「いん」を含む四字熟語
「いん」を含む四字熟語 — 122 件
光陰流水(こういんりゅうすい)
時の流れが非常に早いことのたとえ。 「光陰」は太陽と月のことで、月日や年月、長い時間のたとえ。 「流水」は流れている水のこと。 流れる水のように、月日が過ぎていくという意味から。
光陰流転(こういんりゅうてん)
あっという間に時間が過ぎていくこと。 「光陰」は太陽と月、昼や夜や月日などの時間のこと。 「流転」は次から次へと移り変わること。
山棲谷飲(さんせいこくいん)
世間から離れて隠居すること。 山の中で暮らして、谷川の水を飲むということから。
子為父隠(しいふいん)
悪事や過ちは、父は子のために、子は父のために互いに隠してかばいあうことが人の道であるということ。
車胤聚蛍(しゃいんしゅうけい)
苦学することのたとえ。 「車胤」は人の名前、「聚」は集める、「蛍」は虫のほたるのこと。 車胤は若いころ貧乏で、夏には蛍を集め、その光で読書したという故事から。
奢侈淫佚(しゃしいんいつ)
ぜいたくな生活をして、みだらな楽しみにふけること。 「奢侈」は度を超したぜいたくのこと。 「淫佚」はみだらでだらしない様子のこと。
射石飲羽(しゃせきいんう)
集中して必死の思いで事にあたれば、どんな困難なことでも成し遂げることができるということ。 楚の熊渠子が暗闇の中でうずくまる虎を狙い、集中して力いっぱい矢を射て確認してみると、虎ではなく大きな石に矢の羽までも深く突き刺さっていたという故事から。 「射石」は弓で石を射ること。 「飲羽」は矢の羽までも深く突き刺さるという意味。
酒飲微醺(しゅいんびくん)
何事もほどほどにしておくことが好ましいということ。 ほろ酔い程度に酒を飲むことから。 「微醺」は少し酒に酔うこと。または、少し酒の香りがすること。 「酒(さけ)は微醺(びくん)に飲む」とも読む。
鞦韆院落(しゅうせんいんらく)
ぶらんこが設置されている中庭のこと。 「鞦韆」はぶらんこ。 「院落」は中庭。 貴族の大きな屋敷の中庭の景色をいう言葉で、昼間のにぎやかな景色とは違う、春の夜の静かで引きこまれる景色をいう。
株連蔓引(しゅれんまんいん)
全ての関係した者を罰すること。 「株連」は植物の根のひとつのまとまりのこと。 「蔓引」は蔓を引いて抜くこと。 植物の蔓を引いて、根のまとまりを一気に引き抜くという意味から。
春蚓秋蛇(しゅんいんしゅうだ)
下手な文字のこと。 「蚓」はみみずのこと。 春のみみずや秋の蛇がうねって動いた後のような文字ということから。
証拠隠滅(しょうこいんめつ)
真実を証明できるものを隠したり、消したりすること。 「隠滅」は目に付かないようにしたり、消したりすること。 主に裁判のときに不利になるようなものを失くすことをいう。
神韻縹渺(しんいんひょうびょう)
芸術作品にある、表現できないほどのすぐれた趣のこと。 「神韻」は神業のようなすぐれた趣のこと。 「縹渺」はかすかではっきりとしない様子。 「縹渺」は「縹眇」とも、「縹緲」とも書く。
冗員淘汰(じょういんとうた)
必要のない人員を減らして整えること。 「冗員」は不必要な人員のこと。 「淘汰」は必要なものと、必要のないものを選んで必要のないものを捨てること。
寸陰若歳(すんいんじゃくさい)
短い時間が、まるで一年のように長く感じられること。 再び会える日を心待ちにする気持ちのたとえ。
寸陰尺璧(すんいんせきへき)
少し前に進み、進んだよりも多く退くこと。 または、利益よりも損害のほうが多いことのたとえ。 「寸」と「尺」は距離の単位で、一尺は十寸と同じ。 「寸陰」はほんの少しの時間。 「尺璧」は一尺の大きさがある宝石。 一尺の宝石よりも、ほんの少しの時間のほうが大切という意味から。
清音幽韻(せいおんゆういん)
他のものよりも優れている文章のたとえ。 「清音」は濁りがなく澄んでいる音声。 「幽韻」は言葉にできないほど奥深い味わいがあること。 北宋の王安石が欧陽脩の文を評価した時の言葉。
尺蚓穿堤(せきいんせんてい)
小さなことが原因となり、大きな災難が発生すること。 「尺蚓」は小さなみみず。 「穿堤」は堤防に穴をあけること。 小さなみみずが堤防に穴をあけたことが原因になり、そこから堤防が決壊して一つの村が水に浸かるということから。 「尺蚓(せきいん)堤(つつみ)を穿(うが)つ」とも読む。
穿壁引光(せんぺきいんこう)
貧しい生活をしながら勉学に励むこと。苦学のたとえ。 壁に穴を開けて隣の家の光を盗み、盗んだ光で勉強をするということから。 前漢にいた匡衡は貧しく、灯火の油を買うことができず、壁に穴を開け、隣家の明かりを盗んで勉学に励んだという故事から。 「壁を穿(うが)ちて光を引く」とも読む。
善因善果(ぜんいんぜんか)
よい行動をすれば、よい報いがあるということ。 「善因」はよい報いを受ける原因となる行いのこと。 「善果」はよい報い。 仏教の言葉で、人の行動の善悪に応じた報いを受けることをいう。
足音跫然(そくいんきょうぜん)
