「三」を含む四字熟語一覧
三を含む四字熟語の一覧です。
五十音順に表示しています。
一月三舟(いちがつさんしゅう)
仏の教えは一つなのに、受け手によりそれぞれの解釈があるということ。 同じ一つの月でも、停止している舟から見れば止まって見え、北へ動く舟から見れば北へ動いているように見え、また南へ動く舟から見れば南へ動いているように見えるということから。
一行三昧(いちぎょうざんまい)
一つの修行法を一心に励むこと。 または、念仏を唱えること。 「一行」は一つのことに専念すること。 「三昧」は精神を集中することで、心を安らかにすること。
一月三舟(いちげつさんしゅう)
仏の教えは一つなのに、受け手によりそれぞれの解釈があるということ。 同じ一つの月でも、停止している舟から見れば止まって見え、北へ動く舟から見れば北へ動いているように見え、また南へ動く舟から見れば南へ動いているように見えるということから。
一字三礼(いちじさんらい)
敬い慎んで写経すること。 または、写経をするときは、敬い慎んでやるべきであるという教え。 写経する時は、一文字書き写すたびに仏を三度礼拝していたということから。
一日三秋(いちじつさんしゅう)
相手を恋しく思う気持ちが深いこと。 または、とても待ち遠しいこと。 「三秋」は秋が三回過ぎることから”三年”の意。 一日会わなかっただけで、三年も会わなかったような気がすることから。
一読三嘆(いちどくさんたん)
すばらしい詩文などをよみ、感銘を受けること。 または、そのような名文、書物のこと。 「三」は何度もという意味。 「嘆」は感心して褒め称える、感嘆という意味。
一日三秋(いちにちさんしゅう)
相手を恋しく思う気持ちが深いこと。 または、とても待ち遠しいこと。 「三秋」は秋が三回過ぎることから”三年”の意。 一日会わなかっただけで、三年も会わなかったような気がすることから。
一念三千(いちねんさんぜん)
日常における一瞬の思いの中にも、全宇宙の全事象が備わっているということ。 「三千」は世界の数を意味し、全宇宙のこと。 天台宗の教義。
一国三公(いっこくさんこう)
指示を出す人が多すぎて、統率が取れなくなること。 三人の君主が一つの同じ国にいるということから。 「三公」は三人の君主。
一倡三歎(いっしょうさんたん)
優れた詩文を褒め称えていう言葉。 「倡」は詩文を読むこと。 「三」は何度もの意。 「歎」は感心して褒め称える、感嘆という意味。 一度読み上げる間に何度も感歎することから。 「一倡」は「一唱」、「三歎」は「三嘆」とも書く。
一刀三礼(いっとうさんらい)
慎みを持って、深く敬いながら仕事をすること。 仏像を作るときは、一彫りごとに三回礼拝するという意味から。
一筆三礼(いっぴつさんらい)
慎みを持って、深く敬いながら仕事をすること。 写経するときは、一文字ごとに三回礼拝するという意味から。
韋編三絶(いへんさんぜつ)
同じ書物を何度も読むこと。 または、学問に励むことのたとえ。 「韋編」は紙が出来る前の、木や竹の札をひもで綴った書籍のこと。 「三絶」は何度もひもが切れること。 「韋編(いへん)三(み)たび絶(た)つ」とも読む。 孔子が何度もひもが切れるほど易経を読んだという故事から。
益者三楽(えきしゃさんごう)
「礼儀と音楽をほどよく楽しむこと」「人の美点について褒めること」「立派な友人が多いこと」の三つの有益な楽しみのこと。 孔子の言葉。
益者三友(えきしゃさんゆう)
自分にとって有益な三種の友人のこと。 「益者」は自分に利益をもたらす人。 「三友」は三種の友人。正直な人・誠実な人・博識な人のこと。
益者三楽(えきしゃさんらく)
「礼儀と音楽をほどよく楽しむこと」「人の美点について褒めること」「立派な友人が多いこと」の三つの有益な楽しみのこと。 孔子の言葉。
円融三諦(えんにゅうさんだい)
仏教の言葉で、空、仮、中の三つの真理がそれぞれの立場を保ちながらも、互いに溶け合っている状態が同時に成り立っていること。 「円融」はお互いに融合しているが、それぞれ立場を保ちつつ妨げになっていないこと。 「三諦」は空、仮、中の三つの真理のこと。 天台宗が説く三つの真理のことで、全てのものには実体が存在しないという「空」と、全てのものは因縁によって存在するという「仮」と、それら二つを超越して存在しているという「中」のことをいう。 「三諦円融」ともいう。
開三顕一(かいさんけんいち)
仏教において悟りに至るための三つの道(三乗)が仮の姿であり、最終的には仏の統一された教えである一乗こそが真実の教えであると示すこと。
喙長三尺(かいちょうさんじゃく)
口が達者なことのたとえ。 「喙長」はくちばしの長さ。 「三尺」は長いことのたとえ。 喙(くちばし)の長さが三尺もあるという意味から。
河東三鳳(かとうのさんぽう)
兄弟全員が賢く、判断力に秀でていること。 「河東」は中国の山東省の地名。 「鳳」は中国の伝説上の鳥のことで、すぐれた人のたとえ。 中国の唐の時代、河東の薛収とその従子である元敬、またその族兄である徳音の三人はとてもすぐれた人物であったため、「河東三鳳」と称されたという故事から。
華封三祝(かほうのさんしゅく)
中国の華山を番人が、聖天子の尭帝に述べた三つの祝福。 「華封」は中国の華山を守る番人。 中国の華山の番人が、伝説上の聖天子の尭帝に、長寿・富・多男子の三つの祝福を述べようとしたところ、長く生きると恥をかく機会が多くなり、金持ちになると面倒ごとが多くなり、男子が多いと心配事が増えると言って断ったという故事から。
帰依三宝(きえさんぽう)
仏門に入り、仏教徒になること。 「帰依」は仏の教えに従い、信じること。 「三宝」は仏と仏の教え、それを布教する僧のこと。 「三宝(さんぽう)に帰依(きえ)す」とも読む。
九夏三伏(きゅうかさんぷく)
夏の一番暑い時期のこと。 「九夏」は夏の季節の九十日間。 「三伏」は初伏、中伏、末伏のこと。 夏至以降の三回目の庚の日を初伏、四回目の庚の日を中伏、立秋の後の最初の庚の日を末伏という。
九棘三槐(きゅうきょくさんかい)
