「しょう」を含む四字熟語
「しょう」を含む四字熟語 — 436 件
悪人正機(あくにんしょうき)
罪深い悪人を救済することこそが、阿弥陀仏の本願であるという教えのこと。 「正機」は人が悟りを得るための条件や資質のことで、悪人こそが往生するにふさわしい機根だとする浄土真宗の親鸞の基本的思想のこと。
唖然失笑(あぜんしっしょう)
突然の出来事に驚いて、思わず笑ってしまうこと。 「唖然」は予想外の出来事で驚いて呆れること。 「失笑」は無意識に笑ってしまうこと。
阿諛曲従(あゆきょくしょう)
相手に気に入られようとして、相手の言うことを何でもきいて機嫌をとること。または、そのための言動。 「阿諛」は気に入られようと振る舞う。 「曲従」は気に入られるために、自分の意思を曲げてまでして従う。
阿諛追従(あゆついしょう)
相手に気に入られるために、お世辞を言ったり相手の言うことに従ったりして機嫌を取ること。 「阿諛」は気に入られるために機嫌を取ること。 「追従」は逆らわず言うとおりに従うこと。
暗箭傷人(あんせんしょうじん)
こっそりと人を陥れたり、中傷したりすること。 「暗箭」は暗がりから放たれた矢のこと。 「傷人」は人を傷つけること。 「暗箭(あんせん)人を傷(やぶ)る」とも読む。
意気消沈(いきしょうちん)
元気をなくして気分がしょんぼりすること。 「意気」は気力や気概。「銷沈」は衰えて沈むという意味。 「意気銷沈」とも書く。
意気衝天(いきしょうてん)
気力が天を衝くほど高く充実している様子。 「意気」は気力や気概、「衝天」は天を衝くほど高いという意味。
衣錦尚絅(いきんしょうけい)
才能や徳を見せ付けないように隠すこと。 「錦」は金や銀などの糸で織り込んだ美しい絹織物、「尚」は上に重ねること、「絅」は薄いうちかけのこと。 錦を見せ付けないように上から重ね着するという意味で、才能や徳などを誇示することへの戒め。
意匠惨澹(いしょうさんたん)
物事に工夫を凝らすために、いろいろな苦労をすること。 「意匠」は工夫すること。 「惨澹」は苦労すること。 「意匠惨憺」とも書く。
易如反掌(いじょはんしょう)
物事を簡単に成し遂げることができること。 手の平を返す程度の難易度ということから。 「易(やす)きこと掌(たなごころ)を反すが如(ごと)し」とも読む。
一念化生(いちねんけしょう)
集中して強く念じることで、別の姿に生まれ変わること。 「一念」は一途な思い。 「化生」は生まれ変わること。 心の次第で、餓鬼にも仏にもなるということ。
一蓮托生(いちれんたくしょう)
極楽浄土に往生して同じ蓮の花の上に生まれ変わるという意味の仏教語。 転じて、何があろうとも行動や運命を共にすること。 「一蓮託生」とも書く。
一六勝負(いちろくしょうぶ)
ばくちのこと。また、運任せの思い切った行動のこと。 「一六」はさいころの目のこと。 さいころを振って、一の目が出るか、六の目が出るかを賭けて勝負するということから。
一死七生(いっししちしょう)
天上界で一度死ぬと、人間界で七たび生まれ変わるということ。 仏教用語。
一觴一詠(いっしょういちえい)
酒を飲みながら詩をよむ、風流な楽しみのこと。 「詠」は詩をよむこと。 「觴」は杯のこと。 一杯の酒を飲みながら、一つの詩をよむことから。 「一詠一觴」ともいう。
一生一世(いっしょういっせ)
人生で一度きりの最も大切な出来事。 強く信じたり、心を決める時に使う言葉。
一生懸命(いっしょうけんめい)
全力で物事に取り組む様子。命がけで物事に取り組む様子。 「懸命」は命をかけて取り組むこと。 「一所懸命」が変化した言葉。
一倡三歎(いっしょうさんたん)
優れた詩文を褒め称えていう言葉。 「倡」は詩文を読むこと。 「三」は何度もの意。 「歎」は感心して褒め称える、感嘆という意味。 一度読み上げる間に何度も感歎することから。 「一倡」は「一唱」、「三歎」は「三嘆」とも書く。
一笑千金(いっしょうせんきん)
