「外見と実質が釣り合わない」に関連する四字熟語 — 56 件
「外見と実質が釣り合わない」に関連する四字熟語を一覧で紹介します。各四字熟語の読み方・意味もあわせて確認できます。全56件を五十音順に掲載しています。
四字熟語一覧(五十音順)
以鼠為璞(いそいはく)
取るに足らない物を高価なものとして扱うこと。 「璞」は手が加わっていない宝石の原石。 古代中国の鄭の国では宝石の原石を璞(はく)といい、周の国では鼠の生肉を朴(はく)と言っていた。 周の国の人が鄭の国の商人に、はくを買わないかと言われたが、璞ではなく朴だったという故事から。 「鼠(ねずみ)を以(もっ)て璞(はく)と為(な)す」とも読む。
以貌取人(いぼうしゅじん)
人の賢愚は容姿だけでは判断することはできないということ。 澹台滅明は容姿が醜く、孔子は弟子にとることを躊躇したが、非常に優秀で清廉な人物だったということから。 孔子の失敗談の一つ。 「貌(ぼう)を以(もっ)て人(ひと)を取る」とも読む。
以毛相馬(いもうそうば)
外見で人を判断することはできないということ。 馬の毛の色ですぐれた馬を見分けようとするという意味から。 「毛(け)を以(もっ)て馬(うま)を相(そう)す」とも読む。
以力仮仁(いりょくかじん)
人徳による政治に見せかけているが、裏で武力による権力の拡大を行うこと。 「力(ちから)を以(もっ)て仁(じん)を仮(か)る」とも読む。
禹行舜趨(うこうしゅんすう)
見た目を真似しているだけで中身が伴っていないこと。 または、聖人の動きを真似しているだけで聖人のような徳はないこと。 「禹」と「舜」はどちらも古代中国の聖人の名前。 「行」は歩くこと。「趨」は走ること。 禹の歩き方や舜の走り方などは表面上の動作であり、真似をしても何の意味もないことから。
迂直之計(うちょくのけい)
一見すると実用的に見えないが、実際は一番実用的なこと。 「迂」は迂回すること、「直」は近道のことで、わざと回り道をすることで敵を油断させて、妨害を受けることなく先回りする兵法のことから。
禹歩舜趨(うほしゅんすう)
見た目を真似しているだけで中身が伴っていないこと。 または、聖人の動きを真似しているだけで聖人のような徳はないこと。 「禹」と「舜」はどちらも古代中国の聖人の名前。 「歩」は歩くこと。「趨」は走ること。 禹の歩き方や舜の走り方などは表面上の動作であり、真似をしても何の意味もないことから。
怨望隠伏(えんぼういんぷく)
不満や恨みを隠して、表面に出さないこと。 「怨望」は不満や恨みを抱くこと。 「隠伏」は表面に出さないこと。
改頭換面(かいとうかんめん)
見た目は変化しても中身が何も変わっていないこと。 「改頭」は頭を新しいものに変えること。 「換面」は顔を新しいものに換えること。 「頭(こうべ)を改め面を換(か)う」とも読む。
外寛内深(がいかんないしん)
見た目は大らかに見えるが、心は厳しく、無慈悲なこと。 「外寛」は見た目は寛大に見えること。 「内深」は心の中は無慈悲なこと。
外強中乾(がいきょうちゅうかん)
見た目は強そうだが、中身は空っぽで弱いこと。 「乾」は乾くという意味から、中に何もないこと。 「外彊中乾」とも書く。
外巧内嫉(がいこうないしつ)
見た目はわからないようにしているが、心の中ではねたんでいること。 「外巧」は外見をうまく飾る、「内嫉」は心の中でねたむということ。
画虎類狗(がこるいく)
才能のない者が、すぐれているものの真似をしても、見苦しい結果にしかならないということのたとえ。 虎の絵を描いても、犬にしか見えないということから。 後漢の将軍の馬援が、豪傑の杜季良の真似をしていた兄の子を手紙で戒めたという故事から。 「虎(とら)を画(えが)いて狗(いぬ)に類す」とも読む。
