「が」で終わる四字熟語
「が」で終わる四字熟語 — 38 件
栄耀栄華(えいようえいが)
富や権力を得て栄え、贅沢を極めること。 または、家が富や権力で繁栄すること。 「栄耀」は栄えて輝くという意味。 「栄華」は華やかに繁栄するという意味。 似ている語を重ねて強調した語。 「栄華栄耀」ともいう。
燕雀相賀(えんじゃくそうが)
新しい家の完成を祝う言葉。 家の軒の下に巣を作る鳥の燕や雀も、家の完成を祝うという意味から。 「燕雀(えんじゃく)相(あい)賀(が)す」とも読む。
偃鼠飲河(えんそいんが)
人の欲望は、その人の分に応じたもので満足するべきであるということのたとえ。 分を弁えるべきであるという教え。 「偃鼠」は動物のもぐら。または、動物のどぶねずみ。 もぐらが河の水をどれだけ飲んでも、もぐらの小さな腹を満たす程度でしかないということから。 中国の聖天子の尭帝が許由に天下を譲ろうとした時に、許由は能力も才能もなければ、今の生活に満足もしていると言って断ったという故事から。 「偃鼠(えんそ)河に飲む」とも読む。
王之爪牙(おうのそうが)
君主の助けとなったり、国家を守ったりする武に秀でた臣下。 「爪牙」はつめときばのことで、武器や兵のたとえ。
温文爾雅(おんぶんじが)
心がおだやかで、態度や言動が礼儀にかなっていること。 「温文」は温和で礼儀にかなっていること。 「爾雅」は言葉や文章などが美しいこと。 「爾雅温文」ともいう。
迦陵頻伽(かりょうびんが)
美しい声のたとえ。 または、美しい声を持っているもののたとえ。 仏教の言葉で、梵語でカラヴィンカという想像上の鳥の名前を音訳したもの。 上半身は美しい女性、下半身が鳥の姿をしていて、美しい声で鳴くとされ、その声は仏の声のたとえとして使われる。
佶屈聱牙(きっくつごうが)
文章が難しく、理解しづらいこと。 「佶屈」はごつごつしていること。または、文章が読みづらいこと。 「聱牙」は言葉が耳に入っていかないこと。または、文章が分かりづらいこと。 「佶屈」は「詰屈」「詰誳」「詰倔」などとも書く。
宮車晏駕(きゅうしゃあんが)
天子が死ぬこと。 「宮車」は天子の車。 「晏駕」は夜になって霊柩車が墓に向かって出発すること。 天子が朝廷に来ないことを、夜になれば来るだろうと願う臣下の心情を表したという説もある。
琴棋書画(きんきしょが)
教養のある、文人のたしなみのこと。 琴を弾いて囲碁を打ち、書を書いて絵を描くということをいう。 中国では四芸と呼ばれ、文人のたしなみとされ、画題としてもよく用いられる。
行住坐臥(ぎょうじゅうざが)
普段の生活で行う最も基本的な動作のこと。 転じて、普段や常々という意味。 「行」は歩く、「住」は止まる、「坐」は座る、「臥」は寝ること。 仏教では、これらのことを四威儀や四儀ともいう。 「行住座臥」とも書く。
紅口白牙(こうこうはくが)
美しい女性の容姿を言い表す言葉。 「白牙」は白い歯。 紅い唇と白い歯という意味から。
紅粉青蛾(こうふんせいが)
美人を言い表す言葉。 または、美しい化粧のこと。 「紅粉」は口紅と白粉のこと。 「青蛾」は眉を蛾の触角のように、細長く三日月の形で青い色で描くこと。
三途大河(さんずのたいが)
あの世にある川。三途の川。 この世とあの世の境にあるとされ、死んだ人が初七日に渡るといわれている。
三密瑜伽(さんみつゆが)
密教の修行。 「三密」は身密、口密、意密の三つの行のこと。 「瑜伽」は修行者の三密と仏の三密が、互いに交じり溶け合うこと。 「瑜伽三密」ともいう。
屍山血河(しざんけつが)
この上なく激しい戦闘のこと。 または、その惨状のこと。 「屍山」は死体の山、「血河」は血の河のことで、激しい惨状の様子。
詩中有画(しちゅうゆうが)
詩の中にすぐれた言葉で景色が表現され、読んだ人がその景色にいるかのように感じられること。 中国の北宋の時代、蘇軾が唐の王維の詩を評価して言った言葉から。 「詩中(しちゅう)に画あり」とも読む。
諸法無我(しょほうむが)
仏教の根本的な三つの思想の一つで、この世に存在しているものの全ては、永遠不変の本質はもっていないということ。 「諸行無常」、「涅槃寂静」と合わせて三法印と呼ばれる。 「諸法」はこの世の全ての事象や現象のこと。 「無我」は不変の本質である「我」は存在しないということ。
雀角鼠牙(じゃっかくそが)
訴訟のこと。 「鼠牙」は鼠(ねずみ)の牙。 「雀角」は雀(すずめ)のくちばし。 鼠や雀が壁や塀に穴を空けて家を壊すように、訴訟は家庭を壊すという意味から。 「雀角鼠牙」ともいう。
常住坐臥(じょうじゅうざが)
ふだん、いつも。 「常住」はいつもという意味。 「坐臥」は座ることと寝ること。 座っているときも寝ているときもという意味から。 「行住坐臥」の「行住」と、「常住」が混同されてできた言葉。 「常住座臥」とも書く。