美人のこと。 一度の微笑みが千金にも値することから。 「千金一笑」ともいう。
一笑置之(いっしょうちし)
いい加減に扱う。相手にしない。 軽く笑って別の場所に置くという意味から。 「一笑(いっしょう)、之(これ)を置(お)く」とも読む。
一将万骨(いっしょうばんこつ)
功名や手柄は上に立っている人が得るが、その陰には多くの部下の犠牲があるということ。 また、それを忘れてはいけないという戒め。 「将」は将軍のこと。 「万骨」は何万もの遺骨のこと。 「一将功成りて万骨枯る」の略した言葉。
一生不犯(いっしょうふぼん)
仏教での僧侶の戒律で、一生涯にわたって戒めを守り、男女の交わりをしないこと。 「不犯」は僧侶が戒律を守り、侵さないこと。
一殺多生(いっせつたしょう)
一人の人を犠牲にして、たくさんの人が助かること。 元は仏教の言葉で、たくさんの人を救うために、悪人一人を犠牲にすることは、望ましくはないが仕方ないという考えをいう。
一筆勾消(いっぴつこうしょう)
今までのものを全て取り消すこと。 「勾消」は線を引いて消すこと。 帳簿などの今までの記録の上から線を引いて消すという意味から。 中国の北宋の時代に范中淹は、才能のない駄目な役人を名簿から消していったという故事から。 「一筆勾銷」とも書く。
一嚬一笑(いっぴんいっしょう)
顔に表れるちょっとした表情。または、少しの表情の変化。 「一」は少しという意味。 「嚬」は機嫌を損ねて顔をしかめること。 「嚬」は「顰」とも書く。 「一笑一嚬(一笑一顰)」ともいう。
殷殷奨飾(いんいんしょうしょく)
心をこめて励ましたり、褒めたりすること。 「殷殷」は心をこめてや、丁寧という意味。 「奨飾」は褒めたり、励ましたりすること。 「殷殷(いんいん)として奨飾(しょうしょく)す」とも読む。
引古証今(いんこしょうこん)
昔の事象や事実などを根拠として現在の物事を議論すること。 「古(いにしえ)を引(ひ)いて今(いま)を証(しょう)す」とも読む。
因小失大(いんしょうしつだい)
目先の小さな利益を得ようとして、大きな損失を出すこと。 または、小さなことをいい加減にしたせいで、大きな失敗をすること。 「小に因(よ)りて大を失う」とも読む。
印象批評(いんしょうひひょう)
客観的な基準ではなく、個人的な印象や感動を基準にして芸術作品の批評をすること。 フランスの文芸批評の手法で、十九世紀後半に生まれた。
禹拝昌言(うはいしょうげん)
役に立つ言葉を素直に受け入れること。 「拝」は聞くこと。拝聴すること。 「昌言」は道理に適っていて正しい言葉。 中国の夏の国の禹王は、道理に適っている言葉をしっかりと聞いて素直に受け入れたという故事から。 「禹(う)昌言(しょうげん)を拝(はい)す」とも読む。
雲散霧消(うんさんむしょう)
雲や霧が消えてなくなるように、何かがそこにあった形跡が全て消えてなくなること。
雲消霧散(うんしょうむさん)
雲や霧が消えるように、そこにあった形跡すらも消えてなくなること。
依他起性(えたきしょう)
存在は他の存在との関係によって成り立っているという考え。 唯識法相宗(ゆいしきほっそうしゅう)の教義で、三性(さんしょう)の一つ。
延頸挙踵(えんけいきょしょう)
強く待ち焦がれること。 または、すぐれた才能を持つ人物が現れるのを心待ちにすること。 「延頸」は首を伸ばすこと。 「挙踵」はかかとを上げて爪先立ちすること。 爪先立ちをしながら、首を長く伸ばして待ち望むということから。 「頸(くび)を延(の)べ踵(かかと)を挙(あ)ぐ」とも読む。
掩耳盗鐘(えんじとうしょう)
浅はかな考えで、自分で自分を欺くことのたとえ。 または、自分の良心を騙して、そのことを考えないようにしながら悪事を働くこと。 または、隠していた悪事がいつのまにか知れ渡ること。 「掩耳」は耳をふさぐこと。 男が大きな鐘を盗んだが、重くて持って帰ることができず、割って小さくして持って帰ろうと槌で打つと大きな音がして、他人に気付かれることを恐れた男は慌てて自分の耳を塞いだという故事から。 「耳(みみ)を掩(おお)いて鐘(かね)を盗む」とも読む。
