「ち」を含む四字熟語
「ち」を含む四字熟語 — 995 件
一知半解(いっちはんかい)
知ってはいるが、完璧には理解していないこと。 「一知」は一つのことを知っていること。 「半解」は半分だけ理解していること。
一致百慮(いっちひゃくりょ)
物事を色々と考えても、結論は結局一つになるということ。 「一致」は考えた末に出る結論。 「百慮」は色々な考え。 「致(ち)を一(いつ)にして慮(りょ)を百(ひゃく)にす」とも読む。
一張一弛(いっちょういっし)
人に厳しくしたり、やさしく接したりすること。 「張」は弦を張ること。 「弛」は弦を緩めること。 弦を張ったり緩めたりすることから。 「一弛一張」ともいう。
一朝一夕(いっちょういっせき)
ほんの少しの時間。あっという間の時間。 「一朝」はひと朝。 「一夕」はひと晩。 どちらもきわめて短い時間のたとえ。 「一朝一夕に出来ることではない」などと後に否定の語を伴って用いることが多い言葉。
一長一短(いっちょういったん)
人や物には、長所もあれば短所もあるということ。 また、得意なことと苦手なことがあり、完全ではないということ。 「長」は長所、得意なこと。「短」は短所、苦手なこと。 「一」は「~もあれば~もある」という意味で、「一長一短」の場合は「長所もあれば短所もある」という意味になる。 「一短一長」ともいう。
一超直入(いっちょうじきにゅう)
迷いを乗り越えると、悟りの境地に至ることができるということ。 「直入」はすぐに悟りを得ること。 仏教の言葉で、煩悩を捨てさってしまえば、すぐに悟りを得ることができることを言う言葉。
一朝之忿(いっちょうのいかり)
少しの間、怒ること。 「一朝」はひと朝ということから、わずかな時間のたとえ。 「忿」は怒りのこと。
一朝之患(いっちょうのうれい)
少しの間、心配すること。 または、急に心配になること。 「一朝」はひと朝ということから、わずかな時間のたとえ。または、ある朝ということから、突然という意味。
一朝富貴(いっちょうのふうき)
いきなり高い地位や財産を得ること。 「一朝」はとある朝という意味から、いきなりや急にという意味。
一敗塗地(いっぱいとち)
勝負に完全に負けること。 「塗地」は戦争で負けた兵士の内臓が地面に散乱して、泥まみれになること。 二度と起き上がることができないほどの敗北をいう。 「一敗(いっぱい)、地(ち)に塗(まみ)る」とも読む。
一発必中(いっぱつひっちゅう)
一度の機会で確実に成功させること。 一発の銃弾や矢を確実に命中させるということから。
一本調子(いっぽんちょうし)
ほとんど変化がなく、面白みがないこと。 音楽や文章、話し方などのことをいう。
衣鉢相伝(いはちそうでん)
弟子が師から奥義を受け継ぐこと。 または、先人から業績や事業を引き継ぐこと。 「衣鉢」は師から受け継いだ袈裟と、托鉢のときに施しを受ける鉢ということから、師からの教えという意味。 「相伝」は代々と受け継いで伝えていくこと。
倚馬七紙(いばしちし)
素晴らしい文章をあっという間に書き上げる才能。 「倚馬」は馬の近くにたったままでいること。 「七紙」は紙七枚におよぶ長い文章。 中国の晋の時代、哀虎は主君の桓温に布告の文を書くように言われ、馬の前にたったまま、あっという間に紙七枚にわたる名文を書き上げたという故事から。
萎靡沈滞(いびちんたい)
次第に勢いが弱くなっていくこと。 「萎靡」は草木がしなびること。 「沈滞」は一つの場所で滞って動かなくなること。 どちらも勢いがなくなることのたとえ。 「萎靡」は「委靡」とも書く。 「沈滞萎靡(沈滞委靡)」ともいう。
意味深長(いみしんちょう)
言動や詩文などに深い趣や意味が込められていること。 または、表に出ている意味とは別の意味が隠されていること。 「深長」は奥深くに意味が隠されていること。 「意味深」という形で略して使うこともある。
異類中行(いるいちゅうぎょう)
