「き」を含む四字熟語
「き」を含む四字熟語 — 1448 件
積善余慶(せきぜんのよけい)
善い行いを何度も行った家は、子孫にもその恩恵があるということ。 「積善」は善い行いを積み重ねること。 「余慶」は子孫にも幸福が及ぶこと。 「積善の家には必ず余慶あり」を略した言葉。
刺草之臣(せきそうのしん)
普通の人々のこと。 「刺草」は草を刈り取ること。 普通の人が、君主に自身のことを謙っていう言葉。 草を刈り取るだけの卑しい者という意味から。
尺沢之鯢(せきたくのげい)
経験が少なく、知識が狭いこと。 または、そのような人のこと。 「尺沢」は小さな池。 「鯢」は山椒魚のこと。 小さな池に住む山椒魚は、その池の中のことしか知らないということから。
尺短寸長(せきたんすんちょう)
どんな人にも長所と短所は必ずあるということ。 「尺」と「寸」はどちらも長さを表す単位。 場合によっては一尺でも短いと感じることもあり、一寸でも長いと思うことがあるという意味から。 「尺も短き所有り、寸も長き所有り」を略した言葉。
積土成山(せきどせいざん)
努力を積み重ねれば、いつか大きなことを成し遂げることができるということ。 少しの土を積んでいけば、いつか山になるという意味から。 「積土(せきど)山を成す」とも、「土を積んで山を成す」とも読む。
責任転嫁(せきにんてんか)
自分が負わなければならない義務や償いを他人に負わせること。 または、自分が失敗したことを人のせいにすること。 「転嫁」は二度目の嫁入りという意味から、他の場所へ移すということ。
石破天驚(せきはてんきょう)
非常に斬新ですぐれている詩文や音楽のこと。 石が破れて、天が驚くほどに素晴らしいという意味から。 「石(いし)破れて天(てん)驚く」とも読む。
赤貧如洗(せきひんじょせん)
ひどく貧しいこと。 「赤」は何もないこと。 水で洗い流した後のように何もないということから。 「赤貧洗うが如し」という形で使うことが多い言葉。
尺幅千里(せきふくせんり)
大きさの小さい絵に広大な風景を描くこと。 詩や絵画などに奥深い世界が描かれていることをいう。 「尺幅」は四方が大きさが一尺あること。 「千里」は非常に遠い距離があること。
尺布斗粟(せきふとぞく)
兄弟の仲が悪いこと。 「斗粟」の「斗」は容量の単位。 一斗の粟のことから、少しの食べ物のたとえ。 「尺布」の「尺」は長さの単位。 一尺の布のことから、少しの衣服のたとえ。 中国の漢の淮南王と文帝は腹違いの兄弟だったが、文帝はおごり昂って法に背く行いを多くしたために、淮南王に王位を奪われ流罪にされた。 その道中で文帝は悶え苦しみ、食を断って死んだ。 人々はそのことについて「一尺の布でも一斗の粟でも、分け合えば互いの寒さと飢えをしのげるのに、何故仲良くできなかったのか」と歌ったという故事から。 「尺布斗粟」ともいう。
尺璧非宝(せきへきひほう)
時間は非常に大切なものであるということのたとえ。 「尺璧」は直径が一尺ほどある宝石。 一尺の直径がある宝石も時間に比べると大した宝物ではないという意味から。 「尺璧(せきへき)宝(たから)に非ず」とも読む。
隻履西帰(せきりせいき)
死んだはずの達磨大師が、片方の草履を手に持って天竺に帰ったという故事のこと。 「隻」は一対のうちの片方のもの。 達磨大師の死後三年たったときに、求法の旅に出ていた宋雲が西から帰る途中で片方の草履を持った達磨大師を見かけた。 その後、達磨大師の棺を開けてみると、片方の草履がなくなっていたという故事から。 「隻履(せきり)西(にし)に帰る」とも読む。
截趾適履(せっしてきり)
