「観」で終わる四字熟語
「観」で終わる四字熟語 — 9 件
円頓止観(えんどんしかん)
人格を完成した完璧な悟りの境地をいう言葉。 すべての物事を完全に備えていて、雑念がなく、直ちに悟りに到る境地のこと。 すべての存在がそのまま真実の理法にかなうことを正しく観察すること。 主に仏教の天台宗で「漸次止観」、「不定止観」と合わせて、「三種止観」と呼ばれる言葉。
拱手傍観(きょうしゅぼうかん)
何もせずにただ近くで見ること。 「拱手」は古代中国の敬礼のことで、手を胸の前で合わせて重ねる動作ということから、腕を組んで何もしないことをいう。 「傍観」は近くで何もせずに見ること。 「手を拱(こまね)いて傍(かたわ)らで観る」とも読む。 「拱手旁観」とも書く。
三諦止観(さんたいしかん)
仏道の修行に努めること。 「三諦」は空諦、仮諦、中諦の三つの真理こと。 「止観」は専念して、対象を正しく認識すること。
四門遊観(しもんゆうかん)
釈迦が太子の時に、四つの門から外に出て老人、病人、死人、修行者を見つけて、出家を決意した伝説のこと。 釈迦がまだシッダルータ太子と呼ばれ、不自由のない生活をしていたときに、城外で遊ぼうとして別々の日に別々の門の外に老人、病人、死人を見かけた。 そして、人間の無常を感じ、最後に修行者に出会い出家する決意をしたといわれる。
袖手旁観(しゅうしゅぼうかん)
隣で何も出来ずに、ただ見ていること。 「袖手」は袖の中から手を出さないということから、何もしないこと。 大きな出来事が起きて、やらなければならないことがあるのに、何もせずにただ見ているだけでいることを非難する目的で用いることが多い言葉。 「袖手傍観」とも書く。
真人大観(しんじんたいかん)
物事を深くきわめた人は広く全体を見ることができ、判断を間違えないということ。 「真人」は道理をわきまえていて、深く物事に通じている人のこと。 「大観」は物事全体を広く見ること。
達人大観(たつじんたいかん)
物事を深くきわめた人は広く全体を見ることができ、判断を間違えないということ。 「達人」は道理をわきまえていて、深く物事に通じている人のこと。 「大観」は物事全体を広く見ること。
俯察仰観(ふさつぎょうかん)
目に入るさまざまな物や現象を観察すること。 上を見上げては空に起こる現象を観察し、下を見ては土地の様子を観察するという意味から。 「俯察仰観」ともいう。
冷眼傍観(れいがんぼうかん)
事の成り行きを、冷然と側でただ眺めていること。 「冷眼」は冷ややかな目のこと。 「傍観」はそばでみているだけのこと。
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