「た」を含む四字熟語
「た」を含む四字熟語 — 553 件
邯鄲之夢(かんたんのゆめ)
人の世界での繁栄は儚いということのたとえ。 または、人の人生が儚いことのたとえ。 「邯鄲」は中国の町の名前。 唐の盧生という人が、旅の途中の邯鄲の町で、道士から出世が叶うという枕を借りて寝ると、出世して財力や権力を手に入れる夢を見た。 目が覚めると、宿の主人に頼んでいた、粟のかゆが出来上がっていないほどのわずかな時間しか過ぎていなかったという故事から。
簡単明瞭(かんたんめいりょう)
単純ではっきりとしていること。 「明瞭」ははっきりとしていて分かりやすいこと。
臥薪嘗胆(がしんしょうたん)
目的を果たすために、苦難に耐えて機会を待つこと。 「臥薪」は固い薪(たきぎ)の上で寝ること。 「嘗胆」は苦い肝(きも)をなめること。 春秋時代、呉王の夫差は固い薪の上で寝ることで、父親の敵である越王の勾践への恨みを忘れないようにし、ついには会稽山の戦いで勝利した。 その一方で、会稽山の戦いで敗北した勾践は、寝室に苦い肝を置き目覚める度にそれをなめることで敗北の恥を思い返し、ついには夫差を滅ぼしたという故事から。
我他彼此(がたひし)
自己と他者、または異なるもの同士が対立し、調和や解決が得られない状態を指す仏教用語。
臥榻之側(がとうのかたわら)
自身の領域、身近にあること。 「臥榻」は寝床のことで、一番私的な場所ということから自身の領域のたとえ。 自分の領域を、他人が荒らすことを許さないというときに使うことが多い言葉。
我慢勝他(がまんしょうた)
他の人以上に自分の考えを押し通すこと。 または、自分は他の人よりもすぐれていると思い上がって見下すこと。 仏教の言葉で、「我慢」は七慢のうちの一つで、自負心が強いこと。 「勝他」は他の人よりもすぐれていると思うこと。
顔回箪瓢(がんかいたんぴょう)
質素な食事のたとえ。 「箪」は竹でできた容器、わりご。 「瓢」は瓢箪でできた容器、ひさご。 わりご一杯の飯とひさご一杯の汁物だけの食事ということから。 孔子の弟子の顔回が、貧しい生活をしながらも勉学に励むのを孔子がほめた言葉から。
頷下之珠(がんかのたま)
手に入れるのが難しく、非常に貴重なもののたとえ。 「頷下」は顎の下。 「珠」は宝石。 黒い竜の顎の下にあるとされている宝石のことで、命をかけなければ取ることができない宝石ということから。
含牙戴角(がんがたいかく)
獣のこと。 口に牙があって、頭に角がある生き物という意味から。 「牙を含み角を戴(いただ)く」とも読む。
顔常山舌(がんじょうざんのした)
辛い処罰を受けても、君主や国への忠義を貫き通すこと。 「顔常山」は顔杲卿という人物のこと。 中国唐の顔杲卿は、反乱軍の安禄山に捕らえられても、唐への忠義を曲げず、安禄山を罵倒したため舌を切られるという処罰を受けたが、それでもなお罵倒を続けたという故事から。
詭計多端(きけいたたん)
悪知恵がよく働き、人をだます計略をたくさんもっていること。 「詭計」は計略、「多端」は多くもっていること。
貴人多忘(きじんたぼう)
高い地位を得て、人の上に立つと傲慢になり、過去のことを忘れてしまうことが多いということ。 「貴人」は身分の高い人。 「多忘」は忘れやすいこと。
橘中之楽(きっちゅうのたのしみ)
将棋や囲碁をする楽しみのこと。 「橘」はみかんのこと。 中国の巴キョウの人が大きなみかんの実を割ると、中に二人の老人がいて、囲碁を打って楽しんでいたという故事から。
喜名多怨(きめいたえん)
名声に執着する人は怨みも多くなるということ。 「名(な)を喜ぶもの怨み多し」とも読む。 「名(な)を喜ぶもの必ず怨み多し」を略した言葉。
旧態依然(きゅうたいいぜん)
