『列子』を出典とする四字熟語 — 33 件
『列子』(れっし)を出典とする四字熟語を一覧で紹介します。各四字熟語の読み方・意味もあわせて確認できます。全33件を五十音順に掲載しています。
四字熟語一覧(五十音順)
怡然自得(いぜんじとく)「黄帝」
心が落ち着いていて、満ち足りていること。 または、自分の心を理解し、喜び安らぐこと。 「怡然」は喜び楽しむ様子のこと。または、悩むことなく道理を理解する様子のこと。 「自得」は現在の自分に満足すること。または、自身の心の内側を自身で理解すること。 「怡然として自得す」とも訓読する。
役夫之夢(えきふのゆめ)「周穆王」
人生の栄華や栄光は夢のように儚いということのたとえ。 「役夫」は使用人のこと。 昼間は主人にこき使われている使用人が「夜は夢の中で王になって楽しんでいるから平気だ」と言ったという故事から。
海翁好鷗(かいおうこうおう)「黄帝」
悪だくみは心の奥底に隠しているつもりでも、相手には気付かれてしまうため達成しにくいということ。 いつもカモメと遊んでいた子どもが、ある日、親からカモメを捕まえてくるように言われた。 しかし、カモメは警戒して子どもに近づいてくることはなかったという説話から。 「海翁(かいおう)鷗(かもめ)を好む」とも読む。
華胥之国(かしょのくに)「黄帝」
良い夢のこと。 または、昼寝のこと。 「華胥」は夢の中にある理想郷。 中国の伝説の聖天子の黄帝は、昼寝をしていると華胥という国に行く夢を見た。 華胥では、人民に不満などが何も無く、理想的な政治が行われていた。 夢から覚めた黄帝は、その国を見習った政治をすると自国をうまく治めることができたという故事から。
華胥之夢(かしょのゆめ)「黄帝」
良い夢のこと。 または、昼寝のこと。 「華胥」は夢の中にある理想郷。 中国の伝説の聖天子の黄帝は、昼寝をしていると華胥という国に行く夢を見た。 華胥では、人民に不満などが何も無く、理想的な政治が行われていた。 夢から覚めた黄帝は、その国を見習った政治をすると、自国をうまく治めることができたという故事から。
夸父逐日(かほちくじつ)「湯問」
自身の能力を弁えていない行動のこと。 または、自然に正面から向かっていく、強い意志を言い表す言葉。 中国の伝説上の夸父は、能力を弁えずに太陽に追いつこうとして追いかけたが、喉の渇きから黄河と渭水の水を飲み干しても足りず、大沢の水を飲もうとしたが、道中で喉の渇きが原因で死んだという伝説から。
観往知来(かんおうちらい)「説符」
過去の物事を注意深く観察して、これから先のことを推測すること。 「往」は以前の事柄。過去。 「来」は先の事柄。将来。未来。 「往(ゆ)くを観(み)て来(きた)るを知る」とも読む。
杞人天憂(きじんてんゆう)「天瑞」
必要のない心配をすること。 「杞人」は古代中国の周の時代にあった杞という国の人。 「天憂」は天のことを心配すること。 杞の国の人が天が崩れて落ちてきたらと考え、心配していたという故事から。 「杞憂」という言葉は、この言葉を略したもの。 「杞人(きひと)、天を憂う」とも読む。
喜躍抃舞(きやくべんぶ)「湯問」
大いに喜んで、両手を打ち鳴らしたり、小躍りしたりすること。 「抃舞」は両手を打ち鳴らして舞うこと。
鈞天広楽(きんてんこうがく)「周穆王」
鈞天宮と広楽宮のことで、天帝が生活するための宮殿のこと。
疑心暗鬼(ぎしんあんき)「説符」
疑う心を持ってしまい、取るに足らないことを恐れたり、怪しく感じたりしてしまうこと。 「疑心」は疑う心のこと。 「暗鬼」は暗い場所に見える亡霊のこと。 疑う心を持っていると、暗い場所に亡霊(存在するはずのないもの)が見えてくるという意味から。
愚公移山(ぐこういざん)「湯問」