応化利生(おうげりしょう)
仏や菩薩が相手に応じて姿を変えて現れ、悟りへと導くこと。仏教の言葉。
王侯将相(おうこうしょうしょう)
高貴な身分は、才能や努力などできまり、家柄や血統ではないという意味。 「王侯」「将相」は、王、諸侯、将軍、宰相などの高貴な身分のこと。
回光返照(かいこうへんしょう)
①自分本来の姿を振り返り、反省して修行すること。 ②日が沈む前に夕日の照り返しで一瞬明るくなるということ。 ③死の間際に、一時的に元気を取り戻すこと。また、物事が滅びる間際に一時的に勢いを回復すること。 「回光」と「返照」はどちらも夕日の照り返しや、日の光の反射のこと。 「回光」は「えこう」とも、「返照」は「へんじょう」とも読む。 「回光」は「廻光」とも、「返照」は「反照」とも書く。 ※日本では、①を回光返照(えこうへんしょう)、②③を回光返照(かいこうへんしょう)と区別して用いることが多い。 漢字検定では、回光返照(えこうへんしょう)は準1級、回光返照(かいこうへんしょう)は準2級とされる。
呵呵大笑(かかたいしょう)
大きな声で思い切り笑うこと。 「呵呵」と「大笑」はどちらも大笑いすること。
廓然無聖(かくねんむしょう)
不満や疑念などのわだかまりがなく、聖なる真理などないと悟ること。 「廓然」は心が広々としていて、わだかまりなどなにもないこと。 「無聖」は凡人と聖者の差がないという意味。 仏教の言葉で、古代中国の南北朝時代の梁の国の武帝が、インドから来た達磨に聖諦第一義のことを尋ねたという故事から。
寡見少聞(かけんしょうぶん)
知識や経験が少ないこと。 または、世間のことを知らないこと。 「寡」と「少」はどちらも少ないという意味。 自分のことを謙遜していう言葉。
歌功頌徳(かこうしょうとく)
他人の功績や徳を褒め称えた歌を歌うこと。 「歌功」は功績を褒め称えて歌うこと。 「頌徳」は徳の高さを褒め称えること。 「功を歌い徳を頌う」とも読む。
花枝招展(かししょうてん)
女性が着飾っている美しい姿のたとえ。 「展」は広げること。 美しい花を咲かせた枝が風に揺れている様子を、手を広げて人を招いている女性にたとえたもの。 「花枝(かし)、招き展(の)ぶ」とも読む。
禍生於忽(かしょうおこつ)
不幸や災難は、油断が原因となって発生するということ。 「忽」は怠ること。 「禍(わざわい)は忽(こつ)より生(しょう)ず」とも読む。
禍生得意(かしょうとくい)
物事が思い通りに進んだ時にこそ、予想外の不幸が生まれるということ。 「禍(わざわい)は得意(とくい)より生(しょう)ず」とも読む。
過小評価(かしょうひょうか)
力や価値などを実際よりも低く評価すること。 「過小」は度を超して低く見ること。 「評価」は価値を判断すること。
禍生不徳(かしょうふとく)
その人自身の不徳が原因となって、不幸が起こるということ。 「禍」は災難、不幸。 「禍(わざわい)は不徳(ふとく)に生(しょう)ず」とも読む。
禍生有胎(かしょうゆうたい)
災難には前触れがあるということ。 「胎」は兆し、前触れ。 「禍(わざわい)の生(しょう)ずるは胎(たい)有(あ)り」とも読む。
寡二少双(かじしょうそう)
匹敵する者がいないこと。 「寡二」は二つは存在しない、唯一。 「少双」は匹敵するものが存在しないということ。 似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。
下筆成章(かひつせいしょう)
文章を作る速度が速い様子。 筆を持てば文章が出来上がるという意味から。 中国の三国時代の魏の文帝である曹丕を称した言葉。 「筆を下せば章を成す」とも読む。
寡聞少見(かぶんしょうけん)
知識や経験が少ないこと。 または、世間のことを知らないこと。 「寡」と「少」はどちらも少ないという意味。 自分のことを謙遜していう言葉。
