「ご」を含む四字熟語
「ご」を含む四字熟語 — 290 件
盗人上戸(ぬすびとじょうご)
酒と甘い食べ物のどちらも好きな人のこと。 または、たくさん酒を飲んでも、顔色や状態がいつもと変わらない人のこと。 「上戸」は酒に強い人のこと。
白璧断獄(はくへきだんごく)
罪の疑わしい者には罰を与えることなく、功績の疑わしい者には賞を与えるということ。 「白璧」は白い宝石。 「断獄」は罪を犯した者を裁くこと。 中国の梁の王が判決を出しにくい事件について、陶朱公に聞くと、同じに見える宝石でも角度を変えて見れば厚さが違い、見た目は同じでも価値は違うと言われ、罪の疑わしい者には罰を与えることなく、功績の疑わしい者には賞を与えたという故事から。
八大地獄(はちだいじごく)
仏教で説かれている八種類の地獄。 等活(とうかつ)地獄、黒縄(こくじょう)地獄、衆合(しゅごう)地獄、叫喚(きょうかん)地獄、大叫喚(だいきょうかん)地獄、焦熱(しょうねつ)地獄、大焦熱(だいしょうねつ)地獄、阿鼻(あび)地獄の八つの地獄をいう。
飯後之鐘(はんごのしょう)
遅刻すること。 「飯後」は食事の後。 「鐘」は時間を知らせる鐘。 中国の王播は、幼いころに寺に世話になっていたが、とある僧が王播を嫌って食事を知らせる鐘を食後に鳴らして、王播を遅刻だと言って食べさせなかったという故事から。
馬氏五常(ばしごじょう)
兄弟全員が優秀なこと。 中国三国時代、蜀の馬氏の五人兄弟はみな優秀であり、全員の字(あざな)に「常」の字がついていた。 中でも、馬良はひときわすぐれおり、幼い頃から眉に白い毛が混ざっていたことから「白眉」と呼ばれ、「馬氏の五常、白眉最も良し」といわれたという故事から。
罵詈雑言(ばりぞうごん)
乱暴で品のない言葉を使って、相手のことを悪く言うこと。または、その言葉のこと。 「罵詈」は汚い言葉で相手の悪口を言うこと。 「雑言」は様々な悪口のこと。
悲歓離合(ひかんりごう)
出会いや別れなどのこの世の中でのさまざまな体験とそのときの心情のこと。 「離合悲歓」ともいう。
悲喜交交(ひきこもごも)
悲しみと喜びの感情が交ざり合うこと。 または、それを交互に味わうこと。
人身御供(ひとみごくう)
欲望を満足させるために犠牲になること。または、犠牲になる人のこと。または、神への供え物として人を捧げること。または、捧げられる人のこと。 「人身」は人の身体。 「御供」は神のための供物。
非難囂囂(ひなんごうごう)
欠点や失敗を責める声が非常にやかましい様子。 「非難」は相手の欠点や失敗を責めること。 「囂囂」はやかましいことや、非常に声が大きいこと。 「非難囂々」とも書く。
百福荘厳(ひゃくふくしょうごん)
数多く積んだ福で仏像を飾ること。 または、仏の三十二相のこと。 「百福」は百の福徳を積むこと。 「荘厳」は仏像や奉ってある建物を美しく飾ること。 仏の三十二相は、仏にあるとされる三十二の特徴で、それぞれ百の福徳を積むことであらわれるとされる。
美須豪眉(びしゅごうび)
立派でたくましい男性の容姿を言い表す言葉。 「美須」は美しいひげ。 「豪眉」は太くて強そうな眉。
風言風語(ふうげんふうご)
根拠がまるでないうわさ話のこと。 「風言」と「風語」はどちらも世間で言いふらされている話、うわさ話のこと。
不言不語(ふげんふご)
何も言わないこと。 または、口に出して言うことなく、相手に理解されること。 「言わず語らず」という形で用いられることの多い言葉。
夫妻牉合(ふさいはんごう)
夫と妻はそれぞれが一つのものの半分であり、二人を合わせ一つにすることで完全になるということ。 夫婦は一体であるという意味の言葉。 「牉」は全体の半分のことで、「牉合」は半分ずつのものを合わせることから夫婦のたとえ。