大きなことでも、根気よく努力し続ければ必ず成功することのたとえ。 愚公という老人の家の前に二つの大きな山があり、どこに行くにも迂回しなければいけなかった。 不便なので山を切り崩し、平にしようとしたときに嘲笑するものもいたが、何代にも渡ってやれば出来ると山を崩し始めた。 愚公の熱意を感じた天帝が二つの山を移した故事から。
形影相随(けいえいそうずい)「説符」
心の善悪が行動に出ること。 「形影」は姿形と影。 影は体の動きと同じ動きをするということから。 「形影(けいえい)相(あい)随(したが)う」とも読む。
形直影正(けいちょくえいせい)「説符」
心の善悪が行動に表れること。 または、原因と結果が相反することがないことのたとえ。 「形」と「影」はどちらも本体とそれから現れるもののたとえで、原因と結果のたとえ。または、自分と他人のたとえ。 まっすぐなものは、影もまっすぐになるという意味から。 「形(かたち)直(なお)ければ影(かげ)正(ただ)し」とも読む。
見出知入(けんしゅつちにゅう)「説符」
結果を見て、行った物事の影響を知ること。 「出(いず)るを見て入(い)るを知る」とも読む。
高山流水(こうざんりゅうすい)「湯問」
素晴らしい演奏や音楽のたとえ。または、自分のことを心から理解してくれる親友のこと。または、けがれのない澄んだ自然のこと。 中国の春秋時代の琴の名手の伯牙が、友人の鍾子期の前で泰山を思い浮かべながら演奏すると鍾子期は「泰山のように素晴らしい」と言い、流れる川を思い浮かべながら演奏すると「流れる川のように素晴らしい」と言ったという故事から。 「流水高山」ともいう。
視生如死(しせいじょし)「仲尼」
生も死も同じように受け止め、全く変わることのない態度をとること。 生と死に対する執着がなく、そのどちらにも囚われない心の状態をいう。 「生(せい)を視(み)ること死(し)の如(ごと)し」とも読む。
蕉鹿之夢(しょうろくのゆめ)「周穆王」
成功や失敗は夢のように儚いということのたとえ。 または、あきらめがよいことのたとえ。 「蕉」は植物の芭蕉の葉のこと。 中国の春秋時代、鄭の国の人が鹿を仕留めて芭蕉の葉を被せて隠したが、隠した場所を忘れたために、鹿を仕留めたのは夢だったかもしれないと諦めたという故事から。
深山幽谷(しんざんゆうこく)「黄帝」
人里から遠く離れ、誰も足を踏み入れたことがないような深く静かな自然の地のこと。 「深山」は人里から遠く離れた奥深い山のこと。 「幽谷」は山奥の静かな谷のこと。
窃鈇之疑(せっぷのぎ)「説符」
証拠もないのに疑うこと。また、疑う気持ちを持って見ていると、その人の言動が全て怪しく見えることのたとえ。 「鈇」は斧のこと。 斧を盗まれたと思った男性が隣人の女性を疑うと、その女性の立ち居振る舞いの全てが疑わしく思えたが、斧が物置で見つかるとその女性の全てがかわいらしく思えたという故事から。 「せっぷのうたがい」とも読む。
千変万化(せんぺんばんか)「周穆王」
情勢や状況がさまざまに移り変わり、変化し続けること。 「千」と「万」は数が多いことのたとえ。 千回も万回も変化するという意味から。
大化有四(たいかゆうし)「天瑞」
人が生まれてから死ぬまでにたどる大きな変化を、四つの段階に分けてとらえた語。すなわち、生まれて間もない嬰孩(赤子・幼児の時期)、心身ともに盛んな少壮(青年から壮年の時期)、気力体力の衰える老耄(老いて衰える時期)、そして命の尽きる死亡の、四つの段階をいう。 「化」は生命のかたちが移り変わることを指し、人の一生を自然の推移として段階的に見る見方を表す。
多岐亡羊(たきぼうよう)「説符」
