「ん」で終わる四字熟語
「ん」で終わる四字熟語 — 1320 件
易地皆然(えきちかいぜん)
人は地位や立場などが異なるので考えや行動に違いがあるが、立場をかえてみれば皆同じことを考えたり行ったりする。 考えや行動は地位や立場によって左右されるものであるということ。 「地(ち)を易(か)うれば皆(みな)然(しか)り」とも読む。
回向発願(えこうほつがん)
自分の積んだ徳を他者にも振り向けて、自他ともに極楽往生できるように願うこと。 「回向」は自分の積んだ徳を他の人に振り向けること。 「発願」は願いがかなうように強く念じること。
回伏之難(えふくのなん)
避けることができない困難をいう仏教の言葉。
烟雲過眼(えんうんかがん)
必要以上に物事に執着しないこと。 または、欲がなく、物事にこだわらないことのたとえ。 「烟雲」は煙と雲。または、霞(かすみ)と雲のこと。 「過眼」は目の前を通過すること。 煙、霞、雲などは目の前で留まることがなく、通り過ぎていくという意味から。 「煙雲過眼」とも書く。
煙炎漲天(えんえんちょうてん)
火の勢いが激しい様子。 空を覆うように煙と炎が広がっていることから。 「煙炎、天に漲(みなぎ)る」とも読む。
婉曲迂遠(えんきょくうえん)
直接的に言わないために回りくどいこと。 「婉曲」は遠まわしに言うこと。 「迂遠」は遠まわしで煩わしい、回りくどいこと。
円頓止観(えんどんしかん)
人格を完成した完璧な悟りの境地をいう言葉。 すべての物事を完全に備えていて、雑念がなく、直ちに悟りに到る境地のこと。 すべての存在がそのまま真実の理法にかなうことを正しく観察すること。 主に仏教の天台宗で「漸次止観」、「不定止観」と合わせて、「三種止観」と呼ばれる言葉。
偃武修文(えんぶしゅうぶん)
世が平和で穏やかなこと。 「偃武」は戦を止めて武具を片付けること。 「修文」は学問を修めること。 争いがなく学問に努める事ができるという意味から。 「武を偃(ふ)せて文を修(おさ)む」とも読む。
閻浮檀金(えんぶだごん)
質の良い金のこと。 「閻浮」は仏教で須弥山のまわりにある四大陸の一つで、南にある大陸の閻浮提のこと。 「檀」は川。 閻浮提の大木の下にある金塊のことや、その近くにある川の砂金ということから。
円木警枕(えんぼくけいちん)
苦労しながらも力を尽くして勉学に励むこと。 「円木」は丸太。 「警枕」は深く寝入ることを防ぐための枕。 枕を転がりやすい丸太にすることで、深く眠り込むと目が覚めるようにして、寝る間を惜しんで勉学に励むという意味から。 中国の宋の司馬光が丸太を枕にして勉学に励んだという故事から。
衍曼流爛(えんまんりゅうらん)
悪人が多く世の中全体に蔓延ること。 「衍曼」はどこまでも広がる様子。 「流爛」は離れ離れになること。 「衍漫流爛」とも書く。
桜花爛漫(おうからんまん)
桜の花が開き、鮮やかに咲き乱れている様子。
枉駕来臨(おうがらいりん)
訪問を歓迎する敬語表現。 「枉駕」は進路を変えてわざわざ立ち寄ること。 「来臨」は来客があることの敬語表現。 ”わざわざお越しいただきまして”という意味。
王公大人(おうこうたいじん)
身分や階級などが高い人。
往古来今(おうこらいこん)
昔から今になるまで、またはその時間の流れ。 「往古」は過ぎ去った時のこと、 「来今」は今から後のこと。
王述忿狷(おうじゅつふんけん)
中国の晋の時代の王述は、ひどく怒りやすい性格だったという故事のこと。 「忿」は怒ること。 「狷」はすぐに怒る性格のこと。 王述が卵を食べようとして、箸で突き刺そうとしたができなかったことに怒り、卵を地面に叩きつけ、下駄で踏もうとしたができず、最後には拾って噛み付いて吐き出したという故事から。
枉尺直尋(おうせきちょくじん)
