「ん」を含む四字熟語
「ん」を含む四字熟語 — 4069 件
一文半銭(いちもんはんせん)
ごくわずかな金銭のこと。 「文」と「銭」はともに昔の通貨の単位。 一文銭の直径が一寸(ひとき)であることから、半銭を"きなか"とも読む。
一文不通(いちもんふつう)
読み書きができないこと。 「文」は文字の意。 一文字ですら意味が通じていないことから。
一夜検校(いちやけんぎょう)
急に金持ちになることのたとえ。 「検校」は江戸時代、盲人に与えられた最高の官名。 大金を官に上納し、検校の位を受けたもののことをこう呼んだということから。
以長撃短(いちょうげきたん)
味方の長所を活かして、相手の短所を攻撃する。 戦場での兵の動かし方を説いた言葉。 「長(ちょう)を以(もっ)て短(たん)を撃つ」とも読む。
以長続短(いちょうぞくたん)
他人の長所を学び、それを取り入れて自分の短所を補うこと。 「長(ちょう)を以(もっ)て短(たん)を続(つ)ぐ」とも読む。
一落千丈(いちらくせんじょう)
地位や権威、価値などが一気に落ちること。 「丈」は高さの単位。 一度に千丈を落ちるということから。
一粒万倍(いちりゅうまんばい)
ほんの少しのものから大きな利益をあげることのたとえ。 または、小さなものでも粗末に扱ってはいけないという戒め。 または、稲の別名。 「一粒」は一粒の種のこと。 「万倍」は一万倍のこと。 一粒の種が、たくさん(一万倍)の稲の穂を実らせるという意味から。 元は仏教の言葉で、一つの善い行いをすればたくさんのよい結果がもたらされることのたとえ。
一力当先(いちりょくとうせん)
自身の力だけで、先頭で敵に当たること。 「一力」は自身の力。 「当先」は真っ先に敵と当たること。
一縷千鈞(いちるせんきん)
極めて危険なこと。 「縷」は糸のこと。 「鈞」は重さの単位。 一本の糸で千鈞もの重い物を吊るすということから。
一蓮托生(いちれんたくしょう)
極楽浄土に往生して同じ蓮の花の上に生まれ変わるという意味の仏教語。 転じて、何があろうとも行動や運命を共にすること。 「一蓮託生」とも書く。
一路順風(いちろじゅんぷう)
ものごとが順調に進むこと。 または、旅に出る人の安全を祈ることば。 「一路」はひたすらの意味。 「順風」は追い風のこと。 船の航行が順調ということから。
一路平安(いちろへいあん)
旅立つ人の道中の安全を祈る言葉。 「一路」は旅の道中のこと。 「平安」は無事で穏やかなこと。 「平安一路」ともいう。
一攫千金(いっかくせんきん)
苦労することなく、一度の機会で大金を手に入れること。 「一攫」は一度つかむこと。 「千金」は大金のこと。 現在では「一獲千金」とも書くが、本来は誤用。
一家眷族(いっかけんぞく)
家族や親族、血縁者のこと。 または、その家臣や部下のこと。 「一家眷属」とも書く。
一家相伝(いっかそうでん)
一つの家系でのみ、代々引き継いでいく技術やもののこと。 「相伝」は代々引き継いで伝えること。
一家団欒(いっかだんらん)
家族が集まって仲良く談笑したりしながら楽しい時間を過ごすこと。 「団欒」は人が集まって輪になって座ること。または、親しい人たちが集まって楽しく過ごすこと。
一竿風月(いっかんふうげつ)
俗世にとらわれず、自然の中でのんびりと自由な生活を送ること。 「竿」は釣竿のこと。 「風月」は自然を親しみ、風流を楽しむこと。 一本の釣竿を持って、風流を楽しむということから。
一貴一賤(いっきいっせん)
貧しくなったり、豊かになったりすること。 または、貧しいときと豊かなときで人の扱いが変わるということ。 「一」は"あるときは"という意味。 「貴」は豊かな様子。 「賤」は貧しい様子。
一騎当千(いっきとうせん)
並外れた能力を持つ勇敢な人のこと。 または、ずば抜けた能力や経験を持つ人のこと。 「一騎」は一人の騎兵、「当千」は千人の敵と当たることで、一人で千人の敵と戦うことが出来るほど強いという意味から。
