「じ」を含む四字熟語
「じ」を含む四字熟語 — 1310 件
人道主義(じんどうしゅぎ)
人間愛に基づいて人間の尊厳と価値を重視し、全ての人々の幸福や利益を追求する思想や立場。
塵飯塗羹(じんぱんとこう)
実際に何の役にも立たないもののこと。 「塵飯」は塵の飯。 「塗羹」は泥の吸い物。 こどもがままごと遊びで作った、見た目だけで食べられない食事ということから。
人非木石(じんひぼくせき)
人間は木や石とは異なり、感情や思考、意識を持っているということ。 「人は木石(ぼくせき)に非(あら)ず皆(みな)情(じょう)あり」を略した言葉。
人品骨柄(じんぴんこつがら)
人柄や品格、容姿や身なりのこと。 「人品」はその人が持っている品性や気品のこと。 「骨柄」は体つきから感じられる風格や品性のこと。
人貧智短(じんぴんちたん)
人は貧しく、生活に困ると頭が働かなくなり、よい知恵が浮かばなくなるということ。 「人(ひと)貧(ひん)すれば智(ち)短し」とも読む。
人不易知(じんふいち)
他人の本性を奥底まで知ることは容易ではないということ。 「人(ひと)は知(し)り易(やす)からず」とも読む。
人物月旦(じんぶつげったん)
人の価値などを評価して批評すること。 「月旦」は毎月のはじめの日のこと。 後漢の許劭は、毎月のはじめの日に人を批評したものを発表していたという故事から。
人亡物在(じんぼうぶつざい)
亡くなった人を偲(しの)び、遺品を通じてその人の存在や思い出を感じること。 人が亡くなった後も、その人の持ち物や遺品は残るとの意から。 「人(ひと)亡(ぼう)じて物(もの)あり」とも読む。
尽未来際(じんみらいさい)
いつまでも続く、永遠ということ。 未来の終わり、時間が続く限りいつまでもという意味。 仏教の言葉。
人面獣心(じんめんじゅうしん)
非情で残酷な人のたとえ。 けだものの心を持った人間という意味から。
人面獣身(じんめんじゅうしん)
妖怪や化け物のこと。 顔が人間で、身体は獣という意味から。
人面桃花(じんめんとうか)
恋い慕う女性に会えないこと。 「人面」は美しい女性の顔。 「桃花」は植物の桃の花。 中国の唐の詩人の崔護は、ある桃の木の下で美しい女性に会い、その女性と互いに惹かれあったが、その時はそのまま別れた。 崔護はその女性を忘れられず、次の年にまた訪ねたがその女性に会うことができず、詩を残して去ったという故事から。
迅雷風烈(じんらいふうれつ)
激しい雷と風のこと。 または、行動が非常に素早い様子。
吹影鏤塵(すいえいろうじん)
無意味な努力のこと。または、やっても充実感がないことのたとえ。 「鏤」は刻むこと。 影を吹き飛ばそうとしたり、塵に刻み目をいれようしたりすることから。 「影を吹き塵(ちり)に鏤(ちりば)む」とも読む。 「鏤塵吹影」ともいう。
水火無情(すいかむじょう)
水害や火災は人に大きな損害を与えるということ。 水害や火災には情けはないという意味で、天災の恐ろしさをいう言葉。
水魚之交(すいぎょのまじわり)
とても仲がよく、離れがたい交際や友情のこと。 その関係を魚と水にたとえた言葉。 三国時代、蜀の劉備が仲の良かった孔明を軍師に迎えたときに、古参の武将は不満をもらしたが、魚に水が必要なように私には孔明が必要だと言ったという故事から。
推己及人(すいこきゅうじん)
他人の立場に立って自分のことのように考え、他人を思いやること。 「己(おのれ)を推(お)して人(ひと)に及ぼす」とも読む。
垂涎三尺(すいぜんさんじゃく)
あるものを激しく欲しがる様子のこと。 「涎」はよだれ。 おいしそうな食べ物を見て、思わず涎を三尺も垂らすという意味から。
垂頭塞耳(すいとうそくじ)
わざと何も見ず、何も聞かないこと。 「垂頭」は頭を垂れること、下を向きて地面をみること。 「塞耳」は耳を塞ぐこと。 「頭(とう)を垂れ耳を塞(ふさ)ぐ」とも読む。
