「い」を含む四字熟語
「い」を含む四字熟語 — 3097 件
内外之分(ないがいのぶん)
内側にあるものと、外側にあるものの区別のこと。 自分に備わっているものと、備わっていないものの区別や、自分を治めて確立することと、名誉や利益などの世俗の区別をいう言葉。
内剛外柔(ないごうがいじゅう)
外見は穏やかでやさしそうに見えるが、心の中には何事にも左右されない強い意志や信念をもっていること。 「柔」は優しいやこと。穏やかなこと。 「剛」は心が強いこと。 「外柔内剛」ともいう。
内柔外剛(ないじゅうがいごう)
心の中はやさしくおだやかだが、外見は強そうに見えること。 「柔」はやわらかくて弱いという意味。 「剛」はかたくて強いという意味。 「外剛内柔」ともいう。
内助之功(ないじょのこう)
家庭内で夫の働きを支える妻の功績のこと。 「内助」は内側で助けるという意味。
内政干渉(ないせいかんしょう)
ある国の政治や外交などの問題に他国が口を出すこと。 「干渉」は他人の領域に勝手に介入すること。
内清外濁(ないせいがいだく)
心は清潔さを保ちながら、外見は汚れたように装い、世俗とうまく付き合う処世術のこと。
内疎外親(ないそがいしん)
内心は嫌っているが、それを隠して親しげに接すること。 「内疎」は内側で嫌っていること。 「外親」は外側で親しいように見せかけること。
内典外典(ないてんげてん)
仏教に関係する書物と仏教に関係のない書物のこと。 「典」は書物や書籍のことで、仏典を「内」、仏教と関係のない経典を「外」とした仏教語。
内平外成(ないへいがいせい)
国の内側がよく治まっており、外交も特に問題がなく、とても平和な状態のこと。 「地平天成」と同じく元号「平成」の由来とされる語。 「内(うち)平(たいら)かに外(そと)成る」とも読む。
内憂外患(ないゆうがいかん)
国の内側にも外側にも問題や心配事がたくさんあること。 「内憂」は内側に問題があることで国内の問題のこと。 「外患」は外側に問題があることで外国から受ける災難や問題のこと。 国だけではなく、組織や個人などの表現にも使われる言葉。
南郭濫吹(なんかくらんすい)
才能の無い者が才能があるかのように見せかけること。 または、それにより高い地位を得ること。 「南郭」は人の名前。 「濫吹」は下手な笛をむやみやたらに吹くこと。 春秋時代の斉の王は合奏を好み、三百人もの楽士を集めて笛の演奏をさせていた。 南郭は演奏が下手であるにもかかわらず、その中に混ざり高給を得ていた。 ところが、次の王は独奏が好みで、一人ずつ吹かせることにしたところ、南郭はあわてて逃げ出したという故事から。
南華之悔(なんかのくい)
上司を怒らせる余計な発言のせいで、才能があるにもかかわらず出世できないこと。 唐の温庭インは宰相の質問に答えたところ、答え方が宰相の怒りに触れ、能力があるにもかかわらず科挙(試験)に合格できなかったという故事から。
南山捷径(なんざんしょうけい)
正規の試験などを受けることなく官職につくこと。 または、終南山には仕官への近道があるということ。 「南山」は中国の山、終南山のこと。 「捷径」は近道、最短距離の道のこと。 終南山で隠者のふりをして生活することで名声が上がり官職を得ることができるという故事から、終南山は仕官への近道であるという意味。
南征北伐(なんせいほくばつ)
休む暇もなく、いろいろな所で戦い続けることのたとえ。 「征」と「伐」はどちらも戦って敵を討つことで、戦うために南へ北へと遠征を繰り返すという意味から。
南都北嶺(なんとほくれい)
奈良と比叡山のこと。 または、奈良の興福寺と比叡山の延暦寺のこと。 「南都」は京都からみて南の都である奈良、または奈良にある興福寺のこと。 「北嶺」は比叡山、または比叡山にある延暦寺のこと。 「北嶺南都」ともいう。
肉食妻帯(にくじきさいたい)
明治以前に浄土真宗以外で禁じられていた、僧侶が肉を食べ、妻を持つこと。