人の足音が響く様子。 または、予想もしていなかった来訪や便りがあることのたとえ。 「跫然」は足音が響き渡る様子。 人里離れた荒れ果てた場所で道に迷うと、人の足音が聞こえるだけでも喜ぶという意味から。
惻隠之心(そくいんのこころ)
他人を思いやったり、同情する心のこと。 「惻隠」は人をいたわったり、思いやること。 孟子の性善説の四端説の一つで、「惻隠の心は仁の端なり」を略した言葉。
大隠朝市(たいいんちょうし)
悟りを開いた真の隠者は、山中ではなく人の多い街中で生活しているという意味。 「大隠」は本当に悟りを開いた隠者のこと。 「朝市」は人が多く集まる場所。
箪食瓢飲(たんしひょういん)
質素な食事のたとえ。 「箪」は竹でできた容器、わりご。 「瓢」は瓢箪でできた容器、ひさご。 わりご一杯の飯とひさご一杯の汁物だけの食事ということから。 孔子の弟子の顔回が、貧しい生活をしながらも勉学に励むのを孔子がほめた言葉から。
長夜之飲(ちょうやのいん)
何日も続けて行う、大規模な酒宴。 古代中国の殷の紂王は、朝になっても窓を開けずに灯りをともして、何日にも渡って酒宴を続けたという故事から。
墜茵落溷(ついいんらくこん)
人には幸運と不運があることのたとえ。 「茵」は敷物のこと。 「溷」は便所、厠(かわや)のこと。 散った花びらが運よく敷物に落ちることもあれば、便所に落ちることもあるということから。 「茵(いん)に墜(お)ち溷(こん)に落(お)つ」とも読む。
能鷹隠爪(のうよういんそう)
すぐれた人は人前で無闇に能力を誇示しないということ。 「能鷹」は才能のある鷹のことで才能のある人のたとえ。 「隠爪」は爪を隠すことでやたらと力量を誇示しない態度のこと。
博引旁証(はくいんぼうしょう)
たくさんの資料や例を引用して、しっかりとした証拠を出して議論すること。 「博引」はたくさんの資料や事例を用いて説明すること。 「旁証」は証拠となるものを出して見せること。
馬鹿慇懃(ばかいんぎん)
必要以上に礼儀正しくて丁寧なこと。または、表面は非常に丁寧で礼儀正しいが、実際は尊大なために無礼なこと。
万物殷富(ばんぶついんぷ)
国が繁栄して、全てのものが栄えて豊かになること。 「殷富」は繁栄して豊かになること。
悲歌悵飲(ひかちょういん)
悲痛な気持ちで歌い、愚痴をこぼしながら酒を飲むこと。 「悲歌」は悲しい調子の歌を歌うこと。 「悵飲」は悲しみ、愚痴をこぼしながら酒を飲むこと。
父為子隠(ふいしいん)
悪事や過ちは、父は子のために、子は父のために互いに隠してかばいあうことが人の道であるということ。
風流韻事(ふうりゅういんじ)
詩歌や書画などの高尚な遊びのこと。または、自然と親しむ上品で優雅な趣味のこと。 「風流」は上品で風情があること。 「韻事」は詩歌や書画などの風情がある高尚な遊びのこと。
福善禍淫(ふくぜんかいん)
善人には良いことが起きて、悪人には悪いことが起きるということ。 天は善人に幸福を与え、悪人には災いを与えるという意味から。 「善に福(さいわい)し淫(いん)に禍(わざわい)す」とも読む。
蚊雷殷殷(ぶんらいいんいん)
蚊が多くてうるさい様子。 「蚊雷」は蚊の羽音がうるさく、雷の音のように聞こえること。 「殷殷」は音が響くこと。
暴飲暴食(ぼういんぼうしょく)
度を過ぎた飲食をすること。 「暴」は程度が激しいという意味。
無常因果(むじょういんが)
この世の儚さと、前世の行いの報いのこと。 「無常」はこの世のものは変わらないものはないということから、世の儚さをいう。 「因果」は原因と結果のことで、過去、現在、未来の三つの世にわたって因果の理が貫いているということ。
誘引開導(ゆういんかいどう)
「引導」の語源で、人々を仏の教えに導くこと。 または僧侶が葬式のときに死者へ極楽浄土の法を説くこと。
余韻嫋嫋(よいんじょうじょう)
音が鳴り止んだ後の響きが細く長く続く様子。 または、詩、文、出来事の後に残る風情や余情のたとえ。 「余韻」は音が鳴り止んだ後の響き。 「嫋嫋」は音が細く長く続くこと。
来迎引接(らいごういんじょう)
南無阿弥陀仏を唱えている人が死ぬときには、阿弥陀仏が菩薩を引き連れて迎えに来て、極楽浄土へ導いてくれるということ。 「来迎」は念仏を唱えている人の元へ、阿弥陀仏や菩薩が迎えに来ること。 「引接」は阿弥陀仏や菩薩が、念仏を唱えている人を極楽浄土へ導くこと。
流風余韻(りゅうふうよいん)
後世にまで伝わるような、すぐれた風習。 「流風」は昔の人から伝えられているすぐれた風習、美風。 「余韻」は事の後に残る味わいのこと。
緑葉成陰(りょくようせいいん)
女性が嫁いで、多くの子を産み育てることのたとえ。 影ができるほどに緑の葉が生い茂るという意味から、子孫が繁栄することのたとえ。 中国の唐の時代に杜牧が見かけた美しい少女は、十四年後に会ったときには子をもうけていたのを残念に思い、その少女の変化を植物にたとえて作った詩から。 「緑葉(りょくよう)陰(かげ)を成す」とも読む。
