「も」を含む四字熟語
「も」を含む四字熟語 — 267 件
跛鼈千里(はべつもせんり)
努力を続ければ、能力が劣っていても成功するということのたとえ。 「鼈」はすっぽんのこと。 足の悪いすっぽんでも、歩き続ければ千里の距離を移動することもできるということから。
反躬自問(はんきゅうじもん)
自分で自分のことを反省すること。 「反躬」は自分で自分のことを振り返って考えること。 「自問」は自分で自分に尋ねること。
煩悶憂苦(はんもんゆうく)
思い悩んで、苦しんでもだえること。 「煩悶」は苦しみ悩むこと。 「憂苦」は心配して苦しむこと。
班門弄斧(はんもんろうふ)
その分野で最もすぐれている人に、自慢げに技術を見せ付けること。 「班」は人の名前で、公輸盤のこと。 中国の春秋時代、名大工の公輸盤の家の門の前で斧を振るって見せるという意味から。 「班門(はんもん)に斧(おの)を弄(もてあそ)ぶ」とも読む。
莫逆之友(ばくぎゃくのとも)
互いに争うことがなく、気心の知れた友人。親友。 「莫」は否定を意味する助字で、「莫逆」は逆らうことがないという意味。
漠漠濛濛(ばくばくもうもう)
はっきりと見えず、ぼんやりとしている様子。 「漠」は薄暗い様子。 「濛」は雨やもやなどで薄暗く、ぼんやりしていること。
馬痩毛長(ばそうもうちょう)
貧しいと生きるだけで手一杯で、気力がなくなるということ。 馬が栄養を取ることができずに痩せて、毛だけが長くなるということから。 「馬(うま)痩(や)せて毛(け)長し」とも読む。
被害妄想(ひがいもうそう)
主に精神疾患にみられる症状で、特に根拠もないのに、他者から危害を受けていると思い込むこと。 「妄想」は間違ったことを根拠もなく信じること。
悲喜交交(ひきこもごも)
悲しみと喜びの感情が交ざり合うこと。 または、それを交互に味わうこと。
飛耳長目(ひじちょうもく)
すぐれた情報収集能力があり、深い観察力と鋭い判断力を備えていること。 「飛耳」は遠くの音までよく聞くことができる耳のこと。 「長目」は遠くまで見通せる目のこと。 「長目飛耳」ともいう。
比目同行(ひもくどうこう)
二人が親密で離れないことのたとえ。 「比目」は目を並べること。 「同行」は共に歩くこと。 中国の伝説上の比目魚は、目が一つしかないために、二匹並ばないと泳ぐことができないということから。
表敬訪問(ひょうけいほうもん)
敬う気持ちを示すために人を訪ねること。 「表敬」は敬う気持ちを示すこと。
眉目温厚(びもくおんこう)
温厚な容姿のこと。 「眉目」は眉と目のことで、容姿のたとえ。 「温厚」は落ち着いていて暖かいこと。 優しく、落ち着いていて温かな容姿をいう。
眉目秀麗(びもくしゅうれい)
顔立ちが美しく整っている様子。 主に男性に対して使う言葉。 「眉目」は眉と目のことから、顔立ちという意味。 「秀麗」は他よりも優れていて、美しく整っている様子。
眉目清秀(びもくせいしゅう)
顔のつくりが美しく整っている様子。 主に男性に対して使う言葉。 「眉目」は眉と目のことで、顔のつくりという意味。 「清秀」は他よりも優れていて、美しく整っている様子。
風櫛雨沐(ふうしつうもく)
様々な苦労をすることのたとえ。 「風櫛」は髪を風でとかすこと。 「雨沐」は雨で体を洗うこと。 雨や風にもめげずに苦労しながら働くということから。
風前之灯(ふうぜんのともしび)
人の命や物事が非常に危険な状況にあることのたとえ。 風が吹き付けていていつ消えてもおかしくない灯火という意味から。
不時之需(ふじのもとめ)
