「も」を含む四字熟語
「も」を含む四字熟語 — 267 件
三鳥出網(さんちょうしゅつもう)
三つの悟りに至るための修行や方法がそれぞれ異なっていることのたとえ。 「三鳥」は、仏教の三乗のたとえ。三乗は、悟りを得るための三つの修行や方法である声聞乗(しょうもんじょう)・縁覚乗(えんかくじょう)・菩薩乗(ぼさつじょう)のこと。 三乗によって悟りを得ることを、三羽の鳥が網から外へ出ることにたとえた言葉。 「三鳥(さんちょう)網(あみ)を出(い)ず」とも読む。
三人文殊(さんにんもんじゅ)
平凡な人でも、三人で知恵を出し合えば何かよい考えが出るものだということ。 「文殊」は知恵をつかさどるとされるという文殊菩薩のこと。 普通な人でも三人で考えを出し合えば、文殊菩薩と同等以上の考えが浮かぶという意味から。 「三人寄れば文殊の知恵」を略した言葉。 「三人文珠」とも書く。
嫉視反目(しっしはんもく)
相手を妬んで対立してにらみ合うこと。 「嫉視」は相手のことを気に入らず、憎らしいと思いながら相手を見ること。 「反目」は互いに向かい合って、にらみ合うこと。 「反目嫉視」ともいう。
櫛風沐雨(しっぷうもくう)
さまざまな苦労をすることのたとえ。 「櫛風」は風が髪をくしけずること。 「沐雨」は雨が体を洗うこと。 雨や風にさらされながら苦労して働くという意味から。 「風(かぜ)に櫛(くしけず)り雨に沐(もく)す」とも読む。 「沐雨櫛風」ともいう。
紫緋紋綾(しひもんりょう)
高い地位や役職を持っている人が着る、美しい文様の織りなしたきらびやかな着物。 「紫緋」は紫色と緋色の着物のことで、高い位の人が着る着物のこと。 「紋綾」は模様のこと。
鴟目虎吻(しもくこふん)
欲深く凶悪で残忍な人相のたとえ。 「鴟目」はふくろうのような目つき。 「虎吻」は虎のような口。 どちらも凶悪で残忍な人相のたとえ。
四門出遊(しもんしゅつゆう)
釈迦が太子の時に、四つの門から外に出て老人、病人、死人、修行者を見つけて、出家を決意した伝説のこと。 釈迦がまだシッダルータ太子と呼ばれ、不自由のない生活をしていたときに、城外で遊ぼうとして別々の日に別々の門の外に老人、病人、死人を見かけた。そして、人間の無常を感じ、最後に修行者に出会い出家する決意をしたといわれている。
四門遊観(しもんゆうかん)
釈迦が太子の時に、四つの門から外に出て老人、病人、死人、修行者を見つけて、出家を決意した伝説のこと。 釈迦がまだシッダルータ太子と呼ばれ、不自由のない生活をしていたときに、城外で遊ぼうとして別々の日に別々の門の外に老人、病人、死人を見かけた。 そして、人間の無常を感じ、最後に修行者に出会い出家する決意をしたといわれる。
社稷之守(しゃしょくのまもり)
国家の守りとなる臣下のこと。 「社」は土地の神、「稷」は五穀の神のことで、どちらも国家にとって重要な守り神ということから、「社稷」は国家や朝廷という意味。
衆妙之門(しゅうみょうのもん)
全てのものが生まれ出るとされる門のこと。 「衆」は数が多いこと。 「妙」は様々な不思議な現象のこと。全てのもののことをいう。
衆目環視(しゅうもくかんし)
たくさんの人たちが周りを取り巻いて見ていること。 「衆目」はたくさんの人たち。 「環視」は周りを取り巻いて見ること。
朱門之家(しゅもんのいえ)
身分が高く裕福な人が暮らす家。 中国の唐の時代には、高貴で金持ちな人の家の門は赤色に塗られていたことから。
修羅妄執(しゅらのもうじゅう)
阿修羅のように高慢で執着心が強く、教化を全く受け入れないこと。 仏教の言葉。
生死妄念(しょうじもうねん)
いつまでも心の迷いから抜け出すことができないこと。 「生死」は生まれ変わり続けることで、迷いの世界で生まれて死ぬことを繰り返すということをいい、永遠に迷い続けるということ。 「妄念」は煩悩から引き起こされる邪な思いや、誤った考えのこと。