肉袒負荊(にくたんふけい)
上半身を脱いで裸になり、罪人を罰するための荊の鞭を背負い、自ら罰してほしいと心から謝罪すること。 「肉袒」は上半身を脱ぎ裸になることで、どんな罰でも受けるという降伏の意思を表すこと。 「負荊」は罪人を鞭打ちするための荊の鞭を背負うこと。 「肉袒(にくたん)して荊(けい)を負う」とも読む。
二者選一(にしゃせんいつ)
二つのものの中から一つのものを選択すること。 「選一」は一つのものを選ぶという意味。
二者択一(にしゃたくいつ)
二つの中からどちらか一つを選択すること。 「択一」は一つのものを選ぶという意味。
二姓之好(にせいのこう)
結婚すること。 または、婚約した両家の親しい交際のこと。 昔の中国では同じ姓をもつ者同士は結婚できないという風習があったことから、「二姓」とは姓の異なる両家のこと。
日陵月替(にちりょうげったい)
月日が経つにつれて少しずつ衰えていくこと。 「陵」と「替」はどちらも衰えるという意味。 「日(ひ)に陵(りょう)し月(つき)に替(たい)す」とも読む。
日省月試(にっせいげっし)
官僚や役人などの働きを詳しく調べて適否などを見極めること。 「省」は詳しく見極めること。 「試」は調べること。 日ごと月ごとに実績や功績を調べるという意味から。 「日に省(かえり)み月に試みる」とも読む。
二枚看板(にまいかんばん)
たくさんの人から関心や、興味を集めることができる二人の代表的な人物のこと。 または、そのようなもののこと。 芝居などで中心となる、二人の出演者という意味から。 「看板」は劇場などで劇の題目や出演者の名前を書いて、表に掲げる板のこと。
如意宝珠(にょいほうじゅ)
望みをかなえるとされている宝玉のこと。 「如意」は思ったことがその通りになること。 「宝珠」は宝玉のこと。 仏や仏の教えの象徴とされている。
女人禁制(にょにんきんせい)
女性が特定の場所に立ち入ることや行事に参加することを禁止したもの。 昔の仏教や修験道では、女性がいると修行に差し支えるとして、寺や聖域に入ることを禁止していた。
二律背反(にりつはいはん)
互いに矛盾している二つの命題が、互いに同じだけの合理性や整合性があること。 「Aが正しければBは偽り」 「Bが正しければAは偽り」 このような事例でAとBどちらにも同じだけの合理性や整合性があることを言う。 「二律」は二つの法則や原理。 「背反」は対立すること。 ドイツ語のアンチノミーの訳。
忍気呑声(にんきどんせい)
怒りや悔しさを声に出さずに抑え込むこと。 「忍気」は怒りをこらえること。 「呑声」は息を呑んで声にしないこと。 「呑声忍気」ともいう。
人情世態(にんじょうせたい)
人間の感情や世の中の状況。 「人情」は人の感情。 「世態」は世の中の状況。 「世態人情」ともいう。
人情冷暖(にんじょうのれいだん)
人情が薄くて軽いこと。または、人情の移ろいやすさを言い表す言葉。 「人情」は人としての思いやりや慈しみの心。 「冷暖」は情の薄いことと厚いこと。 富や名誉があるときには暖かく近寄り、なくなると冷たくいい加減に扱うということから。
人相風体(にんそうふうてい)
人の容姿や服装のこと。 「人相」は容姿。 「風体」は服装。 主に印象が悪い時に使うことの多い言葉。
忍之一字(にんのいちじ)
何かをやり遂げるために、最も大切なことは耐え忍ぶことであるということ。
佞奸邪智(ねいかんじゃち)
性格がねじれていて、悪知恵がはたらくこと。 「佞」は人に媚びること。 「奸」は心がひねくれていること。 「邪智」は悪知恵のこと。 「佞奸邪知」とも書く。
熱願冷諦(ねつがんれいてい)
熱意をもって真剣に願うことと、冷静になって本質を見きわめること。
年災月殃(ねんさいげつおう)
かつてないほどの不幸な日のこと。 または、次々へと災厄に見舞われ、とてつもなく不幸なこと。 「年災」は天災で穀物がだめになること。 「月殃」は月の不運、報い、天罰などのこと。