鬼面嚇人(きめんかくじん)
見た目の威力だけで人を脅すこと。 「鬼面」は鬼の顔の面をかぶること。または、鬼のように恐ろしい表情をすること。 「嚇人」は人を脅すこと。 「鬼面(きめん)人(ひと)を嚇(おど)す」とも読む。
鬼面仏心(きめんぶっしん)
恐ろしい顔をしているが、性格は穏やかなこと。 または、そのような人のこと。 鬼のような顔と仏の心という意味から。
牛首馬肉(ぎゅうしゅばにく)
外見は立派だが中身が釣り合っていないこと。 牛の頭を看板に掲げているが、実際には馬の肉を売るという意味から。
魚質竜文(ぎょしつりょうぶん)
正しいように見えるが、実際には間違っていること。 または、実質はないが、外見は立派に見えること。 「質」は実質、本質。 「文」は見た目のこと。 本質は魚だが、竜のように見えるという意味から。
黔驢之技(けんろのぎ)
自身の力量を自覚せずに、人に見せて力量の拙さから恥をかくこと。 または、見た目がよいだけで中身のない技量のこと。 「黔」は中国の黔州という地名。 「驢」は動物のろばのこと。 ろばがいなかった黔州にろばを放すと、虎は自分よりも体の大きなろばを初めて見て恐れたが、ろばは虎を蹴るだけで、それ以外何もできないとわかると、虎はろばを食い殺したという故事から。
外題学問(げだいがくもん)
見た目だけは立派だが、中身のない学問。 「外題」は書物の表題の名のこと。 名前は知っているが、内容が全くない学問という意味から。
言行齟齬(げんこうそご)
言葉にして言ったことと、実際の行動が一致しないこと。 「言行」は言葉と行動。 「齟齬」は食い違うこと。
口是心非(こうぜしんひ)
口に出して言うことと、気持ちが一致していないこと。 言葉では賛成しているが、心の中では反対していることをいう。 「口(くち)に是(ぜ)とし心(こころ)に非(ひ)とす」とも読む。
厚貌深情(こうぼうしんじょう)
真面目で正直そうな顔つきだが、本心は深い部分に隠していること。 または、その隠している本心のこと。 「厚貌」は真面目で正直に見える顔つき。 「深情」は奥深くに隠した本心。
好名得華(こうめいとくか)
名声だけを欲し続けていても、実質が伴っていない虚名しか得られないということ。 「名(な)を好(この)めば華(はな)を得(う)」とも読む。
笑面夜叉(しょうめんやしゃ)
見た目は笑顔だが、心の底で悪いことを考えていること。 「夜叉」は人に害を与える悪い鬼神のこと。
声聞過情(せいぶんかじょう)
実際の能力よりも評判が高いこと。 「声聞」はよい評判のこと。 「声聞情に過ぐ」とも読み、この形で使うことが多い言葉。
装模作様(そうもさくよう)
見栄を張ったり、上品ぶったりすること。 「装」と「模」はどちらも見た目を着飾ったり、他人の真似をしたりすること。 「作様」は動きの様子。 「装模(そうも)様(よう)を作(な)す」とも読む。
大言壮語(たいげんそうご)
実力の伴っていない威勢のいい誇張した話をすること。 「大言」は大げさな言葉、誇張した話。 「壮語」は威勢のいい大きなことを言うこと。
大巧若拙(たいこうじゃくせつ)
極めて巧みなものほど、少し見ただけでは粗雑に見えるということ。 または、極めて優れた技量の持ち主は、逆に不器用に見えるということ。 「大巧(たいこう)は拙(せつ)なるが若(ごと)し」とも読む。
大智如愚(だいちじょぐ)
すぐれて賢い人は、一目見たくらいでは愚かな人に見えるということ。 本当の賢者は知識や才能を見せびらかさないということから。 「大智(だいち)は愚(ぐ)の如し」とも読む。
大智不智(だいちふち)