推波助瀾(すいはじょらん)
(主に悪い意味で)勢いを助けて、物事をさらに大きく進展させること。特に、波乱や混乱を助長する場合に使われる。
寸陰若歳(すんいんじゃくさい)
短い時間が、まるで一年のように長く感じられること。 再び会える日を心待ちにする気持ちのたとえ。
寸鉄殺人(すんてつさつじん)
短い一言で相手の弱点や欠点をつくことのたとえ。 「寸」は長さの単位で、短い長さのたとえ。 「寸鉄」は長さの短く鋭い刃物ということから、短く的を射た言葉のこと。 急所を突けば、短い刃物でも確実に人を殺すことが出来るという意味から。 「寸鉄(すんてつ)人を殺す」とも読む。
寸馬豆人(すんばとうじん)
遠くにいる人や馬が小さく見えること。または、絵画の背景として書かれている人や馬が小さいこと。 「寸」は長さの単位で、短い長さのたとえ。 「寸」と「豆」はどちらも小さいことのたとえ。
随珠弾雀(ずいしゅだんじゃく)
適切でない方法や道具を使用すること、特に利益よりも損失が大きい状況のこと。 「随珠」は、随侯が大蛇を助けた際に贈られたとされる伝説の宝玉、「雀」はすずめのこと。 貴重な宝玉を、すずめを打ち落とすための弾として使用することから。
旌旗巻舒(せいきけんじょ)
戦いが何度も続いて起こることのたとえ。 「旌」と「旗」はどちらも旗、「巻」は巻く、「舒」は広げるという意味で、軍旗を巻いたり、広げたりするということから、戦いに明け暮れるというたとえ。
成事不説(せいじふせつ)
過去の出来事について、あれこれ言わないこと。 「成事」は過去の出来事。 「説」は議論すること。 孔子が弟子の宰我の失言について諭した言葉。 「成事(せいじ)は説かず」とも読む。
正邪曲直(せいじゃきょくちょく)
正しいことと、正しくないこと。 「正邪」と「曲直」はどちらも、正しいことと正しくないこと。 似た意味の語を重ねて強調した言葉。 「曲直正邪」ともいう。
静寂閑雅(せいじゃくかんが)
ひっそりと静かで風情のある景色や雰囲気のこと。 「静寂」は静かな様子。 「閑雅」は静かで趣のあること。
西戎東夷(せいじゅうとうい)
西方と東方の異民族の蔑称。 または、漢民族からみて異民族の蔑称。 「西戎」は西方の異民族のこと。 「東夷」は東方の異民族のこと。 「東夷西戎」ともいう。
聖寿万歳(せいじゅばんざい)
天子の長寿を祝福し、末永い繁栄を願う言葉。儀式や祝賀の場で使われる。
清浄無垢(せいじょうむく)
汚れのない清らかな様子。 仏教では、煩悩がなく澄んでいる心のこと。 「無垢」は汚れのないという意味。 「清浄」は「しょうじょう」とも読む。 「無垢清浄」ともいう。
勢如破竹(せいじょはちく)
竹を割るような勢いで進み、行く手を阻むものがない様子。 竹は最初の節を割ると、あとは次々と簡単に割れていくことから。 「勢(いきお)い破竹(はちく)の如(ごと)し」とも読む。
政如蒲盧(せいじょほろ)
政治とは蒲(がま)や盧(あし)のようなもの。良い政治を行えば、これらの草がすぐに育つように、すぐに成果が現れるということ。
聖人君子(せいじんくんし)
人格、知識ともにすぐれている素晴らしい人物のこと。 「聖人」は最高の人格者のこと。 「君子」は学問や人格にすぐれている徳の高い人のこと。
成人之美(せいじんのび)
他人の成功や願いの実現を助け、成し遂げさせること。
聖人無夢(せいじんむむ)
徳を積んだ聖人は、悩むことや心を乱すことがないので、夢をみることがないということ。 「聖人に夢無し」とも読む。
清窓浄机(せいそうじょうき)
明るくて綺麗で集中して勉強できる書斎のこと。 明るい日の光が入る窓と塵一つ無い清潔に保たれている机という意味から。
青天白日(せいてんはくじつ)