大きな利益を得るためには、多少の犠牲は仕方ないということのたとえ。 または、小さな犠牲で大きな利益を得ることのたとえ。 「枉」は曲げること。 「尺」と「尋」はどちらも長さの単位で、八尺=一尋。 一尺分を折り曲げることで、八尺(一尋)を真っ直ぐにできればよいという意味から。
横徴暴斂(おうちょうぼうれん)
税金などを非常に厳しく取り立てること。 「横徴」と「暴斂」はどちらも強引に取り立てること。 似た意味の言葉を重ねて意味を強調した言葉。
懊悩呻吟(おうのうしんぎん)
色々なことを考えて悩み苦しむこと。 「懊悩」は悩んで苦しむこと。 「呻吟」は苦しみのあまり声を発すること。
懊悩煩悶(おうのうはんもん)
思い悩んで、苦しんでもだえること。 「懊悩」は悩んでもだえること。 「煩悶」は苦しみ悩むこと。 似た意味の語を重ねて強調した言葉。 「煩悶懊悩」ともいう。
応報覿面(おうほうてきめん)
悪い行いの報いを受けること。 または、悪い行いの報いが正確に現れること。 「応報」は行いの善悪に応じた報い。 「覿面」はすぐに結果が正確に現れること。
王法為本(おうぼういほん)
現世の法律や秩序を根本とすること。 「王法」はこの世の法律や秩序のこと。 仏教の言葉で、浄土真宗の本願寺蓮如が説いた考え方。
王門伶人(おうもんれいじん)
王家に仕える演奏家。 または、権力者に召抱えられている芸術家。 「王門」は王家。 「伶人」は演奏家。 武陵王は、琴の達人の戴逵を召抱えようとしたが断られたという故事から。
応用無辺(おうようむへん)
仏や菩薩は、衆生を苦しみから救うためならいつでもどこでも自由に現れるということ。 「無辺」は限りがないということ。
億万斯年(おくまんしねん)
数えきれないほどに長い年月。
温故知新(おんこちしん)
以前に学習したことや昔の事柄を今一度よく考察して、そこから新たな道理や知識を得ること。 「故(ふる)きを温(たず)ねて新(あたら)しきを知(し)る」「故(ふる)きを温(あたた)めて新(あたら)しきを知(し)る」 とも読む。
怨敵退散(おんてきたいさん)
「怨むべき敵よ、退散するがよい」という意味。 降伏祈願などで唱える言葉。
温良恭倹(おんりょうきょうけん)
素直で穏やかで、礼儀正しくひかえめなこと。 「温良」は穏やかで素直なこと。 「恭倹」は人に対して礼儀正しく、丁寧で穏やかなこと。
開懐暢飲(かいかいちょういん)
楽しい気分で、自由に好きなだけ酒を飲むこと。 「開懐」は自由で広々とした心のこと。 「暢飲」は良い気分でのんびりと酒を飲むこと。
改過自新(かいかじしん)
自分の過ちを認め改めて、心をいれかえ再出発すること。 「改過」は自分の過ちを改めること。 「自新」は気分を新しくすること。 「過ちを改め自ら新たにす」とも読む。
開口一番(かいこういちばん)
口を開いて前置きもなく、一番最初に言う言葉。または、いきなり話し始めること。 「開口」は口を開き話しを始めること。
解甲帰田(かいこうきでん)
甲を解いて田園に帰るという意味から、除隊や退官して故郷へ帰り平和に暮らすこと。
開迹顕本(かいしゃくけんぽん)
仏教の開祖である釈迦は仮の姿で現れた仏であり、本当の姿は永遠の過去に悟りを開いた仏であるということをはっきりと示すこと。 「迹」は迹門(しゃくもん)のことで、仏や菩薩が人々を救うためにこの世に現わす仮の姿。 「本」は本門のことで、仏の本当の姿。 『法華経』で重視するもので、全てのものが仏になることができるということを示すもの。
誨人不倦(かいじんふけん)
手を抜かずにしっかりと人を教え導くこと。 「誨」は教えるという意味。 相手が理解するのに時間がかかっても、諦めずに教えることをいう。 「人を誨(おし)えて倦(う)まず」とも読む。
海内冠冕(かいだいのかんべん)