進路や方針が多すぎて何を選ぶべきかわからなくなること。または、学問の道が細かく分かれすぎていて、学問の根本を捉えにくいことのたとえ。 「多岐」は分かれ道が多いこと。 「亡羊」は羊に逃げ切られること。 羊が逃げ出し、大勢の人で追いかけたが分かれ道が多く、逃げられてしまったという話を聞いた楊朱は、学問も同じように様々なものに分かれすぎていて、それぞれの根本は同じなのにそれを忘れ、理解できなくなっていると言ったという故事から。 「岐(き)多くして羊(ひつじ)を亡(うしな)う」とも読む。
断琴之交(だんきんのまじわり)「湯問」
とても親密な友情のこと。 中国の春秋時代の伯牙は、琴の名手として名高く、自分の琴を真に理解してくれる親友である鍾子期が死ぬと、琴の弦を切って二度と琴を弾くことはなかったという故事から。
男尊女卑(だんそんじょひ)「天瑞」
男を尊いものとし、女性を卑しいものとする考え方のこと。
昼想夜夢(ちゅうそうやむ)「周穆王」
昼に考えていたことが、夜になって夢になること。または、いつも思い続けていることを言い表す言葉。 「昼想い、夜夢(ゆめ)む」とも読む。
沖和之気(ちゅうわのき)「天瑞」
天地の間にある調和されて穏やかな気のこと。 「沖和」はやすらかなこと。 陰と陽が交わるところにあるものとされ、人間そのものを言い表す言葉。
朝三暮四(ちょうさんぼし)「黄帝」
目先のわずかな違いや損益にこだわりすぎて、結局は同じ結果になることが理解できないこと。 または、巧みな言葉や話し方で人を丸め込むこと。 変化しやすく安定しないことや何とか生きていけるだけの生計のことをいう場合もある。 春秋時代、たくさんの猿を飼っていた宋の狙公は生活が急に苦しくなり、自身が食べる分もぎりぎりの状態で仕方なく猿の餌を減らすことにしたが、嫌われるのが嫌だったためにごまかすことにした。 狙公が「どんぐりを朝に三つ、暮に四つにする」と言ったところ猿たちが怒ったため、「それでは朝は四つに増やし、暮は三つにする」と言うと猿たちは朝の数が増えて喜んで納得したという故事から。
伯牙絶弦(はくがぜつげん)「湯問」
非常に深い関係の親友を失った悲しみ。 「伯牙」は中国の春秋時代の人の名前。 琴の名手である伯牙は、自分の一番の理解者であり、親友だった鍾子期が亡くなり、自分の琴を理解してくれる人はもういないといい、琴の弦を切って、二度と弾くことはなかったという故事から。 「伯牙絶絃」とも書く。
牝牡驪黄(ひんぼりこう)「説符」
物事の見た目にこだわらず、本質を見抜くことのたとえ。 「牝牡」はめすとおすのこと。 「驪黄」は色の黒色と黄色。 中国の秦の穆公が、馬を見抜く名人である伯楽に推薦された九方皐に馬を探しに行かせた。 九方皐が黄色い牝馬を見つけたという報告を受けたが、連れ帰られた馬は黒い牡馬であった。 穆公は馬の色や性別も分からないのかと怒ったが、これに対して伯楽は色や性別などの見た目にこだわらず、馬本来の能力を見るべきだといった。 そして、その馬は他と比べることのできないほどの名馬だったという故事から。
不老不死(ふろうふし)「湯問」
老いることなく、いつまでも生き続けること。
茫然自失(ぼうぜんじしつ)「仲尼」
予想外のことに、気が抜けて我を忘れること。 「茫然」は予想外のことに、気が抜けてぼんやりすること。 「自失」は放心してぼんやりすること。 「呆然自失」とも書く。
亡羊之嘆(ぼうようのたん)「説符」
進路や方針が多すぎて何を選ぶべきかわからなくなること。 または、学問の道が細かく分かれすぎていて、学問の根本を捉えにくいことのたとえ。 「亡羊」は羊を見失うこと。 羊が逃げ出し、大勢の人で追いかけたが分かれ道が多く、逃げられてしまったという話を聞いた楊朱は、学問も同じように様々なものに分かれすぎていて、それぞれ根本の部分は同じなのにそれを忘れ、理解できなくなっていると言ったという故事から。
