「う」を含む四字熟語
「う」を含む四字熟語 — 4264 件
規行矩歩(きこうくほ)
心や行動がしっかりとしていて正しいこと。 または、昔の法則や規則にこだわり、融通がきかないこと。 「規」は円を描いたり、長さを移すことに用いる文房具のコンパスのこと。 「矩」は長さを測るのに使われる工具の差し金のこと。 どちらも規則や基準という意味。
鬼哭啾啾(きこくしゅうしゅう)
恐ろしく不気味な気配のこと。 「鬼哭」は亡霊が声を上げて泣き悲しむこと。 「啾啾」は弱弱しく鳴く様子のこと。 亡霊の恨めしげな鳴き声が響くという意味から。
旗鼓相当(きこそうとう)
力が互角なこと。 「旗鼓」は軍旗と太鼓のことから、軍隊のたとえ。 敵と味方の力が釣り合っているという意味から。 「旗鼓(きこ)相当(あいあ)たる」とも読む。
気骨稜稜(きこつりょうりょう)
自分の信念を曲げずに、厳正に貫こうとする態度のこと。 「気骨」は自分の信念を貫こうとする性格。 「稜稜」は威勢があって厳正という意味。
起居動静(きこどうじょう)
日常。 または、普段の生活の立ち居振る舞いのこと。 「起居」は立つことと座ること。または、普段の生活での動作のこと。 「動静」は様子や動きのこと。
旗鼓堂堂(きこどうどう)
隊列などがきちんと整っていて、威厳のある様子のこと。 または、文筆の勢いが盛んなことの形容。 「旗鼓」は旗と太鼓という意味から軍隊という意味。 「堂堂」は整然としていて威厳のある様子。
奇策縦横(きさくじゅうおう)
相手の思いもよらない変わった策略を思うとおりに行うこと。 「奇策」は誰も考え付かない、変わった策略。 「縦横」は思う通りに振舞うこと。
窺伺傚慕(きしこうぼ)
他人のやり方を覗き見して、同じようにやろうとすること。 「窺伺」は狭いところから覗き見すること。 「傚慕」は真似しようとしてみること。 郭タク駝という庭師は木を育てるのがうまく、他の人が覗き見して真似しようとしたが、誰も同じように育てることは出来なかったという故事から。
鬼出電入(きしゅつでんにゅう)
目にも止まらない速さで現れたり、消えたりすること。または、奔放で出没を予想できないこと。 鬼神のように自在で、稲妻のように速く出没するという意味から。
貴種流離(きしゅりゅうり)
高貴な生まれの人が他国をさすらって、苦難や恋などの苦楽を経験して帰国すること。 「貴種」は身分が高い家で生まれ育ったこと。 「流離」は他国でさすらうこと。 『竹取物語』や『今昔物語』、『源氏物語』などの物語の類型のことで「貴種流離譚」という。
希少価値(きしょうかち)
数や量が少ないことで生まれる価値。 「稀少価値」とも書く。
起承転結(きしょうてんけつ)
文章の構成法のこと。または、物事の順序のこと。 漢詩の詩型の一つである絶句から生まれた言葉。 絶句は「起句」「承句」「転句」「結句」の四句から成り、起句で話を提起し、承句でその話を掘り下げて、転句で話の視点を転換させ、結句で話全体をまとめるというもの。
嬉笑怒罵(きしょうどば)
感情のこと。 「嬉」は喜ぶこと。 「罵」は悪口を言うこと。
喜新厭旧(きしんえんきゅう)
新しいものを好んで、古いものを嫌がること。 主に新しいものへと、次々に関心が移ることをいう。 「新しきを喜び旧(ふる)きを厭(いと)う」とも読む。
棄邪従正(きじゃじゅうせい)
悪い行いをやめて、正しい行動を取るように心を改めること。
机上空論(きじょうのくうろん)
理論的ではあるが、実際に行うことが不可能な考えや意見のこと。 「机上」は机の上。 「空論」は根拠がひとつもない理論のこと。 状況や状態などを一切考慮せずに、机の上で理論だけを考えたために、実現することが出来ない計画や議論という意味から。
机上之論(きじょうのろん)