佳兵不祥(かへいふしょう)
戦争を批判する言葉で、すぐれた性能の武器は人を殺すためのものであり不吉なものであるということ。 「佳兵」はすぐれた兵ということから、すぐれた性能のある武器のたとえ。 「不祥」は不吉なこと。
緩衝地帯(かんしょうちたい)
対立し合ってる国同士の間にあり、衝撃を緩和する目的で設ける中立地帯。または、ぶつかった時の衝撃を弱める目的で間に設置する物。
勧奨懲戒(かんしょうちょうかい)
善を勧めて悪を罰すること。 「勧奨」は奨励すること。 「懲戒」は罰すること。 善い行いを勧めて、悪い行いをしないようにするということ。
干将莫邪(かんしょうばくや)
古代中国にあったとされる名剣の名前。 「干将」は中国の春秋時代の呉の国の刀工の名前。 「莫邪」はその刀工の妻の名前。 干将は呉の王に剣を作るように言われ、剣を作り始めたが、上手くいかなかった。 炉に妻の髪と爪を入れてみると、二振りの名剣が完成して、その剣に「干将」と「莫邪」という名 づけて献上したという故事から。 「干将莫耶」とも書く。
完全燃焼(かんぜんねんしょう)
最後まできれいに燃え尽きること。 または、全ての力を出し切ること。
肝胆相照(かんたんそうしょう)
お互いに心の奥深くまで理解しあっていて、打ち解け合っている関係のたとえ。 「肝胆」は内臓の肝臓と胆嚢のことで、心の奥底のたとえ。 肝臓と胆嚢のように近くて深い関係ということから。 「肝胆(かんたん)相(あい)照らす」とも読む。
環堵蕭然(かんとしょうぜん)
狭く質素でみすぼらしい家の様子。 「環堵」は家を囲む垣根のこと。または小さく狭い家のこと。「堵」は長さの単位で、一説に約二・二メートルとされるが諸説ある。 「蕭然」は寂しい様子。
磑風舂雨(がいふうしょうう)
物事の起こる前触れ。 「磑風」は石臼を回すように、羽虫などの虫が回るように飛び回れば風が吹くという言い伝えのこと。 「舂雨」はきねでつくように、羽虫などの虫が上下に飛び回ると雨がふるという言い伝えのこと。
鷽鳩笑鵬(がくきゅうしょうほう)
小人物が大人物を嘲笑うこと。または、大人物を理解することは小人物には難しいということ。 「鷽鳩」は小さな鳩(はと)のこと。 「鵬」は伝説上の鳥。 ”鵬は南の果ての海である冥南を目指して九万里の高さで飛ぶ”という話を聞いた小さな鳩が、それに何の意味があるのかと嘲笑ったという説話から。 「鷽鳩(がくきゅう)、大鵬(たいほう)を笑う」を略した言葉。 「鷽鳩」は「学鳩」とも書く。
臥薪嘗胆(がしんしょうたん)
目的を果たすために、苦難に耐えて機会を待つこと。 「臥薪」は固い薪(たきぎ)の上で寝ること。 「嘗胆」は苦い肝(きも)をなめること。 春秋時代、呉王の夫差は固い薪の上で寝ることで、父親の敵である越王の勾践への恨みを忘れないようにし、ついには会稽山の戦いで勝利した。 その一方で、会稽山の戦いで敗北した勾践は、寝室に苦い肝を置き目覚める度にそれをなめることで敗北の恥を思い返し、ついには夫差を滅ぼしたという故事から。
我心如秤(がしんじょしょう)
自分の心は均整の取れた秤のように公平であるということ。 「我が心は秤(はかり)の如(ごと)し」とも読む。 「吾心如秤」とも書く。
合従連衡(がっしょうれんこう)
その時の利益と損害などの状況に合わせて、国や組織などが手を組んだり、離れたりすること。 「従」は縦という意味。「合従」は強大になった秦に対して、周辺の六カ国が縦(南北)に同盟を組んで対抗するという蘇秦の策略のこと。 「衡」は横という意味。「連衡」は合従の対抗策として秦の張儀が使った策略で、秦と組む利を説いて合従から抜けさせ、秦と各国が横(東西)に同盟を組むというもの。
我慢勝他(がまんしょうた)
他の人以上に自分の考えを押し通すこと。 または、自分は他の人よりもすぐれていると思い上がって見下すこと。 仏教の言葉で、「我慢」は七慢のうちの一つで、自負心が強いこと。 「勝他」は他の人よりもすぐれていると思うこと。