どうでもいいことに気を取られて、大切なことを忘れること。 または、大切なことと、どうでもいいことを取り違えて、無理に折り合いをつけること。 「截趾」は足のつま先を削ること。 「適履」は履物の大きさが合うこと。 小さな靴を履くために、自分の足を削って大きさを合わせるという意味から。
殺生禁断(せっしょうきんだん)
生き物を捕ったり、殺したりすることを禁止すること。 仏教の言葉で、慈悲の心から、鳥や魚、獣などを捕ったり、殺したりすることを禁止するもの。十悪の一つとされる。
截髪易酒(せっぱつえきしゅ)
やせ細るほどに努力して来客を接待することのたとえ。 または、誠意を持って客を接待することのたとえ。 「截」は断ち切ること。 中国の晋の陶侃は、貧しかったために、友人をもてなすために、自身の髪を切って売り、酒や食べ物を買ってもてなしたという故事から。 「髪を截(き)りて酒に易(か)う」とも読む。
切問近思(せつもんきんし)
理解が難しいことを、身近な問題として取り上げて、真剣に考えること。 「切問」は理解できていないことを問うこと。 「近思」は身近なこととして考えること。 「切(せつ)に問いて近く思う」とも読む。
千客万来(せんきゃくばんらい)
たくさんの客が、途絶えることなく次々に来ること。 「千」と「万」は数が多いことのたとえ。 来客が多い様子や繁盛している店の様子をいう言葉。
遷喬之望(せんきょうのぼう)
出世したいと強く思う心のこと。 「遷喬」は高い木へ移動すること。 鳥は冬から春になると、深い谷間から高い位置の木へ、住み処を移動するということを出世にたとえた言葉。
千荊万棘(せんけいばんきょく)
多数の困難が待ち受けていること。 「千」や「万」は数が非常に多いことのたとえ。 「荊」と「棘」はいばらのことで、とげがある植物を言い表す言葉。 進む予定の道に数え切れないほどのいばらがあるという意味から。
千古不易(せんこふえき)
永遠に変わらないこと。 「千古」は大昔、または、遠い昔から現在まで長い時間のこと。 「不易」は変わらないという意味。
千古不朽(せんこふきゅう)
いつまでも価値を保ち続けること。 「千古」はこの上なく遠い過去。昔。または、昔から現在までの長い時間。 「不朽」は失われることなく、後の世まで残ること。
仙才鬼才(せんさいきさい)
普通の人と比べ、抜きん出ているすぐれた才能のこと。 「仙才」は仙人の術を習得した才能。 「鬼才」は人並み外れた、ずば抜けた才能。 中国の唐の詩人の李白は仙才、李賀は鬼才と言われていたという故事から。
潜在意識(せんざいいしき)
自覚していない、心の奥の深い部分に隠れている意識。 「潜在」は表に表れずに、奥深くに存在していること。
浅識非才(せんしきひさい)
自分のことを謙遜していう言葉で、学問や知識が浅く、才能や能力が乏しいこと。 「浅識」は修練が足りないために、学問や知識が浅いこと。 「非才」の「非」は「菲」とも書き、野菜のかぶらのことをいい、薄いや劣ったなどの意味から、「非才(菲才)」は才能がないことのたとえ。
千乗万騎(せんじょうばんき)
膨大な量の車と騎馬のこと。 または、規模が大きく、堂々とした行列のこと。 「千」と「万」は数が非常に多いことのたとえ。 「乗」は兵車を数える単位で、一つの兵車には兵が百人がついたとされている。 「騎」は騎馬のこと。 権力者、特に天子の行列のことをいう。
先制攻撃(せんせいこうげき)
相手の攻撃よりも先に攻撃すること。 「先制」は物事が起こる直前。または、事を起こそうとしている直前のこと。
泉石煙霞(せんせきえんか)
人里から離れて、自然の中で生活したいという願いが極めて強いこと。 「泉石」は泉水と石ということから、自然の景色や、自然そのもののこと。 「煙霞」は煙と霞。 自然の中で生活したいという気持ちが、煙や霞がかかっているように、すっきりとしないという意味から。
