「如」を含む四字熟語一覧
如を含む四字熟語の一覧です。
五十音順に表示しています。
愛財如命(あいざいじょめい)
財産を命と同等に扱って大切にすること。 または、命よりも財産を大切にすること。 「愛財(あいざい)、命(めい)の如(ごと)し」とも、「財を愛すること命(めい)の如(ごと)し」とも読む。
安如泰山(あんじょたいざん)
物事が安定していて揺るがないこと。 「泰山」は中国にある山の名前。 泰山のように安定しているということから。 「安(やす)きこと泰山(たいざん)の如(ごと)し」とも読む。
意気自如(いきじじょ)
心の持ち方がいつも通りで平静な様子。 「意気」は気力や気概、「自如」は動じない様子。
易如反掌(いじょはんしょう)
物事を簡単に成し遂げることができること。 手の平を返す程度の難易度ということから。 「易(やす)きこと掌(たなごころ)を反すが如(ごと)し」とも読む。
華如桃李(かじょとうり)
女性の容姿が非常に美しい様子。 桃やスモモの花のように鮮やかで美しい様子ということから。 「華」は花のことで、華やかな様子のたとえ。 「桃」は淡い紅色の花、「李」は濃い紅色や白色の花をいうもので、どちらも華やかな様子のたとえ。また、どちらも多くの実をつけるということから豊穣の象徴とされている。 容姿の優れた男女が結婚する時の様子を詩にした言葉。 「華(はな)やかなること桃李(とうり)の如(ごと)し」とも読む。
観者如堵(かんじゃじょと)
多くの見物人が集まっている様子。 「堵」は土を固めて作った塀。 見物人が多く、塀のように見えるという意味から。 「観(み)る者堵(と)の如(ごと)し」とも、「観(み)る者堵(かき)の如(ごと)し」とも読む。
鼾声如雷(かんせいじょらい)
いびきの音がすさまじく大きいこと。 「鼾声」はいびきの音。 雷のように大きな音のいびきということから。 「鼾声(かんせい)雷の如(ごと)し」とも読む。
学如登山(がくじょとざん)
学問は山に登るように、高いところに登るほどに見識が広くなっていくということ。 「学は山に登るが如(ごと)し」とも読む。
吾心如秤(がしんじょしょう)
自分の心は均整の取れた秤のように公平であるということ。 「我が心は秤(はかり)の如(ごと)し」とも読む。 「吾心如秤」とも書く。
我心如秤(がしんじょしょう)
自分の心は均整の取れた秤のように公平であるということ。 「我が心は秤(はかり)の如(ごと)し」とも読む。 「吾心如秤」とも書く。
危如朝露(きじょちょうろ)
この上なく危険な状態のこと。 日光に当たった朝露があっという間に消えてしまうような危険な状態のことから。 「危(あやう)きこと朝露(ちょうろ)の如(ごと)し」とも読む。
吉祥如意(きっしょうにょい)
多くの幸運が思いのままに訪れるようにと願う言葉。 「如意」は自分の思うままになること。
泣血漣如(きゅうけつれんじょ)
深い悲しみで涙が流れ続けること。 「泣血」は涙が出なくなり、血の涙を流すこと。 「漣」は涙が流れること、「如」は様子や状態を表す助字。
綺羅如星(きらじょせい)
派手で美しい様子。 「綺羅」はあや絹とうす絹のことから、美しい絹織物やそれを身にまとった高貴な人のこと。 美しい着物を着た立派な人々が多く連なり並んでいる様子を、空一面の星空にたとえたもの。 「綺羅(きら)星(ほし)の如(ごと)し」とも読む。 「綺羅星」はこの言葉からできた言葉。
形影一如(けいえいいちにょ)
仲が良い夫婦のこと。 または、心の善悪が行動に出ること。 体と影は離すことが出来ないように深く結びついた関係ということから。
言固如是(げんこにょぜ)
長い時間が経ち、間違って伝えられた経典を正しい文章へと戻すこと。 「言(げん)固(もと)より是(かく)の如(ごと)し」とも読む。 中国の清の時代の考証学者である阮元が、弟子である王引之の書物を賞賛した言葉から。