一球入魂(いっきゅうにゅうこん)
野球で、精神を集中して一球一球を投げること。 「入魂」はものごとに魂を込めること。 野球から生まれた造語。
一琴一鶴(いっきんいっかく)
清廉潔白な役人のこと。 または、旅支度がとても簡易であることのたとえ。 一張りの琴と一羽の鶴の意。 宋の役人が蜀に赴任する際、一張りの琴と一羽の鶴だけを携えて出ていったことから。
一薫一蕕(いっくんいちゆう)
悪が善を駆逐すること。 善は消えやすく、悪を取り除くのは難しくはびこりやすことのたとえ。 「薫」は香りのよい草のこと。 「蕕」は臭い草のこと。 二つを同じところにおけば、よい香りが消されてしまうことから。
一蹶不振(いっけつふしん)
一度の失敗で挫折してしまい、二度と立ち上がれなくなること。 「蹶」はつまずくこと。 「不振」は勢いがなくなること。 「一蹶(いっけつ)して振るわず」とも読む。
一結杳然(いっけつようぜん)
文章の後に残っている風情。 「一結」は文章に一旦まとまりをつけること。 「杳然」は悠然という意味。
一件落着(いっけんらくちゃく)
問題となっていた物事や事件が解決し、決着がつくこと。 「一件」は一つの物事や事件のこと。 「落着」は物事の決まりが着くこと。
一国三公(いっこくさんこう)
指示を出す人が多すぎて、統率が取れなくなること。 三人の君主が一つの同じ国にいるということから。 「三公」は三人の君主。
一刻千金(いっこくせんきん)
ほんのわずかな時間が千金にも値するということ。 「一刻」の「刻」は時間の単位のことで、わずかな時間のたとえ。 「千金」は多額の金銭のことから、価値があるもののたとえ。 楽しい時間や季節などがあっという間に過ぎ去っていくことを惜しんでいう言葉。 また、少しの時間でも大切にするべきだという戒め。 出典は「春宵一刻値千金」という言葉で、春の夜は素晴らしく非常に価値があるという意味。 「千金一刻」ともいう。
一刻千秋(いっこくせんしゅう)
とても待ち遠しいこと。 「一刻」はとても短い時間ということ。 「千秋」は千年のこと。 わずかな時間なのに、千年にも思えるほど待ち遠しいということから。
一壺千金(いっこせんきん)
価値がないと思えるものでも、時と場合によっては非常に役に立つこと。 「壺」はひょうたんのこと。 「千金」はきわめて大きな価値という意味。 普段は価値のないひょうたんも、溺れそうになったときには浮き袋の代わりとなり、はかれないほどの大きな価値になるということから。
一子相伝(いっしそうでん)
学問や技芸などの奥義を子孫の一人、または、弟子の一人だけに伝授し、他の者には決して漏らさないこと。 「相伝」は物事を代々伝えていくこと。
一視同仁(いっしどうじん)
差別することなく、全ての人を平等に慈しむこと。 「一視」は一つのものとして見ること。 「仁」は愛するという意味。 「同仁」は全てのものを同じように愛するという意味。 「同仁一視」ともいう。
一紙半銭(いっしはんせん)
ごくわずかなことのたとえ。 「一紙」は一枚の紙のこと。 「半銭」は半文の銭のこと。 仏教用語では、寄進の金額が少ないことをいう。
一糸不乱(いっしふらん)
完全に整っている様子。 一本の糸も乱れていないということから。 「一糸(いっし)、乱(みだ)れず」とも読む。
一瀉千里(いっしゃせんり)
文章や言葉が、止まることなくすらすらと出てくることのたとえ。 または、物事が順調にどんどん進むこと。 「瀉」は斜めになっている場所を水が勢いよく流れること。 「里」は距離の単位。「千里」はとても長い距離のたとえ。 水が勢いよく流れ始めると、あっという間に千里も流れていくという意味から。
一宿一飯(いっしゅくいっぱん)