泉石膏肓(せんせきこうこう)
人里から離れて、自然の中で生活したいという願いが極めて強いこと。 「泉石」は泉水と石ということから、自然の景色や、自然そのもののこと。 「膏肓」は心臓の下の部分と、横隔膜の上の部分のことで、病気になると治療のための鍼も薬も届かないために、治すことが出来ないとされている。 自然の中で生活したいという気持ちが、治せない病気のようになるということから。
戦戦兢兢(せんせんきょうきょう)
恐れを感じて震える様子。 「戦戦」は恐怖で震えること。 「兢兢」は恐れて慎んだ態度をとること。 「戦々兢々」「戦戦恐恐」「戦々恐々」とも書く。
扇枕温衾(せんちんおんきん)
両親を大切にすること。 夏は親の枕元で、扇で扇いで涼しくして、冬は自分の体温で親の布団を温めて、親が過ごしやすいようにするということから。 「枕を扇(あお)ぎ衾(ふすま)を温(あたた)む」とも読む。
専売特許(せんばいとっきょ)
発明者や企業に対して、それを独占して使うことのできる権利を国が与えること。 または、他の人には真似できない、その人にだけができることのたとえ。 「専売」は特定のものを独占して販売すること。 「特許」は独占する権利を認めること。 元は、「特許」の旧称。
穿壁引光(せんぺきいんこう)
貧しい生活をしながら勉学に励むこと。苦学のたとえ。 壁に穴を開けて隣の家の光を盗み、盗んだ光で勉強をするということから。 前漢にいた匡衡は貧しく、灯火の油を買うことができず、壁に穴を開け、隣家の明かりを盗んで勉学に励んだという故事から。 「壁を穿(うが)ちて光を引く」とも読む。
千里一曲(せんりいっきょく)
すぐれた人物にも過ちはあるということ。 または、その過ちをとりたてて批判する必要はないということ。 または、行動が自由でつまらない節操にこだわらないことのたとえ。 中国の黄河は千里の距離に一度進路を変えるということから。
賤斂貴出(せんれんきしゅつ)
価格が安いときに暴落を防ぐために買って保存しておき、価格が高くなったときに、高騰しすぎないように保存しておいたものを売って物価の安定を図る政策のこと。 昔の中国が行った政策。 「賤」は安価。 「斂」は集めること。 「貴」は高価。 「賎(せん)に斂(おさ)め貴に出(いだ)す」とも読む。
賤斂貴発(せんれんきはつ)
価格が安いときに暴落を防ぐために買って保存しておき、価格が高くなったときに、高騰しすぎないように保存しておいたものを売って物価の安定を図る政策のこと。 「賤」は安価。 「斂」は集めること。 「貴」は高価。 「発」は出すこと。 「賤(せん)に斂(おさ)め貴(き)に発す」とも読む。
噬指棄薪(ぜいしきしん)
母と子の気持ちがお互いに通じることのたとえ。 「噬指」は指を噛む。 「棄薪」は薪(たきぎ)を捨てるという意味。 後漢の蔡順が薪を採りに行っている間に来客があって、母が困って自分の指を噛むと、その気持ちが通じ、蔡順が薪を捨てて帰ってきたという故事から。
絶巧棄利(ぜっこうきり)
人によって作られた便利な機械を捨てて、自然の生活に戻ること。 「絶巧」は人の力で技巧を凝らした道具を捨てること。 「棄利」は人の力で便利に作られた道具を捨てること。 「巧(こう)を絶ち利(り)を棄(す)つ」とも読む。
是非曲直(ぜひきょくちょく)
物事の善悪のこと。 「是非」は正しいことと、間違っていること。 「曲直」は曲がっていることと、まっすぐなこと。 「曲直是非」ともいう。
前倨後恭(ぜんきょこうきょう)