多く人々を救済するために、仏や菩薩がこの世に身を置くこと。 または、禅宗では指導者が修行者を導くために、様々な方法を取ること。 「異類」は違う種類という意味。 仏が異類の中を行くという意味から。
咽喉之地(いんこうのち)
絶対に通らなければならない重要な場所。 「咽喉」は身体の喉のことで、戦略上で重要な場所を身体の急所である喉にたとえた言葉。
飲鴆止渇(いんちんしかつ)
後のことは何も考えずに目先の利益を得ること。 または、一時逃れをして、後から大きな災いに遭うこと。 「鴆」は羽に猛毒をもつ鳥の名前で、その鳥の羽が入っている酒を喉の渇きを癒すために飲むことから。 「止渇飲鴆」ともいう。
隠忍自重(いんにんじちょう)
怒りや苦しみなどをぐっとこらえて、軽はずみな行動をしないこと。または、そうすべきであるという戒めの言葉。 「隠忍」は表に出すことなく、耐え忍ぶこと。 「自重」は行動を控えること。
烏獲之力(うかくのちから)
非常に力が強いことのたとえ。 「烏獲」は人の名前。 中国の戦国時代の秦の武王に仕えていた烏獲は、重さ約八千キログラムのものを持ち上げる力持ちで、その力を使って武王に仕えて出世したという故事から。
有智高才(うちこうさい)
もとは仏教語で、「智」は生まれた時からもっている聡明さ、「才」は学んで得たすぐれた才能のことで、聡明ですぐれた才能を持っていること。
内股膏薬(うちまたこうやく)
自分の意見を持たず、その時によって都合のいいほうについていくこと。または、そのような人のこと。 「膏薬」は練り薬のことで、内股に張ると歩くたびに、右足についたり、左足についたりすることから。
有頂天外(うちょうてんがい)
「有頂天」は仏教で一番上にあるとされる天のことで、それを超えるほどの喜びという意味から、この上なく大喜びすること。
烏鳥私情(うちょうのしじょう)
親に対して孝行したいという気持ちのこと。 「烏鳥」は鳥のからす、「私情」は自分の気持ち。 からすの子が成長後、親鳥に口移しで餌を与えて恩に報いることに由来し、親への孝行心を謙遜して表現した言葉。
迂直之計(うちょくのけい)
一見すると実用的に見えないが、実際は一番実用的なこと。 「迂」は迂回すること、「直」は近道のことで、わざと回り道をすることで敵を油断させて、妨害を受けることなく先回りする兵法のことから。
雲散鳥没(うんさんちょうぼつ)
そこに存在していた痕跡が完全に消え去る様子を表す言葉。 雲が風に散るがごとく、鳥が飛び去るがごとく、完全に消え去ってしまうとの意から。
雲中白鶴(うんちゅうのはっかく)
世俗を超越した、心の清らかな人のたとえ。 白い雲の中にいる白い鶴のことで、心が清らかで、気高く立派な人物をたとえた言葉。
永世中立(えいせいちゅうりつ)
他国間で戦争が起こっても介入することなく、自国の中立を他国から保障、承認されること。 国内での外国の軍の行動を認めず、軍事的脅威には自国のみで解決する必要がある。 平和主義などとは違い、自国を防衛するための軍が存在する。
曳尾塗中(えいびとちゅう)
高い地位を得て窮屈な生活をするより、低い地位でも自由に暮らすほうがよいことのたとえ。 「塗中」は泥の中という意味。 楚王から役人に登用したいと言われた壮士が、「亀は殺されて甲羅を占いに使われて尊ばれることと、泥の中をはいずりまわって自由に生きることのどちらを選ぶか」と言い断った故事から。
易地皆然(えきちかいぜん)
人は地位や立場などが異なるので考えや行動に違いがあるが、立場をかえてみれば皆同じことを考えたり行ったりする。 考えや行動は地位や立場によって左右されるものであるということ。 「地(ち)を易(か)うれば皆(みな)然(しか)り」とも読む。
越鳥南枝(えっちょうなんし)
故郷を懐かしみ忘れがたく思う気持ちのたとえ。 「越鳥」は中国の南方にある越の国から渡ってきた鳥。 「南枝」は南に向かって伸びている木の枝。 南方にある越の国から渡ってきた鳥は、南に向かって伸びている木の枝に巣を作るという意味から。 「越鳥は南枝に巣くう」を略した言葉。