理論的ではあるが、実際に行うことが不可能な考えや意見のこと。 「机上」は机の上。 「論」は根拠がひとつもない理論のこと。 状況や状態などを一切考慮せずに、机の上で理論だけを考えたために、実現することが出来ない計画や議論という意味から。
几杖不朝(きじょうふちょう)
天子が老齢の臣下に対してひじ掛けと杖を与え、参内しなくてもよいとした特権。または、有力な臣下に政治的配慮として与える特権。 「几」はひじ掛けのこと。 「朝」は朝廷に参内し、天子に挨拶をすること。
危如朝露(きじょちょうろ)
この上なく危険な状態のこと。 日光に当たった朝露があっという間に消えてしまうような危険な状態のことから。 「危(あやう)きこと朝露(ちょうろ)の如(ごと)し」とも読む。
貴人多忘(きじんたぼう)
高い地位を得て、人の上に立つと傲慢になり、過去のことを忘れてしまうことが多いということ。 「貴人」は身分の高い人。 「多忘」は忘れやすいこと。
杞人天憂(きじんてんゆう)
必要のない心配をすること。 「杞人」は古代中国の周の時代にあった杞という国の人。 「天憂」は天のことを心配すること。 杞の国の人が天が崩れて落ちてきたらと考え、心配していたという故事から。 「杞憂」という言葉は、この言葉を略したもの。 「杞人(きひと)、天を憂う」とも読む。
杞人之憂(きじんのゆう)
必要のない心配をすること。 「杞人」は古代中国の周の時代にあった杞という国の人。 「憂」は心配すること。 杞の国の人が天が崩れて落ちてきたらと考え、心配していたという故事から。
希世之雄(きせいのゆう)
この世のものとは思えないほどすぐれた英雄。 「希世」はとても珍しいこと。 「稀世之雄」とも書く。
希世用事(きせいようじ)
官僚として出世し、政治的手腕を十全に発揮すること。 「世(よ)に希(ねが)い事(こと)を用(もち)う」とも読む。
貴賤上下(きせんじょうげ)
身分や階級、地位の高い人と低い人。 または、それらの人たち全てのこと。 似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。
奇想天外(きそうてんがい)
通常では思いつかないような奇抜なこと。 「奇想」は奇抜な考えのこと。 「天外」は天の外という意味から、予想できない場所のたとえ。
帰巣本能(きそうほんのう)
動物がどこにいても自分の巣に帰りつくことが出来る、生まれた時から持っている能力。
規則縄墨(きそくじょうぼく)
物事の決まり。掟。 「縄墨」は大工道具のすみなわのことから、決まりや掟のたとえ。
吉日良辰(きちじつりょうしん)
縁起のよい日。 「吉日」と「良辰」はどちらもよいことがある日、めでたい日という意味。
吉祥悔過(きちじょうけか)
吉祥天を本尊としてまつり、罪を懺悔して国家の安泰や作物の豊穣を願い、毎年正月に行われる法会。 「吉祥」は仏教の守護神とされる吉祥天のこと。 「悔過」は間違いを悔いること。 仏教の言葉で、「吉祥天悔過」を略した言葉。
羈鳥旧林(きちょうきゅうりん)
旅人が故郷を思い懐かしむこと。 「羈鳥」は籠の中で飼われている鳥。 「旧林」は以前にいたことのある林。 「羈鳥(きちょう)は旧林(きゅうりん)を恋(こ)い、池魚(ちぎょ)は故淵(こえん)を思う」という詩から。
飢腸轆轆(きちょうろくろく)
空腹で腹が鳴ることを言い表す言葉。 「轆轆」は車が回転するときに出る音のことで、ここでは空腹時に腹が鳴る音を言い表す言葉。 極めて飢えている状態をいう。
鞠躬尽瘁(きっきゅうじんすい)
国のために命を懸けて尽くすこと。 「鞠躬」は身を低くしてかしこまること。 「尽瘁」は自分のことをかえりみずに、全力をつくすこと。
吉凶禍福(きっきょうかふく)
よいこととわるいこと。幸福と不幸。 「吉凶」と「禍福」はどちらもよいことと悪いことや、幸いと災いという意味で、似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。