突然発生した必要や需要のこと。 思いがけない時の要求という意味から。
不時之須(ふじのもとめ)
突然発生した必要や需要のこと。 思いがけない時の要求という意味から。
婦女童蒙(ふじょどうもう)
女性と子供のこと。 「婦女」は女性のこと。 「童蒙」は幼くて物の道理がわからない人ということから、こどものこと。
敷天之下(ふてんのもと)
世界中。 「敷天」は空の隅々までということ。 空を隅々まで覆うという意味から。 「敷天」は「普天」とも、「薄天」とも書く。
不聞不問(ふぶんふもん)
興味を示さない態度のこと。 「不聞」は聞こうとしない態度。 「不問」は質問しようとしない態度。 「聞かず問わず」とも読む。
不平煩悶(ふへいはんもん)
様々な不満や悩み、苦しみのこと。 「不平」は思うとおりにならずに、不満に思うこと。 「煩悶」は悩みや苦しみのこと。
不毛之地(ふもうのち)
作物が育たない、ひどく痩せた土地。 または、見るべきよい結果や、発見が何もないこと。 「毛」は地面から生える草木や穀物のこと。
不立文字(ふりゅうもんじ)
経典に書かれている教義や教条だけではなく、体験によって伝えることが最も大切であるということ。 禅宗の言葉で、悟りの道は言葉や文字ではなく心で伝わるものだという教えから。 「文字(もんじ)を立てず」とも読む。
蜂準長目(ほうせつちょうもく)
賢く、抜け目無い人の容貌。または、思いやりがなく陰湿な人の容貌。 「蜂準」は蜂のように高く鋭い鼻筋。 蜂のように鋭く高い鼻筋と、細く長い目という意味から。
蜂目豺声(ほうもくさいせい)
冷酷で残忍な性質の人のこと。 「豺」は気性の荒い、狼に似た山犬のこと。 蜂のように細い目と山犬のような気味の悪い声という意味から。
北門之嘆(ほくもんのたん)
仕官した先の主人が愚かな人物で、重要な地位につくことができずに嘆くこと。 「北門」は『詩経」の詩の編名。 中国の東晋の李充が家計のために、地位の低い地方官になったときに言ったとされる言葉から。 「北門之歎」とも書く。
本家本元(ほんけほんもと)
正しい系統や血筋の大本のこと。 「本家」と「本元」はどちらも一番の大本という意味で、似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。
本来面目(ほんらいのめんもく)
人が本来もっている、人としての心の本質のこと。 「本来」は初めからの状態のこと。 「面目」は姿形、容姿のこと。 禅宗の言葉。
望聞問切(ぼうぶんもんせつ)
東洋医学で最も重要な四つの診療方法。 「望診」、「聞診」、「問診」、「切診」の四つを略した言葉。 「望診」は目で見て観察すること。 「聞診」は耳で聞くこと。 「問診」は患者に言葉で尋ねること。 「切診」は指でさすって調べること。
忘憂之物(ぼうゆうのもの)
酒の別称。 不安を忘れることができるものという意味から。
墨翟之守(ぼくてきのまもり)
意思を固く守り、決して曲げないこと。または、敵の攻撃から城を固く守ること。 「墨翟」は古代中国の思想家の墨子(ぼくし)の別称。 中国の墨子と公輸盤(こうしゅはん)が木の板などを使って城や兵器に見立てた机上戦を行ったとき、墨子が公輸盤の攻撃をことごとく防いだという故事から。
真一文字(まいちもんじ)
「一」の字のようにまっすぐなこと。 一直線であることや、わき目も振らないこと。
麻中之蓬(まちゅうのよもぎ)
悪いものもよい環境の中では、よいほうに正されるということ。 普通は曲がりくねって育つことの多い蓬も、まっすぐ育つ麻の中で育てるとまっすぐに育つという意味。