宴安酖毒(えんあんちんどく)
遊んで楽しむだけの生活を送ることへの戒め。 「宴安」はひたすら遊んで楽しむこと。 「酖毒」は鴆(ちん)という鳥の羽にある猛毒のこと。 ただ遊んで楽しむだけの生活を送ることは酖毒を飲むようなもので、最後には身を滅ぼしてしまうという意味から。 「宴安鴆毒」とも書く。
蜿蜿長蛇(えんえんちょうだ)
行列などが長くうねるように続いていること。 「蜿蜿」は蛇や竜などが体をうねらせながら進む様子。 「長蛇」は長い蛇のことから、長い列のたとえ。 「蜿蜿」は「蜿蜒」、「蜒蜒」とも書く。
煙炎漲天(えんえんちょうてん)
火の勢いが激しい様子。 空を覆うように煙と炎が広がっていることから。 「煙炎、天に漲(みなぎ)る」とも読む。
鴛鴦之契(えんおうのちぎり)
夫婦の絆が非常に堅いこと。 または、いつまでも夫婦として仲良く暮らすという夫婦の約束のこと。 「鴛鴦」は雄と雌のおしどりのことで、雌雄が常に一緒にいる鳥ということから、夫婦の仲がよいことのたとえ。
円頂黒衣(えんちょうこくい)
僧侶の姿のこと。 「円頂」は髪を剃って丸めた頭。 「黒衣」は墨で染めた僧侶の服、僧衣。
厭聞飫聴(えんぶんよちょう)
何度も聞きすぎて飽きること。 「厭」と「飫」はどちらも飽きるという意味。 「聞」と「聴」はどちらも聞くという意味。
婉娩聴従(えんべんちょうじゅう)
上品で落ち着いていて、人に優しく、人に素直で逆らわずに従うこと。 「婉娩」は上品で素直なこと。 「聴従」は言われたことに素直に従うこと。 女性への教えの一つとされた言葉。 「婉娩(えんべん)として聴(き)き従う」とも読む。
円木警枕(えんぼくけいちん)
苦労しながらも力を尽くして勉学に励むこと。 「円木」は丸太。 「警枕」は深く寝入ることを防ぐための枕。 枕を転がりやすい丸太にすることで、深く眠り込むと目が覚めるようにして、寝る間を惜しんで勉学に励むという意味から。 中国の宋の司馬光が丸太を枕にして勉学に励んだという故事から。
嘔啞嘲哳(おうあちょうたつ)
乱れていて品がなく、聞き苦しい音。または、幼い子どもの騒々しい声のこと。 「嘔啞」は子どもの声のこと。または、騒々しい音のこと。 「嘲哳」は調子の外れた聞き苦しい音。
応急措置(おうきゅうそち)
その場をしのぐために行う仮の処置のこと。 「応急」は急場しのぎ。 「措置」はうまく取り計らって処理すること。
殃及池魚(おうきゅうちぎょ)
予想していなかった災いにあうこと。別の人の災いに巻き込まれること。 「殃」は災い、災難のこと。 「池魚」は池の中の魚。 池の水を火事の消化に使われたために水が枯れ、火事に関係のない魚に被害が及ぶことから。 「殃(わざわい)池魚(ちぎょ)に及ぶ」とも読む。
枉尺直尋(おうせきちょくじん)
大きな利益を得るためには、多少の犠牲は仕方ないということのたとえ。 または、小さな犠牲で大きな利益を得ることのたとえ。 「枉」は曲げること。 「尺」と「尋」はどちらも長さの単位で、八尺=一尋。 一尺分を折り曲げることで、八尺(一尋)を真っ直ぐにできればよいという意味から。
横徴暴斂(おうちょうぼうれん)
税金などを非常に厳しく取り立てること。 「横徴」と「暴斂」はどちらも強引に取り立てること。 似た意味の言葉を重ねて意味を強調した言葉。
岡目八目(おかめはちもく)
当事者よりも、傍観者のほうが物事の情勢を正確に判断できることのたとえ。 「岡目」は、他人の行動を横から見ること。 囲碁では、対局者よりも観戦者のほうが冷静に局面を見通し、八手先まで予測できるといわれることに由来する言葉。
雄蝶雌蝶(おちょうめちょう)
結婚式で銚子や提子に用いる、雌雄の蝶の折り紙のこと。 または、その銚子で杯に酌をする役の男女の子供のこと。
温故知新(おんこちしん)