本当にすぐれて賢い人は、知識や才能を見せびらかさないので、一見愚かな人のように見えるということ。 「大智」は、すぐれた知恵、またはそれを持つ人。 「大智(だいち)は智ならず」とも読む。
長者万灯(ちょうじゃのまんとう)
裕福な人が用意する多くの灯火。 金の力だけで施しはたくさんしているが、心がこもっていないこと。
陶犬瓦鶏(とうけんがけい)
格好だけが立派で、実際には役に立たないもののこと。 「陶犬」は陶製の犬のこと。 「瓦鶏」は素焼きの鶏のこと。 作り物の犬では番犬のように家を守ることはできず、作り物の鶏では夜明けを告げることはできないことから。 「瓦鶏陶犬」ともいう。
兎葵燕麦(ときえんばく)
名前と実体が伴っていないこと。 「兎葵」は植物のいえにれ。 「燕麦」は植物のからすむぎ。 名前に「葵」や「麦」があるが、実際には違うということから。
菟糸燕麦(としえんばく)
名前と実体が一致していないこと。 「菟糸」は「ねなしかずら」という植物のこと。 「燕麦」は「からすむぎ」という植物のこと。 名前に「糸」や「麦」という字を含んでいるが、「糸」に関連しない、または「麦」ではない植物であることから。 「兎糸燕麦」とも書く。
内剛外柔(ないごうがいじゅう)
外見は穏やかでやさしそうに見えるが、心の中には何事にも左右されない強い意志や信念をもっていること。 「柔」は優しいこと。穏やかなこと。 「剛」は心が強いこと。 「外柔内剛」ともいう。
内柔外剛(ないじゅうがいごう)
心の中はやさしくおだやかだが、外見は強そうに見えること。 「柔」はやわらかくて弱いという意味。 「剛」はかたくて強いという意味。 「外剛内柔」ともいう。
内清外濁(ないせいがいだく)
心は清潔さを保ちながら、外見は汚れたように装い、世俗とうまく付き合う処世術のこと。
内疎外親(ないそがいしん)
内心は嫌っているが、それを隠して親しげに接すること。 「内疎」は内側で嫌っていること。 「外親」は外側で親しいように見せかけること。
南郭濫吹(なんかくらんすい)
才能の無い者が才能があるかのように見せかけること。 または、それにより高い地位を得ること。 「南郭」は人の名前。 「濫吹」は下手な笛をむやみやたらに吹くこと。 春秋時代の斉の王は合奏を好み、三百人もの楽士を集めて笛の演奏をさせていた。 南郭は演奏が下手であるにもかかわらず、その中に混ざり高給を得ていた。 ところが、次の王は独奏が好みで、一人ずつ吹かせることにしたところ、南郭はあわてて逃げ出したという故事から。
南箕北斗(なんきほくと)
名前に本質が伴っていないこと。 「南箕」と「北斗」はどちらも星座の名前。 「箕」は農具の箕。 「斗」はひしゃく。 箕や斗が名前についているが、実際に使うことはできないということから。
買櫝還珠(ばいとくかんしゅ)
見た目が立派なだけで実質のないものを価値があるものとして扱うこと。または、重要なことをないがしろにして、本筋から外れたことを重要視すること。また、取捨選択を間違えること。 「櫝」は蓋のついた箱のこと。 見た目の立派な箱を買い、その中に入っていた珠玉を相手に返してしまったことから。 「櫝(とく)を買いて珠(たま)を返す」とも読む。
被褐懐玉(ひかつかいぎょく)
すぐれた才能を持っているが、表面には出さないこと。 「褐」はぼろぼろの服のことで、外見は粗末な服だが懐には宝玉を隠し持っているという意味。
描虎類狗(びょうこるいく)
才能のない者が、すぐれているものの真似をしても、見苦しい結果にしかならないということのたとえ。 虎の絵を描いても、犬にしか見えないということから。 後漢の将軍の馬援が、豪傑の杜季良の真似をしていた兄の子を手紙で戒めたという故事から。
