「こん」を含む四字熟語
「こん」を含む四字熟語 — 94 件
意趣遺恨(いしゅいこん)
他人への深い恨み。 「意趣」は他人への恨み。 「遺恨」は長い期間持ち続けている恨み。
一球入魂(いっきゅうにゅうこん)
野球で、精神を集中して一球一球を投げること。 「入魂」はものごとに魂を込めること。 野球から生まれた造語。
引古証今(いんこしょうこん)
昔の事象や事実などを根拠として現在の物事を議論すること。 「古(いにしえ)を引(ひ)いて今(いま)を証(しょう)す」とも読む。
引縄批根(いんじょうへいこん)
協力して他を全て排除すること。 または、裏切った相手に報復して恨みを晴らすこと。 「引縄」は縄をつけて引っ張ること。 「批根」は根本から全て取り除くこと。 中国の前漢の高官の灌夫と、その親友の魏其侯は、力を持っていたときに擦り寄ってきたが、力を失うといきなり裏切った者たちに報復したいと思ったという故事から。 「縄を引き根を批(しりぞ)く」とも読む。
往古来今(おうこらいこん)
昔から今になるまで、またはその時間の流れ。 「往古」は過ぎ去った時のこと、 「来今」は今から後のこと。
花下曬褌(かかさいこん)
風流の心の無いたとえ。 「曬」は日光にさらすこと。 「花下(かか)に褌(ふんどし)を曬(さら)す」とも読む。
冠婚葬祭(かんこんそうさい)
祝いと弔いの儀式の総称。 「冠」は成人式、「婚」は結婚式、「葬」は葬式、「祭」は法事や盆などの祖先の祭礼のこと。 「婚」は「昏」、「葬」は「喪」とも書く。
艱難辛困(かんなんしんこん)
苦しみながら悩み苦労すること。 「艱」と「難」はどちらも苦しむことや悩むこと。 「辛困」は苦しみ悩みこと。 似た意味の言葉を重ねて強調した言葉で、人が生きる上で起こる、多くの辛い出来事に苦しみ悩むことをいう。
雅俗混淆(がぞくこんこう)
上品で趣があることと、下品で低俗なことが入り混じっていること。 または、洗練された言葉と普段使う言葉が入り混じっていること。 「雅俗」は雅なことと俗なこと。 「混淆」は入り混じること。 「雅俗混交」とも書く。
旧雨今雨(きゅううこんう)
昔からの友人と最近親しくなった友人。 中国語の音で「雨」と「友」は同じ音ということから、友人のことをしゃれて言った言葉。
虚実混交(きょじつこんこう)
嘘と誠がいりまじっていること。 「虚実」は、嘘と誠。 「混交」は、いじまじること。 「虚実混淆」とも書く。
緊褌一番(きんこんいちばん)
気持ちを引き締めて、油断せずに物事に向かうこと。 「緊褌」はふんどしを引き締めること。 「一番」は重要な場面のこと。 難しいことや大勝負の前の心構えをいう言葉。
禽困覆車(きんこんふくしゃ)
力の弱い者でも、窮地に立たされると思ってもいない力を出すということ。 「禽困」は追い詰められた小鳥。 「覆」はひっくり返ること。 追い詰められた小鳥は、車をひっくり返すほどの力を発揮するという意味から。 「禽困(きんこん)車(くるま)を覆(くつがえ)す」とも、「禽(きん)も困(くる)しめば車を覆(くつがえ)す」とも読む。
澆季溷濁(ぎょうきこんだく)
思いやりなどの人らしい感情が薄くなり、善悪や正邪の基準がおかしくなって、世の中が乱れること。 「澆季」はこの世の終わりのような、道徳や人情が乱れた世の中のこと。 「溷濁」は濁るや、汚れるということ。 「澆季混濁」とも書く。
玉石混淆(ぎょくせきこんこう)
良いものと悪いもの、または価値の高いものと低いものが混在していることのたとえ。 「玉石」は宝石と石のことから、優れている人と劣った人、または、良いものと悪いもののたとえ。 「混淆」は様々なものが入り混じること。 宝石とただの石が入り混じっているという意味から。 「玉石混交」とも書く。
