「前」を含む四字熟語一覧
前を含む四字熟語の一覧です。
五十音順に表示しています。
一往直前(いちおうちょくぜん)
何があっても恐怖せずに、ひたすらまっすぐ進むこと。 「一往」はひたむきという意味。 「直前」は前だけを見てまっすぐ進むこと。
階前万里(かいぜんばんり)
天子が地方の政治の状況を詳しく知っていて、家臣がごまかすことができないこと。 「階前」は宮殿の階段の前のこと。 宮殿の階段の前にあるかのように、万里の遠方の地方のことも詳しく知っているという意味から。
冠前絶後(かんぜんぜつご)
他よりも、飛び抜けてすぐれていること。 または、極めて珍しいこと。 「冠前」は過去から今までで一番すぐれていること。 「絶後」は今から未来にも現われないということ。 「冠絶」と略して使うこともある言葉。 中国の宋の徽宋帝が、唐の画家の呉道子を評した故事から。
空前絶後(くうぜんぜつご)
今までに例がなく、これからも起こることがないような珍しいこと。 「空前」は今までに起きたことがない。 「絶後」はこれからも起こることはありえないという意味。
梧前灯火(ごぜんとうか)
書斎で本を読むこと。 「梧前」は桐の机の前のこと。 桐の机の前の明かりの下という意味から。
史上空前(しじょうくうぜん)
過去に一度もないほどに珍しいこと。 「史上」は歴史として記録されている範囲内ということ。 「空前」は今までに一度もないということ。
承前啓後(しょうぜんけいご)
昔からのものを受け継いで、未来を切り開くこと。 学問や事業などのことをいう。 文化や文明を受け継いでいくことの大切さをいう言葉で、中国で昔から重要視されてきた考え方。 「前を承け後を啓(ひら)く」とも読む。
食前方丈(しょくぜんほうじょう)
極めて贅沢で豪華な食事のこと。 「食前」は食事の時に座る席の前。 「方丈」は一丈四方。 自分の席の前の一丈四方に、ごちそうが一杯に並べられるという意味から。
前倨後恭(ぜんきょこうきょう)
調子にのって横暴な態度をとっていたが、急に態度を変えて、相手にへつらうようになること。 「倨」は偉そうな態度をとること。 「恭」は礼儀正しく丁寧なこと。 中国の戦国時代の遊説家の蘇秦は、諸国を放浪して貧しくなって故郷に帰ると、家族は偉そうに馬鹿にした態度をとった。 蘇秦は、その後に六国の宰相になって故郷に帰ると、家族は腰を低くして丁寧に迎え、媚びへつらったという故事から。 「前(さき)には倨(おご)りて後(のち)には恭(うやうや)し」とも読む。
前言往行(ぜんげんおうこう)
昔の聖人や賢者が残した言葉や功績。 「前言」は昔の人が言った言葉。 「往行」は昔の人が残した功績や行動。
前虎後狼(ぜんここうろう)
災難などの辛いことが次から次へと起こること。 前から来る虎を防いでも、すぐに後ろから狼がやって来るという意味から。 「前門の虎、後門の狼」という形で使うことが多い言葉。 「前門に虎を拒ぎ後門に狼を進む」を略した言葉。
前後不覚(ぜんごふかく)
物事の前後がわからなくなるほど、正気を失ってしまうこと。 気絶したり、酒を飲みすぎたりした状態のことをいう言葉。 「前後」は物事の前と後。 「不覚」は意識がしっかりしてしないこと。
前後矛盾(ぜんごむじゅん)
言葉や行動が前後で噛み合っていないこと。 「矛盾」は二つの物事の辻褄があっていないこと。
前車之轍(ぜんしゃのてつ)
先人の失敗を学び、今の戒めにすること。 先に通った車のひっくり返った車輪の跡を見て、同じようにならないように、その場所を通らないようにするという意味から。
前車覆轍(ぜんしゃのふくてつ)
先人の失敗を学び、今の戒めにすること。 「覆轍」はひっくり返った車の残した車輪の跡のこと。 先に通った車のひっくり返った車輪の跡を見て、同じようにならないように、その場所を通らないようにするという意味から。
前人未踏(ぜんじんみとう)
今までに誰一人として成し遂げたことがないこと。 または、誰も足を踏み入れたことがないこと。 「前人」は過去から現在までの全ての人、先人のこと。 「未到」は到達したことがないこと。 今までにない素晴らしい記録や先人が誰一人として踏み込んだことのない場所への探検について使う言葉。 「前人未踏」とも書く。 「未踏」は誰もそこに入ったことがないという意味。
前人未到(ぜんじんみとう)
今までに誰一人として成し遂げたことがないこと。 または、誰も足を踏み入れたことがないこと。 「前人」は過去から現在までの全ての人、先人のこと。 「未到」は到達したことがないこと。 今までにない素晴らしい記録や先人が誰一人として踏み込んだことのない場所への探検について使う言葉。 「前人未踏」とも書く。 「未踏」は誰もそこに入ったことがないという意味。
前代未聞(ぜんだいみもん)
いまだかつて聞いたことがないようなこと。 大変な出来事や珍しい出来事などをいう言葉。 「前代」は現在より前の時代のこと。 「未聞」は一度も聞いたことがないこと。