将門有将(しょうもんゆうしょう)
立派な家系の家からは、立派な人材が出るということ。 「将門」は将軍を代々輩出している家系のこと。 「有将」は将軍が現れること。 「将門(しょうもん)、将(しょう)有り」とも読む。
支葉碩茂(しようせきも)
本家と分家、一族の全てが繁栄すること。 「支葉」は枝と葉のことで、本家と分家のたとえ。 「碩茂」は大きく繁栄すること。 「枝葉碩茂」とも書く。
神会黙契(しんかいもくけい)
言葉を使わずに、互いに意思が通じること。 「神会」は理解すること。 「黙契」は言葉で示さずに意思が伝わること。
信外軽毛(しんげきょうもう)
心が安定せず乱れやすい凡夫のこと。 「信外」は仏教の言葉で、修行の初期段階である「十信」をまだ終えていない状態のこと。 「軽毛」は風にあおられて安定しない羽毛。
真実無妄(しんじつむもう)
間違いや嘘ではない、本当のこと。 または、嘘や偽りのない様子。 「無妄」は騙したり、偽らないこと。
心腹之友(しんぷくのとも)
親友のこと。 「心腹」は腹を割って話して、何も隠さずに本心を明かすということから。
瞋目張胆(しんもくちょうたん)
大いに勇気を奮うこと。 「瞋目」は怒りで目をむき出すこと。 「張胆」は肝っ玉を太くすること。 恐ろしい事態にあっても、恐れずに勇気を持って立ち向かう心構えをいう言葉。 「目を瞋(いから)し胆(きも)を張る」とも読む。
耳聡目明(じそうもくめい)
目と耳の感覚のどちらもすぐれていること。 「耳聡」は聴覚がすぐれていること。
慈眉善目(じびぜんもく)
「慈眉」は慈愛に満ちた眉、「善目」は正直でまじめそうな目のことから、やさしくて善良そうな顔つきのこと。
耳聞目見(じぶんもくけん)
自身の耳や目で、実際に聞いたり見たりすること。 「耳もて聞き、目もて見る」とも読む。
耳目之欲(じもくのよく)
実際に聞いたり見たりすることで生まれる欲望のこと。 または、聞いたり見たりしたいと思う欲望のこと。
自問自答(じもんじとう)
自分自身に質問をしかけて、自分自身でその質問に答えること。
十目所視(じゅうもくしょし)
多数の人の意見や評価が一致することのたとえ。 十人が同じところをみることから。 「十目(じゅうもく)の視(み)る所(ところ)」とも読む。
熟思黙想(じゅくしもくそう)
心を落ち着かせて、しっかりと物事を考えること。 「熟思」はしっかりと考えること。 「黙想」は喋らずによく考えること。
孺慕之思(じゅぼのおもい)
幼い子供が親を慕うこと。 または、他人にそのような感情を抱くこと。 「孺」は幼い子供のこと。 幼い子供が親を慕って泣き叫ぶのを見た、孔子の弟子である有子と子游が言ったという故事から。
酔眼朦朧(すいがんもうろう)
目の焦点が合わないほど酒に酔い、ぼんやりとしか辺りを見ることができない様子。 「酔眼」は酒に酔い、目の焦点が定まらない様子。 「朦朧」は視界がかすんで、はっきりと区別できないこと。
吹毛求疵(すいもうきゅうし)
強引に人の欠点を探すこと。または、人の欠点をなじることで、逆に自身の欠点を暴かれること。 「吹毛」は毛を吹くこと、「求疵」は傷を探すことで、わざわざ毛を吹き分けて、隠れている傷を探し出すという意味から。 「毛を吹いて疵(きず)を求む」とも読む。
切問近思(せつもんきんし)
理解が難しいことを、身近な問題として取り上げて、真剣に考えること。 「切問」は理解できていないことを問うこと。 「近思」は身近なこととして考えること。 「切(せつ)に問いて近く思う」とも読む。
千門万戸(せんもんばんこ)
建物や部屋の数が極めて多いこと。 または、たくさんの建物が隙間も無いほどに集まっていること。 「千」と「万」は数が多いことのたとえ。 「門」と「戸」は建物の出入り口ということから、部屋や家のたとえ。