含笑入地(がんしょうにゅうち)
悔いを残さず、心穏やかに死ぬこと。 「入地」は遺体を土の中に埋めること。 中国の後漢の韓韶が贏県を治めていたときに、難民に食べ物を与えたところ、戸主に非難されたが、韓韶は困っている人を助けて罰せられるのなら笑顔で死ねると言ったという故事から。 「笑いを含んで地に入る」とも読む。
危言聳聴(きげんしょうちょう)
誇張した表現で、聴いている人を驚かして恐れさせること。 「危言」は激しい言葉。 「聳聴」は聴いている人を驚かせ、恐れさせること。 「危言(きげん)もて聴くものを聳(おそ)れしむ」とも読む。 「危言悚聴」とも書く。
希少価値(きしょうかち)
数や量が少ないことで生まれる価値。 「稀少価値」とも書く。
起承転結(きしょうてんけつ)
文章の構成法のこと。または、物事の順序のこと。 漢詩の詩型の一つである絶句から生まれた言葉。 絶句は「起句」「承句」「転句」「結句」の四句から成り、起句で話を提起し、承句でその話を掘り下げて、転句で話の視点を転換させ、結句で話全体をまとめるというもの。
嬉笑怒罵(きしょうどば)
感情のこと。 「嬉」は喜ぶこと。 「罵」は悪口を言うこと。
吉祥悔過(きっしょうかいか)
吉祥天を本尊としてまつり、罪を懺悔して国家の安泰や作物の豊穣を願い、毎年正月に行われる法会。 「吉祥」は仏教の守護神とされる吉祥天のこと。 「悔過」は間違いを悔いること。 仏教の言葉で、「吉祥天悔過」を略した言葉。
吉祥如意(きっしょうにょい)
多くの幸運が思いのままに訪れるようにと願う言葉。 「如意」は自分の思うままになること。
吉人天相(きつじんてんしょう)
善い人は天から助けてもらえるものだということ。 「吉人」は善人。 「天相」は天からの助けのこと。
脚下照顧(きゃっかしょうこ)
他人の批判をする前に、自分の過去の言動を見つめ直してよく考えるべきであるという自己反省の教え。 または、身近なことこそ気をつけるべきという戒め。 もとは禅宗の言葉。 「脚下」は足もとのこと。 「照顧」は反省することや、しっかりと見ること。 「照顧脚下」ともいう。
及肩之牆(きゅうけんのしょう)
簡単に内側が見えてしまうほど、まだ未熟であるということのたとえ。 「及肩」は肩と同じくらいの高さのこと。 「牆」は塀のこと。 古代中国の魯の大夫の叔孫武叔が、孔子よりも弟子の子貢のほうがすぐれていると言い、子貢がそれに反論したという故事から。
九死一生(きゅうしいっしょう)
ほとんど助かる見込みのない極めて危険な状況で、かろうじて助かること。 九割の確率で死ぬような危険な状況で、何とか生き残るという意味から。 「九死に一生を得る」という形で使うことが多い言葉。
求漿得酒(きゅうしょうとくしゅ)
希望しているものより、善いものが手に入ること。 「漿」はすっぱい飲み物。 すっぱい飲み物を欲しがって、酒が手に入るということから。 「漿(しょう)を求めて酒を得(う)」とも読む。
朽木糞牆(きゅうぼくふんしょう)
やる気がなく、だらしない人を教育することはできないということのたとえ。 または、役に立たないもののたとえ。 腐ってぼろぼろになった木と土壁ということで、腐った木材に彫刻することはできず、腐った土壁に上塗りをすることはできないという意味。 「朽木は雕(ほ)るべからず、糞土の牆は杇(ぬ)るべからず」から。
皎皎晶晶(きょうきょうしょうしょう)
明るく光り輝く様子。 「皎皎」は潔白な様子や、明るい様子。 「晶晶」は光り輝く様子。
喬松之寿(きょうしょうのじゅ)
老いることなく、いつまでも生きること。 長寿や長命のたとえ。 「喬松」は人の名前で、中国の伝説の仙人の赤松子と王子喬の二人のこと。
驕慢放縦(きょうまんほうしょう)
自分勝手におごり高ぶっている様子。 「驕慢」は他人を見下して、好き勝手にすること。 「放縦」は自分勝手に振る舞うこと。