前程万里(ぜんていばんり)
これから先の目的地までの道のりが遠く長いこと。 または、将来に大きな可能性があること。 「前程」はこれから先の道のり。 「万里」は距離が非常に遠いことのたとえ。
前途多難(ぜんとたなん)
これから先に、数多くの困難が待っていること。 または、そのように予想されること。 「前途」は将来、これから先の道のり。 「多難」は困難や災難などの苦労する出来事が多いこと。
前途多望(ぜんとたぼう)
将来、成功する可能性が大いにあること。 「前途」はこれから先の道のり、将来のこと。 「多望」は望みが叶う可能性があること。
前途有望(ぜんとゆうぼう)
将来、成功する可能性が大いにあること。 「前途」はこれから先の道のり、将来のこと。 「有望」は望みが叶う可能性があること。
前途洋々(ぜんとようよう)
これから先の人生が明るく開けていて、希望に満ちていること。 「前途」はこれから先の道のり。将来。 「洋洋」は見渡す限り一面に水が広々と満ちている様子、転じて、大きく広がっている様子のこと。 「前途洋々」とも書く。
前途洋洋(ぜんとようよう)
これから先の人生が明るく開けていて、希望に満ちていること。 「前途」はこれから先の道のり。将来。 「洋洋」は見渡す限り一面に水が広々と満ちている様子、転じて、大きく広がっている様子のこと。 「前途洋々」とも書く。
前途遼遠(ぜんとりょうえん)
これから先の道のりが非常に遠いこと。 「前途」はこれから先の道のり、将来のこと。 「遼」と「遠」はどこまでも続いているということ。 目的を果たすまでに、たくさんの苦労や災難が待ち構えていることをいう。
前跋後疐(ぜんばつこうち)
どうすることもできない窮地に追い込まれること。 「跋」は踏むこと。 「疐」はつまずき倒れること。 年老いた狼は前に進もうとすると垂れ下がった自分の顎を踏み、後ろに進もうとすると自分の尻尾を踏んで倒れるという意味から。 「前に跋(ふ)み後ろに疐(つまず)く」とも読む。
前仆後継(ぜんふこうけい)
次々に犠牲者が出ること。 または、犠牲を恐れることなく、前に進み続けること。 「仆」は倒れること。 前にいる人が倒れると、その後ろの人が続いて倒れるという意味から。 「前(まえ)仆(たお)るれば後継ぐ」とも読む。
前覆後戒(ぜんぷくこうかい)
先人の失敗を学び、今の戒めにすること。 「覆」はひっくり返った車の残した車輪の跡のこと。 先に通った車のひっくり返った車輪の跡を見て、同じようにならないようにその場所を通らないようにするという意味から。
前狼後虎(ぜんろうこうこ)
災難などの辛いことが次から次へと起こること。 前から来る虎を防いでも、すぐに後ろから狼がやって来るという意味から。
敵前逃亡(てきぜんとうぼう)
物事に直面して責任を取らずに逃げること。 目の前にいる敵と戦わずに逃げるということから。
手前勝手(てまえがって)
自分の都合だけを考えて、都合のよい理屈を言ったり、振る舞ったりすること。 「手前」は自身のことをいう一人称の一つ。 「勝手」は自身の都合がよいように振る舞うこと。
手前味噌(てまえみそ)
自分で自分のことを自慢すること。 各家庭で味噌を作ることが一般的であった頃、色々な工夫をこらして作った自分の味噌を周りに自慢していたことが語源とされている。
東岱前後(とうたいぜんご)
人の命は儚いものであるということ。 「東岱」は中国の山の泰山の別名。 泰山は死者の魂が帰り着く場所とされていたことから、人が死ぬことのたとえ。 「前後」は前後が定まっていないこと。 泰山に立ち上る煙のように不安定ということから、生き死にが定まっていないことのたとえ。 「東黛前後」とも書く。
東黛前後(とうたいぜんご)
人の命は儚いものであるということ。 「東岱」は中国の山の泰山の別名。 泰山は死者の魂が帰り着く場所とされていたことから、人が死ぬことのたとえ。 「前後」は前後が定まっていないこと。 泰山に立ち上る煙のように不安定ということから、生き死にが定まっていないことのたとえ。 「東黛前後」とも書く。
風前之灯(ふうぜんのともしび)
人の命や物事が非常に危険な状況にあることのたとえ。 風が吹き付けていていつ消えてもおかしくない灯火という意味から。
門前雀羅(もんぜんじゃくら)
訪ねてくる人が全くいないさびしい様子のこと。 「雀羅」は鳥のすずめを捕まえるときに使う網のこと。 人の気配がないため、門の前にたくさんのすずめが集まっており、網を設置すれば捕まえられるほどであるという意味から。 「門前雀羅設くべし」を略したもので、主に「門前雀羅を張る」という形で使う言葉。
門前成市(もんぜんせいし)
たくさんの人が集まること。 門の前にたくさんの人が集まっていて市場のようになっているという意味から。 中国の前漢の時代の鄭崇が、人を集めて謀反を企んでいると疑われ、「家の門の前には市場のように人がいるが、心は水のように清らかです」と訴えたという故事から。 「門前(もんぜん)市を成す」とも読む。