燃犀之明(ねんさいのめい)
物事の本質を鋭く見抜く力があることのたとえ。 怪物がいるといわれる深い淵の中で、犀(さい)の角を燃やして探してみると、水の底に本当に怪物がいたという故事から。
年年歳歳(ねんねんさいさい)
「来る年も来る年も」や「毎年、毎年」という意味。 「年年」と「歳歳」はどちらも「どの年も」という意味。 「歳歳年年(歳々年々)」ともいう。
念仏三昧(ねんぶつざんまい)
一心に念仏を唱えて雑念を払い、心を統一すること。 「念仏」は仏を思い、南無阿弥陀仏の名号を唱えること。 「三昧」は他のことを考えることなく、集中して取り組むこと。
嚢沙之計(のうしゃのけい)
漢の将軍「韓信」が行った水攻めのこと。 「嚢沙」は土嚢のことで、土嚢を使って川の上流で水をせき止めて、敵が川を渡るのを見計らい土嚢を外し、下流に一気に水を流して、多くの敵を倒したという策略。
能事畢矣(のうじひつい)
成すべきことをすべて完全に終わったということ。 「能事」は成すべきこと。 「矣」は動作が完全に終わったという意味の助字。 「能事(のうじ)畢(おわ)れり」とも読む。
能鷹隠爪(のうよういんそう)
すぐれた人は人前で無闇に能力を誇示しないということ。 「能鷹」は才能のある鷹のことで才能のある人のたとえ。 「隠爪」は爪を隠すことでやたらと力量を誇示しない態度のこと。
佩韋佩弦(はいいはいげん)
自分の短所の改善に努めること。 または、自分の性格を改めて人格を高めるために戒めの物を身につけること。 「佩」は身につけるという意味。 「韋」はなめし皮のこと。 「弦」は弓のつるのこと。 中国の戦国時代、西門豹は短気な性格を直そうと「ゆったりとしたなめし皮」を身に着け、春秋時代の董安于は厳格な性格に改めるために「かたい弓のつる」を身につけたという故事から。 「韋弦之佩」ともいう。
吠影吠声(はいえいはいせい)
一人が根拠のないうそのようなことでも言い始めると、周りが同調して本当のことのように広めること。
廃格沮誹(はいかくそひ)
相手の行動を妨害、非難すること。 「廃」「格」「沮」「誹」は順に、廃する、拒む、阻む、そしること。 主に政策などの実施を阻害することをいう。
稗官野史(はいかんやし)
民間に伝わる物語や言い伝え、うわさなどを歴史風に書いたもの。
敗軍之将(はいぐんのしょう)
戦いに負けた大将のこと。また、失敗したものは言い訳する資格はないということ。
吠形吠声(はいけいはいせい)
一人が根拠のないうそのようなことでも言い始めると、周りが同調して本当のことのように広めること。 一匹の犬が吠え始めると、周りにいる犬も吠え始めるということから。 「一犬(いっけん)形(かたち)に吠(ほ)ゆれば百犬(ひゃっけん)声に吠(ほ)ゆ」を略した言葉で、「形(かたち)に吠(ほ)ゆれば声に吠(ほ)ゆ」とも読む。
杯賢杓聖(はいけんしゃくせい)
「杯」と「杓」を賢者と聖人にみたてて酒を飲むことを美化した言葉。
杯酒解怨(はいしゅかいえん)
「杯酒」は杯に注いだ酒。またはそれを飲むこと。 杯を酌み交わして、怨みを忘れるという意味。
悖出悖入(はいしゅつはいにゅう)
道理に反したことを言えば、道理に反した言葉が返ってくること。 または、道理に反した政治を行えば民衆から恨みの声が返ってくること。 「悖」はもとる、さからうという意味。 似ている四字熟語の「[[悖入悖出*https://yoji.jitenon.jp/yojid/1930.html]]」は別の意味の言葉。
背信棄義(はいしんきぎ)
信義に背いて、道義を捨てること。 「背信」は信頼、信義を裏切ること。 「棄義」は人としての道義を忘れること。
廃寝忘食(はいしんぼうしょく)
他のことを忘れてしまうほど、一つのことに夢中になること。 または、集中して一つのことを頑張ること。 「廃寝」は寝ることをやめる、「忘食」は食事を忘れることで、寝ることもせず食べることも忘れるほど没頭するという意味から。
