「う」で終わる四字熟語
「う」で終わる四字熟語 — 1521 件
一喜一憂(いっきいちゆう)
物事の状況が変化するたびに喜んだり心配したりすること。 または、周りの状況に振り回されること。 「喜」はよろこぶこと。 「憂」は心配すること。
一簣之功(いっきのこう)
仕事を完遂する間際の、最後のひと踏ん張りのこと。 または、仕事を完成させるために積み重ねる一つ一つの努力と、その大切さのこと。 「簣」は、土を入れて運ぶ道具。もっこ。 「一簣」は、もっこ一杯の土のこと。 「九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に虧(か)く」による。 九仞の高さの山を作るにも、最後のもっこ一杯の土を盛らずに止めてしまえば山は完成しないとの意から。
一挙一動(いっきょいちどう)
日常のちょっとした動作や立ち居振る舞いのこと。 または、一つ一つの動作のこと。 「一」は”ちょっとした”や”一つ一つ”という意味。 普段の動作を意味する「挙動」という言葉を「挙」と「動」に分け、「一」をそれぞれに付けて意味を強調した言葉。
一薫一蕕(いっくんいちゆう)
悪が善を駆逐すること。 善は消えやすく、悪を取り除くのは難しくはびこりやすことのたとえ。 「薫」は香りのよい草のこと。 「蕕」は臭い草のこと。 二つを同じところにおけば、よい香りが消されてしまうことから。
一決雌雄(いっけつしゆう)
戦闘一回で決着をつけること。 「雌雄」は勝敗。
一欠十求(いっけつじっきゅう)
官職に一つの空席が出ると、空席をめぐって人が集まること。 「一欠」は官職の中の一つの空席。 「十求」はたくさんの人が欲しがって集まること。 中国の晋の役人の王蘊は、温厚な性格で身分にこだわらず登用していたので、官職に空きが出るたびに人々が殺到していたという故事から。
一国一城(いっこくいちじょう)
一つの国と一つの城のこと。 または、それらを所有していること。 または、他からの干渉を受けずに独立している状態にあること。 「一国」は一つの国。 「一城」は一つの城。 会社や家族を国や城に例えて、それらの長という意味で「一国一城の主」という形で用いることが多い言葉。
一国三公(いっこくさんこう)
指示を出す人が多すぎて、統率が取れなくなること。 三人の君主が一つの同じ国にいるということから。 「三公」は三人の君主。
一刻千秋(いっこくせんしゅう)
とても待ち遠しいこと。 「一刻」はとても短い時間ということ。 「千秋」は千年のこと。 わずかな時間なのに、千年にも思えるほど待ち遠しいということから。
一切有情(いっさいうじょう)
この世に生きとし生けるものすべてのこと。特に、人間のこと。 「一切」はすべてのこと。 「有情」は生きているもののこと。 仏教用語。
一切皆空(いっさいかいくう)
この世の全て事象には実体がなく、全て空であるということ。 仏教の言葉で、「一切」は全てという意味の言葉。
一切皆成(いっさいかいじょう)
この世の全ての生き物は、仏になることのできる可能性を秘めているという考え。 「一切皆成仏」を略したもの。
一切衆生(いっさいしゅじょう)
この世に生きるすべてのもの。特に、人間のこと。 「一切」はすべての意。 「衆生」はすべての生物の意。 仏教用語。
一糸一毫(いっしいちごう)
きわめてわずかであるたとえ。 「一糸」は一本の糸のこと。 「一毫」は一本の細い毛のこと。 どちらもわずかなことのたとえ。
一弛一張(いっしいっちょう)
人に厳しくしたり、やさしく接したりすること。 「張」は弦を張ること。 「弛」は弦を緩めること。 弦を張ったり緩めたりすることから。 「一弛一張」ともいう。
一死七生(いっししちしょう)
天上界で一度死ぬと、人間界で七たび生まれ変わるということ。 仏教用語。
一糸不苟(いっしふこう)
