「三」を含む四字熟語
「三」を含む四字熟語 — 155 件
一月三舟(いちがつさんしゅう)
仏の教えは一つなのに、受け手によりそれぞれの解釈があるということ。 同じ一つの月でも、停止している舟から見れば止まって見え、北へ動く舟から見れば北へ動いているように見え、また南へ動く舟から見れば南へ動いているように見えるということから。
一行三昧(いちぎょうざんまい)
一つの修行法を一心に励むこと。 または、念仏を唱えること。 「一行」は一つのことに専念すること。 「三昧」は精神を集中することで、心を安らかにすること。
一字三礼(いちじさんらい)
敬い慎んで写経すること。 または、写経をするときは、敬い慎んでやるべきであるという教え。 写経する時は、一文字書き写すたびに仏を三度礼拝していたということから。
一日三秋(いちじつさんしゅう)
相手を恋しく思う気持ちが深いこと。 または、とても待ち遠しいこと。 「三秋」は秋が三回過ぎることから”三年”の意。 一日会わなかっただけで、三年も会わなかったような気がすることから。
一読三嘆(いちどくさんたん)
すばらしい詩文などをよみ、感銘を受けること。 または、そのような名文、書物のこと。 「三」は何度もという意味。 「嘆」は感心して褒め称える、感嘆という意味。
一念三千(いちねんさんぜん)
日常における一瞬の思いの中にも、全宇宙の全事象が備わっているということ。 「三千」は世界の数を意味し、全宇宙のこと。 天台宗の教義。
一国三公(いっこくさんこう)
指示を出す人が多すぎて、統率が取れなくなること。 三人の君主が一つの同じ国にいるということから。 「三公」は三人の君主。
一倡三歎(いっしょうさんたん)
優れた詩文を褒め称えていう言葉。 「倡」は詩文を読むこと。 「三」は何度もの意。 「歎」は感心して褒め称える、感嘆という意味。 一度読み上げる間に何度も感歎することから。 「一倡」は「一唱」、「三歎」は「三嘆」とも書く。
一刀三礼(いっとうさんらい)
慎みを持って、深く敬いながら仕事をすること。 仏像を作るときは、一彫りごとに三回礼拝するという意味から。
一筆三礼(いっぴつさんらい)
慎みを持って、深く敬いながら仕事をすること。 写経するときは、一文字ごとに三回礼拝するという意味から。
韋編三絶(いへんさんぜつ)
同じ書物を何度も読むこと。 または、学問に励むことのたとえ。 「韋編」は紙が出来る前の、木や竹の札をひもで綴った書籍のこと。 「三絶」は何度もひもが切れること。 「韋編(いへん)三(み)たび絶(た)つ」とも読む。 孔子が何度もひもが切れるほど易経を読んだという故事から。
益者三楽(えきしゃさんごう)
「礼儀と音楽をほどよく楽しむこと」「人の美点について褒めること」「立派な友人が多いこと」の三つの有益な楽しみのこと。 孔子の言葉。
益者三友(えきしゃさんゆう)
自分にとって有益な三種の友人のこと。 「益者」は自分に利益をもたらす人。 「三友」は三種の友人。正直な人・誠実な人・博識な人のこと。
円融三諦(えんにゅうさんだい)
仏教の言葉で、空、仮、中の三つの真理がそれぞれの立場を保ちながらも、互いに溶け合っている状態が同時に成り立っていること。 「円融」はお互いに融合しているが、それぞれ立場を保ちつつ妨げになっていないこと。 「三諦」は空、仮、中の三つの真理のこと。 天台宗が説く三つの真理のことで、全てのものには実体が存在しないという「空」と、全てのものは因縁によって存在するという「仮」と、それら二つを超越して存在しているという「中」のことをいう。 「三諦円融」ともいう。
開三顕一(かいさんけんいち)
仏教において悟りに至るための三つの道(三乗)が仮の姿であり、最終的には仏の統一された教えである一乗こそが真実の教えであると示すこと。
喙長三尺(かいちょうさんじゃく)
口が達者なことのたとえ。 「喙長」はくちばしの長さ。 「三尺」は長いことのたとえ。 喙(くちばし)の長さが三尺もあるという意味から。
河東三鳳(かとうのさんぽう)