吃驚仰天(きっきょうぎょうてん)
いきなりの出来事に、激しく驚くこと。 「吃驚」と「仰天」はどちらも驚くという意味で、似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。 「喫驚仰天」とも書く。
佶屈聱牙(きっくつごうが)
文章が難しく、理解しづらいこと。 「佶屈」はごつごつしていること。または、文章が読みづらいこと。 「聱牙」は言葉が耳に入っていかないこと。または、文章が分かりづらいこと。 「佶屈」は「詰屈」「詰誳」「詰倔」などとも書く。
亀甲獣骨(きっこうじゅうこつ)
亀の甲羅と獣の骨のこと。 古代中国の殷の時代に、甲骨文字を刻んで占いの記録をしていたとされている。
吉祥如意(きっしょうにょい)
多くの幸運が思いのままに訪れるようにと願う言葉。 「如意」は自分の思うままになること。
乞食飯牛(きっしょくはんぎゅう)
低い身分のたとえ。 または、低い身分から出世すること。 「乞食」は他人に食べ物を乞うこと。 「飯牛」は牛車の牛の世話をすることで、低い身分のたとえ。 中国の春秋時代の百里奚は、食べ物を乞いながら旅をしていたが、国政を任せられるまで出世し、ネイ戚は牛車の牛の世話をしているときに口ずさんだ歌が気に入られ、大夫に出世したという故事から。
吉辰良日(きっしんりょうじつ)
縁起のよい日。 「吉辰」と「良日」はどちらもよいことがある日、めでたい日という意味。
橘中之楽(きっちゅうのたのしみ)
将棋や囲碁をする楽しみのこと。 「橘」はみかんのこと。 中国の巴キョウの人が大きなみかんの実を割ると、中に二人の老人がいて、囲碁を打って楽しんでいたという故事から。
吉人天相(きつじんてんしょう)
善い人は天から助けてもらえるものだということ。 「吉人」は善人。 「天相」は天からの助けのこと。
橘井杏林(きつせいきょうりん)
医者の美称。医者の敬称。
寄田仰穀(きでんぎょうこく)
他国の田畑を借りて農耕をして、近くの国の穀物を頼りにすること。 「寄田」は他国の田畑を借りて農耕をすること。 「仰穀」は他国で生産された穀物を頼ること。 食糧を自分たちで生産できない様子を言い表す言葉。
詭道険語(きどうけんご)
人を困惑させるやり方や、分かりづらい言葉のこと。 「詭道」は人を不安にさせたり、好ましくない行動に走らせるやり方。 「険語」は難しく、理解し辛い言葉。
帰馬放牛(きばほうぎゅう)
戦争が終わって平和になることのたとえ。 または、二度と戦争をしないことのたとえ。 戦争のための馬や牛を野性にかえすという意味から。 殷の紂王を討ち取った周の武王は、戦争で使った馬を崋山の南で放ち、牛を桃林の野に放って二度と戦争に用いないことを示した故事から。 「馬を帰し牛を放つ」とも読む。
危邦不入(きほうふにゅう)
戦争などで危険な状態になっている国には立ち寄るべきではないということ。乱世の処世術の一つ。 「邦」は国。 「危邦」は危うい状況になっている国。 「危邦(きほう)には入(い)らず」とも読む。 この言葉の後ろに「乱邦(らんぽう)には居らず」と続く。
帰命頂礼(きみょうちょうらい)
頭を地に着けて仏を敬って拝むこと。 または、心の底から仏に帰依すること。 「帰命」は命懸けで仏の教えを信じて従うこと。 「頂礼」は古代インドで最高の敬礼で、頭を地に着けて行う礼。
亀毛兎角(きもうとかく)
この世界に存在するはずのないもののたとえ。 亀の甲羅に毛が生え、兎の頭に角が生えるという意味から。 元は戦争が起こる触れを言った言葉。 「兎角亀毛」ともいう。
客塵煩悩(きゃくじんぼんのう)
外から思いがけずにもたらされる心の迷いや欲望のこと。 「客」は外からやってきた客のこと。 仏教の言葉で、心の中に初めから煩悩が存在するわけではなく、外からきた旅人の衣服についている塵のように、心に思いがけずに付着するものであるという意味から。