玉昆金友(ぎょっこんきんゆう)
すぐれた才能や学識のある兄弟のこと。 他人の兄弟をほめる時に使う言葉。 「玉」と「金」は宝石と黄金のことで、すぐれたもののたとえ。 「昆」は兄、「友」は弟のこと。 「金友玉昆」「玉友金昆」ともいう。
魚目混珠(ぎょもくこんしゅ)
本物と偽物が入り混じっているために、目視で区別できないこと。 「魚目」は魚の目玉。 魚の目玉は宝石に見えるが価値はないということから、似ているが全く違うもののたとえ。 「魚目(ぎょもく)珠(たま)に混(こん)ず」とも読む。
乾坤一擲(けんこんいってき)
自身の運命を賭けて、運まかせの大博打をすること。 「乾坤」は天と地のこと。 「一擲」は賽子(サイコロ)を一回振ること。 天地の命運を賭けて、賽子を一回振るという意味から。 「一擲乾坤」ともいう。
乾端坤倪(けんたんこんげい)
天地の一番端のこと。 「乾端」は天の端、「坤倪」は地の果て。
公私混同(こうしこんどう)
公的なことと私的なことを区別せずに扱うこと。 主に個人的な利害のために公的なことを利用することをいう。 「公私」は公的なことと私的なこと。 「混同」ははっきりと分けなければならないものを区別せずに一緒にすること。
古往今来(こおうこんらい)
過去から現在まで。 「古往」は昔から。 「今来」は今まで。 「古今」と略して使うことも多い言葉。 「今来古往」ともいう。
黒白混淆(こくびゃくこんこう)
善いことと悪いことの区別をごっちゃにすること。 「黒白」は物事の是非や善悪のたとえ。 「混淆」は混ざり合っていること。 「黒白混交」とも書く。
古今東西(ここんとうざい)
昔から今までの全ての場所。いつでもどこでも。 「古今」は過去から現在まで。 「東西」は東から西までの全ての場所のこと。 「東西古今」ともいう。
古今独歩(ここんどっぽ)
過去から現在まで、比べるものが存在しないほどすぐれていること。 「古今」は過去から現在までということ。 「独歩」は他と比べることができるものがないということ。
古今無双(ここんむそう)
過去から現代まで、比べるものが存在しないほどすぐれていること。 「古今」は過去から現在までということ。 「無双」は匹敵するものがないということ。
今案意楽(こんあんいらく)
新しく出た考えがすぐれていると思い込むこと。 今の自分の考えを得意に思って楽しむという意味から。 「今案」は自分が今持っている考え。仏教の言葉。 「意楽」は得意になって楽しむこと。
滾瓜爛熟(こんからんじゅく)
しっかりと習得していることのたとえ。 または、しっかりと覚え、声に出してとなえることのたとえ。 「滾瓜」は転がるほどに丸く大きくなった瓜のこと。 「爛熟」は十分に熟しているということから、十分に習得していること。
困苦窮乏(こんくきゅうぼう)
生活に必要なものが足りないほどに生活が苦しいこと。 「窮乏」は必要なものが足りないこと。
困苦欠乏(こんくけつぼう)
生活に必要なものが足りないほどに生活が苦しいこと。 「欠乏」は必要なものが足りないこと。
渾渾沌沌(こんこんとんとん)
様々なことが入り乱れていて、はっきりとしない様子。 元は天地が分かれる以前の、この世の最初の状態を言う言葉。 「渾沌」を重ねて強調した言葉。 「混混沌沌」とも書く。
金剛邪禅(こんごうじゃぜん)
強固だが、正しい道から外れた座禅や瞑想のこと。 「金剛」はダイヤモンドのことから、並外れて堅固なことのたとえ。 「邪禅」は本来の正しい道に背いた、邪な座禅や瞑想のこと。
金剛不壊(こんごうふえ)
並外れて固く、決して壊れないこと。 または、非常に意志が固いこと。 「金剛」は「堅固」という意味の梵語を、漢語に翻訳した言葉。 「不壊金剛」ともいう。
金剛輪際(こんごうりんざい)