政界の最高幹部のこと。 「三槐」は中国の三公の別称。 「九棘」は中国の九卿の別称。 中国の周の時代に、君主が朝廷の庭の三公の位置を示すところに槐の木を植え、九卿の位置を示すところに棘の木を植えていたことから。 「九棘三槐」ともいう。
挙一反三(きょいちはんさん)
すぐれた能力と理解力があること。 一つのことを聞くと、そこから三つのことを理解できるという意味から。 「一を挙(あ)げて三を反す」とも読む。
尭階三尺(ぎょうかいさんじゃく)
君主がつつましい生活をすることのたとえ。 古代中国の伝説の聖天子の宮殿は、土を固めただけの階段があり、高さは三尺ほどしかなかったということから。 君主の生活の理想とされている。
君子三畏(くんしのさんい)
君子がおそれ敬うべき三つのこと。 天命、有徳の大人、聖人の言をいう。 「君子」は人格者、「畏」はおそれ敬うこと。
君子三戒(くんしのさんかい)
少年期の色欲、壮年期の闘争、老年期の物欲という人格者が自ら戒めておくべき三つのこと。 「君子」は人格者。
君子三楽(くんしのさんらく)
父母と兄弟が元気で健在なこと、正しい行動をして、正しい心を持って天に恥じない生活をすること、すぐれた才能を持つ人を見つけ出し教育するという人格者の三つの楽しみのこと。 「君子」は人格者。
戯作三昧(げさくざんまい)
小説を作ることに没頭すること。 または、遊びで小説を書くこと。 「戯作」は遊びで小説を書くこと。 または、日本の江戸時代の小説類の総称。 「三昧」は一つのことに夢中になること。
挙一明三(こいちみょうさん)
理解力が非常にすぐれていること。 仏教の言葉で、四角の一隅を挙げれば、残りの三隅を悟るということから。 「一を挙(あ)げて三を明らかにす」とも読む。
狡兎三窟(こうとさんくつ)
身を守るために用心深くたくさんの逃げ場や、策略を用意しておくこと。 または、困難をさけることがうまいこと。 「狡兎」は悪知恵のはたらく兎。 「三窟」は三つの穴。 悪知恵のはたらく賢い兎は、隠れるための穴を三つ用意しているという意味から。
虎渓三笑(こけいさんしょう)
あることに夢中になって、他のことを全て忘れてしまうこと。 「虎渓」は中国の江西省の廬山にあったとされる谷の名前。 「三笑」は三人で笑うこと。 中国の東晋の高僧の慧遠は、廬山の寺にこもって、虎渓よりも外に出ないと誓っていたが、詩人の陶潜と道士の陸修静を見送るときに話に夢中になり、虎の吠える声で虎渓を超えてしまった事に気づき、三人で大笑いしたという故事から。
五障三従(ごしょうさんしょう)
女性が持っているとされていた五つの障害と、女性に従わされていた三つのこと。 「五障」は仏教の言葉で、梵天、帝釈天、魔王、転輪聖王、仏のことで、この五つは女性がなれないとされていた。 「三従」は幼少時は親に従い、結婚後は夫に従い、老いたら子に従うべきということ。
五障三従(ごしょうさんじゅう)
女性が持っているとされていた五つの障害と、女性に従わされていた三つのこと。 「五障」は仏教の言葉で、梵天、帝釈天、魔王、転輪聖王、仏のことで、この五つは女性がなれないとされていた。 「三従」は幼少時は親に従い、結婚後は夫に従い、老いたら子に従うべきということ。
歳寒三友(さいかんさんゆう)
冬に友とすべきもので東洋画の画題としても好まれる松、竹、梅のこと。 「歳寒」は寒い季節、冬のことから乱世や逆境ともいう。 乱世に友とすべき山水・松竹・琴酒のことをいう場合もある。
歳寒三友(さいかんのさんゆう)
冬に友とすべきもので東洋画の画題としても好まれる松、竹、梅のこと。 「歳寒」は寒い季節、冬のことから乱世や逆境ともいう。 乱世に友とすべき山水・松竹・琴酒のことをいう場合もある。
再三再四(さいさんさいし)
「たびたび」や「何度も何度も」という意味。 「再四」は「再三」を強調した語で、「再三」は二度も三度もということで、同じことを繰り返すという意味。
再思三省(さいしさんせい)
「再思」は考え直す、「三省」は一日に何度も反省することで、何度も考え直して、反省すること。
作史三長(さくしのさんちょう)
才知、学問、識見という三つの能力のことで、歴史家が歴史書を書いたり、編集したりするために必要な能力をいう。
作文三上(さくぶんさんじょう)
文章の構想を考えるのに最も適している三つの場所のこと。 「作文」は文章を作ること。 「三上」は馬上、枕上、厠上の三つの場所のこと。 馬上は馬に乗っているとき、枕上は寝床で横になっているとき、厠上は便所に入っているとき。
三衣一鉢(さんえいっぱち)
僧侶が持ち歩く少しの持ち物。 「三衣」はインドの僧団の僧侶が着る三種類の衣服。 「一鉢」は托鉢の時に布施で食べ物をもらい、それをいれるための食器。 インドの僧団が僧侶が持つことが許されたもので、これらがあれば最低限は足りるという意味。
三衣一鉢(さんえいっぱつ)
僧侶が持ち歩く少しの持ち物。 「三衣」はインドの僧団の僧侶が着る三種類の衣服。 「一鉢」は托鉢の時に布施で食べ物をもらい、それをいれるための食器。 インドの僧団が僧侶が持つことが許されたもので、これらがあれば最低限は足りるという意味。
三槐九棘(さんかいきゅうきょく)
政界の最高幹部のこと。 「三槐」は中国の三公の別称。 「九棘」は中国の九卿の別称。 中国の周の時代に、君主が朝廷の庭の三公の位置を示すところに槐の木を植え、九卿の位置を示すところに棘の木を植えていたことから。 「九棘三槐」ともいう。
三角関係(さんかくかんけい)
三つのものの間のかかわり。 主に男女三人の間にある恋愛関係をいう言葉。 「三角」は三角形。 「関係」はかかわり、つながり。
三寒四温(さんかんしおん)
冬に寒い日が三日ほど続いた後、四日ほど温かくなること。 中国北部や朝鮮半島北部で、シベリア高気圧の影響を受けて起きる現象。 これを繰り返しながら少しずつ春の気候へと変わっていく。 また、近年の日本においては三寒四温がはっきりと現れることは少ないため、春の初めに低気圧と高気圧が交互にくる周期的な変化のことをいう場合が多い。
三界火宅(さんがいのかたく)
現世をたとえた言葉。 「三界」は欲界、色界、無色界の三つの世界のことで、現世のことをいう。 「火宅」は火事になっている家。 常に苦しみ続ける現世を、火事で燃えている家にたとえた言葉。