万目睚眥(まんもくがいさい)
たくさんの人ににらまれること。 「万目」は多くの人の目という意味から、大勢の人のこと。 「睚眥」はにらむこと。
満目荒涼(まんもくこうりょう)
見渡すかぎり全てが荒廃している様子。 「満目」は視認できる距離全て。 「荒涼」は荒れて寂れていること。
満目蕭条(まんもくしょうじょう)
見渡すかぎり全てがひっそりとしていて寂しい様子。 「満目」は視認できる距離全て。 「蕭条」は静かで寂しい様子。
満目蕭然(まんもくしょうぜん)
目で見える全てが物寂しい様子。 「満目」は見ることができる全て。見渡す限り。 「蕭然」はどことなく寂しい様子。
名聞利養(みょうもんりよう)
名声と財産を得ようとする欲のこと。 「名聞」は世間の評判、「利養」は身を削り財欲を満たすこと。
無学文盲(むがくもんもう)
知識がなく、文字を読むことさえできないこと。 または、その人のこと。
無知蒙昧(むちもうまい)
知恵や学問がないために物事の道理を理解することが出来ず、愚かなこと。 「無知」は知恵や学問がなく、愚かなこと。 「蒙昧」は物事の道理を理解できないこと。 「無智蒙昧」とも書く。
無知文盲(むちもんもう)
知識や知恵がなく、文字が読めないこと。または、そのような人のこと。 「文盲」は文字を読むことができないこと。または、学問のないこと。 「無智文盲」とも書く。
無妄之福(むもうのふく)
考えてもいなかった幸運が突然訪れること。 「無妄」は予期していなかったことが突然起こること。 「無」は「无」、「毋」とも書く。
迷者不問(めいしゃふもん)
わからないことがあれば積極的に尋ねるべきだという戒め。 無知な人は道に迷っても、人に道を尋ねることをせず、さらに迷うことになるという意味。
明目張胆(めいもくちょうたん)
大事な任務などの時の心構えのことで、勇気を振り絞って恐れずに向かっていくこと。 「明目」はしっかりと見ること。 「張胆」は恐れることなく思い切って立ち向かうこと。
瞑目沈思(めいもくちんし)
目を瞑って深く考えること。 「瞑目」は目を瞑ること。 「沈思」は落ち着いてしっかりと考えること。
面目一新(めんもくいっしん)
見た目や内容を新しく変えること。 または、世間からの評判が一気によくなること。 「面目」は周囲から見た評価や外側からの見たようすのこと。 「一新」は全てが新しいものに変わること。
面目全非(めんもくぜんひ)
顔立ちが全く別のものに変わること。 「面目」は外に現れている様子という意味から、顔立ちのこと。 「全非」は完全に違っていること。 「面目(めんぼく)全く非なり」とも読む。
面目躍如(めんもくやくじょ)
世間の期待通りの活躍をして、いきいきとしている様子。 または、結果を出して、世間の評判がよくなること。 「面目」は周囲から見た評価や外側からの見た様子。 「躍如」は勢いがあり、生気に溢れる様子。
盲亀浮木(もうきふぼく)
非常に出会うことが難しいこと。または非常に珍しいこと。 「盲亀」は盲目の亀、「浮木」は流木のこと。 大海に住む盲目の亀が、百年に一度海面に浮かんでくる時に、小さな穴の開いた海を漂う流木の中に首を入れるという寓話(ぐうわ)から。
罔極之恩(もうきょくのおん)
両親から受けた報いきれないほどの恩のこと。 「罔極」は限りがないという意味。 報いることが出来ないほどの限りない恩という意味から。
毛挙細故(もうきょさいこ)
非常に小さな事柄をわざわざ取り上げること。 「毛挙」は毛の先のように小さな事柄をわざわざ論じ合うこと。 「細故」は小さく些細な事柄。 「細故(さいこ)を毛挙(もうきょ)す」とも読む。