前代未聞(ぜんだいみもん)
いまだかつて聞いたことがないようなこと。 大変な出来事や珍しい出来事などをいう言葉。 「前代」は現在より前の時代のこと。 「未聞」は一度も聞いたことがないこと。
草根木皮(そうこんもくひ)
草の根と木の皮という意味から、漢方薬やその素材のこと。 または、食糧不足で草の根や木の皮のようなものしか食べ物がないこと。
草莽之臣(そうもうのしん)
官職につかずに民間の職についている人のこと。 または、臣下が自分自身のことを謙って言い表す言葉。 「草莽」は草むらや田舎という意味から、官職につかずに民間で働いている人のことのたとえ。
草木皆兵(そうもくかいへい)
ひどく怯えて恐れることのたとえ。 あまりの恐怖に気が動転して、草や木が敵の兵士に見えるという意味から。
装模作様(そうもさくよう)
見栄を張ったり、上品ぶったりすること。 「装」と「模」はどちらも見た目を着飾ったり、他人の真似をしたりすること。 「作様」は動きの様子。 「装模(そうも)様(よう)を作(な)す」とも読む。
属毛離裏(ぞくもうりり)
親子のつながりが深いこと。 「属」と「離」はどちらも連なるという意味。 「毛」は体の外側にあるという意味から、陽の存在を言い表す言葉で、父親のたとえ。 「裏」は母胎という意味から、母親のたとえ。 父親を手本にし、母親に育てられて成長することをいう言葉。
耐久之朋(たいきゅうのとも)
長く変わることのない友情で結ばれた友人のこと。 「耐久」は長い月日が経過しても変化しないという意味。 「朋」は親しい相手、友人という意味。
泰山鴻毛(たいざんこうもう)
重さの差が激しいことのたとえ。 「泰山」は中国の山の名前で非常に重いもののたとえ。 「鴻毛」は鴻の羽毛のことで非常に軽いもののたとえ。 主に死の意義の有無についていう言葉。 死刑宣告された友人に司馬遷が送った手紙の一説、「死は或は泰山より重く、或は鴻毛より軽し」を略した言葉。 「太山鴻毛」とも書く。
胆大妄為(たんだいもうい)
好き放題に振る舞うこと。 「胆大」は配慮が足りない様子。 「妄為」は自分勝手な振る舞いのこと。
大門高台(だいもんこうだい)
立派な屋敷のこと。 「大門」は正面にある大きくて立派な門。 「高台」は高層の建物。
断腸之思(だんちょうのおもい)
激しい悲しみや苦しみ。 中国の東晋の桓温の部下が、舟に移動しているときに子猿を捕らえた。 母猿は岸をつたって、百里以上追いかけて船に飛び乗ったところで力尽き、母猿の腹を割くと腸がずたずたになっていたという故事から。
竹馬之友(ちくばのとも)
子供のころからの親友や幼馴染のこと。 「竹馬」は一本の竹の棒を馬に見立てたもの。 幼いころから竹馬で駆け回って一緒に遊んだ友達という意味から。
竹苞松茂(ちくほうしょうも)
新築の家が完成したことを祝う言葉。 「竹苞」は竹の根のようにしっかりとした下部構造。 「松茂」は松の葉や枝のような上部の造りの見事さをほめ称える言葉。
痴心妄想(ちしんもうそう)
愚かな気持ちと実現できそうもない想像のこと。 「痴心」は愚かな気持ちのこと。
蟄居閉門(ちっきょへいもん)
門や窓を閉じて、部屋から出ないこと。 「蟄居」は窓や扉を閉めて部屋にこもらせる江戸時代の武士に課せられた刑罰の一つ。 「閉門」は窓や門を閉めて人の出入りを禁止する江戸時代に武士や僧侶に課せられた刑罰の一つ。 「閉門蟄居」ともいう。
魑魅魍魎(ちみもうりょう)
人に悪いことをする、さまざまな化け物のこと。 または、私欲を満たすために悪事を働く者たちのたとえ。 「魑魅」は山林の精気から生じるとされる化け物。 「魍魎」は山川や木石などの自然物の精気から生じるとされる化け物のこと。
知目行足(ちもくぎょうそく)
悟りを得るためには、知識と修行、どちらも必要なものだということ。 仏教語で、知識を目、修行を足に例えたもの。 「智目行足」とも書く。