三界無安(さんがいむあん)
現世で生きることは、苦しいことや悩むことが多く、心が落ち着いて楽になることはないということ。 「三界」は欲界、色界、無色界の三つの世界のことで、現世のことをいう。 「無安」は心が安らぐことがないこと。
三界無宿(さんがいむしゅく)
この世界のどこにも落ち着ける場所がないこと。 「三界」は人が輪廻する三つの領域の欲界、色界、無色界のこと。 「無宿」は住居がないこと。
三界流転(さんがいるてん)
全ての生きているものは、三つの世界で生死を繰り返し続け、三つの世界を迷い続けるということ。 「三界」は欲界、色界、無色界の三つの世界のこと。 「流転」は迷い続けること。
三月庭訓(さんがつていきん)
勉学が長く続かないこと。 一月から始まり、十二月まである往復手紙文集である『庭訓往来』の勉強をし始めても、三月でやめてしまうということから。
三跪九叩(さんききゅうこう)
中国の清の敬礼の方法。 三回跪(ひざまず)いて、頭を九回地面に打ち付ける礼のことをいう。
三釁三浴(さんきんさんよく)
相手のことを大切に思う心を言い表す言葉。 人を待つ間に何度も体を洗って、良い香りの香を塗るという意味から。 「三」は何度も、という意味。 「釁」は香を塗ること。 「浴」は湯水で体を洗い清めること。
三薫三沐(さんくんさんもく)
相手のことを大切に思う心を言い表す言葉。 人を待つ間に何度も体を洗って、良い香りの香を塗るという意味から。 「三」は何度も、という意味。 「薫」は香を塗ること。 「沐」は湯水で体を洗い清めること。
三軍暴骨(さんぐんばくこつ)
大差で戦いに負けること。 「三軍」は三万七千五百人の軍隊ということから、大軍のたとえ。 「暴骨」は兵士が死んで、野で骨になるという意味。 中国の周の時代は、一万二千五百人の軍隊を一軍として、大国ではその三倍の三軍を保有するとされていた。 「三軍(さんぐん)骨(ほね)を暴(さら)す」とも読む。
三綱五常(さんこうごじょう)
儒教の言葉で、人として守るべき道徳と、常に行うべき道義のこと。 「三綱」は主君と臣下、父親と子、夫と妻の間の三つの道徳のこと。 「五常」は仁、義、礼、智、信の常に行うべき五つの道義のこと。
三顧之礼(さんこのれい)
立場が上の人が礼を尽くして、すぐれた才能を持つ人を招くこと。 または、立場が上の人が立場が下の人に礼を尽くして、仕事を依頼すること。 「三顧」は三回訪問すること。 古代中国の三国時代、蜀の皇帝劉備が諸葛亮を迎え入れるために住居を三回訪問したという故事から。
三業供養(さんごうくよう)
ひれ伏して、言葉で仏の徳をたたえ、心をこめて仏を供養すること。 「三業」は仏教の言葉で、動作や所作などの身体の業、言葉の業、意識や心の業の三つの業のこと。
三国無双(さんごくむそう)
日本・中国・インドの三つの国の中で比べることができるものすらないこと。 もとは富士山のことをいった言葉。
三三五五(さんさんごご)
少数の人たちが固まって行き来する様子のこと。 または、人や物などがあちこちに散らばっている様子。 あっちに三、こっちに五という意味から。 「三々五々」とも書く。
三々五々(さんさんごご)
少数の人たちが固まって行き来する様子のこと。 または、人や物などがあちこちに散らばっている様子。 あっちに三、こっちに五という意味から。 「三々五々」とも書く。
三思九思(さんしきゅうし)
何度も繰り返して深く考えること。 「三思」と「九思」はどちらも深く考えること。 「三…九…」は何度もという意味。
三思後行(さんしこうこう)
しっかりと考えた後に行動すること。 三度考えてから行動するという意味から。 元は必要以上に考えすぎること戒めた言葉だったが、現在では軽はずみな行動を戒める言葉として使われることが多い言葉。 中国の春秋時代の魯の季文子の故事から。 「三(み)たび思いて後(のち)に行う」とも読む。
三豕渉河(さんししょうか)
文字を間違えること。 中国の春秋時代の子夏が旅の途中に、「晋の軍隊が三匹の豕と河を渡った」と史書を読んでいるのを聞き、「己」を「三」、「亥」を「豕」と読み間違えて、三匹の豕ではなく、年号の己亥の年と読み間違えたのだろうと指摘したという故事から。
三豕渡河(さんしとか)
文字を間違えること。 中国の春秋時代の子夏が旅の途中に、「晋の軍隊が三匹の豕と河を渡った」と史書を読んでいるのを聞き、「己」を「三」、「亥」を「豕」と読み間違えて、三匹の豕ではなく、年号の己亥の年と読み間違えたのだろうと指摘したという故事から。
三枝之礼(さんしのれい)
両親に礼儀を尽くし、両親への孝行を重んじること。 鳩の子どもは、親の鳩がとまっている木の枝の三本下の枝にとまるという意味から。
三者三様(さんしゃさんよう)
人によってそれぞれにやり方、考え方などが違うこと。 三人の人がいれば、三つのやり方や考え方などがあるという意味から。
三舎退避(さんしゃたいひ)
相手のことを恐れて、避けること。 「舎」は古代中国の軍隊が一日で進む距離のことで、三十里のことをいう。 軍隊が相手を恐れて、九十里の距離を空けて避けるという意味から。 「三舎を避(さ)く」とも読む。 中国の春秋時代、楚に亡命した晋の重耳は、楚の成王に厚遇され、重耳は感謝して、晋と楚が戦うようなことがあれば九十里後退させると約束した。 晋の君主になった重耳はその約束を果たしたという故事から。
三者鼎談(さんしゃていだん)
三人で向かい合って話し合うこと。 三人が話し合うことを「鼎」にたとえた言葉。 「鼎」は物を煮たり、祭器として使われる底の深い器で、足が三本あるということから。
三者鼎立(さんしゃていりつ)
同じ力を持っている三人が並び立つこと。 または、同じ力を持つ三つの勢力が争いあう、三すくみの状態のこと。 三人が並び立つことを「鼎」にたとえた言葉。 「鼎」は物を煮たり、祭器として使われる底の深い器で、足が三本で均衡を保って安定して立っているということから。
三種神器(さんしゅのじんぎ)
皇位の証として代々伝わっている三つの宝物。 天照大神が天孫降臨の時に授けたとされるもので、八咫鏡、八尺瓊勾玉、天叢雲剣のこと。
三心二意(さんしんじい)