妄言多謝(もうげんたしゃ)
独断と偏見でいい加減な言葉を並べ立てた後に、相手にわびる言葉。 手紙などで自分の意見などを包み隠さずに記した手紙の末尾に記して、失礼をわびる言葉。
妄言妄聴(もうげんもうちょう)
根拠のない、いい加減なことを言ったり、相手の話を真面目に聞かないこと。 「妄言」は根拠のないでたらめな発言。 「妄聴」はいい加減に話を聞くこと。 話をする人も話を聞く人も、どちらもいい加減な様子をいう言葉。
孟光荊釵(もうこうけいさい)
中国の後漢の梁鴻が妻を選んだという故事のこと。 「孟光」は人の名前で、梁鴻の妻。 「荊釵」はいばらでできたかんざしのことで、質素な装飾品のたとえ。 梁鴻は妻を選ぶ時に美しい女性ではなく、容姿の醜い孟光を選んだ。 孟光は嫁ぐ時に美しく着飾ったが梁鴻は相手にせず、孟光は理由を尋ねると、共に隠遁する人を探していたと答えた。 思い違いをしていた孟光はそのことを詫びて、それまでの質素な服装にいばらのかんざしをつけたところ、梁鴻は喜んで孟光を迎え入れたという故事から。
毛骨悚然(もうこつしょうぜん)
激しい恐怖を感じて震え上がること。 「悚然」は恐怖で立ち竦むこと。 髪の毛から骨の中まで恐怖を感じるという意味から。
猛虎伏草(もうこふくそう)
英雄は隠れていても必ず世に現れるという意味。 虎は草原に伏して身を隠そうとしても、隠すことは出来ないということから。
妄想之縄(もうぞうのなわ)
自分の身を苦しめる心の迷いのこと。 仏教語で、みだらな考えや心の迷いを身体を縛るための縄にたとえたもの。
妄誕無稽(もうたんむけい)
根拠がなにもなく、でたらめなこと。 「無稽」は考えるべき根拠がまるでないこと。
妄談臆解(もうだんおくげ)
本人だけの勝手ででたらめな解釈や考え方のこと。 「妄談」は根拠のない適当な主張、「臆解」は本人だけの勝手な解釈のこと。 仏教で修行していない人の仏道の間違った解釈のことをいう仏教語。
孟仲叔季(もうちゅうしゅくき)
兄弟姉妹の長幼の順序を表す言葉。 長子を「孟」、次子を「仲」、三子を「叔」、四子を「季」という。 兄弟が三人の場合は「孟仲季」という。
妄評多罪(もうひょうたざい)
他人の文章を批評したあとに、末尾に付記する言葉で、見当外れで無遠慮な批評をわびるという意味。
孟母三遷(もうぼさんせん)
子どもは周りの影響を受けやすいので、子どもの教育には環境を整えることが大事であるということ。 「孟母」は孟子の母親。 「三遷」は三度転居すること。 孟子の母親は、孟子への悪い影響を避けるため墓地の近くから市場の近くに引っ越し、さらに学校に近くに引っ越した。 その結果、孟子は勉学に励み偉大な儒者になったという故事から。
孟母断機(もうぼだんき)
物事を途中でやめてしまったり、諦めてしまってはいけないという戒めの言葉。おもに学問のことを指す。 「孟母」は孟子の母親のこと。 「断機」は織りかけている機の糸を途中で切ること。 孟子が学問を投げ出そうとしたときに、孟子の母親は織り途中の機の糸を切断して「学問を途中でやめることは、この織物と同じようなものだ」と言って戒めたという故事から。
網目不失(もうもくふしつ)
法が細かいところまで厳しく抜け道がないこと。 「網目」は法の網の目のこと。 法の網の目に穴がないという意味から。
網目不疎(もうもくふそ)
法が細かいところまで厳しく定められていて抜け道がないこと。 「網目」は法の網の目のこと。 「疎」はあらいや大雑把ということ。 法の網の目があらくないという意味の言葉。