ちょっとした世話になること。 「一宿」は一泊させてもらうこと。 「一飯」は一回の食事をご馳走になること。 「一宿一飯の恩義」という形で、ちょっとした恩義でも決して忘れてはならないという戒めの言葉として用いられる。 昔の博徒は、少しでも他人の世話になったならば、それを一生の恩義としていたことからきた言葉。
一生懸命(いっしょうけんめい)
全力で物事に取り組む様子。命がけで物事に取り組む様子。 「懸命」は命をかけて取り組むこと。 「一所懸命」が変化した言葉。
一倡三歎(いっしょうさんたん)
優れた詩文を褒め称えていう言葉。 「倡」は詩文を読むこと。 「三」は何度もの意。 「歎」は感心して褒め称える、感嘆という意味。 一度読み上げる間に何度も感歎することから。 「一倡」は「一唱」、「三歎」は「三嘆」とも書く。
一笑千金(いっしょうせんきん)
美人のこと。 一度の微笑みが千金にも値することから。 「千金一笑」ともいう。
一将万骨(いっしょうばんこつ)
功名や手柄は上に立っている人が得るが、その陰には多くの部下の犠牲があるということ。 また、それを忘れてはいけないという戒め。 「将」は将軍のこと。 「万骨」は何万もの遺骨のこと。 「一将功成りて万骨枯る」の略した言葉。
一生不犯(いっしょうふぼん)
仏教での僧侶の戒律で、一生涯にわたって戒めを守り、男女の交わりをしないこと。 「不犯」は僧侶が戒律を守り、侵さないこと。
一所懸命(いっしょけんめい)
命がけで物事に取り組む様子。全力で物事に取り組む様子。 「一所」は主君から賜った一か所の領地。 「懸命」は命をかけて取り組むこと。 中世の日本で、幕府から賜った領地を命がけで守ることをいった言葉。
一心一意(いっしんいちい)
心を一つにして一途に思うこと。 また、集中して一心に励むこと。 「一心」と「一意」はともに一つのことをたひたすらに思うこと。
一心一向(いっしんいっこう)
他のことに気を散らさず、一つのことに集中すること。 「一心」は一つのことに集中すること。 「一向」は一つの方向を目指すこと。
一進一退(いっしんいったい)
進んだり退いたりすること。 または、物事の状況が良くなったり、悪くなったりすること。 「一進」はときには進むこと。 「一退」はときには退くこと。
一身軽舟(いっしんけいしゅう)
自然の中で自身と乗っている船が一つに感じられ、自身と他のものの区別がつかなくなること。 または、そのように感じるほどに風景が壮観な様子。 「軽舟」は軽快に進む小舟のこと。 「一身軽舟と為る」を略した言葉。
一身是胆(いっしんしたん)
強い勇気があり、何事にも恐れないことのたとえ。 体全体に胆力が満ち溢れているという意味から。 「一身」は全身。 「胆」は勇気や度胸のこと。 「一身(いっしん)是(こ)れ胆(たん)なり」とも読む。 中国の三国時代、蜀の劉備が魏の曹操に追われて逃げたときに活躍した、部下の趙雲の勇ましさを称えたという故事から。
一心同体(いっしんどうたい)
複数の人が心を一つにして、まるで一人の人であるかのように固く結びつくこと。 「一心」は複数の人が心を一つにすること。 「同体」は一つの体のようになること。 夫婦の愛情や友人との信頼などのことをいう言葉。
一心不乱(いっしんふらん)
他のことに心を奪われることなく、一つのことに集中すること。 または、余所見をすることなく、ひたすら努力すること。 「一心」は心を一つにして集中すること。 「不乱」は乱さないこと。 元は仏教の語。
一心発起(いっしんほっき)
何かを成し遂げる決意を固めること。 「発起」は仏教用語で、悟りを得ようとすること。
一水四見(いっすいしけん)
同じものを見ても、見る人が変わればそれぞれの見方があるということ。 「一水」は一つの水のこと。 「四見」は四つの見方という意味から、様々な見方のたとえ。 仏教用語。
一酔千日(いっすいせんにち)