張眉怒目(ちょうびどもく)
怒った顔を言い表す言葉。 眉を吊り上げて、目を大きく見開くということから。 「眉(まゆ)を張り目を怒(いか)らす」とも読む。
頂門一針(ちょうもんのいっしん)
要点を的確に突く戒めや忠告のこと。 「針」は治療のために使う、鍼灸の針のこと。 頭頂部にあるつぼを、一本の針で確実に突いて治療するという意味から。 「頂門一鍼」とも書く。
頂門金椎(ちょうもんのきんつい)
要点を的確に突く戒めや忠告のこと。 「頂門」は頭頂部。 「金椎」は金槌。 急所である頭頂部を、金槌で確実に叩くという意味から。
猪突猛進(ちょとつもうしん)
他のことがどうなるか考えることもなく、目標だけを見て全力でまっすぐ突き進むこと。 「猪突」は猪がまっすぐに突進するという意味から、ひたすら目標だけを目指して行動すること。 「猛進」はものすごい勢いで突き進むこと。
佇立瞑目(ちょりつめいもく)
ひどく辛い悲しみで目を閉じたまま立ち尽くすこと。 「佇立」は長時間たったままでいること。 「瞑目」は目を閉じること。
椿萱並茂(ちんけんへいも)
両親がどちらも健康で暮らしていること。 「椿」は古代の霊木。長寿の木で、父親のたとえ。 「萱」はわすれ草のことで、主婦の部屋の前に植えたことから、母親のたとえ。 「並茂」は並んで生い茂ること。 「椿萱(ちんけん)並び茂(しげ)る」とも読む。
沈思黙考(ちんしもっこう)
静かに落ち着いて深く物事を考えること。 「沈思」は深く物事を考えること。 「黙考」は静かに物事を考えること。
沈黙寡言(ちんもくかげん)
落ち着きがあって、口数が少ないこと。 「寡言」は言葉が少ないという意味から、無口なこと。 「寡言沈黙」ともいう。
珍問珍答(ちんもんちんとう)
変な質問と変な答えのこと。 普通とは違う質問と、それに対する奇妙な答えということ。
程門立雪(ていもんりっせつ)
弟子が師匠を尊敬し、心の底から教えを乞うこと。 「程門」は程一族の家の門。または、中国の宗の程顥と程頤の学問を受け継ぐ人のこと。 「立雪」は雪の上に立つこと。 中国の北宗の時代、游酢と楊時の二人は、程顥と程頤に教えを受けようと家を訪れたが、程頤は瞑想をしていたので傍で待っていたが、程頤が二人に気がついた時には雪が一尺ほど積もっていたという故事から。 教えを受ける人の心得をいう言葉。 「程門(ていもん)雪に立つ」とも読む。
鉄網珊瑚(てつもうさんご)
珍しい品物や、素晴らしい才能をもつ人物を得るために探すこと。 海の底に鉄の網を沈めて、それに着生させ、成長したあとに引き上げて珊瑚を採取するという、唐の時代に東ローマ帝国で行われたとされる方法から。
天網恢恢(てんもうかいかい)
悪人や悪事を天は決して見逃さないということ。 「天網」は天が張っている網ということから、天の道理が厳しくも正しいということのたとえ。 天が張っている網は、非常に大きく、隙間があるように見えるが、何があっても悪は逃がさないということから。 「天網恢恢疎にして漏らさず」を略した言葉。
天網之漏(てんもうのろう)
天の下す罰から免れること。 または、法の抜け穴をつくこと。 「天網」は悪人を捕らえるために、天が張っている網ということから、国の法律をいう。
天門開闔(てんもんかいこう)
この世の全てのものが変化し、生まれ消滅すること。 「天門」はこの世にあるものが生まれ出るとされる門。 「開闔」は開いたり閉まったりすること。 天門が開くと全てのものが生まれ、閉じると全てのものが消滅するといわれている。
天門登八(てんもんとうはち)
仕官して、一番上の地位を得ようとすれば、自身の命が危うくなるということ。 「天門」は天にあるとされる門。 古代中国では、天には九つの階層があるとされていて、晋の陶侃は翼で飛んで八つ目をこえ、九つ目の前で門番に叩き落とされる夢を見た後に、八州を治める高官になった。 さらに上の地位を目指そうとしたが、夢を思い出して自重したという故事から。
