「ん」を含む四字熟語
「ん」を含む四字熟語 — 4069 件
肝胆相照(かんたんそうしょう)
お互いに心の奥深くまで理解しあっていて、打ち解け合っている関係のたとえ。 「肝胆」は内臓の肝臓と胆嚢のことで、心の奥底のたとえ。 肝臓と胆嚢のように近くて深い関係ということから。 「肝胆(かんたん)相(あい)照らす」とも読む。
肝胆楚越(かんたんそえつ)
そっくりなものでも、見方によっては違うものに見えるということ。 または、非常に近い関係の者の交際が途絶えがちになることのたとえ。 「肝胆」は内臓の肝臓と胆嚢。 「楚」と「越」は中国の国の名前で、楚は長江の中流にあり、越は長江の下流にあった。 異なる物という観点から見れば、体の中で隣り合っている肝臓と胆嚢も、楚と越の国のように離れているように思えるという意味から。
邯鄲之歩(かんたんのほ)
他人の真似をしたがうまくいかず、自分自身の本来のものを忘れ、どちらもうまくいかなくなること。 「邯鄲」は中国の地名。 中国の戦国時代、燕の田舎の国の青年が趙の都会の邯鄲に行って、都会の人たちの歩き方を真似しようとしたが、それに失敗して今までの自分の歩き方を忘れて這って帰ったという故事から。
邯鄲之夢(かんたんのゆめ)
人の世界での繁栄は儚いということのたとえ。 または、人の人生が儚いことのたとえ。 「邯鄲」は中国の町の名前。 唐の盧生という人が、旅の途中の邯鄲の町で、道士から出世が叶うという枕を借りて寝ると、出世して財力や権力を手に入れる夢を見た。 目が覚めると、宿の主人に頼んでいた、粟のかゆが出来上がっていないほどのわずかな時間しか過ぎていなかったという故事から。
簡単明瞭(かんたんめいりょう)
単純ではっきりとしていること。 「明瞭」ははっきりとしていて分かりやすいこと。
寒煖饑飽(かんだんきほう)
普段の生活で感じる苦楽のこと。 寒さや暖かさ、空腹や満腹ということから。 「饑飽」は空腹と満腹のこと。 「寒暖饑飽」とも書く。
奸知術数(かんちじゅっすう)
悪い知恵や策略。悪だくみ。 「奸知」は邪悪な知恵。 「術数」は策略のこと。 「姦知術数」とも書く。
管中窺天(かんちゅうきてん)
見識が狭いことのたとえ。 細い管を覗いて天を見るという意味で、管を覗いて天を見ても、天の一部分しか見ることは出来ないということから。 「管中(かんちゅう)より天(てん)を窺(うかが)う」とも読む。
管中窺豹(かんちゅうきひょう)
見識が非常に狭いことのたとえ。 管を通して動物の豹を見ても、一つの斑文しか見ることが出来ず、全体はわからないという意味から。 「管中(かんちゅう)より豹(ひょう)を窺(うかが)う」とも読む。
管仲随馬(かんちゅうずいば)
聖人の知恵を借りること。 または、昔の人の経験を尊重することのたとえ。 「管仲」は中国の人の名前。 「随」は従うこと。 中国の春秋時代、名宰相といわれていた管仲は、戦いから帰るときに道に迷い、馬の知恵を借りようと馬を放ち、馬の後についていくと帰ることができたという故事から。 「管仲(かんちゅう)馬(うま)に随(したが)う」とも読む。
歓天喜地(かんてんきち)
思いっきり喜ぶこと。 「歓喜」と「天地」を合わせた言葉で、天に向かって喜び、地に向かって喜ぶという意味から。 「天(てん)に歓(よろこ)び地に喜ぶ」とも読む。
旱天慈雨(かんてんじう)
辛い状況の時に助けや援助を受けること。 または、待ち望んだものが手に入ったり、実現したりすること。 「旱天」は日照りが続いて旱魃になること。 旱魃で困っているときの恵の雨ということから。 「干天慈雨」とも書く。
撼天動地(かんてんどうち)