何事にも手を抜かないこと。 一本の糸に対してもいい加減な扱いをしないということから。 「一糸(いっし)すら苟(いやしく)もせず」とも読む。
一所不住(いっしょふじゅう)
一定の場所に住まず、各地を転々とすること。 特に行脚して回る僧のことをいう言葉。
一心一向(いっしんいっこう)
他のことに気を散らさず、一つのことに集中すること。 「一心」は一つのことに集中すること。 「一向」は一つの方向を目指すこと。
一身軽舟(いっしんけいしゅう)
自然の中で自身と乗っている船が一つに感じられ、自身と他のものの区別がつかなくなること。 または、そのように感じるほどに風景が壮観な様子。 「軽舟」は軽快に進む小舟のこと。 「一身軽舟と為る」を略した言葉。
一世之雄(いっせいのゆう)
その時代で一番すぐれた英雄。 「一世」はその時代、当時という意味。
一石二鳥(いっせきにちょう)
一度の行動で二つの利益を得ること。 または、一度の行動で、同時に二つの目的を達成すること。 「一石」は一つの石を投げること。 「二鳥」は二羽の鳥を捕まえること。 一つの石を投げて、二羽の鳥を同時に捕まえるという意味から。 英語のことわざを日本語に訳した言葉。
一殺多生(いっせつたしょう)
一人の人を犠牲にして、たくさんの人が助かること。 元は仏教の言葉で、たくさんの人を救うために、悪人一人を犠牲にすることは、望ましくはないが仕方ないという考えをいう。
一箭双雕(いっせんそうちょう)
一つの行動で二つの利益を得ること。 「箭」は矢、「雕」は鷲。 一本の矢を一回放って、二羽の鷲を射るという意味から。
一短一長(いったんいっちょう)
人や物には、長所もあれば短所もあるということ。 また、得意なことと苦手なことがあり、完全ではないということ。 「長」は長所、得意なこと。「短」は短所、苦手なこと。 「一」は「~もあれば~もある」という意味で、「一長一短」の場合は「長所もあれば短所もある」という意味になる。 「一短一長」ともいう。
一旦緩急(いったんかんきゅう)
いざというとき。緊急時には。 「一旦」はある朝、ある日という意味から、ひとたび、一度という意味。 「緩急」は急を要する事態のこと。 「一旦緩急あれば」という形で用いる言葉で、一度、緊急の事態が起こればという意味。
一超直入(いっちょうじきにゅう)
迷いを乗り越えると、悟りの境地に至ることができるということ。 「直入」はすぐに悟りを得ること。 仏教の言葉で、煩悩を捨てさってしまえば、すぐに悟りを得ることができることを言う言葉。
一天万乗(いってんばんじょう)
天子や天皇のこと。 「一天」は天の下全てということから、全世界のこと。 「乗」は兵車のことや、兵車を数える場合に使う単位。 一万乗の兵車を出すことが出来る国の君主という意味から。 古代中国では、兵車一台に馬四頭と兵士百人がついていたとされている。 「一天万乗の君」を略した言葉。
一発必中(いっぱつひっちゅう)
一度の機会で確実に成功させること。 一発の銃弾や矢を確実に命中させるということから。
一斑全豹(いっぱんぜんぴょう)
物事のわずかな部分だけを見て、物事の全体を推測したり、批評したりすること。 見識が狭いことのたとえ。 「一斑」は、豹(ひょう)の毛皮にあるまだら模様のうちの一つのこと。転じて物事の一部分。 狭い管を覗いて中から見えた一つの豹のまだら模様を見て、豹の全体を推測するという意味から。 「全豹一斑」ともいう。
一筆啓上(いっぴつけいじょう)
筆をとって文章で申し上げるということ。 男子が手紙の書き出しに使う言葉。 「一筆」は一通の手紙。 「啓上」は申し上げるという意味。 安土桃山時代の本多作左衛門重次が、妻に書いた手紙の書き出しとして有名。
一筆勾消(いっぴつこうしょう)
今までのものを全て取り消すこと。 「勾消」は線を引いて消すこと。 帳簿などの今までの記録の上から線を引いて消すという意味から。 中国の北宋の時代に范中淹は、才能のない駄目な役人を名簿から消していったという故事から。 「一筆勾銷」とも書く。