物事の極限、限度に行き着くこと。 または、徹底的にや、絶対にという意味。 仏教の言葉で、大地を支えている三つの大輪の一番上にあるとされ、一番下の水輪に接する部分ということから。 「金輪際」ともいう。
紺紙金泥(こんしこんでい)
金粉を膠の液で溶かしたものを使い、紺色の紙に経文などを書くこと。または、書いたもの。 「金泥」は金粉を膠の液で溶かしたもので、写経したり、絵の装飾などに使われる。
根深柢固(こんしんていこ)
基礎をよく固めて、不安定にならないようにすること。 「根」と「柢」はどちらも木の根のことで、物事の基礎のたとえ。 根を深く強固なものにするという意味から。
今昔之感(こんじゃくのかん)
昔のことを思い出して、現在との時世や環境の大きな変化に深く感心すること。
困獣猶闘(こんじゅうゆうとう)
どうすることも出来ない状況になっても、諦めずにあらがおうとすることのたとえ。 「困獣」は逃げる場所がなくなった獣。 追い詰められた獣でさえも、最後まで闘おうとするという意味から。 「困獣(こんじゅう)すらなお闘う、況(いわん)や人をや」を略した言葉。
混水模魚(こんすいもぎょ)
状況を乱して利益を得ること。 水を濁らせて魚の目を眩まして、混乱している魚を捕まえるという意味から。 「水を混(にご)して魚(うお)を模(さぐ)る」とも読む。 「混水摸魚」とも書く。
懇切丁寧(こんせつていねい)
真心がこもっていて、細かいところまで気配りが行き届いている様子。 「懇切」は極めて親切なこと。 「丁寧」は気配りが行き届いていること。 「丁寧懇切」ともいう。
今是昨非(こんぜさくひ)
昨日までは間違いだと思っていたことが今日は正しいと思えること。 または、今になって過去の行いが過ちであったと気づいて悔いること。 「是」は正しいこと。 「非」は誤りのこと。 「今の是にして昨の非なりしを覚る」を略した言葉。 「昨非今是」ともいう。
渾然一体(こんぜんいったい)
複数のものが溶け合ったり混ざり合ったりして、区別することができない様子。 「渾然」は複数のものが溶け合っている様子。 「混然一体」とも書く。
困知勉行(こんちべんこう)
苦労しながらも学び、努力を積み重ねて物事を実際に行うこと。 「困知」は心を苦しめて何とか知ることが出来るということ。 「勉行」は努力を積み重ねて、実際に行うこと。 『中庸』での修養の三つの段階の一つで、才能の劣った人が行う修養だが、結果は全て同じになるので才能が劣った人も努力するべきであるという教え。
昏定晨省(こんていしんせい)
親孝行すること。 「昏定」は夜に両親の寝床の用意をすること。 「晨省」は朝に両親のご機嫌を伺うこと。 「昏(くれ)に定めて晨(あした)に省(かえり)みる」とも読む。
昏天黒地(こんてんこくち)
日が暮れて、灯りがなくなって真っ暗な様子。 または、意識がぼんやりとしていて、はっきりとしないこと。 または、生活や社会の秩序が乱れている様子。 「昏」は夜のこと。
金泥精描(こんでいせいびょう)
金色の顔料を使って、細かく正確な絵を描くこと。 「金泥」は金粉を膠で溶かした金色の顔料。 「精描」は細かく正確な絵を描くこと。
懇到切至(こんとうせっし)
細かいところまで親切が行き届いていること。 「懇到」と「切至」はどちらも丁寧で、真心が十分に行き届いていること。
蒟蒻問答(こんにゃくもんどう)
的外れで噛みあっていない論争のこと。 元は古典落語の「蒟蒻問答」から出た言葉で、住職がいなくなり荒れ果てた寺を心配した蒟蒻屋の六兵衛は、居候の八五郎に住職になるように言った。 にわか坊主となった八五郎は、旅の禅僧に禅問答をしかけられ、問答に負けると寺を追い出されることになり、六兵衛に相談すると、六兵衛は住職になりすまして問答を受けると言った。 六兵衛は禅僧の問に何も答えず、禅僧はそれを無言の行と勘違いし、次は身振りで問を出した。 六兵衛は、身振りの問に、自身が坊主に成りすました蒟蒻屋ということが気づいていると思い、自分の作った蒟蒻が馬鹿にされたと勘違いし、六兵衛も身振りで問に答えると、禅僧はすばらしい答えと解釈して負けを認めたという故事から。