世界で一番ということ。 「海内」は四方の海の内側という意味から、国家や世界のこと。 「冠冕」は高い地位の人がつける冠ということから、一位や一番という意味。
誨盗誨淫(かいとうかいいん)
人を悪事に誘い入れること。 「誨」は教えること。「盗」は盗みのこと。「淫」はみだらなこと。 盗みや淫らなことを教えるという意味から。 もとは「戸締りを怠ることは盗みをけしかけるようなものであり、女性の色気のある仕草は人をみだらな気持ちにさせるようなものである」という戒めの言葉。 「誨淫誨盗」ともいう。
改頭換面(かいとうかんめん)
見た目は変化しても中身が何も変わっていないこと。 「改頭」は頭を新しいものに変えること。 「換面」は顔を新しいものに換えること。 「頭(こうべ)を改め面を換(か)う」とも読む。
傀儡政権(かいらいせいけん)
実権を持たず、他国からの言い分をそのまま受けるだけの政府のこと。 「傀儡」は操り人形のことで、相手に動かされるままに動くという意味から。
怪力乱神(かいりきらんしん)
人の知識では理解することが出来ない、怪しく奇怪な現象や物事のこと。 「怪」は奇怪な現象。 「力」は勇ましく、力が強いこと。 「乱」は道徳に反することや社会の秩序を乱すこと。 「神」は人が見ることの出来ない超人的な力を持つ存在、鬼神や神霊のこと。 原文では「子は怪力乱神を語らず」とあり、理解できない奇怪なものは教訓にしないという孔子の姿勢を示す言葉。
夏雨雨人(かううじん)
民に対して、適切な時期に適切な恵みを与えること。 夏の暑い時に雨を降らせて涼しくすることから。 「夏雨(かう)、人に雨(ふ)らす」とも、「夏雨(かう)、人に雨ふらす」とも読む。
花下曬褌(かかさいこん)
風流の心の無いたとえ。 「曬」は日光にさらすこと。 「花下(かか)に褌(ふんどし)を曬(さら)す」とも読む。
瓜葛之親(かかつのしん)
親類やその縁者のこと。 植物の瓜や葛の蔓が絡み合うことにたとえたもの。
河漢之言(かかんのげん)
特に意味のない話。 または、現実離れしているほら話のこと。 「河漢」は天の川のこと。 天の川の多くのように、次々と限りなく言葉が続くという意味から。
夏癸殷辛(かきいんしん)
暴君のたとえ。 古代中国の夏王朝の桀王と殷王朝の紂王のことから。 「癸」は桀王の名前。 「辛」は紂王の名前。 桀王と紂王はどちらも暴君として有名。
科挙圧巻(かきょあっかん)
非常にすぐれたもののこと。 または、作品の中で一番すぐれている部分のこと。 または、試験で一番すぐれた成績を出すこと。 「科挙」は古代中国で行われていた官吏の登用試験のこと。 「圧巻」の「巻」は試験の答案用紙のことで、一番すぐれた答案用紙が他の答案用紙の一番上に置かれ、他を圧していたということから、そのものの中でも最もすぐれている部分のことをいう。
蝸牛之庵(かぎゅうのあん)
小さな家のこと。 「蝸牛」はかたつむりのこと。 「庵」は草葺きの小屋のこと。 かたつむりの殻のように小さな家という意味から。 自身の家をへりくだって言う言葉。
革故鼎新(かくこていしん)
古い習慣や制度などを新しいものに改正すること。 「革故」と「鼎新」はどちらも新しいものにするという意味。 「故(ふる)きを革(あらた)め新しきを鼎(と)る」とも読む。 「鼎新革故」「革旧鼎新」ともいう。
隔世遺伝(かくせいいでん)
親の世代に発現しなかった遺伝形質(性質や特徴)が、その子以降の世代に発現する現象。
隔世之感(かくせいのかん)
時代が変化したことを深く感じること。 「隔世」は時代が異なること。 昔のことを思い出すときに使うことが多い言葉。
格致日新(かくちにっしん)
物事の本質や真理を日々追究し続け、常に向上し続けること。 「格致」は「格物致知」を略した言葉で、物事の本質や真理を追い求めて、知識を高めること。 「日新」は毎日新たに向上し続けること。 「格致(かくち)日(ひ)に新たなり」とも読む。