昔の状態のまま、進歩や変化が全くないこと。 「旧態」と「依然」は、どちらも昔からの状態が良くも悪くも変わらずに続いていること。
九鼎大呂(きゅうていたいりょ)
非常に珍しい物のこと。 または、重要な地位や名声などのたとえ。 「九鼎」は夏の禹王が中国の全土から献上させた、九つの鼎。 「大呂」は周王朝の大廟に供えた大きな鐘。 どちらも非常に価値のある珍しい物のたとえ。
急流勇退(きゅうりゅうゆうたい)
官職などを潔く辞めること。 「勇退」は勇気をもって退くという意味から、きっぱりと職を辞すること。 船が勢いのよい流れの中で引き返すという意味から、仕事の勢いがあるときに潔く辞職することをいう言葉。
曲肱之楽(きょくこうのたのしみ)
富を求めずに、貧しくても正しい行いをする楽しみのこと。または、貧しい暮らしをしていても、その中に楽しみはあるということ。 「曲肱」は枕が買えないために腕を曲げて、肘を枕にするという意味。
挙止進退(きょししんたい)
日常生活の立ち居振る舞いのこと。 「挙止」と「進退」はどちらも立ち居振る舞いのこと。
虚心坦懐(きょしんたんかい)
不信、疑念、不満などがなく、すっきりとした気持ちであること。 「虚心」は不満や不安などがなく、偏見や先入観を持たずに、事実のまま素直に受け入れることができる心のこと。 「坦懐」は心の中に不満や不安などがなく穏やかなこと。
虚静恬淡(きょせいてんたん)
私心や私欲が全くなく、心が落ち着いていていること。 「虚静」は心の中に不信や疑念などがなく、落ち着いていること。 「恬淡」は私欲がなく、あっさりとしていること。 「虚静恬澹」とも、「虚静恬憺」とも書く。
挙措進退(きょそしんたい)
日常生活の立ち居振る舞いのこと。 「挙措」は手を上げ下げするという意味から、立ち居振る舞いのこと。 「進退」は進むことと退くことという意味から、立ち居振る舞いのこと。
虚誕妄説(きょたんもうせつ)
根拠のない、嘘の言説。 または、でたらめなことを好き勝手に話すこと。 「虚誕」は大げさな嘘。 「妄説」は根拠がない言説。
虚無恬淡(きょむてんたん)
心に不信や不満、欲望などなく、穏やかで落ち着いていること。 「虚無」は何もなく、空っぽなこと。 「恬淡」はあっさりとしていて、無欲なこと。
琴心剣胆(きんしんけんたん)
風情を楽しむ心があり、勇ましい力があること。 琴を奏で楽しむ心があるが、剣をとって戦う力強さもあるということから。
仰天長嘆(ぎょうてんちょうたん)
この上なく嘆くこと。 空を見上げて大きなため息をつくという意味から。 「天(てん)を仰(あお)ぎて長嘆(ちょうたん)す」とも読む。
苦心惨憺(くしんさんたん)
心を砕きながら、さまざまな苦労や努力を重ねること。 「苦心」は苦労して考えること。 「惨憺」は心を砕き、悩むこと。 「苦心惨澹」とも書く。
九年之蓄(くねんのたくわえ)
国が豊かなこと。 「蓄」は食料の貯蓄のこと。 国民の一人一人に、九年分の食料の貯蓄があるという意味から。 「九年之儲」とも書く。
具不退転(ぐふたいてん)
後ろを振り返らずに、物事を遣り通すという気持ちをもつこと。 「具」は準備するということ。 「不退転」は仏教の修行で、退歩することの段階から戻らないということから、信じて決して変えないということ。
経緯万端(けいいばんたん)
物事が入り組んでいて、解決策の糸口がつかめないこと。 「経緯」は縦糸と横糸のこと。 「万端」はたくさんの糸口のことで、多くの糸が絡まり糸口を見つけられないという意味。
経営惨憺(けいえいさんたん)
いろいろなことに苦心して、心を悩ませながら計画して営むこと。 「経営」は目的のために考えて準備して行動すること。 「惨憺」は心を砕いて悩むこと。 「惨憺」は「惨澹」とも書く。 「惨憺経営」ともいう。
