「ぶ」を含む四字熟語
「ぶ」を含む四字熟語 — 213 件
悪逆無道(あくぎゃくぶとう)
人の道をはずれた計り知れないほどの悪行のこと。 「悪逆」は律令法の八逆の中の一つで親族殺しのこと。 「無道」は人としての道理にはずれていること。
悪不忍聞(あくふにんぶん)
この上なく非道な行いなので、聞いてはいられないということ。 中国の前漢の時代末期に、王莽が王位を簒奪したことに対して、後漢の歴史家の班固が罵って言った言葉から。 「悪、聞くに忍ばず」とも読む。
安穏無事(あんのんぶじ)
何事もなく、世の中や暮らしが穏やかで安らかなさま。 「無事安穏」ともいう。
安分守己(あんぶんしゅき)
身の程をわきまえて、高望みをしないこと。 「安分」は身の程をわきまえること。 「守己」は自分の状態を維持すること。
以身役物(いしんえきぶつ)
自分の体が物に酷使されること。 または、周囲のことに振り回されたり、そのために苦労すること。 「身(み)を以(もっ)て物(もの)に役(えき)せらる」とも読む。
一分一厘(いちぶいちりん)
ごくわずかなこと。 多くは否定の語とともに"わずかにも~ない"の意味で用いられる。 「分」と「厘」はどちらも単位の名称で、極めて小さいことのたとえ。
一部始終(いちぶしじゅう)
物事の最初から最後までの詳しい事情のこと。 初めから終わりまで。 「一部」は一つの書物のこと。”部”は書物を数える単位。 「始終」は初めと終わり、または初めから終わりまでの全ての事情のこと。 元は”一つの書物の初めから終わりまでの全ての内容”という意味の言葉。
一六勝負(いちろくしょうぶ)
ばくちのこと。また、運任せの思い切った行動のこと。 「一六」はさいころの目のこと。 さいころを振って、一の目が出るか、六の目が出るかを賭けて勝負するということから。
一体分身(いったいぶんしん)
一つのものが複数のものに分かれること。 仏教の言葉で、世の人々を救うために、仏が様々な姿をかりて現れること。
緯武経文(いぶけいぶん)
学問と武術の両方を重んじて、国や政治の基礎にすること。 「緯」は横糸のこと。 「経」は縦糸のこと。 学問と武術を重んじることを、横糸と縦糸を交互に組み合わせて布を織ることにたとえた言葉。 「武を緯(い)にし文を経(けい)にす」とも読む。 「経文緯武」ともいう。
以文会友(いぶんかいゆう)
学問を通じて仲間を集めること。 君子の交友をいう言葉。 「文(ぶん)を以(もっ)て友(とも)を会(かい)す」とも読む。
異聞奇譚(いぶんきたん)
非常に珍しい話。 「異聞」と「奇譚」はどちらも普通ではない不思議な話という意味。
慇懃無礼(いんぎんぶれい)
態度や言葉遣いなどが必要以上に丁寧過ぎると、嫌味に聞こえてしまい、かえって失礼にあたるということ。 または、一見とても礼儀正しくみえるが、実は心の中で相手を見下していること。 「慇懃」はとても礼儀正しいこと。 「無礼」は失礼なこと。
允文允武(いんぶんいんぶ)
学問と武芸のどちらもすぐれていること。 元は、学問と武芸のどちらにもすぐれている天子の徳を称えた言葉から。 「允(まこと)に文、允(まこと)に武」とも読む。
禹湯文武(うとうぶんぶ)
夏、殷、周の三代の王朝の始祖とされる人物の名前。 「禹」は夏王朝の禹王。 「湯」は殷王朝の湯王。 「文」と「武」は周王朝の文王と武王のこと。 どの人物も古代中国の聖天子とされている。
偃武修文(えんぶしゅうぶん)
世が平和で穏やかなこと。 「偃武」は戦を止めて武具を片付けること。 「修文」は学問を修めること。 争いがなく学問に努める事ができるという意味から。 「武を偃(ふ)せて文を修(おさ)む」とも読む。
閻浮檀金(えんぶだごん)
質の良い金のこと。 「閻浮」は仏教で須弥山のまわりにある四大陸の一つで、南にある大陸の閻浮提のこと。 「檀」は川。 閻浮提の大木の下にある金塊のことや、その近くにある川の砂金ということから。
厭聞飫聴(えんぶんよちょう)
何度も聞きすぎて飽きること。 「厭」と「飫」はどちらも飽きるという意味。 「聞」と「聴」はどちらも聞くという意味。
椀飯振舞(おうばんぶるまい)
盛大なごちそうのことや物を与えたりご馳走したりすること。 「椀飯」は椀に盛った飯、またはそれを出してもてなすことで、 江戸時代には正月に親戚などを招待して、酒宴をすることなどをいった。
大盤振舞(おおばんぶるまい)