吠日之怪(はいじつのあやしみ)
優れた言動を理解することができない見識の狭い者が、疑って非難すること。 「吠日」は犬が太陽に向かって吠えるという意味。 蜀の地方の高い山に囲まれ、曇りや雨が多く、太陽がほとんど出ない地方の犬は、たまに太陽が出ると驚いて太陽に向かって吠えるという故事から。
杯水車薪(はいすいしゃしん)
少なすぎて役に立たないこと。 「杯水」は杯に一杯分の水、「車薪」は車一台分の薪のことで、杯に一杯分という少量の水で、燃えている車一台分の薪の火を消そうとするという意味から。
背水之陣(はいすいのじん)
死を覚悟して全力で物事にあたること。 または、引くことができない困難な状況のこと。 川や海を背にして退路のない陣形で戦うという意味。 漢の韓信が、戦いの際に川を背にして退却できない状況を意図的に作り兵に決死の覚悟をさせて、二十万以上の趙の兵に大勝したという故事から。
背井離郷(はいせいりきょう)
生まれ育った故郷から離れて、他の地で暮らすこと。 「井」は井戸。転じて、人の集まる場所のこと。 「郷」は村や郷里のこと。 「背」と「離」はどちらも離れるという意味。 「離郷背井」ともいう。
排斥擠陥(はいせきせいかん)
悪意をもって無実の罪に陥れて、押しのけること。 「排斥」は認めずに拒んで退けること。 「擠陥」は悪意を持って無実の罪に陥れること。
杯中蛇影(はいちゅうのだえい)
疑う気持ちが強くなると、つまらないことでも過剰に気になり病んでしまうことのたとえ。 自分の杯の酒に蛇の形をした影が映っているのを見て、蛇を飲み込んでしまったと思い込んで病気になったが、後にその影は蛇ではなく壁にかけていた弓のものであったと知ると、すぐに病気が治ったという故事から。
悖徳没倫(はいとくぼつりん)
人の道を外れた行いのこと。 「悖徳」は徳に背いたり、逆らったりすること。 「没倫」は人としての道徳をなくすこと。 「徳に悖(もと)り倫(みち)を没(ぼっ)す」とも読む。
悖入悖出(はいにゅうはいしゅつ)
不当な行いで得た財産は、同じように不当な方法で出て行くということ。 徳にそむく行いをすれば、道理をはずれたやり方で罰を受けるという意味から。 「悖(もと)りて入(い)れば悖(もと)りて出(い)ず」とも読む。 似ている四字熟語の「[[悖出悖入*https://yoji.jitenon.jp/yojib/915.html]]」は別の意味の言葉。
廃藩置県(はいはんちけん)
一八七一年、明治四年に明治政府が当時の藩を廃止して、代わりに府と県を設置した行政改革のこと。
杯盤狼藉(はいばんろうぜき)
酒宴で皿や杯が酷く散らかっている様子のこと。 または、酒宴が終わった後の酷く散らかっている様子のこと。 「杯盤」は杯や皿などの食器のこと。 「狼藉」は狼が寝るために敷いた草の散らかった様子のことから、酷く散らかっている様子のたとえ。
肺腑之言(はいふのげん)
真心のこもった言葉。 「肺腑」は臓器の肺ということから、心の奥の底という意味。
廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)
仏教を排斥する運動のこと。 特に、明治元年の神仏分離令によって起きた、仏教の排斥運動を指す。寺院や仏像などの破壊が行われた。
廃忘怪顛(はいもうけでん)
激しく驚き、慌てふためくこと。 「廃忘」と「怪顛」はともに驚いて慌てるという意味。
敗柳残花(はいりゅうざんか)
容姿の美しい女性が老いて、容姿が衰えたことのたとえ。または、不貞な女性や売春婦のたとえ。 中国では美しい女性のことを、柳葉眉や花顔など柳や花にたとえとして使っていて、枯れた柳と咲き終えた花という意味から。
破戒無慙(はかいむざん)
仏教の戒律を破っても全く恥じることがないこと。 「破戒」は不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒という仏教の戒律を破ること。 「慙」は恥だと感じること。