雲一つない晴れ渡った青空と輝く太陽のこと。 転じて、やましいことが一切ないことのたとえ。 または、無実が明らかになり、疑いが晴れることのたとえ。 「青天」は晴れ渡った青空のこと。 「白日」は明るく輝く太陽のこと。 「白日青天」ともいう。
斉東野人(せいとうやじん)
下品な田舎者。 田舎で生まれ育った愚かな人のたとえ。 「斉東」は中国の戦国時代の斉の国の東部。 「野人」は田舎で生まれ育った、品のない人。
成敗論人(せいはいろんじん)
その人物の価値や評価を、成功したか失敗したかという結果だけで判断すること。
精疲力尽(せいひりきじん)
酷く疲れて弱ること。 「精(せい)疲れ力(ちから)尽く」とも読む。
清風故人(せいふうこじん)
季節が秋に変わって、秋のさわやかな風が吹いてくるのは、昔からの友人が久しぶり訪ねてきたかのようだということ。 「故人」は昔からの友人。 「清風故人来る」を略した言葉。
声聞過情(せいぶんかじょう)
実際の能力よりも評判が高いこと。 「声聞」はよい評判のこと。 「声聞情に過ぐ」とも読み、この形で使うことが多い言葉。
碩学大儒(せきがくたいじゅ)
様々な学問を深く習得した学者。 または、学問の道を極めつくした大学者のこと。 「碩学」は学問を深く習得していること。 「大儒」は大学者や儒学者のこと。
碩師名人(せきしめいじん)
すぐれた功績のある学者や、高い名声のある人。 または、徳の高い人や、人望のあつい人。 「碩師」は大学者。 「名人」は高い名声のある人。
積日累久(せきじつるいきゅう)
役人などが功績や功労を長い期間積み重ねること。 「積日」は日数を重ねること。 「累久」はいつまでも続くこと。 官吏の昇格について、才能や能力ではなく、年数による功績や功労だけで昇格させると、才能や能力がある人が育たないと、中国の前漢の董仲舒が武帝に上申した故事から。
尺二秀才(せきじのしゅうさい)
世間で認められていない文字を書く人を非難する言葉。 または、品の無い秀才のこと。 「秀才」は中国の官吏登用試験の科挙を受ける権利を持っている人のこと。または、科挙の試験科目の一つ。 科挙の試験で、「盡」の文字を俗字の「尽」と書いた人を、試験官だった楊万里は、尽の文字を「尺」と「二」に分解して、尺二の受験生と言い、合格させなかったという故事から。
赤縄繋足(せきじょうけいそく)
結婚する準備が整うこと。 または、結婚すること。 赤い紐で足首を縛るという意味から。 中国の唐の韋固は、旅先で不思議な老人に出会い、老人のそばにあった袋の赤いひもについて聞くと、天に選ばれた夫婦となるべき人同士の足首にひもで縛れば、憎い仇同士でも夫婦になると言ったという故事から。 「赤縄(せきじょう)足を繋(つな)ぐ」とも読む。
赤貧如洗(せきひんじょせん)
ひどく貧しいこと。 「赤」は何もないこと。 水で洗い流した後のように何もないということから。 「赤貧洗うが如し」という形で使うことが多い言葉。
世辞追従(せじついしょう)
相手に気に入られようとして、相手の言うことを何でもきいて、機嫌をとること。 「世辞」は気に入られようとして、機嫌をとること。 「追従」は逆らうことなく、言うとおりに従うこと。
節哀順変(せつあいじゅんぺん)
悲しみが度を過ぎないように抑えて、時間の経過によって少しずつ和らげていくのがよいということ。 お悔やみの言葉として、中国でよく使われる言葉。 「哀を節するは順いて変ず」とも読む。
雪上加霜(せつじょうかそう)
災難や不幸などの悪い出来事が次々と続いて起こることのたとえ。または、迷惑なだけの親切心や行動。 雪の白に霜の白を加えるということから。 禅宗では、余計なお節介のことをいう。 「雪上(せつじょう)に霜(しも)を加(くわ)う」とも読む。
世道人心(せどうじんしん)