鶴髪童顔(かくはつどうがん)
年老いても元気な人の様子。 「鶴髪」は鶴の羽毛のような白髪のこと。 「童顔」は子どものような幼い顔。または、子どものように色つやのよい顔のこと。 「童顔鶴髪」ともいう。
鶴翼之陣(かくよくのじん)
軍隊の陣形の一つで、左右に長く広がった陣形のこと。 鶴が翼を広げたような形に見えるということから。
寡見少聞(かけんしょうぶん)
知識や経験が少ないこと。 または、世間のことを知らないこと。 「寡」と「少」はどちらも少ないという意味。 自分のことを謙遜していう言葉。
禍国殃民(かこくおうみん)
国に不幸や災難などを与えて人々を苦しめること。 「禍」は不幸をもたらすこと。 「殃」は押さえつけて害を与えること。 「国に禍(わざわい)し民を殃(そこ)なう」とも読む。
花枝招展(かししょうてん)
女性が着飾っている美しい姿のたとえ。 「展」は広げること。 美しい花を咲かせた枝が風に揺れている様子を、手を広げて人を招いている女性にたとえたもの。 「花枝(かし)、招き展(の)ぶ」とも読む。
華燭之典(かしょくのてん)
結婚式のこと。 「華燭」はきらびやかで美しい灯りということから、結婚式の灯りのこと。 「典」は儀式のこと。
家書万金(かしょばんきん)
一人で寂しいときに、家族から届く手紙は何よりも嬉しいということ。 「家書」は実家からの手紙。 「万金」は大金という意味から、極めて価値があることのたとえ。 旅先などで一人きりで寂しいときに家族から届く手紙は、大金のような価値があるということから。
花実相兼(かじつそうけん)
見た目と内容がどちらもすぐれていること。 「花」は草木の花のことで、見た目や外観のたとえ。 「実」は果実のことで、中身や内容のたとえ。 「花実(かじつ)、相(あい)兼(か)ぬ」とも読む。
家常茶飯(かじょうさはん)
毎日起こるようなよくある出来事のこと。 いつもと同じ茶と飯ということで、いつもの食事という意味から。
家族団欒(かぞくだんらん)
家族が集まって、仲良く談笑したりして、楽しい時間を過ごすこと。 「団欒」はたくさんの人が輪の形で内側を向いて座るという意味から、人が集まって楽しく話をすること。
渇驥奔泉(かっきほんせん)
勢いが非常に激しいことのたとえ。 または、書の筆遣いに力強さと勢いがあって素晴らしいこと。 「驥」は一日で千里の距離を走ることができるとされるすぐれた馬、駿馬のこと。 「奔」は非常に速く走ること。 のどが渇いて水が飲みたい駿馬が全力で泉に向かって走るという意味から。 中国の唐の時代の徐浩の書を言い表した言葉から。 「渇驥(かっき)泉(いずみ)に奔(はし)る」とも読む。
活剥生呑(かっぱくせいどん)
人が作った詩や文章を盗んで、そのまま使うこと。 または、他人から聞いた考えや意見を理解せずにそのまま受け入れて、自分の考えや意見であるかのように言うこと。 「生呑」は生きたまま丸ごと飲み込むこと。 「活剥」は生きたまま皮を剥ぐこと。 「活剥生呑」ともいう。
曷有加焉(かつゆうかえん)
最もよいこと。最上であること。 「曷」は「どうして~か」など、疑問や反語を表す言葉。 「焉」は「これ」など、物事などを指し示す言葉。 「曷(なん)ぞ加うること有(あ)らん」とも、「曷(なん)ぞ焉(これ)に加うること有(あ)らん」とも読む。
活霊活現(かつれいかつげん)
文芸作品などで、本当に目の前に存在しているかのように表現されていること。
瓜瓞綿綿(かてつめんめん)
一族が長く続くこと。 子孫の繁栄を願う言葉。 「瓜」は大きい瓜(うり)。 「瓞」は小さい瓜。 「綿綿」は途切れることなく続いている様子。 一つの蔓(つる)から大小様々な瓜が実り、途切れることなく続くことから。
鉄梃大尽(かなてこだいじん)