気持ちが落ち着かず、いろいろと迷うこと。 または、人が別々の意見を主張していて、考えがまとまらないこと。 「意」は意志や意見のこと。
三日新婦(さんじつしんぷ)
拘束されていて、ひどく窮屈なことのたとえ。 結婚してから三日目の新婦という意味で、結婚の後はやらなければならないことが多く、拘束されるということから。
三尺秋水(さんじゃくしゅうすい)
研ぎ澄まされたすぐれた剣のこと。 「三尺」の「尺」は長さの単位で、「三尺」は剣の標準的な長さのこと。 「秋水」は冷たく澄んだ秋の水のことで、剣の冴えわたった光をたとえた言葉。
三尺秋水(さんじゃくのしゅうすい)
研ぎ澄まされたすぐれた剣のこと。 「三尺」の「尺」は長さの単位で、「三尺」は剣の標準的な長さのこと。 「秋水」は冷たく澄んだ秋の水のことで、剣の冴えわたった光をたとえた言葉。
三尺童子(さんじゃくのどうじ)
七、八歳の子どものこと。 「三尺」の「尺」は長さの単位で、「三尺」は身長が低いことのたとえ。 身長が低い子どもということから。 または、「一尺」は二歳半として数え、「三尺」で七、八歳とするという説もある。
三汁七菜(さんじゅうしちさい)
豪華な食べ物のこと。 または、日本の本膳料理の正式な品数。 三品の汁物と七品のおかずのこと。
三従四徳(さんじゅうしとく)
昔の中国の女性への教え。 「三従」は従うべき三つのことで、幼い時は父親に従い、嫁いだ後には夫に従い、年老いたら子どもに従うべきであるということ。 「四徳」はいつもの生活で心がけるべき四つのことで、女性としての節操を守ることをいう婦徳、言葉遣いをいう婦言、身だしなみをいう婦容、家事をいう婦功のこと。
三十而立(さんじゅうじりつ)
三十歳になって、自分の中の道徳観や学識が確立して、それが自信になって思想が固まること。 孔子が自身の生涯を振り返って言った言葉。 三十歳の異名の「而立」の語源。 「三十にして立つ」とも読む。
三十六策(さんじゅうろくさく)
逃げるべきときには逃げるのが最もよい計略であるということ。 古代中国の三十六種の兵法の一つで、その中で最もよいとされる計略。 「三十六策走(にぐ)るを上計と為(な)す」を略した言葉。
三十六計(さんじゅうろっけい)
逃げるべきときには逃げるのが最もよい計略であるということ。 古代中国の三十六種の兵法の一つで、その中で最もよいとされる計略。 「三十六計逃ぐるに如(し)かず」を略した言葉。
三旬九食(さんじゅんきゅうしょく)
生活がひどく貧しいことのたとえ。 「三旬」は一ヶ月のこと。 一ヶ月の間に九回しか食事ができないという意味から。 中国の春秋時代の子思が衛の国にいた時に、一ヶ月で九回しか食事ができないほど貧しかったという故事から。
三途大河(さんずのたいが)
あの世にある川。三途の川。 この世とあの世の境にあるとされ、死んだ人が初七日に渡るといわれている。
三寸之轄(さんずんのかつ)
物事の重要な部分のこと。 「三寸」は長さのことで、短いことのたとえ。 「轄」は車輪が車軸から抜けないようにするための留め金のこと。 長さ三寸程度のものでも、これがなければ車は走ることができないということから、物事の重要な部分をいう。
三寸之轄(さんずんのくさび)
物事の重要な部分のこと。 「三寸」は長さのことで、短いことのたとえ。 「轄」は車輪が車軸から抜けないようにするための留め金のこと。 長さ三寸程度のものでも、これがなければ車は走ることができないということから、物事の重要な部分をいう。
三寸不律(さんずんふりつ)
長さの短い筆のこと。 「三寸」の「寸」は長さの単位で、「三寸」は長さが短いことのたとえ。 「不律」は筆の別名。
三世一爨(さんせいいっさん)
三つの世代の家族が一つの家で一緒に住むこと。 「爨」はかまどのこと。 三世代の家族が、一つのかまどを共有して食事を作るということから。
三聖吸酸(さんせいきゅうさん)
儒教の蘇軾と道教の黄庭堅、仏教の仏印禅師の三人が、桃花酸という名前の酢をなめて、全員が顔をしかめたということ。 東洋画の画材としてよく使われるもので、思想も宗教も異なっているが、酢がすっぱいことは、全てにあてはまる真理であるという三つの宗教の一致をいう。 儒教の孔子と道教の老子、仏教の釈迦を描く場合もある。
三牲之養(さんせいのよう)
親に食事をご馳走して孝行すること。 「三牲」は牛、羊、豚の三種類のいけにえということから、ごちそうのたとえ。 「養」は親を養うこと。
三尺童子(さんせきのどうじ)
七、八歳の子どものこと。 「三尺」の「尺」は長さの単位で、「三尺」は身長が低いことのたとえ。 身長が低い子どもということから。 または、「一尺」は二歳半として数え、「三尺」で七、八歳とするという説もある。
三世十方(さんぜじっぽう)
無限の空間や時間をいう仏教の言葉。 「三世」は、過去・現在・未来。 「十方」は、東・西・南・北・西北・西南・東北・東南・上・下。
三世了達(さんぜりょうだつ)
仏の知恵は過去、現在、未来の事を広く様々に見通していること。 「三世」は過去、現在、未来の三つの世界のこと。 「了達」はあらゆることを悟っていること。
三千世界(さんぜんせかい)
この世界の全て。全宇宙。 仏教の言葉で、須弥山を中心に四つの大陸があり、その周りに九山八海があるのが一つの世界とするもの。 その一つの世界が千集まったものが小千世界とされ、小千世界が千合わせたものを中千世界、中千世界を千合わせたものを大千世界という。 大千世界、中千世界、小千世界を合わせて三千大千世界といい、これを略した言葉。 世間という意味でも使われることがある。 一人の仏が、教え導くことができる範囲とされている。
三千寵愛(さんぜんちょうあい)
たくさんの侍女にかける寵愛。 元は、たくさんの女性にかけるべき愛情を一人だけに向けてしまうことをいう。 宮中に仕える女性三千人にかける寵愛という意味から。 中国の唐の玄宗皇帝は、三千人ほどの美女がいたが、楊貴妃はその美女たち全員の寵愛を独り占めしたという故事から。
三千寵愛(さんぜんのちょうあい)
たくさんの侍女にかける寵愛。 元は、たくさんの女性にかけるべき愛情を一人だけに向けてしまうことをいう。 宮中に仕える女性三千人にかける寵愛という意味から。 中国の唐の玄宗皇帝は、三千人ほどの美女がいたが、楊貴妃はその美女たち全員の寵愛を独り占めしたという故事から。
