「垂」を含む四字熟語一覧
垂を含む四字熟語の一覧です。
五十音順に表示しています。
永垂不朽(えいすいふきゅう)
名誉や名声、業績などが伝わり、決して滅びることがないこと。 「永垂」は永遠と後世に伝わる、「不朽」は滅びることがない、後世まで残るという意味。
黄髪垂髫(こうはつすいちょう)
老人と子どものこと。 「黄髪」は黄色がかった白髪ということから、老人のたとえ。 「垂髫」は子どものおさげ髪ということから、子どものたとえ。
耳竪垂肩(じじゅすいけん)
耳たぶが長く、肩まで垂れていること。 「耳竪」は耳たぶのこと。 裕福で長生きな人の容姿をいう言葉。 「耳竪(じじゅ)肩(かた)に垂(た)る」「耳竪(じじゅ)肩(かた)に垂(なんなん)とす」とも読む。
垂涎三尺(すいえんさんじゃく)
あるものを激しく欲しがる様子のこと。 「涎」はよだれ。 おいしそうな食べ物を見て、思わず涎を三尺も垂らすという意味から。
垂拱之化(すいきょうのか)
天子の徳により民衆が感化されて、天子が何もしなくてもおのずと天下が平穏に治まること。 「垂拱」は袖を垂れて手をこまねくという意味から何もしないこと。 「化」は感化、教化されること。
垂拱之治(すいきょうのち)
天子の徳により民衆が感化されて、天子が何かすることなく天下が平穏に治まること。 「垂拱」は袖を垂れて手をこまねくという意味から、何もしないこと。
垂涎三尺(すいぜんさんじゃく)
あるものを激しく欲しがる様子のこと。 「涎」はよだれ。 おいしそうな食べ物を見て、思わず涎を三尺も垂らすという意味から。
垂髫戴白(すいちょうたいはく)
幼子と老人のこと。 「垂髫」はおさげ髪のことで、幼子のたとえ。 「戴白」は白髪頭ということから、老人のたとえ。
垂直思考(すいちょくしこう)
常識にとらわれて、凝り固まった考え方。 新しい考えは生まれにくいが、論理を深めるには有効とされている。
垂頭喪気(すいとうそうき)
元気がなくて落ち込んでいる様子。 「垂頭」は頭を垂れること。 「喪気」は元気を失うこと。 「頭(かしら)を垂れ気を喪(うしな)う」とも読む。
垂頭塞耳(すいとうそくじ)
わざと何も見ず、何も聞かないこと。 「垂頭」は頭を垂れること、下を向きて地面をみること。 「塞耳」は耳を塞ぐこと。 「頭(とう)を垂れ耳を塞(ふさ)ぐ」とも読む。
垂堂之戒(すいどうのいましめ)
子供や才能のある人などの大切な人は、危険から遠ざけておくべきという戒め。 「垂堂」は軒の端の下に近づくこと。 瓦が落ちてくる危険がある場所に近づかないという意味から。
垂名竹帛(すいめいちくはく)
歴史に名前が残るような功績や手柄のこと。 「竹帛」は竹の札と綿布のことで、紙のない時代には竹帛に文字を書いていたことから、歴史書や書物のこと。 「名(な)を竹帛(ちくはく)に垂(た)る」とも読む。
垂簾聴政(すいれんちょうせい)
皇帝が幼い時など、直接政治が行えない場合に、皇太后などが変わりに政治を行うこと。 「垂簾」は簾をおろすこと。 「聴政」は政治を行うこと。 多くの家臣に直接向き合うことを差し控えて、座席の前に簾をおろしていたということから。
率先垂範(そっせんすいはん)
人の先頭に立って行動して、手本を示すこと。 「率先」は自らが人の先頭に立って行動すること。 「垂範」は手本を示すこと。
本地垂迹(ほんじすいしゃく)
仏や菩薩は、世の人々を救うために、神の姿になって人々の前に現われるということ。 仏教と神道を結びつけた考え方で、神道の神は、仏が姿を変えたものであるということから。 「本地」は仏や菩薩の本当の姿。 「垂迹」は仏や菩薩が様々な姿になって現われるということ。
本地垂迹(ほんじすいじゃく)
仏や菩薩は、世の人々を救うために、神の姿になって人々の前に現われるということ。 仏教と神道を結びつけた考え方で、神道の神は、仏が姿を変えたものであるということから。 「本地」は仏や菩薩の本当の姿。 「垂迹」は仏や菩薩が様々な姿になって現われるということ。
本地垂迹(ほんちすいしゃく)
仏や菩薩は、世の人々を救うために、神の姿になって人々の前に現われるということ。 仏教と神道を結びつけた考え方で、神道の神は、仏が姿を変えたものであるということから。 「本地」は仏や菩薩の本当の姿。 「垂迹」は仏や菩薩が様々な姿になって現われるということ。
本地垂迹(ほんちすいじゃく)
仏や菩薩は、世の人々を救うために、神の姿になって人々の前に現われるということ。 仏教と神道を結びつけた考え方で、神道の神は、仏が姿を変えたものであるということから。 「本地」は仏や菩薩の本当の姿。 「垂迹」は仏や菩薩が様々な姿になって現われるということ。
羊裘垂釣(ようきゅうすいちょう)
世間から離れてのんびりと暮らす隠者のたとえ。 「羊裘」は羊のかわごろも、「釣」は釣り針のこと。 羊のかわごろもを着て釣り糸を垂れることから。