに使うことが多い言葉。 元は仏教語で、来世で生まれ変わった後の安楽を願い、仏道に励むことを言う言葉。
後生菩提(ごしょうぼだい)
来世に極楽に生まれ変わること。 または、来世に生まれ変わって悟りを得ること。 「後生」は現世での死後に、来世に生まれ変わること。 「菩提」は悟りの境地のこと。
五十知命(ごじゅうちめい)
五十歳になって天から与えられた使命を知ること。 「命」は天命、天から与えられた使命のこと。 孔子が自身の人生を振り返って言った言葉。 五十歳を意味する、「知命」ということの語源。 「五十にして天命を知る」を略した言葉。
五盛陰苦(ごじょうおんく)
人の体と心を構成している五つの要素から生まれる苦しみのこと。 「五」「陰」は人の体と精神を構成する五つの要素のこと。 全ての物質をいう「色」、感覚をいう「受」、心の中に浮かぶ像をいう「想」、欲求をいう「行」、意識をいう「識」の五つ。 仏教の言葉で、八苦のうちの一つ。
五濁悪世(ごじょくあくせ)
末世のこと。 仏教の言葉で、五つの汚れに満ち溢れた世界ということから。 「五濁」は劫濁、見濁、煩悩濁、衆生濁、命濁という、この世に表れるとされる五つの汚れのこと。
牛頭馬頭(ごずめず)
地獄の罪人を取り締まる鬼のこと。 または、その鬼のように情けも容赦もない人のたとえ。 仏教の言葉で、人間の体に牛や馬の頭をしているということから。
梧前灯下(ごぜんとうか)
書斎で本を読むこと。 「梧前」は桐の机の前のこと。 桐の机の前の明かりの下という意味から。
梧鼠之技(ごそのぎ)
様々な技能をもっているが極めている技能がないこと。または、役に立つ技能が一つとしてないこと。 「梧鼠」はむささびのことで、飛ぶ、木に登る、泳ぐ、穴を掘る、走るという五つのスキルがあるが、どれも極めてはいないことから。
五臓六腑(ごぞうろっぷ)
人間の全ての内臓のこと。または、心の中のこと。 「五臓」は心臓、肺臓、肝臓、腎臓、脾臓の五つの内臓。 「六腑」は大腸、小腸、胃、胆嚢、膀胱、三焦の六つの内臓。
五体投地(ごたいとうち)
礼拝の形式の一つのことで、頭と両肘、両膝を地面につけて行う礼拝。 仏教で最高の礼拝とされている。
梧桐一葉(ごどういちよう)
物事が衰える前兆のこと。 「梧桐」は植物のあおぎりのこと。 あおぎりは他の木よりも早く葉が落ちるとされ、あおぎりの葉が一枚落ちるのを見て、秋が来ることを知るという意味から。
寤寐思服(ごびしふく)
寝ても覚めても忘れられないこと。 「寤」は起床すること。 「寐」は就寝すること。 「思服」はいつも思っていること。 「寤寐(ごび)に思服(しふく)す」とも読む。
五風十雨(ごふうじゅうう)
五日ごとに風が吹き、十日ごとに雨が降る、農耕に適した天候のこと。 または、世の中が平和で穏やかな状態であることのたとえ。 「五風」は五日に一度風が吹くこと。 「十雨」は十日に一度雨が降ること。
五分五分(ごぶごぶ)
どちらも同等で、優劣のないこと。 または、二つのものの可能性が同じくらいあること。
五方雑処(ごほうざっしょ)
大都市の生活の複雑な様子。 「五方」は東、西、南、北、中央の五つということから、あらゆる地方のたとえ。 「雑」は入り混じっていること。 「処」は住むこと。 あらゆる地方の人々や文化が、一つの大きな都市に入り交じって住むという意味から。
御用繁多(ごようはんた)
仕事で忙しいこと。 「御用」は幕府や朝廷の仕事。公務。 「繁多」はやるべきことが多くて忙しいこと。
五里霧中(ごりむちゅう)
物事の状況が全くわからず、判断に困ること。または、そのような状況。 「五里霧」は五里にも渡って周囲が霧で覆われていること、「中」はその霧の中にいること。 霧の中にいて、先もよく見えず方向もよくわからない状態という意味から。 後漢の道士の張楷が五里霧という仙術を使い、周囲五里を霧で覆ったという故事からきた言葉。
五倫五常(ごりんごじょう)
人として守るべき道徳のこと。 「五倫」は五つの道徳法則のことで、父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信。 「五常」は五つの徳目で、仁、義、礼、智、信。 どちらも儒教の教え。
五倫十起(ごりんじっき)
公平で清く正しい人でも私心はあるということ。 「五倫」は人の名前。 中国の後漢の第五倫は公平で清廉な人物として知られていたが、ある時、あなたにも私心があるのかと聞かれ、兄の子が病気で一晩に十回起きて看病しても、寝床に戻ればよく眠れるが、自分の子どもの時は心配で眠れなかったので、私心がないとは言えないと答えたという故事から。
欣求浄土(ごんぐじょうど)
死んだ後に極楽浄土に往生できるように願うこと。 「欣求」は心から願って喜ぶこと。 「浄土」は苦しみのない極楽浄土を略した言葉。 浄土宗や浄土真宗の基本的な思想をいう。
言語道断(ごんごどうだん)
言葉で言い表すことができないほどひどいこと。 とんでもないこと。 「言語」は言葉に出して表現すること。 「道断」は言うことが断たれること。 「道」は言葉で言い表すという意味。 元は仏教語で、仏教の真理や悟りの境地は、言葉で言い表して説明することは出来ないという意味。 現在では悪い意味で使われることが多い言葉。
最後通牒(さいごつうちょう)
外交文書の一種で、平和的交渉の最終的な要求。 受け入れられない場合は、戦争などの実力行使を行うことを宣言することが多い。
左支右吾(さしゆうご)
様々な手段を用いて危険を防ぐこと。または、左右のどちらにも差支えがあること。あれこれ言い逃れをして危険を回避しようとすること。 左を支えて、右を防ぐという意味から。
沙中偶語(さちゅうのぐうご)
臣下同士で謀反を起こす相談をすること。 「沙中」は人のいない砂地のこと、「偶語」は向かい合って話し合うこと。 古代中国の漢の君主の劉邦の時代に、功績を上げていても褒賞がもらえずに、他に人のいない砂地で、臣下たちが謀反の相談をしていたという故事から。
三綱五常(さんこうごじょう)
儒教の言葉で、人として守るべき道徳と、常に行うべき道義のこと。 「三綱」は主君と臣下、父親と子、夫と妻の間の三つの道徳のこと。 「五常」は仁、義、礼、智、信の常に行うべき五つの道義のこと。
三業供養(さんごうくよう)
ひれ伏して、言葉で仏の徳をたたえ、心をこめて仏を供養すること。 「三業」は仏教の言葉で、動作や所作などの身体の業、言葉の業、意識や心の業の三つの業のこと。
三国無双(さんごくむそう)
日本・中国・インドの三つの国の中で比べることができるものすらないこと。 もとは富士山のことをいった言葉。
三三五五(さんさんごご)
少数の人たちが固まって行き来する様子のこと。 または、人や物などがあちこちに散らばっている様子。 あっちに三、こっちに五という意味から。 「三々五々」とも書く。
三令五申(さんれいごしん)
何度も繰り返して説明して諭すこと。 「申」は繰り返すという意味。 三回命じて五回言い聞かせるという意味から。