目を見張るほど活動が立派なこと。 または、音や声、勢いなどが大きいことのたとえ。 または、世の人々を驚かせる大きな出来事のたとえ。 「撼」は動かすという意味。 天地を揺り動かすという意味から。
甘棠之愛(かんとうのあい)
すぐれた為政者を人々が慕う気持ちが深いこと。 「甘棠」はからなし、りんごの木のこと。 中国の周の召公は、善政を行った立派な為政者として人々に慕われ、召公が木蔭で休んだりんごの木を大切にして、いつまでも召公を忘れなかったという故事から。
患得患失(かんとくかんしつ)
所持していない時は手に入れるために悩み、所持したあとには失わないために悩むということ。 「患」は悩むこと。 「得」は利益。 「失」は損失。 利益や損失に振り回される器の小さい人を言い表す言葉。 つまらない人間と共に仕事はできないと、孔子が言ったという言葉から。 「得(う)るを患(うれ)い失うを患(うれ)う」とも読む。
環堵蕭然(かんとしょうぜん)
狭く質素でみすぼらしい家の様子。 「環堵」は家を囲む垣根のこと。または小さく狭い家のこと。「堵」は長さの単位で、一説に約二・二メートルとされるが諸説ある。 「蕭然」は寂しい様子。
貫道之器(かんどうのき)
「文章」の別称。 文章は道を明らかにする器であることから。
艱難辛苦(かんなんしんく)
困難な状況に苦しみ悩むこと。 「艱」と「難」はどちらも苦しむことや悩むこと。 「辛苦」は苦しみ悩みのこと。 似た意味の言葉を重ねて強調したもの。 「辛苦艱難」ともいう。
艱難辛困(かんなんしんこん)
苦しみながら悩み苦労すること。 「艱」と「難」はどちらも苦しむことや悩むこと。 「辛困」は苦しみ悩みこと。 似た意味の言葉を重ねて強調した言葉で、人が生きる上で起こる、多くの辛い出来事に苦しみ悩むことをいう。
奸佞邪智(かんねいじゃち)
性格がひねくれていて、悪知恵がはたらくこと。 「奸佞」は心がひねくれていて悪賢く、人にこびへつらうこと。 「邪智」は悪いことにだけよく働く知恵。 「奸佞」は「姦佞」とも、「邪智」は「邪知」とも書く。 「邪智奸佞」ともいう。
肝脳塗地(かんのうとち)
戦場で無残な死に方をすることのたとえ。 または、忠義を尽くすためならどんな犠牲も惜しまないことのたとえ。 「肝脳」は内臓の肝臓と脳。 「塗地」は土でひどく汚れること。 死体の内臓が土で汚れるという意味から。
感応道交(かんのうどうこう)
仏の力が人々の信仰の心に応えて、仏と人々の心が通じ合うこと。 「感応」は仏と人々の心が通じ合うこと。 「感応(かんのう)の道(みち)交わる」とも読む。
汗馬之労(かんばのろう)
物事を成功させるために、苦労しながらあちこち駆け回ること。 「汗馬」は馬に汗をかかせるということから、戦場で功績を得るために駆け巡るということ。
銜尾相随(かんびそうずい)
一列に連なって、切れ目なく進む様子。 「銜尾」は後ろの馬が前の馬の尾を口にくわえること。 「相随」は前のものについていくこと。 狭く険しい山道などで、まるで前の馬の尾を後ろの馬が口にくわえるように、一列に連なって進むという意味から。 「銜尾(かんび)相随(あいしたが)う」とも読む。
勧百諷一(かんぴゃくふういつ)
役に立ったり利益になることがあまりなく、悪影響を与えたり損害になったりすることのほうが多いこと。 言葉や文章についていう言葉。 元は百の贅沢を勧めて、一の節約をするということを遠回しに諫(いさ)めた言葉。 「百(ひゃく)を勧(すす)めて一(いつ)を諷(ふう)す」とも読む。
間不容髪(かんふようはつ)
何か事が起きたときに、それに合わせた行動をすぐに行うこと。 髪の毛一本を入れる隙間もないという意味から。 「間、髪を容れず」という形で使うことが多い言葉。
韓文之疵(かんぶんのし)