三草二木(さんそうにもく)
資質や能力に差がある普通の人たちでも、仏の教えによって、誰もが悟りを得ることができるということ。 「三草」は大、中、小の三種類の薬草。 「二木」は大、小の二種類の木。 どんな大きさの植物も雨水の恩恵を受けるということから。
三蔵法師(さんぞうほうし)
仏教の三つの経典の経蔵、律蔵、論蔵に精通している僧侶のこと。 日本では、中国の伝奇『西遊記』の玄奘三蔵として知られているが、「三蔵法師」は固有名詞ではなく敬称。
三諦止観(さんたいしかん)
仏道の修行に努めること。 「三諦」は空諦、仮諦、中諦の三つの真理こと。 「止観」は専念して、対象を正しく認識すること。
三諦円融(さんだいえんにゅう)
仏教の言葉で、空、仮、中の三つの真理がそれぞれの立場を保ちながらも、互いに溶け合っている状態が同時に成り立っていること。 「円融」はお互いに融合しているが、それぞれ立場を保ちつつ妨げになっていないこと。 「三諦」は空、仮、中の三つの真理のこと。 天台宗が説く三つの真理のことで、全てのものには実体が存在しないという「空」と、全てのものは因縁によって存在するという「仮」と、それら二つを超越して存在しているという「中」のことをいう。 「三諦円融」ともいう。
三諦止観(さんだいしかん)
仏道の修行に努めること。 「三諦」は空諦、仮諦、中諦の三つの真理こと。 「止観」は専念して、対象を正しく認識すること。
三段論法(さんだんろんぽう)
論理的推論の形式の一つ。 大前提と小前提から結論を導き出す法則をいう。
三鳥出網(さんちょうしゅつもう)
三つの悟りに至るための修行や方法がそれぞれ異なっていることのたとえ。 「三鳥」は、仏教の三乗のたとえ。三乗は、悟りを得るための三つの修行や方法である声聞乗(しょうもんじょう)・縁覚乗(えんかくじょう)・菩薩乗(ぼさつじょう)のこと。 三乗によって悟りを得ることを、三羽の鳥が網から外へ出ることにたとえた言葉。 「三鳥(さんちょう)網(あみ)を出(い)ず」とも読む。
三頭両緒(さんとうりょうしょ)
物事が複雑で、まとめて治めることができないことのたとえ。 または、物事の始まりが多いことのたとえ。 「頭」と「緒」はどちらも物事の始めということ。
三人成虎(さんにんせいこ)
真実ではないことでも、多くの人が言えばいつの間にか真実として広まるということのたとえ。 「街に虎が出たと言ったら信じるか」と尋ねると「信じない」と答えた。 「それならばもう一人別の人物が同じこと言ったら信じるか」と尋ねると「わからない」と答え、「三人ならどうか」と聞くと「信じるようになるだろう」と答えたという故事から。
三人文殊(さんにんもんじゅ)
平凡な人でも、三人で知恵を出し合えば何かよい考えが出るものだということ。 「文殊」は知恵をつかさどるとされるという文殊菩薩のこと。 普通な人でも三人で考えを出し合えば、文殊菩薩と同等以上の考えが浮かぶという意味から。 「三人寄れば文殊の知恵」を略した言葉。 「三人文珠」とも書く。
三人文珠(さんにんもんじゅ)
平凡な人でも、三人で知恵を出し合えば何かよい考えが出るものだということ。 「文殊」は知恵をつかさどるとされるという文殊菩薩のこと。 普通な人でも三人で考えを出し合えば、文殊菩薩と同等以上の考えが浮かぶという意味から。 「三人寄れば文殊の知恵」を略した言葉。 「三人文珠」とも書く。
三衣一鉢(さんねいっぱち)
僧侶が持ち歩く少しの持ち物。 「三衣」はインドの僧団の僧侶が着る三種類の衣服。 「一鉢」は托鉢の時に布施で食べ物をもらい、それをいれるための食器。 インドの僧団が僧侶が持つことが許されたもので、これらがあれば最低限は足りるという意味。
三拝九拝(さんぱいきゅうはい)
何度も頭を下げて、頼みごとをしたり、敬意や謝罪の意志を表したりすること。 手紙の最後に記して、相手に敬意を表す言葉として用いることもある。 「三拝」は敬意を持って三回拝むこと。仏教では身業、口業、意業の三業に敬意を表すこと。 「九拝」は敬意を持って九回拝むこと。または、古代中国で定められた九種類の礼拝のこと。
三百代言(さんびゃくだいげん)
根拠のない適当な話で人を騙すこと。 または、そのような人のこと。 「三百」は昔の小さな通貨の三百文ということから、非常に価値が低いことのたとえ。 「代言」は代言人のことで、弁護士の昔の名称。 資格を持っていない人が、他人の訴訟を取り扱ったことを罵っていった言葉から。
三分鼎足(さんぶんていそく)
力が同じものが三人並び立つこと。 または、同じ力を持つ勢力が並び立つこと。 三人が並び立つことを「鼎」にたとえた言葉。 「鼎」は食べ物を煮たり、祭器として使われる三本足の器。
三釜之養(さんぷのよう)
少ない給料の中でも両親を養い、親孝行すること。 「釜」は中国の春秋時代の容量の単位で、約十二リットルで、「三釜」で約三十七リットル。 三釜という少ない給料で両親を養うという意味から。 中国の春秋時代、孔子の弟子の曾子は、三釜の少ない給料でも両親を養えるのは幸せだったが、給料が高くなるころには両親は亡くなっていたという故事から。
三平二満(さんぺいじまん)
十分とはいえないが、それに満足して平穏に生活すること。 「三」と「二」は数が少ないことのたとえ。 三でも安らかで、二でも満足するという意味から。 または、「三」は額と鼻、下顎のことをいい、「二」は左右の頬をいい、「三」が平らで「二」が膨らんでいるような顔ということから、おかめ顔やおたふく顔のことをいう。
三平二満(さんぺいにまん)
十分とはいえないが、それに満足して平穏に生活すること。 「三」と「二」は数が少ないことのたとえ。 三でも安らかで、二でも満足するという意味から。 または、「三」は額と鼻、下顎のことをいい、「二」は左右の頬をいい、「三」が平らで「二」が膨らんでいるような顔ということから、おかめ顔やおたふく顔のことをいう。
三木一草(さんぼくいっそう)
