「無欲」に関連する四字熟語 — 32 件
「無欲」に関連する四字熟語を一覧で紹介します。各四字熟語の読み方・意味もあわせて確認できます。全32件を五十音順に掲載しています。
四字熟語一覧(五十音順)
雲烟過眼(うんえんかがん)
雲や煙が留まることなく目の前を過ぎ去っていくように、物事に過剰に執着することがないこと。または、物事にとらわれすぎずさっぱりしていること。 「雲烟」は雲と煙、または雲と霞(かすみ)のこと。 「過眼」は目の前を通過すること。 「雲煙過眼」とも書く。
雲心月性(うんしんげっせい)
清らかな心があり、地位や利益にこだわらないこと。 人の心や性質を清らかな月と雲にたとえた言葉。
潁水隠士(えいすいのいんし)
利欲にとらわれることのない、気高く清らかな人のたとえ。 または、古代中国、潁水という川の周辺に住んでいた隠者「許由」のこと。 古代中国で尭帝が許由に天子の位を譲る話をしたところ、許由は汚れた話を聞いてしまったと言い、潁水の水で耳をすすいだという故事から。
烟雲過眼(えんうんかがん)
必要以上に物事に執着しないこと。 または、欲がなく、物事にこだわらないことのたとえ。 「烟雲」は煙と雲。または、霞(かすみ)と雲のこと。 「過眼」は目の前を通過すること。 煙、霞、雲などは目の前で留まることがなく、通り過ぎていくという意味から。 「煙雲過眼」とも書く。
遠塵離垢(おんじんりく)
けがれから遠ざかり、煩悩から離れること。 「塵」は塵(ちり)、「垢」は垢(あか)のことから転じて、けがれと煩悩を意味する。 仏教語。 「遠塵離苦」とも書く。
乾乾浄浄(かんかんじょうじょう)
私欲がなく、清らかでさっぱりとしていること。 または、全部なくなること。
箕山之志(きざんのこころざし)
世間での名声と利益を捨て、世間との接触を避けて信念を守ろうとすること。 伝説上の人物の許由と巣父が、世間での名声を嫌い、信念を守るために箕山という名前の山でひっそりと生活したという故事から。
虚静恬淡(きょせいてんたん)
私心や私欲が全くなく、心が落ち着いていること。 「虚静」は心の中に不信や疑念などがなく、落ち着いていること。 「恬淡」は私欲がなく、あっさりとしていること。 「虚静恬澹」とも、「虚静恬憺」とも書く。
虚無恬淡(きょむてんたん)
心に不信や不満、欲望などなく、穏やかで落ち着いていること。 「虚無」は何もなく、空っぽなこと。 「恬淡」はあっさりとしていて、無欲なこと。
琴歌酒賦(きんかしゅふ)
隠者の欲の無い生活のこと。 または、俗世から離れた優雅な遊びのこと。 「琴歌」は琴を弾いて歌を歌うこと。 「酒賦」は酒宴を開いて、酒を飲みながら詩を作ること。
兼愛無私(けんあいむし)
全ての人を愛すること。 「兼愛」は全ての人を愛するという意味。 墨子が儒教の「仁愛」を差別愛と批判して唱えた思想。 「無私」は個人的な感情がないこと。 「兼愛(けんあい)私(わたくし)無し」とも読む。
公平無私(こうへいむし)
個人的な利害で動いたり主観で判断したりせず、偏ることなく平等であること。 「公平」は全てのものを同等のものとして扱うこと。 「無私」は個人的な利害や感情をはさまないこと。 「公平にして私(わたくし)無し」とも読む。
克己復礼(こっきふくれい)
欲望や感情に打ち勝ち、礼儀にかなった言動をすること。 「克己」は自分の欲望、感情に打ち勝つこと。 「復礼」は礼の本質に立ち返り、礼の道に従うこと。 顔淵が師である孔子に「仁」について聞くと、「己に克ちて礼に復す」と答えたという故事から。
枯木死灰(こぼくしかい)
煩悩や邪な欲望などがない無心のたとえ。 または、情熱や元気がないことのたとえ。 枯れ木と完全に火が消えて冷たくなった灰という意味から。
三輪空寂(さんりんくうじゃく)
人に物をあげたり、お布施をするときは、渡す物への執着はやめるべきということ。 「三輪」はお布施をする人、施しを受ける人、施す物の三つのこと。 「空寂」はこの世の全てのものは実体がなく、空であるということ。 「三輪」の三つの全てが空であるとして、執着心を捨て去ることをいう。
少欲知足(しょうよくちそく)
すこしのもので満足すること。 「少欲」は持っていないものをたくさん求めないこと。 「知足」は足るを知るという意味で、持っているもので満足すること。 「欲少なくして足るを知る」とも読む。
心若死灰(しんじゃくしかい)