光陰如箭(こういんじょぜん)
月日が過ぎるのは速いということ。 「光陰」は太陽と月、昼や夜や月日などの時間のこと。 「箭」は弓矢の矢のこと。 時間は矢のように過ぎ去ってしまうという意味。 「光陰(こういん)箭(や)の如(ごと)し」とも読む。
巧言如流(こうげんじょりゅう)
心のこもっていない上辺だけの言葉を流れるように話すこと。 「巧言(こうげん)流(なが)るるが如(ごと)し」とも読む。
後如脱兎(こうじょだっと)
逃げ出す兎のような素早さで攻撃すること。または、相手が油断したところで実力を発揮すること。 「脱兎」は兎の習性の一つで、逃げる直前に一度相手に跳びはねることをいう。 「後(のち)は脱兎(だっと)の如(ごと)し」とも読む。 この言葉の前に「始めは処女の如(ごと)し」という言葉があり、孫子の兵法の一つ。
口如匾担(こうじょへんたん)
何も喋らないこと。未熟であることを理解していて答えを返せない様子をいう。 「匾担」は荷物を担ぐための棒のことで、その棒がしなっている様子が、への字に閉じた口に似ていることから。 「口(くち)匾担(へんたん)の如(ごと)し」とも読む。
交淡如水(こうたんじょすい)
水のようにさっぱりとした人との付き合いのこと。 徳のある人物の人付き合いをいう言葉で、徳のある人物の人付き合いは淡白に見えるが、心のこもったものであるという意味から。 「交わりは淡きこと水の如し」を略した言葉。
殺人如麻(さつじんじょま)
多数の人を殺害すること。 麻を刈り取るように殺害するということから。 「人(ひと)を殺すこと麻(あさ)の如(ごと)し」とも読む。
歯如瓠犀(しじょこさい)
歯が白色で綺麗にそろっていて美しいこと。 「瓠犀」はひさご(ヒョウタン・ユウガオ・トウガンなどの総称)の種のこと。白く美しく並んだ美人の歯のたとえ。 「歯(は)は瓠犀(こさい)の如(ごと)し」とも読む。
視生如死(しせいじょし)
生も死も同じように受け止め、全く変わることのない態度をとること。 生と死に対する執着がなく、そのどちらにも囚われない心の状態をいう。 「生(せい)を視(み)ること死(し)の如(ごと)し」とも読む。
至誠如神(しせいじょしん)
真心を尽くす人には、様々な事柄に配慮し、あらゆることを見抜く洞察力が備わるということ。 この上ない誠実さは、万物に通じる神のようであるということから。 「至誠(しせい)は神(かみ)の如(ごと)し」とも読む。
視民如子(しみんじょし)
君主が民を慈愛すること。 まるで自分の子どもを見るかのように、民を見るということから。 「民(たみ)を視(み)る子(こ)の如(ごと)し」とも読む。
視民如傷(しみんじょしょう)
君主が人々を慈愛すること。 まるで怪我をしている人を見るかのように、民を見るということから。 「民を視(み)ること傷(きずつ)くが如(ごと)し」とも読む。
車如流水(しゃじょりゅうすい)
交通量が多いことのたとえ。 川を流れる水のように、車が絶え間なく行き交うことから。 「車(くるま)、流水(りゅうすい)の如(ごと)し」とも読む。
終始如一(しゅうしじょいつ)
最初から最後まで一貫していること。 「終始(しゅうし)、一(いつ)の如(ごと)し」とも読む。
終夜如歳(しゅうやじょさい)
秋の夜の時間は一年が経過したかのように長く感じられるということ。 「終夜(しゅうや)歳(とし)の如(ごと)し」とも読む。
相如四壁(しょうじょしへき)
貧しいことのたとえ。 「相如」は人の名前。 中国の司馬相如は、若い頃貧しい生活をしていて、部屋の中には家具等が何もなく、四方は壁だけしかなかったという故事から。
心急如火(しんきゅうじょか)
極度に焦って落ち着かない心の状態を表す言葉。 火がついてしまった時のように焦ることから。 「心急(しんきゅう)火(ひ)の如(ごと)し」とも、「心(こころ)急(きゅう)なること火(ひ)の如(ごと)し」とも読む。