兄弟全員が賢く、判断力に秀でていること。 「河東」は中国の山東省の地名。 「鳳」は中国の伝説上の鳥のことで、すぐれた人のたとえ。 中国の唐の時代、河東の薛収とその従子である元敬、またその族兄である徳音の三人はとてもすぐれた人物であったため、「河東三鳳」と称されたという故事から。
華封三祝(かほうのさんしゅく)
中国の華山を番人が、聖天子の尭帝に述べた三つの祝福。 「華封」は中国の華山を守る番人。 中国の華山の番人が、伝説上の聖天子の尭帝に、長寿・富・多男子の三つの祝福を述べようとしたところ、長く生きると恥をかく機会が多くなり、金持ちになると面倒ごとが多くなり、男子が多いと心配事が増えると言って断ったという故事から。
帰依三宝(きえさんぽう)
仏門に入り、仏教徒になること。 「帰依」は仏の教えに従い、信じること。 「三宝」は仏と仏の教え、それを布教する僧のこと。 「三宝(さんぽう)に帰依(きえ)す」とも読む。
九夏三伏(きゅうかさんぷく)
夏の一番暑い時期のこと。 「九夏」は夏の季節の九十日間。 「三伏」は初伏、中伏、末伏のこと。 夏至以降の三回目の庚の日を初伏、四回目の庚の日を中伏、立秋の後の最初の庚の日を末伏という。
挙一反三(きょいちはんさん)
すぐれた能力と理解力があること。 一つのことを聞くと、そこから三つのことを理解できるという意味から。 「一を挙(あ)げて三を反す」とも読む。
尭階三尺(ぎょうかいさんじゃく)
君主がつつましい生活をすることのたとえ。 古代中国の伝説の聖天子の宮殿は、土を固めただけの階段があり、高さは三尺ほどしかなかったということから。 君主の生活の理想とされている。
君子三畏(くんしのさんい)
君子がおそれ敬うべき三つのこと。 天命、有徳の大人、聖人の言をいう。 「君子」は人格者、「畏」はおそれ敬うこと。
君子三戒(くんしのさんかい)
少年期の色欲、壮年期の闘争、老年期の物欲という人格者が自ら戒めておくべき三つのこと。 「君子」は人格者。
君子三楽(くんしのさんらく)
父母と兄弟が元気で健在なこと、正しい行動をして、正しい心を持って天に恥じない生活をすること、すぐれた才能を持つ人を見つけ出し教育するという人格者の三つの楽しみのこと。 「君子」は人格者。
戯作三昧(げさくざんまい)
小説を作ることに没頭すること。 または、遊びで小説を書くこと。 「戯作」は遊びで小説を書くこと。 または、日本の江戸時代の小説類の総称。 「三昧」は一つのことに夢中になること。
挙一明三(こいちみょうさん)
理解力が非常にすぐれていること。 仏教の言葉で、四角の一隅を挙げれば、残りの三隅を悟るということから。 「一を挙(あ)げて三を明らかにす」とも読む。
狡兎三窟(こうとさんくつ)
身を守るために用心深くたくさんの逃げ場や、策略を用意しておくこと。 または、困難をさけることがうまいこと。 「狡兎」は悪知恵のはたらく兎。 「三窟」は三つの穴。 悪知恵のはたらく賢い兎は、隠れるための穴を三つ用意しているという意味から。
虎渓三笑(こけいさんしょう)
あることに夢中になって、他のことを全て忘れてしまうこと。 「虎渓」は中国の江西省の廬山にあったとされる谷の名前。 「三笑」は三人で笑うこと。 中国の東晋の高僧の慧遠は、廬山の寺にこもって、虎渓よりも外に出ないと誓っていたが、詩人の陶潜と道士の陸修静を見送るときに話に夢中になり、虎の吠える声で虎渓を超えてしまった事に気づき、三人で大笑いしたという故事から。
五障三従(ごしょうさんじゅう)
女性が持っているとされていた五つの障害と、女性に従わされていた三つのこと。 「五障」は仏教の言葉で、梵天、帝釈天、魔王、転輪聖王、仏のことで、この五つは女性がなれないとされていた。 「三従」は幼少時は親に従い、結婚後は夫に従い、老いたら子に従うべきということ。
歳寒三友(さいかんさんゆう)
冬に友とすべきもので東洋画の画題としても好まれる松、竹、梅のこと。 「歳寒」は寒い季節、冬のことから乱世や逆境ともいう。 乱世に友とすべき山水・松竹・琴酒のことをいう場合もある。
再三再四(さいさんさいし)