儻来之物(とうらいのもの)
思いがけず手に入った物のこと。または、賭博で手に入った物のこと。 「儻」は思いがけずや、偶然に、という意味。
桃李満門(とうりまんもん)
すぐれた人材が数多く集まること。 人材を桃やすももにたとえた言葉で、味のよい桃やすももが門に満ち溢れるという意味から。 「桃李(とうり)門に満つ」とも読む。
杜黙詩撰(ともくしさん)
詩や文章にたくさんの間違いがあって、いい加減なこと。 「杜黙」は人の名前。 「詩撰」は詩や文章を作ること。 中国の詩人の杜黙の作る詩や文章は、定型詩の格式にほとんど当てはまっていなかったということから。 「杜撰」という形で使うことが多い言葉。
杜門却掃(ともんきゃくそう)
門を開けることなく、世間との関係を絶つこと。 「杜門」は門を閉じること。 「却掃」は客をしりぞけること。 道を掃除して客を迎えることをしないという意味から。
都門桂玉(ともんけいぎょく)
他の土地からやってきて、物価の高さで生活に苦労すること。 「桂」は香木、「玉」は宝玉。 戦国時代の遊説家の蘇秦が、楚の威王を訪れたところ、面会までに三か月も待たされてしまい、その間、宝玉より高い食べ物や香木より高い薪の値段に悩まされ、生活に苦労したという故事から。
瞠目結舌(どうもくけつぜつ)
激しく驚いて呆れること。 「瞠目」は大きく目を開いて見るということから、驚くこと。 「結舌」は舌を結ぶという意味から、舌が動かなくなって、声も出ない様子。
二束三文(にそくさんもん)
売値がとても安いこと。 ほとんど価値がないこと。 「文」は昔使われていた価値の低い貨幣。 「三文」は少しの金額のたとえ。 二束売っても三文(少しの金額)にしかならないということから。 「二束」は「二足」とも書き、農民の副業として多く生産されていた金剛草履という丈夫な草履が、二足でたったの三文という安い値段で売られていたことが語源という説もある。
入境問禁(にゅうきょうもんきん)
知らない土地に行ったら、はじめにその地での禁止事項を聞いて、それを守ることが大切だということ。 「入境」は国境を越えること。他の地域に行くこと。 「問禁」は禁止されていることを聞くこと。
如是我聞(にょぜがもん)
仏教で経文の冒頭に記される定型の言葉。 「私はこのようにお聞きしました」という意味。
喉元思案(のどもとじあん)
軽率な考えという意味。 「喉元」は喉のあたり。 「思案」は考えのこと。 思考を重ねて胸の辺りでじっくり考えたのではなく、胸よりも浅い喉のあたりで思いついた考えということから。 「咽元思案」とも書く。
廃忘怪顛(はいもうけでん)
激しく驚き、慌てふためくこと。 「廃忘」と「怪顛」はともに驚いて慌てるという意味。
博学審問(はくがくしんもん)
様々な学問を広く学び、深く細かいことを詳しく問うこと。 儒教の朱子学の学問の過程にある「学、問、思、弁、行」のうち、学と問のことを意味する言葉。 「審問」は詳しく調べて、細かいことを尋ねること。
播糠眯目(はこうべいもく)
ほんの些細な問題が、判断の誤りに繋がることがあることのたとえ。 または、自分以外の働きによって、方向を見失うことのたとえ。 糠(ぬか)を撒き散らして、目をくらますことから。 「糠(ぬか)を播(ま)き目(め)を眯(くら)ます」とも読む。
発蒙振落(はつもうしんらく)
極めて簡単なことのたとえ。 覆っているものを外して、落ち葉を払うということから。
鼻元思案(はなもとじあん)
軽率な考えという意味。 「鼻元」は鼻の付け根。 「思案」は考えのこと。 思考を重ねて頭でじっくり考えたのではなく、鼻の付け根の付近で思いついた考えということから。