心口如一(しんこうじょいつ)
内心と発言が同じであること。裏表のない様子。 心と口が一つであるという意味から。 「心口(しんこう)一(いつ)の如(ごと)し」とも読む。
慎終如始(しんしゅうじょし)
物事を最後の段階になっても、初めの段階で持っていた慎重さを維持し、気を緩めないようにすること。 失敗を防ぐための重要な心構え。 「終(お)わりを慎(つつし)むこと始(はじ)めの如(ごと)し」とも読む。
心身一如(しんしんいちにょ)
肉体と精神は一つのものの両面であり、分けることはできないということ。 「一如」は一体であること。 「心身一如」とも書く。
身心一如(しんしんいちにょ)
肉体と精神は一つのものの両面であり、分けることはできないということ。 「一如」は一体であること。 「心身一如」とも書く。
心如鉄石(しんじょてっせき)
人の忠誠心が非常に強いことのたとえ。 心が鉄や石のように堅く揺るがないとの意から。 「心(こころ)、鉄石(てっせき)の如(ごと)し」とも読む。
心如涌泉(しんじょようせん)
知略やアイデアが絶えず湧き出ることのたとえ。 心が水の湧き出る泉のように絶えず新しいものを生むとの意から。 「心(こころ)、涌泉(ようせん)の如(ごと)し」とも読む。
身心一如(しんじんいちにょ)
肉体と精神は一つのものの両面であり、分けることはできないということ。 「一如」は一体であること。 「心身一如」とも書く。
心身一如(しんじんいちにょ)
肉体と精神は一つのものの両面であり、分けることはできないということ。 「一如」は一体であること。 「心身一如」とも書く。
心乱如麻(しんらんじょま)
心が取り乱されて、どうすればよいかわからない様子。 心が、絡まった麻糸のように複雑で解けない状態にあるとの意から。 「心乱(しんらん)麻(あさ)の如(ごと)し」とも、「心(こころ)乱(みだ)るること麻(あさ)の如(ごと)し」とも読む。
事死如生(じしじょしょう)
亡くなった人に対して、生きている時と同じように丁寧に仕えること。 最上の孝行の様子をいう。 「死に事(つかう)ること生(い)けるが如し」とも読む。
如暗得灯(じょあんとくとう)
迷いのある人間が仏道に入門すること。 真っ暗な場所で先を照らす明かりを得ることから。 仏教の言葉。 「暗(あん)に灯(とう)を得(う)る如(ごと)し」とも読む。
如影従形(じょえいじゅうけい)
非常に深い関わりがあること。 影の形はそのものの形に従うことから。 「影(かげ)の形(かたち)に従(したが)うが如(ごと)し」とも読む。
如火如荼(じょかじょと)
軍隊の勢い、または情熱や意気込みが非常に盛んな様子のたとえ。 「荼」はイネ科のちがやの穂。白い色をしている。 燃え上がる火の赤さと、生い茂るちがやの白さを用いて、盛んな勢いを表した言葉。 「火(ひ)の如(ごと)し荼(と)の如(ごと)し」とも読む。
如蛾赴火(じょがふか)
自分から進んで危険を冒すこと。 蛾が明かりに引かれて火に飛び込むことから。 「蛾(が)の火(ひ)に赴(おもむ)くが如(ごと)し」とも読む。
如飢如渇(じょきじょかつ)
欲求がこの上なく強いこと。 空腹で喉が渇いているときに食べ物や飲み物を欲しがることから。 「飢(う)うるが如(ごと)し渇(かわ)くが如(ごと)し」とも読む。
如左右手(じょさゆうしゅ)
その人にとって頼りとなる存在。または、お互いに協力して助け合う様子。 「左右(さゆう)の手(て)の如(ごと)し」とも読む。
如坐針氈(じょざしんせん)
極度の不安や緊張から落ち着かない様子。 針が敷き詰められた敷物の上に座っているようであるとの意から。 「氈」は動物の毛を加工して作られた敷物。 「針氈(しんせん)に坐(ざ)するが如(ごと)し」とも読む。