「たびたび」や「何度も何度も」という意味。 「再四」は「再三」を強調した語で、「再三」は二度も三度もということで、同じことを繰り返すという意味。
再思三省(さいしさんせい)
「再思」は考え直す、「三省」は一日に何度も反省することで、何度も考え直して、反省すること。
作史三長(さくしのさんちょう)
才知、学問、識見という三つの能力のことで、歴史家が歴史書を書いたり、編集したりするために必要な能力をいう。
作文三上(さくぶんさんじょう)
文章の構想を考えるのに最も適している三つの場所のこと。 「作文」は文章を作ること。 「三上」は馬上、枕上、厠上の三つの場所のこと。 馬上は馬に乗っているとき、枕上は寝床で横になっているとき、厠上は便所に入っているとき。
三衣一鉢(さんえいっぱち)
僧侶が持ち歩く少しの持ち物。 「三衣」はインドの僧団の僧侶が着る三種類の衣服。 「一鉢」は托鉢の時に布施で食べ物をもらい、それをいれるための食器。 インドの僧団が僧侶が持つことが許されたもので、これらがあれば最低限は足りるという意味。
三槐九棘(さんかいきゅうきょく)
政界の最高幹部のこと。 「三槐」は中国の三公の別称。 「九棘」は中国の九卿の別称。 中国の周の時代に、君主が朝廷の庭の三公の位置を示すところに槐の木を植え、九卿の位置を示すところに棘の木を植えていたことから。 「九棘三槐」ともいう。
三角関係(さんかくかんけい)
三つのものの間のかかわり。 主に男女三人の間にある恋愛関係をいう言葉。 「三角」は三角形。 「関係」はかかわり、つながり。
三寒四温(さんかんしおん)
冬に寒い日が三日ほど続いた後、四日ほど温かくなること。 中国北部や朝鮮半島北部で、シベリア高気圧の影響を受けて起きる現象。 これを繰り返しながら少しずつ春の気候へと変わっていく。 また、近年の日本においては三寒四温がはっきりと現れることは少ないため、春の初めに低気圧と高気圧が交互にくる周期的な変化のことをいう場合が多い。
三界火宅(さんがいのかたく)
現世をたとえた言葉。 「三界」は欲界、色界、無色界の三つの世界のことで、現世のことをいう。 「火宅」は火事になっている家。 常に苦しみ続ける現世を、火事で燃えている家にたとえた言葉。
三界無安(さんがいむあん)
現世で生きることは、苦しいことや悩むことが多く、心が落ち着いて楽になることはないということ。 「三界」は欲界、色界、無色界の三つの世界のことで、現世のことをいう。 「無安」は心が安らぐことがないこと。
三界無宿(さんがいむしゅく)
この世界のどこにも落ち着ける場所がないこと。 「三界」は人が輪廻する三つの領域の欲界、色界、無色界のこと。 「無宿」は住居がないこと。
三界流転(さんがいるてん)
全ての生きているものは、三つの世界で生死を繰り返し続け、三つの世界を迷い続けるということ。 「三界」は欲界、色界、無色界の三つの世界のこと。 「流転」は迷い続けること。
三月庭訓(さんがつていきん)
勉学が長く続かないこと。 一月から始まり、十二月まである往復手紙文集である『庭訓往来』の勉強をし始めても、三月でやめてしまうということから。
三跪九叩(さんききゅうこう)
中国の清の敬礼の方法。 三回跪(ひざまず)いて、頭を九回地面に打ち付ける礼のことをいう。
三釁三浴(さんきんさんよく)
相手のことを大切に思う心を言い表す言葉。 人を待つ間に何度も体を洗って、良い香りの香を塗るという意味から。 「三」は何度も、という意味。 「釁」は香を塗ること。 「浴」は湯水で体を洗い清めること。
三薫三沐(さんくんさんもく)
相手のことを大切に思う心を言い表す言葉。 人を待つ間に何度も体を洗って、良い香りの香を塗るという意味から。 「三」は何度も、という意味。 「薫」は香を塗ること。 「沐」は湯水で体を洗い清めること。
三軍暴骨(さんぐんばくこつ)
大差で戦いに負けること。 「三軍」は三万七千五百人の軍隊ということから、大軍のたとえ。 「暴骨」は兵士が死んで、野で骨になるという意味。 中国の周の時代は、一万二千五百人の軍隊を一軍として、大国ではその三倍の三軍を保有するとされていた。 「三軍(さんぐん)骨(ほね)を暴(さら)す」とも読む。