孟浪咄嗟(もうろうとっさ)
いい加減な処置をとること。 「孟浪」はいい加減で大雑把なこと。 「咄嗟」は急なこと。 対処を考えずに、適当にその場で済ませることをいう。
木牛流馬(もくぎゅうりゅうば)
敵を騙すための食料を運ぶための道具。 「木牛」は牛の形をした車。 「流馬」は馬の形をした車。 中国の三国時代、蜀の諸葛亮が作ったとされている。
沐猴而冠(もくこうじかん)
見た目は立派だが中身は愚かで卑しいことのたとえ。または、度量が狭く、愚かな人物が相応しくない地位についていることのたとえ。 「沐猴」は猿、「而冠」は冠を身に付けることから、猿が冠を被ること。 ある者が楚の項羽のことを「楚の国の人は猿が冠を被った猿だという噂を聞いたがその通りだ」と蔭口(かげぐち)を言ったという故事から。
目指気使(もくしきし)
言葉を使うことなく目配せや顔つきだけで目下の者を酷使すること。 前漢の貢禹が「卑しい行いをしている者の家が富み栄えていると、目下の者を目配せや顔つきだけでこき使い、それをすぐれたことだとしている」と元帝に上奏したという故事から。
目食耳視(もくしょくじし)
衣食の本質を忘れて、見た目の贅沢さだけを求めること。 「目食」は味を気にせずに見た目が豪華なものを食べること。 「耳視」は評判を気にして、たとえ似合わなくても高価な衣服を選ぶこと。 「耳視目食」ともいう。
目挑心招(もくちょうしんしょう)
遊女が客を流し目で誘惑する様子のこと。 「目挑」は流し目で誘うこと、「心招」は心の中で誘い招くこと。
目迷五色(もくめいごしき)
豊かな彩りに目を奪われ、実態が見えないこと。 「五色」は人が作った文明や、文化などの視覚的産物のこと。 華やかで美しい見掛けに惑わされて、物事の本質を見失う人をあざ笑う言葉。 「目(め)五色(ごしき)に迷う」とも読む。
沐浴抒溷(もくよくじょこん)
神仏へのお祈りや神聖な儀式の前に飲食や行動を慎み、水で髪や体を洗い心身を清めること。 「沐浴」は水で髪や体などを洗って身を清めること。 「抒溷」はけがれを取り除くこと。
百舌勘定(もずかんじょう)
支払いをするときに口先でうまくごまかして、他人にお金を払わせて自分は支払わないこと。 または自分が得するようにすること。 百舌と鳩(はと)と鴫(しぎ)が十五文の買い物をしたとき、百舌は鳩と鴫をうまくごまかして、鳩に八文、鴫に七文を支払わせて自分は一文も支払わなくていいようにしたという昔話から。
木刻郅都(もっこくのしっと)
中国の漢の時代の匈奴(きょうど)は、弓矢の的として漢の雁門(がんもん)の長官である郅都(しっと)の木像を作って設置したが、恐ろしさのために誰も命中させることができなかったという故事。 「郅都」は国境である雁門を治める長官で、厳しく責めて容赦なく処罰することから鷹(たか)に例えて青鷹(そうよう)と呼ばれ恐れられた人物。
物我一体(もつがいったい)
仏教語で他の人と自分が一つになり、他者も自分もない境地のこと。
物臭道心(ものぐさどうしん)
働いて生活をすることを嫌って僧侶になること。または、そのような僧侶のこと。 「物臭」は面倒がること。または、そのような人のこと。 「道心」は仏教を信仰する心。または、仏教を信仰している人のこと。 仏道の修行をするために僧侶になるのではなく、働きたくないので僧侶になるという気持ちで僧侶になることをいう。
物見遊山(ものみゆさん)
気軽な気分で見物や遊びに行くこと。 「物見」は見物すること。 「遊山」は景勝地などに遊びに行くこと。