魂飛魄散(こんひはくさん)
激しく驚き、恐れること。 「魂」は死後天に昇る魂。 「魄」は死後地上にとどまる魂。 魂が飛んでいって、心が空になるほどに驚くということから。 「魂(こん)飛び魄(はく)散(さん)す」とも読む。
昏迷乱擾(こんめいらんじょう)
人の心を乱して判断力を弱らせて悩ませること。 「昏迷」は判断力がなくなって心が迷うこと。 「乱擾」は混乱させること。 「混迷乱擾」とも書く。
金輪奈落(こんりんならく)
物事の極限のたとえ。 または、絶対にや、どこまでもということ。 「金輪」は大地の一番の深い底。 「奈落」は地獄のこと。 仏教の言葉で、仏教の世界観での三つの大輪の一つで、大地の下にあり、下から順に風輪、水輪があって、その上にあるとされている。
渾崙呑棗(こんろんどんそう)
人からの教えの意味を考えずに、ただ受け入れるだけでは本当に理解することはできないということのたとえ。 「渾崙」は丸ごとという意味。 「呑棗」は植物の棗の実を噛まずに飲み込むこと。 棗の実を噛まずに丸呑みしても、棗の実の味はわからないという意味から。 元は仏教の言葉で、仏の教えについていった言葉。 「渾崙(こんろん)棗(なつめ)を呑(の)む」とも読む。
削株掘根(さくしゅくっこん)
災いの原因を根本から取り除くこと。 災いを木にたとえ、株を削って根を掘り起こすという意味から。 「株を削り根を掘る」とも読む。
四海困窮(しかいこんきゅう)
世の中の人々が貧乏で生活に困ること。 「四海」は四方の海の内側という意味から、世の中や国内、世界のたとえ。
士魂商才(しこんしょうさい)
実業家や商人の理想や心構えのことで、武士の魂と商売の才能のどちらも持つこと。 「士魂」は武士の魂。 「商才」は商売の才能。
失魂落魄(しっこんらくはく)
とても驚き、慌てている様子。または、精神が不安定な状態になっていて奇怪な行動をすること。 天から受けた精神を司るたましいの「魂」と、地から受けた肉体を司るたましい「魄」が無くなるという意味。
蝨処褌中(しつしょこんちゅう)
狭い見識の中で満足すること。または、そのように暮らすこと。 「蝨」は昆虫のシラミ。 「褌」は下着のこと。 下着の中に住みついたシラミのことから。 「蝨(しらみ)褌中(こんちゅう)に処(お)る」とも読む。
釈根灌枝(しゃくこんかんし)
「釈根」は根を捨てる、「灌枝」は枝に水を注ぎかけるという意味から、他の事に気をとられて物事の本質を忘れること。 または、問題の本質を調べることをせずに結果だけを問題にすること。
捨根注枝(しゃこんちゅうし)
他の事に気をとられて物事の本質を忘れること。 または、問題の本質を調べることをせずに結果だけを問題にすること。 「捨根」は根を捨てること。 「注枝」は枝に水を注ぎかけること。
深根固柢(しんこんこてい)
基礎をよく固めて、不安定にならないようにすること。 「根」と「柢」はどちらも木の根のことで、物事の基礎のたとえ。 根を深く強固なものにするという意味から。 「根(ね)を深くして柢(てい)を固くす」とも読む。 「深根固蔕」とも書く。
神仏混淆(しんぶつこんこう)
神道と仏教の信仰をうまく融合させること。 「混淆」は区別できないほどに入り混じること。 「神仏混交」とも書く。
自今以後(じこんいご)
現在から先。今から後。 「自今」は「而今」「爾今」、「以後」は「已後」とも書く。
而今而後(じこんじご)
今より後やこれから、今後という意味。