三綱五常(さんこうごじょう)
儒教の言葉で、人として守るべき道徳と、常に行うべき道義のこと。 「三綱」は主君と臣下、父親と子、夫と妻の間の三つの道徳のこと。 「五常」は仁、義、礼、智、信の常に行うべき五つの道義のこと。
三顧之礼(さんこのれい)
立場が上の人が礼を尽くして、すぐれた才能を持つ人を招くこと。 または、立場が上の人が立場が下の人に礼を尽くして、仕事を依頼すること。 「三顧」は三回訪問すること。 古代中国の三国時代、蜀の皇帝劉備が諸葛亮を迎え入れるために住居を三回訪問したという故事から。
三業供養(さんごうくよう)
ひれ伏して、言葉で仏の徳をたたえ、心をこめて仏を供養すること。 「三業」は仏教の言葉で、動作や所作などの身体の業、言葉の業、意識や心の業の三つの業のこと。
三国無双(さんごくむそう)
日本・中国・インドの三つの国の中で比べることができるものすらないこと。 もとは富士山のことをいった言葉。
三三五五(さんさんごご)
少数の人たちが固まって行き来する様子のこと。 または、人や物などがあちこちに散らばっている様子。 あっちに三、こっちに五という意味から。 「三々五々」とも書く。
三思九思(さんしきゅうし)
何度も繰り返して深く考えること。 「三思」と「九思」はどちらも深く考えること。 「三…九…」は何度もという意味。
三思後行(さんしこうこう)
しっかりと考えた後に行動すること。 三度考えてから行動するという意味から。 元は必要以上に考えすぎること戒めた言葉だったが、現在では軽はずみな行動を戒める言葉として使われることが多い言葉。 中国の春秋時代の魯の季文子の故事から。 「三(み)たび思いて後(のち)に行う」とも読む。
三豕渉河(さんししょうか)
文字を間違えること。 中国の春秋時代の子夏が旅の途中に、「晋の軍隊が三匹の豕と河を渡った」と史書を読んでいるのを聞き、「己」を「三」、「亥」を「豕」と読み間違えて、三匹の豕ではなく、年号の己亥の年と読み間違えたのだろうと指摘したという故事から。
三豕渡河(さんしとか)
文字を間違えること。 中国の春秋時代の子夏が旅の途中に、「晋の軍隊が三匹の豕と河を渡った」と史書を読んでいるのを聞き、「己」を「三」、「亥」を「豕」と読み間違えて、三匹の豕ではなく、年号の己亥の年と読み間違えたのだろうと指摘したという故事から。
三枝之礼(さんしのれい)
両親に礼儀を尽くし、両親への孝行を重んじること。 鳩の子どもは、親の鳩がとまっている木の枝の三本下の枝にとまるという意味から。
三者三様(さんしゃさんよう)
人によってそれぞれにやり方、考え方などが違うこと。 三人の人がいれば、三つのやり方や考え方などがあるという意味から。
三舎退避(さんしゃたいひ)
相手のことを恐れて、避けること。 「舎」は古代中国の軍隊が一日で進む距離のことで、三十里のことをいう。 軍隊が相手を恐れて、九十里の距離を空けて避けるという意味から。 「三舎を避(さ)く」とも読む。 中国の春秋時代、楚に亡命した晋の重耳は、楚の成王に厚遇され、重耳は感謝して、晋と楚が戦うようなことがあれば九十里後退させると約束した。 晋の君主になった重耳はその約束を果たしたという故事から。
三者鼎談(さんしゃていだん)
三人で向かい合って話し合うこと。 三人が話し合うことを「鼎」にたとえた言葉。 「鼎」は物を煮たり、祭器として使われる底の深い器で、足が三本あるということから。
三者鼎立(さんしゃていりつ)
同じ力を持っている三人が並び立つこと。 または、同じ力を持つ三つの勢力が争いあう、三すくみの状態のこと。 三人が並び立つことを「鼎」にたとえた言葉。 「鼎」は物を煮たり、祭器として使われる底の深い器で、足が三本で均衡を保って安定して立っているということから。
三種神器(さんしゅのじんぎ)
皇位の証として代々伝わっている三つの宝物。 天照大神が天孫降臨の時に授けたとされるもので、八咫鏡、八尺瓊勾玉、天叢雲剣のこと。
三心二意(さんしんじい)