後醍醐(ごたいご)天皇の建武政権下で功績を上げ、重用された四人の臣下の総称。 「三木」は、名前に「き」の付く三人。結城親光(ゆうきちかみつ)、名和長年(なわながとし)の役職、伯耆守(ほうきのかみ)、楠木正成(くすのきまさしげ)のこと。 「一草」は、名前に「くさ」の付く一人。千種忠顕(ちぐさただあき)のこと。
三位一体(さんみいったい)
1.キリスト教で、父である神と子であるイエス・キリストと聖霊の三つは、唯一の神がそれぞれ姿を変えたもので、元は一つのものだとする教義のこと。
2.それぞれ異なる三つのものが、根本的な性質や要素は同一であること。
3.三つのものがしっかりと結びついて、一つのもののようになること。または、三人が心を一つにして物事にあたること。
三密瑜伽(さんみつゆが)
密教の修行。 「三密」は身密、口密、意密の三つの行のこと。 「瑜伽」は修行者の三密と仏の三密が、互いに交じり溶け合うこと。 「瑜伽三密」ともいう。
三面六臂(さんめんろっぴ)
一人で数人分の成果をあげること。 または、様々な違う分野で活躍すること。 「臂」は腕のこと。 三つの顔と、六本の腕がある仏像の姿を言い表す言葉。
三浴三薫(さんよくさんくん)
相手のことを大切に思う心を言い表す言葉。 人を待つ間に何度も体を洗って、良い香りの香を塗るという意味から。 「三」は何度も、という意味。 「浴」は湯水で体を洗い清めること。 「薫」は香を塗ること。
三輪空寂(さんりんくうじゃく)
人に物をあげたり、お布施をするときは、渡す物への執着はやめるべきということ。 「三輪」はお布施をする人、施しを受ける人、施す物の三つのこと。 「空寂」はこの世の全てのものは実体がなく、空であるということ。 「三輪」の三つの全てが空であるとして、執着心を捨て去ることをいう。
三輪清浄(さんりんしょうじょう)
仏教の言葉で、三業の全てが清らかに働いていること。 または、お布施のときに、施す人と施しを受ける人と施す物の三つの全てが清らかなこと。 「三輪」は三業のことで、身業、口業、意業の三つのことをいい、身業は体の動作や所作、口業は言葉、意業は意識、心の働きのことをいう。 「清浄」は汚れがなく清らかなこと。
三令五申(さんれいごしん)
何度も繰り返して説明して諭すこと。 「申」は繰り返すという意味。 三回命じて五回言い聞かせるという意味から。
三老五更(さんろうごこう)
高い徳を積んでいる長老のこと。 「三老」と「五更」はどちらも中国の周の時代の長老の異称。 「三老」は臣下の最高位の三公、「五更」は引退した卿の地位をもっていた人の呼称とされているが、様々な説がある。
市虎三伝(しこさんでん)
真実ではないことでも、多くの人が言えばいつの間にか真実として広まるということのたとえ。 「街に虎が出たと言ったら信じるか」と尋ねると「信じない」と答えた。 「それならばもう一人別の人物が同じこと言ったら信じるか」と尋ねると「わからない」と答え、「三人ならどうか」と聞くと「信じるようになるだろう」と答えたという故事から。
舌先三寸(したさきさんずん)
口先だけで誠実さがなく、巧みな弁舌のこと。 口だけで相手をうまくあしらったり、丸め込んだりすること。
七五三縄(しめなわ)
鳥居や神棚などに飾ったり、神域を区別するために用いたりする縄のこと。 縄の網目に七、五、三筋のわらをはさんで垂らすことに由来する当て字。 「注連縄」「〆縄」「標縄」などとも。
秋霜三尺(しゅうそうさんじゃく)
曇りが少しもないように研がれた刀剣。 「秋霜」は秋に降る霜は厳しく冷たく光るということから、切れ味のよい刀剣のこと。 「尺」は長さを表す単位で、「三尺」は刀剣の長さのこと。
史有三長(しゆうさんちょう)
歴史を記述するためには、文才、学問、見識の三つが必要とされるということ。 中国の唐の時代の歴史家である劉知幾が主張したもの。 「史(し)に三長(さんちょう)あり」とも読む。
食客三千(しょっかくさんぜん)
たくさんの人を客分として扱い、自分の家来として抱えておくこと。 「食客」は客として家に住む人のこと。 高貴な人が才能のある人を客として養い、私的な家来とすることをいう。
熟読三思(じゅくどくさんし)
しっかりと考えながら読んで、その内容を繰り返し考えること。 「熟読」は文章をしっかりと考えながら読むこと。 「三思」は何度も考えること。
入木三分(じゅぼくさんぶ)
筆勢が非常に強いこと。 または、物事を深くまで的確に追究すること。 「入木」は木に染み込むこと。 「三分」は長さのことで約七ミリのこと。 書家の王羲之は筆勢が強いことで知られていて、文字を記した木を削ってみると、三分の深さまで墨が染み込んでいたという故事から。 書道の別称「入木道(じゅぼくどう)」の語源。
垂涎三尺(すいえんさんじゃく)
あるものを激しく欲しがる様子のこと。 「涎」はよだれ。 おいしそうな食べ物を見て、思わず涎を三尺も垂らすという意味から。
推三阻四(すいさんそし)
さまざまな理由をつけて、物事を拒否すること。 「推」は推し退ける、「阻」は妨げるの意。 「三」と「四」は、あれこれ、さまざまなどの意を表し、さまざまな事柄や理由を象徴的に示したもの。
垂涎三尺(すいぜんさんじゃく)
あるものを激しく欲しがる様子のこと。 「涎」はよだれ。 おいしそうな食べ物を見て、思わず涎を三尺も垂らすという意味から。
説三道四(せつさんどうし)
根拠のない適当なことをいうこと。 「説」と「道」は言うこと。 三と言ったり四と言ったりするということから。
贅沢三昧(ぜいたくざんまい)
金や物を思うままに好きなだけ使うこと。 「贅沢」は必要以上の無駄な費用を使うこと。 「三昧」は夢中になって、ほかの事を蔑ろにするという意味。
草廬三顧(そうろさんこ)
立場が上の人が礼を尽くして、すぐれた才能のある人を招くこと。 または、立場が上の人が、立場が下の人に礼を尽くして仕事の依頼をすること。 「三顧」は三回訪問することで、古代中国の三国時代に、諸葛亮を迎え入れるために、劉備本人が三回訪問したという故事から。
損者三楽(そんしゃさんごう)
人が楽しむものの中で、害のある三つのもののこと。 欲望の赴くままに振舞うこと、すべきことをせずに遊んで暮らすこと、酒や女性に溺れることの三つをいう。
損者三友(そんしゃさんゆう)