経国大業(けいこくのたいぎょう)
国を安定して統治するために必要な大切な仕事。 または、素晴らしい文章のこと。 「経国」は国を治めること。 「大業」は社会的に重要な仕事。
形単影隻(けいたんえいせき)
誰一人として身内がいなくて孤独なこと。 「形」は体のこと。 「隻」は一つのこと。 体が一つ、影が一つという意味から。 「影隻形単」ともいう。
軽薄短小(けいはくたんしょう)
人格が薄っぺらで中身がないことを言い表す言葉。または、物の大きさが小さく、厚さが薄く、重さが軽くなっていく様子。
傾盆大雨(けいぼんのたいう)
激しく降る雨、豪雨のたとえ。 「盆」は水や酒を入れるための大きい器、鉢。 鉢をひっくり返したように見えるほどの雨ということから。
鶏鳴之助(けいめいのたすけ)
妻が夫を影ながら支えること。 鶏の鳴き声が聞こえて、夫が遅刻してはいけないと思って起こそうとしたが、実は聞き間違いで、まだ夜中だったという故事から。
譎詐百端(けっさひゃくたん)
嘘や裏切りが非常に多いこと。 「譎詐」は嘘や裏切り。 「百端」は数が多いことのたとえ。
快楽不退(けらくふたい)
尽きることのない安らかな楽しみが永久に続くこと。また、そのさま。極楽浄土における絶え間ない喜び。
乾端坤倪(けんたんこんげい)
天地の一番端のこと。 「乾端」は天の端、「坤倪」は地の果て。
撃壌之歌(げきじょうのうた)
古代中国の伝説の聖天子である尭帝が国を治めている時代に、世の中が平和であることを喜び、人々が歌った歌のこと。 「撃壌」は足で地面を踏み、音を鳴らして拍子をとること。
撃柝一声(げきたくいっせい)
拍子木を打つこと。 または、合図すること。 「撃柝」は拍子木を打ち鳴らして、夜に見回りをすること。または、その人、夜番のこと。
月旦春秋(げったんしゅんじゅう)
人の価値などを評価して批評すること。 「月旦」は毎月のはじめの日のこと。 「春秋」は五経の一つの「春秋」のことで、「春秋」には、孔子の歴史への批評が含まれているということから、批評という意味。 後漢の許劭は、毎月のはじめの日に人を批評したものを発表していたという故事から。
阮簡曠達(げんかんこうたつ)
小さなことにこだわらない、心の広いおおらかな人柄のたとえ。 「阮簡」は人の名前。 「曠達」は心が広く、小さなことにこだわらないこと。 古代中国の晋の時代にいたとされる竹林七賢の一人の阮咸の甥である阮簡は、心が広くおおらかな人格だったということから。
綱紀頽弛(こうきたいし)
国家や社会の法律や秩序が廃れてゆるむこと。 「綱紀」は大づなと小づなのことで国家を治める大法と細則。 「頽弛」は廃れてゆるむということ。
攻苦食啖(こうくしょくたん)
粗食を受け入れて、辛い状況を我慢すること。 または、苦学すること。 「攻苦」は苦しく辛いことと戦うこと。または、苦学すること。 「食啖」は味の無い食べ物を食べること。 「攻苦(こうく)啖(たん)を食らう」とも読む。 「攻苦食淡」とも書く。
広宵大暮(こうしょうたいぼ)
死んだ人の悲しみを嘆く言葉。 「広宵」はどこまでも広がる夜。 「大暮」はいつまでも続く夜。 夜がどこまでも広がり、いつまでも夜が明けないということから。 「広霄大暮」とも書く。
好事多魔(こうじたま)
よい出来事には邪魔が入ることが多いということ。 「魔」は邪魔や災難、災いのこと。 男女の交際などで邪魔が入ったり、もめごとが起きたりしてうまくいかないことをいうこともある言葉。 「好事(こうじ)魔(ま)多し」とも読む。 「好事多磨」とも書く。
口如匾担(こうじょへんたん)
何も喋らないこと。未熟であることを理解していて答えを返せない様子をいう。 「匾担」は荷物を担ぐための棒のことで、その棒がしなっている様子が、への字に閉じた口に似ていることから。 「口(くち)匾担(へんたん)の如(ごと)し」とも読む。