気持ちが落ち着かず、いろいろと迷うこと。 または、人が別々の意見を主張していて、考えがまとまらないこと。 「意」は意志や意見のこと。
三日新婦(さんじつしんぷ)
拘束されていて、ひどく窮屈なことのたとえ。 結婚してから三日目の新婦という意味で、結婚の後はやらなければならないことが多く、拘束されるということから。
三尺秋水(さんじゃくしゅうすい)
研ぎ澄まされたすぐれた剣のこと。 「三尺」の「尺」は長さの単位で、「三尺」は剣の標準的な長さのこと。 「秋水」は冷たく澄んだ秋の水のことで、剣の冴えわたった光をたとえた言葉。
三汁七菜(さんじゅうしちさい)
豪華な食べ物のこと。 または、日本の本膳料理の正式な品数。 三品の汁物と七品のおかずのこと。
三従四徳(さんじゅうしとく)
昔の中国の女性への教え。 「三従」は従うべき三つのことで、幼い時は父親に従い、嫁いだ後には夫に従い、年老いたら子どもに従うべきであるということ。 「四徳」はいつもの生活で心がけるべき四つのことで、女性としての節操を守ることをいう婦徳、言葉遣いをいう婦言、身だしなみをいう婦容、家事をいう婦功のこと。
三十而立(さんじゅうじりつ)
三十歳になって、自分の中の道徳観や学識が確立して、それが自信になって思想が固まること。 孔子が自身の生涯を振り返って言った言葉。 三十歳の異名の「而立」の語源。 「三十にして立つ」とも読む。
三十六策(さんじゅうろくさく)
逃げるべきときには逃げるのが最もよい計略であるということ。 古代中国の三十六種の兵法の一つで、その中で最もよいとされる計略。 「三十六策走(にぐ)るを上計と為(な)す」を略した言葉。
三十六計(さんじゅうろっけい)
逃げるべきときには逃げるのが最もよい計略であるということ。 古代中国の三十六種の兵法の一つで、その中で最もよいとされる計略。 「三十六計逃ぐるに如(し)かず」を略した言葉。
三旬九食(さんじゅんきゅうしょく)
生活がひどく貧しいことのたとえ。 「三旬」は一ヶ月のこと。 一ヶ月の間に九回しか食事ができないという意味から。 中国の春秋時代の子思が衛の国にいた時に、一ヶ月で九回しか食事ができないほど貧しかったという故事から。
三途大河(さんずのたいが)
あの世にある川。三途の川。 この世とあの世の境にあるとされ、死んだ人が初七日に渡るといわれている。
三寸之轄(さんずんのくさび)
物事の重要な部分のこと。 「三寸」は長さのことで、短いことのたとえ。 「轄」は車輪が車軸から抜けないようにするための留め金のこと。 長さ三寸程度のものでも、これがなければ車は走ることができないということから、物事の重要な部分をいう。
三寸不律(さんずんふりつ)
長さの短い筆のこと。 「三寸」の「寸」は長さの単位で、「三寸」は長さが短いことのたとえ。 「不律」は筆の別名。
三世一爨(さんせいいっさん)
三つの世代の家族が一つの家で一緒に住むこと。 「爨」はかまどのこと。 三世代の家族が、一つのかまどを共有して食事を作るということから。
三聖吸酸(さんせいきゅうさん)
儒教の蘇軾と道教の黄庭堅、仏教の仏印禅師の三人が、桃花酸という名前の酢をなめて、全員が顔をしかめたということ。 東洋画の画材としてよく使われるもので、思想も宗教も異なっているが、酢がすっぱいことは、全てにあてはまる真理であるという三つの宗教の一致をいう。 儒教の孔子と道教の老子、仏教の釈迦を描く場合もある。
三牲之養(さんせいのよう)
親に食事をご馳走して孝行すること。 「三牲」は牛、羊、豚の三種類のいけにえということから、ごちそうのたとえ。 「養」は親を養うこと。
三尺童子(さんせきのどうじ)
七、八歳の子どものこと。 「三尺」の「尺」は長さの単位で、「三尺」は身長が低いことのたとえ。 身長が低い子どもということから。 または、「一尺」は二歳半として数え、「三尺」で七、八歳とするという説もある。
三世十方(さんぜじっぽう)
無限の空間や時間をいう仏教の言葉。 「三世」は、過去・現在・未来。 「十方」は、東・西・南・北・西北・西南・東北・東南・上・下。