一嚬一笑(いっぴんいっしょう)
顔に表れるちょっとした表情。または、少しの表情の変化。 「一」は少しという意味。 「嚬」は機嫌を損ねて顔をしかめること。 「嚬」は「顰」とも書く。 「一笑一嚬(一笑一顰)」ともいう。
一放一収(いっぽういっしゅう)
緩くしたり、しっかりと締めたりすること。 「一」はあるときはという意味。 禅宗の言葉で、人を指導する時に甘くしたり、厳しくして適切に指導する手腕をいう。
一飽一襲(いっぽういっしゅう)
質素な服装と食事。 「一飽」は一度の食事で満腹になること。 「一襲」は一式揃った衣服。 生活に困らない程度の衣服と食事ということから。
一方通行(いっぽうつうこう)
車両などの通行を一つの方向のみ許すこと。または、その道路。また、片方からしか意思の疎通ができないことをいう。
帷薄不修(いはくふしゅう)
男女関係がだらしないことのたとえ。 「帷薄」は寝室を囲っているしきり。 寝室を整える暇もないということから。 高位の人の淫らな行為を遠回しに言う言葉。 「帷薄(いはく)修(おさ)まらず」とも読む。
威迫利誘(いはくりゆう)
様々な方法で人を従わせること。 脅迫したり、誘惑したりするという意味から。 「威(い)もて迫り利もて誘う」とも読む。
位卑言高(いひげんこう)
低い地位の人が、身分に合わない偉そうなことを言うこと。 「位(くらい)卑(ひ)くして言(げん)高(たか)し」とも読む。
遺風残香(いふうざんこう)
過去の賢者やすぐれた風俗のなごり。 「遺風」は過去の賢者が残した教え。または、昔から受け継がれている風習。 「残香」は残り香。
威風堂堂(いふうどうどう)
雰囲気や態度が立派で威厳のある様子。 「威風」は威厳に満ち溢れた雰囲気。 「堂堂」はたくましく威厳のある様子。 「威風堂々」とも書く。
以文会友(いぶんかいゆう)
学問を通じて仲間を集めること。 君子の交友をいう言葉。 「文(ぶん)を以(もっ)て友(とも)を会(かい)す」とも読む。
以暴易暴(いぼうえきぼう)
暴力によって暴力をおさえること。 古代中国の暴君と名高い殷の紂王を周の武王が武力により征伐したさいに、伯夷と叔斉の兄弟が武王を非難した言葉。 「暴(ぼう)を以(もっ)て暴(ぼう)に易(か)う」とも読む。
意味深長(いみしんちょう)
言動や詩文などに深い趣や意味が込められていること。 または、表に出ている意味とは別の意味が隠されていること。 「深長」は奥深くに意味が隠されていること。 「意味深」という形で略して使うこともある。
倚門之望(いもんのぼう)
母親が子のことを思う愛情のこと。 「倚」は寄りかかるという意味。 母親が門に寄りかかって、子の帰りを待ち望むという意味から。 中国の春秋時代の衛の王孫賈は、朝早くから夜遅くまで出掛けることが多く、母親は家の前の門や、村の入り口にある閭という門に寄りかかって帰ってくるのを待ちわびたという故事から。
倚閭之望(いりょのぼう)
母親が子のことを思う愛情のこと。 「倚」は寄りかかるという意味。 母親が門に寄りかかって、子の帰りを待ち望むという意味から。 中国の春秋時代の衛の王孫賈は、朝早くから夜遅くまで出掛けることが多く、母親は家の前の門や、村の入り口にある閭という門に寄りかかって帰ってくるのを待ちわびたという故事から。
異類異形(いるいいぎょう)
化け物や妖怪の姿などの、この世のものとは思えない姿を言い表す言葉。 「異類」は人間以外の生き物のこと。仏教の言葉では、仏や菩薩を含めた人間以外という意味で、餓鬼や畜生のことをいう。
異類中行(いるいちゅうぎょう)
多く人々を救済するために、仏や菩薩がこの世に身を置くこと。 または、禅宗では指導者が修行者を導くために、様々な方法を取ること。 「異類」は違う種類という意味。 仏が異類の中を行くという意味から。
意路不倒(いろふとう)