調子にのって横暴な態度をとっていたが、急に態度を変えて、相手にへつらうようになること。 「倨」は偉そうな態度をとること。 「恭」は礼儀正しく丁寧なこと。 中国の戦国時代の遊説家の蘇秦は、諸国を放浪して貧しくなって故郷に帰ると、家族は偉そうに馬鹿にした態度をとった。 蘇秦は、その後に六国の宰相になって故郷に帰ると、家族は腰を低くして丁寧に迎え、媚びへつらったという故事から。 「前(さき)には倨(おご)りて後(のち)には恭(うやうや)し」とも読む。
全生全帰(ぜんせいぜんき)
親からもらった体を傷つけずに、人生を全うすることが本当の親孝行であるという教え。 「全」は欠けていない完全な状態。 体を欠けることなく、全て返すという意味から。 曾子門人の楽正子春は、足に軽い怪我を負ったことを、孔子の親孝行の教えに背いたとして嘆いたという故事から。
漸入佳境(ぜんにゅうかきょう)
話や状況が次第に興味深いところに入っていくこと。 「漸入」は深いところに少しずつ入っていくこと。 「佳境」は一番面白く興味深いこと。 中国の晋の画家の顧ガイ之は、好物のサトウキビを食べるときにおいしくないところから食べていたが、その理由を聞かれると、「漸く佳境に入る」と答えたという故事から。 「漸(ようや)く佳境(かきょう)に入(い)る」とも読む。
全力投球(ぜんりょくとうきゅう)
持っている全ての力を出して物事に取り組むこと。 野球の投手が全ての力を出し尽くして投球するという意味から。
草間求活(そうかんきゅうかつ)
やむを得ず、田舎で生き延びること。 「草間」は草深い土地ということから田舎のこと。
操奇計贏(そうきけいえい)
都合のよい機会を利用して利益をむさぼること。 珍しくて価値の高いもの集めて、それを売って利益を出すことをいう。 「奇」は珍しいものや立派なもののこと。 「奇を操(と)りて贏(えい)を計る」とも読む。
痩骨窮骸(そうこつきゅうがい)
老いて衰えた体のこと。 「痩骨」と「窮骸」はどちらも細くなって衰弱した体のこと。
蚤寝晏起(そうしんあんき)
夜は早い時間に寝て、朝は遅い時間まで寝ていること。 赤子や幼児の様子をいう。 「蚤」は早い時間、「晏」は遅い時間という意味。 「蚤(はや)く寝(い)ね晏(おそ)く起(お)く」とも読む。
騒人墨客(そうじんぼっきゃく)
詩や書画を創作する風流な人のこと。 「騒人」は”離騒”の作者である楚の詩人の屈原、または屈原から学んだ者たちのこと。転じて、詩人という意味。 「墨客」はすぐれた詩や書画を創作する人。
漱石枕流(そうせきちんりゅう)
自身の失敗や負けを認めようとしないこと。 または、何かにつけて言い訳ばかりすること。 西晋の孫楚が「石に枕し流れに漱ぐ」という言葉を「石に漱ぎ流れに枕す」と言い間違えた。 友人に間違いを指摘されると「石で歯を磨いて、流れで耳を洗うのだ」と無理な主張をして間違いを認めなかったという故事から。 夏目漱石の雅号「漱石」はこの故事が由来。 「枕流漱石」ともいう。
桑田碧海(そうでんへきかい)
世の中の移り変わりが激しいことのたとえ。 「滄海」は大海のこと。 「桑田」は桑畑のこと。 大海だった所が桑畑になるような変化が起こるとの意から。 「滄海変じて桑田と為る」を略した言葉。 「桑田滄海」「桑海之変」「滄桑之変」「桑田碧海」「滄桑之変」などともいう。
操刀傷錦(そうとうしょうきん)
十分に習熟していない人に、重要な任務を任せることはできないということのたとえ。 または、政治に詳しくない人が政務を行うと確実に失敗するということのたとえ。 十分に習熟していない人が、刀で錦を切ろうとすると、失敗して錦を傷つけることになるということから。 「刀を操(と)りて錦(にしき)を傷つく」とも読む。
草茅危言(そうぼうきげん)
国民が国政を厳しく批判する声のこと。 「草茅」は草むらのことで、一般の人たちのこと。 「危言」は正しいことをありのままに言うこと。