この世の道徳と、その道徳を守る人たちの心。 「世道」は人が人として守るべき道徳のこと。 「人心」は多くの人の心。
遷客騒人(せんかくそうじん)
故郷から遠く離れた土地に左遷させられた人や、心に憂いをもっている人のこと。 または、詩人や文人の別称。 「遷客」は左遷されて遠い土地に来た人。 「騒人」は心に憂いをもつ人。 どちらも詩に自身の思いを込めるということから、詩人や文人のたとえ。
先事後得(せんじこうとく)
しっかりと働いて、その後に報酬を受け取ること。 「先事」は先にしっかりと働くこと。 報酬を気にするよりも、まずは真面目に働くべきであるということから。 「事を先にして得(う)ることを後(あと)にす」とも読む。
先従隗始(せんじゅうかいし)
物事を行うときは、まずは身近なことから始めるべきという教え。 または、提案した人が率先して物事を始めるべきであるということ。 「隗」は郭隗という人の名前。 中国の戦国時代の燕の昭王が、郭隗によい人材が欲しいと相談すると、郭隗は、自分を優遇すれば、愚かな自分でも優遇されると知った賢い者が集まると言った。 昭王は郭隗の言うとおりに、郭隗の家を建て替えて重用すると、多くの賢人が集まってきたという故事から。 「先(ま)ず隗(かい)従(よ)り始めよ」とも読む。
千乗之国(せんじょうのくに)
大国。 「乗」は兵車を数える単位で、千の兵車を出すことのできる国ということから。 一つの兵車には、それぞれに百人の兵がつくとされていて、十万の兵力をいう。
川上之歎(せんじょうのたん)
時間が過ぎていくことへの嘆き。 「川上」は川のそば。 孔子が川の流れを見て、昼も夜も関係なく流れが過ぎていく、過ぎ去るとはこういうものかと嘆いたという故事から。 「川上之嘆」とも書く。
千乗万騎(せんじょうばんき)
膨大な量の車と騎馬のこと。 または、規模が大きく、堂々とした行列のこと。 「千」と「万」は数が非常に多いことのたとえ。 「乗」は兵車を数える単位で、一つの兵車には兵が百人がついたとされている。 「騎」は騎馬のこと。 権力者、特に天子の行列のことをいう。
千状万態(せんじょうばんたい)
色々な様子や形のこと。 「千」と「万」は数が多いことのたとえ。 「状」と「態」はどちらも形や状態のこと。
千仞之谿(せんじんのたに)
極めて深い谷のこと。 「仞」は長さの単位で、長さの単位の「尋」と同じ長さ。 「一仞」はおおよそ五尺から八尺の範囲で様々な説がある。 「千仞」は「千尋」とも、「谿」は「谷」とも書く。
千仞之山(せんじんのやま)
非常に高さのある山を言い表す言葉。 「仞」は長さの単位で、「千仞」は非常に高さがあることのたとえ。 「千尋之山」とも書く。
先声後実(せんせいこうじつ)
まずは強いという評判によって怯えさせ、その後に武力で攻撃すること。 始めに声で怯えさせて、武力で攻撃するのは怯えさせた後にするという意味から。 「声を先にして実(じつ)を後(のち)にす」とも読む。
先声奪人(せんせいだつじん)
出し抜いて他人より有利な立場に立つこと。 戦いをするときは、先に大きな声を出して相手を怯えさせるという意味から。 「先声(せんせい)人を奪う」とも読む。
翦草除根(せんそうじょこん)
災いの原因になるものを全て取り除くこと。 「翦草」は草を刈ること。 「除根」は根を取り除くこと。 草を全て刈り取り、草が生えないように根を全て取り除くという意味から。 「草を翦(き)り根を除く」とも読む。
吮疽之仁(せんそのじん)
部下の苦労をねぎらって大切にすること。 「吮」は口で直接吸い出すこと。 「疽」は悪性の腫物。 中国の戦国時代の楚の将軍の呉起は、悪性の腫物で苦しんでいる部下の血膿を吸い取ってやったという故事から。
千態万状(せんたいばんじょう)
いろいろなものの、様々な様子や状態。 または、様々な状態や形に変化すること。 「千」と「万」は数が非常に多いことのたとえ。 「態」と「状」はどちらも形や状態のこと。