他人の意見を聞かずに、融通のきかない大富豪、資産家のこと。 「鉄梃」は鉄のてこのことで、頑固なことのたとえ。 「大尽」は財産がたくさんある人、大富豪のこと。
禍福相貫(かふくそうかん)
不幸と幸福はお互いに繋がっていて、片方に片寄ることはないということ。 「禍」は災難、不幸。 「福」は幸い、幸福。 「禍福(かふく)、相(あい)貫く」とも読む。
禍福同門(かふくどうもん)
不幸と幸福はどちらも人が原因となって生じるものであるということ。 「禍」は災難、不幸。 「福」は幸い、幸福。 「禍福(かふく)、門を同じうす」とも読む。 この言葉の後ろに「利と害とは隣(となり)を為(な)す」と続く。
禍福無門(かふくむもん)
不幸も幸福も、その人自身が招くものであるということのたとえ。 不幸や幸福がやってくるための決まった入り口があるわけではなく、心がけ次第で不幸にも幸福にもなるということ。 「禍福門無し、唯人の招く所なり」を略した言葉。
葭莩之親(かふのしん)
繋がりの薄い、遠い親戚。 「葭莩」は葦(あし)の茎の内側の薄い膜のことで、厚さが薄いもののたとえ。 「親」は血の繫がりのある人。親族。親戚。
寡聞少見(かぶんしょうけん)
知識や経験が少ないこと。 または、世間のことを知らないこと。 「寡」と「少」はどちらも少ないという意味。 自分のことを謙遜していう言葉。
瓜剖豆分(かぼうとうぶん)
一つの国が小さく分裂すること。 瓜や豆を割るように小さくわかれるという意味から。
禍与福隣(かよふくりん)
不幸と幸福は常に隣にあり、一方があればもう一方も必ずあるということ。 「禍」は災難、不幸。 「福」は幸い、幸福。 「禍(わざわい)と福とは隣(となり)す」とも読む。
河梁之吟(かりょうのぎん)
親しい友人を見送るときの離れたくないという気持ち。 「河梁」は川を渡るための橋。 中国の漢の時代、異民族の匈奴に捕まった李陵が、一緒に捕まっていた蘇武が国に戻る時に送った詩から。
迦楼羅心(かるらしん)
仲間や助けてくれる人がいるおかげで物事を達成することができるという心のあり方。 「迦楼羅」は金色の翼をもつ伝説上の鳥であるガルーダのことで、多くの仲間を頼ることで棲息するとされている。
夏鑪冬扇(かろとうせん)
時期が合わず、役に立たないものや、無用な意見や才能のこと。 または、今は不要でも適切な時期が来れば役に立つようになること。 君主からの愛情や信用を失ったものや、恋人に捨てられた女性などを指す場合もある。 「夏鑪」は夏の火鉢や囲炉裏、「冬扇」は冬の扇のことで、どちらも季節外れであることから。 「夏鑪」は「夏炉」とも書く。 「冬扇夏鑪(夏炉)」ともいう。
貫朽粟陳(かんきゅうぞくちん)
財産が極めて多いことのたとえ。 「貫朽」は穴の開いた銭に通してまとめておく銭差しの紐が朽ちること。 「粟陳」は保管していた穀物の粟が腐りかけること。 貨幣を溜め込みすぎて銭差しの紐が切れ、粟を溜め込みすぎて腐りかけるということから。
姦言似信(かんげんじしん)
悪い心をもって君主に対して発した言葉は、表面的には誠意があるように聞こえるということ。 「姦」は道理に背いている様子。 「信」は誠意のある様子。真心。 「姦言(かんげん)は信(しん)に似たり」とも読む。 この言葉の前に「佞言(ねいげん)は忠に似たり」という言葉がある。
肝腎肝文(かんじんかんもん)
非常に重要なこと。 「肝腎」は肝臓と腎臓のことで、人の身体で大切な部分ということから、重要なことのたとえ。 「肝文」は肝になる一節という意味から、重要なことのたとえ。
煥然一新(かんぜんいっしん)
人目で分かるほどにはっきりと新しくなること。 または、一気にすっかりと新しくなること。 「煥然」は明らかな様子。 「一新」はがらりと新しくなること。 「煥然(かんぜん)として一新(いっしん)す」とも読む。