聡明剛毅(そうめいごうき)
理性と知恵を備え、心が強く、どんな困難にも屈しないこと。 「聡明」は、物事の本質を深く洞察し、賢明な判断ができること。 「剛毅」は、意志が強いこと、また自己の信念を貫くこと。
蒼蠅驥尾(そうようきび)
普通の人でも賢者の指示に従って行動すれば、功績をあげることが出来るということ。 「蒼蠅」は青ばえ。 「驥」は駿馬のことで、一日で千里もの距離を走ることが出来るとされるすぐれた馬のこと。 駿馬の尾に止まれば、青ばえも千里を移動することが出来るという意味から。 「青蠅驥尾に付す」を略した言葉で、謙遜する表現として、「驥尾に付す」との形で用いることもある言葉。
総量規制(そうりょうきせい)
上限を定めて、それを超えるような取引や使用などを防ぐ政策のこと。 融資の上限を定めて過度の上昇を抑制したり、工場からの汚染物質の排出量の上限を決めて、環境を保護したりするもの。
足音跫然(そくおんきょうぜん)
人の足音が響く様子。 または、予想もしていなかった来訪や便りがあることのたとえ。 「跫然」は足音が響き渡る様子。 人里離れた荒れ果てた場所で道に迷うと、人の足音が聞こえるだけでも喜ぶという意味から。
束皙竹簡(そくせきちくかん)
昔の資料を解読した故事のこと。 「束皙」は中国の晋の時代の人の名前。 「竹簡」は竹に文字を記したもので、紙が発明される前に使われていたもの。 古代の王の墓から掘り出され、誰にも読むことのできなかった文字を束皙が解読したという故事のこと。
則天去私(そくてんきょし)
私心を捨てて、自然に身を任せて生きること。 「則天」は自然の法則に逆らわないこと。 「去私」は私心を無くすこと。 夏目漱石が晩年に理想として目指した境地や、文学観をいう。 「天(てん)に則り私(わたくし)を去る」とも読む。
束帛加璧(そくはくかへき)
最もよいとされる礼物のこと。 「束帛」は十反の絹の布。 「璧」は宝石のこと。 十反の絹の布の上に宝石をのせたもののことで、古代中国では最高級の礼物とされていたということから。
率先躬行(そっせんきゅうこう)
人よりも先に、自ら進んで物事を行うこと。 「率先」は他人よりも先に物事を行うこと。 「躬行」は自らが進んで物事を行うこと。
祖逖之誓(そてきのせい)
命をかけた決意のこと。 目的を果たすまでは、絶対に帰らないという誓い。 「祖逖」は中国の東晋の将軍の名前。 異民族を討伐に行くときに、戦果を上げなければ二度と帰らないと誓ったという故事から。
粗鹵狭隘(そろきょうあい)
見識や学問が雑で狭いこと。 「粗鹵」は作りが雑で役に立たないこと。 「狭隘」は狭いという意味。 「疎鹵狭隘」とも、「麁鹵狭隘」とも書く。
孫楚漱石(そんそそうせき)
自身の失敗や負けを認めようとしないこと。 または、何かにつけて言い訳ばかりすること。 西晋の孫楚が「石に枕し流れに漱ぐ」と言おうとして、「石に漱ぎ流れに枕す」と言い間違え、それを指摘されると、「石で歯を磨いて、流れで耳を洗う」と言い、間違いを認めなかったという故事から。 文豪の夏目漱石の雅号「漱石」は、この故事が由来。
大安吉日(たいあんきちじつ)
物事を行うのに最も縁起がよいとされる日。 「大安」は陰陽道の六輝の一つ。
太液芙蓉(たいえきのふよう)
美人の顔のたとえ。 「太液」は漢代には未央宮の北にあった池の名前のこと。 「芙蓉」は蓮の花のこと。
大寒索裘(たいかんさくきゅう)
準備や対策を前もってせずに、何かが起きてから慌てること。 「索」は求める、「裘」は皮の上着のことで、寒くなってから皮の上着を求めるという意味から。
大器小用(たいきしょうよう)