以前に学習したことや昔の事柄を今一度よく考察して、そこから新たな道理や知識を得ること。 「故(ふる)きを温(たず)ねて新(あたら)しきを知(し)る」「故(ふる)きを温(あたた)めて新(あたら)しきを知(し)る」 とも読む。
穏着沈黙(おんちゃくちんもく)
穏やかで口数の少ないこと。 「穏着」は穏やかで落ち着いていること。 「沈黙」は口数が少ないこと。
音吐朗暢(おんとろうちょう)
音声が明るく楽し気で、通りがよい様子。 「朗暢」は詩歌を唱える時に声が大きく、のびのびとしている様子。
開懐暢飲(かいかいちょういん)
楽しい気分で、自由に好きなだけ酒を飲むこと。 「開懐」は自由で広々とした心のこと。 「暢飲」は良い気分でのんびりと酒を飲むこと。
開口一番(かいこういちばん)
口を開いて前置きもなく、一番最初に言う言葉。または、いきなり話し始めること。 「開口」は口を開き話しを始めること。
蟹行鳥跡(かいこうちょうせき)
西洋の書物と漢文の書物のこと。 または、書物の総称。 「蟹行」は蟹が横向きに歩くように、横向きの文字ということから、西洋の文字のこと。 「鳥跡」は鳥の足跡を見て文字を作ったという故事から、漢字のこと。
開三顕一(かいさんけんいち)
仏教において悟りに至るための三つの道(三乗)が仮の姿であり、最終的には仏の統一された教えである一乗こそが真実の教えであると示すこと。
喙長三尺(かいちょうさんじゃく)
口が達者なことのたとえ。 「喙長」はくちばしの長さ。 「三尺」は長いことのたとえ。 喙(くちばし)の長さが三尺もあるという意味から。
廻天之力(かいてんのちから)
世の中の情勢が全て変わるほどの大きな力のこと。 または、不利な情勢を一気に有利に変えることの出来る大きな力のこと。 「廻天」は天を回すという意味から、世の中の情勢が変わること。 「回天之力」とも書く。
開天闢地(かいてんへきち)
天地の始まり。 または、過去に一度として起こっていない出来事。 「闢」は開くという意味。 中国の伝説の天子である盤古が、天地を開いたことによって人類の歴史が始まったという伝説から。 「天を開き地を闢(ひら)く」とも読む。 「開天辟地」とも書く。 「闢地」は「びゃくち」とも読む。
河渠堙窒(かきょいんちつ)
川や水路などが塞がっていること。 「渠」は地面を掘った水路。掘り割り。用水路。 「堙」と「窒」はどちらも塞がるという意味。
格致日新(かくちにっしん)
物事の本質や真理を日々追究し続け、常に向上し続けること。 「格致」は「格物致知」を略した言葉で、物事の本質や真理を追い求めて、知識を高めること。 「日新」は毎日新たに向上し続けること。 「格致(かくち)日(ひ)に新たなり」とも読む。
格物致知(かくぶつちち)
物事の道理を極めて、知識を最大限に広げていくこと。 「格物」は物事の道理を極めつくすこと。 「致知」は知識を極めること。 「致知格物」ともいう。
鶴立企佇(かくりつきちょ)
心の底から待ち望むこと。 「企」は足のかかとを上げて、つま先で立つこと。 「佇」は待ち望むこと。 鶴が首を伸ばしてつま先で立つ姿を、人や物を待ち望んでいる様子にたとえたもの。 「鶴企」と略して使うこともある言葉。
家鶏野雉(かけいやち)
古いものを嫌って新しいものを好むこと。 家で飼っている鶏を嫌って、野性のきじを好むという意味から。 中国の晋の時代の書家のユ翼は、世間の評判が書家の王羲之に集まることに嘆いたという故事から。 「家鶏を厭い、野雉を愛す」を略した言葉。 「家鷄野雉」とも書く。
禍重乎地(かじゅうこち)
予想外の不幸は、大地よりも重くのしかかるということ。 「禍」は不幸や災難。災い。 「禍(わざわい)は地よりも重し」とも読む。
火上注油(かじょうちゅうゆ)
悪い状況をさらに悪化させること。 火に油を注ぐということから。 「火上(かじょう)油(あぶら)を注(そそ)ぐ」とも読む。
過致資給(かちしきゅう)
中国の唐の時代の罪名の一つで、逃亡した罪人をかくまい、飲食物を与えて送り出すこと。 「過」は移動の途中で立ち寄ること。 「致」は送り出すこと。