人の考えでは理解することのできない不思議なこと。 または、悟りの境地は人の思考や論理では理解できないということ。 「意路」は思考の筋道。
因果応報(いんがおうほう)
よい行いには必ずよい報いがあり、悪い行いには必ず悪い報いがあるということ。 「因果」は原因と結果。 「応報」は善悪に応じた報いがあること。 元は仏教語で、過去や前世の行いの善悪に応じた報いがあるという意味。 現在では、悪い行いの報いの意味で使われることが多い言葉。
因果報応(いんがほうおう)
よい行いをすれば必ずよい報いがあり、悪い行いには悪い報いがあること。 「因果」は原因と結果。 「報応」は行動の善悪にあわせた報いがあること。 もとは仏教語で、過去や前世の行いの善悪にあわせた報いを受けるという意味。 よい行いの場合には「善因善果」、悪い行いの場合には「悪因悪果」という。 現在では悪い行いの報いとして使われることが多い言葉。
因機説法(いんきせっぽう)
相手の能力や、その場の状況に合わせて仏の教えを説くこと。 仏教の言葉で、「機に因(よ)りて法を説く」とも読む。
隠居楽道(いんきょらくどう)
世間から離れ、山奥などの静かな場所に住み、清くゆったりとした気持ちで生活すること。または、文人が街中での生活を楽しむこと。 「隠居(いんきょ)、道(みち)を楽しむ」とも読む。
淫祠邪教(いんしじゃきょう)
邪な神をまつり、人の心を惑わす宗教のこと。 「淫祠」は邪な神をまつっている祠。 「邪教」は邪な教えのこと。 本人が信仰している宗教以外の他の宗教を批判するときに使うこともある。
印象批評(いんしょうひひょう)
客観的な基準ではなく、個人的な印象や感動を基準にして芸術作品の批評をすること。 フランスの文芸批評の手法で、十九世紀後半に生まれた。
陰森凄幽(いんしんせいゆう)
植物が生い茂っていて、極めて静かで、薄暗いこと。 「陰森」は日の光を遮るほどに植物が生い茂っていること。 「凄幽」は静まり返っていること。
陰徳陽報(いんとくようほう)
誰にも知られないように善い行いをすると、必ずよい報いがあるということ。 「陰徳」は人知れずに善い行いをすること。 「陽報」は一目でわかるよい報いのこと。 「陰徳あれば必ず陽報あり」とも読む。
隠忍自重(いんにんじちょう)
怒りや苦しみなどをぐっとこらえて、軽はずみな行動をしないこと。または、そうすべきであるという戒めの言葉。 「隠忍」は表に出すことなく、耐え忍ぶこと。 「自重」は行動を控えること。
陰陽五行(いんようごぎょう)
この世の全てのものを造り出す陰と陽の気と、この世の全てを生み出す元となる木・火・土・金・水の五つの元素のこと。 古代中国では、これらの関わり合いで、全ての物事の解釈や説明をしようとしていたということから。
有為無常(ういむじょう)
この世の全ての現象や存在は常に移り変わり、はかないものということ。 仏教語から「有為」は様々な因縁から生じる現象。
右往左往(うおうさおう)
多くの人々があっちへ行ったり、こっちへ行ったりして混乱すること。 慌てていて、秩序無く入り乱れている様子をいう。 「左往右往」ともいう。
浮草稼業(うきくさかぎょう)
働く場所が決まっておらず、様々な場所へと移動する職業。また、その生活。 根を張らず、よりどころがない浮き草に例えた言葉。
雨奇晴好(うきせいこう)
晴れでも雨でも美しい景色のこと。 山水の景色は、雨の日は趣きがあり、晴れた日は美しく、どちらも見事であるという意味。 「晴好雨奇」ともいう。
禹行舜趨(うこうしゅんすう)
見た目を真似しているだけで中身が伴っていないこと。 または、聖人の動きを真似しているだけで聖人のような徳はないこと。 「禹」と「舜」はどちらも古代中国の聖人の名前。 「行」は歩くこと。「趨」は走ること。 禹の歩き方や舜の走り方などは表面上の動作であり、真似をしても何の意味もないことから。