貌合心離(ぼうごうしんり)
表面は親密さを装って交際してはいるが誠意がないことのたとえ。 「貌」は表に見せている形ということで、表向きは合わせてはいるが、心は離れているという意味から。
墨名儒行(ぼくめいじゅこう)
主張している主義と実際に行っていることが食い違っていること。 儒家を批判している墨家と自称して、儒家の孔子の教えに従って行動するという意味から。
名声過実(めいせいかじつ)
実体に比べて評判が良すぎること。 世間での噂ほどの実体ではないという意味。 「過実」は実体以上という意味。
名存実亡(めいそんじつぼう)
名前としては存在しているが、実体が失われていること。 内容や意義が無くなり、名前や見た目だけになること。 「名(な)存(そん)し実(じつ)亡(ほろ)ぶ」とも読む。
面従腹背(めんじゅうふくはい)
相手におとなしく従うふりをしながら、心の中で相手に歯向かうこと。 「面従」は面と向かい合っている時だけ従うこと。 「腹背」は心の中で歯向かうこと。 おとなしく従うふりをして相手を安心させ、裏では相手の地位や立場を脅かすような策をめぐらすこと。
綿裏包針(めんりほうしん)
穏やかで優しそうに見えるが、実際は相手に気付かれないような悪意を持っていること。 「裏」は内側という意味で、柔らかい綿の中に危険な針を隠すという意味から。 「針」は害意のたとえ。 「綿裏(めんり)に針を包む」とも読む。
沐猴而冠(もくこうじかん)
見た目は立派だが中身は愚かで卑しいことのたとえ。または、度量が狭く、愚かな人物が相応しくない地位についていることのたとえ。 「沐猴」は猿、「而冠」は冠を身に付けることから、猿が冠を被ること。 ある者が楚の項羽のことを「楚の国の人は猿が冠を被った猿だという噂を聞いたがその通りだ」と蔭口(かげぐち)を言ったという故事から。
有口無行(ゆうこうむこう)
口先だけで行動が伴わないこと。 「有口」は口先だけがうまいこと。 「無行」は行動しないこと。
有名無実(ゆうめいむじつ)
名前は立派だが内容が伴っていないこと。 「有名」は立派な名前、「無実」は内容がないこと。 使われていない法律や制度、存在しているものの活動はしていない組織などのことをいう。
優孟衣冠(ゆうもういかん)
他人の真似をする人。 または、演技をすること。 姿は似ているが、実態が違うもののたとえ。 「優孟」は人名。 「衣冠」は衣服と冠のこと。 中国の春秋時代の楚の国の宰相の叔敖は清廉な人だったが、叔敖の死後にその子孫は貧しく生活に苦しんでいた。 叔敖に恩があった俳優の優孟は、叔敖の衣服と冠を身に付けて叔敖になりすまし、叔敖の功績と子孫の不遇を訴えると、荘王は反省して子孫に領地を与えたという故事から。
羊質虎皮(ようしつこひ)
外見は立派だが、中身が伴わないこと。 虎の皮を羊に被せることから。 「虎皮羊質」ともいう。
羊頭狗肉(ようとうくにく)
外見は立派だが中身が釣り合っていないこと。 「羊頭を懸げて狗肉を売る」の略語で、羊の頭を看板に掲げていながら実際には犬の肉を売るという意味から。
濫竽充数(らんうじゅうすう)
才能の無い者が才能があるかのように見せかけること。 または、それにより能力に見合っていない高い地位を得ること。 「竽」は笛のことで、「濫竽」は下手な笛をむやみやたらに吹くこと。 「充数」は必要とされる数を満たすこと。 春秋時代の斉の王は合唱を好み、三百人もの楽士を集めて笛の演奏をさせていた。 南郭は演奏が下手であるにもかかわらず、その中に混ざり高給を得ていた。 ところが、次の王は独奏が好みで、一人ずつ吹かせることにしたところ、南郭はあわてて逃げ出したという故事から。