極めておいしい酒のこと。 一杯飲むだけで心地よく酔い、そのまま千日眠り続けるという意味から。 酒好きの劉玄石という人が、酒屋で千日酒という酒を買い、酔って眠ると家族に死んだと思われて葬られてしまった。 飲酒の限度を言い忘れた酒屋の店主が、千日後を狙って劉玄石を尋ねたところ、既に埋められていた。 店主が慌てて墓を暴くと劉玄石が、ちょうど目を覚ましたところだったという故事から。
一寸光陰(いっすんのこういん)
ほんの少しの時間のこと。 少しでも時間を無駄にしてはいけないという戒めの言葉。 「一寸」の「寸」は長さの単位で、とても短いことや、少ないことのたとえ。 「光陰」は日時計の陰のことから、時間や年月のたとえ。 「一寸の光陰軽んずべからず」の形で使うことが多い言葉。 朱熹の「遇成」の詩とされていたが、現在では日本の五山の僧侶が作ったとされる説がある。
一寸丹心(いっすんのたんしん)
嘘のない本心からの誠意。 ほんの少しだけの真心という意味から。 自身の誠意という意味の謙譲語。 「一寸」の「寸」は長さの単位で、とても短いことや、少ないことのたとえ。 「丹心」は真心、誠意のこと。
一世一元(いっせいいちげん)
天皇や皇帝が一代ごとに一つの元号を定め、変えずに用いること。 日本では明治天皇のときに制度として実施された。
一成不変(いっせいふへん)
一度出来上がったものは、二度と変えるが出来ないということ。 一度出来上がってしまうと、それを変えるは難しいので、慎重を期してすべきであるという戒めの言葉。 「一成」は完成すること。
一銭一厘(いっせんいちりん)
ほんの少しの金銭のこと。 または、非常に少ないこと。 「銭」と「厘」はどちらも昔の金銭の単位で、「銭」は一円の百分の一円の単位、「厘」は一円の千分の一円の単位。
一箭双雕(いっせんそうちょう)
一つの行動で二つの利益を得ること。 「箭」は矢、「雕」は鷲。 一本の矢を一回放って、二羽の鷲を射るという意味から。
一体分身(いったいぶんしん)
一つのものが複数のものに分かれること。 仏教の言葉で、世の人々を救うために、仏が様々な姿をかりて現れること。
一旦豁然(いったんかつぜん)
ふとした時にいきなり迷いがなくなり、悟りが開けること。 「一旦」はとある朝。 「豁然」は迷いがなくなって悟りが開けること。
一旦緩急(いったんかんきゅう)
いざというとき。緊急時には。 「一旦」はある朝、ある日という意味から、ひとたび、一度という意味。 「緩急」は急を要する事態のこと。 「一旦緩急あれば」という形で用いる言葉で、一度、緊急の事態が起こればという意味。
一治一乱(いっちいちらん)
世の中が治まったり乱れたりと繰り返し変化する様子。 「一」は「あるときは~、あるときは~」という意味で、「一治一乱」の場合、あるときは平和に治まったり、あるときは戦乱によって乱れるという意味になる。
一致団結(いっちだんけつ)
目的を達成するために、たくさんの人が心を一つにして協力すること。 「一致」は心を一つにすること。 「団結」は複数の人が力を合わせること。
一知半解(いっちはんかい)
知ってはいるが、完璧には理解していないこと。 「一知」は一つのことを知っていること。 「半解」は半分だけ理解していること。
一長一短(いっちょういったん)
人や物には、長所もあれば短所もあるということ。 また、得意なことと苦手なことがあり、完全ではないということ。 「長」は長所、得意なこと。「短」は短所、苦手なこと。 「一」は「~もあれば~もある」という意味で、「一長一短」の場合は「長所もあれば短所もある」という意味になる。 「一短一長」ともいう。
一擲千金(いってきせんきん)
惜しむことなく豪快に大金を使うこと。 または、思い切りよく行動すること。 「一擲」は一度投げること。 「千金」は大金のこと。 賭け事の一度の勝負に大金を賭けることから。 「千金一擲」ともいう。
一点一画(いってんいっかく)