華胄家世(かちゅうかせい)
貴族などの名門の家系のこと。 「華胄」は貴族などの名門。 「家世」は家系。
夏虫疑氷(かちゅうぎひょう)
見識が狭いことのたとえ。 世間のことを知らない人が、自分の知っていること以外のことを信じようとしないことをいう言葉。 夏の季節しか生きることのできない虫は、冬に氷があるということを信じようとしないことから。 「夏虫(かちゅう)氷を疑う」とも読む。 「夏虫疑冰」とも書く。
火中取栗(かちゅうしゅりつ)
自分のためにはならないが、他人のために危険なことをすること。 または、その結果で辛い思いをすること。 猿におだてられた猫が、燃えているいろりの中に入ってる栗を取ったが、猫は火傷をしたうえに栗は取られたという寓話から。
火中之栗(かちゅうのくり)
自分のためにはならないが、他人のために危険なことをすること。または、その結果で辛い思いをすること。 猿におだてられた猫が、燃えているいろりの中に入ってる栗を取ったが、猫は火傷をしたうえに栗は取られたという寓話から。
渦中之人(かちゅうのひと)
問題に巻き込まれている人。 または、その中心にいる人。 「渦中」は混乱している状況の中。
禍中有福(かちゅうゆうふく)
不幸の中であっても必ず幸福はあるということ。または、不幸や幸福を予想することは難しいということ。 「禍」は災難、不幸。 「福」は幸い、幸福。 「禍中(かちゅう)、福有(あ)り」とも読む。
花朝月夕(かちょうげっせき)
春と秋の心地よい天気の時期。 または、春と秋の季節の楽しみのこと。 春の朝の花を愛でて、秋の夕方の月を愛でるということから。 「花朝」は陰暦の二月十五日のことで、現在の四月の中頃のこと。 「月夕」は陰暦の八月十五日のことで、現在の十月の初めの頃のこと。
花鳥諷詠(かちょうふうえい)
四季の移り変わりなどの自然の世界の事象と、それに影響される人間の世界の事象を、客観的にそのまま詠むべきであるとする俳句の理念の一つ。 「花鳥」は『花鳥風月』を略したもので、自然のたとえ。 「諷詠」は詩歌を詠ったり作ったりすること。 高浜虚子が提唱し、ホトトギス派の基本的な理念となったもの。
花鳥風月(かちょうふうげつ)
季節によって変わる美しい自然の風景。または、そのような自然の風景を題材にして、書画や詩歌を作って楽しむこと。 「花鳥」は花と鳥、「風月」は風と月のこと。 代表的な自然の風物を並べた言葉。
刮腸洗胃(かっちょうせんい)
過ちを認め、心を改めること。 「刮」は削り取ること。 刀を飲み込んで腸の汚れを削り取り、灰を飲み込んで胃を洗うという意味から。
活潑潑地(かつはつはつち)
元気で活気のある様子。 「潑潑」は水の上に魚が跳ねること。 「かっぱつぱっち」や「かっぱつはっち」とも読む。
花天酒地(かてんしゅち)
歓楽街のこと。 または、酒や女性に溺れる生活のこと。 「花」は酒場で働いている女、遊女。 「天」と「地」は空と大地、世界のこと。 酒と女の世界という意味から。
夸父逐日(かほちくじつ)
自身の能力を弁えていない行動のこと。 または、自然に正面から向かっていく、強い意志を言い表す言葉。 中国の伝説上の夸父は、能力を弁えずに太陽に追いつこうとして追いかけたが、喉の渇きから黄河と渭水の水を飲み干しても足りず、大沢の水を飲もうとしたが、道中で喉の渇きが原因で死んだという伝説から。
寡廉鮮恥(かれんせんち)
心に悪意があって、恥知らずのこと。 「寡」と「鮮」はどちらも少ないという意味。 「廉」は心が清く正しいこと。 清く正しい心も、恥だと思う心も少ないという意味から。
苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)
税金や年貢を手加減せずに、厳しく取り立てること。 「苛斂」と「誅求」はどちらも厳しく責めて取り立てるという意味。 同じ意味の言葉を重ねて強調した言葉。