優れた才能がある人にくだらない雑務をさせること。 または、そのような人をうまく使いこなせていないこと。 「大器」は優れた才能を持つ人を大きな器にたとえたもの。 「小用」は小さなことに用いること。 大きな器を小さなことに使用するという意味で、使い方が適切ではないことのたとえ。
対機説法(たいきせっぽう)
相手の事情や、能力に合わせて説法を変えること。 「機」は教えを受ける人の才能や能力のこと。 「機に対して法を説く」とも読む。
大器晩成(たいきばんせい)
偉大な人は大成するのが遅く、歳をとってから頭角を現すようになるということ。 また、才能があるにもかかわらず報われていない人を同情するときに用いる言葉。 「大器」は大きい器のことから優れた才能を持つ人のこと。 「晩成」は普通より遅れて形になること。 大きな器は出来上がるまでに時間がかかるという意味から。
耐久之朋(たいきゅうのとも)
長く変わることのない友情で結ばれた友人のこと。 「耐久」は長い月日が経過しても変化しないという意味。 「朋」は親しい相手、友人という意味。
大驚失色(たいきょうしっしょく)
非常に激しく驚き恐れて、血の気が引いて青ざめること。 「大驚」はとても激しく驚くこと。 「失色」は顔色を失うということから青ざめるという意味。
堆金積玉(たいきんせきぎょく)
巨万の富を集めること。 「堆」と「積」は積み上げること。 「金」と「玉」は金や宝石などのこと。 金や宝石などの財宝を積み上げるという意味から。
大衾長枕(たいきんちょうちん)
同じ布団で寝るほどに兄弟や夫婦が仲睦まじいことのたとえ。 「衾」は夜着や掛け布団のこと。 元は夫婦仲がよいという意味の言葉であったが、玄宗皇帝が、息子兄弟が仲良く寝られるように大きな布団と長い枕を作らせた故事から、兄弟の仲がよいこともいうようにもなった。
対牛弾琴(たいぎゅうだんきん)
苦労しても何も効果がなく無駄なこと。 または、愚かな人に立派な道理を説いて聞かせること。 牛に琴を弾いて聞かせても意味がないことから。
体元居正(たいげんきょせい)
善や徳を身につけて、常に正しい立場に身を置くこと。 「体」は身につけることや実際に行うこと。 「元」は善や正しいこと。 「居正」は正しい立場に身を置くこと。 「元(げん)を体(たい)して正に居(お)る」とも読む。
泰山之安(たいざんのやすき)
その山のようにどっしりと安定していて変わらないこと。 「泰山」は中国の山の名前。 「太山之安」とも書く。
大道不器(たいどうふき)
聖人が行う偉大な道は、普遍的で大きな働きをもつということ。 「大道」は聖人が行う偉大な道。 「器」は物を入れることしか使い道のない器のこと。 器のように一つの用途でしか使えないものとは異なり、聖人の行う道は様々な作用を発揮するという意味から。
戴封積薪(たいほうせきしん)
中国の後漢の戴封が、雨が降るように祈りをささげたが雨は降らず、積み重ねた薪の上に座り自分を燃やして生贄にしようとしたところ大雨が降り始めたという故事。 「戴封」は人の名前。 「積薪」は薪を積み重ねるという意味。
対驢撫琴(たいろぶきん)
愚かな人物に物の道理を説いても理解できないので意味はないということ。 「驢」は動物のろば。 「撫」は奏でるという意味。 ろばに琴を弾いて聞かせるという意味から。 「驢(ろ)に対して琴(こと)を撫(ぶ)す」とも読む。
多岐多端(たきたたん)
たくさんの出来事があり、複雑で落ち着かないこと。 または、出来事や仕事が多すぎて忙しいこと。 「多岐」は多方面に分かれていること。 「多端」は出来事や仕事がたくさんあること。
多岐多様(たきたよう)
様々な方向に分かれていて、いろいろなものがあること。 「多岐」は多方面に分かれていること。 「多様」はいろいろなものがあること。