盛大なごちそうのことや物を与えたりご馳走したりすること。 江戸時代、正月に親戚などを招待して酒宴を開くことをいった。
恩讎分明(おんしゅうぶんめい)
恩とあだをはっきりと区別し、それぞれに必ず報いること。 「恩讎」は恩と讎(あだ)。 「分明」ははっきりと区別すること。 「恩讐分明」とも書く。
温文爾雅(おんぶんじが)
心がおだやかで、態度や言動が礼儀にかなっていること。 「温文」は温和で礼儀にかなっていること。 「爾雅」は言葉や文章などが美しいこと。 「爾雅温文」ともいう。
開物成務(かいぶつせいむ)
物を開発して、事業や職務を望んだとおりに完成させること。または、人々の知識を開発して、世の中がうまくいくように導くこと。 易経の目的を言い表す言葉で、全てのものの能力を完全に引き出して、本来の役目を果たせるようにすることをいう。 「物を開き務めを成す」とも読み、この言葉を略して「開成」ともいう。
格物究理(かくぶつきゅうり)
物事を突き詰めて、道理を明らかにすること。 「格物」は物事を突き詰めること。物事の道理を極めつくすこと。 「究理」は物事の道理を明らかにすること。
格物致知(かくぶつちち)
物事の道理を極めて、知識を最大限に広げていくこと。 「格物」は物事の道理を極めつくすこと。 「致知」は知識を極めること。 「致知格物」ともいう。
寡見少聞(かけんしょうぶん)
知識や経験が少ないこと。 または、世間のことを知らないこと。 「寡」と「少」はどちらも少ないという意味。 自分のことを謙遜していう言葉。
割席分坐(かっせきぶんざ)
友人との縁を切ること。 「席」は座るときに敷くむしろのこと。 「坐」は座ること。 一緒に座っていたむしろを裂いて席を分けること。 中国の魏の管寧と華キンが絶交したという故事から。
歌舞音曲(かぶおんきょく)
歌や踊り、音楽のこと。 または、遊びに関係する華やかな芸能のこと。 「歌舞」は歌と踊り。 「音曲」は音楽のこと。
歌舞優楽(かぶゆうらく)
歌や踊りをのんびりと楽しむこと。 「優楽」はのんきにのんびりと楽しむこと。
寡聞少見(かぶんしょうけん)
知識や経験が少ないこと。 または、世間のことを知らないこと。 「寡」と「少」はどちらも少ないという意味。 自分のことを謙遜していう言葉。
瓜剖豆分(かぼうとうぶん)
一つの国が小さく分裂すること。 瓜や豆を割るように小さくわかれるという意味から。
緩歌慢舞(かんかまんぶ)
ゆったりとした調子で歌って舞うこと。 「緩歌縵舞」とも書く。
歓喜抃舞(かんきべんぶ)
思いっきり喜ぶこと。 「抃舞」は手を打ち鳴らして踊ること。
歓欣鼓舞(かんきんこぶ)
思いっきり喜ぶこと。 「鼓舞」は鼓を打ち鳴らして踊ること。
韓文之疵(かんぶんのし)
主張や発言の辻褄が合わないこと。 「韓文」は中国の名文家の韓愈の書いた文章のこと。 「疵」はきずのこと。 「送孟東野序」の中で、韓愈が述べていることに矛盾があるということから。
玩物喪志(がんぶつそうし)
必要の無いものに夢中になって、大切なことをなおざりにすること。 「喪志」は本来の目的を忘れること。 物に執着すれば志を失くしてしまうという意味から。 「物(もの)を玩(もてあそ)べば志(こころざし)を喪(うしな)う」とも読む。
鬼手仏心(きしゅぶっしん)
外科医は冷静に手術をするが、悪意はなく患者を救いたいという優しい心によるものだということ。 または、無慈悲な行いに見えても、相手を思いやる優しい心によるものだということ。 「鬼手」は鬼の残酷な手。 「仏心」は仏のように慈悲深い心のこと。 「仏心鬼手」ともいう。
鬼面仏心(きめんぶっしん)
恐ろしい顔をしているが、性格は穏やかなこと。 または、そのような人のこと。 鬼のような顔と仏の心という意味から。
喜躍抃舞(きやくべんぶ)
大いに喜んで、両手を打ち鳴らしたり、小躍りしたりすること。 「抃舞」は両手を打ち鳴らして舞うこと。
窮極無聊(きゅうきょくぶりょう)
非常に貧しく希望がないこと。 または、貧しく、心苦しいために、何も楽しめないこと。 「窮極」は貧しさが極限に達すること。 「無聊」は頼りになるものがないこと。または、心に憂いがあって何も楽しめないこと。
窮兵黷武(きゅうへいとくぶ)