如指諸掌(じょししょしょう)
極めて簡単で理解しやすいこと。 手のひらに乗せたものを指で示すほど容易との意から。 孔子が禘(てい)という祭りについて説明を求められた際、自分の手のひらを指しながら、禘について説明できる人なら天下についても簡単に説明できるだろう、と述べたという故事から。 「諸(これ)を掌(たなごころ)に指(さ)すが如(ごと)し」とも読む。
如出一轍(じょしゅついってつ)
意見や行動が似ていること。 「轍」は車の車輪の跡。 同じ轍から出てきたようであるとの意から。 「一轍(いってつ)より出(いづ)るが如(ごと)し」とも読む。
如夢初醒(じょむしょせい)
以前の誤りや気力のない状態に気づき、改善や修正をしようとすること。 ようやく夢から覚めたという意味から、新たな自覚や理解に至ったことを表す言葉。 「夢(ゆめ)初(はじ)めて醒(さ)めるが如(ごと)し」とも読む。
如狼如虎(じょろうじょこ)
勇気があって強い様子。 「狼(ろう)の如(ごと)く虎(とら)の如(ごと)く」とも読む。
人心如面(じんしんじょめん)
人々の心は、顔のように個々に異なるということ。 心も容姿も人それぞれであり、一概に判断できないという意味から。 「人心(じんしん)は面(めん)の如(ごと)し」とも読む。
人生如夢(じんせいじょむ)
人の一生が儚いことのたとえ。 人の一生は夢のように消えてしまいやすいということから。 「人生(じんせい)夢の如(ごと)し」とも読む。
赤貧如洗(せきひんじょせん)
ひどく貧しいこと。 「赤」は何もないこと。 水で洗い流した後のように何もないということから。 「赤貧洗うが如し」という形で使うことが多い言葉。
大智如愚(だいちじょぐ)
すぐれて賢い人は、一目見たくらいでは愚かな人に見えるということ。 本当の賢者は知識や才能を見せびらかさないということから。 「大智(だいち)は愚(ぐ)の如し」とも読む。
天保九如(てんぽうきゅうじょ)
長生きすることを願う言葉。 「天保」は『詩経』の「小雅」の中にある篇の名前で、天子の長寿と平安を祈る詩。 「九如」は「天保」の中で「如」の文字が九つ使われているということ。
如意宝珠(にょいほうじゅ)
望みをかなえるとされている宝玉のこと。 「如意」は思ったことがその通りになること。 「宝珠」は宝玉のこと。 仏や仏の教えの象徴とされている。
如是我聞(にょぜがもん)
仏教で経文の冒頭に記される定型の言葉。 「私はこのようにお聞きしました」という意味。
如法暗夜(にょほうあんや)
明かりの一切無い本当の暗闇のこと。 「如法」は本当に、文字通りという意味。 「暗夜」は月の出ない真っ暗な夜のこと。
凡聖一如(ぼんしょういちにょ)
賢者も普通の人も本質的には同じであり、誰にでも仏になる可能性があるということ。 「一如」は同じものであるということ。 仏教の言葉で、煩悩を払った聖人と、煩悩に迷っている人は別のものではあるが、人としての本質は同じものであるという意味から。
迷悟一如(めいごいちにょ)
仏教では、迷いも悟りも仏になる本性をもつという観点からどちらも同一のものであるということ。
面目躍如(めんぼくやくじょ)
世間の期待通りの活躍をして、いきいきとしている様子。 または、結果を出して、世間の評判がよくなること。 「面目」は周囲から見た評価や外側からの見た様子。 「躍如」は勢いがあり、生気に溢れる様子。
面目躍如(めんもくやくじょ)
世間の期待通りの活躍をして、いきいきとしている様子。 または、結果を出して、世間の評判がよくなること。 「面目」は周囲から見た評価や外側からの見た様子。 「躍如」は勢いがあり、生気に溢れる様子。
和如琴瑟(わじょきんしつ)
夫婦の仲がよいこと。 「瑟」は大型の琴。 琴と瑟は合奏するとよく調和することから、夫婦仲のよさを琴と瑟の調和にたとえた言葉。