杜門却掃について

四字熟語 | 杜門却掃 |
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読み方 | ともんきゃくそう |
意味 | 門を開けることなく、世間との関係を絶つこと。 「杜門」は門を閉じること。 「却掃」は客をしりぞけること。 道を掃除して客を迎えることをしないという意味から。 |
出典 | 『風俗通義』「十反」 |
使用されている漢字
「杜」を含む四字熟語
杜撰脱漏(ずさんだつろう)
物事のやり方が雑で、間違っている部分が多いこと。 「杜撰」は北宋の杜黙という詩人の作品が、当時の詩の約束事を守っていないものが多かったという事から、間違いが多く、規則に合っていない文章や詩のことをいう。
杜口結舌(とこうけつぜつ)
権勢をふるっている人には、わざわざ何か言ったりしないことのたとえ。 「杜口」は口を塞ぐこと。 「結舌」は舌を動かさないこと。 どちらも何も言わないという意味。 「口を杜ぎ舌を結ぶ」とも読む。
杜黙詩撰(ともくしさん)
詩や文章にたくさんの間違いがあって、いい加減なこと。 「杜黙」は人の名前。 「詩撰」は詩や文章を作ること。 中国の詩人の杜黙の作る詩や文章は、定型詩の格式にほとんど当てはまっていなかったということから。 「杜撰」という形で使うことが多い言葉。
杜門却掃(ともんきゃくそう)
「門」を含む四字熟語
一門数竈(いちもんすうそう)
一つの家族が一つの家に暮らしながらも、生計を別々にしてまとまりがないことを非難する言葉。 「一門」は一つの家族。 「数竈」はかまどが複数あること。 一つの家に複数のかまどがあるということから。 元は魏が南方の江南地方の風習を非難して言った言葉。
一登竜門(いっとりゅうもん)
権力を持っている人に認められると、急激に世間の評判はよくなるということ。 「一登」は一回登ること。 「竜門」は中国の黄河の上流にある山のことで、非常に激しい流れの川があることで有名。 苦しく険しいことで有名な場所を一度でも登りきれば、名声を上げることが出来るということから。
倚門之望(いもんのぼう)
母親が子のことを思う愛情のこと。 「倚」は寄りかかるという意味。 母親が門に寄りかかって、子の帰りを待ち望むという意味から。 中国の春秋時代の衛の王孫賈は、朝早くから夜遅くまで出掛けることが多く、母親は家の前の門や、村の入り口にある閭という門に寄りかかって帰ってくるのを待ちわびたという故事から。
于公高門(うこうこうもん)
人知れず善行を積んだ家の子孫は繁栄することのたとえ。 「于公」は人物名で、漢代に丞相になった于定国の父のこと。 于公は裁判官として公平に裁判を処理して、ひそかに善行を積んでいた。 彼の住む村の門を修理するときに、人知れず善行を積む家の子孫は出世して繁栄するだろうと、門を広大に作った故事から。
轅門二竜(えんもんにりょう)
中国の唐の烏承ヒンと烏承恩の二人のこと。 二人が戦場ですぐれた功績をあげたことを評した言葉。 「轅門」は戦場のたとえで、二台の戦車の舵棒、轅を向かい合わせて門にしたということから。
王門伶人(おうもんれいじん)
王家に仕える演奏家。 または、権力者に召抱えられている芸術家。 「王門」は王家。 「伶人」は演奏家。 武陵王は、琴の達人の戴逵を召抱えようとしたが断られたという故事から。
「却」を含む四字熟語
減価償却(げんかしょうきゃく)
会計上の手続きの一つで、使用や年数の経過で土地以外の固定資産の価値の減少を各会計年度に割り当てて、一定の方式で経費として算入すること。
心頭滅却(しんとうめっきゃく)
気を散らすような考えを消し去ること。 または、集中してことにあたれば、苦しさを感じないということ。 「心頭」は心の中。胸の内。 「滅却」は何も残らないように全て無くすこと。 「心頭を滅却すれば火もまた涼し」を略した言葉で、禅僧の快川が織田信長に寺を焼き討ちにされた際、燃え上がる山門でこの句を唱えたという故事から。
杜門却掃(ともんきゃくそう)
「掃」を含む四字熟語
校書掃塵(こうしょそうじん)
何度書物を校正しても、誤りがなくなることがないということ。 書物を校正する作業は、机の上の全ての塵を掃ってもなくなることはないように、終わることは無いという意味から。 「書を校するは塵を掃うが如し」を略した言葉。
灑掃応対(さいそうおうたい)
日常生活での家事や作法のこと。 「灑掃」は水をまいたり洗うなどの水を使った掃除とほうきで掃くこと。 「応対」は人に接して受け答えすること。
洒掃薪水(さいそうしんすい)
家事仕事のこと。 「洒掃」は掃除のこと。 「薪水」は炊事のこと。 水をまいて箒で掃き掃除をして、薪を集め、水を汲んで炊事をするという意味から。 「灑掃薪水」とも書く。
杜門却掃(ともんきゃくそう)
斗量帚掃(とりょうそうそう)
普通の人。 または、人材や物がたくさん余っていること。 「斗量」はますで量を量ること。 「帚掃」はほうきで掃くこと。 どちらも余っていることのたとえで、自分のことを謙遜していう言葉。