無分別に武力を使って、必要以上に戦争を起こして徳を汚すこと。 「窮兵」は戦争ばかりすること。 「黷武」はみだりに武力を使うこと。 中国の殷の湯王は七十里四方の領地しかなかったが、徳を修めていたために王者となり、晋の智伯は千里四方の領地があったが、戦争ばかりしていたために滅んだという故事から。
狂喜乱舞(きょうきらんぶ)
思い切り喜ぶこと。 「狂喜」は正気を失ったかのように激しく喜ぶこと。 「乱舞」は大人数で入り乱れて踊ることや狂ったように踊ること。 思わず踊ってしまうほど激しく興奮して喜ぶという意味から。
曲直分明(きょくちょくぶんめい)
物事のよいことと悪いことの区別がはっきりとしていること。 「曲直」は曲がっていることと、まっすぐなことということから、間違っていることと、正しいこと。物事の善悪。 「分明」ははっきりと分かること。
勤倹尚武(きんけんしょうぶ)
しっかりと働いて、質素に暮らしながら武芸に励むこと。 「勤倹」はしっかりと働いて、無駄遣いをしないようにすること。 「尚武」は武士の生活態度の基本をいう言葉で、武芸を尊ぶという意味。
魚質竜文(ぎょしつりょうぶん)
正しいように見えるが、実際には間違っていること。 または、実質はないが、外見は立派に見えること。 「質」は実質、本質。 「文」は見た目のこと。 本質は魚だが、竜のように見えるという意味から。
空中分解(くうちゅうぶんかい)
航空機が飛んでいる途中に、空中でばらばらに壊れること。 または、計画や組織などが、途中でつぶれたり、くずれたりしてだめになることのたとえ。
九寸五分(くすんごぶ)
短刀のこと。 「寸」と「分」は長さの単位で、短刀の長さと同じということから。
九分九厘(くぶくりん)
ほとんど完璧なもの。ほぼ間違いないこと。 十分のうちの九分九厘という意味から。
区聞陬見(くぶんすうけん)
学問や知識の幅が狭くて偏っていること。 「区」は細かい、小さいという意味。 「陬」は偏っていること。 自分の知識を謙遜する場合に使うこともある。
敬神崇仏(けいしんすうぶつ)
神も仏も敬い崇めること。 「敬神」は神を敬うこと。 「崇仏」は仏を崇めること。
勁勇無双(けいゆうぶそう)
並外れて武術にすぐれ、勇ましい様子。 「勁勇」は勇気があって、力強いこと。 「無双」は比べるものが存在しないこと。 「勁」は「きょう」とも、「無」は「む」とも読む。
見性成仏(けんしょうじょうぶつ)
自身の持つ仏としての性質を見極め、悟りの境地に至ること。 「見性」は自身の本質を見極めること。 「成仏」は悟りを得て、仏になること。 禅宗の言葉で、全ての人は本質的に仏になる資質を持っているということをいう言葉。
言文一致(げんぶんいっち)
いつも使っている話し言葉で文章を書くこと。 または、明治時代の言論界や文学界に行われた、文体の改革運動のこと。 「言文」は口語と文語のこと。 言論界では福沢諭吉や西周、文学界では二葉亭四迷や山田美妙などが推進した。
好学尚武(こうがくしょうぶ)
学問と武術のどちらも好んで重んじること。 「好学」は学問を好むこと。 「尚武」は武術を重んじること。
口承文学(こうしょうぶんがく)
文字に記さず、口から口へと語り伝えられてきた文学。昔話、神話、伝説、民謡などが含まれ、語る人の表現や地域によって内容が変化することが特徴。 「口承文芸」ともいう。
光中化仏(こうちゅうけぶつ)
主となる仏像の後ろの光の部分にある小さな仏像。
咬文嚼字(こうぶんしゃくじ)
文字の見た目や言葉の飾り方にばかりこだわって、内容や意味がない文章のこと。 学識を自慢するだけで、実際には役に立つことがない知識人を揶揄するときに使うことの多い言葉。 「文(ぶん)を咬(か)み字(じ)を嚼(か)む」とも読む。
高慢無礼(こうまんぶれい)
思い上がって他人を見下す、礼を失する態度。 「高慢」はいい気になって人を見下すこと。 「無礼」は礼儀を理解していないこと。
黒白分明(こくびゃくぶんめい)
善いことと悪いことの区別をわかりやすくしていること。 「黒白」は物事の是非や善悪のたとえ。 「分明」は分かりやすく区別されていること。
虎豹之文(こひょうのぶん)
才能と知恵のどちらもある人は、才能と知恵があるために災いを招くということのたとえ。 虎や豹は毛皮が美しいために、狩りをする気を起こさせるという意味から。 「文」は文様。
鼓舞激励(こぶげきれい)
人を励まして奮い立たせること。 「鼓舞」は鼓を打って舞うということから、励まして元気付けること。 「激励」は励まして元気付けること。 同じ意味の言葉を重ねて強調した言葉。