主張や発言の辻褄が合わないこと。 「韓文」は中国の名文家の韓愈の書いた文章のこと。 「疵」はきずのこと。 「送孟東野序」の中で、韓愈が述べていることに矛盾があるということから。
感孚風動(かんぷふうどう)
人を感動させて感化すること。 「感孚」は人に感動を与えること。 「風動」は風に吹かれてなびくように、人を感化するということ。
感奮興起(かんぷんこうき)
物事に強く感動して奮い立つこと。 「感奮」は感動して奮い立つこと。 「興起」は気構えが奮い立つこと。
緩兵之計(かんへいのけい)
敵との決戦をわざと遅らせて、時間を稼いで機会をみて攻撃をする戦法のこと。 「緩」は遅らせるという意味。
完璧帰趙(かんぺききちょう)
預かった大切なものを傷一つつけずに返すこと。 「璧」は宝石のこと。 古代中国の戦国時代、和氏の璧という宝石を持っていた趙の恵文王は、秦の昭王から十五の城市と交換するように要求され、藺相如が和氏の璧を届けに行ったが、道中で交換ではなく奪うつもりだと気づき、一度秦の昭王に奪われた後に、上手く言いくるめて取り返して趙の国に持ち帰ったという故事から。 「璧を完うして趙に帰る」とも読み、「完璧」という言葉の語源とされている。
管鮑之交(かんぽうのまじわり)
お互いのことを理解しあっていて、利害を超えた親密な友情のこと。 「管」は管仲、「鮑」は鮑叔牙、どちらも古代中国の人の名前。 中国の春秋時代、斉の鮑叔牙と管仲は幼い頃からの親友で、二人は違う王子に仕え、王子の後継者争いで鮑叔牙が仕える桓公が勝った。 桓公は敵対した管仲を殺そうとしたが、鮑叔牙は臣下に迎えるように桓公を説得し、後に宰相となった管仲と、その補佐になった鮑叔牙の力によって斉は大きな国になった。 鮑叔牙の死後、管仲は墓前で、「私を生んだのは両親だが、私を理解しているのは鮑叔だった」と言い、互いに互いの厚意を感謝し、二人の関係はいつまでも変わらなかったという故事から。
干名采誉(かんめいさいよ)
名誉を求め続けること。 「干」は求めること。 「采」は取ること。 節操なく名誉を求め続ける人を蔑んで言う言葉。 「名(な)を干(もと)め誉(ほま)れを采(と)る」とも読む。
簡明扼要(かんめいやくよう)
分かりやすく、物事の大切な部分をしっかりと押さえていること。 「扼要」は戦略上で大切な場所を占拠するという意味から、要点を押さえること。 「簡明(かんめい)にして要(よう)を扼(おさ)う」とも読む。
歓楽哀情(かんらくあいじょう)
楽しい気持ちで満たされると、その後のことを考えてしまい、哀しい気持ちがわき上がってくるということ。 「歓楽」は遊びや飲酒、女遊びの楽しみ。 「哀情」は哀しい気持ち。 「歓楽極まりて哀情多し」を略した言葉。
冠履顛倒(かんりてんとう)
地位や立場などの順位が逆になっていること。 価値や秩序が乱れていることをいう。 「冠履」はかんむりと靴。 「顛倒」はひっくり返ること。 かんむりと靴が入れ替わるという意味から。 「冠履転倒」とも書く。
冠履倒易(かんりとうえき)
地位や立場などの順位が逆になっていること。 価値や秩序が乱れていることをいう。 「冠履」はかんむりと靴。 「倒易」は入れ替わること。 かんむりと靴が入れ替わるという意味から。
閑話休題(かんわきゅうだい)
それはさておき。ともかく。 本題からそれてしまった話を本題に戻すときに使う言葉。 主に文章中に用いられる言葉。 「閑話」は無駄な雑談のこと。 「休題」は話をやめること。 「間話休題」とも書く。
蓋棺事定(がいかんじてい)
その人の生前の評価はあてにならず、死後になってはじめて定まること。 「蓋棺」は遺体を入れる棺の蓋を閉めるということから、死ぬことをいう。 「棺(かん)を蓋(おお)いて事(こと)定まる」とも読む。