文字の一つの点、一つの筆画、主に漢字についていう。 または、文字の一つ一つの細かいところに気をつけて、丁寧に書くこと。
一天四海(いってんしかい)
全世界。 「一天」は天の下全てということから、全世界のこと。 「四海」は四方向全ての海ということから、全世界のこと。
一点素心(いってんそしん)
名誉や利益に固執しない純粋な心。 「一点」は一つのや、少しのという意味。 「素心」は世俗にとらわれない純粋な心。
一天万乗(いってんばんじょう)
天子や天皇のこと。 「一天」は天の下全てということから、全世界のこと。 「乗」は兵車のことや、兵車を数える場合に使う単位。 一万乗の兵車を出すことが出来る国の君主という意味から。 古代中国では、兵車一台に馬四頭と兵士百人がついていたとされている。 「一天万乗の君」を略した言葉。
一刀三礼(いっとうさんらい)
慎みを持って、深く敬いながら仕事をすること。 仏像を作るときは、一彫りごとに三回礼拝するという意味から。
一刀両断(いっとうりょうだん)
ためらうことなく、物事をすぐさま決断すること。 または、思い切りよく、物事の始末をつけること。 「一刀」は刀を一度振り下ろすこと。 「両断」は二つに切断すること。 刀を一度振り下ろし、真っ二つに切断するという意味から。 「一刀両段」とも書く。
一徳一心(いっとくいっしん)
目的や利益が同じ者同士が心を一つにして事にあたること。 または、君主と臣下が心を合わせ団結して物事を行うこと。 「徳を一(いつ)にし心(こころ)を一(いつ)にす」とも読む。 「一心一徳」ともいう。
一斗百篇(いっとひゃっぺん)
酒をたくさん飲んで、たくさんの詩を書くこと。 「斗」は容積の単位。 唐の詩人の李白は、一斗の酒を飲んでいる間に詩を百篇作ったという故事から。
一登竜門(いっとりゅうもん)
権力を持っている人に認められると、急激に世間の評判はよくなるということ。 「一登」は一回登ること。 「竜門」は中国の黄河の上流にある山のことで、非常に激しい流れの川があることで有名。 苦しく険しいことで有名な場所を一度でも登りきれば、名声を上げることが出来るということから。
一髪千鈞(いっぱつせんきん)
極めて危険なことのたとえ。 「鈞」は中国の昔の重さの単位で、「一鈞」は周の時代では約八キログラム、唐の時代では約二十キログラム。 髪の毛一本で千鈞の重さがあるものを吊り下げることから。 「一髪、千鈞を引く」を略した言葉。 「千鈞一髪」ともいう。
一波万波(いっぱばんぱ)
規模の小さな事件でも、広い範囲に影響があるということのたとえ。 波が一つ起きると、そこからたくさんの波が続いて起きるという意味から。 「一波纔かに動いて万波随う」の形で使うことが多い言葉。
一飯君恩(いっぱんくんおん)
一度の食事の恩をいつまでも忘れないこと。 「一飯」は一膳の食事。 少しの恩でも忘れてはいけないという戒めの言葉。
一飯千金(いっぱんせんきん)
ほんの少しの恩義でも決して忘れず、手厚いお返しをすること。 一度の食事には千金もの価値があるという意味から。 受けた恩義がどれほど小さくても、それを忘れてはいけないという戒めの言葉。 中国の漢の時代の韓信は貧しく、老婆にしばらくの間食事を恵んでもらい、その後、出世して楚の王となり、その老婆を呼び千金を与えたという故事から。
一斑全豹(いっぱんぜんぴょう)
物事のわずかな部分だけを見て、物事の全体を推測したり、批評したりすること。 見識が狭いことのたとえ。 「一斑」は、豹(ひょう)の毛皮にあるまだら模様のうちの一つのこと。転じて物事の一部分。 狭い管を覗いて中から見えた一つの豹のまだら模様を見て、豹の全体を推測するという意味から。 「全豹一斑」ともいう。
一飯之恩(いっぱんのおん)
ほんのわずかな恩義のこと。 一度食事をご馳走になっただけの少しだけの恩義という意味で、そのような少しの恩義でも忘れてはいけないという戒めの言葉。