二股膏薬(ふたまたごうやく)
その時にあわせて意見がころころと変わること。 「二股」は両足の股の内側のこと。 「膏薬」は練り薬。 内股に練り薬を塗って歩くたびに、右の足についたり、左の足についたりするということから。
蜉蝣一期(ふゆうのいちご)
人の一生が短く消えてしまいやすいことのたとえ。 「蜉蝣」は虫の蜉蝣(かげろう)。 「一期」は一生のこと。 蜉蝣は朝に成虫になり、夕方には寿命で死ぬといわれているということから、儚いもののたとえ。
物論囂囂(ぶつろんごうごう)
世間のうわさや物議が騒々しく、落ち着かないこと。 「物論」は世間のうわさや物議。 「囂囂」は多くの人が声を出していて騒がしいこと。
分合集散(ぶんごうしゅうさん)
離れては集まり、集まっては離れたりすること。 または、協力したり対立したりすること。 「分合」と「集散」はどちらも離れたり集まったりすることで、同じ意味の語を重ねて強調した語。
分段同居(ぶんだんどうご)
仏語。聖人も凡夫もともに暮らす現世。娑婆世界。
平談俗語(へいだんぞくご)
普通の生活でいつも使っている言葉のこと。 「平談」はふだんの会話。 「俗語」はふだん話すときに使う日常的な言葉のこと。
片言隻語(へんげんせきご)
少しだけの言葉。一言だけの短い言葉。 「片」は欠片という意味で、「隻」は一つという意味から、どちらも少しやわずかということのたとえ。 「片言」と「隻語」は、どちらも少しの言葉や一言だけの短い言葉という意味で、同じ意味の言葉を重ねて強調した言葉。
片言折獄(へんげんせつごく)
一言で人々を納得させる裁判の判決を下すこと。また、一方の言い分だけを信じて裁判の判決を下すこと。 「片言」は短い言葉や一方的な言い分。 「折」は「断」と同じ意味で、善悪を判断して決定を下すこと。 「獄」は訴訟のこと。 「片言(へんげん)獄(ごく)を折(さだ)む」とも読む。
蒲鞭之政(ほべんのまつりごと)
思いやりのある政治を行うこと。 「蒲鞭」は植物の蒲の穂の鞭。 刑罰に柔らかく痛みを与えない蒲の穂の鞭を使い、辱めを与えるだけの政治ということから。
本覚大悟(ほんがくだいご)
心の迷いから抜け出して、仏の性質を理解すること。 「本覚」は人間が生まれながらにして持っている仏性の悟り。 「大悟」は煩悩を捨て去り、悟りを開くこと。
貌合心離(ぼうごうしんり)
表面は親密さを装って交際してはいるが誠意がないことのたとえ。 「貌」は表に見せている形ということで、表向きは合わせてはいるが、心は離れているという意味から。
煩悩劫苦(ぼんのうごうく)
迷いや苦しみが常に続くこと。 「煩悩」は心や体を惑わせる、欲望や執着、怒りなどの心の働きのこと。 「劫苦」は長い期間続く苦しみのこと。 仏教の言葉で、悟りを開くまで迷いや苦しみが続くことをいう。
漫言放語(まんげんほうご)
根拠の無い適当なことを言いたい放題に言うこと。 「漫言」は大して考えずに口から出た言葉。 「放語」は言い散らすこと。 「放語漫言」「漫語放言」ともいう。
慢業重畳(まんごうちょうじょう)
非常に傲慢なこと。 または、そのような気持ちを持つこと。 「慢業」は仏教の言葉で、人に自分のことを誇ったり、偉そうな態度をとったりすること。 「重畳」は何重にも重なり合うという意味の言葉で、「慢業」の意味を強めるための言葉。
万劫末代(まんごうまつだい)
遠い先の世のこと。 または、これから先ずっと、限りない時間などの意味。 「劫」は仏教語で終わりがないほどの長い時間。 「末代」は先の世や後世という意味。
未来永劫(みらいえいごう)
これから先、未来の時間が永遠ということ。 「劫」は仏教語でインドの時間単位の一番長いもので、時間が無限という意味。 「永劫未来」ともいう。