烏合之衆(うごうのしゅう)
からすの群れは無秩序でただ集まっているだけということから、規律も統制も何も無く寄せ集めの集団や軍隊のたとえ。
有情非情(うじょうひじょう)
人間や動物、植物に加えて、命を持たない石や水などを含めた世界に存在する全てのもののこと。
雨水亡氷(うすいぼうひょう)
寒くない冬。暖冬。 「水」は雨のこと。 雪は降らずに雨が降って、氷が張らないことから。 「水(みず)雨(ふ)り氷(こおり)亡(な)し」とも読む。
有象無象(うぞうむぞう)
元は仏教語で有形、無形全てのもののことで、この世に存在する全てのもののこと。 または、数が多くつまらない人や物のことを卑しめる言葉。
烏鳥私情(うちょうのしじょう)
親に対して孝行したいという気持ちのこと。 「烏鳥」は鳥のからす、「私情」は自分の気持ち。 からすの子が成長後、親鳥に口移しで餌を与えて恩に報いることに由来し、親への孝行心を謙遜して表現した言葉。
鬱鬱怏怏(うつうつおうおう)
不安や悲しみなどで気分が晴れず、不満を持っていること。 「鬱鬱」は気分が晴れない様子。 「怏怏」は不平や不満がある様子。
鬱鬱葱葱(うつうつそうそう)
草木がこんもりと茂っている様子。 または、生気が満ちている様子のこと。 「鬱鬱」は木々が密集して生い茂っている様子や生気の満ちている様子。 「葱葱」は草木が青青と茂っている様子やめでたい気が満ちている様子。
烏兎匆匆(うとそうそう)
歳月が慌しく過ぎていくことのたとえ。 太陽には烏が、月には兎が住んでいるという古代中国の伝説から、「烏兎」は月日のことで、「匆匆」は慌しい様子や忙しいこと。 「烏兎怱怱」とも書く。
烏飛兎走(うひとそう)
あっという間に月日が過ぎていくこと。 「兎」は月、「烏」は日(太陽)のたとえであることから、「兎」と「烏」で月日のことを表している。 「飛」や「走」は経過が早いことを表している。 月には兎、太陽には金烏が住むとされる中国の伝説からきた言葉。 「烏飛兎走」ともいう。
禹歩舜趨(うほしゅんすう)
見た目を真似しているだけで中身が伴っていないこと。 または、聖人の動きを真似しているだけで聖人のような徳はないこと。 「禹」と「舜」はどちらも古代中国の聖人の名前。 「歩」は歩くこと。「趨」は走ること。 禹の歩き方や舜の走り方などは表面上の動作であり、真似をしても何の意味もないことから。
有無相通(うむそうつう)
片方にあってもう片方に無いものを、互いに補うことでどちらもうまくいくようにすること。 「有無(うむ)相(あい)通(つう)ず」とも読む。
雲烟飛動(うんえんひどう)
筆の勢いが生き生きとしていて力強いこと。 「雲烟」は雲と霞。または、雲と煙。 雲や霞、煙などとどまることなく、常に飛ぶように動いているという意味から。 「雲煙飛動」とも書く。
雲烟縹渺(うんえんひょうびょう)
非常に遠くまで薄く長く伸びている雲や霞の様子。 「雲烟」は雲と霞。 「縹渺」は遠い場所でかすかに見えること。 「雲烟」は「雲煙」とも、「縹渺」は「縹緲」、「縹眇」とも書く。
雲霞之交(うんかのこう)
一般的な関係を超越した交友関係のこと。 雲と霞がたなびいている場所という意味から、仙人などの俗世を超越したものが住むとされている場所のこと。 俗世を超越したもの同士の交友関係という意味から。
運斤成風(うんきんせいふう)
同じ人間とは思えないほどの素晴らしい技術。 または、そのような技術を持っている職人。 「運斤」は手斧を振るうこと。 「成風」は風を起こすこと。 手斧を振るって風を起こすという意味から。 鼻の先に塗った白土を、石という名前の大工が、風を起こすほどの勢いで手斧を振るって、傷一つつけずに白土を落としたという故事から。 「斤(きん)を運(めぐ)らし風を成す」とも読む。
雲合霧集(うんごうむしゅう)
たくさんのものが、一時的に集まること。 雲や霧が集まってわくという意味から。