乗輿車駕(じょうよしゃが)
天子が乗る車。 または、天子のこと。 「乗輿」と「車駕」はどちらも天子が外出するときに使う車のこと。
斉駆並駕(せいくへいが)
能力や実力、地位などに差がないこと。 「駕」は馬車や乗り物のこと。 「斉駆」はそろって走らせること。 一台の馬車を数頭の馬で引っ張り疾駆することで、ともに肩を並べて進み、力に差が無いことのたとえ。 「斉駆並駕」「並駆斉駕」ともいう。
静寂閑雅(せいじゃくかんが)
ひっそりと静かで風情のある景色や雰囲気のこと。 「静寂」は静かな様子。 「閑雅」は静かで趣のあること。
切歯咬牙(せっしこうが)
歯をくいしばって、歯軋り(はぎしり)をするほどひどく悔しがること。 「咬牙」は歯をかみ締めること。 「切歯」は歯軋りをすること。 「切歯咬牙」ともいう。
千里之駕(せんりのが)
はるか遠いところから来ること。 「千里」は非常に距離が遠いこと。 「駕」は馬車で来ること。
千里命駕(せんりめいが)
遠くにいる友人を訪ねること。 「千里」は非常に距離が離れていることのたとえ。 「命駕」は馬車の用意を命じること。 遠くの友人を訪ねるために、馬車の用意を命令するという意味から。 「千里(せんり)駕(が)を命ず」とも読む。
体貌閑雅(たいぼうかんが)
容姿が落ち着いていて上品な様子。 「体貌」は体つきと容貌、姿かたちのこと。 「閑雅」は品があって落ち着いていること。
東山高臥(とうざんこうが)
世間から離れて、山奥で生活すること。 「東山」は中国の浙江省にある山の名前。 「高臥」は枕を高くして寝るということ。転じて何も縛られずに、好きに暮らすこと。 晋の政治家の謝安は、何度も朝廷から出仕の要請を受けていたが、四十歳を過ぎるまで断り続けて、東山で生活し続けたという故事から。 「高臥東山」ともいう。
駑馬十駕(どばじゅうが)
才能がない人でも、努力をすれば才能のある人に並ぶことができるということのたとえ。 「駑馬」は、足の遅い馬のこと。 「駕」は、馬に車をつけて走ること。 足の速い馬は一日で千里もの距離を走るが、足の遅い馬でも十日間休まず走り続ければこれに追いつけるという意味から。
日常坐臥(にちじょうざが)
「いつでも」「常に」「日ごろ」などの意味。 「坐」は座ること、「臥」は寝ることから、「坐臥」は起きているときも寝ているときもいつでもということ。
百二山河(ひゃくにのさんが)
防備がしっかりとしている天然の要塞。 「百二」は二人で百人を相手にして対等に渡り合えること。または、百人で二百人を相手に対等に渡り合えること。 中国の秦の地の防備の固さを言った言葉。
富貴栄華(ふうきえいが)
身分が高くて財産もあり、華やかに繁栄していること。 「富貴」は身分が高くて財産があること。 「栄華」はきらびやかに栄えていること。
風餐雨臥(ふうさんうが)
旅や野外の仕事の苦痛のこと。または、野宿をすること。 風に吹かれて食事をして、雨にうたれて寝るという意味から。
暴虎馮河(ぼうこひょうが)
一時の熱意にまかせて、後先考えずに無謀な行いをすること。 「暴虎」は虎を素手で殴ること。 「馮河」は大河を歩いて渡るという意味。 どちらも無謀な行動のたとえ。 孔子が弟子の子路を戒めた言葉。
無常因果(むじょういんが)
この世の儚さと、前世の行いの報いのこと。 「無常」はこの世のものは変わらないものはないということから、世の儚さをいう。 「因果」は原因と結果のことで、過去、現在、未来の三つの世にわたって因果の理が貫いているということ。
優婉閑雅(ゆうえんかんが)
美しくて気品がある様子。 「優婉」はやさしくて、美しい様子。 「閑雅」は上品で優美な様子。 「優婉嫺雅」とも書く。
幽寂閑雅(ゆうじゃくかんが)
静かで趣がある様子。 「幽寂」は奥深く静かな様子。 「閑雅」は趣があって静かな様子。 「幽寂間雅」とも書く。
竜跳虎臥(りょうちょうこが)
筆に勢いがあり、自由でのびのびしている様子のたとえ。 筆の勢いを、竜が天に伸び上がったり、虎が地に伏したりする様子にたとえた言葉。 元は、中国の南北朝時代の梁の武帝が、晋の王羲之の書を褒め称えた言葉。
礪山帯河(れいざんたいが)
永久に変わらない固い誓いのたとえ。 または、国が栄え続けることのたとえ。 「礪」は砥石(といし)のこと。「山」は泰山のこと。 「帯」はおびのこと。「河」は黄河のこと。 高い泰山がすりへって砥石のように平たくなるようなことがあったとしても、広い黄河が帯のように細くなるようなことがあったとしても、永久に変わることはないという意味から。
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