無間地獄(むけんじごく)
仏教の八大地獄のうちの一つ。 大罪を犯した者が死後落ちる場所で、絶え間ない責苦を受け続けるという八大地獄の中で最下層にある地獄のこと。
無始曠劫(むしこうごう)
どれくらいかもわからないほどの昔のこと。 「無始」はいつが始まりだったかわからないこと。 「曠劫」はとても長い過去の年月のこと。
無師独悟(むしどくご)
師の教えに頼らず、自分の力で悟ること。
迷悟一如(めいごいちにょ)
仏教では、迷いも悟りも仏になる本性をもつという観点からどちらも同一のものであるということ。
明察秋毫(めいさつしゅうごう)
どんな小さなことも見逃さない非常に優れた洞察力のたとえ。 「秋毫」は秋に生え変わる獣の細い毛のことで、その細い毛さえも見分けることができるという意味から。
迷惑至極(めいわくしごく)
この上なく嫌な思いをしたり、困ったりすること。 「迷惑」は他人の行動が原因で困ったり、嫌な気分になること。 「至極」は程度が甚だしいこと。
目迷五色(もくめいごしき)
豊かな彩りに目を奪われ、実態が見えないこと。 「五色」は人が作った文明や、文化などの視覚的産物のこと。 華やかで美しい見掛けに惑わされて、物事の本質を見失う人をあざ笑う言葉。 「目(め)五色(ごしき)に迷う」とも読む。
雄大豪壮(ゆうだいごうそう)
規模が大きくて、立派なこと。 「雄大」は雄々しくて大きいという意味。 「豪壮」は大きくて立派という意味。
要害堅固(ようがいけんご)
険しい地形により外敵からの攻撃を防ぎやすく、攻め落とすことが難しいさま。また、そのような地形に築かれた砦(とりで)。 「要害」は地形が険しく、守るのに有利な場所のこと。 「堅固」はしっかりしていて、容易に破れないさま。
雍也論語(ようやろんご)
長く勉強を続けることができないこと。 「雍也」は『論語』の篇名。 全二十篇ある『論語』の冒頭から始めて、六篇の「雍也」で読むのを止めるということから。
来迎引接(らいごういんじょう)
南無阿弥陀仏を唱えている人が死ぬときには、阿弥陀仏が菩薩を引き連れて迎えに来て、極楽浄土へ導いてくれるということ。 「来迎」は念仏を唱えている人の元へ、阿弥陀仏や菩薩が迎えに来ること。 「引接」は阿弥陀仏や菩薩が、念仏を唱えている人を極楽浄土へ導くこと。
雷轟電撃(らいごうでんげき)
「雷轟」は雷が鳴り響くこと、「電撃」は稲光が走るという意味から、勢いが非常に激しいこと。
雷轟電転(らいごうでんてん)
雷が鳴り響き、稲妻が走るという意味から、町の中が非常に騒がしいことのたとえ。
六合同風(りくごうどうふう)
天下が統一され、世の中が平和に治まっていて、教化や風俗を同じくすること。 「六合」は天と地と四方で天下のこと。 「同風」は同じ風俗ということ。
俚言俗語(りげんぞくご)
ふつうの生活の中で使われる普段使いの言葉。 「俚言」と「俗語」はどちらも世間で使われる普段使いの言葉のこと。 「俗言俚語」「俚語俗言」ともいう。
離合開闔(りごうかいこう)
離合したり、開閉したりすること。 「闔」は閉めること。
離合集散(りごうしゅうさん)
離れては集まり、集まっては離れたりすること。 または、協力したり対立したりすること。 「離合」と「集散」はどちらも離れたり集まったりすることで、同じ意味の語を重ねて強調した語。 「集散離合」ともいう。
流言蜚語(りゅうげんひご)
根拠のない噂話のこと。 「流言」と「蜚語」はどちらも世の中に飛び交うでたらめな話という意味。 「流言飛語」とも書く。
和顔愛語(わがんあいご)
仏教経典で菩薩の態度を表現する言葉で、和やかで親しみやすい態度のこと。 「和顔」はなごやかで柔らかい表情、「愛語」は親愛の気持ちのこもった言葉のこと。