関わらないほうがよい三種類の友人のこと。 「損者」は利益になることがない友人。 「三友」は体裁だけを取り繕う人、口先だけ達者な人、不誠実な人の三種類の友人のこと。 このような人たちと友人になっても損しかないという意味から。
損者三楽(そんしゃさんらく)
人が楽しむものの中で、害のある三つのもののこと。 欲望の赴くままに振舞うこと、すべきことをせずに遊んで暮らすこと、酒や女性に溺れることの三つをいう。
朝三暮四(ちょうさんぼし)
目先のわずかな違いや損益にこだわりすぎて、結局は同じ結果になることが理解できないこと。 または、巧みな言葉や話し方で人を丸め込むこと。 変化しやすく安定しないことや何とか生きていけるだけの生計のことをいう場合もある。 春秋時代、たくさんの猿を飼っていた宋の狙公は生活が急に苦しくなり、自身が食べる分もぎりぎりの状態で仕方なく猿の餌を減らすことにしたが、嫌われるのが嫌だったためにごまかすことにした。 狙公が「どんぐりを朝に三つ、暮に四つにする」と言ったところ猿たちが怒ったため、「それでは朝は四つに増やし、暮は三つにする」と言うと猿たちは朝の数が増えて喜んで納得したという故事から。
張三李四(ちょうさんりし)
どこにでもいるような普通の人のこと。 張氏の三男と李氏の四男という意味。 「張」や「李」という姓は中国では数が多く、三男や四男は重要視されないという意味から。
朝四暮三(ちょうしぼさん)
表面的なわずかな違いや損益にこだわり、結果が同じという本質を理解しないこと。 または、巧みな言葉や話し方で人を丸め込むこと。 変化しやすく安定しないことや、何とか生きていけるだけの生計のことをいうこともある。 春秋時代、たくさんの猿を飼っていた宋の狙公は生活が急に苦しくなり、自身が食べる分もぎりぎりの状態で仕方なく猿の餌を減らすことにしたが、嫌われるのが嫌だったためにごまかすことにした。 「朝にどんぐりを三つ、暮に四つにする」と言ったところ猿たちが怒り、「それでは朝は四つに増やし、暮は三つにする」と言うと猿たちは朝の数が増えて喜んで納得したという故事から。
長者三代(ちょうじゃさんだい)
金持ちの家は親子三代までもてばよいほうだということ。 財産を築いた者の子が財産を使い、孫はさらに財産を浪費するという意味から。
長舌三寸(ちょうぜつさんずん)
人前ではお世辞をいい、その裏では馬鹿にして笑うこと。 「長舌」は思ってもいないお世辞をいうこと。 「三寸」は長さが短いということから、舌先でお世辞をいうことのたとえ。
天下三分(てんかさんぶん)
国が三つに分かれて争い合うこと。 「天下」は国全体のこと。 中国の後漢が滅亡した後に、魏、呉、蜀の三つの勢力に分かれて争い合ったことをいう。
桃三李四(とうさんりし)
物事を成し遂げるには、それ相応に時間が必要であるということ。 桃が実をつけるには三年が必要で、李が実をつけるには四年の年月が必要であるということから。
読書三余(とくしょさんよ)
読書をするのに都合のよい三つの余暇のこと。 冬の季節、夜、雨天の日の三つ。 中国の三国時代、魏の董遇が弟子に読書を勧めると、弟子は時間が無いと嘆いたときに諭したという言葉から。
土階三等(どかいさんとう)
質素な建物のたとえ。 「等」は階段の段の数。 宮殿の入り口の階段が土で出来ていて、三段しかないという意味から。 古代中国の伝説の聖天子の尭帝と舜帝の宮殿を言い表した言葉。
読書三到(どくしょさんとう)
読書をするときに大切な三つのこと。 「三到」は「目到」、「口到」、「心到」の三つの心得のこと。 「目到」は文字を目でしっかりと見ること。 「口到」は声を出して読むこと。 「心到」は集中して読むこと。 中国の宋の朱熹が唱えたもの。
読書三余(どくしょさんよ)
読書をするのに都合のよい三つの余暇のこと。 冬の季節、夜、雨天の日の三つ。 中国の三国時代、魏の董遇が弟子に読書を勧めると、弟子は時間が無いと嘆いたときに諭したという言葉から。
読書三昧(どくしょざんまい)
一日中、ずっと読書にふけること。 「三昧」は一つのことに心を奪われて、ほかの事を蔑ろにすること。
南無三宝(なむさんぼう)
仏門に入り、仏教の三宝を信じて、仏に頼ること。 または、驚いたり失敗したときに「南無三」と略して発する言葉。 「南無」は経典や仏の名前の前につけて、絶対的な信頼を寄せて頼ること(梵語の音訳)。 「三宝」は仏、仏の教え、教えをひろめる僧のこと。
二束三文(にそくさんもん)
売値がとても安いこと。 ほとんど価値がないこと。 「文」は昔使われていた価値の低い貨幣。 「三文」は少しの金額のたとえ。 二束売っても三文(少しの金額)にしかならないということから。 「二束」は「二足」とも書き、農民の副業として多く生産されていた金剛草履という丈夫な草履が、二足でたったの三文という安い値段で売られていたことが語源という説もある。
二足三文(にそくさんもん)
売値がとても安いこと。 ほとんど価値がないこと。 「文」は昔使われていた価値の低い貨幣。 「三文」は少しの金額のたとえ。 二束売っても三文(少しの金額)にしかならないということから。 「二束」は「二足」とも書き、農民の副業として多く生産されていた金剛草履という丈夫な草履が、二足でたったの三文という安い値段で売られていたことが語源という説もある。
二転三転(にてんさんてん)
内容や状況、考え、態度などがころころと変わること。
二桃三士(にとうさんし)
策略によって人を自滅させること。 春秋時代、宰相の晏嬰という人物が、わがままな三人の勇士を排除しようと策を練り、君主から二つの桃を贈らせて「三人の勇士の中で功績が大きい二人が食べよ」と言った。 三人のうち二人が自分の功績が大きいと誇って桃を食べたが、実は桃を食べなかった人物が一番功績が大きかったと知り、二人は自害した。 残った一人も「自分だけ生きるのは義にもとる」と自害し、三人を排除したかった晏嬰の狙い通りになったという故事から。
二人三脚(ににんさんきゃく)
二人一組で横に並び、隣り合った足首をひもで結んで走る競走。 また、二人が協力し合って物事を遂行することのたとえ。
入木三分(にゅうぼくさんぶ)