事実無根(じじつむこん)
事実に基づいていない上に、根拠もないこと。
世尊金口(せそんこんく)
釈迦が自ら行う説法のこと。 釈迦が弟子や人々のために、自身で説いた教えや説法をいう。 「世尊」は高貴な人という意味の言葉で、釈迦のことをいう。 「金口」は仏の口のこと。
旋乾転坤(せんけんてんこん)
国の情勢を一変すること。 「旋」と「転」は根本から回すという意味。 「乾」は天、「坤」は地のこと。 天地を一回転させて、正しい状況に戻すという意味から。 「乾(けん)を旋(めぐ)らし坤(こん)を転(てん)ず」とも読む。
千恨万悔(せんこんばんかい)
過去の失敗を激しく悔やむこと。 「千」と「万」は数が多いということから、程度が甚だしいことのたとえ。 「恨」と「悔」はどちらも過去のことを残念に思うこと。
翦草除根(せんそうじょこん)
災いの原因になるものを全て取り除くこと。 「翦草」は草を刈ること。 「除根」は根を取り除くこと。 草を全て刈り取り、草が生えないように根を全て取り除くという意味から。 「草を翦(き)り根を除く」とも読む。
草根木皮(そうこんぼくひ)
草の根と木の皮という意味から、漢方薬やその素材のこと。 または、食糧不足で草の根や木の皮のようなものしか食べ物がないこと。
多感多恨(たかんたこん)
感情に影響を受けやすいために、恨みや悲しみの感情になることが多いこと。 「多感」は物事から感情に感じやすいこと。 「多恨」は恨みや憎しみの感情が多いこと。
多情多恨(たじょうたこん)
刺激や影響を受けやすく、恨みや悲しみの感情になることが多いこと。 「多情」は物事から感情に感じやすいこと。 「多恨」は恨みや憎しみの感情が多いこと。 「多恨多情」ともいう。
濁流滾滾(だくりゅうこんこん)
勢いよく濁った水が流れる様子。 「滾滾」は水がいつまでも激しく流れ続ける様子を言い表す言葉。
断根枯葉(だんこんこよう)
災いを根本から取り除くこと。 「断根」は根を切ること。 根を切って葉を枯れさせるという意味から。 「根を断ち葉を枯らす」とも読む。
忠魂義胆(ちゅうこんぎたん)
忠義と正義を尊重する精神のこと。 「忠魂」は忠義を貫き通す精神。 「義胆」は正義を重んじる気持ち。
墜茵落溷(ついいんらくこん)
人には幸運と不運があることのたとえ。 「茵」は敷物のこと。 「溷」は便所、厠(かわや)のこと。 散った花びらが運よく敷物に落ちることもあれば、便所に落ちることもあるということから。 「茵(いん)に墜(お)ち溷(こん)に落(お)つ」とも読む。
追根究底(ついこんきゅうてい)
本質まで徹底的に追求、究明すること。
天閫地垠(てんこんちぎん)
天の門と地の果てのこと。 「閫」は門の内と外を区切る横木、しきみやしきいのこと。 「垠」は地の果てや境、かぎり。
天地渾沌(てんちこんとん)
天と地が混ざり合った、世界の始まりの状態。 「渾沌」は物事がはっきりと区別できない様子のことで、神話での世界が生まれたばかりの状態をいう。 「天地混沌」とも書く。
盗人根性(ぬすびとこんじょう)
人のものを盗む人が持つ、ずるくて浅ましい性格のこと。
璞玉渾金(はくぎょくこんきん)
すぐれた人物になる才能を秘めていること。 宝石の原石と精錬されていない鉱石との意から。 「璞玉」は、掘り出したばかりで磨かれていない宝玉の原石。 「渾金」は、あらがね、精錬されていない鉱石。 「渾金璞玉」ともいう。
博古通今(はくこつうこん)
過去の出来事から今の出来事まで、様々な出来事を詳しく知っていること。広い知識を持っていること。 「博古」は昔のことを広く知っていること。 「通今」は今のことを詳しく知っていること。 「古(いにしえ)に博(ひろ)く今(いま)に通ず」とも読む。 「通今博古」ともいう。