孤陋寡聞(ころうかぶん)
知識が偏っていて、見識が狭いこと。 「孤陋」は他人の考えを聞かず、視野が狭いこと。 「寡聞」は見聞が狭いこと。
傲岸無礼(ごうがんぶれい)
人を見下して、礼儀に外れている様子。 「傲岸」はいばり人を見下すこと。 「無礼」は礼儀に外れている様子。
傲慢無礼(ごうまんぶれい)
思い上がって他人を見下すこと。礼を失する態度のこと。 「傲慢」は、いい気になって人を見下すこと。 「無礼」は、礼儀を理解していないこと。 「無礼傲慢」ともいう。
五分五分(ごぶごぶ)
どちらも同等で、優劣のないこと。 または、二つのものの可能性が同じくらいあること。
作文三上(さくぶんさんじょう)
文章の構想を考えるのに最も適している三つの場所のこと。 「作文」は文章を作ること。 「三上」は馬上、枕上、厠上の三つの場所のこと。 馬上は馬に乗っているとき、枕上は寝床で横になっているとき、厠上は便所に入っているとき。
散文精神(さんぶんせいしん)
小説を書くときの精神のありかたで、浪漫的・詩的感覚を排除して、実際におこったことを冷静に捉えて、客観的に見つめようとするもの。 昭和十一年に小説家の武田麟太郎が主張したもの。
三分鼎足(さんぶんていそく)
力が同じものが三人並び立つこと。 または、同じ力を持つ勢力が並び立つこと。 三人が並び立つことを「鼎」にたとえた言葉。 「鼎」は食べ物を煮たり、祭器として使われる三本足の器。
止戈為武(しかいぶ)
武は戦をやめるためのものであるというたとえ。 「戈」は武器のことで、戦のたとえ。 「止」と「戈」の二つの漢字を合わせると「武」の文字になることから。 「戈(か)を止(とど)むるを武(ぶ)と為(な)す」とも読む。 「武」の漢字の成り立ちとしては否定されている解釈。
市井無頼(しせいぶらい)
街の中で生活している無法者。 「市井」は多くの人が住んでいる所。町。 「無頼」は無法者。ならず者。
悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)
「悉皆」は一つ残らず、全てのものという意味で、仏教語でこの世の生きている全てのものが成仏すること。
悉有仏性(しつうぶっしょう)
すべての人は仏になる素質を持っているということ。 または、この世に存在するすべてのものは、仏そのものであるということ。 「悉有」はすべての人が持っているということ。または、この世に存在するものすべてということ。 「悉(ことごと)く仏性(ぶっしょう)有り」とも、「悉有(しつう)は仏性(ぶっしょう)なり」とも読む。
至道無難(しどうぶなん)
好き嫌いや損得など選り好みする気持ちさえなければ、禅で悟りを開くことは難しいことではないということ。 「至道」は悟りや真理に達する道のこと。
四分五散(しぶんごさん)
国や秩序などが乱れてまとまりがなくなり、ばらばらに分裂すること。
四分五裂(しぶんごれつ)
国や秩序などが乱れてまとまりがなくなり、ばらばらに分裂すること。
使蚊負山(しぶんふさん)
与えられた任務をこなせないことのたとえ。 虫の蚊に、大きな山を背負わせるということから。 「蚊(ぶん)を使(し)て山を負(お)わしむ」とも読む。
奢侈文弱(しゃしぶんじゃく)
度を超したぜいたくな生活をして、文学にふけっているだけで、おとなしく弱弱しいこと。 「奢侈」は度を超したぜいたく、「文弱」は文学にばかりふけっていて弱弱しいこと。
借花献仏(しゃっかけんぶつ)
自分のやらなければいけないことを人に頼って行うこと。 仏に花を供えるために、人に花を借りるという意味から。 「花を借りて仏に献(けん)ず」とも読む。
聚蚊成雷(しゅうぶんせいらい)
小さなものでも、数が多くなれば大きな力になるということ。 または、多くの人が同じ悪口を言うと害悪が発生するということのたとえ。 小さな虫の蚊でも、数多く集まれば羽音が雷のようになるという意味から。 「聚蚊(しゅうぶん)雷(らい)を成す」とも読む。
守成尚文(しゅせいしょうぶん)
物事を受け継いでいくためには、武力よりも規則や教化によって治めるべきであるということ。 「守成」は物事を受け継いで守ること。 「尚」は尊ぶこと。 二代目の君主についていう言葉。 「守成(しゅせい)するに文(ぶん)を尚(たっと)ぶ」とも読む。