外寛内深(がいかんないしん)
見た目は大らかに見えるが、心は厳しく、無慈悲なこと。 「外寛」は見た目は寛大に見えること。 「内深」は心の中は無慈悲なこと。
蓋瓦級甎(がいがきゅうせん)
屋根を覆っている屋根瓦と階段に敷かれている敷き瓦のこと。 「蓋瓦」は屋根を覆っている屋根瓦。蓋は覆うという意味。 「級甎」は階段に敷かれている敷き瓦。級は階段、甎は敷き瓦。
外強中乾(がいきょうちゅうかん)
見た目は強そうだが、中身は空っぽで弱いこと。 「乾」は乾くという意味から、中に何もないこと。 「外彊中乾」とも書く。
睚眥之怨(がいさいのえん)
ほんの少しの怨みのこと。 「睚」と「眥」はどちらもにらむという意味で、にらまれたときに抱くわずかな怨みのことから。
街談巷語(がいだんこうご)
世間のうわさ話のこと。 「街談」と「巷語」はどちらもうわさ話のこと。 同じ意味の言葉を重ねて強調した語。
街談巷説(がいだんこうせつ)
世間で流れている何の根拠もない噂のこと。 「街談」と「巷説」はどちらも町中で出回っている噂話のことで、同じ意味の言葉を重ねて強調した言葉。
蓋天蓋地(がいてんがいち)
この世の全てに仏の教えが広まること。 「蓋」は覆うという意味で、仏法が天地全てを覆うという意味から。 「天を蓋(おお)い地を蓋(おお)う」とも読む。
凱風寒泉(がいふうかんせん)
親子の愛情が深いこと。 「凱風」は『詩経』にある詩の題名で、優しく吹く南風のことをいい、そこから母親の深い愛情にたとえた言葉。 「寒泉」は冷たい井戸水のこと。 井戸水ですら人の喉を潤すのに、子どもが七人いても、誰も母親を気遣わずに心配ばかりかけることを悔いる様子を言い表す言葉。
餓鬼偏執(がきへんしゅう)
他人への迷惑や他人の意見を考えず、自身の考えだけにとらわれること。 または、そのような人のこと。 「餓鬼」は生前に悪行を働いて、餓鬼道に落ちた亡者のことで、飢え苦しみ、食べ物をむさぼり続けるということから、強欲な人のたとえ。 「偏執」は偏った思考にとらわれること。
諤諤之臣(がくがくのしん)
相手に対して控えることなく、正しいと思うことをはっきりと言う人のこと。 「諤諤」は遠慮せずに思ったことをはっきり言うこと。
学如登山(がくじょとざん)
学問は山に登るように、高いところに登るほどに見識が広くなっていくということ。 「学は山に登るが如(ごと)し」とも読む。
臥薪嘗胆(がしんしょうたん)
目的を果たすために、苦難に耐えて機会を待つこと。 「臥薪」は固い薪(たきぎ)の上で寝ること。 「嘗胆」は苦い肝(きも)をなめること。 春秋時代、呉王の夫差は固い薪の上で寝ることで、父親の敵である越王の勾践への恨みを忘れないようにし、ついには会稽山の戦いで勝利した。 その一方で、会稽山の戦いで敗北した勾践は、寝室に苦い肝を置き目覚める度にそれをなめることで敗北の恥を思い返し、ついには夫差を滅ぼしたという故事から。
我心如秤(がしんじょしょう)
自分の心は均整の取れた秤のように公平であるということ。 「我が心は秤(はかり)の如(ごと)し」とも読む。 「吾心如秤」とも書く。
雅人深致(がじんしんち)
世俗を超越した高尚な人の持っている深い趣のこと。 「雅人」は風雅を理解できる才知のある人のこと。 「深致」は深い風情のある様子。
雅俗混淆(がぞくこんこう)
上品で趣があることと、下品で低俗なことが入り混じっていること。 または、洗練された言葉と普段使う言葉が入り混じっていること。 「雅俗」は雅なことと俗なこと。 「混淆」は入り混じること。 「雅俗混交」とも書く。
画蛇添足(がだてんそく)