恍然大悟(こうぜんたいご)
ちょっとしたひらめきから悟りを得ること。 「恍然」はふとした瞬間にいきなり理解すること。 「大悟」は煩悩をなくして悟りを得ること。
荒怠暴恣(こうたいぼうし)
気持ちが荒れていて、わがままな様子。 「荒怠」は気持ちが荒れていて、やらなければならないことを怠けること。 「暴恣」は暴力的で自分勝手なこと。
交淡如水(こうたんじょすい)
水のようにさっぱりとした人との付き合いのこと。 徳のある人物の人付き合いをいう言葉で、徳のある人物の人付き合いは淡白に見えるが、心のこもったものであるという意味から。 「交わりは淡きこと水の如し」を略した言葉。
荒誕無稽(こうたんむけい)
言動などに裏付けがなく、無責任で適当なこと。
高邁闊達(こうまいかったつ)
他の人よりも一際すぐれていて、大らかなこと。 「高邁」は品格が高く、他の人よりもすぐれていること。 「闊達」は小さなことにこだわらない、大らかなこと。
口無択言(こうむたくげん)
口から出る言葉の全てが正しく、選ぶ必要がないということ。 「口(くち)に択言(たくげん)無し」とも読む。
高論卓説(こうろんたくせつ)
この上なくすぐれた意見や議論のこと。 「高論」は程度が非常に高い議論。 「卓説」はすぐれた意見。 他人の意見や議論を敬っていう言葉。
虎視眈眈(こしたんたん)
力のあるものが、機会をじっくりと窺っている様子。 「虎視」は虎が獲物をじっくりと狙うこと。 「眈眈」は睨む、見下ろすという意味。 虎が獲物を鋭く見つめて、襲う機会をじっくりと待っている様子から。
胡孫入袋(こそんにゅうたい)
民間にいた人が、公職についたために自由が無くなること。 または、物事を自由に行えないこと。 「胡孫」は動物の猿の別称。 猿が袋の中に入れられるという意味から。 「胡孫(こそん)袋に入(い)る」とも読む。
涸沢之蛇(こたくのへび)
互いが利用し合い、どちらも利益を得ること。 「涸沢」は干上がった沢。 干上がった沢に住んでいた大蛇が、人に殺されないために小さな蛇と協力して、互いの尾を口に含んで、小さい蛇を大蛇が背負って道を通ると、人々は小さな蛇を神と恐れ、二匹とも無事に他の場所へ移動したという寓話から。
虚融澹泊(こゆうたんぱく)
悟りの境地のこと。 「虚融」は無心で心にとどこおることが何もないこと。 「澹泊」は欲が無く、こだわらないこと。
渾然一体(こんぜんいったい)
複数のものが溶け合ったり混ざり合ったりして、区別することができない様子。 「渾然」は複数のものが溶け合っている様子。 「混然一体」とも書く。
嗷嗷待哺(ごうごうたいほ)
空腹で食べ物を求める様子。 または、災害に見舞われた人が、心苦しい気持ちで救援を待つことのたとえ。 「嗷嗷」は鳥の雛の哀しい鳴き声。または、人々が嘆く声のたとえ。 「待哺」は餌が来るのを待つこと。 鳥の雛が親の鳥の口にある餌を待ち望んで騒がしく鳴く様子から。 「嗷嗷(ごうごう)として哺(ほ)を待つ」とも読む。
豪胆無比(ごうたんむひ)
他と比べられないほどに、度胸があり、思い切った行動をする様子。 「豪胆」は何事にも動じない度胸があること。 「無比」は他と比べることのできるものが存在しないこと。
五体投地(ごたいとうち)
礼拝の形式の一つのことで、頭と両肘、両膝を地面につけて行う礼拝。 仏教で最高の礼拝とされている。
御用繁多(ごようはんた)
仕事で忙しいこと。 「御用」は幕府や朝廷の仕事。公務。 「繁多」はやるべきことが多くて忙しいこと。
歳月不待(さいげつふたい)
年月はあっという間に過ぎていき、人の都合などでは待ってくれないので、時を大切にせよという戒めの語。