旋転囲繞(せんてんいじょう)
相手の周りを回りながら囲むこと。 「旋転」はぐるぐる回ること。 「囲繞」は周囲を取り囲むこと。
舌敝耳聾(ぜっぺいじろう)
話が回りくどくて分かりづらいことのたとえ。 または、年老いて衰えたことを言い表す。 「舌敝」は舌がぼろぼろに破れる。 「耳聾」は耳が聞こえなること。 話す側が疲れて、聞く方も飽きるという意味から。 「舌弊耳聾」とも書く。
是非正邪(ぜひせいじゃ)
正しいことと、正しくないこと。 「是非」と「正邪」は、どちらも正しいことと、正しくないという意味で、似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。
前後矛盾(ぜんごむじゅん)
言葉や行動が前後で噛み合っていないこと。 「矛盾」は二つの物事の辻褄があっていないこと。
禅譲放伐(ぜんじょうほうばつ)
王朝を交代する二つの方法。 「禅譲」は世襲せずに、君主が自ら選んで徳がある人に譲ること。 「放伐」は悪政を行う君主を、臣下が武力で打ち倒したり、追放したりして地位を奪うこと。
前人未到(ぜんじんみとう)
今までに誰一人として成し遂げたことがないこと。 または、誰も足を踏み入れたことがないこと。 「前人」は過去から現在までの全ての人、先人のこと。 「未到」は到達したことがないこと。 今までにない素晴らしい記録や先人が誰一人として踏み込んだことのない場所への探検について使う言葉。 「前人未踏」とも書く。 「未踏」は誰もそこに入ったことがないという意味。
草偃風従(そうえんふうじゅう)
君主の徳によって自然と民衆が従うこと。 「草偃」は草がなびくことで、風が吹けばそれに従い草がなびくという意味。
桑間濮上(そうかんぼくじょう)
国を滅ぼすような淫乱な音楽。 「濮上」は濮水(ぼくすい)という川のほとり。 「桑間」はその川の流れる地名。 春秋時代、衛の霊公が濮水のほとりで聞いた音楽を気に入り、晋の平公の前で披露させたところ、晋の楽官の師曠が、この音楽は殷を滅亡させたみだらな音楽だといって演奏を中止させたという故事から。 「桑間濮上の音(おん)」を略した言葉。 「濮上桑間」「桑濮之音」「濮上之音」ともいう。
叢軽折軸(そうけいせつじく)
一つ一つは小さいものでも、数が多く集まれば大きな力になるということ。 「叢軽」は軽いものが数多く集まること。 「折軸」は車軸が折れること。 軽いものでも数多く集まれば、車軸が折れるほどの重量になるという意味から。
相互扶助(そうごふじょ)
お互いに助け合い支え合うこと。 「扶」は支えること。 「助」は助けること。 ロシアの無政府主義者ピョートル・クロポトキンが、ダーウィンの生存競争説に反対して唱えたもので、進化発展は個体間の自発的な助け合いによるものだとする社会学説の基本概念。
曾参殺人(そうしんさつじん)
嘘の話でも、多くの人から何度も繰り返し話を聞かされていると信じてしまうことのたとえ。 「曾参」は人名。孔子の弟子。 ある時、曾参の親類の者が人を殺した。 誰かが誤って、曾参の母親に「曾参が人を殺した」と告げたが、曾参の母親は信じなかった。 しかし、二人目、三人目と同じことを告げに来ると、さすがに話を信じて、機織仕事をやめて家を飛び出したという故事から。
相乗効果(そうじょうこうか)
様々な原因が重なって、個別の効果よりもよい効果を発揮すること。
宋襄之仁(そうじょうのじん)
必要のない情けをかけること。 「宋襄」は宋の国の襄公という人の名前。 「仁」は哀れみや思いやり。 楚との戦闘で、楚の軍が川を渡っている最中の陣形が崩れたところを攻めてはどうかと、部下に進言された襄公は、人の困難につけこむものではないと言い、攻めずにそのまま大敗したという故事から。