筆勢が非常に強いこと。 または、物事を深くまで的確に追究すること。 「入木」は木に染み込むこと。 「三分」は長さのことで約七ミリのこと。 書家の王羲之は筆勢が強いことで知られていて、文字を記した木を削ってみると、三分の深さまで墨が染み込んでいたという故事から。 書道の別称「入木道(じゅぼくどう)」の語源。
人三化七(にんさんばけしち)
容姿が非常に不細工なこと。 特に女性に対して蔑んで言う言葉。 三割は人間に見えるが、残りの七割は化け物に見えるという意味から。
念仏三昧(ねんぶつざんまい)
一心に念仏を唱えて雑念を払い、心を統一すること。 「念仏」は仏を思い、南無阿弥陀仏の名号を唱えること。 「三昧」は他のことを考えることなく、集中して取り組むこと。
白衣三公(はくいのさんこう)
地位も権力も持たないものが出世して高官になること。 「白衣」は白い色の服のことで、官位にある人は、官位ごとの決まっている色の服を着たということから、官位のない人のこと。 「三公」は丞相、太尉、御史大夫という最高権力をもつ三つの官職のこと。 漢の公孫弘は、生まれは平民だったが、出世して丞相になったという故事から。 「白衣より天子の三公となる」を略した言葉。
風流三昧(ふうりゅうざんまい)
自然を親しんで、詩歌や書画などの高尚な遊びに夢中になること。 「風流」は上品で風情があること。 「三昧」はほかのことを忘れて熱中すること。
放蕩三昧(ほうとうざんまい)
思うまま好き勝手に振る舞うこと。 「放蕩」は好き勝手にすることや、酒や女遊びに溺れること。 「三昧」は一つのことに夢中になること。
北窓三友(ほくそうのさんゆう)
文人に必要といわれている、琴、詩、酒の三つの友のこと。
法華三昧(ほっけさんまい)
心を集中して法華経の奥義を極めること。 「三昧」は一つのことだけに心を集中して取り組むこと。
法華三昧(ほっけざんまい)
心を集中して法華経の奥義を極めること。 「三昧」は一つのことだけに心を集中して取り組むこと。
曼倩三冬(まんせんさんとう)
非常にすぐれた才能を持つ人は、あっという間に教養を身につけることができるということのたとえ。 「曼倩」は人の名前。 「三冬」は三度冬が訪れるということから、三年ということ。または、冬の間の三ヶ月のこと。 中国の前漢の曼倩は、十三歳のときに書を学び始めて、三年、または三ヶ月の期間で、文書を書けるようになり、史伝を読めるほどに上達したという故事から。
三日天下(みっかてんか)
地位や権力を手に入れてすぐに失うこと。 戦国時代、明智光秀が織田信長を討ち取り天下を奪ったが、すぐに豊臣秀吉に奪われた故事から。
三日天下(みっかでんか)
地位や権力を手に入れてすぐに失うこと。 戦国時代、明智光秀が織田信長を討ち取り天下を奪ったが、すぐに豊臣秀吉に奪われた故事から。
三日法度(みっかはっと)
短い期間しか守られない法律や規則のこと。 また、効き目の薄い薬などのこと。 「三日」は非常に短い期間のこと。 「法度」は規則や法律のこと。
三日坊主(みっかぼうず)
僧侶の修行をしても三日も続かないということから、飽きやすく長続きしないことやその人のこと。 「三日」は非常に短い期間のこと。
無二無三(むにむさん)
ただ一つだけで、ほかに代わりになるものがないこと。 または、一つのことにひたすら没頭すること。 もとは仏教語で、仏になるための道はただ一つで、二も無ければ三も無いという意味から。
無二無三(むにむざん)
ただ一つだけで、ほかに代わりになるものがないこと。 または、一つのことにひたすら没頭すること。 もとは仏教語で、仏になるための道はただ一つで、二も無ければ三も無いという意味から。
孟母三遷(もうぼさんせん)
子どもは周りの影響を受けやすいので、子どもの教育には環境を整えることが大事であるということ。 「孟母」は孟子の母親。 「三遷」は三度転居すること。 孟子の母親は、孟子への悪い影響を避けるため墓地の近くから市場の近くに引っ越し、さらに学校に近くに引っ越した。 その結果、孟子は勉学に励み偉大な儒者になったという故事から。
約法三章(やくほうさんしょう)
簡単な法や取り決めを作り、それを実施することを民衆と約束すること。 秦末期に関中を平定した劉邦が、県の長老に秦の法律を廃止して、人を殺したものは死刑、傷害と盗みは罰するとした三つの法の制定を約束した故事から。
瑜伽三密(ゆがさんみつ)
密教の修行。 「三密」は身密、口密、意密の三つの行のこと。 「瑜伽」は修行者の三密と仏の三密が、互いに交じり溶け合うこと。 「瑜伽三密」ともいう。
遊戯三昧(ゆげざんまい)
なにものにもとらわれることなく、仏の境地に遊ぶこと。 または、嫌なことでも、やることそのものを楽しむこと。 「遊戯」は仏教の言葉で、仏や菩薩、悟りを開いた修行者がなにものにもとらわれることなく、思いのままに振る舞うこと。 「三昧」は一つのことに夢中になること。
陽関三畳(ようかんさんじょう)
繰り返し別れを惜しむこと。 または、送別の詩として名高い陽関の曲の第四句を三度繰り返して歌うこと。 「畳」は繰り返すという意味。
六韜三略(りくとうさんりゃく)
中国古代の有名な兵法書「六韜」と「三略」のこと。 または、兵法の極意などのこと。 「六韜」は文・武・竜・虎・豹・犬の六巻があり、周の太公望呂尚の作とされている。 「三略」は上巻、中巻、下巻の三巻があり、前漢の黄石公の作とされている。 「韜」は剣袋や弓袋のこと、「略」は作戦や計略のこと。
竜華三会(りゅうげさんえ)
弥勒菩薩が竜華樹の下で行うとされている、三度の法会のこと。 釈迦の死後、五十六億七千万年後に弥勒菩薩が人間界に現れて、想像上の巨木である竜華樹の下で悟りを開いて仏になり、三度の説法を行って世の人々を救うとされている。
竜華三会(りゅうげさんね)
弥勒菩薩が竜華樹の下で行うとされている、三度の法会のこと。 釈迦の死後、五十六億七千万年後に弥勒菩薩が人間界に現れて、想像上の巨木である竜華樹の下で悟りを開いて仏になり、三度の説法を行って世の人々を救うとされている。
冷汗三斗(れいかんさんと)
冷や汗が三斗出るということから、きわめて恐ろしい思いをすることや恥ずかしい思いをすること。 「斗」は体積の単位。