脚下照顧(きゃっかしょうこ)
他人の批判をする前に、自分の過去の言動を見つめ直してよく考えるべきであるという自己反省の教え。 または、身近なことこそ気をつけるべきという戒め。 もとは禅宗の言葉。 「脚下」は足もとのこと。 「照顧」は反省することや、しっかりと見ること。 「照顧脚下」ともいう。
旧雨今雨(きゅううこんう)
昔からの友人と最近親しくなった友人。 中国語の音で「雨」と「友」は同じ音ということから、友人のことをしゃれて言った言葉。
求栄反辱(きゅうえいはんじょく)
栄誉を得ようとして、恥をかくこと。 「栄(えい)を求めて反って辱(はずかし)めらる」とも読む。
窮猿投林(きゅうえんとうりん)
困っている状況の時には、選り好みする余裕はないということ。 または、貧しいときは職を選んでいる余裕は無いということ。 「窮猿」は逃げ場のない状況に追い込まれた猿。 「投林」は林に飛び込むこと。 逃げ場の無い状況に追い込まれた猿が、林の中に飛び込んでも、掴まるための枝を選ぶ余裕はないという意味から。 中国の東晋の李充が言った言葉とされ、貧しかった李充は将軍の参謀に薦められたが、それでは生活が成り立たないと判断して、報酬は多いが地位の低い地方官になったという故事から。
窮閻漏屋(きゅうえんろうおく)
大通りの裏にある荒れ果てた家のこと。 「窮閻」は貧しい町の中。 「漏屋」は雨が漏れる家、荒れ果てた家。
救火以薪(きゅうかいしん)
誤った処置をしたことで、かえって悪化してしまうことのたとえ。 火を消そうとして薪を加えるということから。 「火(ひ)を救うに薪(たきぎ)を以(もっ)てす」とも読む。
九夏三伏(きゅうかさんぷく)
夏の一番暑い時期のこと。 「九夏」は夏の季節の九十日間。 「三伏」は初伏、中伏、末伏のこと。 夏至以降の三回目の庚の日を初伏、四回目の庚の日を中伏、立秋の後の最初の庚の日を末伏という。
汲汲忙忙(きゅうきゅうぼうぼう)
この上なく多忙なこと。 「汲汲」は休むことなく、働き続けること。 「忙忙」は多忙なこと。
窮極無聊(きゅうきょくぶりょう)
非常に貧しく希望がないこと。 または、貧しく、心苦しいために、何も楽しめないこと。 「窮極」は貧しさが極限に達すること。 「無聊」は頼りになるものがないこと。または、心に憂いがあって何も楽しめないこと。
鳩居鵲巣(きゅうきょじゃくそう)
他人の地位や成功を横取りすること。 または、嫁いできた女性が夫の家をわが家とすることのたとえ。 巣作りが得意な鵲(かささぎ)の巣に鳩(はと)が住み着くことから。 「鵲巣鳩居」ともいう。
九牛一毛(きゅうぎゅうのいちもう)
たくさんある中のほんの少しの部分。 または、どうでもいい、些細なこと。 「九」は数が多いことのたとえ。 多くの牛がいる中の一頭の牛の毛の一本ということから。
窮形尽相(きゅうけいじんそう)
全てのものの見た目をそのまま、生き生きと表現して、真に迫ること。 または、人や物事をきわめて巧妙に真似ること。 「窮」と「尽」はどちらも完璧に窮めること。 「形」と「相」はどちらもものの形象、外形のこと。 「形(かたち)を窮(きわ)め相(そう)を尽くす」とも読む。
泣血漣如(きゅうけつれんじょ)
深い悲しみで涙が流れ続けること。 「泣血」は涙が出なくなり、血の涙を流すこと。 「漣」は涙が流れること、「如」は様子や状態を表す助字。
及肩之牆(きゅうけんのしょう)
簡単に内側が見えてしまうほど、まだ未熟であるということのたとえ。 「及肩」は肩と同じくらいの高さのこと。 「牆」は塀のこと。 古代中国の魯の大夫の叔孫武叔が、孔子よりも弟子の子貢のほうがすぐれていると言い、子貢がそれに反論したという故事から。
急功近利(きゅうこうきんり)
慌てて成功しようとして、目先の利益に勢いよくすがりつくこと。 「功」は功績や成功のこと。 「利」は利益のこと。 「功を急ぎ利に近づく」とも読む。