才子多病(さいしたびょう)
すぐれた才能がある人は病気になりやすいという意味。 「才子」はすぐれた才能があり、頭のはたらきがすぐれている人のこと。
灑掃応対(さいそうおうたい)
日常生活での家事や作法のこと。 「灑掃」は水をまいたり洗うなどの水を使った掃除とほうきで掃くこと。 「応対」は人に接して受け答えすること。
採長補短(さいちょうほたん)
他人の長所をとり入れて、自身の短所を補うこと。 「長」は長所、「短」は短所。 「長(ちょう)を採(と)り短(たん)を補(おぎな)う」とも読む。
采椽不斲(さいてんふたく)
簡素な建物。 「采椽」は建物の棟木から軒桁にかけて斜めに取りつけ、屋根板を支える垂木に切り出して削っていない丸太をそのまま使うこと。 「斲」は削ること。 中国の古代の伝説上の天子である尭帝の宮殿が簡素であったことをいう言葉。 「采椽(さいてん)斲(けず)らず」とも読む。
才難之嘆(さいなんのたん)
すぐれた能力のある人材を得ることは難しいということへの嘆き。 「才難」は能力のある人材を得るのは難しいということ。 「才難之歎」とも書く。
蹉跎歳月(さたさいげつ)
時間を浪費して日々を空虚に過ごすこと。 「蹉跎」は良い時期を逃して無意味に日々を送ること。
左右他言(さゆうたげん)
自分に都合の悪いことの話題をそらしてごまかすこと。 「他言」は話題をそらすこと。 話題の答えに困ったり、答える必要がないと思う時の態度のこと。 中国の戦国時代、孟子が斉の国の王にしっかりと国を治めていないことへの責任を指摘され、側近に話を逸らさせたという故事から。
三界火宅(さんがいのかたく)
現世をたとえた言葉。 「三界」は欲界、色界、無色界の三つの世界のことで、現世のことをいう。 「火宅」は火事になっている家。 常に苦しみ続ける現世を、火事で燃えている家にたとえた言葉。
山河襟帯(さんがきんたい)
自然の地形が、敵の攻撃を防ぐことに非常に有利なこと。 山が服の襟のように高く取り囲んでいて、川が帯のように流れているという意味から。
三舎退避(さんしゃたいひ)
相手のことを恐れて、避けること。 「舎」は古代中国の軍隊が一日で進む距離のことで、三十里のことをいう。 軍隊が相手を恐れて、九十里の距離を空けて避けるという意味から。 「三舎を避(さ)く」とも読む。 中国の春秋時代、楚に亡命した晋の重耳は、楚の成王に厚遇され、重耳は感謝して、晋と楚が戦うようなことがあれば九十里後退させると約束した。 晋の君主になった重耳はその約束を果たしたという故事から。
三途大河(さんずのたいが)
あの世にある川。三途の川。 この世とあの世の境にあるとされ、死んだ人が初七日に渡るといわれている。
散善花綻(さんぜんかたん)
邪念があったとしても、善い行いをすればよい報いを受けられるということ。仏教の言葉。 「散善」はよこしまな心を持って行う善行。 「花綻」は花が咲き始めるという意味から、報いを受けることのたとえ。 「散善(さんぜん)花(はな)綻(ほころ)ぶ」とも読む。
三諦止観(さんたいしかん)
仏道の修行に努めること。 「三諦」は空諦、仮諦、中諦の三つの真理こと。 「止観」は専念して、対象を正しく認識すること。
三位一体(さんみいったい)
1.キリスト教で、父である神と子であるイエス・キリストと聖霊の三つは、唯一の神がそれぞれ姿を変えたもので、元は一つのものだとする教義のこと。
2.それぞれ異なる三つのものが、根本的な性質や要素は同一であること。
3.三つのものがしっかりと結びついて、一つのもののようになること。または、三人が心を一つにして物事にあたること。
山容水態(さんようすいたい)
山や川などの美しい自然の風景のこと。 「容」と「態」は姿や、様子という意味。