さっぱりとしていて欲がない様子。または深い悲しみによって元気を失った状態。 心が燃え尽きて冷たくなった灰のようであるとの意から。 「心(こころ)死灰(しかい)の若(ごと)し」とも読む。
清淡寡慾(せいたんかよく)
物事に執着せず、清らかで無欲な様子。 「清淡」は清らかで、無欲なこと。 「寡慾」は欲望が少ないこと。 「清淡寡欲」とも書く。
清淡虚無(せいたんきょむ)
静かで落ち着いて、わだかまりなどがなにもなく、欲の少ない心。 「清淡」は心が清らかでさっぱりしていること。 「虚無」は何もない状態ということから、物欲がないという意味。
曾参歌声(そうしんのかせい)
貧しい生活のなかでも欲にとらわれずに高潔に生きること。 「曾参」は人の名前。 曾参は衣食も満足にいかないほど貧しかったが、『詩経』の商頌の詩を歌うと世界に響き、金石の楽器の演奏のように見事なものだったという故事から。
則天去私(そくてんきょし)
私心を捨てて、自然に身を任せて生きること。 「則天」は自然の法則に逆らわないこと。 「去私」は私心を無くすこと。 夏目漱石が晩年に理想として目指した境地や、文学観をいう。 「天(てん)に則り私(わたくし)を去る」とも読む。
大公無私(たいこうむし)
きわめて公平で、少しも私心をはさまないこと。 物事の処理にあたって身内やえこひいきに流されず、公正に判断するさまをいう。 「公」はおおやけ・公平の意、「私」は自分本位のかたよりの意で、私情をまじえない公明正大な態度を表す。
退歩返照(たいほへんしょう)
物事への執着をやめ、反省して自分自身の心を理解すること。 「退歩」は基本に立ち返ること。 「返照」は反省して自身の心を理解すること。
恬淡寡欲(てんたんかよく)
物事にこだわらず、さっぱりとしていて、欲望が少ないこと。 「恬淡」は物事に執着せず、さっぱりとしていること。 「寡欲」は欲がすくないこと。
冬月赤足(とうげつせきそく)
欲を持たず、清く正しい行いをしているために、貧しい暮らしをしていることのたとえ。 「冬月」は季節の冬のこと。 「赤足」は足に何も履かない、裸足のこと。
屠羊之肆(とようのし)
自分の身の程に相応しい仕事のたとえ。 「屠」は獣を殺すこと。 「肆」は店のこと。 羊を殺して肉を売る店という意味。 中国の春秋時代、国を追われた楚の昭王のお供をしていた羊肉屋の説は、昭王が王に返り咲いたときに褒賞を与えられたが、「羊肉屋に戻れるだけで十分です」と言い、褒賞を受け取らなかったという故事から。
伯夷叔斉(はくいしゅくせい)
私欲がなく清らかな人格の人のたとえ。 「伯夷」と「叔斉」はどちらも人の名前。 伯夷と叔斉は自国を出て、周の文王に身を寄せた。 文王の死後、息子の武王が後を継ぎ、自身の主君である殷の紂王を討とうとしたので、不忠だと諫(いさ)めたが聞き入れられなかった。 その後、紂王を討ち取った武王が周王朝を建てたが、伯夷と叔斉は主君を討ち取った武王を非難し、周のものを食べることを恥として、周から離れて隠遁した後に餓死したという故事から。
富貴浮雲(ふうきふうん)
富や地位などは、はかないものであるということ。 悪行で手にした財産や地位は、はかなく身につかないこと。 また、金銭や地位などに心がひきつけられることがないことのたとえとしても用いられる言葉。 「浮雲」は浮いている雲のことで、落ち着きが無くはかないものであることから。
浮雲之志(ふうんのこころざし)
悪行で手に入れた地位や財産は、儚いものであるという考え。 または、そのようなものは自身とは関係ないものだという考え。 「浮雲」は空に浮いている雲のことで、雲はすぐに散ってなくなるということから、儚いもののたとえ。または、雲は手の届かないところにあるということから、自身に関係がないもののたとえ。
無私無偏(むしむへん)
自分の利益などを考えずに公平に行動や判断をすること。 「無偏」は偏ることがないこと。
無欲恬淡(むよくてんたん)
さっぱりとしていて、欲がなく、物事にこだわらないこと。 「恬淡」はものに執着せずに、落ち着いていること。 「恬淡」は「恬澹」、「恬憺」とも書く。
六根清浄(ろっこんしょうじょう)
欲望や迷いを断ち切り、心と体を清らかにすること。 「六根」は仏教で煩悩や迷いなどの元になるとされる六つの器官のことで、眼・耳・鼻・舌・身・意のことをいう。 「清浄」は煩悩や迷いなどを捨てて、汚れがなく清らかなこと。 山参りなどで修行者が山に登るときに唱えていた言葉。 「六根浄」と略して用いられることもあり、それが変化したものが「どっこいしょ」という掛け声の語源ともいわれている。