破顔一笑(はがんいっしょう)
にっこりと微笑むこと。 「破顔」は表情を緩めること。「一笑」は軽く笑うこと。
破顔大笑(はがんたいしょう)
腹を抱えて笑いこけること。または、その様子。 「破顔」は表情を緩めること。 「大笑」は大きな声で笑うこと。
伯夷叔斉(はくいしゅくせい)
私欲がなく清らかな人格の人のたとえ。 「伯夷」と「叔斉」はどちらも人の名前。 伯夷と叔斉は自国を出て、周の文王に身を寄せた。 文王の死後、息子の武王が後を継ぎ、自身の主君である殷の紂王を討とうとしたので、不忠だと諫(いさ)めたが聞き入れられなかった。 その後、紂王を討ち取った武王が周王朝を建てたが、伯夷と叔斉は主君を討ち取った武王を非難し、周のものを食べることを恥として、周から離れて隠遁した後に餓死したという故事から。
白衣蒼狗(はくいそうく)
時世の変化がはやいことのたとえ。 「蒼狗」は青、または黒い犬のこと。 白衣に見えたかと思えば、すぐに形が変わって犬のように見える、空に浮かぶ雲のように変化がはやいという意味から。 「蒼狗白衣」ともいう。
白衣宰相(はくいのさいしょう)
地位を持っていないのに、大きな権力を持っている人。または、地位を持っていないのに、宰相のような待遇を受けること。 「白衣」は白い色の服のことで、官位にある人は、官位ごとの決まっている色の服を着たということから、官位のない人のこと。 「宰相」は政務を執る官位の最高位のこと。
白衣三公(はくいのさんこう)
地位も権力も持たないものが出世して高官になること。 「白衣」は白い色の服のことで、官位にある人は、官位ごとの決まっている色の服を着たということから、官位のない人のこと。 「三公」は丞相、太尉、御史大夫という最高権力をもつ三つの官職のこと。 漢の公孫弘は、生まれは平民だったが、出世して丞相になったという故事から。 「白衣より天子の三公となる」を略した言葉。
伯夷之清(はくいのせい)
清らかで気高い人のたとえ。 「伯夷」は人の名前。 古代中国の殷の人物で、君主と臣下が義を大切にし、王朝が交代するときには節操を守り、新しい王朝に仕えなかったことから、清廉の極みとされている。
博引旁証(はくいんぼうしょう)
たくさんの資料や例を引用して、しっかりとした証拠を出して議論すること。 「博引」はたくさんの資料や事例を用いて説明すること。 「旁証」は証拠となるものを出して見せること。
博学才穎(はくがくさいえい)
学識が豊かで、才能と知恵があること。 「博学」は学問で得た見識が高いこと。 「才穎」は才能と知恵がすぐれていること。
博学多才(はくがくたさい)
幅広い知識があり、様々な優れた才能を持っていること。 「博学」は様々な分野の知識が豊かなこと。 「多才」は様々な才能に恵まれていること。
白眼青眼(はくがんせいがん)
相手によって応対を変えること。 中国の晋の賢者の阮籍は、気に入らない客には白い目をしてそっけなく扱い、気に入った客には青い目をして喜んで迎えたという故事から。
白玉楼成(はくぎょくろうせい)
文人の死をいう言葉。 「白玉楼」は天にあるとされる、白く美しい宝石で作られた楼閣のことで、文人の死後に行くとされている場所のこと。 中国の詩人の李賀のところに天からの使者が現れ、「天帝が白玉楼を作り、李賀を招いてその記を書かせることになった」と言われ、まもなく死んだという故事から。
白紙委任(はくしいにん)
人に頼みごとをする時に、こちらから条件をつけずに相手に全て任せること。 「白紙」は何も書いていない真っ白な紙。または、自分の見解を持っていないこと。 「委任」は他の人に全て任せること。
博識多才(はくしきたさい)
幅広く様々な知識があり、様々なことへの優れた才能を持っていること。 「博識」は様々な分野の知識が豊かなこと。 「多才」は様々なことへの才能に恵まれていること。