九皐鳴鶴(きゅうこうのめいかく)
世間から離れて暮らしていても、よい名声が自然と知られること。 「九皐」は山の奥深い場所にある沼沢。 山奥にある沼沢で美しい鳴き声の鶴が鳴くという意味から。 山の奥深くに隠居している賢者の名声は、自然と広まるということをたとえた言葉。
救国済民(きゅうこくさいみん)
世の中をうまく統治して、民を苦しみから救い出すこと。 「救国」は危機から国を救うこと。 「済民」は民を救済すること。
朽索六馬(きゅうさくりくば)
困難で危険な状態な状態のたとえ。 「朽索」は腐って崩れ落ちそうな縄。 腐って駄目になった縄で、六頭立ての馬車を操ることから。 「朽索(きゅうさく)六馬(りくば)を馭(ぎょ)す」とも読む。
丘山之功(きゅうざんのこう)
無数の努力を積み重ねて成し遂げた、非常に偉大な功績。 丘や山のように大きな功績という意味から。 小さな石や土を数多く積み重ねて出来た丘や山ということから、数多くの努力を積み重ねることをいう。
泣斬馬謖(きゅうざんばしょく)
法や規律を私情で曲げるべきではないということのたとえ。 または、大きな目的を果たすために私情を捨てること。 最も信頼している部下でも、法や規律を犯せば処罰するという意味から。 「馬謖」は中国の三国時代の人の名前。 中国の三国時代の蜀の諸葛亮が信頼を置いていた馬謖は、命令違反をして敗退したために、私情を捨て、涙をのんで軍規に従い処刑したという故事から。 「泣いて馬謖を斬る」とも読み、この形で使うことが多い言葉。
窮山幽谷(きゅうざんゆうこく)
人里から遠く離れた、奥深い場所にある静かな山と谷。 「窮」と「幽」はどちらも奥深いという意味。
九死一生(きゅうしいっしょう)
助かる見込みがほぼ無い状況で、何とか助かること。 九割の確立で死ぬような危険な状況で何とか生き残るという意味から。 「九死に一生を得る」という形で使うことが多い言葉。
宮車晏駕(きゅうしゃあんが)
天子が死ぬこと。 「宮車」は天子の車。 「晏駕」は夜になって霊柩車が墓に向かって出発すること。 天子が朝廷に来ないことを、夜になれば来るだろうと願う臣下の心情を表したという説もある。
窮愁著書(きゅうしゅうちょしょ)
不遇な境遇に負けずに、そのことを書物に書き、その意志を書き記すこと。 「窮愁」は苦しんで悩むこと。 「窮愁(きゅうしゅう)書を著(あらわ)す」とも読む。
鳩首協議(きゅうしゅきょうぎ)
人が集まって真剣に話し合うこと。 「鳩」は集めるという意味。 「鳩首」は人が顔を合わせて集まること。 「協議」は真剣に話合うこと。
鳩首凝議(きゅうしゅぎょうぎ)
人が集まって真剣に話し合うこと。 「鳩」は集めるという意味。 「鳩首」は人が顔を合わせて集まること。 「凝議」は真剣に話合うこと。
鳩首謀議(きゅうしゅぼうぎ)
人が集まって真剣に話し合うこと。 「鳩」は集めるという意味。 「鳩首」は人が顔を合わせて集まること。 「謀議」は真剣に話合うこと。
求漿得酒(きゅうしょうとくしゅ)
希望しているものより、善いものが手に入ること。 「漿」はすっぱい飲み物。 すっぱい飲み物を欲しがって、酒が手に入るということから。 「漿(しょう)を求めて酒を得(う)」とも読む。
休心息念(きゅうしんそくねん)
たまにわき起こる欲望や感情に捨てて、仏の掟を守り、人が本来持っているあり方を貫くこと。 仏教の言葉で、「休」と「息」は止めるということ。
九仞之功(きゅうじんのこう)
仕事を完遂する間際の、最後のひと踏ん張りのこと。 または、仕事を完成させるために積み重ねる一つ一つの努力と、その大切さのこと。 「九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に虧(か)く」による。 九仞の高さの山を作るにも、最後のもっこ一杯の土を盛らずに止めてしまえば山は完成しないとの意から。