余計なものをつけたすこと。 蛇に足を付け足した絵を描くという意味から。 中国の楚の国のとある家の使用人たちが、蛇の絵を最初に描いた人が酒を飲めるという賭けをした。 一番最初に書き終えた人は余裕があったために調子に乗り、蛇に足を付け足した絵を描くと蛇ではないと言われて酒を奪われたという故事から。 一般的に「蛇足」という形で使われることが多い言葉。 「蛇(へび)を画(えが)きて足を添う」とも読む。
合従連衡(がっしょうれんこう)
その時の利益と損害などの状況に合わせて、国や組織などが手を組んだり、離れたりすること。 「従」は縦という意味。「合従」は強大になった秦に対して、周辺の六カ国が縦(南北)に同盟を組んで対抗するという蘇秦の策略のこと。 「衡」は横という意味。「連衡」は合従の対抗策として秦の張儀が使った策略で、秦と組む利を説いて合従から抜けさせ、秦と各国が横(東西)に同盟を組むというもの。
我田引水(がでんいんすい)
他人のことを考えず、自分の利益のみのために行動したり、都合のよい理屈をこねたりすること。 自分の田だけに水を引き入れるという意味から。 「[[我(わ)が田(た)に水(みず)を引(ひ)く*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/1057.php]]」とも読む。
我不関焉(がふかんえん)
関心や興味を持っていないこと。 「焉」は「これに」などを表す指示語。 「我関せず焉(えん)」とも読む。
我慢強狂(がまんごうきょう)
他人の意見を絶対に受け入れないこと。 「我慢」は好き勝手に振る舞うこと。 「強狂」は頑固なこと。
我慢勝他(がまんしょうた)
他の人以上に自分の考えを押し通すこと。 または、自分は他の人よりもすぐれていると思い上がって見下すこと。 仏教の言葉で、「我慢」は七慢のうちの一つで、自負心が強いこと。 「勝他」は他の人よりもすぐれていると思うこと。
画竜点睛(がりょうてんせい)
物事の一番重要な部分のこと。 または、最後の仕上げに手を加える重要な部分のこと。 「画竜」は絵の竜。「点睛」は目を書くこと。 「画竜点睛を欠く」と用いれば、他の部分は良い出来だが最後の部分が物足りないという意味となる。 南朝梁の画家の張僧繇が、安楽寺の壁に竜の絵を描いたが、目を描くと絵から出て飛び去ってしまうといって目を描かなかった。その話を信用しなかった人たちが、無理やり目を描かせたところ本当に竜が飛び去ってしまったという故事から。 「竜(りょう)を画(えが)いて睛(ひとみ)を点(てん)ず」とも読む。
銜哀致誠(がんあいちせい)
悲しみと誠意を持って死者を弔うこと。 哀悼の気持ちを持って、真心を捧げるという意味から。 「哀を銜(ふく)み誠を致す」とも読む。
含飴弄孫(がんいろうそん)
年老いて仕事を止めた後の気楽な生活のこと。 飴を食べながら孫と遊ぶという意味から。 「飴(あめ)を含んで孫を弄(もてあそ)ぶ」とも読む。
含英咀華(がんえいしょか)
文章のよい部分をしっかりと味わって、それを理解して身に付けること。 「含」は口に含むこと。 「英」と「華」はどちらも花のこと。 「咀」はよく味わうこと。 すぐれた文章を花にたとえた言葉で、花を口に含んで味わうという意味から。 「英(えい)を含み華(か)を咀(くら)う」とも読む。
顔回箪瓢(がんかいたんぴょう)
質素な食事のたとえ。 「箪」は竹でできた容器、わりご。 「瓢」は瓢箪でできた容器、ひさご。 わりご一杯の飯とひさご一杯の汁物だけの食事ということから。 孔子の弟子の顔回が、貧しい生活をしながらも勉学に励むのを孔子がほめた言葉から。
頷下之珠(がんかのしゅ)
手に入れるのが難しく、非常に貴重なもののたとえ。 「頷下」は顎の下。 「珠」は宝石。 黒い竜の顎の下にあるとされている宝石のことで、命をかけなければ取ることができない宝石ということから。
含牙戴角(がんがたいかく)
獣のこと。 口に牙があって、頭に角がある生き物という意味から。 「牙を含み角を戴(いただ)く」とも読む。
顔筋柳骨(がんきんりゅうこつ)
中国の唐の時代の楷書の四大書家の二人である、顔真卿と柳公権の筆法の重要な部分。 または、それらを習得していること。 「筋」は筋肉、「骨」は骨格のことで、書道のこつや骨組みのたとえ。または、力強いことのたとえ。
頑固一徹(がんこいってつ)
自分の考えや態度をかたくなに変えようとせずに最後まで押し通すこと。または、そのような性格のこと。 「頑固」と「一徹」はどちらも考えや態度を変えずに貫き通すという意味。似ている意味の言葉を重ねて強調した言葉。
眼光炯炯(がんこうけいけい)
目が鋭く光る様子。 「眼光」は目の光。または、物事の本質を見抜く能力のこと。 「炯炯」は鋭く輝くこと。 物事の真実を見抜いているような、人を圧倒する目をいう。
眼光紙背(がんこうしはい)
読解力が極めて優れていることのたとえ。 「眼光」は眼の光のこと。転じて、物事を見通す力。 「紙背」は文章などが書かれた紙の裏のこと。 眼の光が鋭く、紙の裏まで貫くという意味から。 「眼光紙背に徹す」を略した言葉。
眼高手低(がんこうしゅてい)
目標は高いが実力が足りないこと。または、批評するのは上手いが、実際に自分で行う能力がないこと。 「眼高」は価値や本質など見抜く能力が高いこと。 「手低」は実力や技術力が低いこと。
顔厚忸怩(がんこうじくじ)
恥ずかしいと深く感じること。 「顔厚」は厚かましいこと。 「忸怩」は自分の行いを恥ずかしいと感じること。 どれだけ厚かましい人でも恥かしいと感じるという意味から。 「顔厚にして忸怩たる有り」を略した言葉。
含垢忍辱(がんこうにんじょく)
辱めに耐えること。 「含垢」と「忍辱」はどちらも辱めに耐えること。 「垢を含み辱めを忍ぶ」とも読む。
紈袴子弟(がんこしてい)
高価な衣服を身に着けた貴族の子弟。 「紈袴」は白い練絹の袴のことで、昔の中国の貴族の子どもが着ていたもの。 「子弟」は地位や身分の高い家の子ども。
翫歳愒日(がんさいかいじつ)
無為に日々を過ごすこと。 「翫」と「愒」はどちらも貪(むさぼ)るという意味。 人々を治める者が行ってはならないことを述べたもの。 「歳を翫(むさぼ)り日を愒(むさぼ)る」とも訓読する。
岸芷汀蘭(がんしていらん)
水辺で花が香しく咲き乱れ、草木が生い茂っている様子。 「岸」は水辺の岸になっているところ。 「汀」は水辺の低くなっているところ。 「芷」はセリ科の植物のヨロイグサのこと。 「蘭」はキク科の植物のフジバカマのこと。
含沙射影(がんしゃせきえい)
陰険な方法で人を害すること。 「含沙」は水の中にいる虫のいさごむしのこと。 いさごむしが人の影に砂を吐くと、影に砂をかけられた人は高熱が出て死んでしまうとされていることから。 「含沙(がんしゃ)影を射る」とも読む。
含笑入地(がんしょうにゅうち)
悔いを残さず、心穏やかに死ぬこと。 「入地」は遺体を土の中に埋めること。 中国の後漢の韓韶が贏県を治めていたときに、難民に食べ物を与えたところ、戸主に非難されたが、韓韶は困っている人を助けて罰せられるのなら笑顔で死ねると言ったという故事から。 「笑いを含んで地に入る」とも読む。
顔常山舌(がんじょうざんのした)
辛い処罰を受けても、君主や国への忠義を貫き通すこと。 「顔常山」は顔杲卿という人物のこと。 中国唐の顔杲卿は、反乱軍の安禄山に捕らえられても、唐への忠義を曲げず、安禄山を罵倒したため舌を切られるという処罰を受けたが、それでもなお罵倒を続けたという故事から。